次の島に到着したのは、俺が船に乗り込んでから五日目のことだった。
水平線に浮かぶ一つの島影を見たときにこみ上げてきたのは、期待と不安、そしてそれらを上回る寂しさだった。たった五日の仲ではあるが、築いた関係は決して薄っぺらなものじゃない。ここでお別れかと思うと心細さで胸が苦しくなるほどだ。でも、海賊にはなれないんだからしょうがない。
心臓と一緒に、餞別だといういくらかのお金をローさんにいただき、さらにイッカクさんのお弁当も持たせてもらって、俺は船を下りた。
その島は岩肌の目立つホコリっぽい感じの島だった。険しい岩山がいくつかそびえ立ち、海辺からその山の麓まで街が大きく広がっている。建ち並ぶのは赤煉瓦の家々だ。大きな街だということもあって活気があり、通りは人で賑わっている。
日本国内から一度も出たことのない俺にとっては、初めて見る日本以外の街だ。まァ、まさかそれが海外を通り越して異世界の街になるとは夢にも思っていなかったけど。
「さて……これからどうすっかね」
賑わい溢れる通りを前に俺は一人で立ち尽くす。
船からここまではペンギンさんとシャチさんに連れてきてもらったのだが、海賊と一緒にいてはあらぬ誤解を生むだろうということで街の入口で別れた。本当、いくら感謝しても足りないくらい世話になった。
ここからは自分でなんとかしていくしかない。……けど、まず求人情報ってどこにいけば手に入るものなんだ?
なにもかもが手探りの状態だ。だけど、存外不安がっていない自分がいる。ハートのみんなが「お前なら大丈夫だ」と送り出してくれたからかもしれない。うん、そうだよな。海賊とだって上手くやれたんだ、これからだってなんとかなるさ!
「まずは……酒場でも探してみるか」
情報って言ったらやっぱ酒場だよな。求人情報まで知っているかはわからないけど、何かしらの収穫は得られるはずだ。
「よしっ!」
気合いを入れるために一人呟いて、俺は意気揚々と新たな生活への第一歩を踏み出した――のだが、早々に横道に逸れてしまった。
というのも、途中立ち寄った広場で市が開かれていたのだ。それも、ただの市じゃない。ずらりと並ぶ出店、それらが取り扱っているのはすべて宝飾細工だ。右を向いても左を向いても宝石が目に入って、目がちかちかする。
出店を出しているお兄さんが親切に教えてくれた話なのだが、なんでもこの島は手工業が盛んなのだそうだ。それというのも、島にそびえ立つ山々は鉱山で、貴重な鉱物がよく採れるかららしい。昔はそうした鉱物、つまり宝石をそのまま他の島に輸出していたらしいが、そのうち腕利きの職人たちがこの島に集まるようになり、今ではすっかり宝飾細工の島として知られるようになったのだそうだ。
この市も、年若い職人たちが己の作品を披露するためのものらしい。ネックレスや指輪などの装飾品から動物を模した置物まで品は様々。置き場所も贈る相手もいないし、買っている余裕もないからなにも買わないけど、そうした宝飾品は見ているだけでも十分に楽しめた。
そうしてきょろきょろと落ち着きなく市を回っていると、途中人にぶつかってしまった。
「わっ、すいません!」
とっさに謝ったが、返ってきたのは舌打ちがひとつ。見ると、相手は40代前半くらいの男だった。強面でスーツ姿だからか、一見ヤクザのように見える。その人は、まるでゴミクズでも見るような目で俺を見下ろした。
「気をつけろ、ガキが」
吐き捨てるようにそう言って歩き去って行く。そのあんまりな対応に呆然として男を目で追っていると、彼の後ろにぴたりと付いていく二人の男がいることに気付いた。片方の男は腕にたくさんの袋と箱を持っている。護衛兼荷物持ちって感じだ。ヤクザかどうかはともかくとして、とりあえずカタギじゃなさそうだ。なんかやな感じ。
俺はその人たちが人混みに消えるのを見届けてから、そっと溜め息を吐いた。せっかくの楽しい気分が台無しだ。だけど、おかげで我に返った。俺こんなことしてる場合じゃなかった。
広場の中央の時計を確認すると、ここに来てからすでに1時間が経っていた。完全に目的を忘れていた。街について知れたのはよかったけど、目的を忘れてどうするよ……。
はしゃぎすぎたことを反省して、俺は当初の目的だった酒場について適当な出店の人に聞いてみた。
「酒場? それならあの道を上ってったところにあるよ」
快く教えてくれたその人に礼を言って、俺は今度こそ酒場への道を進んだ。
教えてもらった道を進んでいくと、間もなく“PUB”と書かれた看板が見えてきた。しかし、なにやら様子がおかしい。酒場の入口付近に人垣ができている。
不思議に思いその人垣の中に入っていくと、ちょうど中から人が担架で運び出されるところだった。人数は全部で五人。いずれも俺より一回りも二回りも大きい、屈強そうな男たちだ。傷だらけの血まみれで、「痛ェ……」と呻きながら運ばれていく。
人垣の間からちらりと見えた店内はめちゃくちゃだった。椅子は砕け、テーブルはひっくり返り、皿やグラスの破片が散らばっている。まるで嵐でも通り過ぎたかのようだ。とても営業できる状態じゃない。
一体何があったって言うんだ。いや、なんとなく想像はつくけど。つくけど……こういう無法を目の当たりにすると、やはり衝撃的だ。
唖然とその惨状に見入っていると、自然と周囲の野次馬たちの声が耳に入ってくる。「あいつら、海賊だろ?」「じゃあ海賊同士の諍いかい」「やだわ」「怖い」「迷惑な連中だ」……と、そんな感じだ。
“海賊”と聞いて、俺が思い浮かべたのはもちろんハートのクルーたちだ。まさかあの人たちの仕業じゃないよな……と考えていると、不意に「マスター、何があったんだよ」と話す声が聞こえてきた。俺の後ろにいる男たちだ。どうやら片方はこの酒場のマスターらしい。
俺は二人の会話にそっと聞き耳を立てた。
「海賊同士の争いごとか?」
「そうじゃないとは思うんだが……私にもよくわからないんだ」
「わからないって、あんた全部見てたんじゃないのか」
「ああ、見ていた。見ていたんだが……信じられない」
「どういうことだ?」
歯切れ悪く答えるマスターに、相手の男は要領を得ないとばかりに聞き返す。すると、マスターは言いにくいそうにしながらも、口を開いた。
「……小さな女の子、だったんだよ」
「女の子?」
男が不思議そうにマスターの言葉を繰り返す。俺も一緒になって内心首を傾げた。
マスターは疲れたように溜め息を吐く。
「あの五人を伸したのがさ」
「ハァ?」
「嘘じゃない。本当の話なんだ」
素っ頓狂な声を上げる男に弁解するようにマスターは話し出した。
――マスターの話はこうだ。
いつも通り営業していると、この五人がやってきた。海賊だという彼らは、ガラが悪い上に横柄な態度で店の一角に陣取って酒を飲み始めた。
それからほどなくして、一人の女の子がやってきた。彼の話によると、10歳かそこらだったらしい。そんな小さな子が一人で酒場に来ること自体が珍しく、店内の注目がその子に集まった。
そのとき、酔っ払った海賊の一人がその子にからかい目的で声をかけた。だが、その子はそれを丸きり無視した。その態度に腹を立てたその海賊はその子を半ば掴みかかるようにして引き留めた。店内が騒然となった一瞬の後、しかしどういうわけか地面に倒れ伏したのは男の方だった。
何が起きたのかは誰にも、おそらく海賊たちにもわからなかったんじゃないだろうかとマスターは語った。ただ、仲間がやられた現状を見て、海賊たちはいきり立った。たった一人の女の子相手に、残りの4人で一斉に飛びかかった。
今度こそおしまいだと誰もが思ったが、その予想を裏切り、彼女はその4人の猛襲をひらりと躱すと、ナイフか何かで彼らを次々と切り伏せていった。起き上がろうとした者には容赦ない蹴りを入れ、ピストルを取り出そうとした者にはその掌にフォークを突き立てた。
そうして、見る見るうちにこの惨状が出来上がった――ということなのだそうだ。
全部を聞き終わった相手は、どう反応していいのかわからないというように黙り込んだ。俺も同様だ。信じられない気持ちと、この世界ならあり得るという両方の気持ちがある。
「疑うわけじゃないが……とても信じられないな……」
「同じ気持ちだよ。私自身、自分の見たものが信じられない」
呆然と呟く男にマスターが苦笑しながら答える。
俺はもう一度酒場の中を覗き込んで、ごくりと唾を飲み込んだ。これを、10歳かそこらの女の子が? ……まったく、この世界本当どうかしてる。
結局ほぼ収穫のないままに、俺は休憩を取ることにした。あんな惨状を目の当たりにした後では別の酒場を探す気も削がれる。どこか落ち着いて弁当でも食べられる場所を、と歩き回った結果、噴水のある小さな広場に行き着いた。市街地からは少し外れた場所で、人の姿はほとんど見当たらない。
噴水の脇にあるベンチに腰を下ろして、俺は深く溜め息を吐いた。まだ何もしてないのに、やたら疲れた……。さて、お腹も減ってきたことだし、お弁当をいただきますか。
鞄から弁当箱を取り出そうとしたそのとき、
ぐぅきゅるるる……
腹の虫の鳴る音が辺りに響いた。言っておくが、俺のじゃない。
思わず辺りを見回すと、一人の女の子が目に留まった。黒髪のほっそりとした子だ。広場の入口付近で、何をするでもなく立ち尽くしている。周りに親らしき人物も見当たらないし、一人で突っ立っている様子は少し異様だった。
もう一度お腹の鳴る音が聞こえてくる。出所はどうやらその少女らしい。
なんだか気になって彼女の方を見ていると、その子が突然その場にうずくまった。
「えっ?!」
驚いた俺は慌てて彼女の元まで駆け寄る。しゃがんで顔を覗き込もうとしても、膝に顔を埋める彼女は少しもこちらを向こうとしない。
「お、おい、大丈夫か?」
声をかけても返事はなく、代わりにお腹の鳴る音だけが返ってくる。よっぽどお腹が減っているのだろうけど……、ちょっと食事を抜いたくらいじゃこんな風にはならないはずだ。それに、近くで見る彼女はガリガリで、俺の中では嫌な予想ばかりが膨らんでいく。
「お腹減ってるのか? 俺、お弁当持ってるから……」
言いながら肩に手を置くと、すぐさまそれを振り払われた。そして、「触るな」と言うようにその少女は俺をキッと睨み付ける。まるで威嚇する野生動物のように見えた。
その鋭い視線に俺がたじろいだのも一瞬のこと、彼女は急に力が抜けたようにふらりと倒れ込んでしまった。
「わっ?! お、おい!?」
俺は急いで彼女を抱き起こして声をかけたが、相変わらず返事はない。かと思えば、抱き起こした体はやたらと熱い。試しにおでこに触れてみると、やっぱり熱い。吐き出す息も苦しげだ。
まずい、どうすればいいんだ?! ただの風邪ならまだいいけど、もしなにか病気だったりしたら……。こんな小さな女の子が腹減らして、しかも体調崩してて……一体親はなにしてんだよ!!
「そうだ、親……親は?! 家とか……」
そう聞くと、初めて反応が返ってくる。といっても、力なく首を横に振るだけなのでなんの解決にも繋がらないのだが。
ますます焦りが募る。そこへ、さらなる混乱が俺を襲った。
「え……、血……?」
彼女を抱き起こした俺の服や手には血がべっとりと付いていた。彼女の着ている服が黒いから気付かなかった。もうなにがなんだかわからない。とにかく、医者だ。
「医者に診せなきゃ……」
混乱した頭で考えられるのはそれくらいだった。そして、思い浮かべたのは……ローさんだ。
俺はその少女を背負うと、一目散に走り出した。
船が停めてあるのは街から少し離れたところにある岩場だ。海賊が堂々と港に船を停泊させるわけにはいかないからだ。
とにかく走った。数時間前に別れたばかりだとか、涙ながらに送り出してもらったのにとか、考えている余裕はなかった。ただひたすら走る。こんなに一生懸命走るのなんて小学生の時の運動会以来かも知れない。自分でもなんで見ず知らずの子供のためにこんなに必死になってるのかわからなかったけど、足は止まらなかった。
船に辿り着いた頃には足はガクガクになっていた。息をするのも苦しい。
俺に気付くと、船番をしていたクルーたちがわらわらと甲板に集まってきた。戻ってきた俺を驚きの表情で見て、一様に甲板から身を乗り出してこちらに声をかけてくる。
「チトセ?! どうしたんだよ、なにか忘れ物か?」
「もしかして、やっぱりおれたちと一緒に行く気になったのか?!」
「おい、それよりあいつ誰か背負ってないか?」
「ほんとだ!」
そう言いながら、数人が船を下りて駆け寄ってくる。俺は必死に息を整えながら、ローさんの姿を探した。
「ハァ……ハァッ……ローさん、は?!」
「船長? 船長ならいるけど……」
「おれならここだ」
声がする甲板の方を見ると、確かにローさんがいた。彼はゆっくりと船を下りてくると、俺に怪訝そうな視線を向けた。みんなの視線も俺に集まる。
「その背負ってるのはなんだ」
「子供が……怪我、してるんです……!お願いです、診てあげてください!!」
「どうしておれがお前の頼みを受けなきゃならねェ? 海賊ってのは慈善事業じゃねェんだ」
ローさんの声が冷たく響く。俺を擁護してくれようとしたクルーもいたが、ローさんはそれも「お前らは黙ってろ」と言って黙らせた。
当然の対応だと思う。俺はクルーでもないし、まして払えるお金があるわけでもない。こんな俺が海賊であるローさんにいきなり頼んだって、簡単に診てもらえるわけがない。
「わかってます……。でも、ローさんなら診てくれるって、そう思ったから来ました」
悪い顔が似合うし、何考えてるかわからないし、たまに怖いけど、でも見た目ほど冷たい人じゃない。それが、一緒に航海した五日間でローさんについて感じたことだ。だって、じゃなきゃあんなにクルーたちに慕われるわけない。俺をこの島まで連れてきてくれたことだって、そうだ。善意で動くような人じゃないけど、非情ってわけでもない。
俺はまっすぐにローさんの目を見つめた。ローさんも睨むように見返してくる。目を逸らしたら負けな気がして、俺は微動だにせずその視線を受け止めた。
しばらくの睨み合いの末、目を逸らしたのはローさんだった。彼は長く息を吐き出すと、終いに舌打ちをした。
「……なめられたもんだな」
低く呟くと、くるりと踵を返して船へと戻っていく。それから「医務室に運んどけ」と声がかかる。
事の成り行きを見守っていたクルーたちと一緒になって安堵の息を零したあと、俺は威勢よく「はい」と答えた。