モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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第07話 飛竜の山

 口をついて出た言の葉を、即座に後悔した。リオレウスは鋭い視線を和也たちの方へと向けている。距離にして100mは先だ。だが、それでも聞こえてしまうのではないかと思ってしまうのは馬鹿げているのだろうか。いつの間にやらランポスたちの素材を放りだし和也は倒れていた。

 リオレウスが足を和也たちの方へと向けるのが見えた。ドクンッと心臓が跳ね上がる。感じる重圧は跳ね上がり、聞こえてしまうのではないかと思うほどに心臓はうるさく鳴る。頭を少し動かすことも――いや、視線を動かすことさえ躊躇ってしまう。絶対的な王者の強圧。

 

(うるさい……やめろ、静かにしてくれ……!!)

 

 己の恐怖を代弁する心臓の動きを、生きるために必死に止ませようと祈る。頭の先で何かが動いたような気がするたびに、心は焦燥を刻む。死にたくないと願うほどに己の存在を主張するかの如くなり続ける。

 ブルファンゴ、ドスランポスと立て続けに狩ることができた。――それがどうしたというのだ。あの王の前では人など羽虫も当然だ。刃向えば死あるのみ。暴君を前にして身勝手な振る舞いなどできようはずがない。

 滝のように汗が流れる。恐怖に駆られる心のままに悲鳴を上げてしまいたい。それでも冷静であり続けようと願う心がそれだけはするなと叫び続ける。

 リオレウスはしばらく動かずにいたようだが、やがて翼を広げ空を飛ぶ音がした。それはすぐに遠ざかって行く。和也の耳ははっきりと小さくなっていく音を聞き入れ、和也の目は小さくなっていく姿をはっきりと写したのだが、それでも彼らは動けなかった。

 

「助かった……な……」

 暫くして漸く体を起こす。反応のない相棒へと目をやると、ゆっくりと体を起こしている所だった。恐怖の為か、顔面蒼白で見るに堪えない姿だ。

 同様に和也も顔から恐怖から血の気が引いていることがわかる。去ってから十分に時間が経つまで起きることができなかったことがその証左だ。恐怖を顔に遺しながらも和也は――できる限りという注釈は付くが――冷静にあたりを見渡した。

 視界には放り出されたランポスたちの素材や頭が映し出されていた。それにドスランポスの遺骸。それはまるで食い散らかされた跡の様。これにカモフラージュされて喰われなかったのか……と予想した。仮に違っていたとしても、とりあえず大事なのは助かったことなのだからとも考える。

 

「とりあえず……帰る。うん、帰ろう……」

 リオレウスが去ったことでプレッシャーからは解放されたのか、そう呟いて帰路についた。ただ、いつものように返事が無いことには気が付かなかった。

 

 

 帰り道は幸いにして出会う相手はいなかった。和也の予想通り、ドスランポスが魔除けの代りになったためだ。そうして無事に里に帰ると――歓声に迎えられた。

 和也たちが帰ると大騒ぎとなった里。実はこの騒ぎはランポスの遺骸を背負っていた二人が、まるでランポスがやってきたように見えたことが原因のものだった。しかしきちんと、正確に和也とミズキの帰還を理解することで、恐怖の叫びから歓喜の叫びへと変化する。明らかな肉食獣を狩ってきたということに、一様に興奮しているようだった。

 

「無事だったんだな! 本当にすげえな! お前らは」

「こりゃあ今日も宴だな。肉が手に入ったんだ、よっしゃすぐに準備をするぞ」

「ああ、すぐにじゅん――っておい!」

 興奮している彼らは当事者である和也たちに言いたいことがたくさんあるのだろう。和也を中心に輪を作り皆が皆熱っぽい表情で和也の方や背を叩く。だが、そんな興奮を背に輪を裂いて和也は一人だまってタカモトの下へと向かった。

 

 

「おお、和也殿。帰還――どうなされた?」

「リオレウスがいた。明らかにあいつはやばい。戦って勝てる相手じゃない。逃げる準備とかが必要なんじゃないかと思って――」

「――落ち着きなされ。リオレウスとは?」

 逸る和也に対しタカモトは手を伸ばす。落ち着けと言う意味だろう。一度深呼吸をする。帰るまでの時間で十分に落ち着いたと思っていたのだが不十分だったようだ。

 何も知らない相手に説明をするには感情のままに話すのではなく、理路整然とした説明が必要だ。熱くなった頭はそのようなことさえ忘れていたらしい。落ち着いたなと自分で思ってから、改めて説明を再開する。

 

「リオレウスだ。赤い翼の飛竜種の。あいつが西の草原にいたんだ」

「飛竜種……あ奴ですか……。しかしあ奴は時折山から下りてまいります。そこまで狼狽えなくともよいのでは?」

「――そう……なのか?」

「ええ」

 ゲームの経験は知識に大きな影響を与える。調合について、ブルファンゴの動きについてそれらが顕著だったように。多くのゲームにおいて伝説・幻という存在にも出会うが、登場キャラクターのほとんどはそれらに出会ったことはなく、知るものも少ないのだ。

 だが、その一方でこの世界独特の知識――というより常識には疎くなる。里に来て一週間で多くを覚えたと言っても、その間はずっとわからないことだらけだった。加えて、まだ教えてもらってない仕事はある。この世界の誰も知らないことを和也は知っているかもしれないが、逆に和也は誰でも知っていることを知らないことがあるのだ。

 

「飛竜種はもとより近くの山に棲んでおりまする。今までにも何度か里のものが犠牲になっています。しかしその頻度はランポスよりも低いのです」

 事ここに至り漸く里に来てすぐに近くに飛竜の巣があるとタカモトが言っていたことを思いだす。興奮していたのは和也だけだったようだ。

 話を聞けばリオレウスは元々西の森を抜けた草原の、北にある山に棲んでいるらしい。山と草原を縄張りにし、仮に違う場所を徘徊するにしても主に南。東の森へは来ないそうだ。もしも紅呉の里が草原を利用したい、利用しようというのであれば危険度は増すが、そのような予定は皆目ない。犠牲になった者というのも、なんらかの理由で草原まで出張ったときの話のようだ。

 ランポスに慌ててリオレウスは慌てないというとおかしな話のように思えるがそんなことはない。要はリスクアセスメントの結果、ランポスは危険度が高いと言うだけだ。

 

「なんだ……俺だけ焦ってたんですね……。驚いた……」

「ええ。しかし……飛竜が……。そう……ですか」

 それまでとは一転して物思いにふけるタカモト。だが、その理由を尋ねても答えてはくれないだろうと気にしないことにする。短い付き合いだが少しぐらいは分かるのだ。

 落ち着いたことで、騒がしくなりつつある里の住人にきちんと説明しようとタカモトの家を後にする。和也が去った後もタカモトはずっと悩んでいた。

 

 宴というからには食事が必要だろう。さらに、ブルファンゴを狩った際に宴となりその肉が喜ばれたことから、その食事というのは肉であるべきだろう。だが、紅呉の里に本来狩りの技術は存在せず、和也の介在なしにして肉を得ることは未だ不可能だ。

 和也自身そう思っていたのだが、里の中心には火が焚かれ始めその前にはブルファンゴの遺骸が二体鎮座している。見た目からして土爆弾による狩りのようだ。

 

(――そっか、ゲームとかだと主人公が何かするまで何も起きないのが常だけど……現実ならそんなことはない。ここの人達だって生きているんだから、模倣だってそりゃできるんだな)

 

 ブルファンゴは背には碌に傷が無く、脚や腹が焼けただれている。どうも足元に土爆弾を仕掛けたのだろうと推測できる。なるほど、罠を用意すれば相手の動きなど関係ない。誰かがそう考えて行動に移したのだろう。

 感心する和也だったが、実はこのブルファンゴを仕留めた罠はランポス用にと和也たちが仕掛けた物だ。元より、ブルファンゴの遺骸がある場所をランポスのえさ場として仕掛けたが、その場所自体ブルファンゴのえさ場だった場所だ。時間が経てばブルファンゴが罠にかかる可能性は高いというものだ。忘れているようなのでそのままの方がいいのかもしれない。

 

 

「よっしゃ切るぞー!」

 妙にテンションの高い人を見て苦笑する。だが同時に共感も覚える。これからまたあの肉を食べられるのかと思えば腹が空き涎が垂れるというもの。今回は竜じいも食べる側に参加するつもりなのか、切る側にあれこれ指導しようとはしていなかった。尤も、数分後に切り始めた彼らが苦労するのを見て指導しに行くことになったのだが。

 

 紅呉の里は住人100人前後。対し肉は重量にして100kgを超す。ということは当然の結果として、一人当たりの食べる量は1kgを超す。自分が狩ったのではないからと遠慮がちであった和也だったが、宴が進むにつれ肉が大量にあることを認識し食べ始めた。

 二度目の宴。物事は初めこそ感動するが、二度目となるとそれは薄れる。だが普段恵まれてはいないからこそ、二度目であっても肉は大いに喜ばれた。一度目と同じく老若男女問わずたくさん食べていた。

 

「よぉ和也! 今回はご苦労だったな」

 口いっぱいに肉を詰め込んだまま声の主を見上げる。虫の管理をしている男性で、少し前までよく手伝いをしていた人だ。彼は両手に肉の乗った皿を抱え、男臭い笑みで近づいてきていた。

(ビアホールとか似合いそうだな……この人)

 その姿がビアホールのウエーターに見えてしまいふと思う。面倒見のいい人であることを知っている為、余計にそう思った。

「ん? どうした?」

「あ、いえ。ちょっと考え事を。しかし肉沢山持ってきましたね」

「ああ! 今回は二頭もいるからな。食っても食ってもなくならねえよ。なあ、保存の方法とかはわからねえのか? なんかあった方がいいと思うわ」

 

 それは前回の宴の際にも和也も思ったことだ。多量にある肉を保存できればいい、と。また、狩ってすぐに食べるのではなく保存食としておいておければいざという時にも困らない。

 肉の保存と言えばハムやベーコンなどが思いつく。それは塩分を多く含んでいる、ということは和也にもわかる。だが、詳しい作り方など知る由もない。和也は黙って首を振る。

 

「そうか……。いや、お前だってそりゃあ何でも知ってるわけねえよな。すまねえ」

 彼は頭を掻きながら謝る。別に謝ることではないと思い、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

「えーと……そう言えば塩で……浸けておくとかでできるんじゃないかな―とは思う……のですが……」

 塩分を含んでいるということはそれが保存に適しているからではと予想して伝えてみた。尤も、それ以上のことは和也にもさっぱりわからないのだが、土爆弾や回復薬の改良など最初のヒントがあればその後の発展は期待できるということは証明済みだ。ならばこれだけでももしかしたらという気持ちがある。

 

「おっ、そうなのか? よし、お絹にも伝えておく。いろいろ試してみるか」

 ――お絹って誰だっけ。そう思ったが黙っておく。良くしゃべる相手はともかく、あまり接点のない相手は未だよく覚えていない。ついでに言えば、この目の前の男性も『おっちゃん』などと呼んでいたため、きちんと名前を覚えていなかった。

 人の名前を憶えないということは褒められたことではないだろう。だが今更尋ねるのも躊躇われる。内心困ったななどと考えていると、彼は思いだしたと表情を変えた。

「ミズキのやつ、どうかしたのか? なんか引きこもってるみてえだし、もしかしてランポルって奴の討伐、なんかあったのか?」

「いや、ランポスですよ。――あることはありました。ランポスの討伐自体はうまくいったのですが、その後に。実は――」

 おかしな間違いに苦笑しながら事情を説明しようとし――言葉を詰まらせた。ランポスの討伐は成功の可能性も十分にあったから討伐に行けた。だが、リオレウスの討伐などできようはずがない。ならばわざわざ山を下りてきたと言っていいのか、と気になってしまった。元より草原の方までは出ないのだ。わざわざ危機感を煽る必要はないだろう。

 

「どうした?」

「――いえ、なんでもありません。予定していたやつよりでかいのがいて、ちょっと手こずったりしました」

 ドスランポスがいたことを話して、言いかけたことは誤魔化した。後でそれも老と相談しないとと考えながら。

 

 

 

 誰も知る必要などないことだ。知る意味のないことだ。破滅の足音が聞こえるとしても、それは聞こえないふりをして誤魔化した方が身のためだ。焦って、狼狽えて、どうにかしようと足掻いて、その結果空回りして意味がなかったと理解する。それをするぐらいなら最初から知らなければいい。抱えておけばいい。そう――考えていた。

 彼はある意味でそれと同じ考えをしていた。だがある点で全く異なる考えだった。恐怖も絶望も感じながら、それでも立ち向かうことを望んでいた。

 

 語らなかったこと。これも未来の分岐点。

 

 

 

 宴の夜が明けて次の日のことだ。ドスランポス及びランポスの討伐を無事に終えた和也はずっと寝入っていた。この世界に来て朝は早くなったのだが、この日は前日の疲れもあり起きるのが遅かった。起きたのは――騒がしくなってからだ。

 

「カズヤッ!!」

 

「おい! 起きろ! 早く!! 起きろ!!!」

 

 喧しく声をかけ、起きろ起きろと揺すぶって、騒々しい朝の始まり。そうして和也の一日は始まった。

 

「んー……? おっちゃん……? どしたん……?」

 口から出る言葉はまだ寝ぼけている。声は少女のように弱々しく、言葉は尻すぼみ。寝ぼけ眼をこすりながら要件を尋ねる和也だったが、内容は強烈な目ざましだった。

「ミズキがいねえっ! あいつ、きっと討伐に行きやがった!」

 それを耳で聞いてから、頭が認識するまでには時間を要した。ミズキが、討伐に、行った。それを理解し――次いで疑問に埋め尽くされる。

「え……何に?」

「飛竜だ! 昨日いたんだろう!?」

(違う……そうじゃなくて……)

 一度目をつぶり考えを整理する。相手が何かなど、ここまで慌てている時点でもう答えが出ているようなものだ。尋ねるべきはそれではない。

 恐怖の体現者、死を運ぶ足音、絶対的な上位者。それがあの時和也が感じたことだ。そしてそれはミズキと手感じていたはずだ。敵うはずのない相手だと、しっかりと認識したはずだ。

「とっとにかく! 爺の所に! 爺が和也を至急呼べって!」

「あ、ああ……」

 まだ狼狽えている頭でそう返事して、どこかおぼつかない足元のままタカモトの下へと向かう。狼狽は和也だけでなく目の前の男性もまたしている。それ故に――今した理解が間違えているのではないか。そう思い……いや、願いながら。

 

 結論から言えば、その理解は間違っていなかった。和也が狩りの相棒としていたミズキは、昨日であったリオレウスの討伐へと単独で向かった。おそらく、としか言えんがという注釈こそついていたものの、タカモトは和也にそう説明した。

「け、けどなんで……」

「飛竜は……あ奴の家族の仇じゃからの……」

 そうしてタカモトは語り始める。ミズキの過去を。飛竜に食い殺された父と弟のことを。昨日に出会ったことで、仇討ちを考えたのだろうと。

 ある意味でこれも和也の責任かもしれない。今までモンスターに敵わないと考えていた彼ら。だが、そう考えていたからこそ敵わない相手というものを、正確に認識できていない。一言で言えば、気が大きくなっているのだ。

 勝てるはずのない相手だからと諦め、受け入れていた。その仇に気が大きくなっている時に出会ってしまった。不幸な偶然の重なりあいの結果だった。

 

「――お主に頼むのは……少々筋違いかもしれん。じゃが、お主以外に頼れる者もおらん。どうか……ミズキを連れ戻しに行ってはくれんか……?」

 それは、またリオレウスがいる場所に赴くということだ。和也の心情としては断固として断りたい。視線を動かすことさえ躊躇ってしまうほどの強圧の持ち主、それに会いに行くことなど御免こうむりたい。

 それはできない。文字にしてたった七文字。だというのに和也の口はそれを出すことができなかった。二日前のランポスとは違う。危険なのはたった一人、だというのにモンスターの危険度は桁違い。それでも断ることはできない。いや、断ってもいいだろう。それに誰も文句は言えないだろう。だが――

(あいつは……仲間だろう。里の、狩りの。――友人だって言っていいはずだ。だから――)

 見捨てたくなんかない。和也の心がそう声高に叫ぶ。ならば簡単だ、わかったといえばいい。

「わ……」

 だが、それも難しかった。唇が渇いて張り付いてうまく動いてくれなかった。ランポスの討伐に行くとは言えたのに、討伐に行くのではなく連れ戻すだけでいいと言うのに、それが言えなかった。

 心臓がバクバクとなりだし、背や額には汗がにじみ出る。もう一度リオレウスの下に行かねばならない。それを認識した頭がやめろと叫ぶ。死にたくないという本能が、死神の下へ行かせまいと縛り付けた。

(なんで……だよ。くそっ……静まれよ! ――――こええよ……)

 見捨てたくないというのが和也の本心なら、行きたくないというのも和也の本心だ。思わず、うつむいて唇を噛みしめる。

 ――情けない。そう思うがどうにもならない。怖いものは怖いし、できないものはできない。臆病だろうと、弱虫と蔑まれようと、誰だってできないことはあるだろう。

(それでも、ミズキは……。俺は――……)

 拳を白くなるまで握りしめる。憎悪、怨恨、それらがあったとはいえ、ミズキとて恐怖を感じていたのではないのか。それでも、無謀と言えどミズキは討伐に行った。かたき討ちに走った。

 死者の無念だ、復讐だというものはフィクションにありがちな設定だろう。それを無駄だ、死者は喜ばないと諌めるのもまたありがちだろう。だが、そうありがちな設定ながらも使われるのは、それが人の心に基づいた当然の行動だからだ。

 誰かを喪えば、それで心に穴が開く。その心にできた穴を埋めようと、人は何かをせずにいられない。感情が溢れるというのは理屈ではどうしようもない。死が怖く連れ戻しに行けないように、憎しみが抑えられず討伐に向かうのもまた同じなのだ。

 

(――復讐、か。復讐の……負の螺旋……か……)

 そう言えばと思い出す。復讐をするという作品にはついて回ったものだ。復讐して、その結果その仇の仲間に恨まれて、今度は自分が復讐される側になる。そしてまた仲間が――、和也が命を捨てて走るのだろう。

 

「――――だったら……今走った方がいい」

「――和也殿?」

 和也の心に火がついた。それは吹けば消えてしまいそうな小さな火。恐怖が消えたわけではない。それが正しい考えなのかもわからない。だが、ただ走りたかった。走れと心が決めたそれを、疑わずにいたかった。

 必要なものは何か、しなければならないことは何か、想定される可能性はどうなのか。それらを瞬時にまとめ上げる。

 

「回復薬と爆薬ありったけ用意! ランポスの皮もあるだけ持って来い! 三、四人の少人数で向かう! すぐに準備しろ!」

 

 

 

 紅呉の里の西に広がる森、そこを抜けた先には草原がある。草原は地平線の先まで続いているが、北側に至ってはすぐに行き止まりだ。何故なら小規模ながらも山が鎮座しているからである。

 紅呉の里の、いや近場の種を問わず住人なら全員が知っていることだが、その山には飛竜種が棲んでいる。草原を縄張りにし、絶対的な王の威圧を持つ強者の存在がある。敵うはずのない相手の為に、紅呉の里のものは山はおろか草原にすら向かわない。

 だが、その草原を、そしてその山を目指そうとする男が一人、西の森を歩いていた。恐怖と興奮が混じった息遣いで、思い出したように震える手を握りしめながら。膝は何度も力が抜け倒れ込みそうになってしまう。それでも……彼はゆっくりとだが着実に進んでいた。

 手には土爆弾を持ち、回復薬を沢山袋に詰め、ファンゴの牙のナイフを腰に差し。彼が思い出すは弟のこと。まだ幼かった弟のこと。体が弱かった自分を気遣う優しい弟、涙と鼻水で顔を汚し、父の亡骸に縋っている最後の姿。ギリ……と手から骨が軋む音が鳴る。だがそれでも握った拳をほぐしもせず、ミズキは歩き続け、草原を抜け、山に到着した。

 足を止めて首をひく。見上げれば山頂が見える小さな山。その山頂を睨むように見つめ、歩を再開する。先ほどよりもしっかりとした足取りで。

 

 山道は傾斜がついている。また、通る獣もいない故に道もない。連続した小さな崖を登り続ける。遮る物のない日差しが降り注ぐ。傾斜と日差しによって体力は奪われ、体が水を欲し喉が渇く。それを気にしていないかのようにミズキはただまっすぐに山頂を目指した。

 

 歩いて、登って、下を見れば山腹までは来たかなというところ。その程度まで登ってから、あるものを発見する。異臭を放つ焦げ茶色の物質を。

(――あいつの糞……近いか……?)

 見た目乾燥していないそれは、まだあまり時間が経っていないように思われた。ミズキが山を登り始めてから、いや近づいてから竜の翼の音は聞こえていない。仇は近いと改めて力が入る。

 仇をとる。それを意識したのはほんの昨日のことだ。幼いころに目に焼き付けたその姿を、再び目にすることで意識したのか。それとも同じく狩れるはずがないと思っていた牙獣種や鳥竜種を狩ることができたので意識したのか。もしくはその両方か。

 何にしてもきっかけは和也だろう。和也がいなければ飛竜種と再び会うことはなかった。牙獣種さえ狩ることはできなかった。土爆弾という手段を得ることもなかった。その意味で、ミズキにとって和也は恩人であり……だからこそ黙って行く他なかった。

 飛竜種は強大だ。いかに手段を得ようと勝てるかはわからぬほどに。昨日の邂逅の時に、圧倒的な強者の威圧をミズキも感じていた。燃える双眸も火炎を吐く口も、見えるはずがないのに幻視した。――その炎に焼かれる姿も。

 仇をとりたいというのは自分のわがまま。ならばそこに恩人を巻き込めない。自分のせいで危険に巻き込むのはいけない。黙って行けばばれた所でどうしようもないだろう。そう考えてミズキは一人里を出た。森を越え、草原を抜け、山を登った。そして……その先で飛竜種を見つけた。

 

(いた! ――カズ……仇をとる)

 確かにそこには飛竜種がいた。少しなだらになっている箇所で翼を広げ眠っていた。緑色の外殻を持つ、ミズキが敵と知る飛竜種と思しき姿が。

 はやる心を静めようと昂ったままに深呼吸をする。だが息遣いは大きすぎて気づかれる可能性を増やすだけだ。土台落ち着かせようというのが無理なのかもしれない。冷静さは諦め、土爆弾を手に持つ。仇をまっすぐに見据え――投げた。

 一つ、二つ、三つ。次から次へと投げ続ける。最初から全力、そして一度きりの攻撃だ。和也がいればやりはしないだろう、失敗した時のことを考えていない作戦だった。

 

 

――ゴアアアアアアアアア!!!!

 

 爆音を裂き竜の咆哮が響き渡る。咄嗟に耳を抑え蹲り投げるのを中断してしまう。すると爆風を突き破って飛竜種が飛び出してきた。煤こそついてはいるが、傷は負わずにただ汚れただけ。攻撃は怒らせただけだと容易に理解できる風貌で。

 

「ぐっ……くっそおおおおおお!!!」

 

 まだ手には土爆弾が残っている。雄叫びあげてミズキは攻撃をした。それが無駄なあがきだとはわかっているが、それでも何もせずに死ぬつもりはなかった。

 だが、飛竜はそれにかまわずにミズキへと突っ込んだ。土爆弾が破裂し爆発の衝撃が襲い掛かるのにも構わずにそのまま突進を続ける。地響きを起こしながらまっすぐにミズキへと。咄嗟に右へと横っ面に飛び無様ながらもそれを躱した。

 

「くっ……」

 

 ズキズキと擦りむいた腕が痛む。たった一度だけの攻防だが、それだけでどうしようもないということがミズキにも理解できた。土爆弾では攻撃力が低すぎてダメージが通らない。大して反面、相手の攻撃は掠っただけでも致命傷、躱したところで地面が硬く怪我をする。今だって躱せたのは、和也の動きを見ていたことと、爆風で多少は方向を見失っていたのだろうということだけ。土爆弾を失えば攻撃の手立てだけでなく目くらましさえできなくなる。

 どうしようもない戦いだった。

 

 

 絶望が心の裡に生まれた。それでもミズキは諦めはしなかった。迫る突進を避け、尻尾も躱し、時折石を拾っては投げつける。それを繰り返した。だが、避けようと躱そうと体力は奪われ怪我もする。攻撃には意味がない。勝負はもうついていた。

 本来ミズキは既に何度も死んでいる。それでもミズキが生きているのは飛竜がミズキを甚振っているからに過ぎない。珍しく手に入った玩具で遊んでいるに過ぎない。投石さえ、子供がじゃれ付いてくることと大差なかった。

 躱して、躱して、それを繰り返せば疲労がたまる。ほんの数分でミズキは汗だくになり動きも鈍くなった。その結果、反応も遅れる。

 

「が……!!」

 飛竜の爪によって切り裂かれる。飛竜の爪には毒もある。出血と痛み、今までの疲労に毒。ミズキの足から力が抜ける。ドサッ……と軽い音と共にミズキは倒れた。

 喰おうとでもしているのか、倒れたミズキの下へと飛竜が近づいてくる。それはわかっているが、もう体は言うことを聞かなかった。体力などとうに限界を超えていた。死に瀕していようが、物理的に動かせるはずがない。

 

(俺……死ぬのか……)

 

 熱か毒か、ボーっとした頭でそう考える。動けず抵抗もできないのであればその未来しかないだろう。

 

(それも……悪くない……。…………孝じい……竜じい……剛二……カズヤ…………。ごめん……)

 諦めと救いを求めて目を閉じた。いずれ体は持ち上げられ、生きながらに食われ苦しむ。だが、それさえも受け入れようとしていた。喰われるのなら、弟を助けることさえできず動けなかった償いになるかもしれないと思って。

 

 ミズキの体に何かが当たった。無意識に爪を思い浮かべた。だが、そんな思考は形を成すことはなく、飛竜の悲鳴によって遮られる。

(何……が……?)

 

 毒と熱がなかったら気付いたかもしれない。汗で臭うとも気づけただろう。それを越える異臭を放っていることに。

 だが、そんな答えは必要ない。ボーっとしていようとも間違いようのない声が聞こえたのだから。

 

「無事かっ!? ミズキ!!」

 

 たった一人の相棒の声が。

 


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