色鮮やかなステンドグラスから差し込む陽光、白い輝きに照らされながら祭壇の前でセイバーが目を閉じ、跪きながら黙していた。
その姿はさながら戦で散った友を追悼する騎士か、清らかな想いを捧げる聖女か。
どちらにせよ、祈るように目を閉じる彼女の姿はただ美しかった。
いったいどれだけの時が過ぎただろう。
彼女が祭壇の前で目を伏せ、再びその瞳が開かれる時、先程はいなかった人影を映す。
「コトミネ、キレイ・・・・・・」
「これはこれは。意外な者がやってきたものだ」
愉快そうに嗤う綺礼に対して、セイバーの反応は静かなものだった。
自分が祭壇前で黙している間に彼の気配は感じ取っていた。そもそも、この場所は冬木教会。そこの神父であるこの男がいても不思議ではない。
「どういう風の吹き回しだ、セイバー?」
セイバーは一人で教会に訪れている。用もなしに態々ここへやって来るほどの酔狂の女とは思えなかった。まさか、本当に神へ祈りを捧げに来たわけでもないだろう。
綺礼は来訪者に興味深い眼差しを向けると、セイバーは当然のように答える。
「なにも・・・・・・。ここは教会だろう? ただ、なんとなく祈りを捧げに来たくなった。
それだけだ」
本当に祈りを捧げに来たと言う言葉を聞いて、綺礼は一瞬落胆しかけたが、ある部分に見出し、興味を失わず問いかける。
「なんとなく、か。それは直感か、アーサー王?」
「貴様に答える必要もない」
その問い掛けをセイバーは斬り捨てたが、綺礼は満足げに頷く。
この女は不必要な嘘はつかない。真実であるならば肯定するだろう。
つまり、綺礼の言葉を否定しなければ、彼女は直感でこの場所に訪れたことになる。
セイバーの直感ランクはEX。
その規格外のスキル一つによって、綺礼の策略は瓦解し、彼と始めとしたギルガメッシュや間桐臓硯は遠坂凛の傀儡に成り下がった。
その直感によって訪れたのならば、そこには何かしらの意味があるのやもしれない。
ならば、つまらぬ余生に刺激を与える可能性があった。
彼に残された時間は少ない。言峰綺礼はこの聖杯戦争終結後、消滅する。これは決定されたことだった。
汚染された聖杯と繋がっていることにより、綺礼は死んだ体を動かすことができる。
そして、全マスター、サーヴァント達は最終的に聖杯を破壊するつもりだ。よって、聖杯戦争が終われば、綺礼は消滅する。
生に執着はない。元より死んだ身。今更足掻こうなどとは思わない。当の本人がこうであるから、事情を知っている者からは誰にも同情されないのだった。
ただ、それまでの時間が非常に退屈である。
現在、綺礼は凛達に従って行動していた。だが、それは自身の目的が破綻したことにより、他にする事がないゆえ暇潰しで動いている。
ランサーの場合は三度目のマスター権移動で、凛にしぶしぶ従っている。もっとも、マスター権のみの移動で、ランサーが現界する魔力は未だ綺礼持ちだ。
自業自得、とはまさにこのことだろう。
他者の命を弄んだ者の罰としてはむしろ生温過ぎる。ゆえに彼は悲嘆することなく、事実をありのままに受け入れて、退屈な時の中に身を任せていた。
そんな中で舞い降りた
「私を誑かすつもりだな、コトミネ」
「さて、こちらの考えを全て見抜く相手にそんなことができるかどうか・・・・・・」
自分の思惑を直感で知られた綺礼は特に焦る様子もなく、悠然とした態度でセイバーを見る。
「しかし、その直感は素晴らしいものだな。それがあれば、十年前の聖杯戦争も楽に勝ち越せたものの。一体、それはいつ開花したのだ?」
「貴様には関係ないことだろ」
「関係ないとは心外だな。私も十年前の戦いに身を置いた者。仮に最後を競い合った相手の片割れが手を抜いていたのであれば、あの闘いに関わった全ての者に対して侮辱になるだろう」
そんな綺礼の挑発を見通していたセイバーは冷然とした態度を変えずに答える。
「あの時の私は全力で剣を振るった。それ以上もそれ以下もない」
「だろうな。では、その直感は貴様が前回の聖杯戦争以降、何かしらの形で身につけたことになる。
もっとも、正直なところ、何時開花したなどはどうでもいい。
問題はその直感が十年前に存在していれば、結果を覆すほどの強力なものであることだ。
故に解せない。その力を使えば、キャスターを誘導して汚れた聖杯を浄化し、己のみがその恩恵を手にすることも可能だろう。
貴様の願い、祖国の救済も完全な形で実現できる。何故、それを望まない?」
十年前の聖杯戦争に参加していた綺礼はセイバーの願いを知っていた。
これから起きる結果によってその願いが叶わないことから、既に彼女がその願いを捨てていることは想像できる。
暗君と蔑まされ、歪だと罵倒されようとも、その理想は真摯なものだった。
願いを何故彼女は簡単に捨てたのだろう? それをセイバーはあっさり答える。
「コトミネ、私は既に祖国の救済を望んでいない。王の選定のやり直しを望みもしたが、それも既にこの胸の中にはない。
私はただ、今を精一杯進むことを決めたのだ」
「あれほど望んでいた願いを捨てて? どれほどの願いを踏み潰し、数多の命を焼き払ってまで求めたものをこの後に及んで放棄するのか?」
「分からぬか下郎。私はそんなものよりも、シロウがほしいと言ったのだ」
それを訊いて、綺礼は嗤った。
「堕ちたな、セイバー。気高き騎士王は恋に現を抜かす小娘に過ぎなかったという訳か」
挑発。これでどんな反応を魅せるか綺礼は心の中で期待していたが、セイバーの態度は変わらず静かなものだった。
「貴様の言うとおり、所詮私も小娘に過ぎなかった、そういうことだろう。
以前の聖杯戦争では、それが分からなかった。私はただ王として、自分が信じる正義だけを貫き通し、裏切っていた」
「裏切り?」
「ああ、裏切りだ。祖国の救済も、選定のやり直しも、あの時代に私と生きてくれた人々を否定すること。
それは王の前に、人として間違っている。私は目先の悲劇に目を背けて、その時に選んだ多くの信念を蔑ろにしようとした。そんなことは許されない」
「だから貴様は過去を切り捨てて、今を生きると?」
「切り捨てる訳ではない。いや、元より切り捨てることなどできはしない。
どんな運命を歩もうと、過ぎ去った出来事を覆すことはできないのだ。例え歴史を改変しようとも、その前に、変わる前の歴史が確かに存在する」
変えたいと思うのは、その前に変える何かがあったからだ。壊れた物を治しても、壊れた事実は拭えない。忘れられない。だからこそ、治すことができればその物をより大事にする。失えば涙を流して過ちは二度を犯さないと決意する。
そして、壊れた場所に新たな築きあげたものがあれば、悲しみを無かったことにしてはいけない。それを否定することは、その過去、現在、未来をも否定することだから。
「私達は過去の思い出も、悲しみも、全て背負って歩き続けるべきだ」
そうやって静かに語ったセイバーを綺礼は鼻で嗤った。
「くだらんな。幾ら語ったところで、結局貴様は自分の都合の良いように解釈し、情欲に溺れているだけだろう」
「そうかもしれない。だからこそ、彼らの声が訊きたくてここに訪れたのだ」
その言葉を訊いた綺礼は興味が湧く。
「ほう、その直感は死者の声すら届くのか?」
「いや、流石にそこまでは叶わぬようだ。許されない、糾弾されるべきことなのだろう。しかし、私は今度こそ選んだ。王である前に、人として、誰かを愛する運命を選ぶ。まずそれをしなければ、愛を知る、人の心を持つ彼らとは通じ合えない。贖罪はそれからだ」
「もはや何を言っても無駄か・・・・・・」
そこでようやく綺礼は興味が失せたようにセイバーを横目で見る。
失望した。以前の彼女であるならば、高潔な精神が我欲を許されないだろう。その葛藤を詰ることが綺礼の目論見だったのだが、この目の前の小娘は開き直っている。
「私を蔑むか、コトミネ?」
自傷するような問い掛けを綺礼は首を振って否定する。
「いや・・・・・・。ただ、個人的につまらんと思っただけだ。この身は誰かを愛することを知らぬゆえな。私にはお前を罰する資格もないだろう」
「愛することを知らぬ? 可笑しなことを言うのだな」
「なに?」
そんなセイバーの思わぬ言葉に綺礼は思わず訊き返した。
「貴様は蝶よりも蛾を好む。他者の幸せよりも不幸を願う。美しきよりも、歪なものに興味が惹かれる、そんな男なのだろ?」
「それがどうした?」
「分からぬか? それが貴様の愛だ、コトミネキレイ」
「―――」
綺礼は一瞬、言葉を失い。
「なん・・・・・・だと?」
再び訊き返した。
「誰かの不幸を願わずには居られない。そう、今のように自身の命が消えることなど余所に置いて、誰かを貶めることばかり考える。
ああ、この際認めよう。私は貴様に嫉妬している」
「私に嫉妬だと?」
益々訳の分からない言動に綺礼は顔を歪ませる。
この娘は恋によって頭の中が狂ったのかと正気を疑ったが、セイバーは曇りのない瞳を真っ直ぐ綺礼に向けている。
「シロウは貴様のことが好きなのだ。それを認めたくなくて、必死に敵視している。認めてしまったら、自分の信念を否定してしまうから。
だが、結局は二人とも自己よりも他者を想う人間に変わりはない。シロウが自分ことよりも他者の幸せを願う。コトミネキレイは自分ことよりも他者の不幸を願う。向かう先は対極でありながら、根源は同じだ。だからこそシロウは貴様のことが好きで、同時に嫌悪している」
同族嫌悪とはまさにこのことだろう。相手のこと認めながら、同時に自分の映し身のような歪に苛立ちを覚える。
だが、それだけ相手のことを考えているのだと思うと、どうしても嫉妬が芽生える。
「シロウと貴様は似ている。それが私には、少し羨ましい」
「…………仮に、お前の言うとおり私と衛宮士郎が同じものとして、私の歪が愛であるとどう証明するのだ?」
「まだ分かぬのか? そもそも、人を想う形など千差万別だろう。胸の内に隠して人を想う者がいる。相手の気持ちなど考えず、自分の情欲だけを満たそうとする者もいる。
それが、貴様の場合は他者を不幸にすることが愛する行為だっただけだ。
―――いや、それは違ったな。貴様は不幸にしたいのではない。
人が目を背けたい悲痛や不浄なるものを慈しむ人間、お前はそんな人間なのだ」
「………」
綺礼には返す言葉がなかった。否定する部分もなかった。
確かに自分は人の不幸を見て心が動く。悶える苦しみ姿に胸が躍る。
しかし、それらが愛ゆえになのだと、思いも寄らなかった。
「私には、貴様や友のように誰かを愛することができなかった。だからこそ、私は彼らのようにこの胸に宿る熱に従うと心に決めた」
セイバーが歩き出す。
対する綺礼は無言のまま、呆然と何もない空間を見つめたままだった。
セイバーは綺礼とすれ違い、そのまま教会の出口である扉の前で移動すると、思い出したように立ち止る。
「そういえば、凛が問題のある貴様の代わりに、聖杯戦争を見届ける監督役を教会から新たに派遣したそうだ。その者は今日来るそうなのでくれぐれも、粗相のないように」
そう言い残して、セイバーは扉を開いて教会を後にする。
残された綺礼は未だ夢遊病のように虚ろな瞳で何もない空間を見つめていた。
この身は歪でありながら愛がある。否、その歪が愛なのだ。
それを知った時、真っ先に綺礼が思い浮かんだことは、彼自身がずっと記憶の奥深くにいていたもの。
ずっと今の今まで、無い物として扱ってきた空白が、自然と蘇る。
ある女がいた。
特異な体質なため、常に傷が絶えず、朽ちていくだけの女。
自分の死を持って喪失の苦しみを覚えさせようと自害した女。
女の幸せな顔が苦痛だった――女の苦しむ顔に目を奪われた。
女の涙を見ても胸が痛まなかった――その悲嘆を美しいと想った。
女の死に悲しみを抱かなかった――どうせ死ぬならば私の手で殺したかった。
私はお前を愛せなかった―――。
いえ、貴方は私を愛しているわ―――だって、ほら貴方、泣いているもの。
その時否定した、彼女の想いを改めて自問する。
誰かを不幸にしたいという想いが愛ならば、自分は―――。
そんな中、綺礼がそうやって思考を巡らさせていると、ガチャリと、教会の扉が開く音がした。
セイバーが戻って来た、あるいは別の来訪者かと、咄嗟に綺礼は振り向き、見つけた。
その一瞬で、魂が躍動した。
「―――」
呼吸を忘れてしまっている。今の自分はさぞ滑稽に見えるだろう。それが分かっていながらも、綺礼は扉の向こう側にいる少女から目を離せれない。
日差しの光のような銀髪―――その輝きを思い出した。
透き通るような金の瞳―――あの眼差しを思い出した。
病的までに白い肌―――触れ合った温もりが蘇る。
ああ、そうか――彼女は――。
「なに人の姿をじっと見つめているのですか、ダニ神父」
少女が放った開口一番の毒舌を耳にして、綺礼は口を釣り上げる。
まったく、面影しか似ていない。
「随分の品のない言葉を使うものだな、カレン・オルテンシア」
「生憎と教育する親がいなかったものでして。まぁ、気に障っても謝るつもりは毛頭ありませんが・・・・・・」