「……ここが『アルヴィーズの食堂』よ」
朝のキュルケの件をまだ引きずっているのか、ルイズは不機嫌そうにそう言った。
あの後彼らは朝食をとるために、学院にある食堂へと向かっていたのだ。
「扉からして豪華だね」
ドッピオの言う通り、食堂の扉は荘厳な飾りつけがされていて、かなり威圧感があった。
「貴族たるもの、マナーもきちんと学ばなきゃ。そのために貴族のための食堂にしてあるのよ」
そういって、ルイズは扉を開ける。
中に入るドッピオとルイズだったが……ドッピオは、中の様子を見て愕然とした。
「うわぁ……」
優に数百人は中へ入ることができようかというほどの空間が広がり、その至る所に豪奢な装飾が施されており、どこも輝かんばかりの光を放っている。
テーブルに置かれた朝食はどれもこれもが豪華なものばかり。ワインすらあると知ったときは驚いた。
もうこの場に立っているだけで、ドッピオは見えない何かに圧倒されるようだった。
てっきりドッピオは修道院なんかにある食堂のようなものを想像していたのだが、実際はその真逆。
中世ヨーロッパの王族なんかが使うような、きらびやかな場所だった。
「ホントならあんたみたいな平民、入ることすらできないのよ。私の計らいで特別に許可されたんだから、感謝しなさいよね」
と言って、ルイズはその桃色の髪をかきあげて自分の席まで移動する。
配置されている三つの長いテーブルの中で、ルイズは真ん中のテーブルへとうつる。
見たところ、どうやら学年ごとにわかれて座るらしい。
(ということは、ルイズは二年生、か……)
ドッピオはそんなことを考えながらルイズとともに歩いていると、不意にどこかしこから変な話し声が聞こえてくる。
「見ろよ、『ゼロ』のルイズの使い魔……」
「ホントに平民なんだな、クスクス……」
「まぁ、お似合いよね、『ゼロ』のルイズには……」
「……………………………………………………」
ドッピオはまだここに来て日が浅く、言っている内容については詳しくはわからなかった。
だが、なんとなく、ルイズを侮辱しているということはわかる。
彼女から聞いた話では、ここにいる生徒はほとんどが貴族の者だという。
そのような高貴な者である彼らが、にもかかわらず平然と陰口を叩いているという事態を目撃して、ドッピオは眉をひそめた。
(……こいつらのどこが貴族だって言うんだよ……)
「なにしてんのよ」
と、ふとルイズに声をかけられたドッピオは、彼女の方を向いた。
見ると、椅子の前に突っ立っているのだが、それから動こうとしていない。
「? 座らないの?」
問いかけてみるドッピオだったが、するとルイズはハァ~ッと大きなため息をついた。
「こういうのは、従者が椅子を引くものなのよ」
「………………またですか」
もはや諦めに近い境地にまで達してしまったドッピオ。
椅子を引いてやると、それにルイズは優雅に座り、慣れた手つきで絢爛な朝食を開始する。
そしてドッピオもルイズの隣に座ろうとしたが……
「ちょっと。そこはあんたの席じゃないわよ」
と、ルイズに制止させられた。
こちらも腹が減っているというのに、いちいちこう止められると中々にイライラとするものだ。
「じゃあどこに座るんですか」
訊ねるドッピオに、ルイズは指をさして答える。
指さした方の先を、ドッピオが見ると……
「…………………………うそだろ?」
床に置かれた、パンとスープののった皿があった。
「文句があるわけ?」
ルイズが睨みつけてくるが、ドッピオはもうそんなものはどうでもよかった。
文句もクソもあったものではない。
こんな粗末なものでいったいどうしろというのか。
人間扱いされないのも、ここまでくるともはや呆れてしまう。
ドッピオは皿を持つと、出口へ向かって歩き始める。
「ちょっと、あんたどこいくのよ」
「…………外で食います…………使い魔たちのいる広場にいるんで」
「使い魔は主人のそばにいて、常に危険から守らないといけないのよ?」
腕を組み、足を交差させてそう言い放つルイズ。
そんな彼女を、ドッピオは肩越しに振り向く。
そのときルイズはドッピオの目を見てギョッとした。
彼の目は、とても哀れなものでも見るかのような冷めきったものだったからだ。
「……人をさんざん『侮辱』しておいて、服従しろってんですか?」
彼はそう吐き捨てて、そのまま食堂をあとにした。
彼の所属していた組織、パッショーネの掟。
その中に、『侮辱』した者には報いを与えろ、というものがある。
人の美徳と呼ばれるものの中でも最も美しいもの。それは『尊敬』だ。
友を『尊敬』するからこそ友情が生まれ。
恋人を『尊敬』するからこそ愛情が生まれ。
争いのない世界を『尊敬』するからこそ平和が生まれ。
自分と戦う敵を『尊敬』するからこそ、勝利が生まれる。
『尊敬』とはすべての栄光を掴むことを可能とする、誇りある崇高な行為なのだ。
ならば逆に、最も恥ずべき悪徳とは何か? 『尊敬』と相反するもの、それが『侮辱』だ。
『侮辱』には報いを与えなければならない。悪徳は、すべて根絶やしにされるべきだ。
そのためならば、殺人すら許される。
彼も、その信念を持つ人間の一人だ。
だから、ルイズの命令に反して食堂を出て行っても、ドッピオの心の中には微塵も悪い気は起らなかった。
「……何なのよ、あの使い魔」
ルイズは、自分の命令に従わない使い魔の後ろ姿を見ることしかできなかった。
「……ふぅ」
食堂を出て、使い魔たちのいる広場までやってきたドッピオ。
ここの広場は、フクロウなどの普通の動物から、今朝方見たフレイムのような幻獣まで、様々な生き物がうようよとしている。
だがそのようなものはある程度見慣れていたし、何より人は誰もいなかったため、彼の心は安らいだ。
草むらに座り込んだ彼は、さっそくもらった朝食のパンとスープを口に運んだ。
見た目こそルイズたちのものと比べれば貧相なものだが、なかなかどうしておいしいものだった。
すぐにそれらを平らげるドッピオ。
量はまだまだ足りないが、無い物ねだりをしても仕方がない。
二度目のため息を吐きながら、ドッピオは草むらの上で横になった。
「あぁもう……どうして嫌なことばかりあるのかな、ここ最近」
まだ一日もたっていないのに、もう愚痴を吐かずにはいられないほどにドッピオのむかつきは大きく膨らんでいた。
このままこんな待遇が続くものならば、そう遠くないうちに胃に穴が開くだろう。
こうなったのも、自分がルイズに召喚されてからというものだ。
「……………………………………………………」
ドッピオはふと、考え事をし始めた。
新しい主人となったルイズ。短気でプライドが高く、少し煽るだけですぐにくいついてしまう。
我慢ということを知らないんじゃないのかと思うくらいの我が侭娘だ。いったいどんな生活を送ればあんなヤツに育ってしまうのだろう。気になる。
――そういえば、彼女のことでもう一つ気になることがある。
「……『ゼロ』のルイズ、か……」
なんとなく、引っかかっていたフレーズだ。
さっき食堂でルイズを侮辱していた生徒が言っていたのだが、いったい何なのだろう。
そういえば、今朝会ったキュルケが、自分は『微熱』だなどということを言っていた気がする。二つ名のようなものでもあるというのだろうか。
だとしたらルイズは『ゼロ』という二つ名をつけられていることになる。
『微熱』はわかる。火属性の魔法が得意だと言っていた。
だが、『ゼロ』とはなんだ? これも、魔法が関係しているのだろうか?
……しばらく考えてみたが、やはりわからない。
本人に聞いてみればいいのかもしれないが……あの生徒たちが言っていたことを考えると、なんだかそのことは触れない方がいい気がする。
もしかしたら、彼女のことを『侮辱』し、深く傷つけてしまうものかもしれないのだから。
「……………………………………………………」
そう考えてみると、彼女のことが気になり始めた。
彼女は常日頃からああして『侮辱』を受けているのだろうか? 理由もわからないし、根拠もないが、もしそうなのだとしたら――どうなのだろう。
そんな中、みんなが幻獣だの動物だのを召喚して使い魔にしているときに、自分は人間、しかも平民を召喚してしまい、あまつさえ使い魔にしてしまう。
どれほどの屈辱なのだろうか。悲しいとか悔しいとか、もうそんな言葉では片づけられないほどに暗い感情が彼女の中で渦巻いているのでは?
そうだとしたら――と思うと、ドッピオはルイズに少しばかり同情した。
自分へのこの仕打ちも、その日頃の鬱憤を吐き出すようなものだったのかもしれない。
だからといってすべて許容できるほどドッピオは寛大ではないが。
「……どうしたもんかなぁ……」
これからの行く末が全く見えないドッピオは、本日三度目のため息を吐く。
ドッピオが考え事にふけってしばらくたった後――広場にちょっとした変化が起こった。
使い魔たちが全員、学院の方へと戻り始めたのである。
「あれ?」
なんだろう、と思い首をかしげるドッピオだったが、すぐにそれは見当がついた。
もうすぐ授業が始まる時間だ。
きっと主人に命令され、彼らの元へ戻ろうとしているのだろう。
ならば自分も動いた方がいいかもしれないな。
そう思って、ドッピオは立ち上がって食堂まで戻ることにした。
(とはいっても、次からどんな顔して会えばいいやら)
思案してみるが、なかなかいいものが思いつかない。
頭をひねりながらルイズのもとへ向かうドッピオだったが、やはりダメだ。
素直に謝るのが一番か……と、そんなことを考えていたとき。
「あ……」
前方から、ルイズがやってきた。
人が悩んでいるときにこれである。
やはり自分は運がないなぁ……そんなことをふとドッピオは考えた。
「……ごはん、済ませたの?」
「あ……うん」
「そう。じゃあ、ついてきなさい。これから授業だし、あんたはそばにいるのよ」
それだけ言うと、踵を返してルイズは歩き出した。
ドッピオもルイズに並んで、学院の廊下を歩く。
しばらく二人は何も話さなかった。
が、不意に、
「――ねぇ」
ルイズが、ドッピオに声をかけてきた。
「なに?」
聞き返すドッピオだが、ルイズは言いづらそうに口をもごもごさせて『あの……』とか『その……』とかを繰り返している。
やがて、顔を赤くしながら、ルイズは言った。
「……フレイムが来たとき、とっさにかばってくれて……その……ありがとう」
一瞬。ドッピオは、耳を疑った。
「――え?」
「私のために動いてくれてたんだし……か、考えてみれば、そのことまだ褒めてなかったかなーって……そ、それだけ! 早く行くわよ!」
早歩きで先へと行くルイズ。
慌ててドッピオはそれを追いながら、くすりとほほ笑んだ。
ドッピオはなんとなく、ルイズのことを少しだけ理解できた気がした。
『批判』は……私の目指す平穏な日々とは相反しているから嫌いだ……