モンスターハンター――ハンター黎明期――   作:らま

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にじファンで昔書いたものを書き直し。設定とノリだけで書いたものだったので、ほとんど違う作品にはなっていると思います。というか、あれを読んだ人はそんなにいないはず。
ではどうぞ


紅呉の里
第01話 ホウレンソウは大切に


 ジリリリリと騒々しく鳴る目覚まし時計が狭い1LDKの安アパートの一室内でよく響いていた。その騒がしさの中だというのにすぐそばで布団の中でうずくまるように寝ている家主はいびきをかいて起きる気配がない。男、裏原和也は昨晩25時に帰ってすぐに布団の中に入ったのだ。現在6時、それを知るものならもう少し寝かせてやりたいと考えるのが人情だろう。

 

 ジリリリリ、ジリリリリと目覚まし時計は鳴り響く。目覚まし時計はそんなことは関係ないと騒々しい音を鳴らす。彼の物には人情などありはしない。もしもあったとしても、起こせと言ったのは主である男なのだからその職務を全うすべく音を鳴らすのが正しいのかもしれない。願い叶ってか、裏原和也はもぞもぞと動きを見せた。

 

「――起きよ」

 

 目を開けると同時に彼はぼそりと呟いた。本音を言えばもっと寝ていたいと思っていることは明白で、さらに言えば仕事に行きたくないと思っていることさえ見て取れる。それでも彼は生活の糧を得るためにと己を奮起して仕事に出向く。くたびれたスーツに袖を通し、形ばかりの朝食を胃の中にかっ込んだ。

 

「いってきます……」

 

 長年の癖か、返ってくるはずがないとわかっていながらそう言って扉を閉めた。理解していた通り返ってきたのは扉が閉まる音だけで、理解できていてもそれは寂しさを感じさせた。

 二階の部屋から出て階段を下りて自転車にまたがる。冬の朝は寒く日差しも熱を感じさせずただ寒さだけが募る。周囲を見渡してもあるのは凍えそうな張りつめた空気だけ。苦労して買ったであろうマイホームが立ち並ぶ住宅街は人っ子一人見当たらなかった。

 足に力を入れて進み始めるも、寒さ故にか体は軋む。自転車をこぐ足はすぐに疲労から来る悲鳴を上げ、冷たい空気を吸い込んだ喉が痛みを訴える。我慢しろよと心中で吐露した。

 会社近くに引っ越せばこの苦しい時間はなくなるしもう少し寝ていられる。その代りに食費は限りなく0に近づけてゲームも我慢だ。それなら今のままの方がいい。そう断じて体の悲鳴は無視をする。

 裏原和也25歳、今日もいつもと同じ一日が始まった。

 

 

 

「だから――これの色は――とは違う――」

 

 禿げ上がった中年太りの男が裏原にくどくどと同じことを言い続ける。バカバカしい。頭の奥の深い部分がそう断じる。けれどそれは浮かんでくることはなかった。目の前の男に対するいら立ちを出ないようにと隠すのは骨が折れるし、それ以上にそれを感じるだけの余裕もない。体力が付きかけていればもう何もできずただ言われるがままの人形のような存在になってしまう。

 書類の一部の色が違う。色がどうとか言っていたからそんなところだろうとボーっとする頭が推測をした。その程度はしていないと無気力が目に宿るからだ。こうして意味のない説教を聞いて、その後ペコペコと頭を下げて適当におだててやれば目の前の上司はやりすごせる。

 目指すならば完璧だ。以前この男がそう言っていたことに自分もその通りだと同意したことが思い出される。その時はおだてるだとか意識したものではなく、ただ同じように思ったというだけだ。

 しかし会議で使う訳でもなく、一時張っておくだけの書類。そんなものの色がわずかに違う、文字のサイズが違う、フォントが違う。そんなものを気にしてわざわざ書類を作り直すことに意味があるのだろうか。こうして説教している時間を別の仕事に当てた方がはるかに有意義だ。裏原はそう思ってしまったし同僚に聞いても同じ回答を得られる。だから誰も説教に意味を感じないし、仕事に対するモチベーションも上がらない。それがこうしたどうでもいいミスを生み出して、その結果また説教という悪循環だった。

 

 

(こんなどうでもいいことに時間を割いて頭下げて……俺もいつかこんなどうでもいいことを怒る側に回るのかな。それとも怒られる側のままなのかな)

 

 説教の後デスクに戻ると思考が再開を始める。その二択は非常に薄気味悪いものに感じられた。怒る側に回るなどまっぴらごめんだ。あんな無駄なことに時間をまわして唾撒き散らかして陰で悪口言われる立場など断固として避けたい。しかしいつまでもこうしてここにいても巻き散らかされて陰口言うだけだろう。

 

(俺の人生って、ここで終わるのか……)

 

 だからか、それは漠然とだが確かなことだと思った。世の中一発逆転など存在しない。在ったとしてもそれは多大に運の要素をはらむだろう。期待するだけバカバカしい。自分のデスクに座ってくるくるとシャーペンをまわす。くるくる、くるくると回るそれは立場が変わるだけで動いていないという未来を暗示しているように思えてしまう。

 バカバカしいとそれを断じることはできない。シャーペンと自分の未来に関係などない。だが、同じような未来なのは間違いないだろうと誰よりも彼自身がわかっているのだから。

 

 

 

 夜。お疲れ様でした、と言って去る同僚とそれに返事を返して仕事をする自分。どうも惨めに思えてしまうシチュエーションだが仕方がない。それに同僚もわかっているのだ。この仕事が終わる時間の差がどこで生まれたのか。

 

(30分から1時間ってとこか。ホンッとあれさえなけりゃあなあ……)

 カチコチと時を刻むそれを見てため息をついた。このままいけば終了時刻は昨日と同じ程度、当然寝る時間も同程度。ゲームができないことと睡眠不足の二つを嘆いて出たため息は宙をさまよい所在なさげ。それはまるで俺のようだと彼は思う。

 ふわふわと浮いてどこにつくでもなくただ彷徨うだけ。何処に行こうという目的があるわけでもなく、ただそこにある。風に流されあっちへふらふらこっちへふらふら。あるはずなのに見えないということさえ自分と同じ――

 

(ハッ――、それならあんな説教なしにできるのにな)

 馬鹿なことを考えたものだと自嘲する。見えるはずのない息を幻視して、それで考えた――いや妄想したことは励ましになることはない馬鹿なもの。それで自分のぎすぎすした考えを緩和できるのならともかくそれすらできない。ただの時間の浪費になった。

 

 かちかちとなるキーボード、所定の動作をしてOSが終了の音を鳴らす。後は着替えて終電に乗って家に帰って……シャワー浴びれるなら浴びて……そしてまた次の朝がやってくる。

 朝というのは子供のころから恨めしい。楽しい自由時間を終わらせて学校に行かねばならない告げる光はずっと嫌いだった。けれど今の方がもっと嫌いだ。あの光はただの牢獄に入ることを知らせる鐘の音でしかない。

 憂鬱だ……。そう思いながら席を立った時だった。バンッ、と机を掌で思いっきり叩いたような音が鳴り光がすべてその場から消える。眼の前すら見えない真っ暗闇の中を裏原は静かにため息をついた。

 

「俺……まだいるのになあ」

 

 守衛か何かはわからないが管理者の様な誰かが電気を消したのだろう。そう思って上着のポケットに入れてある携帯を出す。液晶の明かりをライト代わりにして更衣室まで行こうと考えたためだが、開いてみても液晶は点かない。ボタンを押そうと変わらずに沈黙を守り続ける。

 電池切れかよ……。またため息をついた。嫌なことというのは重なるものらしい。他に明かりになるようなものはなく、ならば手探りで進むしかない。右手を棚に置いておっかなびっくりに歩き出した。

 

「っと、やべ戸締り確認を――って何も見えないし閉まってるだろ」

 

 これだけ室内が暗いのに外が見えないのならブラインドが落ちているのだろうと判断して扉を再度目指すことにした。ブラインドを落としておいて窓のカギは閉めていないということはないだろうと判断してのことだ。それが当たっているかどうかはさておき、現実問題明かりなしでは確認など不可能だ。手探りでやれないことはないだろうが、その前に怪我をすること間違いない。

 安全第一、無事故無災害が何よりですと偉い人も言っていたはずだと都合よく上の言葉を持ち出す。そのまま歩き続け、右手に感じていた棚の感触が角へと付いたことを教えてくれた。なら後は右手に曲がって……と歩いて――彼はこけた。それはもう盛大に。

 足が何かにとられたような感じがしたが足にまとわりついているのは痛みと疲労感だけ。触ってみても何もついていることはない。はああああ、と大きくため息をついて立ち上がろうとして――体に力が入らなかった。

 立とうとしても足に力が入らない。腕を伸ばしてどこかに掴もうと考えても中空を彷徨うだけで何も掴めない。音は自分の息だけで、視界は伸ばした腕さえ見えない。

 

「はは……もういいや、ここで寝よ……」

 

 それで明日一番に怒られようと知ったことか。そう決めて目を閉じた。何も見えない暗闇は眠ると決めたことで怪我を負わせようとする悪魔から聖母のような安らぎへと変わった。疲労感も相まってとても睡眠には適しているとは言えないそこで彼は瞬く間に眠りについた。

 

 カチ……カチ……と時は進み二つの針は頂点へとやってくる。音も光も消えたオフィスに瞬間的にすべてが戻ってきた。音も、光も、何もかもが戻ってくる。

 

「もしもーし、誰かいますかー? 誰もいませんね……」

 

 やってきた守衛が部屋を見渡し直後プツリ、と電気が消える。電気も消さずに帰って……とぼやきながら部屋を後にする彼には、この部屋で寝ているはずの裏原に気付かなかった。いや、誰も気づくことはもうできないだろう。この部屋にはもう、誰もいなくなってしまったのだから。

 

 

 

 ジリリリリ。聞きなれた音が頭の中を響いている。うるせえなあと思いながらも今日もそれを止めるところから一日を始めねばならない。それを理解しているから嫌だと思いながらも彼は手を伸ばして――

 

「……っく、……っれ、――だーっくっそ!」

 

 悲鳴に近い咆哮をあげて起きた。いくら手を伸ばそうとあるはずの目ざまし時計は見つからなかった。起き上ったはずみでうまく当たったのか、咆哮と同時に消えたことに寝ぼけた頭でそう考えて、折角起きたのだからさっさと着替えようと、コインランドリーで洗った後そのままの服を取ろうとして――固まった。

 

 そこは彼の部屋ではなかった。汚れた服が散らかってないし、丸めたティッシュが放置れているわけでもない。積み上げられた本もないしコンセントに充電器が刺さってない――というより挿してあるはずの延長コードが無い。いや、何もない部屋だった。

 床は真新しい畳で流しや扉や押し入れという和の部屋ではある。しかし畳の真新しさと言い、生活に必要であろう食器も鍋も服も布団も何もない。誰も住んでいない新築の部屋、といった感じだ。

 

「え? は? どこここ。は? なんで?」

 

 混乱したためか無駄に饒舌になる。一応落ち着けと頭の中で連呼してみるが、そのようなことをして落ち着けるのなら苦労はない。それ以前に落ち着けと連呼する時点で混乱に拍車をかけている。

 

「そ、そうだ、とりあえずゲームでもして落ち着こう」

 

 彼にとってゲームとは現実逃避の側面が強い。本当の自分には出来ないことをできるという意味でだが、最近は仕事が忙しすぎるためにのんびりできるほのぼのゲームが大好物だ。それの決まったルーチンをやれば自然落ち着けるだろうという算段でそう決めたのだが……

 

「――ってここ俺の部屋じゃねーんだからねーよ!」

 

 やはり混乱の極みだった。そも、異常事態だと認識していながらゲームをしようという時点で混乱は明らかなのだが。

 だが、叫ぶという行為はストレス発散にもなる。大声を出したことで少し落ち着きを取り戻しジッと扉を見つめる。大声で誰かが来るかもしれない、と考えたためだ。しかし何も起きない。

 ならば何かないのだろうか。何もない部屋だと断じたがそれは目のつく範囲であって、完璧に探したわけではない。ならば何かある可能性もあるはずだ。そう思って見渡そうとして、すぐにそれに気付いた。

 部屋の真ん中、おそらくは正確に中心にゲーム機があった。彼が使っているのと同じ型、同じ色のゲーム機が。

 これにはさらに混乱する事態である。さすがに部屋の真ん中にあった物を見落とすなどあり得るのだろうか。しかし誰かがそこにおいたというのなら何故自分は気づかなかったのか。それを考えるが答えは出ない。ならばいっそのこと、とゲームを手に取ってみる。

 

「ソフトは……入ってないな。あ、でもダウンロード版なら……ってええ!?」

 

 驚愕した理由はそこに並んでいるラインナップ。何故なら彼が持っているのと全く同じタイトルがダウンロート済みとして並んでいたからだ。彼はダウンロード版もあるが、パッケージ版も買っている。

 

(つまりこれは俺のってわけじゃないはず……あ、いや、これ夢だ。絶対そうだ)

 

 また発生した異常事態に現実逃避をし始めた。また何もなかったはずの場所にゲームのソフトが置いてある。それもご丁寧に今彼が『パッケージで買ったはずの物』と思い浮かべたものすべてが。

 明らかな異常事態だ。寝ていた場所が自室じゃない、ここは別にいい。自分が持っているのと同じゲームが置いてある。これもいい。だが、無かったはずのものが突然現れれば明らかにおかしい。ならば夢だと断じてさっさと起きたいのだがそのためにはどうすればいいのだろうか。夢の中から起きる方法など知るはずがない。

 

「ああ……もう何でもいいからこの状況を説明できる奴出てこいよ! ……あ」

 

 和也が言うか否や、ボン、と煙と共に白髭を伸ばした老人が現れた。髪はないが髭は腹まで伸び、右手には神話やファンタジーで語られそうな杖。服はゆったりとした白いローブのようなもの。何もかもが裏原の「神様」のイメージのままだ。

 

「では説明しようか」

「は?」

「む? お主がそれを望んだはずじゃが?」

 

 おもむろに口を開く老人はそのようなことを言いだした。明らかな異常事態であるということはもはや疑いようがない。それを説明してくれるというのなら歓迎するが、突然煙と共に現れるなどこの老人もまた異常の一つだ。

 そも、『説明しろ』という言葉を発すること自体が異常でもある。異常としか言えないこの状況の説明ができるのなら原因であると断じでもいいだろう。少なくとも無関係ではない。その存在に『説明しろ』と言って説明してくれるのなら最初から説明しておくかしなくてもわかるようにしておけという話だ。

 つまり、目の前の老人がそもそもの元凶ではないのかという疑い、不可解な現れ方をした異常の一つということがそのまま不信感へと繋がっていた。

 

「なんとも疑い深い。現世において神など最早現人神さえおらん。故に信心もなくなってしまうのも仕方ないことかもしれんが……。じゃがお主が説明しろと言ったからこうして出向いたのじゃ。それなのにその態度はないんじゃないかの?」

「それは……申し訳ない。――いやでも、え。本当に俺が呼んだから出てきたの……ですか?」

「うむ、お主が昨晩いた場所はスパルタにおける――――まあ神域の――――聞いとらんな」

 

 胡散臭いという目を向けていたことに気付いてか老人は話を中断した。話自体は聞いていたのだが、スパルタなど言われてもスパルタ教育しか思いつかない男に歴史だか神話だかを語られても仕方ない。それを老人も気が付いたのかコホンと咳ばらいをした。

 

「まあお主は眠りたいと思っておった。それも疲れが取れるまで何日間でもと。じゃから眠り続けた。先ほどはゲームを思い浮かべたじゃろ。じゃからゲームが出てきた。それだけじゃ」

「へー……」

「もう少し敬って聞いたらどうなんじゃ」

「と、言われても。話に付いて行けないです。とりあえずあなたが神様だとして何の用です? 本当に説明だけの為に来たのですか?」

 

 老人は別に己を神だなどと名乗ってはいないが裏原はそう断じた。現人神だの神域だの言っておいて、さらにこの異常事態を作っておいてごく普通の人ということはないだろうと考えてだ。尤も、現時点で最もあり得るのは「自らを神だと思っている元手品師の精神病患者」だと思っているが。

 そうじゃった、とぽんと手を叩いて話をし始める。と言っても、本当にこのご老人は説明の為だけに来たらしい。ちなみに正確な所神ではなく何とか柱の云々と言い始めたので彼はそこを聞き流した。

 

 ご老人が言った内容をまとめよう。

1.裏原が昨日何か触れた物は何か重大なものだったらしい。

2.その結果、彼の願いを叶えてやろうとその神様は仰られた。

3.しかし、直接出向くことは難しい。そのため、神域へと連れて行きそこで願いを叶えろ。

4.その神域がこの「考えた物が出てくる謎空間」らしい。

 

 何故和風なのかと尋ねたらそれはおぬしのイメージの問題じゃと返された。老人がいかにも神様という姿なのも、裏原のイメージが原因らしい。

 

「じゃあここで遊んで暮らしていいってことか?」

「それは無理じゃ。この空間はあくまで一時的、いずれ壊れる。じゃがある意味あっておる。お主にはここではなく別の世界で暮らす権利を与えるというものじゃ」

「別の世界……?」

「うむ、世界とは無数に――」

 

 老人が話すことを無視することを裏原は決める。どうせ聞いても理解できないからだ。その間にどんな世界がいいのかを考えることにする。

 

 例えばそこは女しかいない世界。それならば自分はモテモテだろう。例えばそこはひ弱な人間しかいない世界。そこならば自分は最強になれる。他にもいろいろ考えて、その上ですべて棄却した。何故ならばそれらに価値を感じなかったからだ。

 彼とて健全な若い男性。性欲はあるし、名誉欲や権力欲もある。しかし、別の世界に行くとまでなってそれを求めるのは違うのではないかと思ったのだ。どんな世界に行っても苦労はあるだろう。女だけの世界? ハーレムというものは作ることより維持の方が大変じゃないのか? その中に病的な女がいたらどうするのか。ヒーローになれる? つまり何が起きても自分頼りでただの何でも屋ではないか。

 ただ慕われたい、尊敬されたい。それだけなら別に他の世界の必要などない。元の世界でだって同じだ。今までの仕事では無理だろうが、まともな仕事についていればいつかは出世して部下に慕われるだろう。綺麗かどうかは分からないが嫁さん貰って子供ができて……そういう暮らしだって目指せなくはない。つまり、どんな世界だっていいことがあれば苦労だってある。

 

(ならやっぱり……のんびりほのぼのスローライフかなあ)

 

 そう考えた。ヒーローは求めない。ハーレムも求めない。ただ毎日が大変で、けれど楽しいと思える日々を過ごしたいと思った。イメージとしては「どうぶつの森」で、他は「僕の夏休み」などだ。

 

 

「えっと、行きたい世界が決まったらどうすればいいんだ。ここに行きたい! って念じるとか?」

「ん? いや、念じてどうにかなるのはこの部屋だけじゃ。さすがに世界まではどうにもならん。儂が希望を聞こう」

「んじゃどうぶつの森の世界で」

 

 笑顔で、多少ひきつっているがそれでも気持ちのいい笑顔で彼は老人に告げた。これから始まるのんびり生活。元の暮らしなど似ても似つかぬ幸せな日々を夢見て彼は心の底から笑顔になれた。多少引き攣ってしまっているのは新たな門出に対する恐怖が多少はあるからだろう。

 

「どうぶつの……森?」

 

 だがそんな彼とは裏腹に老人は怪訝な顔をした。どうやら伝わっていないようだ。

 

「え、えっと村があってそこを開拓していく……ゲームかな。あれ? そう言えばゲームの世界に行きたいっていったけど大丈夫でしょうか?」

「うむ、それはいい。まったく同じではないが大体それを基にした世界ならばな。しかしさすがにゲームタイトルは神に言っても通じんぞ。国によって言語も異なるのじゃから。村を開拓するゲーム……ということでいいのかの?」

「あ、ああ。えっと他にも……いろんな生き物がいる。いや、生き物っていうか人だけじゃなくてその世界には色んな住人がいるんだ。んで、そこでは虫を取ったり魚釣ったりできるな」

 

 たどたどしいながらも説明を入れた。どうぶつの森はリアルの時間が内容に影響を与える。一日やり続けるようなゲームではない分、覚えていることが少なくて説明がしづらかったのだ。

 

「ほう、いわゆる剣と魔法のファンタジーというやつじゃな」

「違うっ! 剣と魔法は……ああ、いや剣はあるのか? えーっと、とりあえず魔法はないです」

 

 オブジェクトとして刀とか、木を切るようにも何かあったなと思い出してそこは否定しないでおいた。この説明では剣は存在する世界になってしまうが、金属を研げば刃物のようになる。そうすれば剣だって生まれるだろう。つまり剣のない世界というのはおかしいと言える。

 

「とりあえず、魚釣ったり虫取ったりできるゲームです。そこだけは絶対に間違えないでください」

「うむ、重々承知した」

 

 ここを間違えなければ大丈夫だろうと思い安心した。この後老人が更に願いを叶えてくれる神様とやらに口頭で伝えるのだろうから伝言ゲームのように内容が変化してしまうのが恐ろしい。だが、虫を取ったり魚を釣ったりなら多少変化しても平和なのは変わらないだろう。

 それではと去る老人に社会人として礼儀正しく挨拶を交わしておきゲームに手を伸ばす。老人が神に伝え、その後目的の世界に送られる。それまで少し時間があるそうなので予習だとどうぶつの森をやることにしたのだ。

 

「くううーっ! 楽しみだ!」

 

 ずっと溜まっていた疲れは消えて体には活力が満ちている。これから新しい生活が待っているのだとワクワクしてしかたがない。まるで遠足前の子供の様だ。残すものに未練が無い、とはさすがに言えない。25年生きてきたのだ。それなりに未練はある。

 両親に孫の顔を見せることはできないだろう。一緒に仕事に励んできた同僚はこれから彼の分まで仕事がのしかかるのだろう。これからあったであろうすべての出会いを無碍にすることにもなる。だが、それらを理解してもワクワクは止まらない。

 自分の人生を好きなように生きる。これは一つの大事なことだ。他人に迷惑をかけない範囲で、と注釈がつくだろうから同僚に迷惑をかけているであろう彼は少々いただけない。それでもその罪悪感よりも高揚感の方が大きかった。

 

「お? おお!? おおおお!!!」

 

 もくもくと足元から煙が上がり煙は少しずつ上へと、つまり顔へと向かっている。煙が消えた時にはそこにあったはずの足が消えていて、別の世界に行くということを明らかに示していた。

 

「あー! もう駄目だ、ホンッと楽しみだ! 色々―、えーっと、まあいろんな人ごめん!」

 

 罪悪感を紛らわすためなのか、最後に昂揚したままに詫びの言葉を残し頭まで煙に包まれる。それが晴れた時彼はその空間からも消えていた。

 

 

 

 

◆◇◆

 うっそうと茂る木が日の光を遮りその一体を暗く染め上げていた。それが一時的なものではなく常なのだと足元に生える苔が示している。空を見上げれば視界のほとんどが葉で覆い尽くされ青空がかすかに見える程度だ。

 

「え? どこここ?」

 

 最初は電車の中からじゃないのかと彼は文句を上げる。人生がかかった、というより人生を変える世界移動はどうやらおかしな方向へと進んだらしい。それはこの時点でわかっている。だが彼はそこまで慌てなかった。

 噂というものには尾ひれがつく。話に自分なりの解釈を加えてしまうからだ。伝言もそうして内容が変わっていってしまい、10人ほどで伝言を繰り返せば全く異なるものへと変化する。それを使った遊びが伝言ゲームだ。

 老人に話をして、老人が神様に話をする。この時点で伝言ゲーム化することを恐れていた彼に死角はない。虫を取ったり魚を釣ったりするゲームが平和でのんびりほのぼのでないはずがない。そう思っていたからこそ落ち着いていられたのだ。それにまだどうぶつの森の世界である可能性が無くなったわけじゃない。自分も知らない風変わりなスタートのしかたがあるのかもしれないと少しだけ楽観視して彼は歩を進めた。

 

「あったらしいー、村着いたーらー何しよう―」

 

 落ちていた木の棒を振り回しながら、適当な曲調をつけて歌うように喋る彼は機嫌がいい。いくらあの謎空間といえど、すべてが嘘でたらめであった可能性も捨てきれなかったのだ。途中から『もしかして本当に神様なのでは』という思いがあってついのめりこんでしまったが、元々一番可能性が高かったのは『精神病患者』なのだからそれは仕方がないだろう。

 

 調子っぱずれの彼が歩くのはジャングルとしか形容が無い場所だ。熱帯雨林を思わせるそこは明らかに日本ではない。少なくとも彼の行動圏にはこのような場所はなかった。木が乱立して歩きにくいことはある種の閉塞感を与える。だが誰もいない、何をしても現在咎められないという状況から来る開放感の方が大きかった。それ故に歩きにくさからくる疲労は高揚感によって無視される。故に歩き続けた。

 

 

 

 

「そろそろ……着かないかなあ」

 

 現在どれほど歩いたのか、少なくとも彼の感覚は1時間は歩いたと言っているし、日の角度を考えても時間はそこそこに経っていることは間違いない。しかし歩けども歩けどもあるのはジャングルばかり。村などない。

 この世界には色んな住人がいるはずだ。しかし出会えない。それだけ辺鄙なところにいるのだということだろうが、何故そんなことをするのか。いっそ村のど真ん中にしてくれれば楽だったと愚痴を垂れる。

 正確に言うならば生き物は何度か見かけた。遠目でわかりにくかったが鹿のような生き物に、豚のような何か。他にも大きさからして小鳥のような何かが飛んでいるのも見えた。ただ、会話が可能な相手は見つからない。

 それは村についてからのお楽しみということかなあと再度高揚させようとするが、さすがに歩き続けで疲労感が勝ってしまう。ならばせめて違うことを考えようと頭を働かせることにした。

 

(どうぶつの森じゃなさそうだよな。基にした世界だっていうからまあ同じスタートじゃないってのはいいとしてもこのジャングルはなあ。僕の夏休みにジャングルなんてあったっけ? 虫取りを主にするゲームになった、とかかなあ。それならこの状況もわかる)

 

 虫を取るのならできるだけ広い生息地域が必要だ。ゲームならあまり広いと移動が面倒なだけだが、現実ならばある程度広くないと生息自体ができない。

 

(もしくは童心に帰って遊びましょうというゲーム……とか? 俺はやったことないけどそういうのがあればそれもありうる)

 

 そういえば魚釣るだの虫を取るだの子どもらしい遊びだと言えなくもない。ジャングルなのは木登りができるようにということだろうか。

 推理をしてみるが答えは出ない。さすがに情報が足りな過ぎた。だから彼は思わず叫んだ。また、それが起きないかと思って。

 

「だーーーーーー! ここがどこか説明できる奴出てこい!!」

 

 空を見上げながら叫んだ彼はその時大きな影を目にすることとなった。それに気づけたのは幸運だったのか、それとも不運だったのか。とても大きな赤い翼をもつ、鳥などとはとても呼べない巨躯で空を泳いでいる。

 

「――――――いやいや……まさか……」

 

 そんなはずがない、と彼は心中で叫ぶ。もうあれを見た後で大声を出す勇気はない。もしも彼の予想が当たっていれば、気付かれることは死を意味する。

 

(いやいやいや、だって俺虫取りとか魚釣りとか……あああああ! これにもあるじゃん! 魔法……ない。色んな住人……ちょっと待て! 住人って人! 人だから!!)

 

 本来、住人とはそこに住む人のことを指す言葉だ。例えばある家に住む人、ある国に住む人。住む人と書いて住人なのだからそれは当然だ。しかし、時折住人という言葉は人以外に使うことがある。木の上でも洞窟でも、そこに棲む生き物をそこの住人と比喩することがある。あの老人は和也が言った『住人』という単語を、その比喩だと受け取ったということだ。

 

 後悔先立たず。後に悔むから後悔なのであってそれは当然だ。しかし、この時ばかりはそれでも先になんとかできればと思わずにはいられない。彼がイメージした世界は平和なほのぼのライフだった。だが彼が示した条件を満たすゲームはそれ以外にも存在する。

 

 

 そう、例えば『モンスターハンター』とかだ。

 

 




一話終了。一話大体1万文字をめどにして書くことに。長い、短い、ちょうどいいなどの文字量。文章力や表現についてなど批評・感想お待ちしています。


一応
虫取り→光蟲やマボロシチョウ
魚釣り→バクレツアロワナやカクサンデメキン

色んな住人→リオレウスとかケルビとかモスだとか
剣はあるけど魔法はない→そのまんま
途中の鹿→ケルビ
豚→モス
小鳥→ランゴスタ

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