船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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 南の空に雲が見える。風もそこそこあるようでなんだか気分が落ち着かない。これはひょっとするかもしれないな、なんて思いつつ折り畳み傘を鞄に放り込む。夏の終わりの天気など変わるときはさっと変わってしまうもので、とくに夕立には何度やられたか数えるのも億劫なぐらいだ。正直折り畳み傘では心もとない気がしないでもないのだが、今のところ南を除けば空は晴れ渡っている。だから長い傘を持っていくのはすこし気が引けてしまう。家を出る前に洗面所でさっと身だしなみを確認して玄関を出る。いってきますと親への挨拶も忘れない。

 

 住宅街を抜けて駅前のバス停まで行き、宮守高校行のバスを待つ。これまで二年以上使ってきたバス停だ。もちろんのこと時間のことを計算に入れて家を出たのだからそれほど待つ必要はない。三分ほど待ってバスに乗る。定期券を見せる。後ろのほうが空いてることを確認して後ろから二番目の席に座る。なぜかこの場所が臼沢塞はお気に入りだ。窓枠に肘をかけ、ゆっくりと動き始める風景を眺める。さんざん眺めてきた景色だ。塞が宮守高校に通っているあいだはとくに劇的な変化を見せなかった。だからこそ愛着が湧くのかもしれないし、あるいはすこし物寂しい感じを受けるのかもしれない。そんな塞の郷愁など露知らず、バスは次の停留所へと向かっていく。

 

 ぷしゅう、とバスの扉が開く。てこてこと小さな少女が乗ってくる。同じ宮守の制服を身に纏い、艶やかな黒髪をボブカットにした女の子だ。制服でない限りは高校生だなんて思ってもらえないだろうな、なんて少し意地悪なことを考えながら塞は少女に微笑みかける。塞の視線に気づいた少女は笑顔を返す。ぱたぱたと小走りに塞のもとへと寄ってくる。びっと手を上げ、透き通るような声で挨拶をする。

 

 「や、おはよ。塞。ご機嫌いかが?」

 

 「何それ。キャラでも変えたの? 胡桃にゃ合わないよ」

 

 「そ。じゃあやめる」

 

 少女、――鹿倉胡桃は塞の隣に座り胸元をあおいで涼しい空気を服の中に送り込む。塞も思ったことだが、岩手の地で夏の盛りを過ぎたとはいえまだまだ暑い。胡桃の行動をはしたないと咎めることもできないくらいだ。それに胡桃はどちらかと言えばたしなめる側の人間だ。その胡桃が我慢できずにやっているのだからそれはもうどうしようもないのだろう。塞も冷房の効いた車内だというのに団扇が何とはなしに手放せない。ときおりがたんと揺れながらバスは進んでいく。

 

 この夏、塞の所属する宮守女子高校はみごと県予選を勝ち抜きインターハイへと駒を進めた。去年のこの時期など部には三人しかメンバーがおらず、通常の四人麻雀が打てる環境ですらなかった。校内における評価は “仲良し三人組の居場所” 程度のものであり、とくにそれに異を唱えるつもりは彼女たちにはなかった。実際、三人で麻雀をしながら適当におしゃべりをするというのが基本的な活動内容だった。ある冬の日に一気に仲間が増えるまでは。ありふれた出来事だとは言えないが、ドラマのような出来事というのははばかられるような、そんな出来事。新しく学校にやって来た先生が部員を連れてきて、仲のいい部員がさらに一人誘い込んだ。宮守女子麻雀部の歴史を文字にすればこんなもので済んでしまう。

 

 高校前のバス停で塞と胡桃は下車し部室へと向かう。もう麻雀部として大会などに出る予定などはないのだが、後輩もいないため引退などといった考え方をする必要もない。集まりたくなったら連絡をとって集まればよい。それに現在三年生である塞たちに控えているのは大学受験であり、勉強の息抜きも大事だと塞は考える。たしかに勉強は大事だけれど、それのせいで体調を崩してもしょうがないだろう、と。

 

 部室の戸を開けるとそこにはすでに塞と胡桃以外の三人が揃っていた。一人はなぜか雀卓のうえに突っ伏し、一人はスケッチブックを大事そうに抱えている。最後の一人はどうしてか冬服を着てにこにこしている。なんともまとまりが無いように見えるが、これでも締めるべきところは締められるからなあ、と塞は苦笑する。

 

 「おはよー、ってなんだ、私たちが最後か」

 

 「あ、塞ー。重役出勤だねー?」

 

 「これでも集合時間の十五分は前なんだけどね」

 

 挨拶をしつつ、いつも通りの軽口の応酬を楽しみながら荷物を窓際の机へと置く。冬服の少女が立ちあがってこちらへと近づいてくる。あらためて見ると非常に背が高い。塞の頭のてっぺんが肩に届くかどうかというところだ。その身長に反して彼女の振る舞いは小動物を思わせる。一人ぼっちにしておいたらうさぎみたいに死んでしまうだろうと思わせる何かがある。ちらと隣に目を向けると高校三年生にしては非常に背の小さな胡桃がいる。塞は二人を並べるといつも人間の多様性というものに感心したくなる。

 

 「豊音はどれくらいに来たの?」

 

 「えへへ、一時間くらい前だよー」

 

 「わーお、そんなに近くないはずなのに」

 

 「だって皆で集まるのちょー楽しみだったから」

 

 長身の少女、――姉帯豊音ははち切れんばかりの笑顔を浮かべて愛おしそうに部室に集った面々に視線を投げる。豊音はこの高校に来るまでは特殊な環境で育ったため、同年代の友達というのがきわめて大切なのだという。それを知っているから塞を初めとする宮守女子麻雀部は豊音を甘やかしがちである。保護欲をかき立てられるのだから仕方あるまい、というのは過保護にする者たちの弁である。

 

 手早く荷物を置いた胡桃がささっと動き出す。塞の予想した通りに雀卓の方へと向かっていく。雀卓の近くには人形かと見間違えてしまいそうになるくらいに顔立ちの整った金髪の少女と緑色のラシャの上にだらりと倒れ掛かっている白い髪をした少女がいる。胡桃の動きはきびきびとしていて、これまた小動物を思い出させる。休憩時間の雑談のお題が “自分たちを動物に例えたらなんだろう” だったのは今年の春先だったか。胡桃にハムスターと言ったら詰め寄られたことを塞は思い出す。その胡桃が突っ伏している少女を正常に座らせてその少女の上に座っている。これを “充電” と胡桃は称しているが効果のほどは定かではない。

 

 胡桃に座られている少女の名は小瀬川白望。放っておけば本当に何もしないのではないか、と真剣に考えさせるこの少女は団体戦では先鋒を務める実力者だったりする。この暑い夏にどうして “充電” を受け入れるのか聞いてみれば彼女の行動原理のようなものがわかるだろう。白望は一言こう答えるはずだ。抵抗するのがダルい、と。そんなことを言いながらきちんと学校には来るし今日みたいな集合にも応じる。ましてや部活で全国大会まで出ているのだ。表面には出さないが仲間想いなのだろう。

 

 そんな二人の様子をスケッチしている金髪の少女。彼女は名をエイスリン・ウィッシュアートといい、この宮守女子にニュージーランドからの留学生としてやってきた。麻雀部の最後の一人としてやって来た彼女を連れてきたのがあの白望だというのだから驚きである。もともと麻雀が打てるというわけでもなかったが、持ち前の学習能力の高さを発揮し、あっという間に部での練習に参加できるまでに成長した。どころか全国で最高の和了率をたたき出すというにわかには信じがたい記録も作ってみせた。楽しそうにスケッチしているその姿からはまったく想像がつかないが。

 

 軽く打とうか、などとこれからの予定を話していると戸が静かに滑る。目をやるとそこには品の良いしわの刻まれた女性が立っている。それを見た部員たちがそれぞれに挨拶をする。後ろで髪を丸くまとめているこの女性こそ宮守女子麻雀部監督、熊倉トシその人である。こうして何でもない集まりにも来てくれるトシに塞は感謝している。豊音が来るのなら彼女が来るのもある意味当然と言えるのだが。思えば彼女からはなにかを受け取ってばかりであまり目に見えるかたちで返せてないなあ、と一抹の心苦しさを覚える。塞の感覚で言えばトシにおんぶにだっこでここまでやって来られたようなものなのだ。それでもインターハイに出場できたことは多少の恩返しにはなっているかな、とも思う。恩返しとして卒業式で泣かせる作戦を立てているのは秘密である。

 

 

 近況は普段からメールなどでお互い報告しあっているため、電話やメールでは不十分な雑談を始める。役割で言えば塞と胡桃はツッコミだ。エイスリンもまだ少しおぼつかない日本語でなかなか楽しくやれている。こんな時間がいつまでも続けばいい、と塞は思う。考えるにファウスト博士はきっと時間を止めるタイミングを間違えたのだ。手の届かないものじゃなくてもっと身近なものを望めばよかったのに。などと最近読んだ本について思いを馳せる。インターハイが終わってぽっかり空いた時間で読んだものだ。勉強しなきゃな、とも思うが切り替えのための準備期間も大事と言い訳をする。突然、電子音が響いた。

 

 自分の着メロとは似ても似つかないので塞は周りを見渡す。そもそも常時マナーモードなのだ。自分の携帯が鳴るわけがない。怪訝な顔で携帯を見つめているのはトシだった。視線はディスプレイに固定されている。よほど意外な人間からの電話なのだろうか。着信音は鳴り続けている。トシはふと我に返ったように手を動かし始め、ため息をつきながら電話に出る。

 

 「もしもし?」

 

 トシの珍しい様子に少女たちは全員注目する。ため息をつくシーンなど見たことがない。

 

 「なんだい珍しい。……ああ、そっちは元気なのかい?」

 

 「そう……。それで? うん、まあ構わな……、ん? ゲスト?」

 

 トシの電話がまだ終了しないうちになぜかまた戸が滑った。塞の目の先にはどこかで見たことがある気のする女性が二人と全く見たことのない男性が一人。トシの口があんぐりと開いている。宮守女子麻雀部は何がなんだかわからないといった風だ。対して戸に立つ三人は一人はニコニコしながら携帯電話を片手にし、一人は苦笑い、一人はそもそもこっちを見ていない。さてどう考えても塞には接点がなさそうだ。というかおそらく今の電話の主がそこに立っているあの人なのだろう。電話しながら入室とはいささか無礼な気もするが。それにしても、と塞は考える。あの前髪を短く切った女性はどこか、それもテレビか何かで見たことがあるような―――。

 

 「あああ!ひょ、ひょっとして小鍛治プロ!?」

 

 豊音が大声を上げる。部員全員がいったん豊音を見てから再び入口へと視線を戻す。少し間が空いてそれぞれに納得の声を上げる。テレビの向こうの人と直に会っても案外わからないというのはどうやら事実のようだ。さて当面の問題は、なぜその小鍛治健夜が人を引きつれてここにいるのかということであった。

 

 

―――――

 

 

 

 浩子は謝りたい気分でいっぱいだった。先方に事前に連絡を入れるべきだと主張したのだがサプライズにしようなどと押し切られ、電話をしながら殴りこむなどという暴挙をしてみればこの有様だ。一様に驚いている。たしかにサプライズは大成功だ。健夜はともかく赤木と浩子などという相手からすれば知らない人間が急にやってくればその反応も当然だろう。というかよく考えなくてもあの小鍛治健夜が突然来たって驚くに決まっている。だから浩子はひたすらに苦笑いをするしかなかった。無理やりこの乱入の利点を挙げるとするなら、小鍛治健夜に暴走する癖があったことを知れたことである。今後の教訓にしようと浩子は固く心に誓ったのだった。

 

 「よう、熊倉サン。しばらくぶりか?」

 

 「……驚いたね。お前がこんなところに来るだなんて」

 

 赤木はいつもの笑いを浮かべながらトシに話しかける。逆にトシは幽霊でも見るかのように赤木を見る。基本的にこの男は人を訪ねるということをしないのだろう。健夜のときもそうだったが、反応がどうも芳しくない。たしかに今一つ行動原理のつかめない男の訪問が喜ばしいかと聞かれれば、それは正直言って肯定できないなと浩子は思う。

 

 「それで、いったい何の用があって来たんだい?」

 

 「いやなに、こいつに麻雀を教えてやってもらおうかと思って」

 

 「……は?」

 

 やはり自分の耳が信じられないのだろう、トシは頓狂な声を上げる。

 

 「しげる、お前熱でもあるのかい?」

 

 「ククク、何もおかしなところはねえだろ」

 

 「お前が育成に関わるだなんて驚天動地だ。信じられやしないよ」

 

 健夜にしたものとほぼ同じ説明を済ませ、赤木はふらりと窓際へと向かう。浩子はトシに対して自己紹介をしていた。トシは当たり前のように浩子のことを知っており、浩子はなんだか照れくさい思いをした。健夜はというと宮守の麻雀部員に囲まれていた。白望を除いて。どうやら様々な質問攻めにあっているようだが、立場上答えられないこともけっこうあるらしい。眉を八の字にしてごめんねごめんねと謝る姿が目に入る。浩子とトシの会話が一段落ついたのを確認したのか健夜が浩子のもとへとやってくる。背中をぽん、とたたいて自己紹介を促す。

 

 「あ、大阪の千里山から来ました。船久保浩子ですー。よろしくお願いします」

 

 「千里山、って大阪の代表の!?」

 

 インターハイの団体戦において千里山と宮守女子は反対の山にいた。データ大好き浩子は別にして、宮守はせいぜい下準備程度にしか千里山を調べていない。それに事前の分析は基本的にトシが担当していた。そのせいもあってか彼女たちは浩子のことをあまり知らないようだった。

 

 

 それぞれ自己紹介を済ませ、あらためてぐるりと周囲を見回す。校舎はそれなりに年季の入った木造で、部室も例に漏れない。ただ、その材質のおかげかどこか暖かみが感じられるので浩子の好みに合っていた。雀卓はひとつ。元教室の中心に置かれている。机やら椅子やらは端に押しやられてはいるが、放っておかれているわけではないようで埃などは積もっていない。自分のいた千里山と比べるとだいぶ違うな、と感心する。今度は歩きまわりながらじろじろと細かいところまで見物し始めると、後ろから声がかかった。

 

 「ねえねえ、浩子は何しにこんな岩手くんだりまで来たの?」

 

 光の加減で赤みがかって見える黒髪をつむじの辺りでお団子にした少女が問いかける。その口調は浩子にしっかりと年上というものを意識させるものだった。

 

 「えーっと、あっちの二人に麻雀鍛えてもらうことになって……」

 

 「え!? 小鍛治プロに教えてもらってるの!?」

 

 「いやあ、どっちも教えてくれなくて……。打ってはくれるんですけど」

 

 塞もさすがに理解が追いつかないようで、よくわからないといった表情をしている。熊倉トシに師事してきた塞にとって、麻雀は上手い人から教わって強くなるものだという認識があり、それは全国的にも一般的なものであった。だから目の前のこの大阪から来たという眼鏡の少女が言っていることがひどく不可解に感じた。当の本人でも不可解に思っているのだからそれは仕方のないことだろう。

 

 「小鍛治プロはまあいいとして……、あの男の人って強いの?」

 

 「正直言って鬼やと思います。健夜さんに勝ちましたし」

 

 浩子は言った瞬間にしまった、と思った。今の発言は明らかに不要で、なにより信じてもらえない内容だからだ。人間は異常な環境にも驚くほど早く順応する。浩子は普段から周りにいる人間が赤木と健夜という状況に慣れてしまっていた。麻雀を打つ人間からすればこれほどおかしな環境もなかなかないだろう。日本中のプロをかき集めたって健夜ひとりと釣り合うかどうかさえわからない。それを言うに事欠いて健夜に勝ったなどと言ってしまえば、まともな反応が得られないことなど火を見るより明らかである。さっきの発言と同時に固まった空気を打ち破ってくれたのは浩子にとっては意外な人物だった。

 

 「そうさね、しげるは健夜と比べてちょいと上といったところか」

 

 トシの口から言葉が放たれた途端、本当ですか熊倉さん、と白望とエイスリンを除く三人がトシへと詰め寄る。白望はそもそも興味がないのだろうし、エイスリンは健夜のことを詳しくは知らないのだろう。どうやら白望に質問しているようだ。説明を受けて驚いている。トシは三人に囲まれて説明に窮している。麻雀の強さにおいて口で説明してわかる例など稀有なものだ。もし普通の麻雀から外れたオカルト能力を持っているのなら説明もしやすいのだろうが、残念ながら赤木はそういったものを持っていない。

 

 オカルト能力。先天的であれ後天的であれ、通常であれば運しか入りこめない領域に影響を及ぼすにわかには信じがたい例外的ななにか。それはほとんどの場合望んで手に入れられるようなものではなく、仮に望んで手に入れるにしてもおそろしく険しい道のりとなる。身も蓋もない言い方をすれば、なにかを捨てて初めて手に入れられる可能性が生まれる。そんな実体のないなにか。もちろんのこと、それはあれば勝負が決まってしまうような絶対的なものではなく、やり方次第で打ち破れはする。だがそれを実行できる人間はきわめて少ない。浩子のように徹底して情報を集め対策を練って対応するか、相手以上のオカルトで封殺するか、あるいは他のやり方か。

 

 例えば小鍛治健夜は未だにオカルト能力を持っているか否かが議論されている。健夜自身がそれに関わる発表をしていないからだ。あれだけ負けなかったのだからきっと持っているに違いない、という意見もあれば、それにしても彼女の牌譜に共通性が見出せない、と否定する意見も後を絶たない。どちらにせよ異常な成績をたたき出した事実は変わらないけれど。ただ、彼女を上回るために彼女がそういったなにかを持っているかどうかを確定させることは非常に有効だと考えられている。いかに例外的であれ、現代の麻雀においてオカルト能力はひとつの軸となっている。

 

 トシはどう説明したものかとひとしきり考えたあと、こう言った。

 

 「打ってみればいいんじゃないかい?」

 

 今トシと話しているのは臼沢塞、鹿倉胡桃、姉帯豊音の三人である。このなかで能力持ちがいるかと聞かれれば宮守女子麻雀部は揃って豊音の名前を挙げるだろう。熊倉トシが見出した逸材。特殊な環境に生まれ、特殊な環境が生んだ異能。六曜を従える存在。曰く長野の魔物たる天江衣を抑えるための最終兵器。正直なところを聞けば、宮守の全員が初対面で豊音を破ることなど不可能だと言うだろう。それがたとえ小鍛治健夜より上とされる相手だったとしても。周りを囲むのも自分たちであり、インハイ二回戦での清澄の宮永、永水の石戸のような不確定要素もない。ましてや彼自身がオカルト能力を持っていないのであれば、何もできずに終わるのが当然だと言ってもいい。そう評するのが許されるほどに、姉帯豊音は強い。

 

 トシは自分の教え子たちにそう伝えたあと、対戦相手となる赤木に声をかける。今後のために打ってやってくれないか、と。姉帯豊音はこれから麻雀と共に人生を歩んでいく。ついで可能性を持つのは小瀬川白望だとトシは踏んでいる。豊音に関しては彼女を取り巻く環境が特殊だったこともあり、トシが全面的に責任を持つ。白望がすぐにプロ入りするのか大学に進学するのかは分からない。先方から声がかかるタイミングなど知りようもない。ただ、この二人はその人生を歩むだけの才覚を持ち合わせているとトシは確信している。そんな子たちに早い段階で頂点を見せておくのも悪くないと考えていた。

 

 「……まあ、構わねえけどよ、ウチのひろも頼むぜ?」

 

 「わかってる、ちゃんと面倒見るよ。ったく、またウチが賑やかになるね」

 

 卓につくことを指示されたのは先ほどトシに詰め寄った三人だった。豊音が白望を椅子から引きはがし、トシのもとへと運んでいく。その動作は手慣れた様子であり、普段から行われているであろうことが伺える。高校三年生の女子と言えばもうほとんど肉体的には完成されているはずなのだが、それを楽々と運ぶ豊音に浩子は驚く。ちなみに白望は一般的な女子のなかではかなり大きい方に分類される。その白望はトシから赤木の手牌が見える位置へと移動するよう指示されている。少し不思議そうな顔をしていたがとくに反論があるわけでもないようで、ゆるゆるとした足取りで指定の位置へと向かっていく。その隣をエイスリンがついていく。そうしている間に場決めは終わっていた。

 

 

―――――

 

 

 

 (まあ初めての対戦やから大丈夫やろ、なんて考えてたらキツいことになるやろな)

 

 そうでなくても厳しいか、と誰にも気づかれない程度の浅いため息を浩子はつく。赤木は趣味としてインターハイを観戦している。それに宮守女子はアンテナに引っかかったのか、強い選手を聞いたときに名前が挙がるくらいだ。仮に彼女たちが何らかのオカルト能力を持っていたとしても(浩子にしては珍しく、宮守はマークが浅く情報が不足していた)、おそらく赤木は既になんらかの見当はつけているだろう。健夜もそうだが、浩子にとっての雲上の人たちは洞察力に非常に長けている。事前の調査がなくてもその場で見れば十分といったレベルの洞察力。浩子の得意とする分野の延長線上にあるその力は、浩子自身いずれ手に入れなければならないと考えているものでもある。だからこの場は彼女にとっての鍛錬の場でもあった。全国レベルの未知をぶっつけで分析する練習のための場。浩子が位置取ったのは、折よく姉帯豊音の手牌が見えない位置であった。

 

 

 結果として宮守女子は赤木に勝つことはできなかった。信じられないといった表情を浮かべる少女たちがいる一方、慈しむような表情をする人たちもいた。

 

 姉帯豊音は困惑を隠せないでいた。初対面で真正面から潰される体験など初めてだからだ。インターハイの二回戦における大将戦で苦杯をなめたのは事実だが、あれは姫松の選手に正体を暴かれたことに起因する。この目の前の男にはなにも情報はないはずなのに、さながら鹿倉胡桃のようにリーチはかけなかったし、鳴ける牌さえ切ってくれなかった。それは豊音にとって五感のひとつを奪われるような感覚であった。あって当たり前、使えて当たり前のものが機能しない恐怖。これで彼は能力を持っていないというのだから、なおさら困惑は深まる。

 

 塞と胡桃はまさか、と苦笑を浮かべざるを得なかった。頬を冷や汗が伝う。豊音が負けることなど想定していなかったからだ。いや小鍛治健夜より上と聞いていたのだから想定していなかったというのは嘘になるが、それでも豊音が勝つと思っていた。だが結果は負けたどころの話ではなかった。誰も白髪の男から直撃を取れていない。塞も胡桃も高校生として見れば相当に熟達した腕を持っている。それに豊音を加えて手も足も出ないとは。自分たちが思っている以上に麻雀というのは奥が深いのだと二人は理解させられた。

 

 白望とエイスリンはしきりに頭を捻っている。白望は対局中に悩んだ末、悪手に見える手を打っても結果的に最善手になるといういささか反則染みた能力を持っている。一方でエイスリンは理想を現実に描くというこれまた信じられない能力を持っている。二人に共通するのは、基本的にその能力が及ぶのは自分の手に対してのみであり、前に進めるための部分が大きい。赤木の打ち筋はそのどちらにも属さないものだった。だが二人にはまだその意味がつかめない。意味が理解できない以上、それは不可解に映る。二人はその打ち筋について議論を試みるが、それは実を結びそうになかった。

 

 トシはそういった彼女たちの反応を見て、赤木と打たせてよかったと心底思っていた。これはひとつの壁を破るきっかけになるだろう。自身で技術や心構えなどは教え込んできたと自負してはいるが、このきっかけだけは自分には作れない。宮守女子の少女たちはトシと打って負けたとしても、なるほど、と受け入れてしまうだろうから。つまりトシは彼女たちから信頼を得過ぎたのだ。超えるべき壁になってあげられない歯がゆさもあったが、それよりは彼女たちのこれからの成長を考えて、トシは表情に出さないながらも楽しさを感じていた。

 

 

 

 


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