とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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えーと。前回の前書きで、次が"おっきな山"だと言ったのですが、
今回、そこまで描写しきれませんでした。

今回の話は、その山のピークへ登る中腹あたりで止まってます。

正確には、次回が最大の山場になります。
きっと「何が起こってるんだ?!」という感想がいっぱいくる、はず。
ていうかきてほっしい!

そんなカンジで祈りつつ、楽しみながら書いております。


今回の話もソコソコ衝撃を受けてくれればな、と思いますが。

次の話にはもっと期待していてください。
次の更新ですが、次の文の話も7割かけてますので、
読者様の熱が冷めないうちに更新できればと思います。


目標は日曜日の朝です!


今回の話は地味に4万字超えてますので、ゆっくり休憩しながら読んでください(汗


episode37:液化人影(リキッドシャドウ)

 

「インディアンポーカーで場所の指定があった。たぶん"第一八学区"のシェルターだな。統括理事の誰かの。最初は何が来るのかと思ったけど、夢で情報を伝えあうって機密性は高いよなぁ。時間はかかるけど。どこかの理事長サマもさすがに人様の夢の会話を盗み聞きするわけにはいかないだろうし」

 

「ねえ、ウルフマンは自力で明晰夢を作れるの? それなら交信に使えるのかしら」

 

「できると思う。練習しとくよ。ダーシャはこのカードさ、どのくらい信頼できると思う?」

 

「何百、何千ってあるニオイ分子の特定は、ハウンドドッグの嗅覚追跡デバイスですらレイテストバージョンでもそれなりの大きさがあるから……ウルフマンが心配してる"ナノマシン"なんかじゃ検知はムリに決まってるわ」

 

「だよな。能力者ならともかく"物理的装置"となると。"ウチ"のは、俺が開発用に最適化させた嗅細胞のサンプルを使ったから、他のとこより頭一つ抜けてるセンサだって……木原の野郎が言ってたしな(憎々しげに)」

 

「デジタル信号だけじゃなくてアナログな方法(ニオイ粒子)まで複合させてるし、ネックはウルフマンの言う通りスピードかもね」

 

「それなら……こいつを創った奴もナノマシンを知ってたってことか? ただの偶然かな?」

 

「わからないわ。その可能性はあるかもしれない。一番最初に作った人間なら、うるふまんみたいに自力で夢をみてからって形で最初にアウトプットする手間が必要ないもの。最初からどんな夢を相手に見させるかを、カードに直にインプットできるはずだもの……そうね……ただの想像だけど。やっぱり、電気信号だけで夢を創り出せるメカニズムも開発できたんじゃないか、って思うわ。

 でもそうじゃなくて、わざわざ嗅覚っていう媒体が素粒子スケールじゃなくて分子スケールのものを選んだ……アナログな方法で暗号化を目論んだ、って考えるべきかも。

 ううん、やっぱり考え過ぎかしら。ただ単にカード一枚分の容量で夢を調節する電気的な出力が足りなかったって線もあるのよね。物理シミュレーターで計算しないと正確なところはわからないけど……。ニオイ粒子(ホルモン)を別口のパワー(動力)源にしたかったんだと思うの。ニオイをうまく使って、より小さい比エネルギーで人間の感情のベースを効率的に誘導しようとしたんだわ。うるふまんならよく知ってるでしょう? たしかホルモンって驚くほどの少量で人体にリアクションを喚起させられるのよね?」

 

「んーとね。うーん。その辺、たしかにシミュレーター使わないとケタが合わせられないハナシだと思う。つーかさ、お前さん、9歳児って気がしないわ……」

 

「ウルフマンも頭を良くすればいいのに? 能力でIQめっちゃあげちゃえば?」

 

「間接的に頭が悪いって言ってますよね、ソレ。やだよ。絶対脳みそはイジくらない。絶対やだ」

 

「ブゥゥ~。…そうすればきっと、なんでも好きな夢が作れるようになるとおもうわ。うるふまんなら超絶シナプス反応でどんな芸当も一発で模倣できるでしょ? そうだ! "ぷにき"で"ろびかす"斃す夢を作ってほしいわ!」

 

「え、え? ごめん、何かを斃す夢ってことしか理解できなかった。え、何を?」

 

「やっぱりいい。自分で復讐する!」

 

「え、解決したの? まあいいけど。うん、そうそう。てか、昼間のハナシって何。ずっと気になってたんだけど」

 

 

 メールや通信で気軽に話せない内容だったからこそ、直接会って話すとダーリヤが前置きして来た話題なのだ。景朗は話が脱線して弛緩しかけていた気を締め直し、年齢の割に背の低い少女へと向き直った。

 

 

「ウルフマン、私の勘にすぎないんだけど、今夜、動いてもらってもいい?」

 

「大丈夫。ダーシャが必要だっていうなら大抵のことはやってやるよ」

 

「今から大急ぎで情報を買うわ。これ、昨日も言ったけど、一番時間を短縮できるかわりにリスクがあるの。地道に調べたほうがわたしたちの動きを相手に気取られにくいけど、わたし、ここはスピード重視で情報を買い漁って時間を節約した方がいいと思うの。なんとなくなんだけど。今まで仕事して来たカンがすっごくそう言ってる」

 

「おーけー。心配するなって、何でもやっちまいな。で、俺は何をすればいい?」

 

「昨日頑張って、"どうぶつの夢"の研究機関に投資してた企業や組織を追っかけてたんだけど」

 

 ダーリヤは眠たそうな目をこすって、またカフェイン高含有エナジードリンク"グレネード"をぐびびっと呷った。それから、観て診て、とばかりにPCの画面を指で叩いた。

 

「ウルフマン、有望な研究機関の全てに"スパークシグナル"が大金を投資してた」

 

「それって、スパークシグナルが調査するために打った手じゃあ、なかったカンジなのか?」

 

 

 "迎電部隊"の蒼月は、景朗に"夢の研究をしている機関"の情報なら買う、と言ってきた。

 奴等が動物の夢からもなにかヒントを得られないかと、捜査の一環としてダーリヤの行き着いた研究機関に、先に金を渡して協力を依頼していたのではという判断である。

 

 しかし、ダーリヤはそうではないはずだ、と答えた。

 

「早すぎるのよ。インディアン・ポーカーがマーケットに広まるはるか昔から投資してる。しかも、バレないように複数のダミー口座を経由させてた。これはまあ、いつもそうしてる可能性はあるんだけど、それにしてもずいぶん念入りにやってくれてたのよね」

 

「これは……たしかに。本気で犯人を捜したいなら、このこと(動物の夢は追いかけるだけ無駄だってこと)を俺に伝えないのは二度手間だよな。文字通り大金をかけてるのに」

 

 ダーリヤがまとめた予想金額を見て、景朗はうなずいた。

 

「確かに今日にでも動いたほうがいいなコレ。最悪、"迎電部隊"はダーシャの動きを掴んでるかもしれない」

 

「うん。気を付けて捜査したけど、絶対バレてないとは言えないから。昔のチームのツテとか使ってなるべく工夫はしたけど」

 

「おまえ、エライぞ? めっちゃ偉いぞ?」

 

 ぽんぽん、とダーリヤの頭を撫でると、とろん、と眠たそうな目をしたままだったが、むふーっ、と少女は鼻息を吹きだした。

 

「ウルフマンが昨日採取してきた"かみのけ"と"動画"でこの男の個人情報が買えれば、一気に詰められるわ。けど情報屋から買えば最悪数時間で相手にもバレる。バレる前に侵入して証拠とか人質とか、盗って来れる?」

 

「やろう。残りのお金、全部つぎ込んでいいぞ。こうなると蒼月はクソみてえにクロだよな」

 

「うん、クサツキはそうとうクサイわ。スパークシグナルがクロなら、自分からウルフマンを誘って捜査に引きずり込んだ意味不明の行動になるし。あやしすぎるもの」

 

「そうだよ、あいつめっちゃ臭く感じるんだよなぁ。なんでだろなぁ」

 

「そっちのクサイじゃないわ」

 

 ダーリヤは早速、"迎電部隊"のデータを裏の情報屋から買う算段を立て始めた。準備はしていたのだろう。既に入金する段階に入っているようだ。

 

 景朗は景朗で、"猟犬部隊"の非番隊員のリストを開いていた。

 

「ダーシャ、このリスト見える?」

 

「うん」

 

「"ヘンリー"と"テレサ"にヘルプを頼むことにするわ。こいつらは俺に貸しがあるから護衛くらいはやってくれる。ただコイツらも連中よりは多少マシって程度だから絶対信用はするなよ。金さえ払えば大丈夫なはず、だと思う」

 

「うん」

 

「機密重視ならヘンリーだけでもいいかな……ヘンリーだけにしとくか」

 

「なんで?」

 

「テレサは一回しか命を助けてやってないけど、ヘンリーは。コイツはもう何回も何回も命を救って尻拭いしてやってっから。これで裏切ってくるってんなら、申し訳ないけど後腐れなく口封じしちゃおうかな、と」

 

「他のPMCは?」

 

「やめよう。金でいくらでもひっくり返されるよ。同僚より信用できない。コイツらならある意味で俺の力を良く知ってっから。裏切りの代償が高くつくって知ってくれてる」

 

「わかったわウルフマン」

 

「状況が荒れたらすぐに残りの"猟犬部隊"も呼べ。俺達だけで収拾がつかなそうになったら、あいつら(迎電部隊)全員殺して木原数多に後始末させればいい」

 

 彼らには悪いが、"迎電部隊"も"猟犬部隊"と同じくらいに手を汚している人種である。何か不利益を被られる前に、息の根を止めてこちらの身の安全を守らせてもらう。

 その辺を歩いているカタギの一般人と同じように殺しを躊躇う必要性は、ない。

 むしろ、油断すればこちらの弱みを握られ、消される。

 暗部同士の戦いなので全力で相手をさせてもらう。

 

「あ、おい、コイツらの前では"スライス"って呼べよ。その呼び方、ホントは嫌いなんだから」

 

「むふー」

 

「聞こえないふりやめてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤに、以前から用意させていた防弾ベスト(子供用)や防刃迷彩スモッグ(子供用)など一通りの防具を着せて、最後に「これも!」と言われて以前景朗が作ってやった"狼頭のかぶりもの"を被らせ(確かに景朗がめいいっぱい気合を入れて造った代物だったので、そこら辺のヘルメットよりよほど軽くて頑丈、耐衝撃性も防弾性能にも優れもの)、第十五学区へと向かう。

 

 途中で猟犬部隊の同僚、"ヘンリー"を拾う予定だ。

 

 ダーリヤは手にしていた軍用ラップトップを重そうに掲げ、早速とばかりに景朗に見せつけた。

 

 景朗が尾行した迎電部隊の隊員は、通称"朽葉"。過去の作戦上で使用した名前らしい。

 残念ながら拠点はわからなかった。が、あの男は現場と拠点を行き来していたので、チャンスがあればまた捕まえられるだろう。

 

 ダーリヤをヘンリーに任せ、景朗は先行した。

 

 

 

 

 

 ヘンリーの持っていた嗅覚センサーでウルフマンの足跡をたどっていたダーリヤ達は、第十五学区、とあるマンションの1階へと辿り着いた。

 ヘンリーが銃を構えて突入する。ダーリヤもテーザーガンを用意して後ろに続いた。

 

 部屋は真暗で、家具はごっそり無くて、埃の匂いが強い。空き家だった

 奥のリビングを照らす。人が倒れている。恐らく朽葉本人が根転がされている。

 

「お前ら急げよ」

 

 その声は真上から聞こえた。ダーリヤがライトとともに見上げると、そこには天井に張り付いたウルフマンが居た。

 

「ヘンリー、ドア窓、シールしろ」

 

「OK」

 

 手慣れたもので、ヘンリーという猟犬部隊隊員は防音性の低そうなドアや窓の縁に銃口を向け、ジェルを射出して隠蔽工作に取りかかっている。

 

「ダーシャ、"朽葉"のデータで重要そうなの読み上げて」

 

「わかったわウル……"スライス"。んー、でも」

 

 既に意識が朦朧としてぶつぶつ呟いている状態だった朽葉の顔を掴み、ウルフマンは朽葉の両目をかっと開かせ、網膜を写し取っている。

 

「"スパークシグナル"だけあって、あんまり有効そうな情報は拾えなかったわ、ごめんなさい」

 

「あやまるなよ。ほら、朽葉、あ~い~う~え~お~」

 

 ウルフマンに言われるがままにあ、い、う、え、お、と朽葉は声をあげた。

 その後今度は、ウルフマンが完璧に近い声色で、朽葉と同じ声であいうえお、とテストするように発した。実際に、声紋検出器に聞かせていたのだろう。ウルフマンがベルトに付けていた探知機の、緑色の豆粒ライトが光った。

 これで声紋のコピーも終わったのだ。

 

 ウルフマンの腰のデバイスをもっと見る。

 グリーンライトは他にもいくつか付いている。

 既に採血等も終わらせてあるらしい。

 

「ヘンリー、静脈読み取るヤツ持ってきてるよな?」

 

「あるぜ、ほらよ」

 

 ウルフマンは朽葉の両手を、ヘンリーが差し出したデバイスの上に載せた。

 

「ダーシャ、目、つぶれ」

 

「うん」

 

 ウルフマンは暗幕を被せてはいたが、デバイスから漏れた一瞬の光は強烈だった。

 瞬間的な発光だったが、薄暗い部屋を見渡せるほど照らしていた。

 

「これ、手のひらの血管網で認証するヤツ?」

 

「うん。朽葉本人から聞いた……ふぅー。これで物理的なセキュリティは万全だけど」

 

 

 振り向いたウルフマンは、既に横たわる朽葉と全く同じ顔つきで、体格、身長も調節してあった。

 たった数分で、遺伝情報すら用いた物理的セキュリティを完全クリアーしてしまったのである。

 

 ウルフマンが学園都市最高の暗殺者だと言われるのも納得だ。

 ダーリヤはまるで自分のことのように、自慢げにむふー、と息を吐いた。

 

 その間にウルフマンは再びパンパンと朽葉の頬を軽くたたき、詰問し始めていた。

 

「朽葉。Turquoise01。入出には必ずテレパス(心理系能力者)を通すんだよな?」

 

「……ああ、もちろん」

 

「班長のお前でもか?」

 

「全員だ。臙脂さんも含めて」

 

「エンジ?」

 

「朽葉はTurquoise01。Crimson01とは別班のリーダー。で、現場統括がCrimson00、臙脂ってヤツらしい」

 

「エンジ、ね。わかった」

 

「捕虜はとったりするのか? 捕虜もゲートを通すのか?」

 

「人質も通す」

 

「じゃあ、おまえ、俺を人質に見せかけて連行しろ。内部まで案内しろ」

 

「……」

 

「内部で安全に着替えられる場所はあるか?」

 

「……あ、る」

 

「ヘンリー、自白剤追加で打って」

 

「あいよ」

 

 阿吽の呼吸とはこういうのだろう。隊員同士の仕事は迅速だった。

 ヘンリーは朽葉のつぶやきから、ウルフマンに言われる前に針を刺さないタイプの電動注射器を用意しており、ほぼ命令と同時に首にくっつけ、薬剤を注射していた。

 

「安全に替え玉できる場所はどこだ?」

 

「わからない……自分の部屋、なら、少なくとも」

 

「よし。そうしよう」

 

「ヘンリー、チビと一緒に近くで待機しててくれ」

 

「了解」

 

「朽葉。今日の用事は? 誰かと会う約束してたか? 帰ってお前は真っ先に何をするつもりだった?」

 

「…・…え……っぐぅあああ! ああっ!」

 

 ウルフマンが能力で神経に直接痛みを与えているのか、朽葉は全身を震わせた。

 

「臙脂さんに報告しにいく、いくはずだった」

 

「何と?」

 

「蒼月が裏切ったと……」

 

「裏切り?」「うらぎり?」

 

 疑問を発したのはダーリヤとウルフマンの両者からだった。

 

「蒼月は裏切っていた……"猟犬部隊"の"番犬"と手を組んでいた……」

 

「……なぁ。俺が誰だか、まだ想像つかないか?」

 

「……まさ……か……」

 

 朽葉の肉体は薬剤で弛緩し切っていたはずだったのだが、それでもダーリヤにすら察知できるほどに、彼の声には硬さが戻った。

 

「……こ、殺すな……殺さないでくれ……そんな、もう、お前ら(猟犬部隊)が……ああ……」

 

 ほろり、と朽葉の目から怯えと諦観のこもった涙が流れ落ちる。

 

「一体なにが裏切りなの?」

 

「この子の質問に答えろ」

 

 ウルフマンが強くつかむと、わなわなと朽葉は震えて口を開いた。

 

「あいつが俺達の……俺達を売ったんだ……あいつが始めたのに……最初からぁ踏み台に、するき…する気だったのか…」

 

 景朗にはピンとこなかったが、ダーリヤには思い至るアイデアが閃いたらしい。

 

「犯人なんていなかったのね? インディうぐッ」

 

 そこでようやく景朗も察しがついたのか、慌てたようにすぐさまダーリヤの口を塞いだ。

 

「むぐぐ、むぐ?!」

 

 なにをするの、とこちらを見てくるダーリヤに、カレは指で耳を差すジェスチャーを何度も行った。

 

 ダーリヤも悟った。ウルフマンが気にしている"ナノマシン"は、この空間にも浮遊している可能性があるのだ。

 話は中で付けてくる、とダーリヤにアイコンタクト。少女はうなずいた。

 迎電部隊の施設内ならば、機密性は学園都市で指折りなはずである。

 逆に、敵陣のど真ん中でコトを起こす方が機密的には安全なのである。

 決着は臙脂さんにもご同行してもらって付けてやろう。

 

「朽葉。今から中和剤を打つ。俺を中へ連れていけ。命だけは助けてやる」

 

「……わか、った」

 

 

 改めて朽葉の所持品を改めると、幸いにも迎電部隊特製の通信機と、その予備の通信機が手に入った。

 これを使えば、施設内部に入った景朗も、比較的安全にダーリヤと連絡が取れる。

 

「じゃあ、いこうか、朽葉」

 

 景朗は片手で軽々と朽葉を持ち上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第十五学区"のオフィルビル。

 "迎電部隊"の主要拠点のひとつのそこは、いつもと変わらぬ静けさを保っていた。

 

 

 Turquoise01ことターコイズ班のリーダー、朽葉が人質を連れて自室へと戻り、"彼"はその後すぐに臙脂局長の部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Crimson00こと臙脂の部屋には、既に蒼月が呼び出されていた。

 数名のサブマシンガンを所持した隊員が彼の側に見張りとして立っており、裏切りの容疑者としてつるし上げられている状況のようである。

 

「朽葉、遅いぞ」

 

「すみません」

 

 

 臙脂はデスクに座っており、その正面に、手錠を付けられた蒼月がソファに座らされている。

 両隣に歩哨。

 朽葉の参上をもって、蒼月の裏切りを捌く裁判が始まるはずだったのだろう。

 

 予定通りであれば。

 

 

 

 本物の朽葉から、局長室は完全にセキュリティが守られている。何を喋っても安全だ、と言質はとれている。

 疑わずとも、諜報部隊の局長の居城である。機密性は十分だろう。

 

 

 景朗は、入って来たばかりのドアに振り返り、口から樹脂を吐き出してドアを封鎖した。

 

「なにをしている?」

 

 迎電部隊の隊員の反応速度は見事だった。

 朽葉の恰好をした景朗が口から異物を吐き出した瞬間に敵だとみなし、発砲しようと身構えていた。

 

 

 だが、それは景朗にとっては十分に遅かった。

 

 景朗は片手を上げて、四指を伸ばした。文字通り、指は驚異的な速度で、まるでミサイルが射出されたような勢いで飛び出し、次の瞬間には室内にいた臙脂・蒼月・歩哨2人のノドに巻き付き、あっという間に動きを奪ったのだ。

 

 

 蒼月の口元には、うっすら笑みが滲んでいた。

 景朗は気に入らなかったが、今はそれを無視するほかなかった。

 

 蒼月の両隣にいた歩哨は意識を失い、音もなく倒れた。

 

 

 

 景朗が何者なのか。

 組織の長まで上り詰めた臙脂局長は、さすがというべきか、その正体に心当たりがあったらしい。

 抵抗は無意味だと悟ったのか、筋肉質で浅黒い表情を驚愕からあっという間に青ざめさせ、その場にただ立ち尽くした。

 

 

 

「……待ってくれ。事の発端はその蒼月が始めたことだ。証拠もある」

 

「おやおや、責任は組織の長が取って然るべきでしょう。部下に押し付けて尻尾切りですかい?」

 

 臙脂はこの場を乗り切ろうと、背信者は蒼月だという主張を押し通す気であり。

 蒼月はなぜか余裕を持ち、ひたすらに景朗に意味ありげな視線を送ってくる。

 

 

「まあまあ。お互いの言い分を聞きましょう。ただし、お気をつけて。少しでも抵抗を見せれば、その瞬間に首を刎ねます」

 

「いいだろう」「こちらも」

 

 3者は睨み合った。

 口火を切ったのは、最も緊張を見せていた臙脂だった。

 

「確かに認めよう。我々は、外部の……CIAと協力体制を一部構築していた。だが、戦略的に仕方がないことなのだ。ヨーロッパ諸国との戦争が始まってしまえば……戦時緊急措置法で身動きが取れなくなる前に、味方を作っておく必要があった」

 

「彼はそんな言い訳を求めてはいないでしょう。ただ我々が学園都市を裏切って、インディアン・ポーカーを使ってCIAに情報を売りさばいていた張本人だと。それだけのこと」

 

「必要な措置だった! そもそも、それを提案したのは蒼月だ! 証拠もある!」

 

「ああ、朽葉君に集めさせていたのはソレですか」

 

「黙れ!」

 

「蒼月、あんたが俺に説明しろ。あんたの方が都合のいいことをペラペラ喋ってくれそうだ」

 

「もちろんだとも」

 

「蒼月! ぅぐッ!」

 

 景朗に首を絞められた臙脂は悲鳴も上げられずに、咽を手で引っ掻いてジタバタと暴れている。

 

「私たちはインディアン・ポーカーがいずれ市場に出回るであろうという構想を、早い段階で手に入れていた。これは……君も知っていれば幸いだが、"アンダーライン"にも引っかからない情報伝達ツールでもある」

 

「空中散布されているナノマシンのことか?」

 

「驚いたな。やはり君は……いや君たちは優秀だな」

 

 蒼月は景朗に喉を絞められた状態で、悠々とテストの点数をほめる先生のような笑みを見せた。

 臙脂よりも蒼月のほうが恐ろしい。蒼月が裏切ったのも納得がいく。

 こいつと比べれば、臙脂ははるかに小物だ。

 

「君ももう付きとめているのだろう? 動物の夢を対象にできるテレパス・テレパシー能力者を間に挟めば、まるでペットの脳を"外付け記憶媒体"のように扱い、理事会にバレずに米国諜報機関に内部機密を高値で売り付けられる。もうじき戦争が始まることだし、想定の倍は儲けられたよ」

 

 ダーリヤが突き止めた、動物の夢に大量出資していた迎電部隊。

 猫や犬の夢をカード化するデータベースを独自に完成させ、動物用のインディアン・ポーカー記録装置とカードを作る。

 ペットと一緒に外泊する生徒の予定をチェックし、行く前にペットにカードを見せ、学園都市外部の地でCIAの現地エージェントに、そのペットの夢をカード化させればよい。

 それまでの間にペットの夢を、主人である生徒が読み取って処理し、送り返していれば、そのカードには有用な情報が詰まっている。

 

 

「で、裏切りってのは?」

 

「ああ。戦争が始まれば"迎電部隊"の構造が変わってしまうのさ。我々の権力が減らされてしまうんだ。表の政府機関に実権が集められる。その前に力を溜めておきたかったし、それまでに私はこの部隊のTOPに立っておきたかった」

 

 蒼月は臙脂を真っ向からねめつけ、冷酷に嗤った。

 その間、景朗は臍を噛んでいた。

 戦争。ヨーロッパ勢力との戦争。心当たりがなかったが、この場で説明を求めるわけにもいかない。

 

「だから私から積極的に提案したのさ。戦争が始まれば我々は力を失う。下手をすれば上層部の秘密を握っている分、尻尾切りに会うとね。それに対抗すべく、戦争前の、情報が一番高く売れるこの時期に、CIAと取引をして力を蓄えておきませんか、とね。あとはまあ、臙脂局長殿はあっさり騙され、私の提案に乗ったというわけだ」

 

「で、金が集まれば。蒼月、お前は自分からソレを"上"に明かして、臙脂の責任としてなすりつけ、告発した功労者としてその椅子に取って代わろうと?」

 

「まったくもってその通り」

 

 むー! むー! と臙脂の抵抗が強くなる。景朗は彼にも喋らせてやろうと、戒めを緩めた。

 

「証拠ならある! 蒼月がすべてを取り仕切っていた! もちろん私にも監督責任はあるだろう、だが、蒼月が実行犯だと示せるだけの証拠を集めてある!」

 

「ふぅん。それじゃあとりあえず"ソレ"を渡してもらおうかな。ハナシはそれからでしょう」

 

 蒼月を見る。彼も、そればっかりは仕方がないとばかりに顎をしゃくった。

 

「外に仲間を待機させてある。ここに連れてきたい。許可を出せるか?」

 

「私が指示しよう」

 

「お前が?」

 

 蒼月の不正を示す証拠をダーリヤに見せ、実際に"使える代物"か確かめたかったのだが。

 よりにもよってその行為を自ら推奨するかのような蒼月の提案に、景朗は眉を顰めずにはいられなかった。

 蒼月にとっては不利益にしかならないはずなのに。

 

「……ヘンな真似をしたら死んでもらう」

 

「心得ているよ」

 

 景朗が蒼月の拘束をわずかに緩めると、彼は手錠をされたままでも器用に無線機を手に取った。

 

「お仲間はどんな格好だ?」

 

「ひとりは俺の同僚。あとは能力者のガキ」

 

「猟犬部隊の隊員と子供1名が入ってくる。局長室まで通していい」

 

 蒼月は不審な挙動を見せることなく、部下に音声で支持をだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狼男の被り物を付けたチビッコが局長室までやってきた。ヘンリーにはドアの外で見張りに立ってもらっている。

 

「"ウルフキッズ"、このデータを確かめてくれ」

 

「なにこれ?」

 

「そこの蒼月が、インディアン・ポーカーを使ってCIAに情報を売ってたんだと。君の言う通り、犯行グループなんていなくてコイツ等の自演だったんだよ」

 

「やっぱり。わかった……これが。ふーん」

 

 しばらくダーリヤはカタカタとデータを認めていたが、半分ほどチェックしたあたりで、うんうん、と首を縦に振りだした。

 

「スライス、これ笑えるわ。弱みというか爆弾よ。理事会に売り込めばこいつは数秒で破滅させられるわ」

 

 

「……なるほど」

 

 

 臙脂はデスクの奥で立ち、蒼月はデスクの前に立っていた。

 

 

「では、お互いに最後の命乞いをしてもらうことになるんでしょうかね?」

 

 

「ッブハッ! "ケルベロス"君、その証拠があれば、蒼月の責任として処分できるじゃないか。そうしてくれたら、そうしてくれたらッ、君の言うことは何でも率先して叶えよう。頼むッ!」

 

「はははっ。私に"全て"を押し付けられますかね? 私も処分されるだろうが、貴方もただではすまないはずだ。下手をしなくても高確率でココの頭を挿げ替えられる。一方で……」

 

 景朗は臙脂が気の毒になってきた。この闘いは彼には分が悪すぎる。

 圧倒的な弱点を握られてなお開き直れる蒼月の胆力は相当なものだ。

 

「そこなスライス君は私の弱みを十分に握っておられる。彼が口をつぐんでくれさえすれば、私は元臙脂局長殿を告発し、ここのTOPに成り代われる。そうなれば"迎電部隊"は実質的に……彼のものになるのでは、ないかな?」

 

 

 恐らく、この構図は蒼月が描いた絵図なのだろう。

 だが、どうしても疑問が残る。

 

 なぜ蒼月は、これほどまでに雨月景朗を信用したのだろう?

 "三頭猟犬"なんかを信用する気になったのだ?

 "悪魔憑き"に賭けてみようと思えたのだ?

 

 

「蒼月。まだあんたの勝ちじゃないぜ。説明しろよ。どうして俺を選んだ? この計略に俺を使おうと思った理由は? 言わなきゃ信用するつもりはない。あともうひとつ! なぜ俺がお前を助けると。お前を選ぶと確信が持てた? 臙脂もろともお前を切り捨てる可能性は十分にあるだろ。現に今も迷ってる! "どこか"から俺を利用しろ、と告げ口でも来たのか?」

 

「……明日、話す。君をどうして信じられたのか、証拠がなければどうせ信じてはくれないだろう? 明日までに必ずその証拠を用意する。私が君をラスト・ピースに選んだ理由。それを短時間で証明できる方法が無いんだ。それに、今はもう時間がない。臙脂を告発するならば今すぐにでも私は動き始めねばならない。頼む、今はその証拠を素直に君に渡したというその一点で、私を自由にしてほしい」

 

「……スライス、この証拠があればクサツキは破滅させられる。させて見せるわ」

 

「……わかってる。そこは信用してるんだよ」

 

 蒼月は既に笑ってなどいなかった。今までみせたことのない、かつてない真剣な表情で、祈るように、縋るように景朗を見つめていた。

 

「明日。私がキミを納得させられなければ、その時点で速やかに粛清すればいい。今は、すぐにでも動かなければ、これまでの準備が全て無駄になってしまうんだ。お願いする、工作に当たらせてくれ」

 

「……俺が学園都市の反乱を許したと。お前が"上"にタレこめば俺は滅ぶ。俺に恨みがあるなら、それでお前は復讐できる」

 

「君に対してわだかまりはないッ。それに考えたまえ、たった一日だぞ! 私を泳がせておいたとでも言えばいい! すぐさまその場で証拠を差し出して私を告発すれば、どうとでも言い訳は立つだろうッ!」

 

 ダーリヤは実質的に"迎電部隊"を言いなりにできる状況になったことで、最大限のメリットが得られたと喜んでいる。

 大丈夫、そうなっても私がなんとかかばってみせるわ、と、ぎゅっと景朗の手を握ってくる。

 

 景朗は思い出していた。

 どうしても焼き付いて離れない。脳裏にフラッシュバックする。

 リコール事件。嘴子千緩が目の前で自爆したときの、あの表情を。

 復讐に支配され、全てを投げ打って景朗を呪い殺すことだけを考えていた少女の死にざまを。

 

 蒼月の大切な人間を、もし景朗が殺していたら?

 景朗を正攻法で殺す方法などない。

 

 だが……今回のケースのように、裏切りに巻き込んでしまえば、蒼月は自分の身の破滅に景朗を引きずり込むことができるのだ。

 

 はっきりいって謎が過ぎる。

 この男が景朗に"迎電部隊"をプレゼントとして差し出してくる理由なんて見当たらないではないか。

 

 

 恨み。憎しみ。自分を呪う相手ならば、それだけで目的を成就できる。

 

 ダーリヤにはわからないのかもしれない。

 この街に、自分を、全ての人生を犠牲にしてでも殺してしまいたいと恨んでいる人間が、いったいどれだけ紛れているのか。

 その恐怖感。

 

 信用しきれない。見るからに蒼月は強かな男だ。全員ここで"街への背信者"として始末してしまえたらどんなに安全だろうか。

 

 ただし。

 景朗がいつかアレイスターから自由になるために。

 今後、アレイスターと対立するというのならば。

 

 "迎電部隊"の助けがあればどれほど役に立つか。

 ダーリヤにはそのメリットがしっかりと見えている。

 

 景朗はきゅぅっと軽く、ダーリヤの手を握り返した。

 

 

 

「蒼月、お前の案に乗る。始末は自分で付けてくれ」

 

「……恩に着る」

 

 

 景朗は蒼月の戒めを完全に解いて、手錠を力づくで引きちぎってやった。

 蒼月はそのまま倒れた歩哨に近づき、サブマシンガンを拾った。

 

「フシーッ! しぃぃぃーっ! しぃぃぃーーーっ! ぶじぃぃぃーっ!」

 

 顔中から汁を垂れ流し失禁までしていた臙脂は、涙ながらに景朗と蒼月を交互に見やった。

 変わらず景朗の指で口をふさがれたままだったが、彼は最後まで無言の命乞いをやめなかった。

 

 

 蒼月は、臙脂の頭部と喉元に、2発ずつ銃弾を放った。

 肉体から力が失われたのを確認して、景朗は遺体をそっと椅子の上に置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。9月18日。大覇星祭の前日でもあった。

 

 景朗たちが暗部でうごめいていた頃に、一般の人たちは軌道エレベーターが壊れただのなんだので、大騒ぎしていたらしい。

 上条も怪我を負ったとかで(案の定)、休みだった。

 

 景朗は都合が良くなったとばかりに午前中に早退して、"スクール"の面々と顔を合わせに行くことにした。

 

 

 彼の動向も気に成るが、おかしな行動を取ればすぐにダーリヤが知らせてくれるだろう。

 連絡用にと"迎電部隊"の蒼月が使っていたラップトップを彼女が受け取っていて、今や今かと連絡を待っていてくれているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第十八学区"はエリート校が集まる学区だ。

 仄暗火澄や手纏深咲、丹生多気美が通う長点上機学園も近くにある。

 

 ばったり出くわさないようにいつもより多めに警戒しつつ、景朗は目的地であるシェルターへと忍び込んだ。

 服を脱いで腹部に来るんでまとめ、スライム上に体を溶かして、エアダクトから侵入していく。

 

 

 最下部の駐車スペースまでやってきて、景朗は秒速で服を着なおした。

 着終るかいなやの、本当に刹那の時間だった。

 

 

 高熱を頬に感じて、そのまま真横に飛び退った。

 それでも左肩付近が爆発に巻き込まれ、腕が付け根からちぎれて吹き飛んだ。

 

 

「垣根ェッ!!」

 

 異質な臭い。

 一度"第二位"と交戦経験のあった景朗には、それが"未現物質(ダークマター)"による攻撃だと直感できた。

 

 

 だが、今日は戦いに来たわけではない。話をしに来たつもりである。

 

 叫ぶだけ叫び、飛び退ぶだけ飛び退って距離を取り、景朗は金髪の男を睨みつけるがままにじっと耐えた。

 

「敵意はないだろ? そんなに血の気だすなよ」

 

「賭けは俺の勝ちだぜ! ありがとな、"第六位"」

 

 無言のまま、攻撃に備えて集中する。そんな景朗の、とうの昔に再生しきったつるつるの腕を見て満足そうに垣根は鼻を鳴らした。

 

「クク。つーかなぁ、お前が"第六位"でいいと思うがなぁ? 藍花よりは"らしい"だろ」

 

「何の話だ?」

 

「賭けをしてたんだよ。お前がどこから来るか。俺は下から、あいつは上から、獄彩は真ん中から、ってな。…さて。今の一撃で"あらかた潰した"ぜ。まあここでは安心して喋れよ。どのくらいの覚悟できたのか、聞くだけ聞いてやる」

 

「敵の敵は味方だよな?」

 

「フフ。どうした、ついに1人じゃのっぴきならない状況にでも陥ったか?」

 

「……そろそろ俺をストーキングしてる理由を真剣に聞いてみたくなってね。新しい同居人も増えたことだし、そっちも労力が2倍になって大変だろ?」

 

 もう一度、垣根は鼻を鳴らし、通信機をポケットから取り出した。スイッチをオンにして、告げる。

 

「見てたろ、オラ。これで互いに"能力"で(本物だと)証明しあったってこったよ」

 

 残りの"スクール"メンバーが監視カメラでこちら2人の様子を観ているのだろう。

 安全確認できなければ、移動のためのエレベーターを動かさないつもりだったのだろうか。

 

「テメェも付いて来い。……引き返すなら今だぞ。群れ出すと喰らい合いの始まりだろ? 何も"犬っころ"だけに限ったハナシじゃねえ」

 

 一方的にそう言い放って垣根はエレベーターへと向かっていった。

 景朗も何も告げず、その後を追った。

 

 

 

 

 どこかで見たようなフロアだった。

 

 垣根に続いて現れた景朗をひと目見て、頭に輪っかのような演算補助デバイスをのっけた青年が息を止めた。

 一瞬の間があったが、彼は身構える様に椅子から立ち上がった。

 そしてすぐさま動揺を大っぴらに示したその軽率さを後悔したのか、強引に無表情を作りあげ、気丈にも立ち続けた。

 

「ようこそ"スクール"へ。"悪魔憑き"……さん?」

 

「ハハッ、良い問答だな。そういやお前は"悪魔憑き"だったか? それとも"三頭猟犬"か?」

 

 なにごとかと慌てるデバイス男をよそに、垣根は八重歯をのぞかせて笑った。

 どうにも心から笑っているようには見えなかったけれども。

 

「両方だよ」

 

 くだらない遊びに付き合うか迷ったものの、景朗は仕方なく答えに乗ってみた。

 

「だ、そうだ。お前はどっちに会いたかったんだ?」

 

 景朗の答えなど端からどうでもよかったらしく、デバイス男を片手で制すと、埃くさいソファに気だるげに腰を落ち着けた。

 よく見なくても、インディアン・ポーカー内で会ったジミメン君である。

 "悪魔憑き"に会いたかった、と答えられたら、少し困ったことになるかもしれない。

 大よその"殺し"は"三頭猟犬"の姿でやっている。

 "悪魔憑き"としての自分を知られているならば、それなりの縁があったはずである。

 

「……ぅっぷ! オゥェ?!」

 

 景朗と垣根を交互に見やって、それからガチマジのイキナリで唐突に何の脈絡もなく。

 ジミメンゲロ男は口を抑えてトイレかどこかへと、猛烈ダッシュをキメてしまった。

 ……なぜだ?

 

 初対面だったと思う。記憶にないのに、何か因縁のある相手だったのだろうか。

 ホントに、なぜだ?

 

 景朗は不審さを隠せず、ジミメンゲロ男が残して行った、ぷぅ~んと漂う嘔吐臭に顔をしかめ、その場に突っ立つことしかできずにいた。

 

「ッ。座れよ?」

 

 何千何万と打ち据えられたのであろう舌打ちは、もはや達人の一撃のように滑らかな音をあげた。

 

「椅子が壊れっかも」

 

 明らかに家具店で最安値を争っているであろうパイプ椅子だった。

 景朗の不安はむべなるものだろう。

 

「ハァ。じゃあ地蔵のマネでもしてろ」

 

 バキッと音が鳴ったが、景朗が腰を下ろした椅子はなんとか壊れずに耐えた。

 これからはもう垣根の命令と、みしみしと軋む足元の音の両方を無視することに決める。

 なぜだろう。そう決断すると、景朗の心に一陣の清涼感がそよいでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばし、2人は無言のまま、ロビーで待ち続けた。

 十分近く経っただろうか。

 流石に、居心地が悪い。

 というか、なぜ待たされているのか理解できない。

 

「なあ、これ、"何"待ちなんだ?」

 

「チッ。もう一人来んだよ」

 

「あと、一人」

 

 確かにドレス女が居ない。だが、彼女はそれほどまでに重要人物なのだろうか。

 "未現物質"と"悪魔憑き"がここにいるのだから組織のトップ同士で進められるハナシもあるだろう。

 

 ただ、言わば景朗はこの場では客である。

 相手方の都合に合わせよう。1時間も無為に待たされている訳ではないのだから。

 

 そうやって、またも二度目の静けさを味わったのちに。

 

 ポーン、とエレベーターから音が鳴り、ドレスの女と一緒に驚愕の人物が現れた。

 

「スライス、昨日は助かった」

 

 Crimson01.いやもはやそのコールサインは使われていないのかもしれないが。

 無事に"迎電部隊"の実働班の長となった蒼月が、"スクール"との会談の場に登場したのである。

 おひさ~、と手を振るドレス女が視界に映るが、とてもじゃないが気軽に手を振り返す気分にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの地下、シェルター本部の会議室に移動し、3名はそれぞれ距離を取って席に着いた。

 口火を切ったのは、年長者たる蒼月だった。

 

「やはりテストは合格だった。彼を招き入れよう」

 

「おやっさんがそういうなら、異議はねえ」

 

 垣根と蒼月の親しげなやり取りに、景朗は嫌でも悟った。

 

 蒼月が、景朗を信用できた理由。

 

 それは、垣根が景朗を蒼月に推薦していたからだ。

 

 反アレイスター思想を持ち、確立した武力を有し、将来的に理事長と対立しうる"有力候補"として。

 

 彼は最初から知っていたのだ。

 景朗が"迎電部隊"を手中に収めるために、蒼月の罪を見逃すであろうことを。

 

「俺があんた(蒼月)を選ばなかったら……どうするつもりだったんだよ」

 

「だから"テスト"だっつったろ? もしおやっさんまで売ってたら俺が直でテメエをブチ殺しに行ってただけだ、クハハ」

 

 口ぶりでは殺すだの言っているが、垣根は景朗が"使える人材"だと蒼月に薦めてもいるのである。

 そもそも、垣根は景朗の人間関係の弱み(火澄や手纏)を掴んでいながらも今まで決して攻撃してこなかったし、発言とは裏腹に、この男はずいぶんと自分を買ってくれている気がする。

 

「とにかく、彼は本心を行動で証明した。これでようやく協力体制が組めるな」

 

「何の?」

 

「テメエが、少なくとも俺達の勝ち馬だけに乗る気の、チキン野郎じゃなかったってことさ。これでもホメてんだぜ?」

 

「垣根君、今日は随分と機嫌が良いな。しかしまぁ、年少者を苛めるのはほどほどにしよう。それより、まずは彼にしっかりと説明しよう」

 

 垣根はつまらなそうに、片手を上げるジェスチャーだけで"話を続けろ"と指示しかえした。

 

「君のおかげで昨日、私もようやく"迎電部隊"を動かせるようになった。これで我々は諜報機関(迎電部隊)監査機関(スクール)執行機関(猟犬部隊)の3方にスパイを抱えたことになる。以前とは比べ物にならないくらい歩調を合わせやすくなった。私のラスト・ピースも揃ったことだしな」

 

「コイツがねぇ。随分と買っちまってんだな?」

 

「そう妬くなよ」

 

「やれやれ」

 

「……俺はもう、あんたらのお仲間扱いか?」

 

「逆にそれ以外にどうしようがある? あ? 俺はいつでもテメエに決着つけれんだぞ?」

 

「その通りだ。君に"わざわざ"私の弱点を差し出した意味を考えてくれ」

 

「わざと?」

 

「そう、わざとだ。垣根君から君は疑り深い性格だと聞いていたからね。私の弱みを先に提示しなければ、君はリスクを冒さなかったのではないかな?」

 

 昨日、蒼月の裏切りを告発できる証拠を景朗は手に入れたが、それはわざと蒼月がそう仕向けたものだったと彼は言う。

 

「考えてみたまえ。垣根君は君の弱みを握り、君は私の弱みを握り、私は垣根君の弱みを握っている。これで平等。均衡に、健全に同盟が組める、というものだろう」

 

「おやっさんに感謝しろよ。お前を引っ張り込むためにここまで骨を折ってくれたんだぜ」

 

 スクールと迎電部隊の、学園都市への背信。その計画に巻き込まれていたのだと今になって知る景朗は、情報量に追いつけずにいる。

 

「頼んだ覚えはねえよ」

 

「じゃあ、お前は何がしたくて俺を探してた?」

 

「……」

 

「まあまあ。年少者イジメはやめよう。とにかく、これで文字通り"三竦み"の関係となった。互いに互いの裏切りを封じられる。君も文句はないだろう?」

 

「どこが?! 俺があんたの弱みを握ってるのは認めるよ。でも、あんたと垣根は? あんたが垣根の弱みを握っているようには見えないが?」

 

「あーあ。言いやがったよコイツ。オウ、じゃあよ。だったらどうする?」

 

「あ?」

 

「だったらテメエはこれからどうするんだ? どうするつもりだよ?」

 

「……ちッ」

 

「心配するな。ここで私が君に弱点を渡した事実が効いてくるのさ。君は私を脅して、一緒に垣根君相手に立ち向かえと命令すればいい。だろう? "迎電部隊"の長の座を失えば私は無力だ」

 

「……」

 

「それに……彼にも話しておいたらどうだ。君の考えを。垣根君?」

 

「……はぁ。おやっさんに免じてな。こんな面白味のない場面で言いたかなかったぜ、ったく」

 

 "第二位"は極限まで冷えた眼光で景朗を睨んだ。

 不機嫌さは最高潮に達し、殺し合いに発展しそうなほどに緊迫しつつあったが、それをぐっと耐えたのは垣根の方だった。

 

「テメエが俺に期待したのは、俺が"アレイスターに潰されていた"のを知ったからだろ? 仲間を皆殺しにされ、"希少能力"の価値だけでただ一人生かされた俺なら、アレイスターへの恨みを決して忘れていないはずだ、ってな」

 

「君の考えていることの足しになるかはわからないが、私と垣根君はその時からの付き合いなんだよ」

 

 今は過去。暗部に堕とされた垣根は、仲間とともにアレイスターへ反旗を翻す。結果は惨敗。

 垣根だけは超能力を理由に生かされ、理事長への掣肘力として他の理事から"スクール"の立場をあてがわれ、アレイスターへの監査役としての道を得た。

 それが、景朗が想定する垣根帝督の過去だった。

 

「認めてやるよ。お前の抱えているモノは、俺も。チッ。俺も少しは理解できる」

 

 垣根の不機嫌さの理由が景朗にも伝わっていた。

 彼は本来、こんなこっ恥ずかしい事をいうキャラクターではないのだろう。

 

「テメエがチキンになるのも仕方がねえ。お前は当時の俺より、弱点を抱え過ぎている。だがな、絶対諦めんなよ。抱えて守り通せ。守れねえくらいなら抱えたまま死ね。意地を貫きとおせ、死んでもやれ。後悔するぞ。っ、クソ!」

 

 垣根はガラにもない発言の連発で体にかゆみがでたのか、むず痒そうに頭を掻いた。

 一言だけ、これが最初で最後だ、とばかりに、透き通った目をして、景朗に語った。

 

「だからこういうこった。こうして協力体制だとかいってっけどな。……お前はお前の"闘い"を続けろ。それでいい」

 

「……言われなくても、俺は俺の闘いをさせてもらう。というか、それしかするつもりはない」

 

「よし。じゃあそれでいいな。ハイハイこれで終わりだな。で、おやっさん? このクッサイサブイボたちそうな空気で、お次は何を?」

 

「はは、そうだな。では君だけに恥をかかせては悪いし、私からも打ち明けておこうか」

 

「俺は恥なんかかいてねえよ?」

 

「フフッ。私がアレイスターと戦う理由は簡単さ。息子と娘を人質に取られている。もう10年以上会っていない。恐らくは…街ですれ違っても気づかないだろう」

 

「は? ドラマか何かか? え? この話、そのまま信じろと?」

「ま、おやっさんが言うにはそうらしいぜ?」

 

 全開の疑惑を見せる景朗と垣根に対して、期待が裏切られてすこし意気消沈している中年男性が、そこにはいた。

 

「つーかよ、やっぱこんなシミッたれた通過儀礼っつうか。指揮高揚のためのお涙頂戴三文芝居がやりたいのか知らねえが、俺達には合ってねえだろ」

 

「お二人さんには悪いけど、次、俺の番はパスさせてもらうわ」

 

「誰が聞きてえって言ったよ?」

 

「だから言わないって」

 

「わかった。確かに時間が勿体ない。では"スクール"、垣根君から我々に連絡しておくことは?」

 

「"滞空回線(アンダーライン)"のログを漁るために、"ピンセット"という特殊な最先端の素粒子スケール用マニピュレーターが必要だ。どんな小さな手がかりでも構わねえ。とにかく今はそれが欲しい」

 

「"アンダーライン"って、俺が血液サンプルで渡したアレだよな?」

 

「ああ。"滞空回線"について提供できるデータはやるから後で獄彩に訊け」

 

「すまん、獄彩ってあの女か?」

 

「チッ。そうだ」

 

「あとひとつ! 頼む、"戦争"について教えてくれ」

 

「……あ?」

 

 知らないなんて冗談だろ、という垣根の表情。

 景朗が"ヨーロッパ勢力"なるものに対する知識を持たない点については、蒼月ですら不自然に思うらしく、怪訝そうだった。

 

「スライス君。"グループ"、"メンバー"、"アイテム"といった秘密部隊の名は?」

 

「目にしたことはある。"アイテム"とは交戦経験もある」

 

「ふむ。では"His Ferryman" "His Huntsman" "His Watchman" これらの単語は?」

 

「ないですね」

 

「ないのか? "His Huntsman"とはつまり"アレイスターの執行人"である君のことなんだぞ?」

 

「はあ? ない、本当にない」

 

「マジでか? 交流はねえのか? 結標や紫雲とだ」

 

「結標なら案内人として、あっ、Ferryman(案内人)ってあいつのことかッ。紫雲? いや紫雲がWatchman?? 知らないぞ!?」

 

「では"イギリス清教"。"ローマ正教"。"ロシア成教"。これらについては?」

 

「え? それはただ、十字教の宗派の違いでしょう?」

 

 垣根と蒼月はいつぞやのように2人して眉を顰めアイコンタクトを取った。

 

「テメエ、"魔術師"を知らねえのか?」

 

「マジュツシ? 魔法使いとかの?」

 

「9月1日に学園都市が襲撃されたテロ騒ぎがあっただろう。テロリストはヨーロッパから来た魔術師だ。つまり、外部の"能力者"による攻撃だ」

 

「……外部の、"能力者"?」

 

「そうだ。イギリス清教・ローマ正教・ロシア成教はそれぞれ学園都市とは異なり、"能力者"の武装集団を組織している。"戦争"・"ヨーロッパ勢力"とは、学園都市外部の能力者集団を抱える組織からの侵略防衛戦のことを言っているんだ」

 

「……知らされてこなかった。悪いですが……」

 

「……どう考える?」

 

「意図的に行われていると考えるしかねえ……不可解だけどな。コイツは"プラン"には関係ねえとばかり思ってた。思い込んでいた、のか? 情報を制限したのは一体何故だ?」

 

 

「とにかく君は"非公式の超能力者"と"西洋魔術団体"について情報を制限されてきているわけだな?」

 

「たぶん、いや、間違いなくそうだ……そのはず、だ」

 

「"紫雲"の情報はテメエを当てにしてたんだがな」

 

「紫雲継値か? あいつ"超能力者"なのか?」

 

 景朗の問いに答えたのは蒼月だった。彼はため息を添えて、残念そうだった。

 

「はぁ。そうではないかと考えている。あくまで推論だ。さっき言った"アレイスターの案内人(His Ferryman)"、"アレイスターの執行人(His Huntsman)"、"アレイスターの見張人(His Watchman)"は、統括理事間の連絡や文書等でたびたび見かけるワードだ。結標も君も"非公式の超能力者"であるから、同じ使われ方をしている"縞蛸部隊(ミミックオクトパス)"の能力者、"紫雲継値"も"超能力者"だと考えたほうがいい」

 

「"縞蛸部隊"?」

 

「表向きは偽装工作部隊だと説明される。統括理事の尻拭いをしている部署だから一等のセキュリティを与えられている、とな。だが、迎電部隊が内々に調査してきた結論では、彼らは偽装工作だけをやっているのではなく、むしろ『偽装工作部隊』という名目こそがブラフであり、我々の目すらも欺いて何か別のことをやっていると。それだけはつきとめている」

 

「俺たちはアレイスターの狙いを"プラン"と呼んでいる。お前ら3人がオフィシャルに超能力者じゃねえのは、その"プラン"に必要ねえからだ。不思議に思わなかったのか? だからお前らだけがあのビルに呼ばれて、面と向かって理事長サマとツラを合わせて使いっパシリを命じられているわけだ」

 

「待て、待て。"7人の超能力者(あんたら)"はアレイスターに呼び出されはしないのか?」

 

「ああ。"超能力者"でヤツと顔を合わせているのは"非公式の三人(おまえら3人)"だけだと考えていいはずだ。だからだ。ヤツはお前ら3人を"プラン"に組み込んでいねえから"汚れ仕事"をやらせてんだと、そう思い込んでいた。いつでも消せる"使い捨ての超能力者"として、な」

 

「私も読み違えていた。君の戦闘能力は特に使い勝手が良いだろうから"魔術師"との戦いでも矢面に立たされていると考えていたが……」

 

「……内部で会ったことがあるのは、結標だけだ。紫雲と交流なんてない。つい最近、知らずに交戦はしたけど」

 

 嘘だ。もうひとりいる。土御門元春。土御門も、なぜかビルの内部に呼ばれている。

 土御門に対して感じていた疑問に、初めて筋の通る推理があてはまる。

 魔術師。

 もしかしたら、レベル0のくせに景朗と同等の扱いを受けるあの男は、外部から来た"魔術師"なのではなかろうか?

 今まではレベル0の身でよくぞ依頼をこなしきれるものだと感心していたが、そういうタネがあったのだとしたら、妙に納得がいく。

 

 ……それでも、なぜかはわからないけれども。

 景朗はその場において、ついぞ土御門の名を告げることは無かった。

 これは友情なのだろうか。

 土御門元春。土御門舞香。あの二人の団欒は、偽物ではないような気がして。

 危険に近づけたくはない。景朗は本心ではそう思っていたのかもしれない。

 

「"能力主義(メリトクラート)"だったか? あの乱闘倶楽部か」

 

「流石に知ってるか」

 

「ま、おやっさんは小事まで気にするタイプだからな」

 

「仕事柄そうなるさ……ひとまず、9月頭の魔術師の資料は君に送っておく。気を付けて扱ってくれ」

 

「わかりました」

 

「おい、紫雲の能力はどうだった? 肌身で感じ取ってみて?」

 

「少し納得した。"超能力者"だったと言われて。あんたの"未現物質"みたいに、導出される現象のスケール(規模)よりも、むしろ物理法則の凶悪なねじれがあったような……そんな印象を受けたよ」

 

「俺に例えやがるか。……いいだろう。俺からはもう何も言うことはねえな。おやっさんは?」

 

「ああ、私からも別に。最後に"例の計画"について勧誘しておくよ」

 

「呆れたぜ。どんだけ気に入ってんだ、ソイツを? ま、それじゃ俺は先に失礼するぜ」

 

 垣根は席を離れた。"例の計画"とやらの資料を取り出す気か、蒼月は彼に目もくれずカバンを取り出している。

 

「ああ、忘れてたぜ。チッ。頼まれごとがあったか」

 

 垣根は振り返って、質問した。

 

「オイ。テメエもチーム単位で動いてんだろ? いつまでも"テメエの"だの"テメエんとこ"じゃウチの連中がメンドクセェんだとよ。なんかねえのか、あんだろ、ナンか?」

 

「あー。それな。あー……"ビジネス"、かな」

 

 その単語を聞いて、2人して目を見合せると。

 垣根はすぐさま吹き出し、蒼月はやや耐えるも結局は笑いをこらえきれなかった。

 

「クカ、クフフハハハ! ハッハッハッハッハ!」

 

「……フフ、ハハハッ。これはこれは。反アレイスター活動を"ビジネス(生業)"か。頼もしいな、君らは!」

 

「フハハッ! 最後にようやく見直したぜ、俺もな」

 

 機嫌よく退出する背中を遠い目をして眺めつつ、景朗は思った。

 

("ビジネス"って名前を馬鹿にされたこと、ダーシャには一生黙っておこう)

 

 

 

 カタン、となんの変哲もないラップトップPCをテーブルに載せて、蒼月は引き締めた空気を纏った。

 

「これから話す"計画"は、究極の機密情報だ。よって明文化した資料は無い。全て口頭で説明する」

 

「了解です」

 

「あくまで現状では仮の名となるが。"OP:HOMECOMING"というものを米国CIAと計画している」

 

「オペレーション・ホームカミング」

 

「あちらさんは名前を付けるのが好きでな。つまり戦争突入前に力づくで、学園内の留学生を米国に一時避難させよう、というものだ」

 

「それは。無謀ですね」

 

「無論だ。だが米国は本気だ。米海軍・海兵隊の特殊部隊も協力する手はずだ、といえば信じるか? 一歩でも間違えば、米国と学園都市・日本国との紛争を招きかねない事態になる。それでも、連中はやる気だ。私もこの作戦に協力せねばならない。君の協力が得られれば、作戦成功率は跳ね上がる」

 

「……正直な感想、いいですか?」

 

「受けつけよう」

 

「アホ臭すぎるッスよ、これは……」

 

 成功率が跳ね上がる、とは蒼月の談だが、それは0.01%が1%になっても『跳ね上がる』と呼べるよね、と。そうツッコミたくなる低レベルな話題なのではなかろうか。

 

「呆れてくれて結構。というか、私も最初は呆れたクチさ。裏の戦いを知らない表の、古い世代の人間は、米軍心棒が抜け切れていない。だからやれると考える。名目上、学園都市が"警備員(警察組織)"で能力者を統制できているように見えているせいかもしれない。だが君も知ってのとおり、実際は既に一部の高位能力者には同じく高位の能力者が対応し取り締らなければならない様相を呈している。Lv4級の集団が一斉蜂起して非統制状態に陥った場合、"警備員"だけでは対応できないだろう?」

 

 景朗の脳裏に"能力主義(メリトクラート)"のメンバーリストが浮かぶ。

 精力的に活動しているものは数十人しかいないようだが、そのコミュニティ自体は数倍に膨れ上がるだろう。

 

 

「君は"プラン"というものが、どういうものか想像が付いているか?」

 

 唐突な質問かに思えたが、景朗とて"プラン"の正体には議論を重ねておきたかった。

 

「全然わかっていません。ただ……俺は"プラン"とやらに、というかアレイスターには、"街"全体が必要なんじゃないかって推察してます。

 ある程度の、学生の人口が必要、という意味です。

 "猟犬部隊"の任務にも偶にある。反学園都市運動の顔役の暗殺だとか。

 "上"は、1人2人はどうでもよくても、大勢の学生、つまり人口が減少するレベルの出来事は許さない。

 最初は"LEVEL6の開発"かとも思ってたが、たぶん違う。

 レベル6シフト計画に従事していたころと、アレイスターの任務をこなすようになってからでは、考え方が変わりました。

 あの男なら……本気になれば、Level6シフト計画の遂行は可能だったはずです。

 でもそうしなかった。実験は成功しなかった。なら、アレイスターにとってはLevel6はその程度のことだったんだろう、と。

 もしくは、まだ時間が足りていなかった、とか。

 何かを待っている、とか。全く俺たちが想像もできないようなものを。

 その正体については、……自分は、素養格付(パラメータリスト)が気になってます。

 ダ、ウチのスタッフにも探らせてるんですが、研究者市場とでもいいますか。マーケットに、低レベルの"素質格付"が出回っていなさすぎる気がする。もっと出回っていていいはずなんだ。

 この街はすでに、全学生の"素養格付"を済ませてしまっているはず。

 なのに、出回っている量が少なすぎる。

 二束三文でも、売りさばけば効率的に研究ができるはずなのに。

 あ。ハナシを戻します。

 いずれにせよヤツには大勢の能力者が住む、この街、"箱庭"が必要なんだってこと。それが"プラン"の土台……なんじゃないか、と?」

 

 

「私の考察も、君の考えと似ている。私はさらにそこに、高位能力者の選定が含まれていると思っている」

 

「高位能力者、つまりLEVEL3以上?」

 

「大量の学生が必要だということ。それは恐らく、私の考えでは"AIM拡散力場の形成"と同義なのさ。

つまり、AIM拡散力場に多大な影響を与えるLevel5とLevel4は、裏でその個体数まで正確に管理されているはずだ、と私は疑っている」

 

「……なるほど」

 

「これはつまり、だ。先ほどのホームカミング作戦に"ひと手間"加えれば、十分に理事長殿への報復に繋がる可能性を示唆している。

 

 留学生のみならず、ついでに、そこにある程度まとまった数の高位能力者を園外へ連れ出し人質にできれば、アレイスターの譲歩を引き出せる可能性はある。君の推察どおり、ヤツは能力者の流出をなぜか極端に嫌っているからな」

 

 

 ふうう、と蒼月は深い深いため息を繰り出した。

 

「だが、この計略には狂いが生じて不可能になりかけている。高位能力者を効率よく学園外に連れ出すために、私は"能力主義"を利用しようと目を付けていたんだ。だが。君も知ってのとおり。何者かが"能力主義"に紫雲継値を送り込んできた。"能力主義"の以前の首領は"三邦波留(みくに はる)"、学園都市の半域の天候を操り得る"風力使い"の大能力者だったが、洗脳を受けた形跡がある」

 

 事実として、陽比谷も言っていた。三邦とやらの様子はおかしかった、と。

 "ヨーロッパ勢力"との戦争。先だって"大能力者集団"を効率よく抑えるために、紫雲が送り込まれてきた。一体、誰に? しかし、わざわざエージェントを送り込むほど被害が心配されるのであれば、それは逆の意味で"狙い目(敵の弱点)"である、ともいえる。

 

「もし、君がオペレーションに協力してくれるというのなら、遠からず紫雲継値と敵対することになるだろうな。だが、これは同じ超能力者である君にしか解決できまい……それに、キミにとっては渡りに船じゃないか? 陽比谷天鼓に興味を持たれていただろう? 君なら彼を煽動して計画を動かせると期待しているのだが……」

 

 成功の見込みが薄すぎる作戦。

 景朗はまだ返事すらできていない。

 蒼月はめげることなく、言葉をつづけた。

 

「乗り気じゃない、か。認めよう。"能力主義"の活用はあくまでクロウリー氏が確実に嫌がることではあるだろうが、しかし確定的に譲歩を引き出せる一手というわけではない。この件はそこまで引きずらなくてもいい。

 

 最も期待すべきは、垣根君の案件だな。"ピンセット"で"アンダーライン"のログをハックする。

 

 私達から一方的に情報共有を受けているからと言って、そうかしこまらなくてもいい。

 実はこの一件に限って言えば君の功績がとても大きかった。

 垣根君は口が裂けても言わないだろうから、私から言っておこう。

 

 先程、話題になっただろう。アレイスター氏が直に会って指示を下す人間は極めて少数である、と。

 "His three workmen". 君はその選ばれし一人。

 窓の無いビル内に高濃度の"滞空回線"が存在する、という情報を持ち換えれたのは……おそらくこの学園都市に2人と居るまい。

 

 我々が最も頼りとする部分がまさに"この一点"なのだからね。

 "滞空回線"のネットワークには高確率で"プラン"の正体を指し示す手がかりが隠されているはずだ。君の発見のおかげで、それが見込める。

 しかしな。君にも察せられただろうが、垣根君はあからさまに"滞空回線"の中身にしか興味がない。

 CIAとの協力関係構築には否定的なのさ。

 

 だから君にはぜひ、手伝ってもらいたい。

 ただ、今すぐ答えろというのは酷だからね。

 持ち帰ってもらって構わない。また後日、返事を聞こう」

 

 蒼月が出したPCの画面には、無造作に集めたような広告が流れている。

 

「おっと。そうだ。ちなみに作戦協力者となる組織や企業は……

 米海軍特殊部隊SeALsの空白の第9部隊COunter PSYchic"CORPSY(幽霊部隊)"。

 更には米海兵隊のCAC連隊(Counter Academic City)通称ASTERers regiment.

 こちらはAnti Science Tactics & Equipments Raidersの略だ。

 Asterはラテン語で星。Aleister(銀の星)殿に対抗意識を見事に突き付けている。

 協力関係にある日本政府の一部機関と日本企業を取りまとめているのが

 著名なフリーランス投資家の御坂旅掛氏。筆頭企業は――――」

 

 景朗にも想像がついたのはそのあたりまでで、あとは名前くらいしか聞いたことのない企業がいくつか。

 ただし。その中に唯一、身近で耳慣れた単語が含まれていて、景朗は動揺せずに聞き流したが、何故その企業が? という質問を口から飛び出さずにいるのが精いっぱいだった。

 

「――が用意する。海運の場合は手纏(たまき)商船がコンテナ船を手配する。空輸の場合は――」

 

 蒼月ははっきりとそう述べた。記憶が正しければその会社は、手纏深咲の父親が手掛けている。

 CIAの作戦とやらの説明では、留学生を米国の学芸都市まで輸送するのに、空輸ではなく海運ルートを用いる場合は、手纏商船の船を使う予定らしい。まだ細部まで決まっていないところもあるようだ。

 

 あまりにも成功の確率が低そうなこの作戦に、景朗は問答無用でNOと突きつけるつもりだった。

 だが、方向転換しよう。

 一度くらいは、じっくりと自分でも細かいところまで詰め、考えるだけ考えてみよう。

 今は頼もしい仲間もいる。蒼月に『答えは持ち帰る』と告げて、景朗もその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第六学区"の秘密基地に到着した景朗を出迎えたのは、"FIVE_OVER_PHOENIX"ことカギムシロボット君を背にしてもたれ込み、ウトウトした表情で眠気と闘いながらも必死に待ってくれていたダーリヤだった。

 

「すまん、ダーシャ。大丈夫か? ここんとこ寝てないだろ、悪いな」

 

「らいじょうぶよ。クサツキから連絡きてたわ。会ったの?」

 

 カギムシくんの触覚の一本に、黄色ランプが付いている。

 ここを出る前にシャワー浴びとけよと言っていたのに、やっぱりダーリヤは嫌がったのだ。

 ただ、今はソコに突っ込む気にもならない。

 

「会ったよ。予想外のことになった。一気に色々と……。そんな顔しなくても全部教えるって。でもさすがにさぁ、ひと眠りしとかない? 時間は大丈夫だぜ?」

 

「このくらい、らいじょうぶよ」

 

「いや、見るからに疲れてるじゃん。とりあえずひと息つけれるようになったからさ、後でもいいけど」

 

 再度ダーリヤを説得するも、執念深くじぃっと見つめられる。

 のれんに腕押しのような反応の悪さだった。

 景朗が垣根と蒼月と何を話してきたのか気になり過ぎて、いくらへとへとの状態でも寝るに寝付けないのだろう。

 

「……まあ、じゃあ、ぼちぼち話すけどさ。眠たかったらいつでも寝ていいから気にすんなよ」

 

「ぅん」

 

 それからのダーリヤは、ただ大人しく聴いていた。

 大人しくというより、眠気と闘っていただけという可能性も非常に高かったが。

 

「ぉぉ、"ビジネス・スクール"」

 

「え? "スパークシグナル"の要素はどこいったよ?」

 

「ぅるふまん、ぜったい"スクールビジネス"呼びには反対するのよ」

 

「……"ビジネス"ってさ、続投すんの?」

 

「へぁ?」

 

「いや、なんでもないッス」

 

「ほふ……」

 

 ダーリヤはもう完全に目をつぶっている。

 ディスプレイを確認する。まだ日が暮れ始めるまでには時間がある。

 

「っしゃ、寝ろ寝ろ。お疲れ様、いやほんとここのところ助けられっぱなしだったよ、ほんとうにご苦労様でした、ダーシャ君」

 

「ぁへ……一緒に……寝る……」

 

「えー?」

 

「けがわ……毛皮を……」

 

「け、毛皮って。どんな要求スかぁ?」

 

 ダーリヤの頑張りにはほとほと頭が上がらないのは事実。

 仕方がなさそうに景朗は少女をほんのすこし抱えて、そのまま変身した。

 すぐ後ろにはソファがある。

 

「コレデイーノカ?」

 

「ほぉ、ふるふまん、ふるふまふ」

 

 "毛皮"に頬ずりしてもふもふする少女を脇に、仏像のように静観を保った。

 が、しかし。

 

「うおらぁぁっ! 俺を性的な目でみるなこのマセガキが!」

 

 もぞ、もぞ、とダーリヤが動き始めた瞬間に飛び跳ね、瞬く間に人間へもどる。

 

「にぇと」

 

「頼むから1人で寝てくれ」

 

「……ぷりう゛ぇぇ。じゃあでっかいミーシャ(熊)」

 

「はぁ……一緒に"寝る"のはおーけー。それ以外は駄目だ。絶対ダメだ。てか嫌だ」

 

「だぁー」

 

「……わかった、熊な。寝ろよ? 絶対寝るんだぞ?」

 

 これで最後だと自分に言い聞かせ、景朗は大きなもこもこの熊に変身してやるも。

 しかして、その5分後。

 景朗はやはりこうしておくべきだった、とばかりに。

 事前に変形させておいた指先の睡眠針をぷすりとダーリヤに打つと、仏頂面ですたすたと歩き出した。

 

 

 

 

 

 土御門から思わぬ呼び出しを受けて外に出る。

 夕焼けで茜色に染まった秋の清々しい空気に心が癒される。

 

 

『おーい青髪ぃ~。クラスミーティングの続き、ガッコ近くのベニーズでまだやってんだけどさ~。代わりに来てくれよおれっち"バイト"あんだにゃーよぉ?』

 

「げぇっ!? まだ終わってへんの……?」

 

『いやーはは。抜け出そうにも殺されそうでにゃぁ。オヌシで替え玉ぜよ?』

 

「"バイト"ってやっぱり"カミやんの怪我"?」

 

『いやいや。ナニを言ってますか。関係ナイナイ』

 

「ふぅん。まあ、"バイト"ならしゃあないですな」

 

『ということで頼むナリー』

 

 

 カミやんこと上条は、今日は簡易入院という名目で欠席をカマしてくれていた。

 なので好都合だった。背後からの『ゼッテーサボりだ』『エロゲーの発売日だ!』という野次を無視して、青髪ピアスも午前中に早退をカマさせてもらっている。

 教室から抜け出す時には、たしかに大覇星祭直前のクラスミーティングが行われていた。

 それがまさか終わっていなかったとは。

 

 あまり気乗りはしないが、土御門がわざとらしく頼み込んでくるからには代わりに顔を出しておこう。

 

 ブツブツと文句をこぼしていた景朗だったがそこで、約束の"第七学区"へと向かう最中、日常使いのケータイに着信履歴とメッセージが残っているのにようやく気が付いた。

 

 そのケータイは雨月景朗としてのケータイだった。

 暗部や任務で使っているケータイではないので、日中はダーリヤが待機する秘密基地に保管しておいた。

 ゆえに、この手纏ちゃんからの連絡を今の今まで見逃すことになってしまったのである。

 

 

 残っていたボイスメッセージは『また連絡します』とだけ。

 [ お時間があればお電話いただけますか ]と伝言も短めだ。

 

(これ、意外と重要案件なヤツじゃね?)

 

 ケータイを壊れないようにきゅっと握りしめる。

 とにかく電話してみよう。心して通話に臨む。

 

『あ、お電話ありがとうございます景朗さんっ』

 

 手纏ちゃんの声色はいつもと変わりなかった。

 どころか、どこかテンション高めで、少しうわずってすらいる。

 ホッと一息つく。厳しめの話ではなさそうだった。

 

 

「こちらこそ連絡が遅れてごめん。今からでも大丈夫? てか今、大丈夫?」

 

『はい。お待ちしてました。あの……。あの……』

 

「ん、なになに?」

 

 景朗はわずかに笑って、軽い口調で問い返した。

 手纏ちゃんが言い淀んでいるのは、何だか懐かしい。

 出会ったばかりのころは、男友達に全然慣れていなくて、始終こんなカンジだった。

 あの頃と比べたらだいぶ仲良くなったけれど、何か頼みごとだろうか。

 

 

『実は、今年の"大覇星祭"には私のお父様が参観に来てくれるんです。それで、本当に突然ですけど、明日、初日に、も、もひよろしければ私のお、お父様と、お会いしていただけないでしょうか……?』

 

「えっ……手纏ちゃんのお父さ、あ、お父上と?」

 

『あの! お嫌ならもちろん断ってくださいっ。唐突すぎましたよねっ』

 

 電話口からでも手纏ちゃんのバクバクしてそうな心拍が伝わってきそうだ。

 それくらい彼女の声は緊張を含んでいる。

 

「いやぁ、その。え、なんでだろう?」

 

 行きたい行きたくないを通り越して。

 何故、会いたがるのか。

 それが一番の疑問である。

 

『あのですね、実は以前から交友関係を……特に、長点上機学園に通うことになってから、お父様は私の交友関係を気にされるようになって。景朗さんのこともお話、させてもらっていたんです。その時から"是非とも会わせてほしい"なんて言われていて、私も冗談だと思っていたんですが』

 

「あー。お父さんのほうから、俺に会いたいってことなんだ?」

 

『そうです。今年は大覇星祭を見に来れるから、って数日前に連絡が来て。その時も景朗さんの話題に少し触れて、"会わせてほしい"というような事をおっしゃられていて。私はその時も冗談を言われたのだと受け取っていたんですけど。今日の朝、予定を空けたので"どうしても雨月君を連れてきてほしい"と念入りに頼み込まれてしまいました……』

 

「明日のいつ?」

 

『明日のお昼休みに、どこかホテルのラウンジを貸し切って、ということになってます、今は』

 

 彼女のお父上は手纏商船の社長というかCEDというか、他にも関連会社があって会長とか総帥とか呼ばれていそうなお人である。

 確かに、景朗はタイムリーなことについ先ほど蒼月から"手纏商船"というワードを耳にしている。

 しかし、まだ協力すると伝えてはいないし、蒼月が景朗を"例の作戦"に加えようと画策し始めたのは最近のはずである。

 それにいくら会社が協力するからといって、社長のような高位の人物に直通で奴が連絡を通しているとも思えない。

 "例の作戦"を実働するのは手纏の父親ではなく別の人間であろう。

 

 彼女の父親が景朗に興味を持った理由が、そうではなくもっと昔からというのであれば。

 心当たりはひとつだ。

 

「俺のことを話したこともあるって言ってたけど、どんな風に言ったか具体的に覚えてる? 聞いても良ければ聞いても、いい?」

 

『そのぅ。実は景朗さんが"超能力級"の能力者だ、とは。公にはなっていないけど超能力者くらいの力があると。お父様に怪しまれてしまったので、実力はあるってことを伝えたくて……』

 

「お父さん、真剣なカンジだったでしょ?」

『はい……』

 

 ああ、これはやっぱり。

 景朗の"裏の顔"について、彼女のお父上はお察しされたのだろう。

 "非公式の超能力者"と呼ばれていると、蒼月は語った。

 景朗らは以前から、理事会やその他、立場が有る権力者からはそんな風な呼ばれ方をしてきたのだろう。

 然るに、それに近い語感のある"公になっていない超能力者"で、もしやと疑われていたのだ。

 

 

 今年の四月。

 手纏ちゃんに超能力者だと説明したこと。このことは別に景朗にも後悔はない。

 彼女は被害を受けた。説明責任はあっただろう。

 

 ならば。

 

『困らせてしまってごめんなさい。常識外れのお願いでs』「わかった絶対行くから」

 

『はい。大丈夫です――――えっ? あ、はいっ。えっ??』

 

 直接会って、相手からどんな話題が飛び出すにしても。

 会わずに後悔することはあっても、会って後悔をする、ということにはならないだろう。

 

「もしお父上の方がお忙しくて、時間が変わってしまいそうでもこっちは全然おっけーだよ。俺の方が合せるから大丈夫!」

 

『ああ、はい! はいっ、わかりまひゅぃた! あの、よろしくお願いしますっ!』

 

「大丈夫大丈夫。こちらこそよろしくお願いしますー」

 

『あのっ。あのう! か、景朗さんお聞きしてもいいですか? 私ここまで前向きなお返事が貰えるとは、そのぅ、ホントは、思っていませんでした……その、どうして今回はこんなに?』

 

「それはね……たぶん、いやほぼ間違いなく手纏ちゃんも一緒に同席させられるから、どのみち理由は分かるよ」

 

『……わかりました』

 

 ごくッ。と電話越しに手纏ちゃんの息を呑む音がした。

 よほど緊張されているようなので、もしかしたら彼女はこの件で勘違いしているかもしれない。

 いや"かもしれない"なんて意地悪な言い方はやめよう。

 

 勘違いさせて悪いとは無論思うけれども、そうさせておくほかない。

 

 呼び出しを喰らった理由は120%を超えて1200%の確率で、

 "なぜアレイスターの猟犬が我が愛娘と関わりを持つのか"

 という壮絶なものになるはずなのだ。

 

 この電話口でさくっと説明できるようなお手軽な話題ではないし、セキュリティ的にも話せない。

 事前に説明してあげたいけれど、今回は許してほしい。

 

「手纏ちゃん、あのね……覚悟しておいたほうがいいかも……」

『……はいっ、了解しましたっ。私もっ。準備できてます。ダァイジョウヴです』

 

(ああ、ごめん、ごめんなさい。絶対"ダァイジョウヴ"じゃなくなると思うけど……)

 

 "手纏ちゃんの方こそ何の準備をするの?"という質問が喉から出かかったが、景朗はかろうじてその欲望を押しとどめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファミレスに入った途端に『青髪くんはまずあそこに行って』と女子に指示されたのは、数人の男子が頭をひねってあーだこーだと煮詰まっている4人掛けテーブルだった。

 

 何やらそのテーブルではクラスメート各員の"紹介文"を準備しているらしかった。

 "紹介文"とは、"大覇星祭"で長時間の競技をするときに司会者がマイクで読み上げてくれる個人個人のプロフィールである。

 当然、大会当日は対戦する両校から面白おかしく誇張されたユーモアが炸裂しあう。

 会場の空気を高めるためには意外と手の抜けない部分である。

 

「あの~呼び出されたってことはボクらのとこ決まってなかったり?」

 

「けろっと顔を出しやがって、やっぱりサボりだったのかよ」

 

「アハハハハまぁまあ」

 

「いやぁ、お前らのは真っ先にあっさりソッコーで決まったぜ?」

 

「はあ?」

 

「土御門がー"超高校級のロリータコンプレックス"でー

 上条はもう決まりだろ? "超高校級のアンラッキー"」

 

「ボクは?」

 

 流石の青髪ピアスとて嫌な予感しかしなかったが、一応尋ねてみた。

 

「これしかないってのを用意したぜ。"超高校級のマゾヒスト"」

 

 本人に文句を言いだされる前に、クラスメート(男子)はすばやく言葉を積み上げた。

 

「待て待て。じゃあなに? おまえのキャラってなに? 青髪さんはさぁ、ちょこちょこちょこちょこつまみ食いしてっけど、全部中途半端じゃん!」

 

「ちゅ、中途半端ってソンナァ」

 

「お前からマゾを取ったら何が残るわけ? 逆に?」

「つーかお前のトコ今更変えるのメンドイのよ~。変えたいんなら自分でゼンブ考えてくれる?」

「俺らのハードルは高けーぞ?」

 

(クッソ。ニヤニヤしやがって!)

 

 とくに最後の台詞を抜かしたヤツは腕組みなんかしてエラソーである。

 

「ぬぐぐ……あっ」

 

 何かを閃いた、とばかりに青髪ピアスは細めていた目を開いた。

 今度はクラスメートたちのほうが"嫌な予感がする……"と不安そうな表情に変わりだしていた。

 

「じゃあ、こうしようや」

 

 ピシッ、と指を天空へ向ける。

 

「ボクが紹介される番では上条クンの紹介文を読んでもらってぇ~。そんで、逆にカミヤンのところで~、ボクの文を読んでもらう。ってことで」

 

 あまりにもあからさまなドゲス発言をキレイな顔でたん淡々とのたまい切った青ピ。

 クラスメートたちはあんぐりと口を広げた。

 

 いかな青髪クンでも呆れや侮蔑の応酬に耐え切れなかったのか、そこはたじろぎ気味でもなんとか言い訳を追加して乗り切りにかかった。

 

「ホ、ホラァ! 考えてみい! 自分の紹介の番で間違って他人様の悪辣な紹介文を読まれる。読まれてしまう。それでこそ真の"超高校級のアンラッキー"と呼べるんやないですか!?」

 

「青ピさぁん。それでいいのかお前ェ……」

 

「思い出してくださいよ。普段女子を囲ってる汚フラグ体質は、一体どこの誰なのかを?!」

 

「なして急に標準語?」

 

「ボクですか? ダレですか?」

 

「……」「……」「……」

 

 顔を見合わせる複数の男子。その場に女子が居なくて心底よかった、と青髪は思った。

 

「"ヤツ"ですか?」

 

「……ま、いっか。お前らがそれでいいなら」

「まぁな。時間もったいないし」

「そーそー、もう帰りてーよ。つぎいこ、つぎつぎ」

 

 我、策を成功せしめたり。青ピの眼はさらに細まった。

 

(くっくっく。悪いなカミヤン。悪いんはワイやないで。いつもいつも怪我して学校休んでばっかりの君が悪いんやでぇ)

 

「いやいやお前がワリーよ。面白そうだからこのままいくけど」

 

「心の声にツッコまんといて」

 

 

 この後の顛末を一足先にお披露目しましょう。

 こうなりました。

 

 

 鈴の鳴るような美しい声は、放送部などの部活動で日ごろから鍛えているのだろう。

 その会場のアナウンスを担当していたのは、恐らくは女子大生くらいのお姉さんだった。

 

『つづいて、上条当麻君。ちょ、"超高校級のマゾヒスト"、だそうです』

 

 おお~というどよめきと、観客の父兄の方々からところどころ嘲笑が吹き出した。

 

「……はぁっ!? あれ、ちょ、まっ、えっ。間違い! 間違ってますよおねえさーーーん!!」

 

 グラウンドでいくら叫んでも、放送席まで聞こえる訳がない。

 テンパる上条の真横では「あら~カミヤンに紹介文と~ら~れ~た~」とわざとらしい青髪の台詞が。

 

「ぅおおおおおおおいッ! まちがッてまぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁッす!?」

 

『上は69から下は11才まで。どんな球でも完全ストライク、絶賛彼女募集中、食わず嫌いの16才です!』

 

「おねぇぇぇえぇぇぇぇさあぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!? くぅっ、ちっくしょぉぉぉっ。これおまえの紹介文だろ! 公衆の面前でなんて恥辱だよもう!! オヤジもオフクロも見てんだぞ、これェ!!」

 

 観覧席からはいやぁ~ねぇ~クスクス、といったより取り見取りのざわめきが出る。

 

「ふこぉ~だぁ~」

 

 そういって煽る青髪は、となりでクネクネとダンスを踊っていた。

 

「だああああっ、お前が言うなぁああああああ!!」

 

 思わず蹴りが飛び出たがサクッと避けられ、よろけたのはむしろ大会前なのに何故かテーピングまみれでボロボロのツンツン頭の方だった。

 まわりのクラスメートもげらげらと笑っていたので、めでたしめでたし、ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青髪が、というか上条のクラスメートたちがファミレスから退出できたのは、なんと日付を跨いでからという体たらくだった。

 通常ならば完全下校時刻を過ぎているし、ファミレス側も学生を問答無用でつまみ出す対応を取るのであるが、"大覇星祭"には前日から学園都市に入って泊まり込みで開会式を参観する保護者が一定数存在するため、例外的に24時間営業へと変更されていたのである。

 実際に店内には深夜だというのに一足先に親と食事を交えて喜んでいる子供の姿も、ちらほら見受けられていた。

 

 

 

 景朗が秘密基地に帰り着くと、一生懸命にびしょ濡れになったソファを掃除せんともがくダーリヤと鉢合わせた。

 

「あ、おねしょしちゃったん?」

 

「ウドゥフマァァァン……」

 

 ダーリヤは珍しく敵意を持って景朗を睨んでいる。

 

「あ……もしかして、俺のせい? はは、睡眠導入剤を打つ前にトイレに行かせてあげるべきだったね、ハハハ、スマンスマン……」

 

 ダーリヤはアレでも、"グレネード"をがぶがぶ飲んででも、景朗の帰りを待ってくれていたのである。

 無理矢理クスリで寝かされ、尿意にも気づけないくらい深い眠りに落し込んだのは景朗である。

 寝小便の責任をダーリヤひとりにかぶせるのは酷かもしれない。

 

 目尻に涙をためてスゴまれている。

 

 カーペットまで広がってしまっている"染み"に、FIVE_OVER_PHOENIXが反応して『警告:登録者ノ遺伝情報ヲ確認シマシタ』的なセリフを英語で発している。

 うん、そんなの調べるまでもなく見たらわかるから、キミは黙っててくれないかな。

 

 そんなカギムシ君の発声は、ダーリヤの怒りに油を注いでしまっている。

 これはもう、大人しく謝るしかないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 9月19日。早朝。

 

 景朗とダーリヤは、とあるビルの前で丹生と待ち合わせをしている。

 

 

 実は、手纏ちゃんの父親との面会時間が急遽変更になったのだ。

 昨日の深夜、手纏ちゃんからさらにメールが来た。

 彼女の父親の方から、時間に融通が利くなら、明日の朝、開会式が始まる前に時間を変えられないか、とお願いされたという。

 

 景朗は断らなかった。

 この事で、むしろどんな話題になるか予想しやすくなった。

 

 恐らく手纏ちゃんの父親は景朗に"金輪際、娘に近づくな"みたいな警告をするのだろう。

 であれば、こういう誰にとっても不快な話は、楽しいお昼どきまで抱え込まず、早く済ませておくに限る。

 その点は景朗も彼女の親父さんに賛成だった。

 

 それに時間帯の都合も良かった。確かに朝、早めの時間帯にはなる。

 だが、実は一週間に及ぶ"大覇星祭"のスケジュールの中で、午前中にもっとも空き時間があるのは初日、つまり今日これからの時間帯だったりするのだ。

 

 初日に一斉に保護者が押し寄せるのだから、渋滞や土地勘に慣れない人々に配慮して、開会式は遅めの時刻に設定してある。

 学生にとっては最後の休憩タイムなのだ。

 

 ということもあって、手纏父との用事が済むまで丹生にダーリヤを預かってもらう予定なのだ。

 

 

 景朗はふてくされたようにしゃがみこんでしまっているダーリヤの様子を観察した。

 少女の足元の植樹の根っこ近くにはアリの巣があって、その行列を一匹一匹、木の枝で一心不乱に潰している。

 

 静かにしているな、と思ったらコレである。

 

 おねしょしたせいか。いやまちがいなくおねしょをしたせいで、朝からダーリヤは機嫌が悪かった。

 元スパイの卵として訓練されていたせいか、睡眠時間が短くともすっぱりシャッキリ活動に移れる少女にしては、起き抜けの機嫌の悪さは珍しかったので少し微笑ましく思っていたりするのだけれども。

 

 言おうかどうか迷って、それでも言うだけ言うか、と彼は口を開いた。

 

「可哀想じゃん、やめたげなよ」

 

 絶対反論されるとわかりきっていたが、それでも教育上必要か、との判断だった。

 

「うるさい。というかウルフマンは"こんなの"よりはるかにヒトを殺してるでしょ」

 

「はい、そうですよね。すみません。他人に説教できる立場じゃないのは分かってたんですけど、一応、ね。一応……」

 

 やっぱり言わなきゃよかった。自分にはどう考えても説得力がない。

 ブルーになった景朗はダーリヤから少し離れて、ビルの壁に覇気なくもたれ掛った。

 はぁ~、と深い深いため息をついて、無言でボーっと宙を見つめる。

 またぞろネガティヴな考えに耽っているのだろうとダーリヤには看破されているのか、彼女はお気に入りの"ウルフマン"がしょぼくれても気にも留めていない。

 

「ヒンニウ、おっそいわ」

 

「……あのさー。丹生、またキレ散らかすよ。そんなこと言ってると」

 

「今日は倒してやるわ」

 

 ダーリヤは軍用バックパック(幼児用)を身じろぎして背負い直し、ふむーっ! と鼻息を荒げた。

(そのドデカバックに何つめてても構わないけどさ。丹生とケンカになっても頼むからドーグ(道具)は出さないでおくれよぅ……)

 

「倒すって……なあたまにはさぁ。少しくらい褒めて機嫌とってみ。ほら、今日からお祭りじゃん。出店で色々お菓子買ってくれるかもよ? 俺も今日くらいは許可だすからさぁ」

 

「ホント?! わかったわ! ヒンニウをホめてやろうじゃないの! ひゅひひっ!」

 

 意外と早く堕ちたな。やっぱりガキを手なずけるには菓子だと相場が決まっている。

 

「お、来たぜ」

 

 一番初めに気づいたのはやはり景朗だった。

 通りの向こうから、"長点上機学園"のジャージを着こんだ丹生が胸を張ってやってくる。

 

 今更ながら、景朗とダーリヤが丹生と待ち合わせているこの場所は、"第七学区"だ。

 

 やや棘のある言い方になってしまうが、"学舎の園"などという例外を除いて、"第七学区"はごく一般の中高が集まっている学区である。

 "長点上機学園"などが存在する"第十八学区"とはある程度すみわけがなされている。

 

 まわりの生徒に校章を見せびらかしながら歩く、うっすらとドヤ顔が透けて見える丹生さんは、学校自慢に余念がない。

 そういう小物っぽいところも丹生がやるとカワイイものなのだが。そう景朗が思っていたところだった。

 

「あ、ニウ! え~い! ヒンヌ、まちがた。え~い!」

 

 ダーリヤも遅れて丹生を見つけ、こう叫んだ。

 

「バクニウ~! バクニウ~! こっちこっち~! バ~ク~ニ~ウ~ッ!」

 

 プハッと景朗は吹き出した。

 

 丹生はしばらく気がつかなかった。

 が、あちこちが「え? (爆乳は)どこっ?」「どこ? どこ?」

 「は? あの人?」「デカいか?」「普通じゃね、ていうか貧――」

 「え!? どこどこ? 爆乳? どこーーっ??」

 という軽い騒ぎで包まれる。

 

 ここは学園都市である。爆乳なんて単語を往来で叫べば、街を歩く半分は年若い少年で、彼らはすべからく性に敏感なお年頃なものなのだから。

 件の人物を、"ボインちゃん"を探さずにはいられない。

 

 なので。長点上機学園の校章を見せびらかしたくて胸を張って歩いていた丹生は。

 つつましやかというか、いややっぱり平均クラスはあるのでそんなに捨てたものではないものをお持ちの丹生だったが、しかし。無情にも実力不足は否めず。

 

 あっという間に「は? どこが(爆乳)?」「チッ。貧乳じゃねえか」という手厳しい批判の集中砲火を浴びてワナワナと顔を真っ赤に染め、憤怒も露わにダーリヤへの猛ダッシュを開始した。

 

「うおらああああああああああ! ケンカ売ってんなら買うぞクソガキィィィィィィ!!!」

 

 片腕を水平に伸ばして、走る。あれはプロレス技の"らりあっと"というやつではなかろうか。

 今日の彼女はだいぶ容赦ないカンジに仕上がっている。

 

「バァ~クニュィ~…ええ~っなんで?? うるふまんッ、ヒンニウが本性をあらわしたわ! 助けて! 助けて!」

 

 ダーリヤは景朗を盾にして背後に隠れた。が、彼は丹生が"らりあっと"をぶちかます直前に、すいっと避けてダーリヤを荒神への供物に捧げた。

 

「もおおおおおッ! バカダーシャ!」「どゅっ、ひ!」

 

(ダーシャさん。ダーシャさん。もし丹生サンが本性をあらわしちゃったのだとしても、それはきっとキミの責任ですよ……)

 

 さわらぬ神にたたりなし。景朗だって今の丹生にたてつきたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「火澄ちゃんめっちゃキゲン悪かったよ?」

 

 "うん、わかるよ。『機嫌悪いのはワタシもいっしょ』だって言いたいんでしょ?"

 丹生の開口一番の言い様に対して、思わず景朗が言い返そうかと迷ったセリフである。

 

 火澄をダシに使わなくても、その表情を見れば"手纏ちゃんの父親に会いに行く"のが気に食わないのは理解できよう。

 

「しゃーねえんだよ。言っとくけど絶対に楽しい話題にはならないよ。那由他パーセントくらいの確率で」

 

「えっ、そうなの? なんでそうなるの?」

 

「俺たちが"暗部"だって、その気になって調べればわかっちゃうくらいにはスゴい会社なんだよ、手纏ちゃんのお父さんのトコロは」

 

「……そうだったんだ」

 

 景朗がどんな気分で面会に臨んでいるのか察してくれた丹生は、それっきり文句を言う事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丹生たちと別れ、景朗は第七学区の"学舎の園"近辺にあるオープンカフェ手前で足を止めた。

 そこが待ち合わせ場所である。

 この場所は中学時代に火澄や手纏ちゃんとよくお茶をした思い出深い場所である。

 前回来たのは……いやなんと夏休み中に、陽比谷を操った食蜂に連れてこられたばかりである。

 

 

「お待たせしました!」

 

 こんなに元気爆発な手纏ちゃんは初めて見た、といいたいほどに珍しい。

 大覇星祭なんてゴタイソウな名前だけど、学園外では体育祭に相当する催しらしいし、こんなに化粧する必要あるのかな、とは思っても絶対に口にはしない。

 

 

「いや、今の時間ならまだ道も混雑してないし、お父さんが到着してるならベストな判断だったと思」「景朗さんお好きでしたよね!」

 

 軽く駆け足でやってきた手纏ちゃんは、まず何より先に、両手に持っていたテイクアウト用のコーヒーカップの片割れを景朗に押し付けた。

 おお。手纏ちゃんにハナシの途中に食い気味で食ってかかられたのは初めてではなかろうか。

 

「おおー、いい匂い。ありがたい、ありがたいよこれは」

「えへへ。ちょっとお行儀が悪いですけど、このまま少しお店を見て回りませんか?」

 

 学舎の園の周辺のストリートは車線も多く、かなり広めに幅員が取ってある。

 手纏ちゃんの指差す先には、ちらほらと品の良さそうなたたずまいの出店が並んでいた。

 

「いやいや、ホテルに行かないと。時間、そんなに余裕ないよね」

 

「ごめんなさい。お父様が、あと少しだけ遅らせてくれって」

 

「あー、そっか。じゃあそうしよっか」

 

「うー、ごめんなさい。ホントは私の嘘です」

 

「え?」

 

「やっぱりご迷惑でしたか? 私、予定より早い時間を教えてたんです。一緒に見て回りたくて」

 

「なんだ。いいよ別にそのくらい」

 

「あぁよかった!」

 

「うん、つか、この珈琲美味いね、すっごいいい匂い。うん、これでチャラってことでいいよマジで」

 

 景朗は情緒もへったくれもなくがぶがぶっと半分ほど飲み干してしまっている。

 手纏ちゃんも間を持たせようとストローに口を付けて、ブラックの苦みに顔をしかめてしまった。

 彼女の行動を予想していたのか、景朗はからかうように笑った。

 

「やっぱり。俺が今飲んでるほうがだいぶ甘口だからね、もしかして~って思ったけど」

 

「ぁい。渡すの間違っちゃいました……」

 

 "今からでも交換する?" そう言いだせば、なんぞギャルゲー的には好感度を稼げるのか、キザったらしくカッコつけすぎで好感度が下がるのか。

 そんなのどちらでもかまわない。楽しい時間が過ごせるのなら、それでいい。

 しかし、笑いつつも景朗には、これからホテルで彼女の父親が打ち明ける内容に予想が付いていてる。

 その事を思えば、ここで仲睦まじく過ごすことがいかに無意味であろうかと。

 そう考えずにはいられなくて。

 彼には結局、ブラックコーヒーを手纏ちゃんに飲ませ続けることしかできなかった。

 

「それ、昔景朗さんが飲みたがってた"ラ・コントラディツィオーネの"です。中学時代の後輩にお願いして買って来てもらっちゃいました」

 

「え、これが?」

 

「そうです。ふふ、イタリア語で"矛盾"って意味の"アレ"です」

 

 常盤台中学で代々続く喫茶同好会。そこはこういった行事で出店する場合、毎回"La Contraddizione"という店名を受け継いで使っているのだという。

 

「あ~……ありがとう。昔のこと、覚えてくれてて」

「景朗さん女装するって言ってましたもんね。あれっきり誘ってくれませんでしたけど」

「本気で頼み込んでたら手伝ってくれてたの?」

「はい、手伝ってましたっ。景朗さんの女装姿見たかったのに!」

「いやいや、もう二度としたくもないね」

 

「……いつされたんですか?」

 

「うおっと! 言葉の綾だって。二度と女装したいだなんて言いださないよってこと!」

 

「ふぅん……?」

 

(疑ってるよ……)

 

 じとっとした目線を感じたが、それはすぐにニコニコとした喜びに変わる。

 歩いているだけなのに楽しそうな手纏ちゃんの姿が、ものすごく心に痛い。

 

「お店を一緒に見て回ってるカップルが羨ましかったんですよねぇ~」

「手纏ちゃんもそう思ってたんだ??」

「景朗さんこそ、今まで思わなかったんですか?」

「いや、別に全然……」

 

 暗部と関わりさえしなければ、きっと並んで歩くカップルを羨ましいと思っていたことだろう。

 だがそんな余裕を今の景朗はすっかり失ってしまっている。

 

 意外そうに手纏ちゃんは言った。

 

「そうなんですか。景朗さん、火澄ちゃんとくっ付くとばかり思ってましたから」

「あー……目を向ける余裕が無くて」

「丹生さんとは?」

「丹生とも別に……」

「ふふ。冗談です。からかってごめんなさい。今は私にもわかってます。火澄ちゃんと丹生さん(あのお二人)は景朗さんがいつからか、本当に、心の底から余裕を無くしてしまわれていたことに、"理解されていた(お気づきになっていた)"のに。それが"できなかった"私だけが、暴走してしまいました……」

「複雑な状況っていうか。普通から逸してる俺が悪いだけだし、何も問題はないんじゃないカナ」

「はい。でも、今も気持ちは変わっていませんから」

 

 思わず見つめてしまった景朗に対して、耳まで顔を真っ赤にした手纏ちゃんは、しかし視線をそらさなかった。根負けして先に逸らしたのは景朗の方だった。

 

(連絡も中学時代ほど頻繁に取らなくなったし。夏休み終わってから今まで会ってないし。学校で好きな人とかできたりしないのか?)

 

 いつまでも自分に執着してもらえるなんて思い上がりだ。手纏ちゃんだけでなく火澄に対しても、景朗はそう自分に言い聞かせて来た。繰り返すたびに心に痛みが走るけれど、必要な痛みだと思ってきた。

 

「ご迷惑ですか?」

 

「困らないけど、わからないよ。どうしてそこまで、って」

 

「えぇっと。どうしてでしょうかね。でも……初めて会った時から、助けてもらった時から、やっぱり景朗さんといるとドキドキしますねっ」

 

「……あの、これからさ、ホテルでさ、手纏ちゃんのお父さんと会ってもさ……」

 

「大丈夫です。ゆっくりでもいいと思ってますから」

 

 

 もはや何も言えず、言わず。どう切り出そうかぐるぐると考えて。

 この段階に至っては、もはやどうにもならない、と。

 これから直に訪れるであろう衝撃に、手纏ちゃんが傷つきすぎないように、と。

 景朗は祈るばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第七学区"。手纏ちゃんのお父さんは"社長"といって思い浮かべる姿より、むしろ引退したアスリートといった"いでたち"だった。

 少し白の差した髪をきっちり整え、グレーのスーツも往年のスパイ映画ばりに着こなしてみせている。

 

 ホテルのラウンジ。そう説明を受けていたが、連れていかれた先はホテルのスイートをフロアごと貸し切ってあって、景朗を警戒してか、幾人もの要人警護PMCの姿や気配が感じられていた。

 

 フロアの一室はまるで会議室の様にテーブルとイスがセッティングしてあって、景朗にとってはこれからいかなる吊るし上げを喰らうのか、ほとんど透けて見える様だった。

 

「こんにちは。初めまして」

 

「お父様、お元気ですかっ?!」

 

「おう元気元気。こちらこそ初めまして、雨月君。さ、とりあえず席についてよ、2人とも」

 

 景朗は、PMCがすっと椅子を引いて出しだした席に座った。

 手纏ちゃんは近くに座ろうとしたが、女性PMCが手際よくお父さんの隣りへ案内して、不思議そうにそこに座った。

 

「ふぅーっ……。今日は少し緊張するね」

 

 いやいや、一番緊張してるのは、自分の真後ろにつったっているPMCのおっさんでしょうね。

 景朗は愉快そうに目を瞬かせた。

 

「お父様。お名前くらい紹介されてはどうですか?」

 

「これは失礼をした。手纏高峰(たまき たかみね)と言います」

 

「雨月景朗です」

 

「申し訳ないが握手と。挨拶と。世間話も、今回ばかりは遠慮させてもらいたい。いいだろうか? 雨月君」

 

「お父様?」

 

 手纏氏は直にわかる、と言いたげに手を差し出し、手纏ちゃんを制した。

 

「はい。わかってます。安心してください。何も起こりません。何も起こしません。絶対に。お約束します」

 

「……そう、か。ありがとう。それではまず、いの一番に確認させてほしいことがある」

 

 女性PMCがスクリーンの電源をONにしたが、手纏氏は首を横に振った。

 その動作で意図に気づいたのか、彼女はあらかじめ用意していたのであろう紙の資料を取り出し、景朗と手纏ちゃんの目の前に揃えて置いた。

 

 

「個人的信条だが私も子供の前で物騒な話はしたくない。だがこれは、どうしても必要なことなんだ。私達のようなものが仕事で学園都市にお邪魔したり、時折、学園都市側からVIPとして招待を受けたりするときもあるが、そういった時に、日本の警視庁SPや彼らのような要人警護PMCから、要注意人物への注意喚起を受けることがある。中でも指折りの危険人物とされている……"猟犬"という通り名で恐れられている殺し屋がいる。それが、その人物に関する資料だ」

 

 その資料に並べられた被害者のリストに目を通して、景朗は思ったよりは調べられていないんだな、と場違いな乾いた感想を抱いた。

 

 全然足りていない。景朗が請け負ってきた仕事と比べれば、ざっと3分の1ほどだろうか。

 

「3ケタ近い要人が、この一人の殺し屋によって殺害されている。たったの一件も証拠は挙がっておらず、組織的な犯行なのは間違いないが、我々は"彼"に狙われたら諦めろ、と言われているよ」

 

「……この"猟犬"という殺し屋が、どうかしたんですか、お父様?」

 

 手纏ちゃんも予想がついているのか、その声はひどく乾燥し、掠れていた。

 

「はっきり言うと……雨月君にはこの人物と関わりがある、という……"噂"が絶えない」

 

 手纏ちゃんがじっとこっちを見る。景朗はごめんね、とアイコンタクトだけでもと、先に謝罪を伝えたかった。

 

「うわさ、ですか。あえてそう濁していただけて助かりました。火の無いところに煙は立たないって言いますよね、それ、ホントです。まあ、噂されても仕方ないかな、というところです。ただ、そんなの関係なく、僕は極めて警戒すべき危険人物ですよ。手纏さんの対応は極めて妥当です。正解です」

 

 暗に自らが"猟犬"だと認めるようなジェスチャーとともに、景朗は不敵な笑みを見せた。

 PMCの方々はそれぞれがごくり、と息を呑んだ。

 まるで景朗の機嫌ひとつで、自分の命が摘み取られるかどうかの瀬戸際にあるのだと考えているかのようだ。

 それは手纏氏も同じだったのだろうが、彼にとっては恐怖より娘への愛情の方が勝っていたらしい。

 

「予想される被害者の中に……先日、崩壊した軌道エレベーターを造った建設会社の、ご意見番(客席アドバイザー)をされていた方がいるんだが……私の恩師だった……。何か、彼についても"噂"を知っていないだろうか? 是非とも耳に入れておきたいんだ」

 

「あー……もしかして、珈琲とゴルフがお好きな方でしたか?」

 

(そういえばあのお爺さんは『英国と手を組もうとした』っていってたな。

 そうか、アレイスターは戦争がしたいのか。じゃあ、間違いなく戦争は起きるな。

 なあんだ。やろうとしてた"コト"が大きすぎる。それじゃあどっちにしろ……俺が殺さなくったって、別の誰かがあの人のところに送り込まれてたさ……)

 

「……ああ、確かにそうだったよ。……はぁっ。そうか、そうか。そうなのか……」

 

 手纏氏は手のひらを組んで、何かに耐えるように、祈るように数度振り、目をつぶって、開いた。

 

「私の父に頭が上がらない、と言っていてね。若い時に可愛がってもらったんだ。あの珈琲がもう二度と味わえないのかと思うと、酷く寂しくてね。まだまだ教えてもらいたいことがあったんだがなぁ……」

 

 もはや、手纏氏は景朗を殺人鬼として視る目付きを隠そうともしていない。

 

 手纏ちゃんは何かを言いたげで、しかし言いだそうとするたびに、手元の資料に目を戻し、信じられないとばかりに読み込み、ただ景朗の言葉を待つかのように、それをいくども繰り返している。

 

 手纏氏は言葉に詰まって、景朗をじっと見つめてきた。

 正直、居心地が悪い。言うべきことを言って、この場を去りたい。

 あまり余計な事を言ってしまいたくはない。

 それはお互いの為にもだ。これは心からの想いだった。

 

「なぜ? どうして? とお思いでしょう。信じてもらえるかはわかりませんが、僕としてはこう言うしかないです。その"うわさ"が広がり出すもっと前から、僕と仄暗火澄さんは友達でした。そして仄暗さんを通して、深咲さんと友達になりました。うわさが産まれたのは、たぶんその後からでしょう。だから、ただの友人だとしか、思ってません。そういうワケですよ。自分も、これでもただの中学生でしたからね」

 

 手纏ちゃんはじっと、景朗の言葉を聞いていた。何もかも凍りついたように。

 

「では……友達の父親としての、私のお願いを聞いてくれるだろうか? 代償は。いやお礼は。何でも差し出せるよ」

 

「もちろんです。深咲さんッ」

 

 景朗は手纏氏に有無を言わせず、手纏ちゃんに言葉を向けた。

 

「これでわかったよね? 今まで悪い印象を持たれたくなくて、本当のことを言いだせなかった。ずっと後ろめたく思ってた。この機会に謝ります。今までだましててごめんなさい。……手纏さん、今後一切、関わり合いは持ちません。お約束します。言葉しか差し出せませんが、お約束します」

 

「……わかりました。……さっき、仄暗火澄、ちゃんの話が出たが。彼女に対しても、できたら同じことを約束してほしい」

 

(なんで火澄のことまで口を出されなきゃならないんだよ、ってとこだけど。火澄のことを気に入ってくれてんなら……面倒をちゃんと見てくれるってんなら、渡りに船……だと思おう。手纏ちゃんのコト以外で、あんたとの約束なんて守る気はないけどなッ)

 

「口約束でいいなら、そうしますよ」

 

「それなら……」「お礼って言っては何ですけど。お礼代りに、うわさはうわさだった、ってことにしてくれるのが一番助かりますね」

 

「……了解した」

 

「それなら、もう退出させてもらって、いいですか?」

 

「かまわないよ。雨月君、今日は出向いてくれて本当にありがとう」

 

 景朗は途中に呼びかけてから一切、手纏ちゃんの方を向くことはしなかった。

 部屋を出る最後の最後に一度、彼女がこちらをみて、そして下を向いて俯いたのを感じて。

 思ったより大事にならなくて済んだな、とほっと一息つくことができていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダーリヤを迎えに第七学区のとある学校へと向かう。

 ダーリヤの存在がバレたらどうなるのか予想もつかないので心配していたが、火澄は別の競技場にいるので問題ない。

 

 子守りで疲れたッ、と身体全体で訴えてくるので苦笑して、あとでちゃんと労わるよ、とウインクを飛ばす。

 丹生はムフン、とガッツポーズを返してくれた。

 

 そんな二人の無言のやりとりを邪魔したかったのか、ダーリヤはとりわけデカい声で景朗にすり寄った。

 

「ウドゥフマンッ! お土産買ったのよッ!」

 

「へえ、マジかい。ありがとありがと」

 

「ほら、コレよ」

 

 ダーリヤが手に持っていたポリ袋から取り出したのは、大きな金属製のブラシだった。

 なんてーか、大型犬とか、牛とか、馬とか、そんなカンジの大型哺乳類のブラッシングに使えそうなくらいの。

 

「はあ?」

 

「これでやっとヒュルフマンのお世話ができるわ……むふーっ!」

 

「これ俺へのお土産じゃねーじゃん。お前のお土産じゃんッ。ぬか喜びさせんなよなぁ、もう」

 

 

 開会式までの時間を、丹生とダーリヤと出店を見て回ってツブして。

 きぃきぃと喚くダーリヤをまたぞろ秘密基地に押し込み。

 景朗はその後、青髪ピアスとして大覇星祭に参加し。

 なぜか途中で上条と土御門が消えて、吹寄などが怪我をする事故が起きはしたものの。

 総評して、つつがなく大覇星祭の初日を終えたと呼べるだろう。

 そんな一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは、ならなかった。

 

 事件は起きた。

 

 大事件だった。

 

 

 

 

 9月19日。深夜。イベントごとは最初と最後の夜が最も煩いと相場が決まっている。

 いつにもまして耳障りな喧騒に歯噛みしながら、景朗がダーリヤのブラッシングから逃げ回っているときだった。

 

 日常使いのケータイが鳴った。彼には着信音から火澄だと判別できた。

 手纏ちゃんと一緒に住む火澄から、である。

 

 あの二人の仲の良さは凄まじいものがあるが、さしもの手纏ちゃんでも、素直に今日あったことを火澄に打ち明けられるとは思えない。

 

 お鉢が自分に回って来たのかも、と景朗は覚悟してケータイを取った。

 

 火澄の第一声は信じられないものだった。

 

『景朗ッ、深咲が帰って来てないの! 最初はホテルに泊まってくるのかって思ってたんだけど、念のためにと思って手纏のおじさまに電話したら、とっくの昔に帰ったって! 景朗、何か知らない?』

 

「え、マジでか?」

 

『ホントよ! ねえ、景朗も知らないの?』

 

「知らない。マジで知らないよ!」

 

『あのね、もう警備員に連絡してるの。可笑しいのよ! オジサマもね、深咲を部下に送らせてウチのマンションの目の前まで、確かに送って返したって言ってるのよ!』

 

「マジか……ヤバイなそれ。あーもうッ。探しに行くわ、俺も。外、探す。ホテル周辺からお前ん家までのルート上!」

 

『お願い! お願い、景朗ッ』

 

「なんかあったらすぐに連絡くれよ」

 

『わかった、ひとまず切るね』

 

 

 ブラシを片手にぐびっ、とダーリヤは"グレネード"を呷っていた。

 飲み過ぎはヤメロと言ってるのに、こうした隙を見つけては隠れ飲みを試みてくる。

 

「ダーシャ。手纏ちゃん。手纏深咲が行方不明になった。探すの手伝って、今すぐ」

 

「えー? なんか昼間にウルフマンが会ってたってヒト? でももうこれからは完全に付き合いを絶つっていってなかったかしら?」

 

 もうほっとけばいいのよと言わんばかりにぐびっ、と2回目を呷りやがる。

 

「言ったけど、そうするつもりだけど、今日の今日で観て診ぬふりはできないんだよ。大事な友達だからこそそうしようと思ってんだから!」

 

「……わかった。で、どうすればいいの?」

 

「極力、秘匿性を保てる手段で手纏ちゃんを探してくれ。誘拐があった、とか、そういう仕事が暗部界隈でなかったか、とか。手がかりすら見つからなければ、もう蒼月に協力してもらうしかない……」

 

 速攻であの男に貸しを作る事になるが、背に腹は代えられない。

 

 大急ぎで外にでる仕度を終えて、ダーリヤと捜査方法や捜査状況の確認を済ませようと、秘密基地を上から下まで駆け上って駆け下りて来たところだった。

 

 今度は仕事用のケータイがぶるぶると震えだした。

 景朗は怒りの余りに悪態をついた。

 

 こんな忙しいときに、よりにもよって木原幻生からの連絡だった。

 ずいぶんと久しぶりである。なんて間の悪い爺さんだろう。

 

 景朗は通話アプリに出た途端に、唾を飛ばす勢いで言い放った。

 

「先生、大変すみませんが、今、まさに今、緊急事態で、あまりお時間が取れないんですよ!」

 

『久しぶりだというのにキミはいつも慌ただしいね。やれやれ。一体どうしたんだい?』

 

「知り合いが行方不明になったんですよ、少し前にね!」

 

『ああ、そのことか』

 

「はい?!」

 

 景朗は硬直した。

 

『"酸素剥離(ディープダイバー)"の子なら、ウチで預かってるよ。ちょっと入用でね。心配ご無用。2,3日したら傷一つ付けずにお返しするよ。悪いけどいなくなった子が他の子なら、ボクも知らないなあ』

 

「……どうしてですか? どうしてそんなことを……どうしてこんなことするんですか?!」

 

『ウフフフフフ。頼むよ景朗クン。実はボクも緊急事態ってヤツでね。ちょーっと手を患わされるかもしれなくて。やっぱりキミの手助けが必要になっちゃったんだ』

 

「……わかり、ました。"酸素剥離"は傷一つ付けずに返す、とおっしゃってくれましたよね。必ずそれは守ってくださいね」

 

 木原幻生が、手纏ちゃんを人質に取ってまで。

 景朗にやらせようとしていることは、それだけ大がかりなのだろう。

 

「どこに行けばいいですか? どこで?」

 

『うん。それなんだけどね、ボクは今、身を隠さなきゃならないから、キミと直接会うわけにはいかないんだよ』

 

 残念だなぁ、と幻生は嗤う。

 

『キミと会っちゃったら、食蜂クンに"読心能力(サイコメトリー)"でヒントを与えちゃうからねえ』

 

「食蜂、操祈、と?」

 

 食蜂操祈と、敵対しているのか、と。全てを口に出さずとも、幻生はその先を語り出した。

 

『嘘はつかなくていいよ、時間が勿体ないからね。八月中旬に、キミが食蜂クンと接触したのは掴んであるんだ。キミがボクを裏切っているかもしれないなんて、そんなのボクだって信じたくはないんだけどね、最近のキミの言動を観ていたら、これも仕方がないよね、景朗クン』

 

(食蜂……これが狙いだったのか!?)

 

 八月。陽比谷を操り、食蜂は景朗に『木原幻生を裏切れ』と脅しをかけた。ただ、脅しをかけはしたものの、最後には『なぁんて☆嘘よ』と誤魔化して去って行った。

 陽比谷の妹が常盤台にいるから、その御世話焼きとして現れただけ、とうそぶいていたが。

 

 なぜ木原幻生と食蜂操祈が敵対しているのかはわからない。

 だが、これでは景朗はどちらからも利用され、板挟みの状況に陥ってしまっている。

 

 2人とも殺してやりたい。

 どこまで勝手に、こうも気軽に、人を奴隷の様に!

 

「先生。信じてもらえるかどうかわかりませんが、自分は言っておきます。食蜂とは組んでいません」

 

『うんうん、キミが裏切ってようと裏切っていなかろうと、今はどうでもいいんだよ。そんなことより、景朗クン、ちょっと"猟犬部隊"をボクたちに貸してくれないかな? キミの権限ではどのくらい動かせるかい?』

 

「ッ! 自分の権限、だと。分隊数で言えば3部隊ほどかと。10数人ちょっとしかいません」

 

 貸しのある隊員に賄賂を渡して頼み込めば、10人ちょっとは動かせる。

 

『そうかい。十分だよ。うんうん。明日の朝までには準備しておいてくれたまえ。それとね、景朗クン。食蜂クンは、キミから私の居場所をたどれるとアテにしていると思うかね?』

 

「自分から、先生の居場所までつきとめられるかって?」

 

『そうそう。キミが私を裏切り、食蜂クンサイドに着いたと思わせても、やはり厳しいかい?』

 

「それはそうでしょう。このタイミングでは、もう俺のことを信用できる味方だとは思ってくれないはずです」

 

『うんうん。だろうね。よし。それじゃあキミは彼女に直接、私の居場所を教えようとしちゃいけないよ。気を付けてね』

 

「はい。元々先生の居場所、知りませんよ」

 

 思い返せば、七月。確か、ツリーダイアグラムが破壊されたと暗部世界にニュースが走った日だ。

 あの日から、幻生とは会っていない。あの日から幻生は景朗を避けていたのかもしれない。

 

『そのかわりに、君には私の居場所のブラフだけをリークしてもらおう。そこから先は彼女自身に情報を盗らせるんだ』

 

「え?」

 

『キミは察しが悪いなぁ。食蜂クン自信に、ブラフの情報を掴ませるんだよ。自分自身の力で得た情報なら、彼女も信用するだろう? そうだねぇ、"猟犬部隊"の1部隊を私に貸してくれたまえ』

 

「……わかりました」

 

『彼らには私から直々に嘘の指示をして出しておこうかな。彼女はそれで勝手に勘違いしてくれるだろう。くっくっく。いやはや、彼女の能力に引っかからないし、部隊を貸してくれるし。今回は本当に景朗君にはお世話になるねぇ」

 

「ッそれなら今すぐにでも自分の友達を返してくれませんか? 今回のあなたの目論見は見当もつきませんが、彼女はそこに必要な存在ではないはずですッ!」

 

『悲しいなぁ。私にもまだ多少の信用はあると思っていたのだがねぇ。用が済めばきっちりお返しすると言ったじゃないか』

 

「……自分を罰したいのなら、大人しく受けます。俺自身が! 自分が一番嫌っている方法をわざわざ取らなくてもいいじゃないですか」

 

『元をただせば、ふらふらと、どっちつかずで疑わざるを得ない行動を取るキミが悪いんじゃないのかい? 人質なんて私も取りたくなかったが、最近の君はどうにも信用に欠けたからねえ』

 

「幻生先生、お願いします」

 

『あとねえ、"酸素剥離"クンはなかなか便利な能力でもあるからね、やっぱり、もうちょっとだけ我慢してほしいなぁ。今は忙しいすぎてこうして君と話している時間も惜しいくらいなんだよ。うん、そうだね。また明日の朝、追って連絡するよ。くれぐれも"猟犬部隊"の件は根回しヨロシクね……おお、コウザククンからもお願いがきていたか。景朗クン、"コウザク"というボクの部下にもキミへの連絡手段を与えておくから、彼女の頼みもできうるかぎり叶えてやってくれたまえ。いいかい?』

 

「わかりました」

 

 幻生はわざわざ手纏ちゃんを選んだ。火澄、丹生、ダーリヤそして聖マリア園に関わる人たち。もし彼女らの誰かを選んでいたら、景朗はアレイスターに泣きついて、幻生と完璧に対立していた可能性もある。

 だから、そういった景朗の逆鱗にギリギリで触れない程度の人質を。手纏ちゃんただ一人を。

 景朗が、これ以上はほんのわずかにでも我慢ができないというラインで、なんとか踏みとどまれる人選を、幻生は理解して選んだのだ。

 

 

 

 

「何があったの、ウルフマン?」

 

 ただならぬ景朗の怒り、動揺。さしものダーリヤも今度ばかりは心配そうに見上げている。

 景朗はダーリヤに助けてくれ、と懇願した。

 これから急いで"猟犬部隊"の隊員に連絡を取らねばならない。

 

 

 

 

 

 

「火澄?」

 

『景朗ッ。どうしたの?』

 

「手纏ちゃんのことで、教えとくことがある」

 

(クソッ。手纏さんに宣言したばかりなのに!)

 

『見つかったの?』

 

「うん。命に別状はない、と思う」

 

『思う??』

 

「誘拐した犯人から直接連絡があったんだ」

 

『誘拐?!』

 

「手纏ちゃんを誘拐した犯人は、俺の知り合いだった。ごめん。謝り切れないけど、ごめん」

 

『どうなるの? 深咲、どうなるのよ?』

 

「誘拐した俺の知り合いだけど、俺に言う事をきかせたくて手纏ちゃんを誘拐しただけだって言ってた。だから、俺が交渉して手纏ちゃんを連れて帰るよ。どうせ信用してもらえないだろうけど、手纏さんにも待っていてくれ、って伝えといて」

 

『ちょっと待って! どういうことなの??』

 

「ごめん、犯人の指示でやらなきゃならないことがある。こっちから一方的にしか連絡できない。ごめん、火澄、ごめん」

 

 景朗はそこで通話を切った。何度も着信があって、メッセージが繰り返し飛んでくるが、今は放置しておくしかない。

 

 

「ウルフマン、連絡きてる!」

 

 

 ダーリヤの言う通り、幻生から連絡のあったケータイに、彼とは違う知らない番号からの着信が来ている。

 誰だかわからないが、出ない訳にはいかない。

 

『あ、モシモシ? ドモドモ、"コウザク"です。オタクであってる? "猟犬部隊"の協力者クン』

 

「"コウザク"さんか?」

 

『ソウソウ。聞き取りにくかったかにゃー?』

 

「俺であってる。先生から聞いたよ」

 

『アハハ、"センセイ"、ねぇ。もしかして今聞いた? まあいいや。早速で悪いんだけどさぁ、明日の朝、1班、こっちにもソッコーで回してくんない?』

 

「わかった。符丁も転送しておく。どこへ送ればいい?」

 

『シブい声だねぇ~。ちょろっと待っててぇ、と』

 

 軽薄な口調の割に、時間に余裕はないらしい。

 数秒と経たずに"コウザク"なるものから連絡先が届いた。

 

「送ったぞ。隊員には俺の方から説明しておく」

 

『いいねぇ~、シゴト早いねぇ~キミィ』

 

「言っておくが"こっち"は誰もが忠誠心なんて持ち合わせてない。無茶な命令したら逃げ出されるかも、だ。俺に責任は取れない」

 

『フムフム……リョーカイリョーカイ。お疲れサン、こりゃァあとでお礼をはずまなきゃダネ。"お互いに生きてたら"だけどねッ、ニシシ。それじゃあコンゴトモヨロシクゥ~』

 

 

 想像していたより若い女の声だった。年はきっと近い。下手をしたら年下かもしれない。

 幻生の手駒。同じく能力者。"お互いに生きてたら?"

 それはそれは、幸先の悪い事を聞いたものだ。

 

 

 

 


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