モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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第29話 霞龍オオナズチ

 日本語に『鎬を削る』という表現がある。意味は激しく争う熱戦を示した言葉だ。注目すべきは苦難を乗り越えるという意味の凌ぎではなく鎬、つまり刃物の刃と峰の中間の部分であるということ。

 殺陣と呼ばれる、刀を用いた擬闘であればその派手さのためにか、刃と刃をぶつけ合わせる。しかし実際にそんなことをすれば刃が毀れてしまい使い物にならなくなってしまう。それを避けるための一つが鎬で受ける、もしくは受け流すという物だ。即ち、『鎬を削る』とは受け流す部位である鎬が削れてしまうほどの戦いだということである。

 また、当然のことだが刀というのは金属だ。ならば鎬を削る戦いという物は周囲に甲高い音を響き渡らせていることだろう。その意味でも紅呉の里の東の森では現在、鎬を削る戦いが繰り広げられていた。

 

「だあああああっ!」

 

 掛け声とともに振るわれる武器。次いで響き渡る甲高い音。弾かれたことを告げる音は森中へと響き渡る。

 

「ぐっ……かってえな、おい!」

 

 もう既に何度やったろうか。既に何度となく斬りつけたのと同じように、同じ音と共に同じ結果が見舞われる。

 

(岩の様に硬いとか言うけど、まさにこれだな。硬すぎるだろ……)

 

 オオナズチの体は硬かった。何度斬りつけようとその皮膚は拒み続ける。幾度繰り返そうとも徒労に終わると訴えるかのように。

 余裕を示すためか、事実その通りだからか。オオナズチには動きはない。

 

「っ、斬れねえな……」

「なんなのにゃ、こいつ。おかしいのニャ!」

 

 これは未だ三度目だったか。振り回しの大きさ故に回数はあまりできていない、大剣による攻撃。しかし劉が吐き出した通り、結果は変わることはなかった。

 

(劉の大剣でもダメか。斬りつけるという考え自体をやめた方がいいな。なら!)

 

 斬る、即ち皮膚を裂き筋肉を分かつのは無理があるようだ。筋肉か、皮膚か。恐らくは皮膚だろうが、最外殻である皮膚さえ傷つけることができないのだから仕方ない。だが、攻撃手段とは何もそれだけではない。

 

「劉はあまり攻撃をせず回避と土爆弾の投擲を中心にやってくれ! 距離を取っても舌が来るだけだ、付かず離れずで戦うぞ!」

「おう! だが……こいつはきつい!」

 

 さすがは古龍というところだろうか。致命傷を与えることができない、というものではなく有効打を与えることさえできない。どれだけやれば勝てるのかではなく、どうすればダメージを与えることができるのかから考えなくてはならない。古龍という枠組みに入れられたのは伊達じゃないようだ。

 

 

「ふっ!」

 

 リンが脅威的なジャンプを見せ、ダガーを逆手に持ちオオナズチへと向かった。和也の攻撃、劉の攻撃と続いた一拍の後、攻撃を凌いだと弛緩する瞬間を狙えたかもしれない攻撃だ。

 狙いは鍛えることのできない生物の急所の一つ、眼。地に足を置いたままでは届かない故に、オオナズチの眼前へと小さな体が飛ぶ。だが――

 

――ガキィ

 

 その攻撃も弾かれる。オオナズチは逃げることも迎撃することもせずただ黙って目を閉じたのだ。それはただの眼瞼反射だったのか、攻撃を受ける為だったのか。どちらにせよ瞼は閉じられ、その瞼という薄いはずの皮膚は容易くダガーを弾いた。

 

 

「つ……」

「リン!!」

 

 勢いつけての特攻だったが故に弾かれれば勢いは跳ね返される。リンはまるで車に引かれたかのように、それまでとは反対方向へと飛んでいく。

 思わず呼びかける和也。しかしリンは中空でくるりと体を回転させ、両の足から地面へと降りた。二本の足でしっかりと立つ様はまるで大丈夫だと訴えているよう。

 

「怪我はない。でも攻撃も通じなかった」

 

 そう報告を述べるリンに和也は黙って頷いた。リンの攻撃は今の一度だけだ。しかしリンの小さな体では当然筋力もあまりなく、そのリンが持てるダガーのまた小さなものだ。一点に集中した突きが通じない以上、リンの攻撃は通用しないとみていいだろう。

 

「ニャアッ!!」

 

 パコン、と。それまでとは違った音が響く。が、オオナズチは微動だにせずただ飛んでいたヨウの体が地へと落ちるだけだった。

 

「効果なし、か」

「ひどいにゃ!」

 

 ヨウの抗議を聞き流して思案する。

 

(刺突、斬撃、打撃、全部だめか。外殻が硬い相手には衝撃が有効ってのがよくある話だが……ヨウのあれじゃあその衝撃も期待できないってことか)

 

 武器による攻撃は有効打となり得ない。思考に導かれた結論は絶望的なものだった。リンの刺突の様に眼球を狙い続ければ別かもしれない。そも、ダガーではなく片手剣で和也がやれば異なるかもしれない。

 さらに言えばオオナズチは透明化の能力を常時発動させているのか、色が付いたり消えたりしている。リンの攻撃はもしかしたら瞼によって阻まれたのではなく、眼から単純に外れていただけの可能性もある。

 

 しかしそのような考察は全て無意味だ。皮膚が硬いのであろうと、そも瞼にあたってないのだろうと、攻撃が碌に通じないことに変わりはない。有効打を探る段階の時点で勝利などほど遠い。

 

 ギリ……と。気付かぬうちに刃を強く噛みしめていたようだ、軋む音がする。それを理解してもどうにもならない状態に再度歯噛みする思いだ。

 

 負けられないという意思を持ちながらも、有効打さえ与えることができないという事実に知らずの内に重心は後ろへと逃げ腰が引ける。

 それを見てか、ズは頭をあげた。それを勢いよく振り下ろす。見えにくい透明なボール状の輪郭から、紫色で玉状の何かが吐き出された。

 

「うわっ!」

 

 吐き出されたそれが劉に着弾した。モンスターが吐き出した何か、それがただの唾でないことを直感的に悟った和也は恐怖を捨ててオオナズチへと飛びかかる。

 少しでも意識を引きつけようとした行動は、オオナズチとの戦闘を始めてようやく目的通りの成果を得ることができた。

 

「紫……毒息か? ヨウ、解毒薬を!」

「もうやってるにゃ!」

 

「つつ……ありがとうな、ヨウ。毒対策があったのは幸いだった……」

 

 和也の指示よりやや遅れて劉の声が聞こえる。ヨウの言うとおり、指示前から動いていたのだろう。紫の息から即座に毒へと想像がいったのは、ギギネブラの毒と同じ色だったからだろう。

 一先ず劉は大事に至ることはないようだ。解毒薬の存在は大きい。しかしそれは消耗品である。つまり、今のやり取りだけでも、また和也らが不利な理由が明らかとなった。

 

(長期戦はやるだけ不利だ。体が硬い上大きい分体力もあるだろう。それに毒もある。やるなら短期決戦だ。けど――)

 

 時間をかけることができない理由がはっきりとした。ならば対応は短期決戦だ。時間を掛けずに、反撃する暇も与えない。攻撃が強くとも攻撃されなければ問題はない。かつてのゲームスタイルとも同じ結論だ。

 しかしそれはこちらの攻撃が有効ならばの話だ。現在、和也らの攻撃は何一つとしてダメージに繋がっていない。短期決戦といこうにも、ダメージを与えることができないのならどうすることもできない。

 

(くそっ……まるで全身鎧をまとっているようなものだ。金属鎧をフルに纏っている奴ってどうやって倒すんだ? 確か中世ではハンマーめいた武器で殴り潰していたんだっけか……?)

 

 モンスターハンターにもハンマーは存在した。ハンマーと狩猟笛という打撃武器。尻尾の切断ができない代わりに頭を一定以上殴ることでスタンの効果を与えることができる。

 しかしそんなものはない。今持っていないのではなく用意していない。ランポスとの最初の戦いのときの様に、近くにあるものを利用して、なども無理だろう。オオナズチに有効打を与えられる前に石などを詰める袋のほうが擦り切れてしまう。そも、それだけのことをする時間があるのかどうか、という話だ。

 

 

 結論は変わらない。武器による攻撃はダメージにならず、土爆弾によるダメージなど些細なもの。これだけ丈夫だと温風程度にさえ感じていないかもしれない。

 

 

(――無理。撃退もできねえや。となると……くそっ……)

 

 心中、愚痴る。取れる選択肢は次々に限られていき可能なものは次第に悪くなっていく。現状、和也にとってとれる選択肢は一つしかなかった。

 モンスターと遭遇した時、最初に考えるべきことは討伐だ。モンスターと戦闘し打ち勝つ。そうすれば脅威は去るし他のモンスターに対する力の誇示にもなる。

 できなければ仕方がない、ある程度の力を持っていることを示し撃退すること。討伐できずともモンスターにとって脅威だと感じてもらえれば住み分けはできよう。

 それができないほど力の差があるのなら、手は残ってなどいない。

 

 

「少しずつ距離を取れ。劉は俺と、ヨウとリンは別行動」

「かず――わかった」

 

 言葉は説明には不十分だったろう。しかし劉は和也の意を察したようだ。覚悟を決めた顔で和也の横に並ぶ。

 

「勝てそうにねえ。撃退もできん。選択肢は逃走だけだ。だが、こいつを紅呉の里に連れて行くわけにはいかない」

「だから、誰かが囮になる必要がある」

 

「にゃ……」

 

 和也の説明なのか、独白なのか。覚悟を孕んだそれに、同じく覚悟を孕んだ劉の言葉が続く。

 モンスターから逃げるのであれば、そのモンスターを別の場所へと引きつける役が必要だ。かつて紅呉の里に於いてモンスターと、とりわけ飛竜と出会った場合とるしかなかった方法。そして、取れば必死の方法だった。

 

 

「和也、囮は俺だけでも――」

「三と一に別れれば三を追うのが道理だろうさ」

 

 じりじりと少しずつにじり寄る。動いていることさえ隠す様に。少しずつ近づいているが、その実目的は攻撃でなくリンとヨウを和也と劉の体で隠すためだ。

 

「どうしようも……ないのかニャ……?」

「多分な。現状、討伐も撃退もできん」

「――――わかったにゃ」

 

 寂しそうに、けれど受け止めたことが伺える声色だった。組むことの多かった劉に、少しだけ寂しそうな色が写る。同時に、少しだけ嬉しそうな色も。ほんの一瞬程度浮かんだだけですぐに消えてしまったが。

 

「救いがあるとすればこいつには今まで何度も遭遇しているはずなのに、誰一人として重症は負っていないということだ。逃げ切れる可能性もなくはない。その意味でも俺と劉で囮役だ」

 

 リンとヨウでは足が遅い。逃げた先からの里への生還も難しい。逃げ切ることを期待できるのであれば和也と劉が適役だということは当然である。 

 その意味ではオオナズチの危険度は低いと言えよう。何せ動きは鈍重、今の今まで碌に動きを見せていないのだから。いくら攻撃しようとも動く様子が無いということは恐ろしくもあるが、逃げるという段階に至ってはむしろありがたく思える要素だ。

 

「――和也、僕らは急ぎ走って逃げる。まずその足止めをお願い」

「了解……」

 

 リンがそう告げる。逃げる算段、というより覚悟ができたのだろう。同時に和也も覚悟を決める。

 生き残れる可能性は十分にある。むしろティガレックスの時と比べればましな方だと言えるだろう。だが、もしもオオナズチが本気になれば――。そう考えると状況は絶望的にも思える。

 永遠の別れになることも覚悟して。和也は短く言葉を発した。

 

「行けっ!!」

 

 背後で足音が、そしてそれが段々と遠ざかって行く。それを背で聞きながら、和也ら二人は油断なくオオナズチを睨み続けた。

 

「動きなし……。ありがたいが……」

「そう……だよな。こいつの足止めなんてどうやればいいのかわかんねえし……」

 

 攻撃が通じないのに足止めなんてできるはずがない。それ故に二人はオオナズチに動きが無かったことを安心した。

 しかし同時に不安でもあった。オオナズチの動きが無い、それは余裕であるということであり即ちオオナズチにとってこの戦闘は遊びに過ぎないのではないか――。オオナズチは人間をいつでも殺せるのに、今までそれをしなかっただけではないのか。

 それが正しいのかどうかなどわからない。しかし追い詰められた弱い心はそうした臆病な考えを生み出す。悪い状況が嫌な考えを生み出し、それが更にパフォーマンスを悪くするという悪循環だ。

 それを避けるためか、確認の為か。和也は状況を口にする。

 

「後はこいつと適当に戦いつつ、紅呉の里から引き離すようにして逃走だな。逃げ切ること自体は動きが遅いはずだしまだ可能なはずだ……」

 

「ああ。けどその前にリンとヨウが逃げ切るのを待たねえと。それまでは時間を――っ!?」

 

 劉の追従が途中で遮られた。劉の腰には赤く太い紐が巻きつかれ、劉はそれに引っ張られていく。紐の正体はもちろんオオナズチの舌だ。

 両者の距離は5mは距離が空いていた。それでも届くというのも脅威だが、それ以上にあいていたはずの距離を容易く縮められてしまう。

 

「劉っ!」

「ぐっ……おおおっ!」

 

 しかしここは劉の経験が活きた。劉は捕まったまま大剣を地面へと向けて振り下ろす。地面へ刺さり摩擦が増え、さらに急な重心の移動はオオナズチにとっても想定外だった。巻きつく力が負けて何も掴まぬ舌を巻き戻す。

 

 

「大丈夫か!?」

 

 劉の背から和也は走りながら声をかけた。隣に並んだ劉は少し冷や汗をかいたようだが外傷はない。

 

「ああ……。けど……涼しい顔しやがって……!」

 

 

 キッと睨む劉は愚痴とも文句とも取れるそれを吐き出した。事実、オオナズチは涼しそうな顔をしている。

 半透明な体は未だ動かず、眼や舌だけが時折中空に現れギョロリと動く。和也らのことを脅威と認識していないのだろう、精々が飛び回る羽虫だろうか。うっとおしいとさえ認識してもらえてないのだからそれ以下かもしれない。

 それを悔しいと思う気持ちと、拙いと危機感を煽られる気持ちと、それでも生きている安心を感じる気持ち。それらが綯い交ぜになって和也の心中に残り続ける。それを捨て去る気概を、打開する術を和也は求めた。

 

(何かヒントはないのか!? 全身覆う固い皮膚、体を周囲に溶け込ませる能力、三種しかいない古龍種……断片的すぎる!)

 

 今までヒントと言えばゲームの知識だった。ゲームで学んだ動き、行動、特徴が役に立った。だが、オオナズチは先頭の経験があまりなく、しかも一人でやるのは面倒だからと他人とやる機会でしか戦わなかった。それはあまりない機会な上、大勢で寄ってたかってタコ撲りという経験。当然ヒントなど見つかるはずがない。精々が大勢で足を斬り続ければ起きてもすぐに倒れる、というゲームならではの攻略法だけ。

 

(違う、熱くなるな……! 目的は逃走だ、間違えるな。だからやるべきことは……)

「少しずつ後退して距離を取ろう。舌は来るのなら諦める」

 

 詰めてしまった距離を離すために半歩にも満たない僅かな距離をにじるようにして後退する。

 舌が来るのなら諦めるなどという消極的な案に劉は一瞬顔を顰めたがとりあえずは従うことに決めたようだ。何も言うことなく同様に僅か程度の距離をさがる。

 舌が来ても対策は現時点でない。だから来たのなら諦めて受け入れ、対策を考えるしかない。何度も喰らううちに予備動作が見えるかもしれない。そんな思いでの作戦――対しオオナズチは和也らと同じ程度の距離、すなわち人の半歩にも満たない距離を歩いた。

 

 

 ――ちっ

 

 そんな舌打ちしたくなる気持ちを隠して和也は再度半歩下がる。しかしやはりオオナズチも同じ距離を詰めた。

 オオナズチはこの場において絶対的上位者だ。故に少しずつ詰めることは警戒よりも甚振っているということが思い浮かぶ。攻撃が通じない以上は、オオナズチは何も考えずに攻めても問題はないのだから。

 

 にじる様な動きを数度繰り返す。その度にオオナズチは動きをまねる様にして距離は変わらない。それの何度目だったか、和也はふと疑問を思った。

 

(――? 硬いのにどうして動けるんだ。石像みたいなのに……。――部位によって硬さが違う……のか? 例えば……そう、関節!)

 

 本当に石像ならば動けるはずがない。動くには伸び縮みすることが必要だからだ。

 人の体でも骨や筋肉という固いものがありながら動けるのは――そも筋肉は動くための部位であるが――筋肉が伸び縮みし骨がそれを支えるからだ。そして関節という駆動部位があるためだ。それに思い当たるのと同時に一つの答えにたどり着いた。それが正しいかどうかはわからないが、和也はそれを信じることにする。

 

 

「劉、攻撃箇所を膝の裏に絞ってみよう」

「――何か考えがあるんだな」

「ああ……。もしかしたらって程度だけどな」

「もしかしたら、か……」

 

 不明瞭な情報だ。モンスターとの戦闘ではすべてが命がけ。故に不確かな情報をもとにした行動は極力避けるべきだ。例えば今回のようなものである。

 しかし劉は大剣を構えなおした。その顔は覚悟をした戦士の顔のまま、戦う意思を見せていた。

 

「十分だ」

 

 その返事に和也は一瞬呆けた顔を見せた。そこまで言い切られるのは想定外だったためだ。

 しかしすぐに戦う顔に替えて作戦を瞬時に組み立てる。

 

「――よし、なら主は俺が攻める。劉は支援を頼む」

「――平気か?」

「大剣じゃあ特定部位の攻撃なんてしにくいだろう。できるできないの話じゃない。やるしかない」

 

 それ以外に方法が無いのだから、と。和也は気迫を見せる。それに呼応したのか、劉もまたある種の覚悟の見せて頷いた。

 

「劉は正面から攻めて注意を引いてくれ。俺は背後から仕掛ける!」

 

 ダッと、走りながら叫んだ。指示の返事など聞かずに。それでも問題ないという信頼あってのことだ。

 オオナズチを避けて背後へと回る。それをしながら横目で劉がオオナズチに近づいていることを確認した。オオナズチは余裕の為か、和也へと向きを変えることなく劉を正面から向いたままだ。

 その余裕を潰してやる――そんな意気込みを込めて片手剣を振るう。リオレイア素材の片手剣はまるで吸い込まれるようにオオナズチのひざ裏へと導かれ……勢いをそのままにして跳ね返された。

 

「なっ――!?」

 

 それはあまりに想定外過ぎた。いや、冷静に考えれば皮膚がそもそも固いのだから、関節部位だろうとそう大きな差は生まれないのだ。皮膚にはもともと伸張性があるものなのだから。

 だが、それは冷静に考えることができれば気づけた話だ。追い詰められた人は容易く自分の都合のいいことを信じてしまう。和也もまた、容易く信じてしまったのだ。

 明らかな誤解、明らかな失敗。いつだってモンスターを前にした失敗は痛みを以て償うことになる。

 

「ぐっ!! ――っ……」

 

 首だけ振り返ったオオナズチはその長い舌を伸ばして和也を振り払う。丈夫な防具の上からとはいえ、腹に受けた一撃に息の詰まる思いをする。

 

「和也!? 大丈夫か!?」

「っ、ああ! けど……硬すぎる……!」

 

 必死の思いで攻撃してもその結果は報われない。いや、そんなことよりも漸く見つけたと思った突破口が間違いだったということを突きつけられたという現実の方が重かった。

 

(部位がそうズレタとも思えねえ……。なんでこんな硬いんだよ……。どうやって動いてるっていうんだよ、化け物め……)

 

 焦燥感が襲い掛かる。あれほど焦るなと念じ続けてきた、諦めるなと思い続けてきた心が、思考を止めてもう無理だと囁きかける。それに屈する屈しないではなく、和也にはどうすればいいのか思いつかなかった。

 実を言えばオオナズチの体は姿を隠す際、尾と角の発電器官から微弱な電流を流し、それによって体の色を変えている。この時、副作用として皮膚を固くする効果があるのだ。つまり、オオナズチは全身固いのでも一部を除いて固いのでもない。本来硬くなどないのである。よって、尾、もしくは角を破壊すれば硬さも失われるのだが……当然今の和也にそれがわかることはない。

 

(万策尽きた、か)

 

 もうどうしようもない、喰われるしかない。そう思いかけた所で目的を違えていたことに気が付いた。

 

(そうだ、逃げるという手があった。というよりそれしかないって思ってたんだった。たぶんそれはできないことじゃない、少なくとも討伐よりは確実だ。けど――)

 

 逃げるのなら。モンスターはできる限り紅呉の里より遠ざけることが望ましい。和也らは紅呉の里とは反対方向へと逃げて振り切って、その後で見つからないようにとこっそり帰らなければならない。

 

(問題はこいつ、碌に動く様子がねえってことだ)

 

 単純に逃げ切る、というのであれば簡単かもしれない。長い舌が面倒だが突破できないことはないだろう。しかし問題はこのままオオナズチをこの場所に放置するのは危険だということだ。紅呉の里は近い。

 なんとかオオナズチを引っ張って行きたい。だが、オオナズチの足はどうやら重いようだ。それでも動かないわけではないのだから時間をかければ大丈夫かもしれないが、姿が見えにくい相手に集中力が保つとは思えない。

 ならば一度里に戻って狩りの準備をして、という手もある。しかしこのまま紅呉の里に戻ることはできないし、かといって逃げてしまえば再発見は難しいのではないだろうか。そも、いざ逃げるという段になった場合、オオナズチも全力を出して捕えに来るのではないか――。

 オオナズチを中心にして和也と劉は反対側に別れてしまっている。その意味でも逃走という手段を今すぐとることは難しい。

 先ほどの動きを考えるに合流はさほど難しくないかもしれない。逃げるにしても戦うにしても一緒にいた方がいい。和也そう考えて少しずつ劉の方へとにじる。劉もまた同様の考えに至ったようだ。双方の距離は少しずつ無くなっていく。オオナズチもそれを止めるつもりはないのか、ギョロリとした目で見つめるだけでやがて和也と劉は合流に成功する。

 

(ちっ……余裕ってことか? 甚振ってるってことか……?)

 

 しかし和也にとってそれは嬉しいことではないというかのように、心中でそう吐き捨てた。嬉しくないわけではないが、余裕を表されるのは苛立ちを覚えるのだ。

 

 さて、どうやって逃げるか。それを思案しようとしたところ、劉に脇腹の辺りをつつかれる。

 

「(――なんだ?)」

 

 しかし劉は黙って顎をしゃくる。その先を見てみるも特に何もなかった。

 

(……? どういうことだ)

 

 この状況でいたずらということはないだろう。だが、劉が示すものの正体もわからない。オオナズチに注意を向けたまま、劉にも注意を払うと劉は今度は少しずつ移動を始めた。それまでのわずかな動きではなく、ゆっくりとだが確実に動いているとわかる動きを。

 劉の意図するところはわからない。しかし何か理由と目的があるのだろう。そう信じた和也は劉に従うことにし、同じ方向へと移動を開始する。同じく……という意味ではないのだろうがオオナズチもまた和也らと同様の動きをする。

 

「和也走るぞ!」

「はあ!? くそっ!」

 

 劉は逃走を選択したようで走ることを告げる。それはいい、先ほどのはなんだったのか。そういう思いを抱きながら和也も走る。

 シュッと短い音がなる。その一瞬後、和也は背後から強い力で押され倒れ込んだ。

 

「痛っ……!」

 

 恐らくは舌だろう。倒れた体を無理やりに起こしながらそう判断する。劉は先に逃げることなく待っていた。

 

「和也大丈夫か!? 走れるか!? 行くぞ!」

「お、おいっ! なんだってんだよ!」

「俺にも、よく、わからん!」

「はあっ!?」

 

 本人にもわからんとはどういうことなのか。疑問は消えなかったがそれ以上の問いかけは吐き出す酸素を惜しんで口を噤む。

 文句の代りに二酸化炭素を吐き出して、答えの代りに酸素を飲みこんで。ただ黙って走り続ける。

 和也らが逃げた時、オオナズチはどうするのかという心配もあったが、オオナズチはまっすぐに和也らを追いかけていた。逃げるものを追うのは上位種の習性だろうか。そうしてしばらく走って、走った先には小さな、20cm四方ほどの土器がいくつか置かれていた。

 

「和也避けろっ!」

 

 土器の傍を通ろうかというところ――実際は危なくて一々そこを通らないが――その場にいないはずの剛二の声が聞こえて和也は反射的に体を横へ投げた。それまで和也の体があった場所をオオナズチの体が飛んで過ぎる。

 

 

 途端――

 

 ――ビリッ

 

 オオナズチの体に電流が奔る。

 

「なっ!? ――痺れ罠!?」

「離れてください!」

 

 驚く暇もないとばかりに和也へと向けた指示が飛ぶ。その意味を深く考える間もなく、ただ和也は後ろへと向けて跳んだ。

 

「一斉掃射!」

 

 その声と共に土爆弾がオオナズチに向けて投げられる。オオナズチや周囲の地面に落ちて小規模な爆発が起きる――はずだった。当たったそれは確かに爆発を起こし、そして――

 

 

――ボゥゥゥゥゥゥン!!

 

 大爆発を引き起こした。

 

 


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