ハートの一船員   作:葛篭藤

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この頃のローさんの懸賞金は4000~5000万ベリーくらいだと思って読んでください。


第6話 リバティ

 沈んだ意識の外側で、波の音が微かに聞こえる。上下に揺れるこの感覚も覚えがある。ここは、海の上なのか、と寝ぼけた頭がぼんやりと認識する。俺、なにしてたんだっけ……?

 

「この愚図が」

 

 誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。男の声だ。聞き覚えはない。

 意識は未だはっきりしておらず、その声がなにを言っているのかまでは認識できなかった。

 それがはっきりとした目覚めに変わったのは、何かを打ち付ける音がしたときだった。

ぱちっと目を開くと、木目の床が間近にあった。どうやら俺は床に寝転がされているらしく、目に映るのはそこにいる人間の足元だけだった。3、4人……? 大きくがっしりとした大人の足の中に、一組だけほっそりとした子供の足がある。子供って、もしかして……?

 ハッとしてとっさに身動きを取ろうとすると、体を拘束している縄が軋んだ。

 

「――あァ、目が覚めたのか」

 

 不機嫌そうな男の声が頭上から振ってくる。しゃべっているのは俺の真ん前にいる男らしい。首だけ動かして見上げてみるも、逆光のせいで顔がよく見えない。でも、なんとなく見たことあるような……。

 ついでに目だけでさっと辺りを見回すと、他に二人の男と、そして予想通りあの女の子がいた。シャチさんはいないようだ。俺だけが攫われた? どうして?

 頭の中が疑問や不安でいっぱいになっていると、目の前の足がコツリと音を立ててこちらに爪先を向けた。

 

「まったく……。これのどこがトラファルガー・ローだ?」

 

 “これ”と言いながら、男は足先で俺の頭を持ち上げる。

 どうなってんだこれ、と状況を飲み込めず混乱する俺だったが、“トラファルガー・ロー”の名は聞き逃さなかった。

 ローさんのことだよな。どういうことだ? この状況はローさんとなにか関係あるのか?

 

「あ、の……一体、どういうことなんですか? なんで、俺……」

 

 なんとか言葉を紡ぐと、男はそれだけで苛立たしくて仕方ないというように舌打ちをした。

 

「海賊風情が、勝手に口を開くな」

「…………」

 

 理不尽にもほどがある。いろいろ言いたいことはあったが、とりあえず口を閉じた。変なことを言って蹴られたくないからな。今の俺には身を守る術も、ここから逃げ出す術もない。

 と、太陽に雲がかかったのか、室内が少し暗くなった。おかげで、逆光で見えなかった男の顔がようやく見えるようになる。

 

「あ」

「フン、どうやらおれが誰か知っているようだな。いかにも頭の軽そうな顔をしているが、それくらいの知能はあるということか。ああそうさ、おれが3200万ベリーの首“鉄拳のグレイス”を仕留めた賞金稼ぎのバルテス・ゲイトだ!!」

「…………」

 

 いやー、知らないけどね……。俺はただ単に、あの市でぶつかった人だなーって。

 まァ、ご丁寧な自己紹介のおかげでどういう人かはよくわかった。この人、自分の業績にかなり自信があるんだなァ。正直、3200万ベリーの賞金首を仕留めるのがどれくらいすごいことなのか、俺にはピンと来ないんだけども。

 とりあえず、ショックを受けているフリ。

 

「驚きで声も出ないか? おれも同じ気持ちだよ。まさかこの島に“死の外科医”がいるとはな……。奴を仕留めたとなれば、おれの名はますます広まる。海賊たちはおれを恐れ、ひれ伏すようすになるんだ……!」

 

 ゲイトは恍惚として語った。自分に酔っている人間というのを俺は初めて見た。とにかくすごく嫌な感じだ。

 しかし、そのにやついた顔は次の瞬間には激しい怒りの表情へと様変わりした。

 

「なのに……こんなクソの役にも立たない下っ端を連れて来られたおれの気持ちが、お前らにわかるかァ!?」

「す、すいませんっ!! 黒髪でしたし、ツナギではなかったので、てっきり……」

「てっきりじゃねェよ、この役立たずが!!」

 

 なるほど……。ようやくどうして俺がここにいるのかわかってきた。

 簡単な話、ローさんに間違われてしまったのだ。それで、賞金稼ぎだというこの男の部下に拉致られた、と。

 てっきりじゃねーよって言いたい気持ちは俺も同じだったが、ゲイトには反発心を抱いた。こいつは、自分以外のすべての人間を見下している。だから、自分ではなにもしていないくせにこんなに偉そうに怒鳴り散らしているんだ。

 

「まァいい……。幸い、奴らの船の場所はわかっている。裏から回り込んで奇襲をかけてやろうじゃないか」

 

 やや気分を落ち着けて、ゲイトは言った。そして、出航準備をするようにと奴が命令すると、男たちは逃げ出すように部屋を出て行った。

 船の場所はおそらくあの少女が教えたのだろう。ちらりと窺い見ると、彼女は感情のそげ落ちた人形のように無表情に突っ立っていた。船で一緒にいたときとはまるで印象が違う。

 まさか賞金稼ぎの一味だったなんて……。だとすれば、酒場で男たちをあんな風にしたのも、やっぱり彼女だったんだろう。

 助けなければよかったとは思わないが、俺のその余計な行動のせいでローさんたちが危ない目に遭うのかと思うと、行き場のない悔しさが湧き上がってくる。

 なんとかここから逃げ出してみんなにこのことを伝えないと、と俺が焦り始めていると、ゲイトはそんな俺を見物するようにしゃがみ込んで俺の顔を覗き込んだ。ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているところを見ると、どうやらお気に召したらしい。と、思い浮かべた皮肉も、奴の次の言葉で吹き飛んだ。

 

「お前は……そうだな、人質として使ってやろうか。海賊相手にどれほど通じるかは知らんがな」

 

 一瞬にして全身の血が引き、気付けば俺は「ちょっと待ってください!」と叫んでいた。

 

「俺はそもそも海賊じゃないんです!!」

「あァ?」

「俺は……海で遭難してたところをあの人たちに助けられただけの一般人で、だから仲間でもなんでもないし、人質にはなりません!」

「大した言い訳じゃねェか。そんなに自分の命が惜しいか? 仲間に見捨てられるところでも想像したか」

 

 そうじゃない。その反対だからまずいんだ。

 もし俺が人質にされたら、みんなはきっと俺を助けてくれようとする。不利な状態で戦う羽目になり、その分だけ余分な傷を負うことになる。全部、俺のせいで。

 それだけは阻止しなければいけない。そのためには、俺には人質としての価値がないとこいつに思わせなければいけないんだ。

 

「言い訳なんかじゃありません! 俺は本当に……」

「仮にお前の言い分が本当だったとしても、まァ、盾くらいにはなるだろう」

 

 ゲイトの言葉に俺は言葉を失った。なんなんだよ、こいつ……。

 

「……人の命をなんとも思ってないのか?」

「クズがおれに説教でもするつもりか?」

 

 笑わせる、と呟くように言うと、ゲイトは俺の腹に蹴りを入れた。なんの気構えもしていなかった俺はそれをもろに食らった。その激しい痛みと吐き気に、俺は身をよじって喘ぐように咳き込んだ。

 が、奴の攻撃はそれだけで終わらなかった。その後も何度も蹴られ、踏みつけられる。その間にも、奴は「なんでおれがクズの命を気にかけないといけない?」などとぶつぶつ言っていた。

 蹴られた場所から全身へと痛みが広がっていき、他のすべての感覚が遠くなり始めた頃、ゲイトの攻撃が止んだ。あの少女が口を挟んだのだ。「マスター」と一言だけ。

 ゲイトは俺を踏みつける足をどけ、少女の方を向く。

 

「……お前が口を挟むとは、珍しいこともあるじゃねェか。ああ、そういえば少々面倒を見てもらったんだったな……。まさかそれで恩でも感じているのか?」

 

 ゲイトはさもおかしそうに喉の奥でくつくつと笑った。が、唐突に笑うのをやめると、今度はいきなり彼女の頬を手の甲で打った。

 

「なっ……!?」

「笑えねェなァ」

 

 ゲイトは独り言を言うように低く呟いた。顔は笑っているのに、目は少しも笑っていない。その表情にぞわりと背中が粟立つ。

 奴は殴られてもふらつくだけで倒れなかったその少女の襟首を掴み上げると、そのまま彼女を壁に向かって叩きつけた。小さな体は吹き飛び、大きな音を立てて壁に激突する。

 俺は全身の痛みすら一瞬忘れ去って、声を張り上げた。

 

「おいっ!! なにしてんだよ?! やめろ!!」

「つくづく鬱陶しい野郎だな。おれがおれのペットをどう扱おうが、お前には関係ないだろう?」

「ペット、だって……!?」

「ああそうだ。おれが拾って、育てた。すごいだろう? なにをされても文句の一つも言わないこの忠実さ。しかも、こいつには賞金稼ぎとして必要な知識と戦闘能力のすべてが詰め込まれている。これ以上ないほど優秀な猟犬だよ」

 

 そんな……。こんなことが、許されるのか? 小さな女の子が人間としての扱いを受けずにいるなんて……。と、そこまで考えて、ひとつ思い当たることがあった。

 

「もしかして……その子がお腹を空かせてたのって」

「ああ……、そのことか。躾の一環だよ。殺せと言ったのに急所を外すから、一週間ばかり餌を抜いたのさ」

 

 つまらなさそうにうそぶくゲイトに吐き気がこみ上げてくる。ここまで胸くそ悪い人間がいるのかと驚くほどだ。

 痛みとショックとで俺はそれ以上言葉を紡ぐ気力もなくなった。もう、ゲイトとは話したくない。

 と、ちょうどそのときノックの音が飛び込んできて、ゲイトの部下と思われる男が現れた。彼はゲイトに何事かを耳打ちするとすぐにいなくなった。

 男がいなくなるとゲイトはくるりとこちらに向き直り、やたら慇懃な口調で「では、おれはこの辺りで失礼させてもらう」と言った。

 

「おい、お前はそいつを見張っておけ。少しでも逃げようとする素振りを見せたら殺して構わん。変な情けはかけるなよ。わかったな?」

 

 壁に叩きつけられたあとだというのに、少女は平然とした様子でゲイトの言葉に頷いた。ゲイトはそれを確認すると、満足げな笑みを浮かべ部屋を出て行った。

 そうして、部屋には俺とその少女が残された。

 彼女は言いつけ通り、俺を見張っていた。ドアを塞ぐように立ち、無言でただ俺の方を見ている。が、その体が不意にふらりと傾いだ。倒れはしなかったものの、足元は未だふらついている。

 

「あっ、おい、大丈夫か?!」

 

 思わずそう声をかけてずりずりと床を移動すると、彼女はぎらりと俺を睨み付けた。それ以上こちらに来たら殺すと目が言っていた。「逃げようとする素振りを見せたら」というゲイトの言葉を、やっぱり忠実に守るのか……。

 

「……逃げないよ。ていうか、そもそも逃げられるような身体能力もないっていうか。それよりも、君、まだ風邪治ってないんじゃないのか?」

「…………」

 

 あのときと同じく、返ってくるのは無言ばかり。だけど、たぶん正解だ。だって、あのときは注射薬を打っただけだし、寝てたのだってほんの1、2時間だけだ。しかもその後は海に飛び込んでる。これで完治していた方が不思議だ。

 なのに、その不調を訴えもせずに、奴に従っている。別に鎖で繋がれているわけでもないのに。

 

「なんで、あんな奴の言うこと聞くんだよ……」

 

 そう問わずにはいられなかった。答えを期待していたわけじゃない。しかし、その思いに反して、長い沈黙の後、彼女はぽつりと答えた。

 

「…………それ以外のことを知らないから」

 

 悲しそうでもなく淡々とそう答える彼女が、なによりも悲しかった。

 まるで、機械みたいだ。与えられた命令だけを忠実にこなし、それ以外のものはなにも、感情さえも持たないようにと育てられたのか。

 だけど、当たり前だけどこの子は機械なんかじゃない。感情だってちゃんとある。だって、一瞬だけど微笑んだんだ。

 あのとき見た微かな笑みを思い出すと、堪らなく胸が苦しくなった。

 

「くそっ……!」

 

 ゲイトのことが腹立たしくて、なにもできない自分が情けなくて、なにも知らないこの子が痛々しくて、涙が出た。縛られている状態では涙を拭うこともできず、それらは頬を滑り落ちてぽたりぽたりと床に垂れる。

 そんな様子の俺を見て、彼女はわずかに目を見開いた。

 

「……どうして、泣くの?」

「……俺には、なにもできない……。君を助けてあげることも」

 

 自分の無力さが悔しくて恨めしくて涙が出るんだ。

 そう伝えても、彼女は不思議そうな顔をするだけだった。やっぱり伝わらないのかよ。

 

「君は、あんな奴の言うこと聞く必要なんてないんだ。海賊と戦う必要だってないし、もっと好きに、自由に生きる権利が、あるのに……」

 

 伝わらないもどかしさを吐き出すように俺は言葉を紡いだ。彼女はやっぱりよくわかっていないようだったが、理解しようとはしてくれているようで、なにかを考え込むように黙り込んだ。

 そんな彼女がなにかを言おうと口を開いたとき、突然慌ただしい足音が部屋に舞い込んできた。

 

「お嬢!! 大変です! “死の外科医”が……!!」

 

 入ってくるなり、男は息も切れ切れに叫んだ。そして、その言葉を聞いた直後、彼女は部屋を飛び出していった。

 “死の外科医”って、確かゲイトの奴も言ってたけど……ローさんのこと、だよな? まさか、俺を助けにローさんが?

 俺は状況に付いていけずに一人ぼけっとしていたが、そのまま放置してもらえるわけではないらしく、男に強引に引っ張り起こされて部屋から連れ出された。

 

 ぐいぐい引っ張られ、時に足をもつれさせながら辿り着いたのは船橋だった。いわゆる司令室だが、何故か人は一人もいない。そのままそこを素通りし、上甲板に出た。そこにはゲイトと他にも数人の人間がいたが、みんな船首を食い入るように見ている。疑問に思いつつ俺も船首を見下ろし、飛び込んできた光景にまんまと声を上げた。

 

「えっ……!?」

 

 広い甲板の中央にローさんはいた。左手にあのやたら長い刀を持ち、余裕の面持ちで佇んでいる。その八方をゲイトの部下たちが埋めており、いわゆる危機的状況という奴に見舞われていると言える。のだが……俺が驚いたのはそこじゃない。

 

「なんだこれ……」

 

 誰も彼もがバラバラだった。腕、足、胴、頭、様々な体の部位がごちゃ混ぜになって辺りに散らばっていた。一見するとバラバラ死体の地獄絵図なのだが、さらに驚くべきことにバラバラになった人間はそれでもまだ生きているようだった。そうして、いろんなパーツをくっつけながら逃げ惑っている。腕の位置に足をつけている奴、足が三つある奴、胴が二つ重なっている奴、そんなでたらめな人間で場は溢れかえっている。パニックに陥る彼らはもはやローさんに戦意を向ける余裕などなさそうだった。

 これを全部ローさんがやったのか? 強いかどうか以前に、能力がすごすぎるだろ。どうなってんだよ。

 

「そんな、バカな……軽く100人はいるんだぞ……3200万を仕留めたおれの兵が……」

 

 ゲイトが半ば呆然としながらぶつぶつと呟く。ざまあみろと内心悪態づいた俺だったが、逃げ惑う人々の中に一人泰然と動かない影を見つけてハッとした。あの女の子だ。

 今のところ体に欠けた部位はないようで、五体満足のまま二刀のダガーを構えている。その様子は明らかに一介の戦闘員とは一線を画していた。“賞金稼ぎとしての戦闘能力のすべてが詰め込まれている”とゲイトが称したのも伊達じゃなかったのか。

 だけど、このまま二人が戦っていいわけない。特に、あの子にはもう戦ってほしくなかった、ゲイトなんかのために。

 ていうか、ゲイト自身は戦わないのかよ。と思っていると、いきなり背を押されゲイトの前へと押し出された。

 

「ゲイト様! 連れて参りましたっ!!」

「遅い!!」

 

 ゲイトはそう怒鳴るなり、乱暴に俺を引き寄せた。そして、甲板に向けて声を張り上げる。

 

「おい、トラファルガー!! こいつを見ろ!!」

 

 そう言って俺を前面へと押し出すと、俺にピストルを突きつけた。ゴツッと固くて冷たい銃口がこめかみに当たり、瞬時に背筋が凍る。

 ゲイトの言葉に、ローさんだけでなくその場の全員の視線が俺に集まった。

 

「ここに乗り込んでまでこいつを助けに来たってことは、こいつの命が惜しいんだろう? こいつを殺されたくなきゃ、おとなしくしろ!!」

「台詞だけだと、どっちが悪党かわかりゃしねェな」

「黙れっ!!」

 

 ゲイトに怒鳴り返され、ローさんは肩を竦めた。軽口を叩いたが、逆らうつもりはないらしく、ローさんは反撃の意思がないことを示すように刀を地面に置いた。

 俺は信じられないような気持ちでその場面を見ていた。

 

「そ、んな……ローさん?! なにバカなことしてるんですかっ!?」

「お前も黙っていろ、雑魚が!!」

 

 そう言うと、ゲイトは俺を銃身で殴りつけた。それを見ていたローさんが抗議の声を上げる。

 

「おい、こっちはお前の言う通りにしてるんだ。そいつに手を出すな」

「ハハッ、こんな雑魚一匹に“死の外科医”たるお前が随分とこだわるじゃねェか」

「そいつは海賊じゃねェからな。おれに命を預けているわけじゃねェんだ」

「よくわからんが、それでテメェが死んじゃ世話ねェだろうよ! 海賊の理屈ってのは本当バカみてェだな!!」

 

 ゲイトはいよいよ自分の優位を確信してゲラゲラと笑い出した。

 俺はこの状況が悔しくて腹立たしくて、はらわたが煮えくりかえるような気持ちになっているというのに、当のローさんはまるで動じていない。

 一通り笑うと、ゲイトはあの女の子に向かって「リーゼ」と呼びかけた。

 

「死なない程度にトラファルガーを痛めつけてやれ」

「…………」

 

 しかし、ゲイトの命令に反して彼女は動き出さなかった。ダガーは構えたままで臨戦態勢をとっているのに、なにかを迷うように静止している。

 

「なにをしている、リーゼっ!! おれの言うことが聞けねェのかァ?!」

 

 苛立たしげにゲイトが怒鳴ると、彼女はようやくじりじりと動き出した。二歩三歩と徐々に距離を縮めていくが、ローさんは動かない。

 

「そうだ、それでいい……。おれの言うことだけ聞いてればいいんだ。おれが、一番偉いんだ。おれが一番強い……。みんなひれ伏させてやる……」

 

 ゲイトはまたぶつぶつと呟きながら、二人をじっと見下ろす。

 ローさんのすぐ前まで歩を進めた彼女は、手の中のダガーを握り直した。鋭い刃がローさんに向かって振り下ろされる――

 

「リーゼっっ!!!」

 

 力の限りに俺は彼女の名前を叫んだ。刃がローさんに食い込む寸前に、彼女の動きがぴたりと止まる。それと同時に甲板全体がしんと静まり返った。

 

「こんな奴の言うことなんて、聞かなくていい!! こいつにはそんな価値なんてない!」

「なに……」

「お前なんか全然強くない! 偉くもない!! 小さな女の子に戦わせて、その影に隠れながら人質取っていい気になってるだけの、ただの小物だ! この場で一番の雑魚はお前だ、バーカ! 何が“ひれ伏させてやる”だ、俺はお前なんかに絶対ひれ伏さない。だから、」

「この、クソガキ、がァっ!!!」

「だから、ローさん、俺はあなたに命を預けます」

 

 言い切った。ゲイトは怒りに顔を真っ赤に染め上げ、わなわなと全身を震わせる。

 死ぬ。殺される。でも、後悔はない。俺は、言いたいことを言った。やりたいようにやった。

 最後の最後に命をかけられた。この瞬間だけ、俺は海賊になったんだ。

 ガチャッと弾が装填され、ゲイトが引き金に指をかけた。そのとき、

 

「“ROOM”」

 

 ローさんの声がすると共に薄い膜がブゥンと辺りを覆った。続けて、「“シャンブルズ”」と言いながら左手を動かす。すると、突然俺の視界が変わった。

 さっきまで眼下にあった、バラバラになった人たちで溢れかえっている甲板に俺は立っていた。そして、隣にローさん、正面にリーゼがいる。

 突然のことに俺の頭の中で疑問符が飛び交った。

 

「は……、え? な、なにが……」

「締まらねェな……。だが、まァ、よく言った」

 

 ローさんはいつの間にか拾い上げた刀で俺を縛っていた縄を切ると、俺の肩をぽんと叩いた。その顔はなんだかやたら楽しそうにニヤニヤしている。

 ゲイトはというと、奴は呆気にとられた様子でこっちを見ていた。俺がいたはずの場所には俺の代わりに誰かの胴体がある。あれと場所を入れ替えたってことなのか?

 うーん、なんかよくわかんないけど、形勢逆転だ!

 

「リーゼ!! なにをやってる?! そいつらを殺せっ!! 早く!!」

 

 我に返ったゲイトが喚き散らしたが、目の前に立つリーゼはぴくりとも動かない。放心しているわけではなく、なにかを問いかけるようにじっと俺の方を見ていた。俺は言葉で答える代わりに、彼女に向かってへらりと笑ってみせた。すると、それを見た彼女の手からダガーがするりと抜け落ちる。

 

「どうやら話はついたみてェだな」

「な、なにをバカな……! リーゼ!! おい! なにをしているっ?! おいっ!!」

「チトセの言う通りだ。お前はただの雑魚だ、バルテス屋」

 

 そう言うと、ローさんは刀を抜き、上甲板に残っていた連中も残らずバラバラにしてしまった。

 あっという間の出来事だった。さっきまでピストルを突きつけられて死を覚悟してたなんて嘘みたいだ。

 もはやその船に五体満足で立っているのはローさんと俺とリーゼの三人だけだ。

 

「――チトセ、お前はおれに命を預けたな」

 

 唐突にローさんが切り出した。その言葉にギクリとした。

 

「ウチに入るということで間違いはないな?」

「え、いや、でもそれは、俺が一方的に言っただけのことで……ローさんに受け入れる義務は」

「さっきと違って随分と弱気だな」

「え、だ、だって…………い、いいんですか? 俺なんかが入っても」

「問題はねェと思うが?」

 

 あっさりとそう言ってのけるローさんに、信じられないような気持ちになる。

 

「でも、俺、迷惑かけまくったし」

「別に迷惑と思ってねェよ」

「そ、それに、俺全然強くないですよ?」

「めんどくせェ奴だな……。おれがいいと言ったんだ、黙って頷け」

 

 ……本当に面倒くさそうに言うんだもんなァ。でも、うん、かっこいい。

 俺は平凡で、弱々で、無力もいいところだけど、この人と命をかけて海を渡りたい。やれるだけやってみたい。

 「はい」とようやく俺が頷くと、ローさんは満足げな笑みを浮かべた。そして、次にリーゼに向き直る。

 

「お前はどうする?」

 

 その言葉を受けて驚いたのはリーゼじゃなく、俺の方だった。

 

「ど、どうするったって、連れてくわけにはいかないでしょう? こんな小さな子……」

「だが、戦力として見れば、実力はお前より遥かに上だ」

「それはそうでしょうけど……」

「第一、一緒に来るかどうかを決めるのはお前じゃねェ、こいつだ」

 

 俺とローさんが問答を交わしている間も、彼女はじっと黙ったままだった。ずっとゲイトに従うだけだった彼女にとって、これからどうするのか、あるいはどうしたいのかを考えるのは難しいことなのかもしれない。

 だからこそ、俺は彼女にはもうこんな血生臭い生活とは縁を切ってほしいと思ってしまう。だけど、ローさんの言う通り、どうするのか決めるのは彼女自身なんだ。

 

「ここに残るのも、俺たちと来るのも、町で普通の暮らしを手に入れるのも、お前の自由だ」

「……ジユウ……」

「好きなことを選んでいいってことだよ」

 

 それからまたたっぷりと考え込んだあと、彼女は俺の方をまっすぐに見た。

 

「私は……この人と一緒にいく」

「えっ?!」

 

 思いも寄らなかった答えに、俺は思わず声を上げた。が、そんな俺の横でローさんは喉の奥で笑った。

 

「どうやら懐かれちまったみてェだな」

 

 いやー、別に、それがダメってことはないけど……。いいのかなァ。俺としてはやっぱり、この子には普通の暮らしを手に入れてほしいと思ってたんだけど。でも、自由に選んだ結果がこれなら、俺はそれを受け入れるしかない。

 

「えーっと……、じゃあ、よろしく?」

 

 とりあえず手を差し出すと、不思議そうな視線が返ってくる。「握手だよ」と言うと、数秒遅れて彼女は俺の手を取った。……まァ、これからゆっくりいろいろ普通のことを知っていけばいいよな。

 

「行くぞ」

「あっ、ちょっと待ってください」

 

 簡単な挨拶を済ませた俺とリーゼを横目にすたすたと歩き出したローさんを、俺は慌てて呼び止めた。

 怪訝そうに振り返ったローさんに、俺はニッと笑いかけた。

 

「改めまして、これからよろしくお願いします、船長(キャプテン)

 

 




わりと真面目な話はこの辺りでおしまいです。お疲れ様でした。
原作に合流したらもっとライトで緩い雰囲気で書いていきたいなぁ……。
よかったらそっちの方もお付き合いください。

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