船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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 秋季大会二日目の天気予報は一日を通して曇りだった。空一面を薄い雲が覆っている。おそらく雨など降らないのだろうが、どこか折り畳み傘でも持っていきたくなるような気分にさせる天気だ。気温は昨日よりはっきりと低い。道行く人々の服装は一段と秋の終わりから冬の初めを意識したものとなっている。学校の制服はもう少し防寒性に気を使うべきではないか、と浩子はつらつらと思う。その首には水色のマフラーが巻かれており、いくら岩手に滞在しているからといって途端に寒さに慣れるわけではないようだ。

 

 会場の中は人でごった返していた。まだ出場校しか入場できないはずの時間なのだが、それでもかなりの数だ。見知った顔もいくらか見受けられる。浩子が会場内に入ると、一気に視線が浩子へと集まった。振らず和了らずで通した昨日の浩子の闘牌に対して戒能プロが褒めちぎったのだ、と試合が終わったあとにチームメイトに聞かされた。おそらく昨日の牌譜は研究されているだろうとは思ったが、浩子にしてみれば気にするような事柄ではない。浩子の真意に気付いたところで誰も打牌をやめることはできないのだから。

 

 

 千里山女子の試合前の控室はわりと騒がしい。伝統なのかそういった生徒が集まるのかは知らないが、雅枝は静かな控室の風景を見たことがない。さすがに規律がないとは言わないが、どちらかといえば自由な雰囲気の中で千里山は活動している。年齢に関係なく話ができる環境というのは、技術をやり取りする関係性の中では非常に重要なものとなる。だから親しみやすくするために騒がしくやっているのだろう、と雅枝は考えているが本当のところは誰も知らない。

 

 試合前だというのによくもまあぎゃあぎゃあと騒げるものだと雅枝は感心さえする。もちろんのこと緊張感というのは大事だが、それに呑まれてしまっては実力を発揮することは難しい。この辺りは大舞台の経験がモノをいう部分だったりするので、名門校の強みといってもいいだろう。一通り室内を見まわして雅枝はぱん、と手をたたく。部員たちの注意をこちらに引きつけ、ついでよく通る声で一言だけ室内に浸透させる。

 

 「ええか。とくに多くは注文せえへん。優勝や」

 

 ぴりっ、と少女たちの持つ空気がほんの短い間だけ変化する。勝つということはこの部において至上命題であり、なかば義務といっても差支えのないものである。常勝という看板は誇り高いものであると同時にきわめて重いものでもあり、それを背負うというのは生半可なことではない。気を引き締めた少女たちの様子を見て雅枝は満足し、ひとつだけ付け加えることにした。

 

 「そや、決勝は浩子もきちっと勝ちに行く言うてたからな。気合入れえよ?」

 

 その言葉の効果は見るまでもなかった。

 

 

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 今日は感覚が冴えている気がする、と浩子は感じていた。そんな経験などこれまでの競技人生で数えるほどしかない。対局場へと向かう足は自然と軽やかになる。

 

 ( ええなぁ、これ。昂るって言うんやったっけ )

 

 

 浩子はこの日、赤木と健夜の言う “一歩” を踏み出すことになる。

 

 

 

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 スクリーン上で展開される浩子の打ち回しを白望はじっと静かに見つめる。浩子は自分の打ち方について、“相手の本質を暴く” とそう表現した。その言葉は、あの白髪の男に初めて質問したときの回答と被るものだった。その二人の言葉を踏まえた上でスクリーンを眺めるが、それでもやはり自力で彼女の打牌の意図するところをつかみ切るのは難しいようだ。それにしても早い、と白望は思う。すべてが通常のリズムで進行していくなかで、思考し、判断し、情報の取捨選択とその応用を顔色ひとつ変えずに行うなど自分にはとてもできそうにない。

 

 「……本気の浩子の相手をするのは、ダルい」

 

 ぼそっとつぶやく。白望と同じように浩子の思考を追ってみようとしたのだろう、塞と胡桃が同意の言葉を投げかけてくる。そちらのほうに視線を向けてみるとスクリーンを見ながらにこにこと笑顔を浮かべている健夜が目に入った。やはりこの人も規格外なのだろう。この会場にリアルタイムで解説できる人間がいるとすれば彼女以外にはいない。赤木はどこにいるかわからないから頭数には入れないことにする。

 

 

 ――― 南四局、三巡目。

 

 ( ()() )

 

 浩子の目の色が、変わった。

 

 同じ卓に座している三人の思考が、その捨牌から流れ込んでくる。彼女たちの一人ひとりがどの幅で手を広げて待っているのか、またそれを逆算して現在の手がどの程度のものなのかが急にはっきりと目に見えてくる。彼女たちの目線の動きが、指のわずかな迷いが、打牌の動きそのものが、すべて情報となって浩子に耳打ちをする。宮守では浩子が挑戦していることが知られてしまっているためになかなか豊音も白望も底を割らせてはくれないが、二週間に一度の千里山では思うさま経験させてもらっているこの感覚に間違いはない。

 

 なにより実戦で達成できたという事実が、浩子にとっては大きかった。ひとつの物事において、できる前とできた後の間には簡単には埋められない溝がある。たとえば子供のころの鉄棒や跳び箱などは、一度できてしまえば世界が変わったように動きが変わる。自分にはそれが可能だという認識が一気に恐怖を奪い去る。浩子もそれに近い状態になっていた。

 

 

 決勝では浩子が戦線に加わるということもあってか、三回戦における千里山女子の戦いぶりは圧巻と言えるものだった。浩子を除いた全員は当然のように各区間で一位を獲得し、大将戦では二条泉が他校をトバして準決勝へと勝ち上がった。一世代上の印象があまりにも強かったため弱体化の噂さえ流れていたが、その噂を吹き飛ばす程度には派手な勝ち上がり方をしてみせた。

 

 

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 しん、と冷えた空気のなかを歩く。昼間に日差しがなかったのが大きな原因だろう、ここ数日で一番寒いような気さえする。これから麻雀を打とうというのに指先が冷えるのはあまり好ましいことではない。だから戒能良子は薄手のコートのポケットに手を突っ込んで歩く。今日行われた素晴らしい大会のことはいったん置いて、これからの時間は良子が自分自身のために集中しなければならない時間だ。場合によってはタイトル戦より重要となるかもしれない一戦が待っている。

 

 都合のいいことに面子はすぐに揃った。姫松と三箇牧の解説をそれぞれ務めたプロの予定がちょうどよく空いており、良子の頼みに乗ってくれたのだ。もし仮にそのプロたちに予定があったとしても、赤木しげるの名を出した時点で是が非でも着いてきていただろうが。赤木の指定した雀荘はホールの西口玄関から出て、ひとつめの角を曲がったところにある。とくに迷うこともなく指定された雀荘は見つかった。

 

 店内が見えるようになっているガラスの扉を押し、さっさと打つための手続きを済ませる。それなりに盛況ではあるようだが、いくつか卓は空いているようだ。すぐに打つには好条件である。目的の人物がどこにいるのかと見まわしてみると、赤木は休憩スペースでタバコをふかしていた。そのスペースには他にも人がいくらかいるのだが、なぜか赤木だけがくっきりと浮かび上がって他がかすんで見えるような気がした。

 

 「喫いすぎはあまり体に良くありませんよ」

 

 「なんだ、思ったより早いじゃねえか」

 

 休憩スペースにいた他の客が急に緊張し始める。目の前にいるのは戒能良子をはじめ、さっきまで高校生の秋季大会の解説をしていたプロなのだ。無理もないだろう。

 

 「……それにしても。船久保選手、彼女はどうやって鍛えたんです?」

 

 「俺は別に何もしちゃいねえさ。せいぜいが宿題出したってくらいだぜ?」

 

 良子は額に手をあてる。それだけであの技術が完成するわけがない。試しに彼女の牌譜を漁ってはみたが、昨日と今日やっていたような相手を探るような打ち筋はひとつも見つからなかった。少なくとも実戦で試すのはこの大会が初めてのはずだ。赤木の言う “宿題” さえやれば実行できるとでも言いたいのだろうか。冗談もほどほどにしてほしい、と良子は思う。

 

 「まあいいです。そこはポイントではありませんから。それより一局、お相手願います」

 

 「そう焦るなよ。サシウマはどうするんだ?」

 

 「サシウマ、ですか」

 

 「ん?」

 

 赤木が何を言っているのかわからない、という目でこちらを見ている。根本的に麻雀に対する見方が違うのだ、と良子はやっと理解した。裏の舞台とはそういう世界のことを指すのだ。直接なにかをやり取りするような麻雀はプロの世界には存在しない。良子たちがいる世界では勝利することで得られるのは栄誉と賞金であり、相手からなにかをもらうようなことなど少なくとも彼女には経験がない。一気に背筋が冷たくなったが、まずはこの男の要求を聞いてからでも遅くはないと良子は判断した。

 

 「そちらは何を?」

 

 「三尋木に連絡つくか?」

 

 「へ?」

 

 さすがにこれは良子も欠片たりとも予想していなかった。

 

 「み、三尋木って三尋木咏プロのことですか?」

 

 「ああ」

 

 「……えーと、噂ではあなたと三尋木プロはお知り合いだと聞いているのですが」

 

 「ああ、そうだな」

 

 「ご自分で連絡すればいいのでは?」

 

 「ん?ああ、俺は電話とか持ってねえからよ」

 

 良子はこのとき、赤木しげるには常識が通用しないことを痛いほどに理解した。この男が常に近くにいるという浩子に対して憐みの感情すら抱いた。浩子や健夜がわりと普通に接していることなど良子には知る由もない。

 

 「……まあ、三尋木プロの携帯なら知ってますからいいでしょう」

 

 「そうかい。じゃああんたはどうする?」

 

 「ふうむ、パッとは思いつきませんね。とりあえず保留ということにしておきましょう」

 

 それを聞いて、まあいいさ、と赤木がやっと立ち上がる。近くの灰皿でタバコの火をもみ消し、良子たちプロには目もくれずに空いている雀卓へと歩を進める。これから最強と目される人物とともに卓を囲むのだ。良子の気分はいやが上ににも高揚していた。

 

 席決めも滞りなく進み、半荘一回の取り決めがなされた。ルールは彼女たちが慣れ親しんでいるプロ基準のもの。プロ基準のものといっても特別なものは何もなく、一般的な雀荘で採用されているものである。

 

 対面に座った赤木を観察する。上位のプロから発せられる気迫のようなものは感じられない。なんというか、静謐さすら感じられるくらいだ。噂による前情報を抜きに考えるならば、強いとさえ思えない。たしかに集中力は高そうな気がするが、せいぜいそれくらいといったところだろう。何かをやりそうだという雰囲気さえない。

 

 それはちょうど理牌をしているときのことだった。ぴいん、と糸を張ったような音が聞こえた気がした。良子が驚いて顔を上げると、そこにはただ手牌をじっと見つめる赤木の姿があった。両隣のプロも同様に顔を上げていた。赤木の雰囲気が一変している。それどころか自分たちもその雰囲気に呑まれ、この卓が周囲から遮断されたようにすら感じる。威圧されているような感覚はない。しかし、そこには確かに息苦しさがあった。

 

 

―――――

 

 

 

 一般的な高校生はおよそ宿泊したことのないであろうハイ・クラスのホテルに塞をはじめとした宮守女子の面々が揃っていた。浩子の秋季大会を観戦することを決めたときに健夜がホテルを予約しておいてくれたのだ。はじめはその洗練された空気に居心地の悪ささえ感じていたが、二泊目の今日は馴染んでしまっていた。部屋は三人部屋を二つ取っており、その広さは別に一部屋で六人でも問題ないんじゃないか、と健夜を除く全員に思わせた。家具や調度品はこれまで見たこともないような高級な材質と意匠がこらされており、洗面台でさえ騒ぐ対象になるほどだった。

 

 明日は月曜日で本来なら学校の授業があるのだが、すでに十一月に差し掛かろうとしている今の時期は、受験生である三年生は半ば自由登校の許可をもらっているようなものであり、それに甘えて二泊三日の旅程を敢行したのである。同じ日程で過ごしている浩子は事前に連絡を入れているとしても間違いなく欠席だが。

 

 沈みすぎず、かといって反発もしすぎない、とても座り心地のいいベッドに腰を掛けて塞たちは話をしている。誰かが入浴している間は雑談に花を咲かせた。岩手では見たことのないバラエティ番組をBGMにして彼女たちは笑う。インターハイに出るような高校生は比較的特別視されがちだが、彼女たちは選手である前に高校生である。くだらないことで友達と笑いあっている姿がよく似合う。

 

 

 「ねえ、二人に聞きたいんだけどさ、浩子のアレとどう戦うの?」

 

 全員が入浴を済ませ、車座になって話をしている。あと一時間もすれば日付も変わるような時間帯だ。テレビは国際関連のニュースを流している。

 

 「えーと、私は使い分けでなんとかしてるよー」

 

 「……最近はたまにブラフを混ぜるようにしてる」

 

 塞はそれを聞いて驚いた。胡桃もエイスリンも二人の言葉の意味は理解しているだろう。豊音の能力は六種類あり、普段はせいぜい二つ使うのがいいところだ。それを全部使って “なんとか” とはなかなか想像しにくい。白望にしてもそうだ。彼女は独特のタイミングで自分の手牌について思考し、ときおり正着とはいい難い判断をすることがある。それが結果的には常に正しいものとなるのだから、まっすぐ進むだけで比類なき強さを見せることができた。その白望にブラフを使わせるなどというのも塞からすれば不可能に思えることだった。

 

 話としては聞いているし論理としてはわからなくもないが、改めて考えてみると途方もないことだ、と塞は思う。大雑把な解釈としては手牌や点棒状況、あるいは親かどうかなどその他もろもろの環境を整えてあげれば、浩子は分析を終えた人の打ち筋を完璧にトレースできるということだ。トレースそのものに意味があるとは思わないが、打ちづらいことこの上ない。仮に相手が浩子が分析することを事前に知っていたとしても、精神的な動揺は止められないのではないだろうか。それにどうせ浩子のことだ、事前に知られたとしても逆にそれを利用さえしてみせるだろう。今日の対局を見ればそう考えるのも不思議ではないはずだ。もはやあの子の敵は偶然や運の領域にしか存在しないのではないかとさえ思えた。

 

 おや、と塞は考え直す。運の領域に踏み込めないのなら完全ではない。

 

 「あの、健夜さん。浩子の打ち方ってさすがに偶然には対応できないですよね?」

 

 「うん、今はまだそうだね」

 

 「ちょーっと待ってください!今すっごく聞き捨てならない単語が!」

 

 「それよりも先に覚えないといけないこともあるしね」

 

 塞は頭を抱える。偶然や運の領域に踏み込めるということなのか。それはもはやオカルト能力の領分ではないのか。だがしかし浩子に異能は馴染まないとトシも断言している。だが健夜のトーンは “やろうと思えばやれるよ” くらいのものだった。この人は浩子をいったいどこへ連れていこうというのだろう。もしかしたら浩子はプロになって、“小鍛治健夜の後継者” なんて呼ばれるようになるのかもしれない。

 

 妄想と言ってもいいくらいの想像を塞は頭から追い払い、ベッドから立ち上がって大阪の街を見下ろせる窓へと歩み寄る。眼下にひろがる景色は、ネオンや照明がきらきらと輝いてすこし騒がしく感じられた。あの光のひとつひとつに人が息づいているのだと思うと不思議な感じすらしてくる。こうやって豪勢なホテルの上の階から街を見下ろすなんて今後しばらくは体験できないだろうから眺めてはみたが、塞にはどうやらそこまでお気に召さなかったようだ。それよりはみんなと話したりベッドで飛び跳ねて遊んでいるほうが肌に合っているようで、すぐに窓から離れていってしまった。

 

 

 ひとしきり浩子に関する話や雑談を楽しんで、彼女たちはそろそろ明日に備えて寝ることに決めた。明日はちょっとだけ大阪観光をしてから岩手に帰るのだ。きちんと休んでおかねば明日に影響が出てしまう。事前に決めておいた部屋割りに分かれてそれぞれベッドにつく。目を閉じた彼女たちが何を考えているのかはわからないが、その表情から心地よく休息を取るだろうことは簡単に見て取れた。

 

 

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 浩子は深いため息をつく。たしかにこの二日間は気を張ってはいたが、まさかここまで疲労感に襲われるとは思っていなかった。入浴中に思い切り腕を伸ばしたりしてみたが、筋肉がほぐれていく感じがあれだけ明瞭に感じられたのもあまり記憶にない。それだけやれることをやったということなのだろうが、なんだかカッコつかないな、なんて思ってしまう。浩子のイメージのなかでの部長というのは、いつだって先頭に立っている柱のような存在である。それに近づくためには疲れてなんていられないと思うが、人前でないのなら別にいいのかな、とも思う。それ以前にインターハイは予選から連戦が続くのだから、この戦法で普段から戦えるようにしておく必要はあるが。

 

 気を抜いてしまえばまぶたが下りてきてしまいそうになるなかで、浩子は今日の試合を振りかえる。決勝ではまさにイメージ通りに試合を運ぶことができた。南二局以降は支配したと言ってもいいだろう。自分の予測したとおりに相手を討ち取ることは非常に気分がいい。推測が精確だったことの証明でもあるし、なにより成長を実感できるからだ。親番こそ二本場でツモられて流されてしまったが、きちんと区間一位を取ることもできた。もちろん改善点は局後に牌譜を見ればいくつも出てきたが、それでも満足のいく内容と言っていいだろう。

 

 いつもは二週間に一度しか帰ってこない部屋のベッドに寝転ぶ。電気をつけていない真っ暗な中で天井を見上げる。正直なところ、布団をかぶるために手を動かすのも枕を頭に持ってくるのも億劫なくらいだ。ひどくゆっくりと布団のなかに潜り込んで目を閉じる。よく眠れそうな疲れだな、などと思いながら、浩子は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 


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