チトセと研究所跡で別れて私と船長とチョッパーは、シーザーの研究所へと向かった。
少し歩いて振り返ると、もう研究所跡は雪景色の中に紛れほとんど見えなくなっていた。
「リーゼ、立ち止まるな」
前を歩く船長が振り返らずに言う。同時に”ROOM”が展開され、景色が変わる。研究所の影は跡形もなく消え、私は振り返るのをやめて歩き出した。
「お前、本当はあのチトセって奴といたかったんじゃねェのか?」
私の様子を見ていたチョッパーが丸い瞳をぱちぱちと瞬かせて訊いてくる。私は少し考えたあと、首を振ってそれに答えた。
頭がよくない私は、人の言うとおりに動くくらいしか能がない。船長がチトセを残して私を連れていくと判断したのなら、きっとこれが一番いい選択なのだろう。ここで私が自分の役割を果たすことが、きっとチトセの無事にも繋がっている。
迷いはない。私は前を見据えた。前を……
(…………かわいい)
船長の鬼哭に吊された袋から、角の生えた生物がぴょこんと頭を出している。彼は麦わらの一味の船医だという。
そのサイズといい、もふもふ感といい、言動といい、すべてが愛くるしいことこの上ない。それに、人語を操るところや雪国の動物というベポとの共通点も相まって、妙な親近感が湧く。
麦わらとは同盟(よくわからないが仲間のようなものだろう)を組むらしいので、もしかしたら後で頼めば触らせてもらえるかもしれない。そしてあわよくばブラッシングを……。
「な、なんか獲物を狙うような目で見られてるぞ……」
「なんだ、リーゼ。上機嫌だな」
「機嫌いい顔なのかよ!?」
驚いている顔もかわいい。うん、早くシーザーを捕まえてチトセと合流して、チョッパーと友好を深めよう。
「船長、私、頑張る」
船長は「あァ」と一言答えて、トンと私の肩を軽く叩いた。それだけだったけれど、「頼りにしている」と言われたような気がして嬉しくなった。船長はいつだって私たちをやる気にさせる方法を知っているのだ。
「お前、よくわかるなー。おれ、表情の違いなんか全然わかんなかったぞ」
「そこそこ長ェ付き合いだからな。それに、こう見えてこいつはそれなりにわかりやすい」
「そうなのか……」
そんな会話をしながら船長の能力で雪山を下っていく。パッパッと何度か白い景色が切り替わり、気が付いたときには研究所の裏口に着いていた。
研究所の正面の方からは銃声やら剣のぶつかり合う音やら、戦闘の騒音が聞こえてくる。見ると、海兵とシーザーの手下が戦っているようだった。
「メイン研究室にはおそらくシーザーともう一人女がいる。おれはなんとか二人を部屋から連れ出す。お前はその間に薬のことを調べろ」
「でもお前そんなに簡単にマスターに会えるなら、強ェんだし、マスターを捕まえたらいいじゃねェか」
チョッパーが不思議そうに言う。確かに自分たちでどうにかできるならそれが一番手っ取り早いのだが、そうはできない理由がある。
船長の心臓、それをシーザーに握られている。
『お前の心臓をおれによこせ!! それで契約成立だ!!』
あのしたり顔、今思い出しても苛立ちがこみ上げてくる。あんな奴に船長の心臓を人質にされているのかと思うと、情けなくて仕方がない。せめて私の心臓でも代わりに差し出せたらよかったのだが、あの羊め……
『あァ? テメェの心臓なんかに用はねェよ! ガキは引っ込んでろ』
……船長の心臓を人質にしたこと、必ず後悔させてやる。
「ま、また物騒な気配を感じるぞ……」
「言っただろ? わかりやすいって」
と二人が話していると、戦場の方から大きなどよめきが聞こえてきた。それにつられて目を向けると、空の方から何かが飛んでくるのが目に入った。砲撃、ではない。あれは……。
ドォオンと派手な破壊音と共に海軍の戦艦の残骸に”それ”は突っ込んでいき、貫通して地面に激突した。
「マスター出てこーーい!! お前をぶっ飛ばして誘拐してやるぞォ-!!」
舞い上がる雪煙の中から姿を現したのは、麦わらとその仲間二人。何故かとても楽しそうに笑いながら、堂々と誘拐宣言をする麦わら。……船長の作戦はもっと隠密性が求められるものだと思っていたが、どうやら私の解釈は間違っていたらしい……
「あのバカ、誰が全軍相手にしろと言った!!」
……こともなかった。
船長は豪快すぎる麦わらに思わずといった様子で怒鳴り声を上げた後、深い深い溜め息をついた。
こんな風に他人に振り回される船長を見るのは初めてだ。私の知っている船長は、いつも冷静で、頭がよくて、悪い顔が似合って、強い。様々な手段を用いて、最終的になんでも自分の思い通りにしてしまう、そんな人だ。
けれど、麦わらたちに囲まれていたときの船長は、戸惑っていたり、苛立っていたり、言葉を失っていたり、見たことがない表情ばかりしていた。それが少し面白かった。チトセもとても楽しそうだった。
麦わらの一味とは、なんだか不思議な連中だ。私が人間として足りていないからなのか、あの人たちの言動は理解できない部分が多い。今だってそう。けれど、私は彼らが嫌いではない、と思う。だから、不思議だ。
暴れ回る麦わらたち姿を見ながら、ぼんやりと考える。
上手くは言えないが、きっとチトセは彼らのそういうところが好きなのだろう。
「船長……」
「……放っておけ。こっちはこっちでやることがある」
船長はチョッパーに袋に入るように言うと、能力を使ってさっさと研究所に入った。
シーザーの研究室に着くと、そこにはモネ一人だけがいた。いつものようにカウンター席のところで、なにか書き物をしている。
私たちが部屋に入ると、「マスターならいないわよ?」と紙から顔を上げないまま言った。
船長は適当に会話を交わしながら、自然な動作でチョッパーの入った袋をソファに置く。そして、モネの能力を口実に彼女を研究室の外へと誘った。
モネはペンを置き、ようやくこちらを見て、にこりと口元に笑みを浮かべた。
「あら、デート? 嬉しい」
「
「なんなら気を利かせて、私とリーゼのデートにしてくれてもいいのよ?」
「…………」
「二人ともつれないのね」
ふふ、とそれでも楽しそうに笑いながら、モネは羽ばたいて私の横に並んだ。
「チトセと一緒じゃないなんて珍しいわね」
「あいつは……麦わら屋の一味を追っかけて雪山に行ったよ。気付いたら置き手紙があった」
「そうなの……。置いていかれちゃったのね」
こんなのは船長の出任せだ。実際にはチトセは一人で雪山に行ったわけではないし、むしろチトセを雪山に置いてきたという方が正しい。だというのに、何故だろう、モネの言いぐさは無性に私の心を逆撫でする。
つい睨み上げると、彼女からは柔らかな笑みが返ってくる。
――この人、嫌いだ。
いつも、なにを考えているのかわからない顔で笑う。わからないのは船長や麦わらの一味も同じなのに、モネの理解不能さへ私が抱くのは嫌悪と恐怖だった。
モネはまるでのっぺらぼうのようだ。いつも笑っていて、けれどその笑顔には温度がない。私はそれが怖かった。これが「雪人間だから」なんて理由だったなら、どんなにかよかっただろう。
暗い通路を無言で突き進んでいく。外では戦闘が続いているだろうに、ここはひどく静かだ。船長と私の靴音と、モネの羽音しか聞こえない。…………?
「船長?」
「……ハァ……ッ……」
不意に船長の呼吸が乱れた。ふらりと船長の体がよろめく。
「船長っ」
船長は心臓のあたりを抑え血を吐きながら、やがて地面へと倒れ伏した。
「ロー? どうしたの? 大変……苦しそうね……」
「よるなっ!」
「あら怖い」
私にもわかるくらいわざとらしく、モネが心配する素振りを見せる。それを一声吠えて牽制すると、彼女はばさばさと羽ばたいて私と船長から距離をとった。口では「怖い」などと言いながら、その口元は相変わらず微笑んでいる。
私は急いで駆け寄り船長に肩を貸そうとしたが、船長は私の手を借りないままで通路の暗がりを睨み付けた。
「そこにいんのは、誰だァ!!」
その問いかけに応じるように、通路の先からカツンカツンと足音が聞こえてくる。
私は瞬時に二刀のダガーを構え、正面からやってくる人物の気配に神経をとがらせた。
現れた大きな人影に船長が愕然としているのがわかった。
「ヴェルゴ……!! なんでお前がここに……!!」
「何年ぶりだろうな。大きくなったな、ロー」
その口ぶりで、船長とその男が昔からの知り合いであることが窺えた。
だが、二人の会話からではそれ以上のことはほとんど理解できなかった。いや、もう一つわかったことがある――この男、ヴェルゴが船長の敵であるということだ。
船長の心臓は、十中八九この男が持っている。
船長が戦えない現状では、この場は2対1。一人は能力者、もう一人は未知数だがおそらく私より、強い。
勝たなくていい、船長の心臓さえこの男から奪い返せば。
そう結論づけてからひと呼吸ののち、私はヴェルゴに向かって最大速度で攻撃を仕掛けた。
しかし、それはいともたやすくヴェルゴに止められてしまった。
「ふむ、なかなか」
「っ……」
私のダガーを受け止めたのは、奴の後ろ手に隠されていた竹の棒だった。互いに武装色強化した武器で押し合うが、力で敵うはずもない。ヴェルゴの腕力にあっさりと弾き返され、バランスを崩した瞬間腹に竹の棒を叩き込まれた。
軽く吹っ飛んだ私の体は通路の壁に激突した。
「リーゼ!!」
船長が私を呼ぶ。
腹と背中が痛い。だが、これくらいならまだいける。私は立ち上がり、口の中の血を吐き捨ててダガーを構え直した。
サングラスの奥の目がこちらを見ているのがわかった。
「なるほど、よくできた”猟犬”だ」
「ヴェルゴ!!」
そのヴェルゴの背後から船長が突然斬りかかろうと鬼哭の柄に手をかけた。が、刃を鞘から抜き切る前に、心臓への攻撃が船長を襲った。
「ウアァアアアッ!!」
「船長!!」
苦しみに耐えきれず、船長は再び地面に四肢を付く。
その船長と私の眼前に、ヴェルゴはこれ見よがしに四角く切り出された心臓を晒した。
反射的に飛びかかろうとした私を止めたのは、のしかかるような殺気。ぴりぴりと肌を刺激するその気配に私は動くことができなかった。
「動かない方がいい。飼い主がどうなってもいいというのなら話は別だが」
紛れもない脅迫の言葉。屈するべきか否かを一瞬悩んだが、やがて私は構えを解いてダガーを手放した。
私が戦闘を放棄したことを示すと、ヴェルゴは船長の心臓を懐へ仕舞い込んだ。
「うふふ、いい子ね……」
一部始終を傍観していたモネはふわりと私の背後に着地すると、その羽で私の頭をさらりと撫でた。振り払いたくて仕方がないのを必死に我慢していると、不意にヴェルゴが「それはそうとして」と口を開いた。
「ひとつ言い忘れたことがあった」
「……?」
「訂正しろ」
なんの話だ、と疑問に思ったそのとき、ヴェルゴは握り込んだ竹の棒を武装色強化し、それを船長目がけて振り下ろした。
「ヴェルゴ”さん”だ」
心臓の痛みでほとんど身動きがとれない様子だった船長はまともにその攻撃を食らってしまい、ついに気を失った。
そのときも私は動けなかった。首元にはユキユキの実の能力で刃物のように鋭く研ぎ澄まされたモネの羽が当てられている。少しでも動けば頸動脈が掻き切られるだろう。
自分の無力さ加減に腸が煮えくりかえるようだった。私がこの島へ連れてこられたのは、戦うためじゃないのか。むざむざと船長が傷つけられるのを見ているくらいなら、首が掻き切られようがなんだろうが噛みつくべきなんじゃないのか?
そんな考えが頭をよぎったが、私はすぐにそれを否定した。
”従え”
さっき一瞬悩んだときに、船長の唇がそう動いた。
船長の目には諦めも焦りも浮かんでいなかった。ただ冷静に、闘志を燃やしていた。
そうだ、冷静になれ。船長はこんなところで折れる人じゃない。絶対に目的を達成する。
機は必ず巡ってくる。それまでじっと息を潜めよう。
それが今の私にできる最善なのだろう。
ヴェルゴの命令で船長を背負って運びながら私たちが訪れたのは、海楼石の鎖が保管されている一室だった。
その辺にいたシーザーの手下2名を捕まえると、ヴェルゴはそいつらに私たちを縛り上げ、メイン研究室に連れてくるよう命令した。
「心臓はおれが握っていることを忘れるな」
それだけ言い残して、ヴェルゴとモネは消えた。
二人がいなくなって、部屋に残されたのが私と船長と手下二人の4人になると妙な沈黙が流れ、手下たちは神妙な面持ちで私とぐったりとした船長を見た。
「まさかあんたらがマスターを裏切るとはな……」
「足をくれたことは感謝してるが、マスターに仇なすお前らを野放しにはしておけねェ。わりィな」
「船長、起きて」
「シカトか!」
さっそく私たちを鎖で縛り上げようとする彼らを無視して、私は船長の肩を揺さぶった。すると、少しして船長は意識を取り戻した。
「ヒィッ! トラファルガーが目を覚ました!」
「ば、バカ野郎! ビビんじゃねェよ! 心臓を人質にとられてるんだ、下手なことはできねェ!」
勝手にぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる彼らをうるさそうに睨んで、船長は顔をしかめた。そのあと、私たちの置かれている状況を理解してか、チッと舌打ちする。それだけですくみ上がり後ずさった彼らだったが、負け犬の遠吠えよろしく発言だけは強気だった。
「て、抵抗したって無駄だぞ!? お前の心臓はマスターが握ってるんだからな!」
「そうだ! それに、麦わらもマスターが捕らえたとさきほど連絡があった。麦わらと組んでなにをしようとしてたのかは知らねェが、お前の計画はもはや実行不可能だぜ!」
しゃべっている途中で気が大きくなったのか、最後にはざまあみやがれわははとそいつは一言付け足した。だが、そんなことは気にならなかった。麦わらが捕まったという言葉に気をとられたからだ。
シーザー相手に麦わらが負けたということにも少なからず驚いたが、それよりも、麦わらも私たちも敵に捕まったとなれば、次に危険なのは子供たちを匿っているチトセたちだという事実に私はおののいた。
そんな私を現実へ引き戻したのは船長の「うるせェ」の一言だった。「リーゼ」と私の名前を呼ぶと、視線で壁にかけられた鎖を示した。
「なっなな、なにするつもりだ!?」
「抵抗する気はねェよ」
相変わらずうるさい彼らに向かって、船長は面倒くさそうに答える。その間にも、私は船長の指示に従って鎖をとってきた。もちろん、海楼石ではなく私たちが万が一のときのためにすり替えておいた普通の鎖を、だ。言われなければ気付かないくらいの些細な傷跡、それが目印。
私はその鎖で船長を縛った。次いで、その様子をぽかんと口を開けて見ていた手下たちに向かってずいと鎖を差し出す。私の意図を読み取った彼らは、戸惑いつつもそれで私を縛り上げた。
どういうつもりかは私にもわからなかったが、これが船長の判断だった。私はただ、チトセのことも含めて船長を信じるだけだった。
鎖で縛られた私たちはメイン研究室で檻に入れられた。そして、しばらくすると麦わらとロビンとフランキー、さらには海軍の連中までもが檻の中に加わった。全員気を失った状態で、私たちと同じように鎖で縛られている。
研究室にはヴェルゴとモネがいたが、シーザーの姿は前と同じくなかった。そのことに不安を覚えつつも船長と一緒に黙々と状況を見守っていると、やがて麦わらたちが目を覚まし始めた。
海軍の奴らは目を覚ますなりヴェルゴに食ってかかった。聴いたところによると、どうやらあの男、海軍に所属しているらしい。つまり、彼らにとっての裏切り者というわけだ。
両者の間には不穏な空気が流れていたが、そんな状況をどこ吹く風と受け流して和やかに会話するのが麦わらの一味という連中だった。
「なんだか懐かしいわね、あなたたちが同じ檻にいると」
「そうそう、おれとケムリン、アラバスタでお前らに捕まったことあったよなー」
捕まったことに対する焦りなど微塵もなく、それどころか思い出話に花を咲かせる始末だ。その挙げ句、一言もしゃべっていない私と船長相手に勝手に「あんときはなー」と話し始めた。女海兵が「空気読め」と怒ったのも無理はない。
それからは、なにやら誘拐事件の真相やら、裏社会のブローカーやらと私には理解の難しい話が続いた。その話の中で、船長が “ジョーカー”とやらの元部下だとか、その“ジョーカー”が謳歌七武海の一人であるドフラミンゴだとかということが明かされたが、私にはあまり関係がないことのように思われた。だって、船長が昔誰の部下であったとしても今私の船長であることに変わりはないし、“ジョーカー”が何者だろうが船長の敵であるなら戦うまでだ。
と、そうこう話しているとそのうちシーザーが研究室に戻ってきた。それもずいぶんと上機嫌に見える。そんな奴の様子にイラッとする。縛られて檻の中に捕らわれてさえいなければ、背中からドロップキックを食らわせているところだ。
が、すぐに奴の上機嫌の理由が判明した。
「チトセ!」
シーザーの後ろから、奴の手下がついてくる。そいつが担いでいたのがチトセだった。どうやら意識を失っているらしく、チトセはぴくりとも動く様子がなかった。全身の血の気が引いていく。
鎖に巻かれたチトセは手荒に檻に放り込まれた。急いで近くへ寄るが、手が塞がれた状態では肩を揺することも抱き起こすこともできない。とりあえず呼吸を確かめてから、目立った外傷がないことを目視で確認した。それでもなんだか不安で、私はチトセの胸に耳を当ててその心音に耳を澄ませた。
「チトセ、起きて……」
あとは、祈るように呼びかけるだけ。