船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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 新幹線は圧倒的な速度で景色を吹き飛ばし、進んでいく。それでも車内に伝わる振動はごく微細なものだ。それは新幹線自体のフォルムや線路との兼ね合いなどの細かい計算の上での結果なのだろうが、浩子はまったくの専門外であるため詳しいことはわからない。ネットで調べればそれなりに深くまでつっこんだ情報も出てくるのだろうが、別にそこまでの興味を持っているわけでもないので小さな窓から外を眺めることにする。ただ速度が速度のため、近いところのものは色としての認識しか持てないが。

 

 昨日は充実した一日だった。麻雀においてもそうだったが、なにより部員のみんなと再会できたことが嬉しかった。安心もしたし、さみしくもあった。他にもさまざまな感情が綯い交ぜになった気もするがそんなことはどうでもいい。状況によっては相反する感情が同時にせめぎ合うことなど当たり前のことで、大事なのはその中でどれを重要とするか、だと浩子は考えている。もちろん部活のことだけでなく家族と話ができたことも嬉しいことのひとつだった。女子高生にとっていきなり家族と離れて生活するのは、電話があるとはいえなかなかラクなことには分類されないだろう。

 

 現在は日曜日の午前十時あたり。大阪を発ってから一時間ほどだろうか。もうしばらくしたら東京で乗り換えて、今のホームである宮守へと帰ることになる。途中でちょっと休憩は挟むことになるだろうが、同じ椅子に座り通しはさすがにダルいなぁ、と自然に考えていた浩子は一拍おいてびくっと背筋を正した。ひょっとして口癖が感染したのだろうか。

 

 浩子は益体もないことを考えていることに気づき、思考を元へと戻す。テーマはここしばらく変わっていない。赤木と健夜の見せた雲のような闘牌の意味と、それに付随する “やり方” 。もうひとつは赤木の出した二つめの宿題である。打牌とは何を指すのか。どうも浩子にはこれら三つが繋がっているように感じられた。明確な根拠はない。ただなんとなくそうじゃないかと思うだけだ。性格的に論理からくる証明が欲しいところではあったが、自分がそう思ってしまうとあっては浩子にはそれ以上どうしようもない。すべての答えを出した後で繋がっているかどうかを判断するしかなさそうだ。

 

 赤木は浩子の隣で新聞を読んでいる。浩子にとって長らく生態の不明だったこの男は、退屈だと活字を読む習性があるようだ。基本的には人や風景を眺めて過ごしているのをトシの家で確認しているが、どうやら移動中だとその気勢が削がれるようだ。とくになんの感動もなくじっと静かに新聞に目を通している。

 

 「そういえば赤木さん、大阪にいる間なにしてたんです?」

 

 「……なに、知り合いのところに顔を出してたってぐらいさ」

 

 いまいちよくわからない赤木の交友関係に興味が湧かないでもなかったが、それ以上になぜかあまり関わらないほうがよさそうだと浩子は思った。風体だけで言えばチンピラのそれに類するものに違いはないし、そういう方面に関わりがあってもおかしくはなさそうだからだ。いまさら赤木がそんな連中相手にはしゃいでいるとも思わないが。

 

 「へー、あ、健夜さんから聞いたんですけどけっこうプロに知り合いいるってホンマですか」

 

 「……そんなに多くねえと思うんだけどな」

 

 「たとえば?」

 

 「小鍛治サンはまあいいとして、大沼のジジイと、三尋木、……野依もそうか、あとは藤田サンも知った顔だな」

 

 「見事にトッププロばっかりやないですか」

 

 タイトル戦の常連の名前がぽんぽんと出てくる。ある程度は想定していたものの、やはり言葉として出てくると素直には受け入れがたいような名前なのだ。いったいどんな縁で知り合ったのか。やはりこの男について考えるだけ無駄なのだろうか。ただ浩子は気づいていない。その関係性のなかに半ば取り込まれていることを。むしろ浩子が最も特殊な立ち位置にいることを。

 

 車内販売のオレンジジュースを飲みながら、赤木と会話をする前の思考にアタマを切り替える。打牌。つかめない闘牌。“やり方”。ふう、と目を伏せて物憂げにため息をつく様は妙に浩子の雰囲気に合っていた。衣装と場所を変えて品のいいコサージュでもあれば、絵になったかもしれない。見た目の様子と頭のなかで何を考えているかは必ずしも一致しないのだ。

 

 

 パステルカラーのグラデーションがすっかり濃くなった空を新幹線の窓から見上げる。そういえばここ二週間で雨を見ていないな、などと浩子は思う。先ほどから思考がまとまらないので、もう考えることを放棄して窓から見える景色に集中することにしたのだ。たとえば自分のような状況に陥ったら部のメンバーならばどういう反応を示すだろう、と空想する。なんだか手に取るようにそれぞれのリアクションが想像され、浩子はにやりと口角を上げる。ならばと今度は最近お世話になっている豊音と白望での空想に挑んでみる。この二人は千里山のメンバーには及ばないもののなんとなく想像できた。それに続いて手当たり次第に齢の近い人で試してみたが、どうしてか仲のいい従姉だけははっきりとしたイメージが浮かばなかった。いや正確にはイメージができないのではなく、さまざまな姿が浮かびすぎるのだ。定まらない。どんな姿もあり得るように思えた。不思議な人だ。だがそれでこそ、と思えるような存在が愛宕洋榎その人なのである。

 

 ふと監督に言われたことを思い出す。愛宕つながりで思い出したのは秘密だ。

 

 「そや、赤木さん。秋季大会出てもええですか?」

 

 「……秋季大会? ……聞いたことねえな」

 

 「新しいチームでの大会があるんですよ。都道府県レベルで終わりですけど」

 

 「いつやるんだ?」

 

 「十月の終わり言うてましたね。団体です」

 

 「ふーん。ちょうどいいかもしれねえな」

 

 「……何がです?」

 

 「こっちの話さ、気にしないでいい」

 

 そういう言い方をされれば気にもなろうというものなのだが、とりあえず千里山の新チームでの初めての大会に出られることが決まったので良しとすることにした。

 

 

 東京が近づいてきた。ここから乗り継いで岩手へと戻る。まとまりのない思考のなかで、浩子は楽しみだと感じていた。おそらく昨日千里山で起きた浩子の変化に関する推論が出来上がる。それは宮守にいる人たちと打つことでほぼ間違いなく確定する。今足りないのは事実による証拠である。それさえ決まってしまえば、もう浩子には次にするべきことが見えている。しかし見えてはいるものの努力でどうにかなるのだろうか、と不安に思っている部分でもあった。赤木はいつの間にか隣で寝息を立てていた。

 

 

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 「ねえシロ、浩子は最近どうなの?」

 

 「……ん?」

 

 「けっこうな頻度で打ってるんでしょ?」

 

 「ああ、そういうこと」

 

 駅近くのとあるファストフード店で、塞と白望はともに勉強に励んでいた。今は休憩時間である。なぜ全員そろっていないかと言えば、勉強にならないからだ。少なくとも塞はそう考えた。というか三人以上集まってしまえば遊ぶのを我慢できる自信がない。白望を呼んだ理由は質問したときに要点のみで簡潔に答えてくれるから。最低限の努力で誰にも文句を言わせない成果を出すことに精を出してきた彼女は要領がずば抜けて良い。じゃあいっそ自分もダルがってみようかとも考えてみたが、どう考えても白望のように過ごす自分が想像できなくて塞はあきらめて真面目に頑張ることに決めた経緯もあったりする。

 

 「……浩子は強くなってる、と思う」

 

 「ふむ?」

 

 「もう豊音の “先負” にも対応してる」

 

 「マジ!?」

 

 店内であることも忘れて塞は声を上げる。はっと気づいて口元を手で覆うが出した声は帰ってはこない。“先負” とは豊音の先制リーチに対する仕掛けであるが、ルールそのものを知ってしまえばリーチをかけなければよいという急場しのぎは誰でも気づく。だが彼女たちの言う対応とは、それと意味を異にする。なにせ豊音は六種もの能力を持っており、それを完全自在とはいかないまでも使いこなすことができる。つまりは出し入れの自由度が高く、“先負” のためだけにリーチをかけないようでは対応とは言えないからだ。

 

 どうして塞が、というか実際は宮守麻雀部の全員が浩子を気にかけているかというと、彼女たちには後輩がいなかったからである。はじめの三人で部を作り、豊音とエイスリンを加えて団体戦に参加できるようにはなったものの、部活としては形が整っていないと言われても仕方がないものだった。先輩も後輩もいなかったのだ。だから時期外れとはいえ、初めてできた麻雀部の後輩にはどうしたって関心が向く。年下の分際でスキあらば先輩である私たちをからかおうとするその根性はちょっと生意気だが、むしろそれもかわいい要素のひとつに捉えられた。

 

 もともと塞は世話焼きであり (これには小瀬川白望の存在が大いに影響している) 、言い方は悪いが後輩など格好の餌食なのだ。先輩風を吹かせて飲み物でもおごってみたいし、勉強面で頼ってもらうのもアリかもしれないなどと妄想は膨らむ。それにしても来るタイミングが悪いよなあ、とため息と同時に妄想を打ち切ると、白望がじっとこちらを見ていることに気が付いた。さっきから怖いんだけど、の一言で表情に出ていたことを塞は理解した。

 

 

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 浩子と赤木が熊倉宅へと帰ると、豊音が居間で寝そべって鼻歌交じりに雑誌を読んでいた。長い黒髪はその体勢では邪魔になるのだろう、ヘアピンとシュシュでまとめられている。二人に気付いた豊音はさすがに失礼だと思ったのか、座りなおしておかえりなさい、とやわらかい笑顔を向けてきた。ただいま戻りました、と律儀に返事をして浩子は部屋へと荷物を置きに行く。ああ、と軽く返して赤木はそのまままっすぐ縁側へと向かっていった。タバコでも喫うのだろうか。

 

 着替えた浩子は豊音といっしょに雑誌を眺めていた。二人が読んでいるのはファッション雑誌であり、ページをめくってはこの服はどうだ、あの服はどうだと大騒ぎである。年頃の女子高生が騒がないわけがない。聞けば豊音の前にいたところは相当に田舎でこんな雑誌など入らないようなところだったらしい。いまひとつ浩子には想像できなかったが、目の前のこんなに楽しそうな笑顔を見せられたらそんなことはどうでもいいという気になっていた。と同時にふと思ったので尋ねてみた。

 

 「豊音さんモデルとかいけるんちゃいます?」

 

 「もっ、モデル!?いくらなんでも無理だよー」

 

 「いやいやすらっとしてて脚も長いし悪くないと思うんですけどね」

 

 「だ、だってああいうのってすっごい美人さんじゃないと」

 

 はあ、と浩子はため息をつく。この人の自己評価の低さはいったいどこから来るのだろうか。昔いた環境というのがそんなに影響しているのだろうか。少なくとも浩子の目から見れば自分にはないものをたくさん持っているように見受けられる。

 

 「あっ!ダメだよ!年上をからかっちゃいけないんだよ!」

 

 そんなつもりは毛頭ないのに至近距離でむくれている。なるほど塞さんや胡桃さんが小動物だと言っていた意味が身に染みる。千里山にはこういうタイプの部員がいなかったので新鮮だ。ちょっとだけいたずらっぽくウソじゃないですよー、と一言添えて、また雑誌の鑑賞に戻る。まだ九月だというのに後ろのほうのページには “この冬に来る!ニューコーディネイト!” なんて特集が組まれていた。浩子はあまりそういった事情には詳しくないが、あるいは雑誌としては遅いのかもしれない。

 

 

 二学期が始まって以降、麻雀の練習は夕食の片づけが終わってからということになっている。さすがに白望を毎日ひっぱり出すわけにもいかないので、彼女は週に一、二回程度の参加頻度となっている。そうなると浩子の相手が自然と健夜・トシ・豊音となる。強いのはもちろんのこと引き出しの数が半端ではないため、倦怠感のようなものはまず起きることはなかった。赤木は練習に参加することはなかったが、豊音や白望からされる質問にちょくちょく答えたり、あるいはいなしたりしているようだった。

 

 さてそうなると浩子は放課後がフリーになる。これまで放課後は麻雀部員として活動してきた経験しかないため、どうしたものかと考えた。とりあえずまっすぐに帰って勉強とかは癪だったのでクラスメイトの所属している部活に顔を出してみたり、クラスメイトといっしょに遊びながら帰ったりしてみた。やはり経験の浅いものは新鮮で、フツウの女子高生はこういうものなんだな、とすこし奇妙な感慨にふけったりするのだがそれはまた別のお話。

 

 

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 浩子が帰ってきた翌日の月曜は、雨だった。風もなくしとしとと降る雨はゆっくりとアスファルトの色を変えていく。さすがに実家から傘を持ってくるというわけにもいかなかったので、もともと熊倉宅にあったビニール傘を借りて学校へと向かう。今日は体育の授業はなかったはずだ。よく誤解されるのだが、浩子は別に運動が嫌いというわけではない。間違っても自分から得意などとは言わないが、スポーツは見るのもやるのもわりと好きだという。浩子の印象としては、岩手の子は大阪の子より運動ができるような気がする。勘違いかもしれない。

 

 今日は白望が麻雀を打ちに来てくれる日であり、おとといから浩子が心待ちにしていた日でもある。千里山女子で起きた変化に関する推論にある程度の確証が得られるからだ。その研究者気質のある性格からか、確たるものを手に入れるというのは浩子にとって非常に喜ばしいものであった。だから教室に入る瞬間にはすでに上機嫌モードが出来上がっていた。クラスメイトになにかいいことがあったのか、と聞かれて自分の推論に大きな材料が加わるのだと素直に答えたとき、そのクラスメイトが怪訝そうな顔をしたのは仕方のないことだろう。

 

 学校でこなすべきことをすべて終え、浩子は下駄箱に待機している。豊音と白望を待っているのだ。どうせならいっしょに帰ったほうが楽しいだろう。空を見上げると、コントラストの強弱こそあれまだ灰色には変わりなく、ひょっとしたら明日も雨は続くかもしれないと思わせる空模様だった。部活のない生徒たちが傘を広げて帰っていく。今日はバスが混むことだろう。不意に、ぽん、と肩をたたかれた。

 

 豊音か白望が来たのかと思い振り向いてみると人差し指が頬にささった。指の主は輝くさらさらの金髪を震わせて、笑いをこらえていた。

 

 「ヒロコ、ユダン!」

 

 「古典的な手でまぁよくも……」

 

 ひとしきり下駄箱で対決していると待ち人ふたりがやってきたので、みんなでバス停へと向かうことにした。

 

 

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 結論から言えば、浩子は予想通りのデータを得ることができた。豊音と白望の手牌や意図は透けなかった。やはり聴牌の気配を察知することが限界であった。浩子はこう考えている。これが意味することは、自分がどれだけ目の前の相手を知ることができているかが鍵になっているということだ、と。宮守の先輩たちと仲良くなったのは事実だが、千里山のみんなと比べるとまだ時間も密度も及ばない。そういった点からすれば意図が読めないのは当然だろう。意図が読めないのなら、捨て牌から手牌を推測するにも確度が足りなくなる。つまり相手がどういう人間かを知ることによって、その精度が上がるのだ。これは牌譜を研究することによって得られる麻雀における傾向とは趣を異にする。傾向は傾向として役に立つものだが、どういう思考判断からその傾向に至るのかを知ることとは情報としての質が違うからだ。

 

 なるほど、と浩子は思う。大人たちはそれを知っているのだ。別に赤木や健夜たちが演じているとは思わない。ただ、彼らは麻雀の際に自身を律する術を持っているのだ。だから彼らからは何も感じ取れない。だからもし彼らを打ち倒そうとするならば、それを踏まえたうえでの思考の流れを読まなければならない。なにが “あと一歩” だ。とんでもなく大きな一歩をあの二人は要求している。浩子は麻雀という競技が姿を変えてしまったように感じた。

 

 しかし、浩子はそこで立ち止まるわけにはいかなかった。()()()()()。たとえばインターハイは全国の都道府県から選手が集まる。もちろん牌譜などを集めることは簡単だろう。だが、それら全ての選手がどのような人間かを事前に把握するのは不可能だ。だから現時点では浩子の気付きは無意味と言っていい。それを有用なものをするには、その場で相手を見極めるという技術を手に入れる必要がある。ここだ、と浩子は思う。“やり方” だ。これまでの二人の打ち筋、それも局の初めのあたりを思い出す。あれは()()()()のだ。浩子や中年がどう反応するかを見るためのいわば捨て石。考えてもみなかった。自分の判断において他家の人間としての傾向を半荘のうちに見抜き、それを利用するなど。宮永照がそれと同じようなことをやっているが、あれは能力だ。根本的な部分で違う。

 

 暗に赤木からやれと言われていることは、どう見ても荒唐無稽なものではあった。だが、魔物を倒すということを前提に置いて考えた場合、これほど理にかなったものはないのではないかと思われた。いかに人並み外れた能力を有していてもその土台は人間であり、性格は誰にだってある。その傾向を見抜いてうまく使えば、能力を封じることさえ可能かもしれない。強すぎる能力は所有者にそれを使うことを強いる。それを封じてしまえば純粋な麻雀での勝負になるのだ。もし浩子が短時間で相手を見抜く技術を手にしていれば、そうそう負けることはない。浩子は今、ようやく自分の持つ可能性に気付いた。

 

 

 

 いまだ降りやまない雨の景色をじいっと浩子は眺めていた。今日の練習はとうに終わってのんびりしているところである。正確にはどうすれば短い時間で相手を見抜けるのかをつらつらと考えていたところだ。そのための打ち筋とはいったいなんなのだろうか。無目的なものでは意味をなさない。やはりそこには意図があるはずだ。これまでの、いかにして和了るか、いかにして振り込まないかの打ち筋とは異なるもの。

 

 今日は冷える。入浴の時間が少しばかり長くなりそうだった。

 

 

 

 


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