船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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―――――

 

 

 「ククク……、よう、また会ったな」

 

 来客用の豪奢な室内の黒革張りのイスに座した鋭い目に高い鼻。その頭を覆う白髪は忘れるはずもない。昨日会ったのだ。浩子の頭の中にしこりを発生させた原因。不可解そのもの。理解の埒外の男がそこにいた。

 

 「……昨日の、オニイさん」

 

 浩子の脳内はすさまじい混乱の様相を呈している。なぜこの男がここにいるのか。どうやって千里山をつきとめたのか。なにをするためにここへ来たのか。以上の事柄が頭をぐるぐる回っているため、先の言葉を出すのが精いっぱいであった。ひょっとして昨日のレートをもとに戻せなんて言われるんじゃないか、と浩子が震えはじめたころ、愛宕雅枝が尋ねる。

 

 「私は外しましょか?」

 

 「いやいや愛宕サン、あんたにもいてもらわないとね」

 

 浩子は内心ほっとする。こんな明らかにカタギではない雰囲気を発する男と二人きりで話をするなど心臓がいくつあっても足りそうにない。今はいてくれるだけで浩子にとっては役満級の大活躍なのだ。そんな女子高生の思いを知ってか知らずか、雅枝は核心にせまる。

 

 「それじゃあ要件はなんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ああ、コイツを預かろうと思う」

 

 

 

 ぴしり、と浩子が固まる。今しがた耳から入った情報を拒否するように。ついで汗がどっと噴き出す。入ってしまった情報を体のなかから追い出そうとするように。雅枝の口の端はひくついている。何かを言うべきなのだが、何を言うべきなのかわからないといった風だ。顔は次第に青ざめていく。これから起きる出来事はどうあっても回避できないことがわかってしまったのだろうか。

 

 たっぷり十秒ほど間が空いて。

 

 「この子、まだ高校生やし、学業の方も……」

 

 「ずいぶんと的の外れたことを言うんだな、愛宕サン」

 

 やっと出た抗議の言葉はにべもなく返される。明らかに返答としては正しくないのだが、白髪の男があまりに当然のように言うものだから判断が鈍ってしまう。雅枝は額に手をあて、首を左右に振る。浩子はいまだ固まったままである。無理に動かせば、ばきばきと音さえしそうなくらいだ。

 

 「まあ、色々とうるさく言われそうだからよ、フォローはさせるさ」

 

 雅枝は有効だと思っていた手札を封殺された。雅枝の知る限りこの男は学業になど一切の関心を払わない。それがこともあろうにフォローなどという単語が飛びだすではないか。つまりこの男はこちらの事情など関係なく浩子を連れていくつもりなのだ。場所などとんと見当がつかないが。分の悪い相手だと知りつつも、この高校の監督として退けない雅枝はふたつめにして最後の手に出る。

 

 「……そうは言うても、学校の方が許可するかどうか」

 

 「クク……、大沼のジジイ、熊倉サン、小鍛治サン、どれがいい?」

 

 「何の話や」

 

 「ここの、校長か? に話をさせるやつさ」

 

 がくり、と雅枝の肩が落ちる。ここ日本は世界的に見て麻雀大国と呼べる国家である。世界大会などでも成績上位の常連であり、かつ研鑽を怠らない。その流れを汲んで、国内の大会も充実しているのは当然のことである。プロの数も相当のものとなり、トッププロとなるには熾烈な争いを勝ち抜く必要がある。そのような厳選されたトッププロは驚くような待遇で迎えられる。

 

 日本という国が麻雀に狂っているからこそ。

 

 先ほど男が挙げた三人はこの国の麻雀の歴史に名を残すことが決まっている人々である。そんな人間が一人の生徒に声をかけるというのは、学校として否やはないどころか大歓迎の出来事である。そして目の前にいるこの男は、その面々と個人的なつながりを持っている。雅枝はその事実を知っているがために諦めざるを得ない。

 

 浩子はまだ固まっていた。目の前の二人のやりとりは一応耳には入ってはいるものの、理解が追いつかない。なぜ誰でも知ってるようなトッププロの名前がひょいひょい出るのか。自分たちの監督である愛宕雅枝が、どうしてあまり言葉を交わさないうちにやり込められているのか。なぜそのゴールがよりにもよって自分なのか。

 

 黙りこむ雅枝を見て交渉は終わったと思ったのか、男は席を立つ。彼の表情に変化は見られない。それはとても当たり前のような表情で、道を歩いているのとなんら変わりはない。そうして男は、浩子に視線を向ける。

 

 「……選びな、俺についてくるか、ここに留まるか」

 

 何一つ説明はない。ついていくとどうなるのか、何を得るのか。質問しても何も答えてはくれないだろう。そうした雰囲気が男からは漂っている。失うものはおそらく、さっきの二人の話から推測するに学校生活。どう考えてもついていくなんて選択肢は地雷だ。

 

 「無理強いはしねえさ、別にどちらでも構わない……」

 

 選択権はこちらにある。説き伏せるのは不可能だが、選ばなければ問題はない。常識で考えれば学校に残るに決まっている。これから部員を率いていかねばならないし、先輩が果たせなかった全国優勝を達成しなければならない。いきなり部活から離れるだなんて非常識極まりないうえに無責任に過ぎる。そんなことは当然わかっている。

 

 でも。それでも。

 

 あの麻雀は熱くなった。はじめてオカルトと出会ったときのような理解不能さがそこにはあった。久しぶりに考えても考えても結論の出ない問題にぶち当たった。さすがにインハイと並べるわけにはいかないが、勝ちたいと強く思った。何も教えてくれてはいないが、間違いなくこれは麻雀に関しての話だ。自分が一皮むけなくてはいけない。そうでなければ荒川憩のいる三箇牧には勝てない。全国にも怪物がうようよいる。彼女たちに勝つには強くならなくてはならない。

だから、浩子は扉を開くことにした。

 

 「ら、来年のインハイに!出させてもらえますか!?」

 

 条件付きで。

 

 

 

 「ああ、別にいいぜ。何も年がら年中縛りつけるってわけじゃねえしな」

 

 「えっ」

 

 「二週間に一回くらいで足りるだろ、顔見せもよ」

 

 「「えっ」」

 

 素っ頓狂な声が同時に出た。茹だるような熱気を遮断した快適な室温の部屋のなか。外では暴力的にやかましい蝉の声が防音設備に殺されて心地よいBGMとなる部屋のなか。こうして浩子が白髪の男についていくことが決まった。決められた事項は少ない。

 

一つ、おおよそ二週間に一回程度は部に顔を出させる。

一つ、来年のインターハイには予選から出場させる。

一つ、学業に関してきちんと便宜をはかる。

 

 以上の三つである。

 

 

 

―――――

 

 

 雅枝は先ほどの決断をした浩子を安心させるように抱きしめ、この男自体に危険はない、と断言してくれた。少なくとも女の子が大人の男に対して持つような不安を抱く必要などないと言ってくれた。なんでもそれなりに古くからの知り合いらしく、ある程度は信を置ける人間ではあるらしい。その後の処理をすべて雅枝に任せ、男と浩子は学校を出る。校門を通るころにはすでに熱気が体を包み、じわりと汗が吹き出させる。少し目線を上げると男も暑いようだ。わずかではあるが汗が光っている。依然として何一つ説明はなく、今どこへ向かっているのかすらわからない。行き先を尋ねようとして、浩子はひとつ重要なことを聞くのを忘れていたことを思い出す。

 

 「あ、あの……、お名前は……?」

 

 「赤木……、赤木しげる……」

 

 陽の光を浴びてきらきらと光る白髪に黒のシャツとジーンズ。なぜか昼という時間帯が妙に似合わない男の名は普通のものだった。

 

 「あ、うちは船久保浩子言います。よろしくお願いしますー」

 

 やっとコミュニケーションの第一段階をクリアした浩子は自分の名を名乗る。応接室ではあまり口数は多くなかったが、昨日の雀荘を思い出す限り無口な人ではなさそうだ。さすがに長時間黙りこくるというのは辛い。来年のインハイが約束事項に入るくらいだ。年単位で過ごすことも当然視野に入れなければならない。適度に話ができるというのは数少ない安心できるポイントの一つになった。

 

 「……ひろ、でいいか」

 

 ぼそりと一言つぶやく。それは決して浩子に確認を取る発言ではなく、あくまで独り言。発言の矛先は赤木、納得するのも赤木で完結してしまっている。そもそも浩子には聞こえてすらいない。さっくりと浩子の呼称が決定した。

 

 

 「赤木さん、これからどこ行くんです?」

 

 八月の海日和を思わせる陽気のなかを歩きながら浩子が尋ねる。

 

 「……ああ、どこか店が開いてればいいんだけどな」

 

 妙なことを言う。さっきからファストフードの店や喫茶店などはいくつか目にしている。駅も近付いてきたのでファミレスなんかでも問題はないだろう。

 

 「いやいやさっきからいくつも通り過ぎてますやん」

 

 「……?」

 

 「別にマクドでもなんでもええやないですか」

 

 「……酒は?」

 

 「あんたが連れとるの女子高生ですよ。未成年ですー」

 

 そんなことには思い当たらなかったというように赤木がわずかに目を開く。女子高生を連れて酒を飲もうとするのもさることながら、まだ午前中である。うすうす感じ取ってはいたが、おそらくこの男は常識をどっかに落っことしてしまったのだろう、と浩子は結論付ける。

 

 

 結局ファミレスに入ることになった。喫煙席の奥まった場所に案内され、二人は向かい合って座るかたちになる。浩子はたばこの匂いが好きでも嫌いでもないため、とくに文句を言うこともなかった。赤木はアイスコーヒーを、浩子はドリンクバーを注文する。メニューには様々な料理が載っているが、朝食も食べたうえにお昼まではまだ時間がある。長居をするようなら、そのときは別で注文をすればよい。だから料理を頼むことはしなかった。コーヒーをすすり、さて、と赤木は話を始める。

 

 「細かい話はあとでするとして、だ。行き先が三つあるから選んでくれや」

 

 「はあ、三つですか」

 

 「……岩手、茨城、……九州だな」

 

 「一個だけやけに幅広ないですか?」

 

 それには赤木は答えない。まさか九州全部回るとか考えているのだろうか。答えないならこれ以上聞いても無駄だと浩子は判断し、候補地へと思考を向けることにした。おおよその見当はついている。さきほどの監督との会話を思い出してみれば、あっさり過ぎるほどに候補地の意味が浮かび上がってくる。おそらくそれぞれに先ほど名の挙がった人がいるのだろう。岩手には熊倉監督、茨城には小鍛治プロ、九州には大沼プロがいるはずだ。と、そこまで思考を進めたはいいがひとつ疑問が湧いてくる。いったい何をしに行くのだろう。この目の前にいる白髪の男が自分の麻雀を鍛えてくれるのではないのか。ただ連れて行ってくれるだけの存在なのだろうか。浩子の頭のなかをクエスチョンマークがぎゅんぎゅん飛び回る。浩子はすでにどこに行くかを考えていない。

 

 「おい、ひろ、そろそろ決めたか?」

 

 のんびりと煙草を喫み、アイスコーヒーを飲んでいた赤木が尋ねる。様子から見るに、別に回答を急ぐ必要はなさそうではあるが。浩子はというと、声をかけられてやっと我に返ったようである。

 

 「えと……、じゃあ、茨城でお願いします」

 

 「ふーん……」

 

 別に浩子には深い意図はない。どこに行ったところで大した知り合いがいるわけでもなし。まさになんとなくで選んだのだった。

 

 ぐりぐりと煙草を灰皿に押しつぶし、赤木が席を立つ。伝票をさっと手に取りレジへと向かう。まあ大人の人だし、こういうときは素直に甘えるのが正しい女子高生の姿だと浩子は考える。むしろ年上相手に自分の分は払う、なんて言ってる女子高生がいたらそれは滑稽というものだろう。赤木はポケットから一万円札を取り出し、伝票とともにレジに置いてさっさと店を出ようとした。浩子は驚愕している。口がなんだかダイヤのマークになっている。コーヒーとドリンクバーでは千円もいかないのにこの男は何をしているのか。店員も、ちょっとお客様ァ!? とびっくりしている。赤木は追いかけてきた店員に対し、ああそう、と答えお釣りを受け取る。この男は金銭感覚がぶっ壊れているんじゃないかと浩子は心配になった。そういえば初対面で数百万賭けてきたのだ。それも一方的に。まともな感覚を持っているわけがない。

 

 

―――――

 

 

 

 赤木についていくことを決めたものの、さすがに着替えもなく遠出するのは女子高生の沽券に関わる。家に帰り、旅行用の支度を整える。あとは家族に話をしなければならない。無断で男と二人旅とかいつの時代のドラマだ。さてどう切り出したものかと思案していると、すでに監督から連絡が入っていたらしい。麻雀のためだしね、と普通に送り出してくれた。だいたい二週間に一度くらいは帰ることだけはしっかり伝えておいた。ちなみにこの間、赤木は駅で待っている。そこまで大きくないかばん一つで行くつもりなのだろうか、と浩子はいらぬ心配をしていた。

 

 大阪から茨城へ向かうとなると、いったん新幹線で東京まで出る必要がある。新幹線に乗車するために駅へと向かい、赤木と合流し切符を購入する。窓口のサービスが行き届いているため、足止めを食うこともなかった。値段を先に言ってくれるのだから赤木が異様な金額を払おうとすることもない。この男は値段を確認するということを一切しないのだ。 iPadで東京についてからの路線図を調べる。調べてしまえばすぐに情報は手に入るため、けっこう手持無沙汰になる。実は茨城には新幹線の停車駅がない。新幹線が通っているのに停車しないとはどういうことだ、と浩子は心の中で悪態をつくがどうしようもない。

 

 「おい、ひろ。苦手な相手っているか?」

 

 隣の席からひらりと声が飛んでくる。浩子はびくっと反応する。なんですかその呼び方。実は二度目なのだが、そのときは思考が遥か彼方へ行っていたためノーカウントである。ちなみに普段は浩子と呼ばれるのが通例である。例外としてフナQと呼ぶ先輩が一人いるが。

 

 「あ、に、苦手な相手ですか……。そうですね、洋榎ちゃんなんかは苦手なタイプやと思います」

 

 「愛宕サンの娘か……。なんでだ?」

 

 「何をするかわからないとゆーか、データを取っても次のときは役に立たないとゆーか……」

 

 新幹線がゆっくりと動き始める。この時期に旅行に行こうとするのは時間のある年配の方か大学生くらいなので席は空いている。仮に混んでいたとしても指定席のうえにしゃべること自体はそこまで問題視されないが。

 

 「そこまでわかってんならもう十分じゃねえのかな……」

 

 赤木はそれがもう事実であるように言う。どうやら教えて鍛えるというような方策は採らないようだ。言われた浩子はぽかんとしてしまう。いったい何が十分なのだろうか。すでに自分はなにか決定的なヒントを掴んでいるのだろうか。

 

 窓の外の景色が加速していく。赤木はもうこの話題については話すことはなかった。

 

 

―――――

 

 

 

 面倒な乗り継ぎを経て、茨城へと到着する。大阪に比べれば少しは北に位置しているため、ちょっとくらいは涼しかったりするのだろうかと期待するが現実は甘くない。駅の外にふらりと出て、赤木はきょろきょろと周りを見渡す。ほんのわずかな時間しかともに過ごしていないが、この赤木とかいう男は行動を読むだけ無駄だと浩子は悟っている。手慣れた動作でタバコに火をつけ、ひとつ煙を吐くと小声でつぶやく。

 

 「じゃあ、あっち行ってみるか……」

 

 よく考えてみれば学校を出てから、赤木がアポを取っている姿を浩子は確認していない。浩子が自宅で身支度を整えている間にチャンスはあったが、どうにもその姿がイメージできない。つまり抜き打ちで小鍛治プロのもとへと行こうとしているのではないかと浩子は推測する。仮にも相手はグランドマスターと呼ばれる凄腕である。そこにアポ無しの突撃を選択肢に入れられるこの男はいったい何なのか。あと許可は出るのか。浩子はこの男について考えるのをやめることを選択肢に入れようかと真剣に思い始めた。

 

 

 茨城に降り立っての浩子の感想は、すっきりしているなというものだった。大阪と比較して人の数は控えめであり、そのせいもあってか空気が違うように感じられる。失礼な話ながら浩子は自分の人生においてこんなに早く茨城に来ることになるとは考えていなかった。旅行に行くなら沖縄とか北海道とかあるいは海外とかもっとわかりやすいところに行きたいと考えるのは自然なことだろう。

 

 赤木は適当に繁華街のほうへ歩を進めていく。時刻はまだ夕方にさしかかったあたりである。小鍛治プロを探しに繁華街ということなら、おそらく雀荘が目的なのだろう。ただ、さっきから雀荘はいくつか通り過ぎている。人探しをするときはしらみ潰しに見ていくのがフツウちゃうんか、と浩子が脳内でツッコミを入れる。すると赤木の足がぴたりと止まった。

 

 雀荘ひばり。いかにも昔からあるといった風のくたびれた雀荘である。イメージからいくとこんなところにプロは来ないんじゃないかと言いたくなる店構えである。仮にいても男性プロだろう。ちなみに雑居ビルの二階にその雀荘はある。

 

 赤木はその店を二秒ほど見つめると、すぐに足を向けた。ついで浩子がそのあとをついていく。ドアを開けると風鈴がちりん、と鳴る。流行っているのだろうか。店内を見渡してみると、休憩スペースに目的の人物がいた。赤木がそちらへ数歩近付くと、びくりと一人の女性が反応する。さっとこちらを振り向くと、どちらかといえば普段から困り眉をしている眉をさらに困らせる。おでこがはっきり見えるように短めに前髪が切られたその顔は、日本女子史上最強プロ、小鍛治健夜のものだった。

 

 浩子はため息をつかざるを得ない。薄々わかってはいたものの、どうして小鍛治プロがいる場所を一発で引き当てられるのか。なにか見えてはいけないものでも見えているのだろうか。そういえば長野の魔物どもは特定の位置の牌が見えているという。それと似たようなものなのだろうか。よく考えたら近づいただけで反応した彼女も大概である。

 

 「あー、あはは、い、いらっしゃい?」

 

 小鍛治健夜は本来であれば、どのような状況でも動揺することはない。鋼の精神力、圧倒的な観察眼、卓越した技術でこの国のトップに当たり前のように座してきた。プロにおける国内戦無敗という結果はなにより精神力が支えている部分が大きい。勝ち続ける。これはそれこそ体験した人間にしかわからない苦痛があるのだという。

 

 その小鍛治健夜が、どう見てもテンパっている。今は麻雀を打っているわけではないので、和了直前の謂いではない。

 

 「えーと、な、何かあったのかな? しげるくん」

 

 かわいそうなくらい目が泳いでいる。

 

 「なーに、ちょっと面白くなりそうなの見つけてよ……」

 

 ちらりと目線で浩子を指す。あはは、とひくついた笑いで返す。気分は怪獣に囲まれた人間のそれである。健夜が先ほどとは違う反応を見せる。浩子の顔をしげしげと眺め、うんうんとうなずく。ついで何かを思い出したように。

 

 「あなた確か千里山の……」

 

 「あ、ハイ。二年の船久保浩子いいます」

 

 これで浩子はこの一日で、二人のとんでもないのに名前を覚えられたことになる。

 

 「面白そう、ってどっちにもってくつもりなのかな?」

 

 さっきまでの動揺とはうってかわって、健夜は純粋に疑問を口にする。どっち、という言葉から察するに赤木は複数の選択肢を持っているのだろう。

 

 「ああ、情報収集が得意なんだってよ」

 

 「……あ、そういうこと?」

 

 なにか得心がいったように言葉を返す。浩子は未だに答えが出せないのに、さっと思いつくあたりさすがプロということなのだろうか。だがなぜか彼女の表情は苦い笑いが浮かんでいる。

 

 「それ女子高生にやらせるかな……」

 

 「十三のころには似たようなことやってたさ」

 

 不穏な単語が飛び交う。会話だけだと本当に麻雀についての話をしているのかの確信が持てなくなってくる。やはりついてきたのは失敗だったのだろうか。覚悟を決めてついては来たものの、やはり不安は拭い去れない。さすがに小鍛治プロがいればそこまで悲惨なことにはならないだろう、と浩子は思ってはいるが。

 

 ククク、と笑う赤木とやはり少し苦い笑みを浮かべる健夜。それを不安げに見つめる浩子。外から見ると状況はどういうものかまったくわからない。

 

 「鍛えるプランは?」

 

 浩子が今朝から聞きたかった内容がついに問いとして発される。やはり小鍛治健夜といえどそこは気になるのだろう。なにせ相手があの男だ。目を輝かせて赤木を見る。当の赤木はというと、別になんら様子を変えない。

 

 「ねえな」

 

 「さっすがしげるくん!ちゃんと考えて……って、え?」

 

 「打ってりゃそのうち気がつくさ」

 

 浩子が、あるいは健夜が期待した答えが返ってくることはなかった。

 

 「さて小鍛治サン、せっかくの場所だ」

 

 そう言って赤木は雀卓のほうへと目を向ける。声色も態度もいつもと変わりない。浩子は会って二日目だが、赤木という人間の特殊性は理解しているつもりである。どの状況でもこの男に精神的変化は望めないだろうということを。きっと銃口を突き付けられたって喫いたければ平気でタバコをポケットから出そうとするだろう。目の前に数十億積まれたって眠ければ昼寝を優先するだろう。であれば世界を相手に対等どころか銀メダルさえ獲得してみせたプレイヤーを平然と同じ卓に誘うのも当然と言えるのだろうか。しかし小鍛治健夜を相手に卓へ着くよう促している姿は、どこか楽しそうな雰囲気を滲ませていた。

 

 「サシウマは?」

 

 健夜が返した瞬間、浩子は悟る。小鍛治健夜は赤木しげるがどういう人間かわかっているということを。それはつまり二人はおそらく対等に近いレベルで打ち合えるということであり、同等のサシウマを仕掛けるに値する相手だということを意味する。住む世界の違う人間が自分を取り巻いているのだと浩子はあらためて受け入れざるを得ない。浩子の周囲にいるのは部活で一生懸命インターハイで勝つことを目指す人々などではなく。負ければ少なくともなにかを、あるいは全てを否定されるような世界で生きている人々なのだ。浩子自身はそういう世界に住むことを決めたわけではないが。

 

 「あらら、手元に四百万くらいしかないな。じゃあ、それで」

 

 「えええ……? さ、さすがにヨンヒャクはお母さんに怒られちゃうよ……」

 

 「なら、宿でどうだ?」

 

 「えっ、宿も取らずにこっち来たの」

 

 そういえば、と浩子は頭を抱える。あまりにも多くのことが起きすぎてそんな当たり前のことに気が回らなかった。というか宿無しでこの男はどうするつもりだったのか。いや駅のそばならカプセルホテルなりマンガ喫茶なりしのぐ手段はいくらでもあるが。

 

 「別に公園でもなんでもいいじゃねえか。夏だしな」

 

 「……しげるくん、さすがに女子高生ひっぱってきて公園はありえないかなって」

 

 言われてみればといった表情で赤木は浩子の顔を見る。浩子が苦笑いを返す以外の対応を思いつかなかったのは仕方のないことだろう。

 

 「……あー、小鍛治サン。宿頼むわ」

 

 「ついにサシウマですらなくなったよね!?」

 

 古臭い雑居ビルの二階。エアコンの効きもそんなによくない夏の盛り。陽は傾き、夜が近づいて。蝉の声は遠く。人の域なんてとうに出てしまった二人の雀士の闘いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 


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