人類は壁の向こうに衰退しましたが、人魚はよく釣れます。(完結) 作:ダブルパン
その日も相変わらず壁内は良い天気であった。
「本日はご協力いただき有難うございます。あなた方が護衛をなさってくれるのは我々にとって大変心強いです」
「何言ってんのや。こりゃビジネスやろ? ワイらも商売先が増えるんは有難いことやし、まぁギブアンドテイクっちゅーやつなんやから気にせんとき!」
壁の下で握手をしながら挨拶を交わしているのは調査兵団エルヴィン団長と、ハンターを職業とする人魚の代表、淡路さんだ。周囲にはリヴァイ班を含めた多くの調査兵団のメンバーと、銛や槍を携えたハンターの人魚達が挨拶を交わしていた。まぁ、その殆どがトロスト区に開かれた魚市場でお馴染みの顔なので、緊張しているものは殆ど居なかったが。
「おおー淡路さんやる気まんまんとね」
それぞれが挨拶を済ませた後、ひょっこりとむろみさんが顔を覗かせた。
「むろみさん、来てたんか」
「まぁ、紹介者として一応見に来た方がえぇかと思ったとよ。調子どう?」
「そらもう絶好調やがな! 巨人面魚なんぞ商品にもならん魚はワイが槍の錆びにしてくれるわ!!」
「うーん、頼もしかね。流石淡路さん」
「淡路さん!! 最後の作戦会議が始まりまっせ!!」
「はよ来てください!」
自慢の槍を素振りしながらがっははと豪快に笑う淡路さんを、明石さんと鳴門さんが遠くで呼んだ。「おうよ、今行く!」と返事をしながらも、淡路さんはむろみさんに向き直る。
「ところでむろみさん。出かける前に聞いときたいんやけど、普通こういう類の荒事はワイらよりもリヴァイアさんの方が向いてると思うねん。何でワイらなんや?」
こっそりと聞かれたむろみさんは「あぁ」と軽く頷いた。
「だってリヴァイアさんってば今、世界の溶岩めぐりしとるけん。折角ええ湯ば楽しんでる所を呼び出すんは悪いっちゃろ? それに……」
「それに?」
そこでむろみさんは更に低い声でこそっと耳打ちする。
「簡単に巨人面魚狩り頼んでリヴァイアさんがうっかり壁壊したりしたら、それこそ大惨事っちゃけん。壁ん中って海抜マイナスっちゃろ……?」
「あぁ……そういえば、あの人ならやりかねんわな。うっかりで国一つが水没ってシャレにならんで……」
遠い目をした二人はおちゃめな巨大海獣がうっかり吐き出したブレスが壁を大粉砕し、ノアもビックリするような大洪水が壁内を襲う様を同時に想像した。かつて神々と共に大陸一つを滅ぼした実績を持つ上に、リヴァイアさんはあのアバウトな性格だ。実際にありえそうな所がまた恐ろしい。
「そんなわけで淡路さんに頼んだけん」
「うーん。まぁワイとしても商売相手が増えるんは歓迎やしな。まぁ約束やし、ちょっくら行ってくるわ」
☆ ☆ ☆
トロスト区の壁の上には今回調査に出る団長のエルヴィン、そしてリヴァイ班とハンジ班が防サビ、防腐加工を施した立体機動装置を装備して待機していた。
メンバーは団長のエルヴィンを含め総勢たったの十一名。馬の役割をこなすイルカの頭数が少ないため、少数精鋭班と情報収集班に分けた結果だが、この人数は歴代の壁外調査でも最低人数に違いない。
壁の下にある門は水没していて開くことが出来ないので、壁上からの出立である。壁から五メートル程下に広がる海面には既にそれぞれのイルカが鞍を付けて待機されており、あとは出発の合図を待つだけだ。
「間に合わないかと思いましたけど、どうにか完成したみたいで良かったですね」
グンタが体にまとわりつく新品のラッシュガードの裾を引っ張った。はっ水加工を施され保温効果に優れた新品の服は黒地に黄色のストライプが走る、かなり派手な模様だ。
「ああ。技術班が頑張って今回調査に出る人数分だけは確保してくれたらしい。高価なんだからダメにするなよ?」
「解ってるさ。だがまぁ、ダメになる時は人面魚の胃の中しかねぇだろ」
軽口を叩きあうメンバーの額にはハンジが壁外調査で付けるのと似たゴーグルが装備されていた。水中に潜水しても視界が奪われることが無いように、今回の海上活動では全員が着用を義務付けられている。
「ちっ、まったくこの靴はいつ履いても動きづらくて仕方ねぇ。もっと何とかならねぇのかよ」
リヴァイが苛立ったように防水加工された靴を踏み鳴らした。今回の壁外調査隊に支給されている靴は、つま先の部分がピエロの靴のように反り返っている上、足底が妙に長く作られたかなり不格好な代物だ。
「確かに、ショートスキーは動きにくいですよね。でも立体起動の推進力で水上を走るのって何かわくわくしませんか? 貯水池でも良いけど、本物の海で出来るのがちょっと楽しみです。不謹慎なんですけどね」
「え~? 不謹慎でもなんでも無いって。ペトラは真面目だなぁ。私は今から魚型巨人と一緒に泳げると思うとすっごいワクワクするよ!!」
「ハンジ。テメェは少し黙ってろ」
「へいへーい」
人間たちが壁の上で装備の点検をしている頃、淡路さんら人魚グループはイルカと共に海の中に居た。
陸上と壁一枚隔てた海の中には馬鹿でかいのから普通にでかいのまでさまざまな巨人面魚がのんびりと泳ぎ回っているが、人間じゃないせいなのか淡路さん達人魚には一切の興味を示さない。
悠々と目の前を横切る巨人面魚を、淡路さんは一瞥する。
「どいつもこいつもおもろいツラしよってからに……」
苛立ったように淡路さんが腕を組んで辺りを見回すと、隣で聞き耳を立てていた明石さんが振り返った。
「淡路さん、そろそろ時間でっせ!!」
☆ ☆ ☆
壁の上に、銃声が響き渡る。
作戦開始の煙弾が打ち上げられると同時に、出発地点から両側へ五十メートル程離れた地点で幾つもの木偶人形が海上に落とされた。
この木偶人形はヒトの屎尿が塗られた上に着古しの服が被せられている、いわば囮だ。
木偶人形の落下地点にヒトの臭いに鋭敏な巨人面魚がその囮を食おうと飛び上がる幾本もの水柱が確認され始めると、鋭い笛の音が周囲に響く。海面には淡路さんが顔を覗かせ、口に咥えた警笛を全力で吹いていた。
出発地点の真下にいた巨人面魚が囮にかかり、周囲から消えた合図である。
「今だ!! 総員、出立!!」
『はっ!!』
笛の音を聞いたエルヴィンら調査兵団はゴーグルをかけると全員が壁を蹴り、見渡す限りの大海原へと飛び出した。
☆ ☆ ☆
今回の壁外調査はとてもシンプルなものだ。
調査兵団はハンターの人魚達に丸く囲まれる形で海に出て、一日のうちで行けるところまで行って帰ってくる。その間に目印になるようなものがあるかどうか確認し、いずれは人魚からの輸入に頼らず人間だけで漁が出来るか否かが検討できれば上出来だった。
「よっしゃぁ! 四メートル級打ち取ったり!!」
体から煙を上げて消滅する巨人面魚のうなじから槍を引き抜きながら淡路さんは勝利宣言をした。
壁から出て、既に一時間が経とうとしていた。振り向いても壁は既にここから見えなくなっている。もしもこの場に置き去りにされたら迷子になるのは確実だろう。
「流石、人魚さんは違うな。今の所敵なしじゃないか?」
飛沫を上げながら海面を走るイルカの背に乗ってエルドがごちた。今の所五メートル級以下の巨人面魚にしか遭遇していないが、その殆どを淡路さん達人魚が狩りとっている。巨人面魚が人魚に反応しない性質も関係しているかもしれないが、それを除いてもハンターたちの戦力は凄まじく、そして頼もしかった。
「当たり前や! ワイらは昔、シロナガスクジラも狩ってんねんで! こんなもんまだまだ小物やわ!」
「おうよ! 淡路さんは海じゃほぼ最強なんやで!」
鳴門さんが淡路さん自慢を始めると、正面側から警笛の音が聞こえる。火薬を使う信号弾が湿気る不安のある海上では合図は全て笛の音を用いていた。今の警笛音から察するに、どうやら新たな巨人面魚が接近しているらしい。
「バカデカい奴が正面から来とります! 気ぃつけて!!」
海面から見ると何も見えないが、リヴァイは指笛を吹いてイルカに潜水の合図を送る。指示通りイルカは潜水し、海中を覗いてみればまだまだ遠いが、なるほど真正面からおよそ十メートル級はあろうかという馬鹿でかい顔の魚が徐々に迫ってきていた。
先頭を走っていたエルヴィンは人魚からの警笛を聞くや否や鋭く数回指笛を鳴らす。と、全員が巨人面魚を避けるように左へ曲がり始めた。
基本的な戦術は長距離索敵陣形時のものと似ているが、人間だけでは地上と海上の違いは完全な目視に頼れない。人魚達との連携あってこそこの作戦が生きてくるのであるが、それでもままならない事態は起こる。
「真下から来ます!! 六メートルくらい!!」
「なんやて!?」
急いで警笛が鳴らされるが、間に合わない。
陣形のド真ん中から水柱を立てて現れたのは、七メートル級のやたらと厳めしい顔つきの巨人面魚であった。海底からの危機に気づいたイルカが指示をされる前に攻撃を避けたのでどうにか全員無事生き残れたが、一歩間違えたら今頃は魚の餌になっているところであった。
飛び出した巨人面魚は、このまま海の中に帰ってくれればいいものの、値踏みをするように人間たちを睨みつけるとその大口を開けて襲い掛かって来た。こうなるともう狩るしかない。
「援護する。奴を狩るで!」
「よっしゃあ!」
「やっと出番だぜ!!」
淡路さんが怒鳴ると同時にオルオとグンタが巨人面魚の両側頭部に立体起動のアンカーを打ち込んだ。続いて、ラシャド、ハンジ、ケイジそして他のメンバーが巨人面魚へ一斉にアンカーを放つ。双方向から縫いとめられると、そこでようやく獲物の動きが鈍る。
「このっ、大人しくしろ!」
体に刺さったアンカーを振り払おうともがく巨人面魚だが、水面下からは淡路さん達が海へ潜れないように巨人面魚の体を槍で突き上げている。
「全員間合いを取れ!! アンカーが抜けないようにしろ!!」
「もっと引けぇ!」
「兵長!! 今ですっ!!」
逃げ場を無くし、大きく海上へ跳ね上がったところで獲物の頭にアンカーを放ったリヴァイがワイヤーに引かれて海面を奔った。まるで黒い海鳥のように体を下げ、ショートスキーで水飛沫を上げながら水上を疾走し、いよいよ巨人面魚の体に迫った瞬間、腰に携えたボンベからガスが噴いてリヴァイの体を浮き上がらせる。
翼の代わりに両手に携えた鈍色の刃は、海上に飛び上がった巨人面魚のうなじをしっかりと捕らえていた。
「やりましたね兵長!」
「凄いじゃないかリヴァイ! 人類初の快挙だよ!」
煙を上げて消滅する巨人面魚を背に口々に賞賛の言葉がイルカの上に戻ったリヴァイへ投げかけられるが、本人は些か不満げだ。
この戦い方はたった一頭に裂かれる人員が多すぎて、多数の巨人面魚襲来時にはあまり役立たない。加えて、常に人魚の援護が必要だ。人類が、人類だけで巨人面魚を狩る方法はまだ無いに等しいのだ。
「せめて、海中で奴らを追うことが出来ればな……」
イルカの上で握りしめた拳を見つめ、己の力の足りなさを痛感するリヴァイの横に淡路さんが海面からひょこりと顔を覗かせた。
「やるやん。人間の癖に」
「淡路か……何か用か? 持ち場はどうした。今は作戦中だぞ」
「持ち場もクソもあるか。そないシケたツラ見りゃ一言いいたくもなるわ」
「俺はいつもこの顔だ」
「ほんま口の減らない男やな。まぁアレや。今の動き、人間にしとくにはもったいなかったで」
「……何が言いたい?」
「何がってあんなぁ……まぁ今のは鳥っぽくてちょっとかっこよかったで。ワイら魚やけん鳥嫌いやけどな!! 狩りが成功したんやから、そないツラしとらんでもうちょい喜べ! それだけや!!」
言い捨てるようにして、淡路さんはすぐに海の中に潜ってしまった。
リヴァイは数度目を瞬かせたが、すぐに口の端を凶悪に歪める。
「それで気を使っているつもりか」
淡路さんの精一杯の励ましを聞いて、今は悩んでるのがバカバカしくなった。自分たちが生きて壁内へ情報を持ち帰る限り、いずれ戦い方は改良されるだろう。人類の歴史は昔からそうだ。ならば、今は生きて帰るのが先決だ。
「いいぞ。鳥は鳥らしく、今は鳥の狩りをするだけだ」
魚を羨むのは後回しだ。今は頼りない海鳥として、この大海原の戦場を生き残ることだけを考えよう。
☆ ☆ ☆
七メートル級の巨人面魚を人類が初めて打ち倒してから三十分が経とうとしていた。
海面には相変わらず目印になるようなものは何もなく、時折巨人面魚が現れる以外に海の変化はあまり無い。
「この分だとまだまだ行けそうだな」
「ああ。下手すりゃどっかの島についちまうかもな」
「まさか。この辺りは何も無いはずだぜ?」
イルカに乗った面々が話していると今度は左側方から笛の音が鳴り響く。
「また巨人面魚か?」
周囲に緊張が走った瞬間、一人の人魚が慌ててすっ飛んできた。
「た、大変です!! あっちの方から変なのが来ますぜ!!」
「落ち着け! 持ち場を離れるくらいの用ってなんや!?」
ぜえぜえと息を切らせる人魚に、淡路さんが激を飛ばすと、人魚はしばし口を開閉させてから勢いをつけて叫んだ。
「何というか、ウチにもよく解らへんねん!!」
「なんやねんそれ! 報告になっとらんやろ!」
その時、グンタがはるか遠くの方から何かが近づいてくるのを見た。
「おい、確かに左の方から何か来るぞ。なんだありゃ?」
何だかよく解らないそれは、海面から飛び出した二本の棒のようなものだった。
Vの字に海面から飛び出した奇妙な物体が徐々に近づいてきている。もう少しでそれが何か解りそうになった瞬間、『そいつ』は音も無く水中に沈んだ。
「なんなんだ。あれは」
不気味に鳴り響く笛の音。瞬間、すぐ目の前で何かが飛び出して来た。
『ブフォッ!!!!!』
リヴァイとエルヴィンを除いた殆ど全員が噴き出した。
水面から海上へ大きく飛び上がったのは、十五メートルはあろうかという巨人面魚。しかし、その腹ビレに相当する部分からは人間の足(スネ毛有)がにょっきり生えていたのだ。
「何あれ何あれ何あれーーーーー!!!」
「知らねぇよ! てか何で魚に足が生えてるんだよ!!」
「ぎゃはははは!! 死ぬ、死ぬ、腹が死ぬ!!」
「うおぉぉぉ!! すげぇ!! 足付きすげーーーー!!」
「バカ野郎!! 気を引き締めねぇと本気で死ぬぞ!!」
大爆笑するメンバーをリヴァイが怒鳴りつける中で、足付き(スネ毛有)巨人面魚は海中へ潜ると再び大きく海上へ跳ね上がった。目の前の人間を襲う事も無く、まるでその二本の足(スネ毛有)を誇示するかのように跳ね上がるたびに何度もバレリーナのようなポーズを決めているのは何故だろう。
「何かがおかしい。皆、気を付けろ!」
どっかんどっかん爆笑している全体にエルヴィンが声をかけると同時に、複数方向から警笛の音が聞こえた。
笛の音から察するに、その数、無数。
「淡路さん、ヤバいっす!! 数が多すぎて応戦が間に合いません!!」
外敵を察知したイルカが逃げ出すと同時に、その場所から二頭の巨人面魚が上下の歯を打ち鳴らしながら飛び上がる。他にもあちらこちらに無数の巨大な魚影が形を現し始めていて、もはや手におえない数だ。
「あの足付き、まさか仲間を呼んだのか!?」
これだけの数になるともはやこの巨人面魚の群れの突破は不可能だ。ここらが潮時とばかりにエルヴィンが撤退を知らせる合図を鳴らす。
「撤退ー!! 撤退だー!!」
「しんがりは任された!! 人間どもははよ逃げや!!」
淡路さんが槍を振り上げ、全員が方向転換をしようとするが時すでに遅く、あたりは十頭や二十頭ではきかない大量の巨人面魚が埋め尽くしていて、エサに群がる鯉のように大口を開けて迫ってくる。
「うわぁー!!」
近くで仲間の悲鳴が聞こえた。
振り向くと、待ち伏せしていたらしい巨人面魚の頭にイルカが跳ね飛ばされ、誰かが海に落とされた。
「へいちょ、たすけ!! うぶぁ!! 来るな、くるなぁぁぁ!!」
イルカから振り落とされ、近くで海面に漂っていたエルドの頭が海中に消えた。
「ちっ、明石! 鳴門! シャキっとせいや!! これ以上ヤツらの好き勝手にさせんな!!」
「ダメッす!! 数が多すぎてこっちも手が回りやせん!!」
淡路さんたちハンターも無数の巨人面魚を捌いているがとても間に合わない。一頭倒す間にも新たに二頭が増えているような気がするほどだ。
波が経ち過ぎていて、生きている人間がどれくらい居るかもわからない。海面から飛び出す巨人面魚の頭に、リヴァイは無意識的にアンカーを放っていた。頭の中は不自然なほど冷静だが、思考回路は全て相手を狩ることのみにシフトしている。
しかし、狙った獲物に向かって水面を翔る間に十メートルはあろうかという巨人面魚が、横から大口をあけてリヴァイの眼前まで迫っていた。
アンカーを戻す余裕は無く、ガスを使って間一髪横へ逸れるもそこにも巨人面魚の穏やかな顔が大口を開けてリヴァイを食おうと迫っていた。
逃げ場は、無い。
「ここまでかよ……」
不思議と恐怖心は無かった。ただ、酷く悔しかった。今まで失ったと同時に背負った仲間の命も、約束も、全部がもう守れなくなってしまうことがどうしようもなく悔しい。
巨人面魚の歯並びが見えた。最後の瞬間まで悪あがきをするつもりではあったが、しかし、不思議なことが起こった。
眼前まで迫っていた巨人面魚の体が横へ吹き飛んだのだ。
「あ?」
アンカーを戻し、海に着水すると傍に漂っているのはイルカでも巨人面魚でもなく、無数の黒い背びれだ。
よく見るとそれらはイルカに似ているが、イルカでは無い。イルカよりも大きく、白黒模様の不思議な生き物。そのうちの一頭がリヴァイの体を頭で持ち上げた。つるつるした皮膚の感触に、イルカよりも肉厚の唇。口の中はびっしりと白い牙が生えている。
「何だ? こいつらは!?」
あたりを見回すと三十メートルはあろうかという島のような何かがいくつも浮かんでいて、そのうちの一つから誰かがひょこりと顔を覗かせた。
「やっほー!! 皆もこっちに出てきてたとね!? 近海にシロナガスクジラさんとシャチさんの群れがおったけん!! ひいちゃんのお友達ば皆にも紹介したいなーって言ったら来てくれたと!! あれ? 皆どげんしたと?」
それは、にこやかに手を振るひいちゃんだった。
ひいちゃんが無数のシャチやクジラを引き連れてやってきていたのだ。
「ひいちゃん!! 助かった!!」
生き残ったメンバーが急いで巨大なクジラの背によじ登る。無数にいた巨人面魚たちは近づこうとしても自分たちの倍ほどもある大きさのクジラの尾びれに叩きつけられ、あっという間に蹴散らされてしまった。
周囲からは巨人面魚の群れが消え、静かな波と風の音が聞こえるばかりとなる。
何とか巨人面魚を撃退できたとはいえしかし、損耗が無かったわけではない。
「食われたのはラシャド、ハンジ、エルド、ペトラか……」
シャチの上から見回して、リヴァイは無表情で海に消えたメンバーの名前を呟いた。生き残りがシャチやクジラに運ばれる中、他に生き残りが居ないか人魚が海中を見回ってくれたが、現在生き残っているメンバーの他には誰一人、遺留物さえ見つからなかった。
今回の巨人面魚戦でわずかな間に十一名中、四名もの命が失われたということだった。
「済まん。ワイらがおったと言うんに……」
「お前らのせいじゃねぇ。もともとこういうのが仕事だ。それに、仲間が死ぬのはもう慣れてる。気にするな」
吐くように言うリヴァイの表情は硬く、淡路さんはそれ以上何も言うことが出来なかった。
帰りの道中はクジラ、シャチのおかげで楽に帰ることが出来た。特に巨大なシロナガスクジラの攻撃力は凄まじく、巨大な尾びれで巨人面魚の横っ面を殴るとその首が吹っ飛ぶほどだ。シャチの方も大きさではクジラに劣るものの、鋭い牙は巨人面魚の鱗を齧り取る程頑丈だ。その群れとなると戦闘力は凄まじい物だった。
エルヴィンはシャチとクジラへ調査兵団への入団を勧誘をしていたが、両種族からは海を回遊しなければならないという理由で断られてしまった。ただ、近場を泳いでいる時にひいちゃんが居て『一緒に遊ぶ』のは構わないらしいので、次回があるとすればひいちゃんを通して援護してもらうことになるだろう。
そうこうしているうちに、ようやく壁が見えてきた。
☆ ☆ ☆
海から帰って来た調査兵団の面々を迎えたのは人々の歓声だった。
昔よりも余裕が出来たせいか、税金の無駄だの巨人にエサをくれているようなものだだのの暴言こそ少なかったが、それでも人々の好奇の眼差しは今も昔も変わらない。
強張る調査兵団の顔を見て、あぁ、また人が死んだのかと息をつく声がちらほらと聞こえてくる。
壁外調査を終えて、兵舎へ帰る途中に歩む道は壁外が海になる前と同じものだ。帰って来た者も、壁の上で待っていた者も、帰路へつく調査兵団のメンバーの表情は皆一様に暗かった。
「あのハンジさんまで食われたんですか……」
「……ああ」
「皆、あんなに元気だったのに」
「おい、いつもの事だろ。俺達はいつも仲間の死を見てきた。違うか?」
「あいつらの分も、俺達が巨人を殺すんだ。それしか無い」
「エルドさん、ペトラさん……うぅ」
「あの人たちが死んだなんて、今でも信じられねぇよ……」
「俺だって信じられねぇよ。昨日だってあんなに笑ってた奴がよ……」
「ああ。本当に、自分が死ぬとは思ってなかったぜ」
「兵長済みません!! 私たち死んじゃって!!」
「皆! 本当にすまねぇ!! あんなところで食われると思ってなかったんだよ!!」
「死んでごめんねー!! 研究報告まだなのに!! これからまとめるから許してー!!」
全員が振り返ると、確かに死んだはずの四人が涙を流して立っていた。
あれ?