暑い日差しが照りつける日中、太陽の熱が存在を主張する。クーラーやら扇風機やら涼しい夏を過ごす現代に慣れた人は、それらが無いと生きていけないだろう。
しかし様々な理由でそれらを手にすることができない人もまた存在するのだ。彼らは仕方なく、手や下敷きを扇ぎ少しでも涼を取る。それは、ある事情でモンスターハンターの世界という科学の進んでいない世界へと行ってしまった和也も同様である。
科学のない世界であろうとすべての物理法則が消えたわけではない。無いと言うのなら作ればいい。クーラーは難しい? なら扇風機なら作れるはずだ。ファンを作ってモーター作って回せばいい、江戸時代に原型があったのだから楽勝だ。
そうした考えがあったかどうかはさておき。真夏日と言える太陽の下、回転するそれを見て和也はただ体温が冷えていくのを感じていた。
「にゃはははは! もう終わりかニャ、かかってこいにゃ!」
白い姿の猫人、アイルーが頭上に掲げた槍を振り回している。柄の軌跡がまるで車輪のようなそれ、上へと向けている以上風が来るはずなどないのだが、和也の体温は現在進行形で下がっている。
「ちょっちょっと待ってくれ!」
「待たにゃい!」
アイルーの前で腰を抜かしていた男が助命を乞うが聞く耳持たないとばかりに、遠心力を勢いに替えて突き刺した。地面に刺さって穴の開く音がする。
アイルーは男に刺したわけではない。何故ならこれは殺し合いではなくただの訓練であるからだ。故に血を流す必要などなく被害者など生れない。しかしそれでも和也の体温が消え失せていくのは、一重に槍の全長が1mを超すからである。
「すっげえな、おい……。もしかしてアイルーってみんなこんなにすごいのか……?」
和也の声色は呆然としか取れない。事実、和也にとってそれは言おうと思って発したものではなかった。同じアイルーであるヨウもまた、自身の身長より長い武器を使っていることがボヤキの原因でもある。
「あれが特殊。あと笛の効果ってことじゃない?」
同じようにアイルーを見守っていたメラルーがそう答えた。白猫アイルーの名はケイ、黒猫メラルーの名はコン。どちらも、白鳳村近くの猫人の集落より出向いた猫人である。座学初日にその素養を見せた様に、ケイは武器に、コンは研究にその才能を開花させた。
今見ているのはいわゆる鬼人笛の検証である。もちろんこれ自体試作品であり、果たして鬼人笛と呼んでいいのかはわからない。しかしケイが自身の身長より大きな武器を簡単に振り回しているのを見ると、その効果は正しく発揮されたと考えていいだろう。
それを手掛けたのはこの場にいる二人、和也とコンだ。満足そうに見つめるコンと違い、和也はどうにも不安げであるが。
「な、なあ。本当にあれ笛だけの効果なのか? だとしたらそれはそれでしちゃいけないことをしちゃった気がするんだが……」
「気にしなくていいよ。お互いに有益だったわけだし。次は人に使って同様の効果が見込めるかどうか。せめて種同様レベルがあれば上等かな」
「お、おう。俺もそのつもりだったんだけど……大丈夫かよ……」
和也の脳裏に人体実験と言う言葉が浮かんだ。今目の前に在るものは新しい技術だが、それは幸福も不幸も運ぶことができるだろう。
それを聞くケイはと言えば和也程気にしてはいないようだ。和也の不安を不思議がっている節さえ見られた。それは声色にも移る。
「別にあの子のあれは笛だけの効果ってわけじゃなくて慣れもあるでしょ。人に使ってみて危険だったらその時に考えれば良いんだし、今考えても答えは出ないと思うけど」
「いや、そりゃあそうなんだけどさ……」
和也の声にはどこか力が無かった。
和也の倫理観は20世紀日本のものだ。人の命は地球より重いなど言われる世界では安全に安全を重ねた物しか許されない。その倫理観が邪魔をしていた。
(いいものできたって言ってもいいんだろうけどさ……なんでこうなったし)
すべての原因はついこの間。和也がケイに疑問を投げかけた時のことである。
◆
「にゃにゃにゃ!」
そう、その日もケイは槍をまわしていた。やはり自身の身長よりも長い槍を危うげなく正確に。ケイにとっては簡単な運動と言うぐらいの気持ちだったのだが、偶然それを目撃した和也にとっては驚くべきことだった。
「うおっ……すげえよなあ。そんな小さな体でよく持てるよ……」
それは座学の日から思っていたことだった。和也は褒めるつもりでそう言ったのだが、ケイにとっては違ったらしい。端正な――と言っていいのかはわからないが――猫の顔立ちに皺ができる。
「それは僕が小さいという侮辱かにゃ?」
「ちっちげえよ! 純粋に人よりも小さな体なのにきちんと扱えてるからすげえなあって思ってたんだよ。人で言えば大剣を振り回しているようなものだろ?」
単純な重さの比で言えば異なるだろうが、てこの原理が示す通り重心が支点から離れれば離れるほど必要な力は多くなる。体が小さなケイは当然持つ筋肉量は少ないはずであり、先端部分が重くなっている槍は更に重く感じるはずだ。それを地面と水平にしてブレることなく持てるのだから感心を通り越して驚嘆していた。
ケイは和也の弁を信じたようで皺が刻まれた顔を元に戻す。が、上がった眼尻はむしろ下がり、どうやら元に戻ったというより緩んでしまったようだ。
そのまま緩んだ顔のままでいたケイだが、にゅふふと笑うと腰元に手を当て何かを取り出した。直径2cm程度の赤い玉だ。
「にゃはは、別に僕だけの力ってわけじゃないのニャ。実はこれを使っているのニャ」
「これは?」
「食べれば力が湧き上がる不思議な種ニャ」
赤い玉は種らしく、確かによく見れば表面には繊維が見え植物の種なのは間違いない。
それが種であるということ、食べれば力が湧くということ。一つの答えを導き出す。
「なあ、それって――」
「ん? 欲しいの? けどだめ。元々あまり栽培できないし、前に人に食べさせたときは猫人ほど効果が出なかったのニャ。だからもったいないからだめにゃ」
見た目といい効果といい怪力の種だろう。しかしそれについて言及する前にケイはあげないという意思を示した。
しかし和也の言いたかったことはやや違うため、いやと手を振って否定を示す。尤も、その質問の答えは既に聞いてしまったが。
「そんな良さそうなものなのに、どうして交易には出してくれなかったのかなって思ったんだけど……そういう理由ね」
「そうにゃ」
ケイは大仰に頷いた。ケイはこうして狩りをする訳でもないのに食べているが、本来貴重で無駄遣いできるものではない。そのケイも、怪力の種の効果に慣れる為という意味合いがある。
人の体もそうだが、通常成長・老衰などの変化は緩やかなものだ。トレーニングをしようとも筋肉量の増加は微々たるものであり、力が増えたのに入りすぎて壊してしまったなどと言うことはありえない。しかし、そのあり得ないことを起こすのが怪力の種だ。急激な力の増加は体のバランスを欠き失敗を招く。それを避けるためにケイは普段から服用しているのである。
怪力の種は貴重であり人に対する効果は薄い。ならば試してみたいなど言っても無駄だろう。自分たちの生存確率を上げるものではあるが、答えがわかっているのなら言うこともない。そうしてその会話は終わろうとして……気付く。
(あ、でも怪力の種単体じゃ無理でも調合したものならまた別じゃないか? 色々あったよな、怪力の種の調合……)
例えば貯蔵庫の奥深くで眠っている、最早腐ってるのではないかと不安なある飛竜の体液だとか。苦虫とハチミツで増強剤を作ってそれと調合してみるだとか。直接飲まずとも試してみたいことはある。
「なあ、相談なんだけど――」
躊躇いは生まれなかった。言っても無駄など考えることもなく、ただ口をついて出て来た。それは聞こえないなどということもなく、ケイの耳に確かに届き――
◆
何が原因だったのか。それを再認識した和也はわずかに自己嫌悪に襲われた。考えるまでもなく自分が原因である。
あれからというもの、調合は瞬く間に進んだ。ケイも和也に対しある程度の信頼は得ていたようで、食べてみるのではなく調合で何かに使えないか試したいということには少しの悩みで了承を得ることができた。知識欲、研究欲という物が高いコンが和也に同調したことも理由の一つだろう。
苦虫やらハチミツやらは既にある。もちろん、それと思われるものにすぎないのだが。それでも怪力の種との調合を試した結果、鬼人薬のようなものまでは簡単に出来上がった。この時点で種の効果は倍増したのでケイも怪力の種の投資の追加を快く実施し――研究の成果として出来上がったのが今コンの右手に持つ歪な笛、鬼人笛である。
(――まさかここまで効果があるとは……。ゲームの鬼人笛と同じものかどうかまではわからないけど、ケイ曰く怪力の種を服用した程度の効果はあるみたいだし……使い減りしなくなったと考えれば十分すぎる成果だよなあ……)
一応、笛に鬼人薬グレートを馴染ませる必要があり、その分を考えれば使い減りはすることはする。しかしその量は微々たるものであり、使う回数を考えればトントンというところ。笛、つまり音の効果なので一人だけでなくそこにいる全員に効果が及ぶだろうことを考えれば上等である。
(いや、うん。間違いなく十分すぎる成果だよなあ……。じゃあ何なんだろ……このもやもやした感じは……)
胸の内にある何か良くわからない感情。どうすればいいのかなどわからないが、どうにかしろと胸の内が叫ぶ。しかし何をどうすればいいのかはわからない不明瞭さ、不親切さ。
「コンさん、畑の方も見てほしいのですがいいでしょうか」
「あ、はい。わかりました。和也さん、僕は畑の方を見に行くのでこちらの試験お願いします」
「あ、ああ。わかった。いってらっしゃい」
考えに没頭していて気付かなかったが、いつの間にやら畑で怪力の種の栽培を担当していた女性がコンの傍に来ていた。畑のチェックを頼まれたコンは手の笛を和也へと渡して去って行く。
背丈の違うアンバランスな二人、ともすれば母子に見える二人だが小さいコンの方が先立って歩いている。コンが引っ張っているということを暗示するような光景。本当に優秀である。
(優秀、そうか、優秀だな……。それが不安というかこの靄の正体か)
納得がいった、とばかりに晴れ晴れとした表情を見せる和也。しかし次の瞬間には一転して苦笑いへと変化する。
(順調すぎて怖い、か。ずいぶんとぜいたくな悩みだ)
交流する人が増えて、おかげで研究により意欲的な人も増えて、研究の材料も増えた。そうして紅呉の里を中心として、世界は順調に回っている。
この世界に来たばかりの頃、和也はこの世界を全力で殺しにかかってきていると思ったのだ。一年をのんびり過ごした和也の台詞としてはこれ以上ないぐらいに可笑しいが、あの殺意はどこへ消えたと感じてしまう。
現実に不安を持ってそれを改善しようと思っていたからこそ、問題ないのではないかとまるで騙そうとしているかのような現状は妙に不安を煽られた。
(まあ、後は敢えて言うなら猫人の優秀さだな。ケイもコンもそうだが、リンとヨウだって優秀だ。俺が出会った4人の猫人はみんな優秀。――モンスターを滅ぼした後、今度は人と猫人の間で争いが起きたりしないよな?)
苦笑いをそのままに馬鹿な考えを出してみる。和也の知る猫人はその本質が善であり、人といいパートナーになれるという存在だ。彼らが人と殺し合いをする姿と言うのはイメージしにくいなどというレベルではない。
ふと、ぶんぶんとなっていた音が消えていることに気が付いた。ケイは槍をまわすのをやめ、ただじっと和也を見ていた。
ふっと軽く笑い手にした、人と猫人の共同作品を口元へと持っていく。ヴィーと澄んだとはとても言えない濁った音が鳴り響いた。その音を聞いて力が湧いてくるのは、きっとそれが鬼人笛だからというだけではないのだろう。晴れ渡る太陽、照りつける真夏日の中、額に掻いた汗をそのままにして和也は朗らかに笑った。
「よし! 次は対人試験だ。レンジとブライはそこに立ってくれ。ケイは少し離れて耳をふさいで」
誤魔化すように声を張り上げて。和也は試験へと意識を戻した。馬鹿げた不安よりも明るい未来を信じて。
試験直前に意味もなく笛を吹いてしまったために、ケイに耳をふさがせた意味がないということに気が付くのは、彼らに模擬戦をさせた後のことであった。
◆◇◆
鬼人笛効果試験のあった夜のこと。娯楽も電気もない世界、彼らの就寝時間は早い。
紅呉の里にはモンスターへの対策が生まれ、嗜好品として酒が訪れ、今なお誰もが何が起きても何とかなるという自信がある。それでも長年の習慣故か、寝る時間は早いままだ。
そう、就寝時間が早い里。日が落ちて数時間も経てば誰もが寝て静寂が訪れる。そんな中を小さな影が動いていた。
「大丈夫?」
「大丈夫。このままいけば見つからない」
人とは思えぬ小さな体躯を闇に溶かして地を駆けて。音をたてぬ軽やかな身のこなしは人非ざる存在。厳密に言えば猫人は人ではないのだから間違いではない。
「工房、見張りなし。このまま行けるよ、コン」
「うん、このまま行けるね、ケイ」
二人の小さな影。その正体は白鳳村より訪れた二人の猫人、ケイとコンだ。日中研究と試験で働いて疲れていたはずの二人だが、疲労など感じさせない優雅ささえある振る舞いである。
工房の入り口が見える位置のある家の影。そこに隠れていた二人は工房へと向けて走り出した。やはり音はたてない。
紅呉の里の工房は紅呉の里の、いや白鳳村含めての生命線だ。ここなくして人の生活はあり得ないと言っていいかもしれない。そんな場所に二人は人に知られないようにしてやってきた。人目に付かないよう気を付けている姿は暗躍と言う言葉がよく似合う。
あと20歩、あと10歩、あと5歩。そうして瞬く間に近づいた彼ら。しかし突如としてその動きを止める。二人にとって想定外のことだったのか、今まで音を立てていなかったのだが小さく地面をこする音が静寂の中に響いた。
「来ると思ってた」
「にゃにゃ。ここから先は通さないにゃ」
工房の中から現れた小さな二つの影。その二つもまた、暗躍する二人同様に小さかった。奇しくも二組は全く同じ、白と黒の猫人。だが今こうして対立しているかのような姿を見るにどうやら何もかも同じという訳ではないようだ。
「――どうして」
コンが小さくつぶやいた。
「君たちが疲れを口にしたから。僕ら猫人は疲労を簡単に訴えない。体の小さな僕らが更に悪い状態にあることなんて進んでいう必要ないから」
「けど! にゃ、けど疲れをわざわざ訴えるということはにゃにか理由があるってことにゃ。可能性はいろいろあるけどまずここにいれば間違いにゃい。にゃんせここには全てがあるのにゃから」
謎解きをする探偵の様に二人は種明かしをする。ヨウは興奮してきたのか、声を張り上げてしまうし、口調も怪しくなってきている。
コンはくっと臍を噛んだ。わざわざこのために準備をしたというのにその全てが見透かされていたなんて――と。だが、目の前にいるのは同じ猫人だ。ならば説得が可能かもしれないと考えた。
「ねえ、なら君たちも一緒にどう? もちろん僕たちだって君たちのことは喋らない」
「にゃ? それはいいかも……」
「だめ。君たちを見逃さない」
コンの誘惑にあっさりとヨウの心は傾いだ。それまでの毅然とした表情も緩ませて重心を前へと動かす。ここまでほぼ無意識だ。
しかしリンは凛とした姿勢を崩さずに否定する。そのまっすぐな立ち方を見れば誘惑など無駄だとすぐにわかるだろう。
だが、わざわざこうしてここまで来たコンとて簡単にはひけないのだ。何のためにわざわざ眠い中こうして寝静まるのを待っていたのか。それは一重にあれのためだ。
「ねえ。本当にお願い。僕たちだって今日は頑張ったんだ。ならご褒美だってあってもいいんじゃない?」
「どっちかというと、コンは自分のやりたいことやれて満足って感じ――ビャッ、ごめんにゃあ……」
ケイが打たれた鼻の頭を押さえて眼に涙をためた。余計なことを言うのが悪いとコンは目つきを悪くしている。
「なんでよ……なんでよ! 僕たちだって頑張ったんだ……! 僕なんか……僕なんか……あれの傍でずっと気にならないふりして笛の製造を頑張ってたんだよ!? もう我慢の限界なんだよ!」
「それでも……だめ」
リンの態度は変わらなかった。コンの切実な訴えを聞く耳持たないと首を振る。
「僕は……! 僕らにはどうしてもあれが必要なんだ! 君だってその気持ちはわかるはずだ! なのに……! どうして……!」
「それでも、だめなものは……だめ」
リンは依然としてまっすぐに静かに言い放った。
「リコル酒は……皆好きだから」
途端、うわああああんと泣き叫ぶ。もちろんその声の主はコンである。
「お酒一杯飲めると思ってたのに……マタタビおかずにリコル酒一杯だって思ったのに……! お酒のいい匂いの中すっごい我慢したのに……!!」
ダン! ダン! と地面を叩き咽び泣く。そんなコンの姿を前にして、ヨウは眉をハの字に替えた。
「リン……にゃんか可哀相にゃんだけど……」
「僕も同じ……でも一人を許すと他の皆もそうだから……」
ヨウとリンは顔をこっそりと見合せる。二人とも、特にリンは辛そうである。
リンはコンと同じメラルーだ。それ故にリコル酒を求めるコンの気持ちはよくわかる。人よりも、アイルーよりも、メラルーはマタタビとリコル酒に惹かれている。そこにどんな理由があるのかなどわからないが、確かに本能が欲しいと訴えるのだ。
しかしリンは今までずっとその感情を自制してきた。とてもつらい、けど我慢できるということも知っている。故に諭そうとここで待っていた。ヨウが共にいるのはついてきたからである。
「ねえ! お酒美味しいよ!? リコル酒のあの甘酸っぱい香りとかマタタビの蠱惑的な香りとかさあ! 欲しいと思わないの!?」
「思うよ。すごく思う」
「ならさあ!」
「でもだめ」
「うわあああああああああんん!!」
「リン、容赦ないにゃあ……」
結局、彼らの騒動は騒がしくなって起きてきたお絹が雷を落とすまで続いたそうだ。その時のことをコンは後日こう語る。
「あの時のお絹さんすごく怖かった。僕もショックとかでうるさくした自覚あるし僕が悪いんだけど怖かった。でも優しかった」
5人でこっそり飲んだお酒は美味しかったと大変満足そうにしていたそうな。