明るい朝日がある小さな広場を照らす。今までどこにそんな数がいたのかというほどのアイルーとメラルーがわらわらと現れ、皆一様に手を振った。
「お世話になりました。黒くて茶色いモンスターというのはこっちの方でも調べてみます」
「ニャア。できるならお願いするにゃ。そうすれば僕らも交流がしやすいにゃ」
代表として和也と一人のアイルーが握手を交わす。アイルーは身長差の為にタルの上に乗ってだがやはりその姿は堂々としたもの。自由な猫人達をまとめるものとしての風格がにじみ出ているようだ。
「それでは。お元気で」
「にゃあ、皆さんもお元気で」
最後に頭を下げて背を向けた。沢山いる猫人の代りに頼りになる仲間たちが視界に写る。一日休んだことで顔色もよくなっていた。
「っし。じゃあ行こう。さっさと村に戻る」
和也の声に頷く全員を見届け、そのまま歩きだした。
来るときは洞窟を通ってきたが、帰る時はもっといい道があると聞いてそこを通る予定である。洞窟の中をそのまま通るのに比べればまだ温かく距離も短いが道は困難でどちらの方がましかは少しだけ悩んでしまいそうだ。
「長居しすぎたな」
「そうか? 別にのんびりしていたわけじゃないんだから仕方ないと思うが」
「それはそうだがな。早く戻らないと成否を教えられない。やきもきしてるだろうからな」
それを聞いて不満顔になる劉。納得できないものを無理やり飲みこもうとしている顔だ。
「不満そうだな」
「まあ、な。俺はどうにもあの村は好きになれん」
劉が漏らした言葉を聞いて和也は視線を前にやった。その先にはレイナが集団の先頭を歩いている。どうも俯きがちだがそれでも転ぶようなことはなくしっかりとした足取りだ。隣を歩くリンのおかげかもしれないが。
会話は聞こえていない様子を見てほっとする。やはり誰でも自分の村が好きではないと言われればいい気持ちはしないだろう。
「レイナの前では言うなよ。俺も多少は気持ちもわかるが」
「ならなんでそんな気にしてやるんだよ」
「彼らの気持ちもわかるからだ。どうにかしろとは思うがだからと言って嫌いになるほどじゃない」
仕事の押しつけというものは和也にも経験がある。進んで面倒な仕事をやる時があればどんな簡単な仕事でも逃げ出したくなるときだってあった。
白鳳村の場合、命がかかっているのだから逃げ出したくなる時は多くても仕方ないだろう。危険から逃げるのは生物として当然の本能だ。
劉もそれはわかってはいるが、だからと言って割り切れない。そんなところだろうか。
「それに、レイナ一人に任せていることを良しとしているわけじゃないんだ。こればっかりは白鳳村の問題だ」
「それは……! そうかもしれねえけどよ……」
そう言いながらもやはり劉は不満顔だ。和也もそれを理解できる。まだ年若い、幼いといってもいい少女に命がけの仕事をさせている現状をそのまま良しとはできない。全員がやっているのならともかく、そうでないのだから。納得できない、納得したくない。その思考と他所の村の問題だからとの理性。その板ばさみだろう。
「劉は難しく考えすぎなのニャ。誰だってやりたくないことはやりたくないニャ」
「そうだな。こういうのはやらないといけなくなって覚悟が決まるものだ。逃げ道があるのなら逃げたいのは仕方ない。リンはレイナと仲良くしてるからどう思っているのかも聞いたけどよ、『レイナの問題でもある』と言っていたぜ」
ヨウにそれは単純すぎるんじゃあと苦笑する様子だったが、和也の言葉には理解できない部分があったらしく疑問符を浮かべている。ヨウはすっとぼけた顔をしているが理解しているとかではなく気にしていないだけだろう。
「どういうことだ?」
「つまり、誰もやらないって訳にはいかないから誰かがやるしかない。白鳳村の場合それがレイナってだけだ。これの問題はレイナが押し付けられているのではなくレイナ自身が望んでいるってことだ。どうもレイナは見捨てるとかそう言うのができないみたいだしな」
思い当たる節があるのか、劉は納得した様子だ。
「つまり、結局誰かがやるだろうとなって誰もやらない。そしてレイナがやってしまう」
「そうだ。レイナがそうである限りはこの問題は解決しない。やりたくない奴はやらない、やりたい奴がやる。その意味ではこれは何の問題にもならない。むしろ理想とさえいえる」
「そうかも……しれねえけどよ……。なんか納得いかねえよ……」
(まあ、気持ちは俺もわかるんだけどよ……)
説明を聞いても理解はしたが納得はできないという様子の劉を見て、和也は内心でそう思った。声に出せばこじれるので出すことはないが、和也から見てもレイナの姿勢はおかしい、一言でいえば『歪』である。まるで、死にたがっていると言わんばかりだ。
レイナの母親はモンスターから人を守って死んだ。ならばレイナもそれに縛られているのかもしれない。母のように生きなければならないと思い込んで、自分はそうでないといけないと己自身を縛り続ける。自縄自縛で苦しみ続けるなど愚の骨頂だ。だが、人はえてしてその泥沼に足を嵌め動けなくなってしまう。
ある意味で劉も同様だろう。村を守る、レイナを守る、そう決めたはずなのにこうして不満が顔を出す。納得した部分があれば納得できない部分がある。何よりもモンスターをまた狩らねばならないという状況が、一度沈めたそれを思い出させているのだろう。
――色々と拙いな。
劉はやはり白鳳村に不満がある。猫人の集落を見てきた分、白鳳村以外の他所の村を知れた分不満が出てきたのだろう。レイナも何か悩んでいるのか恐怖なのか、俯きがち。モンスターの正体はつかめない。
和也は彼らのリーダーだ。話し合ってそう決めたわけではないがそうなっている。ならばその務めは果たさねばならないだろう。どうにもできない問題は後回しにして、別の問題を提起しておくことにした。
「白鳳村の問題は今俺らが話すことじゃない。それよりも問題はモンスターだ」
「あ、ああ。そうだな。和也が知らないだなんてどんなモンスターなんだ……」
今まで出会ったモンスターは雑魚だろうと虫だろうと和也は知っていた。それ故に『和也が知らない』というのは劉にとって驚きと恐怖の対象のようだ。もちろん、和也にとってもそれは同様である。
「知らニャいモンスターを狩るのは難しいかニャ?」
「ああ、俺らが今まで生き残れたのは注意すべき点や特色をわかっているということが大きいと思う。初見で想定外の攻撃をされてそのまま全滅、なんてことだってあり得るしな」
「確かに……。リオレイアの時は逃げるのすら辛かったのにリオレウスの時は余裕があった」
「ニャア。ギギネブラも毒を知らニャかったら拙かったかもしれないニャ」
「そういうことだ。だから今回は討伐には時間がかかるだろうな。――討伐するならな」
含むものを持たせた和也の言葉に疑問を浮かべる劉。何も言わずともその顔がどういうことだと言っている。元より説明するつもりで言った言葉だ。相手の言葉を待たずに説明を続ける。
「俺たちがここに来た目的はギギネブラの討伐だ。知らないモンスターの討伐なんて予定にはなかった。だからそれを理由にして放っておいてもいい、ということだ」
「――本気で言っているのか?」
想定通りの反応に内心苦笑する。和也から見て劉の反応は怒る可能性が最も高いと踏んでいた。事実、言葉には棘と熱が混じっている。
モンスターがいるのを知りながら、そんな予定ではなかったからと言って放置するのは格好が悪いし、何より外道だ。その意味で劉のそれは至極もっともだと言える。だが、もちろん和也とてその外道を口にしたのにはわけがある。
「白鳳村にかまけてて、その間に紅呉の里は全滅しました。そんなことになったら目も当てられない。関わり合いになったばかりの白鳳村と、暮らしている紅呉の里。どちらに重きを置くのは考えるまでもない」
とりあえずは土爆弾もあるし問題はないだろう。だが、飛竜や鳥竜種が里近くまでやってくることは珍しいが無い訳ではない。土爆弾が尽きればどうするのか、そもそもうまく使えるのか、飛竜が来た日には通じるわけがないのにどうするのか。
加えて言うなら和也たちは紅呉の里の守護者のようなものだ。彼らにそういった考えがあるかどうかはさておき、有事の際に対応する彼らをそのように見る里の住人はいるだろう。その守護者がいない間に襲われたり、さらには他所の事情に首を突っ込んで帰らぬ人となっては堪ったものではない。
そうした説明を受けて劉も渋々理解はしたようだ。紅呉の里に重きを置くのは和也以上、その二つを天秤にかけた場合どちらに傾くのかは考えるまでもない。
加えて、ギギネブラの際も準備に時間をかけたのだ。危険はあって時間もかかる謎のモンスターの討伐は避けても文句を言われるものではないだろう。
「それはわかったけどさ……見捨てるのは後味わりいぜ。白鳳村だけじゃなく、猫人の集落だってあるんだ」
「そうニャ。それに放っておくとレイナが危ないのニャ」
しかし当然、というべきか。劉もヨウもそれを選択したくないようだ。二人とも自分さえよければという考えはしていない。このまま放っておくとレイナがどういう行動をとるのか想像できる分余計だ。
「そうだな。なら割り切れ。さっきの話に戻るけどな。白鳳村の問題は俺らがどうこうすることじゃない。極端な話本人たちが納得しているのならそれで死んでも本懐だとさえ言える。だが、死なせたくないというのなら、せめて白鳳村を助けるだなんだ考えずにレイナを守ると考えろ。そのついでに白鳳村も一緒に助けるだけだと割り切れ。時間さえあれば、レイナも考えが変わるかもしれないしな」
「そう……だな」
結局のところ、結論はそこだろう。劉がギギネブラの討伐に乗り気でなかった時も、レイナの父に必ず守ると啖呵を切ったように。正義感や義務で命をかけることは無理だ。だからその他の命を懸ける理由が必要になる。
「村が気に入るかどうかなんてくだらないことを考えるな。俺らはレイナを助ける。その過程に白鳳村があるだけだ」
「ああ、わかった」
頷く劉を見てほっとする。問題の解決には程遠いが、一先ず狩りをする上でのモチベーションは保てるだろう。
そのまま彼らは歩き続けた。途中、滑り台としか思えない急な坂を下ったので、その道を使って集落に戻ることは恐らく不可能だろう。
そうした猫人の集落を隠すための仕掛けに感心しつつ歩き続け、ついには白鳳村へと帰ってきた。
◆
壊され荒れた家を放置して彼らが隠れている貯蔵庫へと向かう。ここまで歩いている分疲労もやはりあるが、狩りの疲れは一日休めたことで大分ましなものになっている。しっかりとした足取りで貯蔵庫へと近づいた。
ギュッギュッと雪を踏みしめる音が鳴る。それだけで接近を知らせているかもしれない。もちろんこれだけではモンスターのものかもしれないので彼らも出てはこないだろうが。
「み、皆さーん! 飛竜の討伐、無事成功しました!」
近づきながら声をかけるレイナ。接近しているのが自分であるということと、狩りの成果の報告を兼ねたそれ。効果は瞬く間に現れた。
閉ざされていた洞窟の入り口が開き、中から顔を喜色に染めた村人たちが飛び出してくる。皆落ち着きなどなくし感情のままに動いていた。
「よかった! 無事だったんだな!! それに成功したってことはあいつはくたばったのか!?」
「はい! 和也さんたちのおかげで無事に!」
手を取り合って喜び合う村人たち。抑圧された環境からの解放感でいっぱいなのだろう。嬉しさそのままに子供の様にはしゃいでいた。
「みなさん、ご無事で何よりです。それにご苦労様でした」
レイナの父である村長が和也の下へとやってきた。村が救われたという安堵と、娘が無事に帰ってきたという安堵。二つの安堵で若返ったような笑顔だ。
尤も、今からそれを壊すのだから救われない。初めてこの場に来た時もそうだったなあなどと思い出す。つくづく損な役回りだ。
「ギギネブラの討伐は無事に完了しました。死骸はまだ洞窟の中に、後で回収する予定です。ただ、問題も発生しました」
浮き足立っていた村人たちが、一斉に冷水を浴びせられたかのように静まり返った。和也同様に、つい先日のことを思いだしたのだろう。和也の言う問題がなんなのか、不安を隠すことなく張り付かせていた。
「正体不明の飛竜がいるようです。近くに住む猫人達の目撃証言とギギネブラに爪痕がありました。存在は間違いないかと」
「そ、それは確かですか!?」
「ええ、白鳳村の荒れ方もそうです。元々ギギネブラならあんな荒れ方はするはずないんです。おかしいとは思っていましたがギギネブラ以外の何かがいると考えれば自然です。いることは確かかと」
そんな、やっと終わったと思ったのに。そうした悲鳴とも慟哭とも取れる叫びが沸き起こる。和也のしたことは結果として上げて落とすことになったため、その分衝撃も大きいだろう。
「な、なあ! あんたらそいつだって狩ることはできないのか!?」
阿鼻叫喚の中、誰かが言ったそれは瞬く間に伝染していった。ギギネブラという脅威を退けた和也たちは彼らにとって一縷の希望だろう。
「その前に聞きたいのですが、この正体不明の飛竜について何かご存じありませんか? 姿形、色、特徴など」
和也たちならと縋る視線が今度は村人同士で交わされた。思い当たる節はないかと彼らは一生懸命に探す。だが、誰一人としてはっきりと言葉にすることはできなかった。
警察が一般人に聞き込みをした時、こんな答えが役に立つのかと萎縮して答えることができないことがあるそうだ。彼らもまた何も知らない訳ではないのだがそれを言えずにいた。この場合、村長に報告はいっているので言わずとも村長が言うだろうという理由もあった。
自然村長の下へ視線が集中する。和也もそれを察して目を村長にやるが、彼は静かに首を振った。
「いや、わからん……。恐らくはギリスの山奥にいたものがおりてきたのだろうとは思うが……その正体までは分からん。今までにあった情報は、そ奴が強靭な四肢を持つ飛竜ということだけだ」
「四肢……四足歩行ということですか? それと色は分かりませんか?」
ここにきて新しい情報だ。彼は大したことのないものと思っているのかもしれないが、四肢を持つというのはある程度は相手を絞れる。また、攻撃方法なども多少は想像がつく。ひとまず突進は警戒だろう。
首を振って否定を示しながらも新しい情報は出てきた。ならばさらに出てこないかと期待するが村長はまた首を振った。
「四足歩行ということは間違いないと思う。だが、色まではわからんのだ。赤というもの、白というもの。命からがら逃げかえった者の証言でははっきりせんでの……」
「そう……ですか」
これまで手に入った情報を整理しよう。
まず敵は黒くて茶色い。黒というのがギギネブラのことならば色は茶色。恐らく赤と青の筋が入っている。動きは素早く目が赤く光る。強靭な四肢を持ち雪山に棲んでいる。
(なんつーか……ナルガクルガとティガレックスを足して二で割ったような奴だな。そういうのいたか……!? 思い出せ……!)
考えてみて結論はやはり謎。世界は常に動いていると考えれば和也の知らない新種のモンスターがいても不思議ではない。ゲームであったのは世界をほんの少し切り取っただけの一部にすぎないのだから。
「――やはり正体は掴めませんね。わからないのなら私たちは何もできません。正体不明のモンスターを相手取るのはリスクが高すぎます」
「そ、そんな…………」
「調べるのはできないのか!?」
「私たちだけでやるのは時間がかかりすぎますね。紅呉の里をずっと放置しておくわけにはいきませんし」
シン……と村人たちは静まり返った。モンスターを放置すると言われ、見捨てると言われたような気分になって絶望の淵に立っているのかもしれない。
静まり返り顔を青く染める村人たち。震えているのは寒さのせいではないだろう。そんな彼らに囲まれる中、レイナは一人何かを考えているようだ。その顔は思いつめているようで、けれど悩んでいるようだ。
(劉にはああ言ったけど、放置するってのはやっぱり気分が悪いな。条件は提示したが気付くか?)
ざっと集まっている村人たちを見渡す。顔面蒼白で震えているもの、思いつめたような顔をしているもの、何かを悩んでいるもの。多種多様だ。
謎のモンスターを狩るのは厳しい、何故なら正体がつかめないから。正体を掴むことは難しい、和也たちだけでは時間がかかりすぎるから。ならば、和也たちだけじゃなければいい。
和也は狩ることはできないとは言わなかった。できないとも不可能とも言わなかった。難しいと言い理由も説明した。ならばとなるのは単純だ、現に調査すればと村人の一人が言ったのだから。それを言った彼は何かを悩んで思いつめているよう。おそらく気づいているのだろう。
――狩ってほしいのなら情報を集めろ。それに協力しろ。
これが和也の示した条件だ。はっきりと明示はしていないが、既に半分ほどはそれに気付いているようだ。
モンスターを狩ることなどできないと思っていただろう。ギギネブラを狩ると聞いた時怒声を出したのだからそうだろう。モンスターは、敵うことない絶対的な上位者だと思っているだろう。それを調べるのは怖くて当然だ。
だが、怖いのなど和也たちとて同じだ。毎回不安や恐怖は押し隠しているだけで、死を振りまくモンスターは怖くて怖くて仕方ない。噛み殺そうとする牙が怖い。引き裂こうとする爪が怖い、薙ぎ払う尾が怖い、それだけで殺せそうな殺意が怖い。それに打ち勝つのに和也たちに求められたのは、死なないようにする防具でも、ましてや殺すための武器でもない。必要だったのは小さな勇気。
思いつめた顔、言葉を発さずともざわついた空気。それがどうまとまるのか、それを見守り続けた。願いが叶うならば誰かが自主的に言いだしてくれること。そしてそれは当然、レイナであってはならない。それでは今までと変わらず、レイナだけが頑張ることになってしまう。
(できれば……レイナじゃない誰かが勇気を振り絞ってほしい。けど……だめか?)
劉に言い聞かせた後、この件について和也は一つ決めていたことがあった。それがこの条件の提示、そしてそれから派生する村の行く末を占う答え。
この騒動が無事に済めば白鳳村と紅呉の里で交流ができるようになればいいだろう。今までは草原を越えることが危険だったからできなかったが、今は武器防具揃えて護衛もつければ可能になる。
だが、それを考えるならおんぶにだっこではだめなのだ。彼らが自分たちの足で歩かなければ。もしそれができないのなら、レイナを守るために最悪誘拐でもしてやろうか。それぐらいの心情だった。
その答えを、いい答えを期待していたのだが駄目だったのだろうか。このまま待っていればレイナが言いだしてしまう。ならばせめて条件をはっきりと示して反応を見てみよう。そう考えて口を開こうとした時だった。
「――戦えよ」
ただぽつりと呟いただけであろうそれ。静かになりかけていたそこに、その言葉は酷く大きく聞こえた。
声の主、劉は怒りを孕んでいるような、何かを我慢しているような。けれどそれでいて泣きそうな顔だった。"怒りを帯びた、泣いている女の顔"を表す面、般若。まるでそれを思わせる。
劉がずっと不満だったことは和也とてわかっていた。だから帰って来る前も割り切れと話しをしていたのだが、無駄だったのだろうか。
割り切れというのならこんな条件は示すんじゃなかった。脳内でそう悔やむ。割り切れというのならもっと機械的にやるべきだった、人間味が出るような方法を取るべきではなかったのだ。
そうして、怒声が響く。
「戦えよ! 他人に頼るな! 助け合いは甘える事じゃねえんだぞ!」
怒声は一瞬で響き渡り、その感情は伝染する。
劉は紅呉の里でも白鳳村から見てもまだ若造だ。若いうちに死ぬ人間が多いといっても、劉以上の年の人間など沢山いる。その若造の侮辱と取れる言葉は耳に聞こえのいいものではないだろう。
そのまま放置すれば感情論の水掛け論に発展しかねない。どう取り繕うかを社会人の経験をフルに生かして考える。だが、その前に、それすら制するように劉がさらに叫んだ。
「どうにもできねえなら諦めろ。モンスターは強いんだ。どうにかできねえことなんざ山ほどある。けど、いいのかよそれで! 俺の弟もモンスターに殺された、目の前で殺された! それはもうどうすることもできねえよ! けど、これから先もそれでいいのかよ!どうにもできねえなら諦めろ! だけどどうにかできるのなら戦え! できることがあるならやる前から逃げるな! モンスターが怖い、死にたくねえ! そんなの当たり前だ! けど! 死にたくないのなら戦え!! 自分を守ることを他人に委ねるな!!!」
シン……とまた静まり返った。それは和也にとっても同様だった。
和也は知らなかった。劉に弟がいたことを、弟を目の前で失ったことを。そしてそれが言う必要が無いほど当たり前のことであることをすぐに理解できてしまった。
言われた村人たち全員にとってもそうだ。モンスターが怖いのはそうした過去があってこそある感情なのだから。
けれどだからこそ劉の言葉は意味があった。劉の言葉は罵倒でも強制でもない。ただ焚きつけているだけだ。今まで死んでいった人達、そのモンスターの横暴を許してもいいのかと。これからも親しい大事な人を死なせ続けていいのかと。
「気に入らねえ……」
誰かが呟いた。憎悪と怨恨を秘めたような声で。
「俺らのことも、過去のことも何も知らねえ癖にでかい口叩いて気に食わねえ」
ギュッギュッと音を立てて声の主は前へ出て来た。30手前といったほどで、額と頬、それに腕に大きな傷跡がある強面の男性だ。
射殺さんばかりの視線を劉へ注いでいる。その剣呑な雰囲気に思わず身構える和也。
「ああ、気に食わねえ。何も知らないでそんなことを言うてめえも! そんなことを言わせた俺自身にも! 何より今ものうのうと暮らしているあの悪魔にも! ――やってやるよ。やってやる! 仇を取ってやる!」
その殴り掛からんとばかりの勢いで男性は啖呵を切った。それは決意表明だ。和也と劉に、そして村人に戦うと。
一人出てくると二人目が。二人出てくれば三人、四人と増えていく。その中には当然レイナの姿もあったが、誰もがやるのなら問題はないだろう。
「――代表として村長としてお願いがあります。我々も協力してモンスターの正体を掴みます。貴方方には討伐を依頼したい」
「――もちろんです、お受けします」
拳をもう片方の手のひらで包むようにして、了承の意を述べる。この日、この時、白鳳村は逃げる為ではなく戦うためにひとつになった。それは過去を乗り越える決意の証。
和也たちが紅呉の里を出てから五日。どうやら和也たちは漸く"白鳳村"に到着したようだ。