モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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第二章 閑話 レイナ

「母様、母様、母様!!」

 

 幼い少女がいくら声をからそうとも、大きな力の前には抗いようがなかった。今まさに母をその手にかけようとしている飛竜にも、自分を遠ざけようとする大人の力にも、どうしようもない現実にも、彼女は無力だった。

 

 少女、レイナは母を幼いころに亡くしている。なのに今、レイナの前には母がいて、大人とは言えずとも成長したはずのレイナを小脇に抱えることができることなどおかしくて。

 言うまでもなく、レイナが見ているものは夢だ。既に過ぎ去った過去の、どうしようもなかった現実の光景。

 

 少しずつ遠ざかって行く風景の中、一端に血しぶきが写る。赤い噴水はすぐさま飛竜の体によって堰き止められ、命足る血を失いながらも続く心臓の拍動もまた弱くなっていった。

 距離がある。母の姿はすでに掌程度の大きさだ。故にレイナにはそれが見えるはずがなかった。けれど、これが現実でない夢だからか、レイナには血しぶきの音も、段々と弱くなっていく心臓の音も――飛竜の牙が母の体を引き裂き、肉を咀嚼する音さえも聞こえていた。

 

 飛竜がこちらを睨む。赤黒い瞳が妖艶に輝く。それは次の獲物としてレイナを見定めたようで、その口から何色ともつかない何かを吐き出し、レイナの視界はそれに埋め尽くされ――

 

 

 

 過去への旅路を終えてレイナの意識は現在へと戻る。既に何度見た夢だろうか。過去を程度の低い技術で再現したまがい物の風景を。もう何度も夢に見て、もう何度もうなされている。それ故にレイナが自分が今いる場所と時を理解し、覚醒するまでにそう時間は要さなかった。

 慣れた動作で額に浮かぶ汗をぬぐう。一拍おいて体を起こし、目覚めたばかりの体に活を入れる。これももう慣れたものだ。

 

 魘されていた、目覚めのいい夢ではなかった、そんなことを欠片も匂わせぬ動きで彼女の一日は始まる。

 

 

「おはようございます。今日はいかがですか?」

「ああ、おはよう。今日はすこぶる調子も良くてね、心配せんでも倒れはせんよ」

「そうですか。でも、無理はしないでくださいね」

 

 主語を省いた会話でも、二人の意思疎通は図れている。人が少ない故に通じ合いやすいということもあるが、何よりもこうした会話が今日初めてではないことが一番の理由だ。レイナは常日頃から村を見回り、村人への気配りを忘れない。

 もちろん彼女には彼女の仕事がある。遊ばせていい人員など存在しない。だが、同時に休みというモノが無い人員もまた存在しない。つまり、彼女がこうして見回っているのは自らの休息の時間を割り振っているのだ。

 

 

「今日も皆さん大丈夫なようですね」

 

 村を見回っての感想を一人述べる。どうやら倒れるものも調子が悪いものもいないようだ。

 

「では昨日の続きをしますか」

 

 ならばと自分の仕事に取り掛かる。普段の彼女の働きぶりを考えれば一日中何もせず呆けていたとしても文句を言うものはいないだろう。だが、それでも彼女は休む間もなく仕事をし続ける。

 

 

「ほんにレイナちゃんは働き者だな。彼女がいればこの村も大丈夫だろう」

「そうだな。ウスイも村長としても父親としても鼻高々だろう」

「ええ、そうですな……」

 

 彼女を見守る男衆三人は朗らかに笑った。いや、うち一人、ウスイと呼ばれたレイナの父親だけは偽りの笑いだった。

 彼の目から見てレイナの働きぶりは異常だった。自らの体を壊すことさえ厭わないような働き方。穏やかな時の過ごし方をせず、常に何かに追われるように働き続ける。何が彼女をそう急き立てているのか、彼にはわからなかった。それがわかったのはこれより数日後、白鳳村に一匹の飛竜が降りたことが理由となる。

 

 

◆◇◆

 クモの子を散らしたように、あちらこちらへと思い思いに人が逃げ惑う。理知的とはとても呼べない姿であるが、生物として上位者たる飛竜に襲われたのだ。皆が理性など喪失して本能のままに安全を求めるのは仕方ないことだろう。

 ウスイもまた、そうした逃げろと叫ぶ本能に従いたかった。しかし彼には村を守るという使命がある。危険だ無茶だと理解していても、それでも逃げることができない時がある。それを受け入れた上で彼は村長をやっている。

 

「貯蔵庫まで走れ! 飛竜は今草原側へと向かっている! 今のうちに走るんだ!」

 

 飛竜が近くにいないからこそ、姿を隠すことよりも逃げろと言う本能に従わせて走らせる。彼の声もまた飛竜に対する怯えから、気概に反して声量は小さい。それでもそれを聞き届けた何人かは貯蔵庫へと走り、それに釣られる形で他数名が走り出す。

 人は他と違う行動をとることを嫌う。群れとして生活する本能が、他者と異なる自分を嫌う。故に多数が貯蔵庫に向けて走り出せば、ウスイの声が届かなかった人でさえ貯蔵庫に向けて走り出す。

 

「父さん!」

「ばっ! お前まだ逃げてなかったのか! 飛竜はまだいないから早く――」

「うん、飛竜はまだ草原の方に行ってた。鳥竜種がいたからそれに構ってるみたい。でもきっともうする来るよ」

「そうか、なら早く――」

 

 待て。ウスイの頭の中に何かがそう告げる。しかしこの時ウスイはまだ余裕はなかった。娘のレイナが言うとおり、飛竜は向かってきていることが近づいてくる音でわかっていたからだ。

 

「父さん、逃げるよ! もう村に人はいなくなってたから!」

「あ、ああ!」

 

 そうして走る。親子は走る。走って、走って、無事に貯蔵庫へとたどり着いた。

 

 まだ飛竜の羽音は遠く。貯蔵庫は既に入口にいる人が急げ急げと手招きしているのがはっきりと視認できる距離だ。間に合った、無事だった。そう安堵する気持ちがこみ上げる。

 

「ほら、あとちょっとだから頑張って!」

 

 娘のレイナはそう言って後ろからウスイを押すように走る。無事に貯蔵庫へと入り安堵した。

 ふう、と地面に座り込んで一息つく。安堵と恐怖からもう動きたくはない。が、まだ仕事が残っていたことを思いだし入口へと目をやる。そこでは氷結晶と火薬草を上手に使って入り口を閉じる村人と、それを見守る娘の姿があった。

 

 

 待て。

 

 また頭の中に声が蘇る。入り口を閉じるのはいい。隠れるためには大事なことだ。だが、なぜそこに娘がいるのか。何故共に逃げてきた娘が、確認をできる最後に入ってきたのか。何故――鳥竜種に構っていたなど知っていたのか。

 

(――見てきた、のか?)

 

 ぞわりと心が恐怖に震えあがる。飛竜に対して、ではない。娘に対してだった。

 絶大なる上位種たる飛竜。それに対する恐怖は村人皆知っている。かつて、白鳳村を襲った悪夢の一つ、ウスイの妻を、レイナの母を奪ったのもまた飛竜なのだから。

 幼さ故に覚えていない、ということもあるかもしれない。だが、純粋な飛竜に対する恐怖はレイナより年下のものであろうともある。飛竜に襲われたこと自体、あれ以外無い訳ではないのだから当然だ。なのに何故、レイナは飛竜に向かうかのように確認に行くことができたのか――。

 

 レイナは母を失った時、ひどく落ち込んだ。そのまま後を追って死んでしまうかもしれないと思うほどに。暫くしてレイナは元気なそぶりを見せるようになった。村人は立ち直ったと思っていたが、幾人かはそれを疑問に思っていた。

 レイナの母は村人にとっても大きな存在だった。博愛の精神の体現者だったといっていい女性。その喪失は村にとっても大ダメージだった。また、レイナが母を強く愛していたことも知っていた。だから、そんな簡単に立ち直れるはずがないと思っていた。

 

 その答えが今現れた。ウスイはそれを理解した。レイナは立ち直ってなどいなかった。十分すぎるほどトラウマを背負っていた。失うことが怖いのか、何もできなかったことが嫌なのか。何にしてもレイナは、自分よりも他人を優先するようになっていただけだ。

 

 その後、レイナが逃げる場所を求めて大草原を越えた先を見てくると言ったことも、飛竜がいるために村人は皆萎縮していてそれを最終的に村人が受け入れる他なかったということも、父親としては許諾できなくても村長としては受け入れるしかなかったことも、何もかもウスイは理解した。

 

 

 ウスイは妻を愛していた。妻もウスイを愛していた。そして二人は白鳳村を愛していた。だからウスイの妻は白鳳村を守るために犠牲になった。ウスイもまた、彼女の意思と共に白鳳村を守り続けるつもりだった。

 それ故に理解できた。レイナもまた同様なのだと。ただ――ウスイは妻がいて、仲間がいて、白鳳村があった。だからウスイは守りたかったのだが、レイナにとって白鳳村が大事なのではなく、ただ愛する母が守った物を守ろうとしているだけなのだと。

 白鳳村を守る、それは妻の意思でありそれ以前に自分の意思でもある。だが、レイナにとっては母の意思であり、それだけでしかない。レイナは亡き母の想いに縛られているのだと、既に見えなくなった姿を見つめて――そう気づいた。

 

 

 

 

◆◇◆

 ウスイはそう気が付いたが実を言えばレイナもまた悩んでいた。レイナにとって白鳳村の人々への手助けというモノは即ち義務だ。母のしていたことが、そのままレイナにとってしなければならないことだった。

 レイナにとって母は大きな存在だった。大きすぎたと言っていい。それこそ、母が死んだとき後を追うことを考えたほどに。

 けれど、レイナの母は白鳳村を守って死んだ。母が守ったものの中にはレイナもまた含まれている。だから、レイナが自死することは母への冒涜に繋がりかねなかった。それ故にレイナは死ねず苦しみ続けた。

 そんな中、レイナが出した答えがこれだ。母が守った物を守る。母が愛したものを愛す。それを己の義務としてレイナはずっと生き続けた。

 

 そうして生き続けたが――迷っていた。レイナにとって生きることはつらいことでしかない。毎日を義務で縛りただ囚人のように過ごす日々。村人からは明るい少女と見られてはいるが、そんなものはただの偽り。演じているにすぎなかった。

 

 だが迷っていようが悩んでいようがレイナには選択の余地はない。飛竜が襲ってきたのならレイナは村を守るために行動しなければならない。その想いだけを胸にして、大草原を歩き続けた。

 

 飛竜、鳥竜、牙獣、あらゆるモンスターが獲物を待ち構えるそこは本来人が立ち入るべき場所ではない。それでも、安住の地を求めてレイナは歩き続ける。

 彼女にとって幸いだったことは、まだこの時大草原がリオレウスとリオレイアの喪失による支配者の欠如が続いていたことだ。人を獲物と見る上位者がいないことが、本来無謀でしかない大草原の横断を可能にした。

 彼女が一人だったことも同様に幸いした。音を立てず、捕食者に居場所を知らせることは無かった。本来飛竜の縄張りだったそこ、鳥竜種も好き好んでうろつきはしない。この偶然が彼女に奇跡を運んだのだ。

 

 大草原を越えた後、森へと入る。木々が並ぶそこを歩き、辺りを見渡す。入ってくる物は木、木、木。隠れ住むのに向いている、想定以上の適地だ。

 

(ここなら大丈夫ね…………。あとは戻って連絡を…………。――あれ?)

 

 どこか、遠くで何か音がした。ただの音というには生物の発した音のようだった。なんというか、息遣いのように感じられた。

 

(誰かいるの……?)

 

 彼女はとんと気付いていなかったが、今まで歩いてみてきた場所には人のものと思われる痕跡がいくつもあった。気付いていなくともサブリミナル効果でもあったか、息遣いをモンスターよりも先に人だと考える。だが、この時それは間違いだった。

 

 青い影が彼女へと飛びかかる。それは容易く彼女を押し倒し、瞬く間に両者を勝者と敗者に変えた。

 青い皮に斑点模様、黄色い嘴に鋭い爪。まごうことなき鳥竜種だ。その足に胸を踏まれ、レイナの息が苦しげに漏れる。

 ゴホッと熱い息がランポスへとかかった。しかしランポスは獲物のそんな状態など気にせずどこかを見やる。少しすると視線の先からも鳥竜種が現れた。それも、きわめて大きな明らかに群れの長だろうと思われるものまでがいる。

 

(ああ…………だめ…………。私……死んじゃう…………)

 

 

 それまで気丈に意識を保っていたが、ついには意識を手放した。一匹だけでなく数匹いれば隙をついて逃げることも不可能だろう。意識が暗転する中、純粋に思ったことは村のことよりもただ己自身の、生物としての死を恐れる本能だった。

 

 

 

 

 レイナがランポスに襲われから四日後、レイナは再び大草原にいた。ランポスには偶然近くにいたハンターに助けられたのだ。

 ハンター、それは古い伝承の中でモンスターと渡り合う一族を指す言葉だ。レイナももちろんそれを知っていたが、今までお伽噺だとしか思っていなかった。人はモンスターに勝てないから、せめて想像の中だけでは勝って慰めようというものだと。

 だが、ハンターは実在した。今そのハンターはレイナと共に白鳳村に向かっている。こんな幸運があっていいのだろうか。降ってわいた幸運に嬉しさよりも恐怖さえ覚えてしまう。

 

 それ故にか。レイナは疑問や悩みが蒸し返されていた。何よりも思うのは彼らハンターについてだ。

 モンスターを狩り人を守る姿。それはレイナのなるべき姿ではないだろうか。もしもハンターが生まれつきのものだとしたら、人ではない何かなのだとしたら、レイナにはなれない。

 だが、ハンターの一人、和也は最初にそれを否定する言葉を言った。つまり、ハンターとは職業の一種なのだ。それを理解したレイナはモンスターを狩る姿に憧れを覚えた。

 

 しかし同時に疑問がわく。彼らは何故危険を承知で狩りをするのか。その答えを知れれば、自分の悩みも解消されるかもしれない。レイナは和也へと質問をした。怖くないのか、と。

 

 

「怖くないわけがないな。恐ろしいとか、怖いとか、逃げたいとか。そうした気持ちは当然ある。――けど逃げちゃいけない。逃げたらだめなんだ。逃げずに戦うのがハンターだからな」

 

 

 

 和也はそう言った。つまりハンターというのもまた、義務だ。彼らにとってそれはしなければならないことだ。

 夜、寝る前にまた質問をした。やはり和也は答える。俺がやらなければ誰がやるのか、と。

 

 レイナがやらなければ誰がやったのだろうか。レイナが助けを呼びに行かなければ誰かが行ったのだろうか。いや、それはないだろう。きっと、恐れて引きこもって過ぎ去るのを待っていたに違いない。

 

 レイナにとって生きることは義務でしかない。日々のそれもまた義務だ。それはハンターにとっても同じようだ。

 胸に何か穴が開いたような感覚に陥る。何を期待していたのだろうか。レイナは目を閉じた。

 

 

 ギギネブラを見つけ、戦闘になって。和也がギギネブラの毒にやられた。レイナは今こそ自分の出番だと思った。戦闘に直接役に立てない。けれど、和也を回復させることならできるはずだと。

 わき目もふらずに和也の元へと走る。和也が生きていれば、和也と劉がいればギギネブラを倒せ、村に平和が戻ると思って。

 その姿はある意味で純粋だ。和也しか見ていない。その姿はある意味で異常だ。和也しか見ていない。レイナは、横から迫るギギネブラを見ていなかった。

 

 視界の端に白い影が映ったとき、レイナはぴたりと足を止めた。そこに意思は存在しない。ただ、恐怖と驚きと絶望と失望で、彼女の足が動くことを拒んだ。

 

 ――殺される!

 

 そう思って目を閉じる。ガィィィィィンという轟音が洞窟内に鳴り響いた。

 

 音はこれども衝撃は来ず。薄らと目を開けると目の前には劉の背中があった。

 

「馬鹿野郎! 死にたいのか!」

 

 劉がその体で代りに受けたのかとさえ思ったが、どうやら大剣を盾にして防いだようだ。

 死から免れた安堵、怒鳴られた恐怖、助けられた感謝。それらが綯い交ぜになって混乱を誘う。

 

「くそっ、ヨウ足止め! リンは和也の剣をさらに突き立ててやれ!」

「がってんニャ!」

 

 咄嗟に劉が指示を飛ばす。劉にとって和也をまねただけのもので、意味は大きくないだろうと思ってのものだった。しかし効果は正しくおこる。特に抉られた毒腺の傷は大きいようだ。

 劉は武器を抜いて体を武器とギギネブラの間に割り込ませた。毒腺へと、尾へと注意を向けた姿にチャンスを悟ったのか、ギギネブラへと攻めるようだ。そのまま刃を上へと向け、肩を支点に180°回転、ギギネブラに振り下ろす。

 

 

「グギャアッッ!!!!」

 

 咆哮ともつかぬ悲鳴を轟かせ、ギギネブラはその体を地へと沈めた。首から大量の血を流し、ピクピクと動いている。動いてはいるが……どうやら絶命したようだ。

 

 

 ほっとレイナの体に安堵が駆け巡る。が、振り返った劉の顔を見て縮こまる。

 

「なんであんな真似した! 死にてえのか!」

「だ、だって、和也さんを助けないとって思って……」

 そうしないと全滅する。白鳳村も救えない。その為なら私の命なんて。レイナはそう募る。

 

「馬鹿野郎っ!」

 

 劉の怒声が響いてレイナはまた体を震わせた。

 

「それでお前が死んだらどうすんだ! 俺も、和也も、俺らは……誰にも死んでほしくねえんだ……」

 

 劉は搾り取るようにそう呟いた。

 

 それはまた、レイナを悩ませた。和也にとって狩りは義務のはずだ。義務というのはやりたくない嫌なことのはずだ。それなのに、誰も死なせたくないというのはどういうことか。レイナも誰も死なせたくないと言う感情は当然のごとく理解できる。けれど、和也の義務と死なせたくないと言う感情がうまくつながらなかった。

 

 混乱して、悩んで、レイナは押し黙る。それを劉は萎縮と取ったのか、見ていられないと背を向けた。

 

「無茶をしないでくれ。――死なないでくれ」

 

 ただ、ぼそりと呟いたであろう声。何も音のしない洞窟内で木霊した。

 

 

 猫人の集落でレイナは疑問に思った。猫人は自由気ままな一族だ。それを知らないものでも絶対にそうだと言い切れるほど彼らは自由を体現している。それ故に疑問に思った。

 

「皆……お仕事をしなかったりはしないのですか?」

 

 自由奔放に生きる姿を見ているとそう疑問がわいてくる。今は休憩中だが皆あちこち走り回って飛び回って、5歳程度の子供のよう。それ故に仕事などしたくないというモノは多いのではないかと思うのだ。

 

「そうでもないよ。猫人は遊ぶときは遊んで仕事するときは仕事だから」

 

 リンではないが黒い毛のメラルーが答える。公私のメリハリが効いているということのようだが、レイナにはやはりいまいちピンとこない回答だった。

 

「遊ぶのが好きな子は、仕事よりも遊んでたいと思うのではないのですか?」

「そうでもない。仕事は仕事、遊びは遊び。どっちも楽しい」

「仕事が楽しい……ですか?」

 

 仕事というのも義務だ。やはり楽しいという感情にはつながらない。やはり疑問になる。

 

「楽しい。嫌々やってもつまらないし成果も悪い。だから楽しんでやる」

「楽しんで……ですか」

 

 レイナにとって仕事とはなんだろうか。ただの義務であり、生きる理由だ。そこに楽しさなどない。レイナはそうでなければならないから。

 

「やりたいこととやらなきゃいけないことは違うけど、一緒じゃいけないわけでもないよ」

 

 あ……。

 

 そう、心の中で声がした。それはレイナの声。単純な答えに気が付いた呆けた声。

 レイナにとって仕事は義務だ。だからそれを楽しいということが理解できなかった。和也が義務だからと怖くても戦うのかと思えば、他所の村のことに真剣になる理由がわからなかった。紅呉の里でも白鳳村でも、人が笑って仕事をするのがわからなかった。どうして、レイナと同じことをしていたはずなのに、母は笑っていたのかわからなかった。

 

 その答えは単純なことだった。ただやりたいことをしていただけなのだと、ずれていた歯車がカチリとはまった。

 

 

 白鳳村総出でモンスターを探る。そう決まった日の晩、レイナは一人夜空を見上げていた。モンスターがいるのだから危険ではある。だが、この時レイナは一人でいたかった。

 

 猫人の集落から帰る間、ずっとレイナは考えていた。レイナの母は村を愛していた。だから村のために働きたかった。レイナは村を愛していない、だから村のためになど働きたくない。わかりやすい答えだった。

 だが、では村が嫌いかと言えばそうではない。村を見捨てる、村の人が死ぬ。そういうことを考えると胸が締め付けられる痛みがある。何より、村を嫌いかと言われれば否定はする。間違いなくする。

 

 少し悩んで、その答えは出た。やらなければならないことよりやりたいこと。それが答えだと知って、レイナの悩みはほぼそれで解決された、いやさせていた。

 レイナは村をどうしたいのかという疑問にもそれを答えとした。レイナは――村を愛したいのだ。

 母の姿を追って、母の陰を追って、いつしか母の影になっていた。レイナは母のようになりたいと願っていたのに、いつの間にやら母と同じになりたいとなっていた。母のようにそっくりそのまま同じことをするのが正しいと思っていた。

 そうじゃない、そうではない。レイナが憧れた母の姿はそんなものではない。笑って、辛い時でも立ち向かって人を笑顔にする、そんな母が大好きだった。間違っても嫌々義務で働く人ではない。

 

 レイナは我慢することにした。モンスターの調査に名乗りをあげず、ただ誰かが手を上げることを待った。レイナの好きな人たちは皆頑張ることができる人だから。だから白鳳村を好きになるためには、まずそれを信じることから始めないとと。劉の喝もあってか、それはいい方向へと向かった。

 

 

 

 風が吹く。冷たい風が体温を奪う。けれどそれが奏でる音色が心地よい。蒼がかかった黒い空も、白と茶の地面もひっそりと並ぶ木々も、何もかもが美しく見える。考え方を変えただけで何もかもが違って見えるというのはレイナにとって驚きの体験だった。

 

「――レイナ」

 後ろから声がかかる。呼んだというよりは驚いて口をついて出たという感じのものだった。後ろを振り返ると劉の姿が。

 

「劉さん。どうしたんですか?」

「い、いや、なんでも。それより明日は調査だが……またあんな無茶な真似はするなよ」

 少々どもったことが気にかかったが、それよりもそれに答えることだろう。あんな無茶な真似というのはギギネブラの時のことだろう。

 だが、今のレイナはあの時とは違う答えを見つけている。故に心配は無用だ。

 

「大丈夫です。もうあんな真似はしません。怒られたくないですもの。それに、私決めたんです。色んな人を、白鳳村も紅呉の里も、何もかも好きになれるように、いっぱい長生きしようって」

 

 花開く笑顔でそう言った。それに顔を赤くする劉だが、光源が碌にない夜空の為にレイナは気づくこともなかった。

 

「そう、か――」

「ええ、約束します。もう、無茶はしません。私は長生きします」

 

 レイナにとって生きることは義務だった。ただいたずらに苦しめるだけのものだった。

 けれどレイナにとって生きることは楽しいことに変わった。少しだけ考え方が変わったから。

 

 私は私、レイナは他の誰にもなれない。だからレイナとして生きるしかない。そんな当たり前なことに気付いただけだ。

 

 

「おはようございます。今日はいかがですか?」

「ああ、大丈夫だ!」

 

 今日もレイナはいつもの様に村を回る。けれど、そこには笑顔があった。どうやら白鳳村のレイナは漸く生まれることができたようだ。

 


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