せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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後編は近日中に更新します。


↑これほど信じられん言葉はないな。


10年と5ヶ月後  お茶濁し回なんだ。本当に申し訳ない。 (前編)

‡10年と5か月後の桜ちゃんサイド‡

 

 

 

『ぐるる』

 

 

 ねえ、バーサーカー。貴方が口にできる言葉はこれくらいだったね。けれど、私には貴方が何と言っているのか全部わかってた。貴方の優しい目が、言葉以上に心を語ってくれていたから。暖炉のように私の世界を暖かく包み込んでくれていたあの赤い瞳を、私は一瞬足りとも忘れたことはない。目を閉じれば、貴方の記憶が手を触れられるほどにありありと思い出せる。大きな手、太い首、分厚い胸、広い背中、貴方と出会って過ごした日々、そして―――貴方との別れの夜も。

 

 あの夜、「絶対に帰って来てね」と告げた私を、貴方の赤い瞳は静かに見返すだけだった。兜の目庇(まびさし)から覗く双眸がいつもよりずっと寂しげで、子供心に違和感を覚えた私は、思わず「明日の朝ごはんも楽しみにしてるね」と去りゆく貴方の背中に重ねた。そっと頷きを返してくれた貴方は、もしかしたらそれが私との最後の会話になると予感していたのかもしれない。

 

 事実、次の日の朝、家に帰ってきたのはお義父さん(・・・・・)ただ一人だった。濃紺から黄金(こがね)色に染まりゆく世界を背にして、傷だらけのお義父さんはじっと玄関扉の前で立ち尽くしていた。冷たい夜気の中、至る所に血の滲む身体は立っているだけでも苦痛のはずなのに、私が扉を開けて招いても、「お帰りなさい」と声をかけても、所在なさげに震える瞳は黙したまま私を見つめるだけ。取り付く島のない様子を呆然と見返していた私は、少ししてようやく、いつもその傍らに控えていた存在を感じられないことに気がついた。

 家臣のように、友人のように、マスターを傍で支え続けていた英霊が―――姿が見えなくても、その穏やかな気配で私たちを安心させてくれていた大切な家族(・・)がいなくなっていた。

 

「……おじさん、バーサーカーはどこ?」

 

 今にして思えば、あの言葉は残酷だった。無邪気で無悪意だからこそ、あの時のお義父さんの心には深く突き刺さったに違いない。幼い故の無遠慮な問いかけに、ついに平静の箍が決壊したお義父さんは突然私を強くかき抱いた。痛いほどに抱き締めてくるお義父さんは「ごめん。ごめん」と私に謝るばかりで。

 未熟な私はその意味がわからず………いや、きっと早くに理解できていた。間桐 臓硯を原因とする過酷な経験を経て同世代よりほんの少し大人びていた私は、理解できないふりをして自分を騙そうとしていた。心を守ろうとした。だけど、どんなに現実を拒否しようとしても、子どものように泣き続けるお義父さんの肩に漆黒の騎士の手が置かれることはなく。

 

―――ああ、もうバーサーカーには逢えないんだ。

 

 気付いてしまった途端、ゴッソリと胸の内側から何かが消えて、力の抜けた膝が地面を突いた。お義父さんの声も抱き締められる苦しさも遠ざかり、目の前から色が消えていった。残酷な運命は、遠坂家という家族を一度失った私から、再び家族を―――最愛の人を奪っていった。

 顔を出した朝日がゆっくりと幕を上げて世界を暖かく照らしていく。人の手では再現できない慈愛に満ちた陽光は、まるであの人の逞しい(かいな)(いだ)かれるような温もりで―――。その時、私は確かに、張り詰めていた感情がはちきれる音を聞いた。比喩ではない胸の痛みに、眦が一気に熱くなり、喉奥から嗚咽が込み上げた。母や姉から離れる時ですら涙を見せなかった私は、この時だけは声を上げて泣き喚いた。お義父さんの背中に爪を立てて掻きむしり、何度もしゃくり上げながら帰ってこない人の名を叫び続けた。

 言葉にならない声でいったい何を口にしたのか、覚えていない。もしかしたら、あの人を連れて帰ってくれなかったお義父さんへの罵倒だったかもしれない。あの人を奪った世界への憎悪だったかもしれない。約束を守ってくれなかったあの人への叱責だったかもしれない。吐き出しても吐き出しても、半身をもぎ取られたような胸の痛みは収まってくれなかった。同じくらい悲しんでいたはずのお義父さんは、悲痛に悶える私をずっと抱き締めてくれていた。いつまでも、太陽が昇りきっても、あの人の代わりになるかのように力強く抱き締めてくれていた。

 

 

 あれから、10年と5ヶ月もの歳月が流れた。ついに私は、あの人を世界から取り戻す(・・・・)機会を得た。

 そうだ、取り戻すんだ。私だけが奪われてばかりだなんて間尺が合わないじゃない。奪い返して、聖杯を使って彼を受肉させる。今度は私が、世界から奪ってやる番だ。

 

 

 

 

 

 

 

「それなのに―――――私のバカっ! 役立たずっ!!」

 

 バサバサと鼓膜がガサつく音と共に大量の書物や資料が床に散逸する。衝動的に振り上げた拳は宙を揺らめき、怒りを叩きつける対象を見つけられずにやがて静々とうなだれ落ちた。視界の隅、ひりひりと熱を持ち始めた右手の甲で宿主の感情の猛りに呼応した令呪が赤々と燃えている。

「落ち着け、落ち着くのよ、間桐 桜」。小さく呟き、目を閉じる。『魔術は己の感情を制御し得ない者には行使できない』と遠坂先輩(ねえさん)から教わった。精神統一の要領で深呼吸を繰り返す。二度三度と肺の空気を入れ替えれば、怒りは瞬く間に霧散し、右手の紋様は皮膚の下に潜るように消えた。未だこんな初歩的な制御にすら立ち往生している自分自身に「ああ、もう」と悪態をつき、どっかと傍らの椅子に腰を落とす。連日の寝不足のせいか、潰れるように身体が重い。

 

「せっかく令呪(チャンス)を授かったのに……私には、あの人を呼び寄せる術がない」

 

 “令呪”。

 5か月前、魔術師の道を捨てたはずの私の手に現れたこの紋様こそ、聖杯戦争の参加者に与えられる挑戦者(マスター)としての証であり、 英 霊 (サーヴァント)を統べるための魔術理論の結晶。そして、あの人をたぐり寄せることの出来る、私に残されたたった一つのか細い糸(チャンス)だ。

 だというのに、養子とはいえサーヴァントシステムや令呪を開発した間桐の家系に名を連ねる身でありながら、情けなくも私は一縷の希望すら見出だせずに五里霧中に陥っていた。

 

 サーヴァントを召喚するにあたって実質的な役割を担うのは大聖杯だ。大聖杯がマスターの資質を吟味して、もっとも相性が良いと判断した英霊を各クラスに当て嵌めて抑止の力の御座より招き寄せる。それとは別に、召喚したい英霊の宛てがある場合は、その英霊にとって生前に(ゆかり)のある武具などの“触媒”を儀式に用いれば大聖杯がその英霊を招いてくれる。私の場合は後者の方法をとらなければならない。生前の彼に縁の品を見つけ出し、触媒にして儀式を行えばいい。

 しかし、そうは出来ない問題があった。令呪を宿してからの5ヶ月間、どんなに調べても解決方法が見出だせない、決定的な問題が。

 

「―――バーサーカー、貴方の本当の名前は、なんていうの?」

 

 そもそも、私は彼の名前すら知らなかったのだ。

 ああ、なんて間抜け。恋に熱くなるばかりで肝心なことに頭が回らないなんて。バーサーカーというクラス名はわかれど、彼の真名についてはこれっぽっちもわからない。

 黒い鎧を身に纏っていて、資格をたくさん保有し、変装の名人、料理の腕は達人なみ、庭いじりも得意、リフォームもお手の物、機械の扱いもお茶の子さいさい、武芸にだって当然のように秀でている。私が彼について知っているのはその程度で、彼の名前も、出身も、生い立ちも、逸話も、何もかも知らない。マスターだったお義父さんも、『自分から真名が漏れると不利になる』という理由で敢えて聞かなかったという。バーサーカーも同じ理由で明かさなかったんだと思う。だからってマスターが最後の最後まで自分のサーヴァントの名前を知らないというのはどうかと思うけど、当時のお義父さんは現在の伝説(・・)とは真逆のなんちゃって魔術師で、他の術師から誘惑魔術(チャーム)でも受けようものならすぐに口を割ってしまうレベルだった。それなのに私のために必死で頑張ってくれたのだから文句を言うのは筋違いだ。

 

 バーサーカーの名前を調べる上で唯一手がかりになりそうだったのは、セイバーのマスターだった衛宮 切嗣さんの証言だった。ただ一人、第四次聖杯戦争最後の戦い―――セイバーとアーチャーの一騎打ち―――を目撃した人間である衛宮さんは、「セイバーはバーサーカーの真名を知っているように見えた」と教えてくれた。

 最終決戦の最中(さなか)、セイバーはバーサーカーと共闘した末、傷ついて動けなくなったバーサーカーから黒い剣(・・・)を受け取り、二刀流でアーチャーと真っ向から渡り合ったという。その後、衛宮さんは二騎の最強宝具の衝突で生じた余波によって吹き飛ばされ、意識を失ってしまったそうだ。駆けつけた舞弥さんのビンタで叩き起こされた時には、汚染されていた聖杯は冬木市民会館と共に残骸と成り果て、腕の中には眠るアイリスフィールさんを抱いていたらしい。「もう一度人間を信じる気になれた」と晴れやかに語る衛宮さんは、バーサーカーの真名を知るためのヒントとして前回のセイバーの真名を心良く教えてくれた。まさか、かのアーサー王が女性だったとは簡単には信じられなかったけど、実際にそうだったのだから納得する他ない。

 瀕死の重傷を負いながらもセイバーを加勢し続けた彼の痛々しい姿は、想像するだけで胸が痛む。だけどその話から、“バーサーカーはアーサー王と親しい間柄にある英霊”と私は睨んだ。それからは、魔術について遠坂先輩から教えを乞いながら、睡眠時間すら削ってアーサー王に関する書籍を読み漁る日々が続いた。近代にまとめられた『アーサー王物語』や中世に書かれた『ランスロ。あるいは荷車の騎士』、15世紀の『アーサー王の死』に遡り、さらにはもっとも初期の文献とされる11世紀の『ブリタニア列王史』まで。また、アーサー王について研究している学術機関にも国内のみならず海外にまで電子メールを送りつけた。その結果は―――床に散らばる無数の紙くずを見れば分かる通り、全滅だ。どんな文献も、どんなに見識のある学術講師も、私の希望に光明を差してはくれなかった。

 常識で考えればわかる。「アーサー王と関わりがあったであろう人物の中に、黒い鎧を着ていて、資格をたくさん保有していて、変装の名人で、料理の腕が達人並みで、庭いじりが得意で、リフォームもお手の物で、機械の扱いもお茶の子さいさいで、武芸にも秀でていた人はいますか?」と聞いたところで、誰だって「おまえは何を言っているんだ」とどこかの格闘家のような呆れた顔を返してくるに決まっている。私だってそこまで馬鹿娘じゃない。けれども、他に手がかりがなかったんだからどうしようもない。(えにし)の品で召喚する方法は諦めざるをえない。

 

 じゃあ、どうするか。すがる思いで言峰教会の老神父さんに詰め寄ったところ、『もしも前回召喚に使用した魔法陣が残っている場合、それを再使用すれば、以前にその魔法陣を通って現界した英霊を再召喚できるかもしれない』と教えてくれた。つまり、10年前に間桐 雁夜(お義父さん)がバーサーカーを召喚した地下室の魔法陣を使えば可能性はある、と。それを聞いた私は胸の内で強く臍を噛んだ。なぜなら、それも不可能(・・・)だからだ。

 行き詰まった絶望に「はあ」と昏い溜息を落とし、なんとなく机上の時計に目をやる。

 

「……もう、こんな時間」

 

 とっくに朝日が登って久しい時間だ。気怠げに首を回して窓辺を見やれば、カーテンのわずかな隙間から眩しい日差しが差し込んでいる。こちらの気持ちを気遣いもしない暴力的なまでの輝度にワケもなく腹が立つ。また徹夜してしまった。お風呂にも入ってない。目も充血しているだろうし、髪も肌もパサついて、ひどい顔をしているに違いない。

 

「お腹、空いたな」

 

 腹部に空洞ができたような物足りなさに身を捩る。何の成果も出せないくせに一丁前に食欲だけは旺盛なんだから、我ながら図太い神経をしてる。酔っぱらいのように覚束ない足取りを自覚しつつ、よろよろと立ち上がり、階下のキッチンを目指す。昨晩、作りすぎたグリーンカレーが冷蔵庫に残っているはずだ。それで空腹を満たそう。

 

「グリーンカレー……ふふ、懐かしいなぁ」

 

 ボンヤリと霞みがかった頭に浮かぶのは、忘れることのないバーサーカーお手製グリーンカレーの味だ。思いを馳せるだけで、トロッとした食感や、鼻を抜けていくスパイスの香り、ココナッツミルクが奏でる絶妙な甘みと酸味、焦げ目のついた鶏もも肉と玉ねぎの香ばしさなどが口の中で花咲くように連々と蘇り、唾がじゅわっと染み出てくる。数えきれないほど挑戦しても未だに到達することの出来ない、涙がでるほど美味しい栄養たっぷりのカレー。私を地下の蟲蔵(じごく)から救い出してから初めて与えてくれた、世界で一番大好きな料理。愛する人が作ってくれた、最高のご馳走。幸せな思い出が、沈んでいた気分を幾らか救ってくれる。

 

「あ、スリッパ部屋に忘れちゃった……。ま、いいや」

 

 緩やかな角度で設置された手すりを伝って階段を下り終われば、さらりと肌触りの良いフローリングが足裏を撫でる。以前は冷たいタイル張りだった床材は全てオスモホルツという高級木材に張り替えられた。それだけじゃない。視線を泳がせれば、間桐 臓硯が健在だった頃のおどろおどろしい間桐邸の面影はもはや一片足りとも見つけられない。バーサーカーによるリフォームの結果、部屋の奥までぽかぽかと暖かい陽光が差し込む美しい家に生まれ変わったからだ。数年前に大きな地震が冬木市を襲った際も、隣家が相次いで被害に遭う中、一帯でも群を抜いて古いはずの間桐邸だけ無事だったのは彼の手で施された耐震補強のおかげだろう。被害を調査しに訪れた市や消防の担当者たちが丘の頂に聳える無傷の洋館を見上げて一様に驚く顔がとても誇らしかった。

 彼は、私たちの未来にとって最善だと思うことを全て行ってくれた。最善だと思うこと(・・・・・・・・)を、全て。

 

 廊下の途中、おそらくこの辺り(・・・・)だったろうと思われる場所で立ち止まる。かつて、そこには暗黒の地下深くへと堕ちる秘密の入り口があった。間桐家の暗部にして、全ての始まりの場所が。

 

「何も、全部埋めちゃわなくてもいいじゃない。バーサーカー」

 

 そう、かつて(・・・)は。今は他と同じオスモホルツのフローリングがあるだけ。バーサーカーが埋めてしまったからだ。お義父さんが念のためにと家中くまなく探したけれど、他にもあったはずの地下へ繋がる隠し扉は全て撤去され、ご丁寧にコンクリートを流し込まれて封印されていたらしい。あのおぞましい空間が存在することは私たち親子にとって最善ではないと判断したんだろう。事実、あの腐臭に満ちた地下室の記憶は私に未だ暗い影を落としている。刻印蟲に嬲り尽くされた者にしかわからないトラウマが、皮膚の上を這いまわる醜い魔蟲の感覚が、今なお悪夢となってたびたび私を苦しめている。バーサーカーはそれをわかっていた。予測して、私から過去の灰汁を抜き去り、きちんと前を向けるようにと埋没させたに違いない。

 

「“立つ鳥あとを濁さず”って言うけれど、なにもそこまで完璧にしなくったっていいのに。貴方らしいといえばらしいけど、完璧過ぎるのも考えものだと思う」

 

 彼のきめ細かな心遣いに全身全霊で感謝すべきだと理性ではわかっているのに、どうしても女としての間桐 桜が「余計なことをしてくれた」と不満を漏らす。彼と再会するための手綱をよりによって彼自身に切られてしまったことにヒステリックに腹を立てる。「そんなに私のもとに帰ってきたくなかったの」、と嫌らしく邪推してしまう。そんなことを思ってはいけないのに。不学者のくせにエゴだけは一人前に晒してみせる自分がどうしようもなく惨めに思えてきて、鼻奥がつんと熱くなる。お義父さんはもっと誇りを持って彼に向き合っていたはずだ。矜持も何もない醜い様では、彼と再会しても幻滅されてしまう。それは再会出来ないことよりも恐ろしいことだ。

 

「―――まだまだっ! 諦めるもんか!」

 

 不必要に思い詰めて自分を憐れむのはもうやめだ。私はとっくに泣き虫の女の子を卒業したんだ。彼のマスターとして相応しい魔術師になると決めたんだ。平坦な恋愛こそ素晴らしいといったい誰が決めたというんだろう。何せ“世界”を相手に喧嘩を売るのだ。険しい道程になることはとうに覚悟を決めている。

 目の(ふち)の雫をゴシゴシと擦り消し、ふんっと肩に気合を入れて歩みを再開する。みっともない独り言をお義父さんに聞かれていないかと一瞬ひやっとしたけど、屋内に人の気配はなかった。おそらく、また遠坂のおじさまたち(・・・・・・・・・)と一緒に言峰教会に直談判に行ったのだろう。

 意外なことに、遠坂 時 臣 (のおじさま)は、第五次聖杯戦争についてお義父さんや衛宮さんと同じく否定的な立場を取っている。やる気満々で心構えているそれぞれの娘たちをよそに、聖杯の汚染問題や60年周期という慣習の逸脱などを理由にして聖杯戦争の中止もしくは延期を求めて毎日のように教会に陳情を叩きつけている。堪りかねた神父さんたちが居留守を決め込んだ折には、一日中三人で扉をノックし続けてノイローゼ寸前まで追い詰めたらしい。聖堂教会としても、現地の 管 理 人 (セカンドオーナー)やアインツベルンの関係者、そして名高い(・・・)間桐 雁夜の訴えを簡単に退けるわけにもいかず、魔術協会の使者も巻き込んで日夜侃侃諤諤たる議論が交わされているらしい。

 「父様たちの気持ちは嬉しいけど、過保護に過ぎるわ。信用してないのかしら」と不満気に語ったのは、私の魔術の師匠でもある遠坂先輩(ねえさん)だ。遠坂先輩の手にもまた、私と同時期に令呪が出現した。それを認めた時の反応は親子で正反対だったらしく、遠坂先輩は偉業を成し遂げてやると舞い上がり、遠坂のおじさまはショックの余りワインを口から噴き出して正面にいたおばさまの顔を真っ赤に染め上げた挙句に目を剥いて卒倒したという。日頃の優雅な姿からは思い描けない醜態だけど、お義父さんも似たような反応だったから何とも言えない。

 

「私だってもう16歳になったわ。法律上は結婚できる年齢よ。大人扱いしてほしいわ。そう思わない、ポチ(・・)?」

 

 唇を尖らせ、鉢植えの影に隠れたその子(・・・)に問いかける。「きゅう!」と風船が萎むような鳴き声と共に顔を出すのは、可愛らしくデフォルメされたイモムシ型の使い魔だ。間桐家が魔術師の道を捨てたため、私は素養があるだけのあたら(・・・)魔術師で、魔術礼装すら持たない。せめて使い魔(サポート)は必要だろうと提案してくれた遠坂先輩の指導を受けて3ヶ月ほど前にこの“ポチ”を生み出した。一見すると人の頭ほどのヌイグルミだが、首元を撫でれば「くるくる」と喉を鳴らして手に頬ずりをしてくるキュートな子だ。虫嫌いな遠坂先輩にはあまり好かれていないけど、私には大切な友だちだ。

 

「ほら、頭を出して。ご飯を上げるわ。ポチもお腹減ったでしょう?」

 

 “ご飯”と言われた途端、ボタンのような黒目が待っていましたと喜びに輝き、せっせと頭を出してくる。そこを指先で撫でて餌となる魔力を補給してやれば、埋め込まれた魔宝石(スピネル)が反応してラベンダー色に仄めいた。遠坂先輩が(きた)るべき聖杯戦争に備えて準備していた切り札の一つを分け与えてくれたものだ。

 奇妙な話かもしれないけど、遠坂先輩はライバルとなる私に惜しみなく自らの知恵と経験を授けてくれる。それは血の繋がった姉妹の(よしみ)である以上に、生来の気高い本能がそうさせるのだ。苦もなく手にする栄光に意味など無い、と。

 

 

『覚悟なさい、桜。私は無敵のサーヴァントを召喚するつもりよ。この世で最強の、黄金(・・)のサーヴァントを!!』

 

 

 「……なぜだか父様は泣きながら反対するんだけど」と不思議そうに付け加えながらも、遠坂先輩は勝利を掴もうと覇気に満ちていた。あの不敵な笑みは、きっと優れた英霊にすでに目当てをつけ、触媒の入手も終えたが故の余裕に違いない。“常に余裕を持って優雅たれ”という遠坂家の家訓を体現しようと、遠坂先輩は確実に前に向かって歩を進めている。私が手を(こまね)いている間にも、磨きぬかれた双眸に才能と希望の光を湛えて今この瞬間も力強く歩んでいる。

 

「それに比べて私は――――――あああっ、もう!! また腐ろうとしてる!! これだから私は――――っ!!」

 

 自己否定の螺旋階段に落っこちかけた自身を叱咤してヒステリックに叫ぶ。突然頭をガリガリとかき乱して天を仰いだ主人に度肝を抜かれたポチが「きゅうっ!?」とバネのように跳び上がった。オモチャのように丸っこい身体が床に跳ねて、

 

 

 

 

ぴんぽ~~~~~ん。

 

 

 

 

 間の抜けた()が、間桐邸に響いた。

 

「……うちって、こんな呼び鈴だったかしら」

 

 首を傾げて日常の記憶をまさぐってみる。間桐邸の玄関はテレビ付きインターホンだったはずだし、ドアチャイムの音ももっと人工的かつ古風なものだったはずだ。

 

 

「ぴんぽ~~~~~ん。ぴぃい~~~んぽぉお~~~ん」

「うわあ」

 

 やはり声だ。聞いたことのない女の子の声が玄関の外から繰り返し聞こえてくる。同世代くらいの少女の音程を白痴的に揺らめかせてチャイムの音を真似ている。こんなことをする知り合いの心当たりはないけれど、害意は無さそうな雰囲気だし、同世代の同性相手に無視をするというのも気が引ける。「お腹空いてるのになあ」と小さく息を吐き、空腹に悲鳴を上げるお腹を擦りながら声の方向に進む。人間の不審者に怯えるような感覚は10年前に麻痺してしまっているし、何よりこのあっけらかんとした声にはどこか懐かしさ(・・・・)のような温かみを感じた。一瞬だけ黒鉄(くろがね)の兜が思考をチラつく。

 

「ぴんぽ~ん、ぴんぽ~ん。お~い、いないの~?」

「ちょ、ちょっと! 小林一佐(・・・・)! インターホンが見えないんですか!? 文明の利器を使いましょうよ!」

「うるさいなあ、仰木二佐(・・・・)は。こういう時は相手に不信感を与えないようにするのが大事なのよん」

「むちゃくちゃ不審ですよ!」

 

 ああ、もう一人いたんだ。そちらは男性で、一方よりだいぶ年上のようだけど、声の感じからして悪い人間じゃなさそうだ。妙に張りのある声質は一般人とは異なり、規律と礼儀を教えこまれた人間のそれだった。ヤクザかも、と一瞬だけドアノブに手を伸ばすのを躊躇ったけど、藤村先生を介してそちらの社会の人とは少なからず交流はあるし、魔術師として修行をしている今の私なら暴漢の一人や二人は脅威にならない。なにより、もうすぐ戦争に参加する者が今さらただの人間を恐れるわけにはいかないという意地がある。

 念の為に背後でポチが待機していることを気配で確認すると、思い切って扉を開け放つ。「どちら様ですか」と訪ねようと来訪者に向かって顔を上げ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶり(・・・・)桜ちゃん(・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖炉のような赤い瞳と、目が合った。




注意:今回ネタバレがあります。ネタバレが嫌いな方は読んではいけません。

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