艦隊これくしょん 奇天烈艦隊チリヌルヲ   作:お暇

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次回で最終回です。

よろしくお願いします。


着任三十六日目:決着 後編

 離島棲鬼は得体の知れない『嫌なモノ』に苛まれていた。

 

「こんのぉ!」

「ヨラナイデ!」

 

 離島棲鬼は自分が苦戦を強いられている理由がわからなかった。

 相手は圧倒的格下。その気になれば跡形もなく消し飛ばせる脆弱な存在。だというのに、何故このような状況に陥っているのか。

 離島棲鬼が知らないのも無理はない。これまで強者として君臨し、何もかも思い通りにしてきた彼女には知る術がなかったのだから。敵が迫りくる焦りも、想定外が生み出す不安も、何をやっても敵が倒れない恐怖も、船体(からだ)の内側から溢れてくる『嫌なモノ』の正体も。強者故に、全て知らずに生きてきた。

 そう、今日までは。

 

「チ……」

「ハナシテ!」

 

 離島棲鬼は背後から覆いかぶさるチ級を振り払った。

 

「リ!」

「ジャマ!」

 

 離島棲鬼は正面からぶつかってくるリ級をつき飛ばした。

 

「ヌゥ」

「ドイテ!」

 

 離島棲鬼は右足にしがみついたヌ級を無理やり引きはがした。

 

「ヲっ」

「ドキナサイ!」

 

 離島棲鬼は大型の深海棲艦の砲身をがっちりと抑えるヲ級を蹴り飛ばした。

 

「ハナレテ! ハナシテ! ハナセ!」

「うるっさい!」

 

 それは、もはや海戦と呼べるものではなかった。掴みかかる。しがみつく。殴る。蹴る。その光景は、まるでルール無用のストリートファイト。遠距離から相手を撃つための重火器も、ただの鈍器となり果てていた。

 だが、それは叢雲たちだけの話。

 

「シズメ!」

 

 離島棲鬼の火力は未だ健在だった。大型の深海棲艦が主砲を轟かせ、近づく叢雲たちを弾き飛ばす。

 

「まだ……まだよ!」

 

 叢雲は歯をぐっと食いしばり、ふらつく船体(からだ)を両足で支えた。

 彼女たちは倒れない。どんな苛烈な砲撃を食らっても、最後は必ず立ち上がる。奪われたものを取り戻すまで彼女たちの膝は、心は、決して折れる事はない。離島棲鬼が負けない限り、この戦いが終わることはない。

 

「ナンデ……」

 

 離島棲鬼は疑問を抱いていた。

 叢雲(ヤツ)は私が倒す。離島棲鬼はそう思っていた。楯突いた罰として、望みを断つつもりだった。

 要領得ぬ。何故叢雲(ヤツ)は集中砲火を受けても、くじけずに邁進できるのか。

 何故闘志を生み出せるのか。

 何故満身創痍の船体(からだ)で凄むのか。

 

「ソレイジョウヨルナァ!」

 

 その答えはただ一つ。

 

「ヤメロォ!」

「はあッ!」

 

 投了せぬ。青年(かれ)が、世界で初めて、堅物だった叢雲(かのじょ)が、恋をした人だからだ。

 叢雲は砲弾の雨を潜り抜け、離島棲鬼へと迫る。

 

「シズメエエ!」

 

 殺気立つ離島棲鬼が叢雲の方へ手を掲げると、大型の深海棲艦も砲身を叢雲へと向け、砲撃体勢に入った。タイミングも照準もすべてバラバラ。正確性を欠いた苦し紛れの砲撃であることは相対する叢雲でもすぐに分かった。

 そして、それが理解できない程、離島棲鬼は精神的に追い込まれていた。

 

「チ……」

 

 正確性を欠いていたとしても、危険であることに変わりはない。叢雲が狙われていると知ったチ級が、離島棲鬼の砲撃を妨害すべく動く。

 チ級は離島棲鬼の視界の外から接近する。普段の離島棲鬼なら接近に気づけただろうが、今の彼女は精神的に追い込まれ周囲の警戒が疎かになっていた。

 結果、離島棲鬼はチ級の接近を許してしまった。

 チ級は離島棲鬼の右側面から全速力で突っ込んだ。そのタイミングは、奇しくも砲弾が発射される間際。

 

「グウッ!?」

 

 側面からチ級の悪質タックルを受ける離島棲鬼。くの字に折れ曲がった彼女の船体(からだ)は大型の深海棲艦が構えていた砲身に引っ掛かる。

 元々頭でっかちだった大型の深海棲艦は突然の重量に耐え切れず、太い下あごを海面についた。そして、今まさに発射されるはずだった砲弾は叢雲の方へと向かわず、離島棲鬼のすぐ傍の海面に突き刺さる。

 爆発と共に立ち上った巨大な水柱が離島棲鬼、大型の深海棲艦とチ級を飲み込んだ。

 

「クッ……ジャマヨ!」

 

 離島棲鬼は両足を使った強烈な蹴りをチ級に食らわせ引き剥がした。

 離島棲鬼は上体を起こす。しっとりと濡れた黒いドレスが船体(からだ)にぴったりと張り付き、ボリュームのあった長い黒髪も海水を吸って萎んでいる。離島棲鬼は鬱陶しそうに顔に張り付く長い黒髪を掻き揚げた。

 そのまま立ち上がろうとする離島棲鬼だったが、近くにいたヌ級がそれを許さない。

 

「ヌゥ」

「アグッ!?」

 

 ヌ級に髪を引っ張られ、離島棲鬼の首は鞭打つように反り返る。離島棲鬼は再び海面に叩きつけられた。

 そして、無防備な離島棲鬼に一つの影が差す。

 

「リ!」

 

 影の正体であるリ級は離島棲鬼の胸にドカッ、と腰を下ろした。

 マウントポジションをとったリ級は鈍器と化した左手を振り上げ、なんの躊躇もなく、離島棲鬼の顔面へと勢いよく振り下ろした。

 ガゴン! と金属の鈍い重低音が響く。今度は逆の腕を振り上げる。ガゴン! もう一度鳴り響く。もう一度、更にもう一度、続けてもう一度。オラオラオラ、と掛け声が聞こえてきそうなラッシュが離島棲鬼の顔面に叩き込まれる。

 だが、離島棲鬼もやられっぱなしではない。ラッシュ中のごく僅かな合間に目を凝らし、リ級のラッシュを完全に見切った離島棲鬼はリ級の両腕をがっちり掴んだ。

 

「ドキナサイ!!」

 

 離島棲鬼の意志に反応した大型の深海棲艦がリ級を砲撃で吹き飛ばす。

 リ級は数秒の滑空を経て着水。四肢でしっかりと受け身をとったリ級は、そのままの体勢で海面を滑る。

 勢いが収まり、離島棲鬼に尻を向ける形で停止したリ級。のしのし、と四肢を器用に動かしながら、離島棲鬼の方へ顔を向けたリ級は獣のような唸り声をあげた。

 今度こそ、と離島棲鬼は上体を起こし、立ち上がるべく片膝をついた。

 そんな彼女にまたしても一つの影が差す。不意打ちの連続となったが、今回は迫りくる気配をしっかりと把握していた離島棲鬼。迎撃すべく、彼女はすかさず振り返った。

 

「ッ!!」

 

 次の瞬間、離島棲鬼の世界はスロー再生されたように低速と化した。

 離島棲鬼が目にしたのはヲ級の姿だった。その手に持つのは杖ではない。帽子から伸びる触手のような飾りを器用に束ね、両手でがっちりと掴むという、フルスイングの体勢だった。

 

「ヲっ」

 

 勇ましい掛け声と共に、遠心力を加えた帽子の強烈な一撃が離島棲鬼の頭部を直撃。伸びきった首に引っ張られ、離島棲鬼の船体(からだ)が真横へ飛んだ。

 

「グハッ」

 

 離島棲鬼の船体(からだ)は勢いそのままに海面を三回跳ねた。

 再び水濡れとなった離島棲鬼。彼女は滴る海水を拭うこともせず、両腕で何とか船体(からだ)を起こそうとしていた。だが、今現在の彼女の視界はグラグラと揺れており、平衡感覚を保てず立つこともままならない。ヲ級の一撃はいかに強力だったかがよくわかる。

 だが、このまま海面にへばりついているわけにもいかなかった。離島棲鬼は既に敵の接近を察知していた。

 この気配、間違えるはずがない。離島棲鬼はグラつく船体(からだ)を何とか起こし、正面から敵を見据える。

 離島棲鬼の眼前には、彼女が憎む駆逐艦の姿が迫っていた。

 

(……ユルサナイ)

 

 こいつにだけは負けない。思い通りにならないこいつには、気に喰わない叢雲(こいつ)にだけは、絶対に負けたくない。

 離島棲鬼の瞳にうっすらと赤黒い光が灯る。叢雲たちが『情』を糧として動いているなら、離島棲鬼を動かす糧は『憎』。憎しみという名の薪を火室にくべて、離島棲鬼は再起した。

 離島棲鬼は迫りくる叢雲を睨み、照準を合わせようと意識を集中させた。

 

「はあああああああ!!」

「ッ!?」

 

 叢雲の雄叫びを聞いた瞬間、離島棲鬼は再び船体(からだ)の奥に『嫌なモノ』を感じた。

 コールタールのようにどろりと黒く、タングステンのように重たいソレが溢れると、船体(からだ)が思うように動かない。未だなれないその感触に、離島棲鬼の精神は大きくグラついた。

 『嫌なモノ』の正体。それは未知に対する不安。それは自信喪失による心配。誰もが持つありふれた感情の一つ。

 『恐怖』。

 恐怖心。離島棲鬼の心に恐怖心。脅威を知らず、敗北を知らず、何もかもを思い通りに進めてきた彼女は今日、初めて『恐怖』を知った。

 憎しみの炎は、恐れという名の冷水で鎮火した。恐れに濡れた離島棲鬼の思考は、船体(からだ)は、完全に停止した。

 棒立ちとなった離島棲鬼に向けて、叢雲は更に速度を上げた。

 

「これ、でも……!」

 

 叢雲は飛び跳ねた。

 そのまま勢いを殺さず空中でぐるりと体を回転させ、腰の位置まで上げた細くしなやかな右足の膝を軽く曲げた。

 ジャンプの勢いと、両腕の大振りを利用した上半身の回転運動の勢いは一つとなり、叢雲の右足へと伝達される。

 半身(はんみ)となった叢雲は離島棲鬼の頭に狙いを定め、右足に集中した力を一気に開放した。

 

「食らいなさい!!」

 

 叢雲の『ローリングソバット』が離島棲鬼の腹に突き刺さった。

 

「ヴゥッ!?」

 

 海面を滑るように後退する離島棲鬼。その様子を横目で見ながら、両足で力強く着水した叢雲はすかさず声を上げた。

 

「行きなさい!」

 

 叢雲の号令に合わせて、深海棲艦たちは一斉に離島棲鬼を目掛けて駆け出した。

 叢雲の声を聞いた離島棲鬼は急いで顔を上げた。目に飛び込んできたのは一斉に襲い掛かる深海棲艦たちの姿。全艦が敵意を剥き出しにして、離島棲鬼を仕留めるべく四方八方から迫りくる。

 

「ハッ……ハァ……ハァ……!」

 

 叢雲の与えた一撃は、離島棲鬼の『蓋』を壊すには十分な威力だった。

 湧き出る恐怖が溢れ出さないよう、無理やり押さえつけていた強固な蓋。離島棲鬼に理性を保たせていた最後の砦が今、崩壊した。

 押し込められていた恐怖は激流の如く吹き出す。恐怖は離島棲鬼の腹を満たした。恐怖は離島棲鬼の胸を突き抜けた。恐怖は離島棲鬼の喉を塞いだ。そして、恐怖は離島棲鬼の口から吐き出された。

 

「ヨラナイデェエエエエエエ!」

「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 離島棲鬼の悲鳴が(ほとばし)ると同時に、大型の深海棲艦による凶悪な一斉掃射が始まった。

 照準を合わせていない乱雑な砲撃だが弾数はすさまじい。叢雲たちは砲弾の勢いに押され、徐々に後退。両陣営の間に五十メートル程の距離が生まれた。

 ガチャガチャガチャ、と空撃ちの音を鳴らす大型の深海棲艦。それでも狂乱は終わらない。全弾を打ち尽くしてもなお、大型の深海棲艦はその場で暴れまわっていた。

 

「フゥ……フゥ……」

 

 叢雲たちとの距離が開いたことで、離島棲鬼は心の平穏を手に入れた。

 それに伴い離島棲鬼の精神も、振り切れていたメーターの針がゼロ地点に戻るように、急速に落ち着いていった。

 離島棲鬼は左手で顔を覆いながらのそりと立ち上がり、荒れた呼吸を整える。次に丸まっていた背中をまっすぐ伸ばし、そして、自分の船体(からだ)をゆっくりと見た。ドレスは滅茶苦茶に乱れ、所々解れている。スカートの端から見える長髪の毛先はボサボサに跳ね上がっている。

 

「ユルサナイ……ゼッタイニ、ユルサナイ!」

 

 平静を取り戻し、冷静にこれまでを振り返り、今の状況を把握した離島棲鬼は怒りの咆哮をあげた。

 この怒りは殴りつけてきた叢雲たちへの怒りか、それとも無様な姿を晒した自分への怒りなのか、それは離島棲鬼自身にもわからない。

 ただ一つ言えるのは、彼女はこの激情を制御するつもりはないということだけだった。

 怒りの導火線に火が付いた離島棲鬼は叢雲たちを睨みつけ、告げた。

 

「【キナサイ】」

 

 自分の手で叢雲にトドメを刺すつもりだったが、もはやそんな事はどうでもいい。目障りな奴らを確実に消し去れるなら、どんな手でも使ってやる。

 憎悪に突き動かされる離島棲鬼は何の躊躇いもなく支配の力を行使した。邪魔が入らないように他の深海棲艦を遠ざけていた、これまで展開していた力とは真逆の力を、この海域に存在する強い深海棲艦を、叢雲を確実に沈める強い深海棲艦を呼び寄せる力を行使した。

 

「フフフ。コレデ、アナタタチハオワリ。ゼッタイニシズメテアゲル」

 

 離島棲鬼は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 

「ハッ。一人で意気揚々と出てきたのに、勝てないと分かった途端に仲間を呼ぶのね。雑魚らしい惨めな姿」

 

 叢雲も挑発するような笑みを浮かべた。

 

「ウルサイ!」

 

 怒りが爆発した離島棲鬼は荒れ狂う大型の深海棲艦を無視して単独で飛び出した。名は体を表すとはまさにこの事か。鬼気迫るその姿は、まさに鬼そのものだった。

 叢雲は両手を前方に掲げ、離島棲鬼を迎え撃つ。

 無造作に突き出されたのは離島棲鬼の右手。叢雲はそれを左手で捌き、懐に潜り込みながら返しの右手を突き出す。狙いは顔だ。顔への攻撃で怯むのはこれまでの戦闘で確認済み。怯んだ隙に他の艦が不意打ちを仕掛ける算段だった。……だが。

 

「ガアアアア!」

「ッ!?」

 

 顔面に直撃した攻撃を物ともせずに、離島棲鬼は叢雲を押し返す。

 不意を突かれた叢雲は離島棲鬼が突き出す左手に対応できなかった。離島棲鬼の左手は叢雲の細い首を鷲掴みにし、その船体(からだ)を軽々と持ち上げた。

 

「ガアッ!」

 

 離島棲鬼はそのまま腕を振りかぶり、叢雲を頭から海面に叩きつけた。

 

「こっ……の!」

 

 息苦しさに顔をしかめる叢雲は離島棲鬼の左腕を掴み、何とか脱しようと試みる。だが、華奢な見た目からは想像もできない力でがっちりと掴む離島棲鬼の細腕はビクともしない。

 

「ヴアァッ!」

 

 離島棲鬼は止まらない。

 離島棲鬼は叢雲の船体(からだ)を再び持ち上げ、力任せに横に振るった。

 ガン、と鈍い音が響く。振るった先にいたのはリ級だった。リ級の接近に気づいていた離島棲鬼は、掴んでいた叢雲をそのまま盾とすることでリ級を防いだのだ。

 そのまま、離島棲鬼は逆方向へ叢雲を振るう。今度は逆方向から攻めてきたチ級に叢雲をぶつけ、攻撃を阻止した。

 チ級、リ級、ヌ級、ヲ級は叢雲の事など気にも留めず攻撃を仕掛けるが、その度に離島棲鬼は叢雲(ガードベント)を使い防いでゆく。

 

「放ッ……しなさい!」

 

 叢雲は振るわれた勢いを利用し、強烈な蹴りを離島棲鬼の頭に叩き込んだ。

 離島棲鬼は少し怯んだ様子だったが、叢雲を掴む手は離さない。ぎろりと叢雲を睨み、背後から迫りくる敵に向かって叢雲をぶつけようと再び腕を振るった。

 

「ヲっ」

 

 離島棲鬼に背後から迫っていたのはヲ級。彼女は剣道でいう上段の構えで跳躍し、そのまま帽子を振り下ろそうとしていた。

 ぶつけられた時の衝撃を思い出し一瞬ためらう離島棲鬼だったが、そんなもの関係ないとそのまま力づくで叢雲を振るう。同時にヲ級も帽子を振るい、両者の攻撃が交差した。

 軍配が上がったのはヲ級だった。

 離島棲鬼の攻撃は帽子から伸びる触手に、ヲ級の帽子は叢雲を掴む離島棲鬼の腕に直撃した。帽子の衝撃で拘束が緩み、叢雲は勢いそのままに宙へ投げ出された。

 

「けほっ、けほっ」

 

 着水した叢雲はのそりと立ち上がった。

 ダメコンの効果で船体からだは壊れないが、精神こころはそうではない。蓄積した精神的疲労は着実に叢雲を蝕んでいた。

 

(まだ……まだよ。まだ、負けるわけにはいかない。一体何のためにここまで来たの? こんなトコで折れてどうするのよ)

 

 心の中で自分を鼓舞し、叢雲は離島棲鬼を力強く睨む。しかし、その時だった。

 

「ッ!?」

 

 叢雲の目に黒い影が映った。影は離島棲鬼の遥か後方。茜色に染まり始めた水平線で存在を主張するかのように輝く鈍い黒色。その輝きは叢雲にとって、離島棲鬼にとって、とてもなじみのあるものだった。

 

「……あれは」

 

 見間違えるはずもない。深海棲艦だ。離島棲鬼の後方に新たな深海棲艦が現れたのだ。

 叢雲の視線に気づいた離島棲鬼は振り返り、その光景を見て口元を歪めた。叢雲は知らないが、離島棲鬼は支配の力を行使している。そして、タイミングよく表れた深海棲艦。これはもう間違いない。増援を確信した離島棲鬼は高らかに叫んだ。

 

「ククッ……。アハハ! キタ! キタワ! コレデ、アナタタチハオワリヨ! フフ……コレデ、コレデオワリ」

 

 両腕を大きく広げて船体(からだ)全体で喜びを表現する離島棲鬼。そんな彼女を叢雲たちは黙って見ていた。焦ることもなく、ただじっと、迫りくる黒い影をじっと見つめていた。

 離島棲鬼は沈黙する叢雲を見て更に気分を良くした。高揚した気分は天井知らずの上がり具合。歓喜の嵐が吹き荒れる離島棲鬼は戦いに終止符を打つべく命令を下した。

 

「【ヤレ】」

「やってみなさいよ」

 

 命令と砲撃のタイミングはほぼ同時だった。徐々に大きくなっていく風切り音を、離島棲鬼と叢雲は互いに耳にしていた。

 離島棲鬼は動かない。迫る砲弾が直撃する瞬間をしっかりと目に焼き付けるために。叢雲は動かない。迫る砲弾の行く末を見るために。

 ドガンッ! 爆発音と共に衝撃が広がった。

 

「アガッ!?」

 

 砲弾は離島棲鬼に直撃した。

 突然の事態に思考が停止する離島棲鬼だったが、再起動するよりも先に砲弾の雨が離島棲鬼の無防備な背中に降り注ぐ。

 爆発の嵐が、歓喜の嵐を吹き飛ばした。叢雲たちの砲撃とは比べ物にならない、鬼型の装甲を確実に貫く破壊の暴力が離島棲鬼を襲った。

 

「ナ、ニ……」

 

 爆発の煙にまみれた離島棲鬼の船体(からだ)は膝から崩れ落ちた。

 離島棲鬼の姿は悲惨だった。艶のある黒髪は四方八方に乱れている。多少破れている程度だった衣服は背中の部分が完全に吹き飛び、むき出しの白い肌にくっきりと焦げ跡がついていた。

 突然の事態に理解が追い付かない離島棲鬼は何とか立ち上がろうと両足に力を入れるが、うまく立てない。離島棲鬼の両足は勝手に震えてすぐに倒れてしまう。

 

「ナンデ……ワタシガ……」

 

 離島棲鬼の背中に砲撃を当てることができるのは、彼女の背後から近づいてきていた艦艇のみ。今の状況は、背後の艦艇が裏切りでもしない限り、絶対にありえないのだ。

 徐々に大きくなる水切り音。迫る気配。荒れ狂う歓喜が吹き飛び、平静さを取り戻した離島棲鬼はここにきてようやく違和感に気づいた。

 背後から感じるこの気配。普通の深海棲艦とは少し違う。自分の目の前にいる連中と似た気配が混じっている。そう、この気配は……。

 離島棲鬼はゆっくりと振り返った。

 

「……ァ」

 

 離島棲鬼は言葉を失った。

 離島棲鬼の背後にいたのは両腕に巨大な艦装を装備した深海棲艦、白いマントを羽織った深海棲艦、白い衣服に身を包む男、そして、離島棲鬼が姉と慕う深海棲艦。

 

(ッ!!?)

 

 離島棲鬼は急速に焦りを覚えた。敵が増えたから、ではない。戦艦棲姫が現れたからだ。

 戦艦棲姫がここまでやってきた。それは離島棲鬼からすれば、指示を出した上司が進捗を見に来たのと同義であった。もちろん戦艦棲姫はそんな指示を出しておらず、全て離島棲鬼の勝手な思い込みなのだが。

 何か、何かないか。戦艦棲姫の期待に応えるべく、打開策を見出すべく、離島棲鬼はあちこちに視線を向ける。そして見つけた。

 左端にいる前開きの黒いパーカーのような服を着た深海棲艦。彼女だけは普通の気配を感じる。つまり、支配によってこの場に現れた深海棲艦であるということに他ならない。

 

(ナントカ、シナイト……)

 

 今の状況は離島棲鬼にとってかなり不利だ。不死身の叢雲たちに加えて新たに現れたル級とタ級。周囲を囲まれ、距離もつまっている。さらに、離島棲鬼自身も中破に近い損傷を負っている。加えて、戦艦棲姫を守りながら戦わなければならない(と、勝手に思い込んでいる)。

 今は雌伏の時。機会を伺うのがベターな判断だ。だが、今の離島棲鬼に冷静な判断を下せる余裕はない。何が何でも目的を達成する。すぐに達成する。彼女の頭はそのことでいっぱいだった。

 離島棲鬼は状況を打開すべく行動を起こした。

 

「【タタカエ】!」

 

 離島棲鬼はレ級に対し、ル級とタ級を攻撃するよう命令を下す。

 

「レー?」

 

 レ級の両目から青白い光が溢れた。戦闘状態のサインだ。

 離島棲鬼は思わず安堵の笑みを浮かべた。これまで予想外の出来事ばかりが続いていたが、ここにきてようやく自分の想定通りに事を運べた。その事実が離島棲鬼に僅かな希望を抱かせた。

 レ級は尻尾の先にある砲口を動かした。レ級自身の前方へ。

 

「ッ!? ナ、ナニヲ……」

 

 離島棲鬼は動揺した。レ級への命令はル級とタ級を攻撃すること。二艦はレ級の隣に並び立ってるのだから、砲口は真横へ向かなければならないはずだ。何故、砲口はこちらを向いている?

 離島棲鬼の疑問に対する答えは簡単だ。レ級は最初から操られていなかったのだ。

 この場で支配の力を使えるのは離島棲鬼だけではない。支配の力とは、通常の深海棲艦よりも上位の鬼型や、その更に上位の姫型が格下を統べる力だ。この場には離島棲鬼よりも上位の戦艦棲姫がいる。彼女が同種の力を使い邪魔をしている限り、離島棲鬼の支配は届かない。

 

「ルー」

 

 一発。

 

「ター」

 

 一発。

 

「レー?」

 

 一発。計三発。

 主砲を構えた三艦がそれぞれ至近距離から容赦のない一撃を放ち、ひときわ大きな爆発が巻き起こった。

 もはや叫び声すらない。離島棲鬼の船体(からだ)は力なく倒れ伏した。

 

「遅いのよ。ホント……」

 

 張り詰めた空気から一転。唐突な決着に、叢雲は苦笑いでため息をついた。

 本当ならすぐに一息つきたい所なのだが、そういうわけにもいかない。たとえボロボロの姿だろうと、青年(かれ)の前で背中を丸めるわけにはいかない。

 戦闘終了によりダメコンの効果も切れた。重くなった船体(からだ)を何とか両足で支えながら、背筋をぐっと伸ばした叢雲はもう一度視線をル級たちへと向けた。

 

「ルー」

 

 叢雲が視線を向けた丁度その時、ル級は戦艦棲姫が引き連れた巨大な深海棲艦に乗っている青年を降ろそうとしていた。

 ル級の両腕は何かを掴むような形をしていない。故にル級は両腕の艤装を水平にし、青年の体をせっせと押し出していた。

 あれはマズいだろう、と叢雲が不安に思っていると、案の定。青年は巨大な深海棲艦の背中からずり落ちドボン、と海に沈んだ。

 

「ちょっと!」

 

 叢雲は慌てて青年に近寄った。立っているのがやっとの叢雲は、満身創痍の体に鞭打ち、もがく青年のわきの下に腕を通し何とか体を抱き上げた。

 両腕の圧を背中に感じた青年は力の入らない両腕をゆっくりと動かし、叢雲の頭を胸の中に抱きかかえた。一拍置いて、叢雲の抱きかかえる腕に力が籠った。

 

「ごほっ、げほっ。た、助かった」

「……ったく。何やってんのよ」

 

 一艦と一人は声を掛け合う。気の抜けたような小さな声で。

 

「や……今のは、俺……悪くねぇだろ」

「うっさい。いっつもいっつも騒ぎばっか起こして……」

 

 一艦と一人は声を掛け合う。うれしさを滲ませた優しい声で。

 

「なんだよ。こっちはッ……けほっ、ごほっ」

「もう黙りなさい。さっさと帰るわよ」

 

 一艦は一人の声を遮る。心配と不安の混じる固い声で。

 

「……ただいま」

「……………………おかえり」

 

 ああ、この声。この暖かさ。夢じゃない。

 追いかけて、追いかけて、追いかけて、遂に取り戻した。この世で一番大切なものを。苦楽を共にした相棒を。これからも共にあり続けるかけがえのない存在を。

 

「戦果は……まぁ、そうね。Cってとこかしら」

「何言ってんだ。SだS。俺たちの完全勝利だ」

「浮かれすぎよバカ。まだ全部終わったわけじゃないわ」

 

 力のない声で悪態をつく叢雲。だが、言葉の端々からは嬉しさが滲んでいる。それを察した青年はうっすらと笑った。

 さあ、帰ろう。帰還するまでが戦いだ。叢雲は青年をどうやって運ぶか連想し、背負うことを選択した。誰かに任せるという選択肢はもちろんない。

 叢雲は青年を正面から背面へ移動させるべく船体(からだ)をよじった。だが、途端に青年の体が軽くなる。驚いた叢雲は即座に振り返った。

 

「ター」

 

 自由な両手で青年の肩を掴み上げたタ級。

 

「レー?」

 

 青年の背中側に潜り込み頭で支えるレ級。

 

「ルー」

 

 フリーになった両足を両肩に乗せたル級。

 仰向け状態で担ぎ上げられた青年と共に、戦艦たちは進みだす。

 

「ちょっ、待ちなさい!」

 

 叢雲は慌てて三艦を追いかけた。それにつられてチ級、ヌ級、リ級、ヲ級も進みだす。

 

「…………」

 

 そんな彼女たちの背中を、戦艦棲姫は黙って見送った。寂しい笑顔を浮かべながら。

 終戦を夢見て共に戦った仲間たち。いつも自分を労ってくれた提督(あのひと)。かつて、そこは自分の帰るべき場所だった。

 暗黒の淵へと沈み、もう二度とあの場所には戻れないのだと失意の底にいた。

 そんな時、深海棲艦と艦娘の共存という、信じたくない現実を目の当たりにした。嫉妬に駆られ、過ちを犯した。

 だが、その過ちを経て戦艦棲姫ははっきりと理解した。自分の居場所はそこにはない。今の自分の居場所はここなのだと。戦艦棲姫は離島棲鬼に目を向けた。

 

「ウッ……」

 

 意識を取り戻した離島棲鬼は慌てて上体を起こした。離島棲鬼は周囲を見渡し、叢雲たちの背中を視認する。このままではいけないと、離島棲鬼は腰を上げた。

 そんな離島棲鬼の耳にちゃぷん、と水面を打つ音が届く。同時に感じる気配。自分と同族の、そして親しみのある気配。離島棲鬼が気配の方へ視線を向ければ、そこには彼女が予想した通りの姿があった。

 

「オネエサマ。ダイジョウブ。スグニ、トリカエシ、マス……」

 

 姉の期待を裏切るわけにはいかない。その一心で離島棲鬼はボロボロの船体(からだ)に鞭を打つ。

 進もうとする離島棲鬼の前を塞ぐように近づいた戦艦棲姫はゆっくりと両手を伸ばした。

 

「アリガトウ」

 

 そう言って、戦艦棲姫の右手が離島棲鬼の頬に触れた。左手はゆっくりと頭へ向かい、艶やかな黒髪を撫でた。ゆっくり、ゆっくりと。何度も、何度も。

 

「イイノ。モウ大丈夫。私ハ大丈夫ダカラ」

「トリ、カエシ……マス」

 

 戦艦棲姫の腕をやんわりと払い、進もうとする離島棲鬼。彼女の目は戦艦棲姫を見てはいない。どこか虚空を見るような、焦点の合わない目で同じことを繰り返し呟いていた。

 戦艦棲姫は立ち去ろうとする離島棲鬼の両肩に手を置き、その場に留めさせた。

 

「オ願イ。待ッテ」

「トリ……カ、エシ……」

 

 声をかけても離島棲鬼の様子は変わらない。

 このままでは話にならないと感じた戦艦棲姫は両手で離島棲鬼の頬を力強く包み、無理やり視線を自分の方へと向けさせた。ハッした離島棲鬼は、ようやく目の前にいる戦艦棲姫へと意識を向けた。

 

「私ノ為ニ頑張ッテクレテアリガトウ。ミットモナイ嫉妬デ迷惑ヲカケテゴメンナサイ。本当ニ、本当ニモウイイノ」

 

 戦艦棲姫は優しくあやす様に語り掛ける。

 

「酷イ目ニアッタケレド、オカゲデ大切ナ事ヲ思イ出セタノ。大事ナノハ心ガ繋ガッテイル事。ドレダケ求メテモ、心ガ通ジナケレバ意味ガ無イワ。無理矢理傍ニイサセテモ、辛イダケナノ。彼モ、私モ」 

「……」

 

 それは、離島棲鬼の今までの行動をやんわりと否定する言葉だった。敬愛する姉に面と向かって言われたせいか、捨てられた子猫のように寂しげな表情を見せる離島棲鬼。

 その様子を見て、戦艦棲姫は改めて自分の弱さを悔いた。自分の意志をはっきりと告げていれば、過去と決別できていれば、この()はここまで傷つくことはなかったのに、と。

 するりと黒髪をすり抜けた戦艦棲姫の細腕が離島棲鬼の頭を包み、そのまま自身の胸元へと導く。戦艦棲姫は離島棲鬼の頭を抱きしめた。

 

「デモ、ヤッパリ誰カニ傍ニイテホシイ。心ダケジャドウシテモ寂シクナルワ。傍ニイルコトモ大事。ダカラ、アナタガ傍ニイテ」

「……オネエサマ」

 

 恐怖はもう感じない。変わりに込み上げる嬉しさが、涙に代わって離島棲鬼の頬を伝う。

 姉に喜んでほしい。その一心で行動してきた離島棲鬼の努力が報われた瞬間だった。……周囲に多大な迷惑を振りまきはしたが。

 戦艦棲姫は離島棲鬼の手を取りを、優しく引き上げた。

 

「私タチモ帰リマショウ」

 

 離島棲鬼手を取り微笑む戦艦棲姫。泣きながらも笑顔を浮かべる離島棲鬼。二艦はどちらからともなく、彼女たちの後ろ姿へ目を向けた。

 夕日に照らされた穏やかな海。その上を進むのは艦娘と深海棲艦の入り混じった奇妙な一団。

 

 人々は彼女たちを、奇天烈艦隊と呼んだ。




次回・・・鎮守府へようこそ

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