『おい、裏原。早く起きろって。いつまでも寝てるとハゲがうるせえぞ』
『――んあ?』
『んあ? じゃねえよ、起きろ』
パコンッと小気味のいい音がした。頭に響いた小さな衝撃が叩かれたということを主張している。ゆっくりと頭を起こすと目の前にはかつての同僚の顔があった。
『加藤……?』
『ああ!? なんだよ。まだ寝ぼけてんのか? もう昼休みも終えるんだ。さっさと起きろよ』
ぷりぷりと不機嫌をばらまいて去って行く同僚の背を見送って、後頭部に手をやって辺りを見渡す。
そこは和也が就職してからずっといる、なじみのあるオフィス。近代的な机とイス、それに数々の電子機器。間違っても前時代に取り残されているものは存在しない。
ああ、夢だったのか。回っていない頭がそう答えを出す。きっと昼休みを寝て過ごしてしまって、同僚が起こしてくれて。これからまたつまらない仕事の日々が始まる。
はああ、とため息が出た。大変で生きるのもつらい世界だったというのに、どうやらあの夢は自分にとってやりがいのある生き方だったらしい。
一度背もたれに背を預け、腕で目を覆い息を吐いた。ああ、本当に――
何を思ったのか。それは答えとなることはなかった。まとまりのない思考はまとまってもいないのに答えは出たと思い込んで思考を止める。
覆いをどけて机に向かい。さあ、と目を見開き……部屋の中は真っ暗になった。
『――は?』
突如暗くなった部屋。聞こえてくる風音。ゴウゴウと唸りをあげてそれはまるで迫って来るかのように大きくなった。いつの間に机も椅子も消えてしまったのか、視界には何も映っていない。何が起きたのか。その答えを出す前にそれは現れた。
白い飛竜。伸びた首とモモンガのような腕と繋がった皮膜。真っ赤な口内を見せて、内側についた輪のように配置された牙を見せて、潰れた瞳をこちらへと向けて。それは突如として現れ咆哮をあげた。
――ガアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
『ぎゃああああああああああああ!!!!!」
「うおおうっ!?」
和也の悲鳴が狭い洞窟内に響いた。近く看ていた劉は悲鳴と動きに驚き尻餅をつき、リンとヨウも目をぱちくりとさせて驚いた。和也が夢を見ていたのだと納得するまでの数十秒、彼らの間には妙な気恥しさがあったそうな。
◆
ひんやりと冷えた空気が支配する洞窟の中。人が生きるのには適さない過酷な環境の中で、和也は横にしていた体をゆっくりと起こした。
まだ頭がボーっとしている。それでも和也はだんだんと自身に起きたことを把握しつつあった。
まず気を失う前。ギギネブラの、おそらくは毒ガスを浴びたこと。当然、ここがモンスターハンターの世界で、さっきの"かつての日常"こそが夢だったということは既に分かっている。
次に地べたに座り込む和也の周りに劉とレイナとリンとヨウ、一緒にいた全員が心配そうな顔をして和也を見つめているということ。このことから襲っていたギギネブラは狩り、もしくは撃退が完了したということが推測できる。
(手足……あるな。血のめぐりもそこまで悪くない……。背中には違和感あるけど、硬い地面で寝てた以上これは当然か……)
次いで自分の状況を確認した。眠っていた間に手足がもげたというような危険なことはなく、五体満足。健康そのものとは言えずとも、危険な状態とは程遠い。血のめぐりだって悪くないのだし、ギギネブラのあれは毒ガスじゃなかったか毒が弱かったか、それとも解毒薬か。なんにしても毒に侵されているということもないようだ。
「――ギギネブラはどうなった?」
大体のことを理解し終えてまず尋ねるはそれだ。元々の目的であり、推測でも狩りか撃退かまでは結論を出せなかった。答えを知るであろう劉らに尋ねるのは当然だ。
悲鳴を上げた後の最初の言葉がそれだったことに少々驚いたらしく、劉は目を開く。が、それも一瞬。気を取り直して質問に答えた。
「倒した。少し手こずったけど首を切った。死骸もあそこにある」
言いながら首を後ろへと向ける。劉の体に隠れて和也には見えないが、その先には首のないギギネブラの胴体が転がっている。血の気が引いたためにもはや雪のような純白さと、毒腺がまだ蠢き波打つようにびくびく動いている悍ましさを兼ね備えているという微妙な光景だ。寝起きに見たくない光景であることは請け合いで、劉が見せないのはその配慮なのかもしれない。
戦闘の流れはそう難しいことはなかった。
ゲームでの話であるが、もしもどちらも下位、もしくはどちらも上位などだった場合、ギギネブラよりリオ夫妻の方が強者である。その素材を使った武器は当然切れ味や丈夫さという意味でも優れ、ギギネブラを傷つけることは難しくなかった。少しずつダメージを与え、動きが鈍ったところを首を切って落とすことができたという訳だ。
「そうか……。悪いな、迷惑をかけた」
「いや、大丈夫だ。俺らが狩れたのだってお前が尻尾に剣ぶっさしてくれてたからだと思う。あれを最後に尻尾からは毒を出さなかったしな」
和也の、リオレイアの素材をふんだんに使った片手剣によりギギネブラの尾の毒腺は破壊され、腹側の毒腺も予備動作が大きく距離を保っていた劉たちにはそこまで脅威ではなかったようだ。予めわかっているということの大きさが良く理解できる形となった。
「レイナは……大丈夫だったか?」
「は、はい……。その、私は大丈夫でした」
大丈夫でした、と言うレイナには確かに外傷はない。劉やリンたちは浅いが傷がいくつかある。和也とて裂傷や切傷が多少はある。回復薬による回復――すぐに傷がふさがるというほどではないが、治癒力が高まる――で良くなってはいるが、戦闘の直後ではさすがに目につく。レイナには見受けられないというのであれば、言葉の通り大丈夫だったのだろう。
だが、レイナは浮かない顔をしていた。目はやや閉じられ伏せがちに、眉も力なく垂れ下がり、口は言う言葉が無いというように閉じられている。
その何とも言えない雰囲気に劉へと目をやる。
「……。早速で悪いが見てもらいたいものがある。いいか?」
「ん? ああ、まあいいけど……」
(なんだ? なんというか……らしくないな。何があった?)
劉の態度に違和感を覚えながらも、立ち上がった劉に従って同様に立ち上がる。ずっと――さすがに数時間というほどではないが――寝ていた後の為に足は血が巡っていないと痺れがあった。それでも無理やり足を動かし付いて行く。
「こいつの……この部分なんだが」
そういって見せられたのはギギネブラの左の脇腹だった。純白と赤黒さの境界線付近に目をやる。その悍ましさに目を潰したくなるがそれを我慢すれば劉の言わんとすることはすぐに分かった。
三本の線がギギネブラの体に走っている。それは深く、深くギギネブラの体を抉るようにして走っている。直線ではなく途中でまがった曲線、だが三本がすべて同じ位置で同じように曲がっている。まるで、三本のナイフを並べて切ったかのように。
「――爪痕、だな」
「そう、だよな。これはつまり……そういうことだよな」
そう、三本の揃ったナイフによって斬られたのだ。傷痕は真新しく、おそらくだが和也たちが遭遇した時点で既に弱っていたのだろう。昨日今日の傷ではないが、数か月と前のものでもない。恐らくはつい最近なのだ。三本の、ナイフの如き爪を持つナニカと争ったのは。
(――村を荒らしたのはそいつか……)
ギギネブラが白鳳村を荒らしたと考えることに違和感があったことを思いだす。だが、それはギギネブラではない別の飛竜の仕業だと考えれば筋が通る。問題は、目撃証言もなく、この爪痕だけではその正体を掴めないということだ。
「――移動しよう。できればこいつの遺骸も持って帰りたいが……まずは帰って休んだ方がいいな。飛竜の件はその後だ。山奥に住んでいるのなら関わらずに済む」
「ああ、そうだな。実は和也が目を覚ます直前に妙な轟音があってな。気になってたんだ。たぶんモンスターのものではないとは思うが……さっさと動いた方がいいよな」
「それは……そうだな。というか先に言えよ」
わりい、など頭を掻く劉を見てどうでもいいか、と考える。実際問題なかったのだからという結果論だ。本来、どうでもよくないし、モンスターっぽくないなどまったくモンスターでない保証にはならない。その意味でもっと強く言ってもよかったのだが、やはり迷惑をかけた後では強く言いづらかったようだ。
まだ少々気落ちしている様子のレイナやリンとヨウに声をかけ、彼らは白鳳村へと変えるべく歩く。
色とりどりの鉱石が散らばる内壁をのんびり見ながら、ギギネブラとの遭遇前に使った洞窟の出入り口へと向かう。携帯に適していない荷物は全てそこで、大タル爆弾も近くにあったはずだ。
徒歩で歩き、おおよそ15分。彼らは迷っていた。
「え、ええと、この辺りのはずなのですが……」
案内を務めるレイナも自信なさ気だ。それもそのはず、彼らは出入り口があったはずの場所に来ている。というのに出入り口は見当たらないのだ。多少話脇道もあったが幹道を通ってきたために道を間違えたという可能性は低い。
何かヒントはないか。どこかに道はないか。首を振って探す和也。レイナも何かヒントはないのかと忙しなく探している。道を案内するのはレイナの役目である分、ここで役立たないとと必死なのだろう。劉はどうしようもない苛立ちを抱えているように、頭を乱暴に掻いていた。
「カズヤ」
静寂に近かった洞窟内でその声は良く響いた。自然、呼ばれていない劉やレイナ含めて声の主へと視線が良く。声の主、リンは洞窟の壁の傍でしゃがんでいた。
「どうした……?」
リンの方へと向かう。途中妙なことに気付いた。周囲の壁に比べて、その部分の壁は荒っぽい。他はなだらかな壁で長い年月をかけて風化させていったのだろうと思わせるのに、その部分だけ岩を適当に重ねて作ったかのように凹凸が激しい。
嫌な予感がするな。そう思いながらリンの横でしゃがみこむ。
「これ。たぶん残骸の一部だと思う」
そう言って見せられたのはリンの手と同じ黒いかけら。熱にやられたらしく、既に炭化しているが物としては木片だったようだ。やや湾曲しているそれを見て、和也の脳内でパズルが解けた。
(ここは出入り口……大タル爆弾を置きっぱなしにしていた所か。何らかの衝撃で爆発して、天井が崩落した。劉が聞いたという轟音はその爆音……)
理解して和也は顔を歪めた。眉に力を入れ奥歯をかみ砕かんとばかりに軋ませる。
その説明でつじつまが合う。それ故に理解する。自分のせいだ、と。大タル爆弾を忘れて、そのせいでギギネブラとの戦闘はつらいものにした。毒に負けて昏倒してしまった。そればかしか忘れて置きっぱなしにしていたことでこうして戦闘の後にまで影響を与えている。
脳内に思い出すは古い記憶。くだらないどうでもいいことを間違えたと責めたてる禿げた上司の記憶。嫌な夢を見てしまったせいでくだらないことを思いだす。
「ごめん、俺のせいみたいだ……」
「――どういうことだ?」
「大タル爆弾」
考え込む様子を見せたがその一言で劉も理解したようだ。納得した顔を見せ、困り果てた様に俯いた。
「すまん……」
殴られようが罵られようが仕方ない。そう思って頭を下げる。
「あー、いや、仕方ねえ。というより忘れてたのは俺も同じだし。別に和也のせいじゃねえよ。なあ」
「そうニャ。忘れてた皆が悪いニャ」
「同じく」
罵倒の言葉が無いことに驚き――と、不安を感じながら、疑念に苛まされながらも考えを述べる。
「じゃあ、とりあえず大体で行こう。出入り口は他にもあったはずだし……で、いいよな」
「ああ。んじゃ行くか」
特に気負いも我慢もない様子でそう言って劉らは歩き出した。その背を見てほっと息をつく和也。遅れないようにと、防具をガチャガチャ言わせて駆けだした。
本人さえ気づかぬうちになっていたマイナス思考。それは誰にも気づかれぬうちに消えて行った。
◆
別の洞窟の出入り口を探し始めて一時間。彼らはずっと洞窟を歩き続けていた。道はいくつにも別れ、そしてそのうちの半数がすぐに行き止まりとなる。道というよりは大きめの穴という程度だ。だが薄暗さが穴だということを隠してしまって、確認するまでは分からなかった。
歩き続けることで体力を奪われる。そうでなくとも寒く歩きにくい場所だ。出口が見つからないという閉塞感と焦りが体力の消耗を加速させる。
「へくちっ」
「レイナ? ――リン、ホットは?」
「ない……。ごめん、レイナ」
「へ、平気です。ちょっと寒くなってきただけですから……」
彼らの暖を取る方法であるホットドリンクも既にない。松明などすでに消え、燃やすものもないから火薬草も使えない。いざとなれば服を脱いでそれを燃やせばいいかもしれないが、それはそれでその後が寒さに耐えられなくなってしまう。今はカイロ代わりに各自一枚ずつ持っているだけという状況だ。それでも無いよりはずっとましだが。
状況が非常にまずいものであることを誰もが感じていた。モンスターと出会わないで済むのは幸いだが、それでもこのままでは寒さで死んでしまう。
(まずいな。早いところ何とかしないと……。ホットが少なくなった時点で一度引き返すべきだったな)
既に過ぎ去ったどうしようもないことを後悔する。早く狩らないとと焦っていたことが狩りだけでなくその後にまで影響を与えている。焦りというものがよくない感情だということなどいまさらだが再確認した状況だ。
(意味がないからやる気でない。やる気ないから怒られて……。そんな悪循環が嫌だった。くそっ、ここでも繰り返す気かよ。繰り返して……たまるかよ……!)
目が覚める前に見た夢。それがまるで今の和也を責めるかのように脳裏に再生されていた。くだらない上司、くだらない説教。嫌で嫌で仕方なかった日常が今の和也を貶める。『ほら、お前はこんなにも役立たずだ』と。
焦りなど意味はない。焦ることでよくなることはない。だというのに焦りは消えることはない。一分一分が過ぎるたびに焦る理由だけが増えていく。
そうした悪感情は和也だけのものではなかった。大タル爆弾を忘れて、轟音に気付いていたのに無視していた劉。戦闘でも役に立たないどころか迷惑をかけ、そのために来た案内ですら役に立たないと恥じるレイナ。自前の毛皮を持つリンとヨウは寒さにはまだ強かった分ましだったが、人間たちは皆苦しんでいた。
「ねえ」
静寂の中の洞窟にリンの声が響いた。一人足を止めて最後尾からの声。疲れた動作で振り返る。
「リン?」
「たぶんなんだけどいいかな」
「リンくん……?」
「案内。たぶん近くにあると思うから」
覚悟を秘めたかのような瞳を向けられて思わずたじろぐ一同。その有無を言わさぬ迫力に誰ともなくうなずいた。
「こっち。ついてきて」
そう言ってリンは先頭を歩く。数分も経つと今まで向かうことのなかった方向へと進みだした。麓ではなく山頂に向かっているかのような方角。だが、疲れから思考を放棄した彼らはそれに気付くことなく歩く。
最初に異変に気付いたのはレイナだった。その声に釣られて和也たちも気づく。まだ洞窟の中にいるというのに、少し明るくなっていた。
和也は天井へと目を向ける。相変わらずの岩肌ばかりだが、その中に澄み渡る青が見えた。
(青空……が見えた。だから明るく……。リンはどこへ……)
途切れ途切れの思考をつなげて、それでも歩き続けた。そのまま数分。和也たちの目の前に急に視界が開けた。
岩と木材に囲まれた小さな、けれど自然にできたと考えるには不自然に広い広場。焚火を焚いたらしく煤けた木片。
誰かが住んでいる里のようで、けれどそうだと考えるにはあまりに環境が過酷すぎて。疲れも相まってどこに来たのか和也たちは見当をつけることができなかった。
「よかった……。こっち」
安心したように呟くリンに付いて行き、そのままその広場を抜けた。通るついでに視線を広場へとやる。
あるのは火をつけたのだろうたき火や、風から身を隠すためであろう風防がいくつかある。だが、それらすべてが和也から見て"小さすぎる"ように感じられた。
(なんだろう……子どもだけの村? それにしても……まるでリンやヨウぐらいの……)
あ……と気付く。いくらまとまらないといってもここまで答えが出てくれば気づけたようだ。
「リン……ここはもしかして……」
「うん……」
先頭を歩くリンが横へと動いて体をどけた。そこには小さなテントや丸太を組み合わせただけのアスレチックのようなものが並ぶ集落。
ここに住む住人達が元気に騒ぎながら和也たちを見ていた。並ぶ白と黒の顔を見て、呆然とする劉とレイナ。
「ここは僕たち、猫人の集落。たぶんあると思ってたけど良かった……」
小さな白と黒の猫たちを前にして、ほっとしたという声だけが聞こえていた。
◆◇◆
猫人とはアイルーとメラルーを指す言葉である。猫、とだけ言った時さす対象は意外なほど多い。ナルガクルガやラージャンなどまで含むと言えば、その対象がどれだけ広いかわかるだろう。
人間の子供程度の大きさで、姿は地球の猫を二足歩行にしたような風貌だ。性格や個性も多様で毛の色も白黒青赤と多種多様。ここには百に迫るほどの数がいるが、一人として同じ姿はない
好奇心旺盛に和也たちを観察する者がいれば、真逆な反応である怖がって距離を取る者もいる。ただ突然現れた和也たちに興味を示しているという点では皆同様だ。
もちろん和也たちもそれは同様である。レイナの驚きに彩られた表情からもそれは簡単に察することはできるが、近くに住んでいたレイナでさえこのような場所の存在は知らなかった。それも考えれば驚きもひとしおというところだ。というより、リンとて『たぶん』だったのだが。
「ごめんなさい、とりあえず温かいものでも頂ければと思ってきました。お仕事はするので何かいただけますか?」
自然な流れでリンが代表として言葉を紡ぐ。それを後ろで見守る和也は、自分が紅呉の里を初めて訪れた時のことなどを思い出したりしていた。あの時は孝元が代表として和也の相手をしたのであった。ここも同様だろうか、と考える。
「お腹が空いてるの? ならご飯?」
「いやいや、ご飯より飲み物だよ」
「それより着物じゃない?」
「ねえ、僕もお腹すいた」
「あ、僕も空いた」
「あ、じゃあご飯にしようか」
「そうしよう。ご飯ごはん」
「今日のご飯どうしよっか」
「うーん、ラトの実でいいかな。あれ? 何か忘れているような……」
見事なまでのまとまりのなさであった。まとめ役などなく全員が思い思いのままに喋っている。自然に素でやっている連想ゲームの如き会話には呆れなどより驚嘆さえ覚えられた。
「ごめんなさい、とりあえず温かいものでも頂ければと思ってきました。お仕事はするので何かいただけますか?」
リンが同じことを繰り返した。苛々しながら、とか、感情のこもってない声で淡々と、だとかそういうことなく抑揚も同じようにつけて、だ。そのいかにも『慣れました』と言わんばかりの姿勢を見て思わず同情の念が湧き上がる。
(リン……お前きっと、昔っからこんな感じのに囲まれてたんだな……)
思えばリンはよくヨウの世話を焼く。ヨウが調子に乗るとため息をつきながら窘めている。その古くからの付き合いがあるという行動は相棒を思わせるものだったが、もしかしたらヨウだけでなく世話を焼く対象はもっといたのかもしれない。
幸いにして彼らの連想ゲームは再燃することなく、要求は受け入れられた。一人が近づいてきて和也たち一人一人に何かを渡してくる。
「これは?」
「レッドビートルだニャ。食べればたちまち体が熱くなるにゃ」
見た目は真っ赤な色をした芋虫である。元気にうねうねと和也の手の上で動いている。ランポスの皮を通してであるが、その動きが掌に伝わって、見た目も相まって気持ち悪い。
「おっ、意外とうまいな」
「うぅ……食べにくいです。あ、でも暖かく……」
視線をやるまでもなく、二人は既に食べているようだ。元々この世界に住んでいるだけあって、虫を食べるのには抵抗が無いようである。そもそも白鳳村に住むレイナは和也にとっても知らないが、劉は虫を現在も食べているのだから抵抗などあるはずがない。
(ぐっ……これも俺が招いた事態。俺がわがまま言うな! 俺のせいじゃないはずなのに理不尽に怒られるのに比べればこんなの……!)
気合と義務感を胸に、掌を一気に口に押し当てた。口を勢いよく閉じるとぐにょりとなんとも言い難い触感が口内に残る。だが、変化はすぐに現れた。
(おっ、おおっ!? 口の中が熱い。なんだこれ温かくなってきた)
和也の精神がどれだけ拒もうとも、和也の体は寒さに震えずっと熱を欲していた。そこに熱を得る手段が与えられたのだ。もはや拒むことなど考えられず、和也は無意識のうちにそれを咀嚼していた。
ごくりと飲みこむと今度は熱が肚の底へと動く。ぽかぽかと体に生きる力を与える何かが自分の中に現れた。
「念のため回復薬も飲んでおいて。体力消耗してるだろうし」
「ニャ。貰った分働かないといけないニャ。僕も頑張るからお仕事ニャ」
無言でうなずくリン。回復薬を各自取出しそれを一気に飲み干す。
熱と体力を取り戻し、良しと力を入れる和也。同じように力む劉とレイナ。文字通り元気を取り戻した。
「じゃあ、頑張るニャ!!」
「おうっ!」
元気を取り戻した二人が、いつもの調子を取り戻す。それに釣られてか和也とレイナもクスリと笑った。彼らが皆、やっと平常へと戻っていく。
「それでリン、仕事って何すればいいんだ?」
「聞かなきゃわからないけど困ってることのお手伝い。たぶん力仕事があると思うからその辺」
ちら、と視線をやると待ってましたとばかりに一人のアイルーがやってくる。薄青色の元気いっぱいな子だ。
「君たちにはおうち作りを手伝ってもらうにゃ。案内するからついてくるにゃ。そっちのお姉さんは別の案内をつけるからそっちの手伝いをお願いするにゃ」
「わっわかりました」
薄青色の仔について歩く。劉は既に畑らしい場所で鍬のようなものを振り回している。すぐ近くでヨウも同様に頑張っていて何とも微笑ましい。指導しているらしいアイルーが妙にお爺さんのような風貌なのが印象的だ。
ついた先には丸太が数本置かれていた。直径20cmほど、長さは1mにも及びそうな巨大な丸太だ。身長30cmほどのアイルーたちがどうやって運んだのかと和也は疑問を抱いたが、和也たちと同様にここを訪れた人に施しを与え代わりに手伝ってもらうというギブアンドテイクによるものだ。いつ人が訪れるかなどわからないのだから気が長いにもほどがある。
「これを組み立てておうちにするにゃ。どうやって作るのかは任せるにゃ」
自分たちが住む家を、作り方まで任せるという適当さを発揮。お気楽だなあなどと和むか呆れるかは人それぞれだろう。和也は呆れが勝っているが、劉ならば間違いなく和んでいる。
その感情をどうすることもなく、家づくりは開始された。
「リン、アイルーってこういう子たちばっかりなのか?」
丸太を立てながら思わずと言った風に質問を漏らす。ヨウといい、この世界で出会うアイルーはどうにも牧歌的というか、のんびりでおおらかな印象である。
「人による。ヨウみたいに適当なのがいれば、もっと臆病慎重冷静沈着な子だっている。要は個性」
「そうなのか……。どうもこうして出会っているのはおおらかな子が多いからなあ……」
この集落にだって臆病な子がいるようだとは和也も見つけている。だが全体の比を考えればそういった子は少ない。それに、臆病がちだといっても怖いもの見たさのようなものはあるのか、和也たちに対する興味は十分すぎるほどあった。それも併せて考えるとやはりおおらかだと言わざるを得ない。
「それはここが人里の傍だから。人里の傍に住む猫人は大体こう。時折訪れる人に協力してもらいながら生活してる」
「人里の傍だから、か。その割にはレイナも知らなかったみたいだけど」
「場所が場所だから。それに僕たちは人に比べれば力は弱い。下手に人を招くと搾取される」
「ああ……」
モンスターが跋扈する世界だというのに、いやだからこそなのか。やはり弱いものは弱い者同士で協力するよりさらに弱いものより搾取するということが多いのだろう。
猫人の集落は確かに訪れる人を歓迎する。だがだからと言ってくる者を拒まずという訳ではない。危険人物や堕落的な人物は招けば悪いことしか起こらない。そうした人物は来れないように罠を張るか、自然物でうまく隠すかなどをして誤魔化している。
当然というべきか、和也たちが接近していたことに彼らはだいぶ前から気づいていた。だが、和也たちは防具を着て物々しい装いではあるが、疲労困憊ということは明らかであり拒むことはないと判断された。危険が無いわけではないことはわかっていたのだろうが、そこは人がいいと言ったところか。
一度偶然訪れたというだけの人物は以降訪れようにも道がわからず、というより道などないのだから迷ってしまう。何とか目印などから近づけてもアイルーたちが拒めば辿りつけない。元より人はあまり里の近くからは出たがらないのだ。自然、アイルーメラルーの存在だけは伝わってもその集落がどこにあるのかまでは伝わらなかった。
そのような状態で人が尋ねてきたら仕事を手伝ってもらおうとこうして丸太を放置しているのだから本当に気が長い。
数時間後、丸太を立て掛け布をかぶせただけのかなり適当な造りの家が完成した。それでもアイルーにとっては問題なかったのか、もろ手を上げて喜ばれた。
「じゃあご飯にするにゃ。もうそろそろできるから一緒に食べるにゃ」
「え、いいのか?」
「もちろんにゃ。ご飯は皆で食べるにゃ」
威勢よく薄青色は告げると付いて来いとばかりに歩き出した。その背中について歩くが、心なしか嬉しそうに尻尾が横に揺れていた。それが家が完成したからなのか、それともご飯だからなのかはわからないが。
歩いて行った先は最初に見つけた小さな広場で、既にアイルーたちが集まっていた。その中には劉とヨウもいる。
「よう、お疲れ!」
「元気だなお前。レイナは?」
「劉はお仕事も順調だったしアイルーたちと遊んで大満足みたいニャ。レイナはあっちニャ」
元気いっぱいとばかりに、疲れなど知らんとばかりの劉に少々驚いた。ヨウが言うことから考えれば、アイルーたちと遊んだことによるリラクゼーション効果ということかもしれない。体力は消耗しても精神的には充足したということか。それを告げるヨウの声にはどことなく棘があったが。
あっちというのに従って視線をやるとレイナがいびつで巨大な鍋のようなものの前でお椀に何かをよそっている所だった。
「レイナは給仕? いや料理? まあいいや。それぞれちゃんと仕事割り振ってたんだな」
「ああ。その辺ここはしっかりしてるよ。働かざる者食うべからずとは感動した」
人間に比べれば小さい故に協力は不可欠なのだろう。それ故に彼らは仕事というものに少々シビアな考えさえ持ち合わせている。反面、仕事をすれば食事は出すというスタンスなのでこうして和也たちもありつける。
――そういえばこいつ、白鳳村にあまりいい印象抱いてなかったっぽいんだよなあ。
そんなことを和也は思い出した。レイナに頼りきりだと劉には写っていた分、余計にここの助け合いは良く見えるのだろう。
「ああ、それとな」
そう前置きをして何かを告げようとする劉。どうやら大事な話らしくその顔は真剣そのものだ。
「アイルーたちに聞いたんだがやっぱり近くに飛竜がいるみたいだ。大物がな」
「――やっぱりか。どんな奴かわかるか?」
「それが……な。全身真っ黒だっていうのがいれば茶色いっていうのもいた。真っ白と腹が赤っていうのもいたがこれはあのギギネブラのことだろうが……、全身黒くて茶色いってどんなのかわかるか?」
「い、いや、わからん。というか全身真っ黒なのに茶色いってどういうことだよ」
相手の予想を立てる重要な目撃証言だというのにわかりやすい色ですら証言が異なるとはどういうことか。しかし、と疑って考えてみれば難しいことではないと気づく。
「なあ、真っ黒ってのもギギネブラじゃねえか? 興奮していればあいつは真っ黒になるし」
「あ、なるほど。後動きが速くて目で追えないほどだってのもあった。その際真っ赤な目が印象的だったらしい。つまり、茶色い飛竜で動きが素早く目は真っ赤。どうだ、結構わかりそうじゃないかと思うんだが」
「――――わかんねえ。なんだそれ」
動きが素早く目が真っ赤。そう言われて考え着くのはナルガクルガだ。ただ単純に速いというよりダイナミックな動きをするからなのだが、それを初見ならば確かに目で追えないほど早く写るだろう。
だが、ナルガクルガは原種が黒、亜種が緑、希少種が薄い青で茶色など存在しない。全身真っ黒というのがギギネブラではないとすればナルガクルガで納得がいくのだが、ギギネブラはどう見間違えても茶色ではないだろう。
(ついでに言えばギギネブラの腹にあった爪痕。あれをナルガがやったっていうのもなんか想像つかねえな。ナルガと言えば尻尾を使った攻撃が多いイメージ……爪もあったろうが刃ついてるし……)
何度も考えを反芻するがやはりわからない。目撃証言がばらばらというのは推理ゲームでもある展開だが、命がかかっているときにやられてはたまったものではない。
「わからん。とりあえず飯の後にもう少し話を聞いてみよう」
「ああ、そうだな。もう少し……」
だが、食後に聞いても証言は大きく変わらなかった。それどころか全身茶色に蒼い模様があったような気がしたなどと言う証言まで出てきてしまい、ナルガクルガだなど思えなくなってしまう。
結局、彼らがそこを後にするまで、その正体はつかめないままだった。