「アアァア……!!」
「ウゥ……キャン、ディ……」
「まただ! 子供たちが……!」
「ウソップ!」
「ああ! 必殺! “爆睡星”!!」
ナミの呼びかけに応じて、ウソップがパチンコを素早く構えた。狙うは、キャンディを求めて呻く子供たち。
ウソップの撃ち出した催眠剤は、子供たちに当たるとボフンと弾けて彼らを煙で包んだ。
呻き声や鎖の軋む音は次第に弱くなっていく。そして、煙が晴れた頃には子供たちは再び眠りに就き、穏やかな寝息を立てていた。
子供たちが目を覚ましたのはこれで二回目だ。一回目は、ルフィたちシーザー誘拐班が出発した直後のことだった。
今研究所跡にいるのは、俺とナミ入りサンジとウソップの三人だけだ。
すやすやと眠る子供たちを見てとりあえずほっと息を吐くが、背中は冷や汗でひんやりと冷えていた。
ナミとウソップも汗を浮かべ、難しい顔をして子供たちを見つめている。
「あのー、俺の気のせいかもしれないんですけど……なんか間隔短くなってません? あと、効き目が少し弱くなっている、ような……」
「お、おれもそんな気が……」
「ばっバカね! そんなの気のせいに決まってるじゃない!!」
「え? 気のせい?」
「なーんだ、気のせいかァ!」
ナミの言葉にウソップと俺が反応し、二人で「よかったー」と安堵の笑みを浮かべた。
もちろん三人ともそれが気のせいなんかではないと本心ではわかっている。つまるところ、ただの逃避……ゲフンゲフン。信じる気持ちが望む未来を引き寄せるんだよ。
とにかく、子供たちを寝かしつけることに成功した俺たちは気を緩めて、その辺の鉄パイプに腰を下ろした。
「えーと、それで、どこまで話したっけ?」
「ナミさんを助けに空飛ぶ舟に乗り込んだところまでです!」
「おー、そうだったそうだった」
ルフィたちがいなくなってから、俺はウソップに彼らの冒険の話を聞かせてもらっていた。たまに脚色が入るがそういうときはナミが冷静なツッコミを入れてくれる。
彼らの冒険はやっぱり楽しくて、熱くて、感動的で、俺はますます麦わらのファンになってしまうのだった。ちなみに、ウソップのサインはもらい済みだ。ナミには拒否られた……。
ウソップの話の続きをワクワクしながら待っていると、ナミが「ちょっと待てえ!!」と割り込んできた。
「なんだよ、ナミ。これからが面白いところなのに」
「あんたたちねェ、もうちょっと緊張感ってもんを持ちなさいよ! もしかしたら追っ手だって来るかもしれないのに……」
「こ、怖ェこと言うなよ!」
「いや、でも船長たちが上手くやってくれればそこまでの危険はないはずですし、そう神経質になることもないですって!」
顔を引きつらせるウソップとナミを励ますように俺は笑う。
ウソップは「そ、そうだよな!」と相槌を打ったが、ナミからは厳しい視線が返ってきた。
「あのね、この際だから言わせてもらうけど、私はまだあんたたちのこと信用したわけじゃないから」
「ええっ」
「同盟のことはルフィが引かないってわかってるからしょうがなく折れたけど、私はあんたたちが裏切る可能性だってまだまだ視野に入れてるのよ」
うーむ、手厳しい……。まァ、ナミの言い分もわかるけどな。船長悪人面だし。
どうしたら信用してもらえるんだろうと頭を悩ませる俺をよそに、「裏切り」の言葉に反応したウソップがズザザッと後ずさって俺から距離をとった。
「え、や、やっぱ裏切んのか?!」
「バカ正直に聞く奴があるか!」
「いやー、まァ、ありそうですけど……」
「ありそうなのかよっ!?」
「あ! うわ、しまった、つい本音が……!」
「うっかりしすぎだろ!!」
お互いパニックになってギャアアと悲鳴を上げ合う俺とウソップに、ナミの鉄拳が落ちた。
「落ち着けっ!!」
「ぐふっ」
「ご、ごめんなさいィ……」
い、痛い……。サンジの体だからか、ナミのげんこつは予想以上に重たかった。
それを食らって地面に沈んだ俺たちをナミが見下ろす。
「さっきの、もし本当ならここであんたをふん縛るのが得策よね」
「ナ、ナミ、やめとけって! こいつこう見えてブルックとやり合ってたんだぞ!」
「こう見えてって……」
「ブルックと?!」
ウソップの言葉を受けて、ナミの表情が険しくなる。ますます警戒心もあらわにナミは俺を睨み付けた。俺は慌てて両手を上げ、こちらに敵意がないことを示そうとした。
「ちょっと待ってくださいって! 俺ナミさんたちと争うつもりなんかないですから!」
「で、でもお前さっき裏切るかもって」
「あ、あれは! 口が滑ったといいますか……」
「言い訳になってないわよ!」
「ありそうってだけで、実際どうなるか俺にはわかりませんよ?! ほら、ウチの船長も、そちらとは違う意味でなに考えてるかわかんないですから!」
そう言うと、ナミたちは自分たちの船長のことを思い浮かべたのか「ああ……」と納得の声が上がる。その諦め混じりの表情から、彼らが普段からルフィの言動に振り回されてる様子が窺える。
ナミはなんだか疲れた様子で深い溜め息をついた。
「結局どれだけ信用できるかは全然わからないってことね……」
「えっ、えー、でも、少なくともこの島での裏切りはないと思いますよ!?」
「ほ、ほんとか?」
「はい、もともとシーザーとは敵対する予定でしたし。それに、今は俺も”同盟を組む”としか聞かされてないので本気で助力するつもりですし、できれば良好な同盟関係を築いていきたいと思ってます」
「…………」
「だから……ちょっとは信用してもらえませんか?」
ナミはしばらくじとーっと俺を睨み付けていたが、やがて目線を外した。もう一度深く溜め息をついて眉間の皺をほぐしたあと、突然俺に向かってびしっと人差し指を突きつけた。
「これで裏切ったら慰謝料請求してやるからね!!」
「そ、そのときは船長にツケてください……」
「忠告しておくが、ナミの金に対する意地汚さは本物だからな。覚悟しておいた方がいいぞ……」
「ウソップー?」
こそっと俺に耳打ちするウソップの肩をとんとんと指が叩く。そろりと振り返れば、そこには笑顔のナミがいた。もちろん、笑ってるのは表面上だけで、目には怒りの炎が浮かんでいた。ヒィッと悲鳴を上げ飛び上がった俺たちの前に、再度彼女の拳が振り下ろされた……。
「――その後、キャプテン・ウソップの行方を知る者は誰もいなかった……」
「勝手に殺すんじゃねェよ!!」
瀕死の形相で地面に倒れ込みつつも、ウソップはツッコミを忘れない。さすがだよな、俺も見習わなきゃな。
「はいはい、ふざけてないで」
「誰のせいだと……」
「なにか言った?」
ナミには逆らってはいけないことをこの短時間で実感した俺は、ウソップと共に口チャック状態でぶんぶん首を振った。こえー……こえーよ、ナミ……。2年前からそれなりに容赦ない人だってのは知ってたけども。
内心ガクブルとしていると、ナミの視線が俺へと向けられた。思わずびくりと肩が跳ね上がる。お、俺情けなーい!
「で、あんたさっき”本気で助力するつもりだ”とか言ってたけど、実際どれくらい役に立つの?」
「え、俺ですか?」
「そうよ! 信用されたいなら、少しくらい手の内明かしなさいよね」
「はいっ、家事全般が得意です!」
勢いよく手を上げて元気よく答える。だが、「へえー」と感心したように相槌をうつウソップと違い、ナミは蔑むような視線で俺を見た。
「その情報は、この状況でなにか役に立つのかしら?」
「あ、立ちませんよね……」
「わかったら真面目に答えて。ブルックとやり合ってたんでしょ? そこそこ強いんじゃないの?」
「そ、そうそう! お前あの長ェ槍ぶん回すんだろ?」
「はあ、確かにあの槍は俺のですけど。ブルックさんの攻撃は避けるのと受けるので精一杯でしたし。残念ながらウチの三人の中では俺が最弱ですよ」
「な、なにィー!? じゃあ一体誰がおれたちを守ってくれんだよ……!!」
ウソップはムンクの『叫び』みたいなポーズで嘆いた。ご期待に添えなくて申し訳ないです。
「三人の中で最弱ってことは、あのリーゼって子の方が強いの?」
「そうですよ。ああ見えて、リーゼは1億4千万の賞金首ですし」
「いっ1億超えかよっ!? おっかねー!」
「ちなみにあんたは……」
「無名です!!」
キリリと表情を引き締め胸を張って答えると、深いふかーい溜め息が返ってきた。い、いいじゃん! 無名ってことは下手に狙われる心配もないんだぞ! むしろ俺は誇りに思うね! 微塵も悲しくなんかねェよ!
だが、それにしても俺の印象が悪すぎる気がする。今、俺は二人の中で確実に「役立たず」のラベルを貼られているだろう。なにか……なにかこの事態を挽回する方法は……
「――あっ、そうだ! 俺、少しなら治療できますよ!」
「そうなの?」
「そういや、さっきチョッパーと一緒に茶ひげの怪我診てたな」
「はい。チョッパーさん動けない状態だったので、チョッパーさんの指示で俺が手当てしたって感じでしたけどね」
「そうだったの……」
少し驚いたようにナミが俺を見つめたが、俺は別のことに気をとられていた。なににって、チョッパーの愛くるしさにだよ!
「もー、チョッパーさん、あのかわいさで医者としても優秀だなんて、反則ですよー! 怪我を負ってさえいなかったらもふり倒してるところです!」
「お、おう、そうか」
「医者の腕に関しては、ウチの船長も負けてませんけどねっ! なんてったって”死の外科医”ですから!」
「”死の外科医”って、医者の異名としてどうなんだ?」
「そこは触れない方向で!」
そう笑顔で答える俺をナミがじっと見つめてくる。も、もしや俺に気がある……?! なんていうベタな勘違いネタは置いておくとして(そもそも見た目がサンジじゃ勘違いするにも少し難しいが)、本当になんだろう。ドキドキする、緊張で。
「えっと……ナミさん?」
「あんたって、あんまりトラ男の部下っぽくないのね」
「ええ?」
何を言われるのかと思えば……。
この種のことはちらほら言われるが、喜ぶべきか悲しむべきか、未だにちょっと反応に困る。
そんな俺を余所に、「言われてみればそうだな」とウソップがナミに同意する。
「あいつなんていかにも悪人って感じの顔してるじゃない」
「えー……まァ、否定はしませんけど……」
「それに比べて、あんたは普通なのよね」
それはまあ、そうだろう。18年間平和な世界で一般人として生きてきた。良くも悪くも、その”一般人の俺”は俺の中に残ったままだ。
「いい奴っぽいし、怖くねェし」
「そうそう。それにバカっぽいし、弱そうだし」
「……褒めてませんよね、それ」
ウソップはいいとして、ナミの遠慮のない言葉たちが心にグサグサと刺さって、俺は顔を引き攣らせた。そうかなーと思ってはいたが、やっぱり俺ってナミに嫌われてる?
真面目に落ち込む俺にナミは苦笑を向けた。
「だから、まァ、トラ男はともかくあんたのことは信用してあげるてもいいわ」
少しだけね、と付け足すのを忘れずに、彼女は言う。
予想外の言葉に俺の思考はわずかに停止した。が、すぐに意味を理解すると、「えっ?!」と大声で聞き返した。だってだって、嫌われてると思ってたのに!
「ほ、ほんとですか!?」
「少しだけよ? ほーんのちょっと! トラ男よりは信用できるってだけだから」
掴み掛からんばかりに尋ねると、ナミは笑顔から一転、すぐさま顔を顰めた。
なんというツンデレ! さっきまでの辛辣な言葉の数々はデレへの布石だったんですね! ありがとうございます!
「うぇっへへへ……」
「気持ち悪い笑い方してんじゃないわよ」
「す、すいません」
残念ながらデレはごくわずからしく、風当たりの強さは変わらない。けど、嫌われてないならいいや。
ようやくナミともちゃんと打ち解けることができて、その場には和やかな空気が流れた。
しかし、無情にもそれは次の瞬間には掻き消されてしまった。――子供たちの呻き声によって。
「……キャン……ディ……」
「ウウゥ……」
研究所内に響く苦しげな声に、俺たちはぴしりと背筋を凍らせた。
「うそ……! もう?!」
「やっぱり効果が薄くなってきてるんだ! クソッ!」
言うが早いか、ウソップは前と同じように子供たちに向かって睡眠剤を撃った。もくもくと広がる睡眠剤の煙の中、子供たちの声が徐々に弱まっていく。しかし、やはり一度目、二度目に比べると効き方が甘い。
頼む眠ってくれと祈りながら、俺たち三人は息を潜めて状況を見守った。
前回よりも時間をかけながら小さくなっていく声はやがて完全に止み、研究所内には静寂が戻った。
互いに顔を見合わせ、ほっと息を吐く。今回もなんとか難を逃れたようだ、と身体の緊張を解いた――そのとき、
「ウアァア……!!」
「くさりを……といて……!!」
静寂を突き破るようにして、子供たちの悲痛な声と鎖の軋む音が再び響き渡った。
効かなかったか……!
その事実を認識するや否や、厳しい現実がのしかかってくるのが感じられて、表情に苦渋が滲んだ。ナミとウソップの顔にも苦悶が色濃く浮かんでいる、
「ウソップ! もう一回!」
「あ、ああ」
おそらく望みは薄いだろうが、ウソップはナミに従ってもう一度爆睡星を撃った。案の定、それは子供たちを眠らせることはできなかった。
繰り返し使用したことで薬効が弱まったせいもあるが、禁断症状の苦しみが薬効を上回っているのだろう。子供たちは唸り、喘ぎ、身悶えしながら、キャンディを求めた。
こんなになるまで子供たちを薬漬けにしやがって……。シーザーの野郎は本当に許せん。
「そんな……眠り薬が効かないなんて」
「かなりまずいですね」
「んなこと言ったって、なんとか抑え込むしかねェよ! 頼む、サンジ、チトセ!!」
「えぇっ?!」
「ナ・ミ・で・す!!!」
潔いほど他力本願なウソップの台詞に俺が戸惑う傍ら、ナミが勢いよくツッコミを入れる。すると、ウソップはハッとして「見た目は頼りになりそうなのに」と愚痴を零した。
「確かにここに”黒足”がいたら、頼もしいでしょうねェ……」
「サンジくんじゃなくて悪かったわね!!」
俺もウソップと一緒に溜め息を吐くと、ナミからは怒鳴り声が返ってくる。
なんてことをしている間に、子供たちは目前に迫ってきていた。
「お兄ちゃんたち……おねがい、キャンディ……」
「キャンディ、ちょうだい……」
「苦しいの、キャンディ食べたら……楽になれる……」
この場にはないキャンディを求めて宙を掻きながら、ふらふらとした足取りで俺たちに向かってくる。
禁断症状を起こした男の子にルフィが殴られて吹っ飛んだという話を聞いた。巨大化した彼らのパワーは相当なものだという。敵意を持たれたら、相当まずい事態になるのは目に見えている。
そして、そのまずい事態はやってきた。望む答えをあげられない俺たちに、子供たちがついに痺れを切らしたのだ。
「くれよキャンディ!!!」
彼らはそう叫んで、辺りにあった廃材やらパイプやらを持ち上げた。完全に理性を失っている。
あんなので攻撃されたら一溜まりもない。
「ぎゃああ!! 来た!!」
「も、もう攻撃していいだろ!! ありゃ怪物だ!!」
「ダメ!! バカね、子供よ!?」
俺とウソップはみっともなく慌てふためいたが、ナミはそれでも子供たちを庇った。その姿勢には感心するし大いに尊敬もするけど! けども、もうそんなこと言ってらんなくないですか?!
そんな泣き言をなんとか心の中に押しとどめつつ、とりあえず後退して子供たちから距離を取ろうとする。手を出すのがダメなら、逃げるしかない。でも、それにだって限界がある。
どうにかしてこの状況を打破しないと、と考えを巡らせようとしたとき、突然子供たちの動きがぴたりと止まった。何かに気を取られたように、俺たちの背後を見ている。
何かに――何に?
俺たちが振り返ったのと、子供たちが奴を呼んだのはほぼ同時だった。
「マスターだ!!」
「マスター!!」
振り返った先にいたのは、ルフィたちが誘拐しにいったはずのシーザーだった。
血の気が引いたのは最初だけだった。すぐに体中の血が煮えたぎるように熱くなった。
子供たちはまるで奴が自分たちの救世主であるかのように持てはやし、口々にその名を呼んだ。その歓声を受けて、シーザーはシュロロロと得意げに笑う。
「大丈夫か? 子供たち。さァ帰ろう、研究所へ」
にんまり笑顔を浮かべるシーザーの手には、子供たちが求めてやまないキャンディがあった。見せびらかすように一粒弄びながら、「いつものおいしいキャンディを食べたいだろう?」と甘く誘う。
状況把握がうまくできない。
何故シーザーがここに? ルフィたちは? まさか行き違いになったのか? 計画は、船長たちはどうなってる?
瞬時にして様々な疑問が頭の中を駆け抜けた。しかし、どれひとつとして答えを出さないうちに掻き消えた。
目の前に立つ男への激しい憤りと憎悪が思考をジャックする。
「シーザー……!!」
奴の名前を呼ぶ声が低く震えた。
(2014.9.15 改訂)