船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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 「あの、小鍛治プロ、大阪の勢力図とかってどうなってるんですか?」

 

 「ええと、基本的には三強って考えていいと思うよ」

 

 「三強、ですか」

 

 「浩子ちゃんのいる千里山女子と姫松、それに三箇牧」

 

 健夜と塞がどうしてこんな会話をしているのかといえば、実際に目の前 (とはいってもスクリーン上でのことだが) で試合が行われるからである。本日秋季大会が行われるここ大阪は全国でも屈指の激戦区であり、その学校の多さからインターハイ予選ともなると北大阪と南大阪に分けなければならないほどである。その中でも大阪で麻雀がやりたければ健夜の口から出た三校でなければいけないと言われるほどの評価を受けているのが、いわゆる三強だ。名門の名は選手を呼び集め、さらにその壁を厚くする。構図ができあがっているのだ。

 

 「たしかにその三つはシードの位置にいますね」

 

 胡桃がトーナメント表をひっぱり出して指で示す。豊音とエイスリンが左右から挟むようにその表に顔を近づける。二人の頭のせいで表が見えなくなった胡桃からすぐにお叱りが飛んできそうだ。白望は胡桃を膝に乗せたままそうやって二人が寄ってきているので少し暑そうだ。とくに抵抗する様子は見られないが。

 

 あまりにも学校数が多いので、会場には対局場が八つとスクリーン会場がその倍の数ほど設置されている。それでも二日間に分けなければ消化しきれないといえば、多少はその数も想像しやすくなるだろうか。そのなかでもシード校の三校の人気は異常と言ってもいいくらいであり、立ち見が出ないほうが不自然といった有様である。現在、健夜率いる宮守女子ズがいるスクリーン会場は千里山女子が初戦を勝ち抜いてきたチームと戦う映像が二試合ほど後に流れる会場である。席は五つだけしか確保できなかった。一つだけ足りない席は胡桃が白望の上に座ることでカバーしているということだ。スクリーンでは初戦の先鋒たちが卓につき始めている。

 

 それにしても、と塞は思う。ほんの二月ほどの付き合いではあるものの、自分たちの後輩が別の学校の代表として出場するというのは妙な感覚だ。それも部長だなんて言われると、なんだか素直に飲み込めないような気さえする。いや浩子はもともと千里山女子の生徒なのだから本来おかしなところはないのだが。感覚としては妹の部活動を見に来たものに近いだろうか。

 

 来週には十一月に入ろうという時期だ。街路樹の葉はまだその葉の色こそ変えてはいないものの、ときおり吹く風はこれから一気に寒くなることを含んだ冷たさを持っている。薄手のコートや、そういった微妙な気温に対応できる衣類が重用される。会場内は人でごった返しているため逆に暑かったりもするのだが、そこまで気にする人は少ないようだ。大会に出場するか、あるいは応援のために駆け付けたのだろう学生たちの制服は軒並み冬服かカーディガンなどを上に羽織ったものとなっている。

 

 飲み物を買いに行きがてらそこらの制服の少女たちの話に聞き耳を立ててみると、やはり話題の中心は大阪三強についてのものが多かった。なかでもとりわけ目立ったのが三箇牧の名だった。三箇牧高校といえば、去年のインターハイで一年生にして宮永照に肉薄したあの荒川憩を擁する高校である。いくら他校の情報に疎い塞といえど知っている。当然のように今年の個人戦でも大暴れしていた。彼女がもし同級生たちを叩き上げているとしたら、最も恐ろしいのは三箇牧なのではないか、と噂されていた。もちろん千里山や姫松についての話も耳に入ってはきたが、塞の印象だと周囲は三箇牧優位だと思っているらしい。

 

 ( まあ、高校入ってすぐのインハイで大活躍した子と比べられちゃあねえ…… )

 

 塞たちの感覚で言えば宮永照と比べられるようなものだ。最上級生を抑えて二年生でレギュラーに抜擢されたと言えば、多くの場合で箔がつく。次の一年間を残しているのだから、さらに力を増してまた予選やあるいはインターハイに挑むことができる。だがその近所に、かつ同い年の宮永照がいたらどうか。冗談にならないのではないだろうか。実際に白糸台高校のある西東京地区ではそんな現象が起きていたのだろう。浩子はそういった視線とも戦わねばならないのだ。名門という肩書がそれに拍車をかけている。ちょっと同情かな、なんて塞は思う。

 

 自動販売機は極端だ。つめたい、の表示のものは夏でこそその温度差に気持ちよさを感じるものの、秋口に入ってしまえば持っているのが厄介になるほどだ。あったかい、の表示はまるで嘘に感じられるかのように熱いことが間々ある。素手で持っていたら火傷の心配をしたくなるくらいに。だから自動販売機でのおつかいを頼まれるのは塞はあまり好きではない。というか好きな人に出会ったこともない。席を立つとき、ついでに買ってきてあげる、と口走ったのが失敗だった。できるだけ指と缶との接触する面積を減らして持っていくことにした。似たような持ち方をした人がちらほらと見受けられる。あのたれ目でポニーテールの人なんかはちょっと大げさな気もするけれど。

 

 秋季大会にはプロの解説もつく。たしかパンフレットによれば今日の解説は戒能プロだったはずだ。塞は彼女の解説を聞いたことがないので楽しみだった。会場の人々のなかにもそれを目的としている人だっているだろう。

 

 

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 ぱらぱらと手元の資料をめくる。すでに昨日にホテルに着いた段階で下準備は済ませてあるが、それでも念入りに見落としがないかを確かめる。高校生は肉体的にも精神的にも技術的にも伸び盛りだ。だからこんな資料なんて役に立たないこともあるし、またそうであってほしい、と戒能良子はそう思う。この大阪地区でまず注目せざるを得ないのはやはり三強であり、データを見てもそれは仕方がないと思う。とびきり目を引くのは荒川憩と上重漫だ。前者はもはや言うに及ばず、宮永照と渡り合うことができるのだから高校生の中では最強クラスといって文句のある人間はいないだろう。後者が光るのは火力。調子の波こそあるものの、乗ってしまえば手のつけられないような和了りを連発している。もしこの選手が成長して安定した高火力を実現できるようになれば、第二の三尋木咏の誕生といったところか。

 

 無論だが、三強においては他の選手も粒ぞろいである。強豪校として普段から揉まれているのだから当然とも言えるが、それでも立派なものだ。ただ彼女たちの一学年上の世代があまりにも印象が強すぎたという感は否めない。江口セーラ、清水谷竜華、園城寺怜、愛宕洋榎、末原恭子。この辺りに学年下のレギュラーたちが印象度で勝てるかと問われれば、それは難しいと答えるしかないだろう。大阪における黄金世代と言ってもいいかもしれない。だからこそ良子は期待する。そういった環境から後の強者は生まれたりするものだ。

 

 良子は千里山女子の試合の解説をすることになっていた。姫松、三箇牧はまたそれぞれ別のプロがついて解説することになっている。なんとも豪華なことだ。たしかに全ての試合に解説がつかないのは不公平だと思わないでもないが、ローカル局とはいえテレビ放送もされるため仕方ないと受け入れていた。運も絡むがどのみち実力勝負の世界だ。自分の存在を誇示したければ結果で見せるしかない。新星はそうやって輝くべきだ。

 

 大会自体は午前九時から行われているが、良子たち解説の出番が回ってくるのはシード校が出始める二回戦からである。出場校数の関係から二試合ほど先に行われ、そのあとでやっと仕事が始まる。一試合に少なくとも二時間はかかる計算だから、つまるところ解説は午後から行われるということだ。しばらくは素直に観戦するか、と良子は息をついた。

 

 

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 「ちょっと聞いてもらってもええ?」

 

 浩子はメンバーを集めてそう言った。レギュラーたちは団体戦における心構えやそういった部分についての話なのだろうと当たりをつけて聞く姿勢に入っている。あるいは初戦は大将である二条泉まで回すな、との厳しい注文がつくのかもしれない。だが、浩子の口から出た言葉はそのどちらでもなく、また誰一人として予想しないものだった。

 

 「私はこの大会でな、みんなに頼ろ思うとる。これはちょっと耳ざわりよすぎてちょっとズルいかなとも思うんやけどな」

 

 「どういうことです?」

 

 「もちろん監督にも許可もろとるんやけどな、うちは今回はあまり稼がん」

 

 レギュラーたちは浩子の意図しているところがわからない。言葉として理解はしていても素直に飲み込むわけにはいかない。明らかに場に沿っていないからだ。これから自分たちが出場するのは団体戦であり、十万点の持ち点を増やすことに終始するのだ。ましてや浩子は先鋒という位置に座しており、各校のエースクラスとぶつかる場所である。そこで稼いでこないことは後ろに控える面子の士気に関わる。

 

 「船久保先輩、さすがにみんなそこまで緊張してませんよ」

 

 「ちゃうで、泉。ボケやない。私はこの大会で試さなあかんことがあってな」

 

 「試さなあかんこと?」

 

 そもそも浩子は基本的に千里山にいないのだ。泉をはじめメンバーの誰も浩子がどういう練習をしているのかを知らない。たしかに最近は帰ってくるごとに力を増していると感じる。アドバイスの精度が半端ではないのだ。だからなんらかの特殊な練習をしているのだろうし、成果も出ているのだろう。しかしそれが具体的に何なのかわからないから泉は首をひねるしかない。浩子はそんな部員たちを見て、自分のくちびるの前に人差し指を立てていたずらっぽく、秘密や、と笑ってみせた。

 

 「うっわ、何それ浩子!?超似合ってへんけど!?」

 

 「 “秘密や” やって!うーわ、浩子可愛なったな!」

 

 「やかましいわ!」

 

 多少は面食らったものの、部長の浩子からそう頼まれたとあっては否やがあるわけもなく。それに千里山女子が船久保浩子と二条泉しかいないチームだと思われるのも癪だ。浩子が稼がないくらいで揺らぐような安いチームではないのだ。部内の試合で泉に敗れてインハイこそ逃したが、その実力は相当のものを持っている部員がごろごろいる。名門とは名ばかりではない。浩子もそこをわかっているからこそ、この話をする気になったのだ。

 

 

 

 浩子は第一回戦の様子を映した備え付けのテレビをじっと見つめていた。もともとデータを重視する選手ではあったが、こうまで集中して画面に食らいつく浩子の姿など部員の誰も見たことがない。それはまるでテレビに見えない手がついていて、その手が彼女の頭をつかんで固定しているかのようにさえ見えた。事実、浩子の耳にはあまり音が入ってこないようだった。呼びかけたところで気づきさえしない有様である。

 

 「監督、あれホンマ大丈夫なんですか」 

 

 「あー、まあ心配なのはわかるわ。でも浩子が必要や言うとるからな」

 

 雅枝は浩子がいずれたどり着くであろう地点をすでに知っている。そのうちあのじっと見つめる作業すら要らなくなるだろう。場合によっては今日そうなるかもしれない。それほどまでに浩子のいる環境は整っており、本人には素質があるのだ。そうでなければたったの二か月でここまでの変容は見せないだろう。驚くべきはそこまでの変容を見せながら、本質には何らの違いも見られないという点だろうか。

 

 たとえば実戦において、分析を活用するというのはそれほど簡単なことではない。常に実戦という場はリアルタイムで進行する。そのなかでデータを引き出し、状況に応じて当てはめて対応することがいかに難しいか。麻雀においては進行の妨げと見られるため、あまり長考は好ましいものとは捉えられていない。したがって自然と早いリズムのなかで状況判断を行い、適宜対応することになる。相手の手を推測し、傾向を考え、なおかつできれば自分が和了れるように最善手を打っていく。この思考を船久保浩子は実戦で当たり前のように実行する。あまり注目されることはなかったが、もともとの彼女の戦い方も異常と言って差支えのないものだった。

 

 浩子が変えようとしているのは情報ソースである。これまでは牌譜がその中心だった。映像ももちろん見てきたが、やはり見てきたのは河と手牌が中心だった。それを人に変えるのだ。浩子が見ようとしているのは人の思考の流れ、もう一歩踏み込んだ言い方をすれば本質。高校生でそれをつかんで闘牌に活かすことができる存在がいるとするならば、もはや船久保浩子を措いて他にはないだろう。

 

 

―――――

 

 

 

 ちょうど肘掛の先に映画館のように飲み物を置くスペースがあったので、これ幸いと塞はそこにさっき買ってきた缶ジュースを置く。すでにスクリーンでは第一回戦の先鋒戦が始まっている。こうやって四校が戦って一位だけが勝ち抜けなのだからなかなかにシビアな世界だ。この試合は解説が入っていないこともあってか、けっこう話をしながら見ている人が多い。みんなでわいわいしながら一つのスクリーンを見るというのはお祭りみたいでなんだか楽しい。

 

 「ねえねえ豊音、浩子はやっぱり強くなってるの?」

 

 「どんどん強くなってるよー。もう私もシロもそう簡単には勝たせてもらえないんだー」

 

 「うへぇ、そりゃ大変だ」

 

 「塞も今度いっしょに打ってみる?」

 

 「勉強の息抜きに遊びにいこうかなぁ……」

 

 スクリーンでは南家が西家に振り込んでいた。塞も話しながら見ていたが、あれならまあ仕方ない振り込みかなと思う。先鋒という位置を考慮するとちょっと不用心だったかもしれない。振り込んだ高校の応援の生徒だろうか、何やってんだよー、と声が上がる。応援は無責任でいいよね、なんて意地悪なことを思う。

 

 会場入り口で配られていたパンフレットには各校のオーダーも載っており、それによればどうやら浩子は先鋒で出るようだ。ふむ、さすがは私たちの後輩。エース級でやるに決まってるよね。注目選手の位置は見事にばらけていた。上重漫は中堅、荒川憩は大将の位置だ。もちろん大将には愛宕絹恵、二条泉と有力選手が配されているが、チームのエース同士の激突は見られないという事実に変わりはない。それについては塞も他の客と同様に残念だった。

 

 「ところで小鍛治プロ、赤木さんはどちらに?」

 

 「しげるくん?さあ?」

 

 「えっ」

 

 「団体行動とか苦手だからねえ。どこ行ったんだろ」

 

 赤木が団体行動を取らないのは周知の事実なのだが、ふだん接する機会のない塞には知りようがない。もし仮に赤木は団体行動を取るのか、と浩子に質問すれば真剣に体調を心配されるだろう。豊音ならば苦笑いを浮かべるだろう。白望なら黙って首を横に振るかもしれない。

 

 「女の子でもひっかけに行ったんですかね」

 

 「それはイマイチ想像できないかな」

 

 それは、というか赤木の場合は一般的な生活の多くが想像しにくい。ちょっとした買い物にコンビニに行く姿も女性とデートに行く姿も家に帰って鍵をかける姿だって想像しにくいものがある。その割には名勝の地でタバコをふかしている姿はやけにしっくりきたりする。それでもトシの家にお世話になっているときにはきちんと布団で寝ている姿が見られたりするので不思議なものだ、と健夜は思う。目の前に確実に存在しているのに、どこかこの世のものではないかのような気がすることがある。もちろんそれは間違いなく気のせいで、赤木しげるはきちんと存在している。

 

 「なかなかイケメンだと思いますけどねー。……小鍛治プロは狙ってたりしないんですか?」

 

 「……はぁ、大人をからかうのはあんまり感心しないよ?」

 

 

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 場内放送が入る前の独特の通知音のあとに、第二回戦の先鋒戦を務める選手をコールする音声が入る。あと十分で試合が始まる。監督を含めたミーティングではとくに注文を付けられることもなく、ただ油断だけはしないようにと注意が一つあっただけだった。浩子は先鋒の位置にいるため早めに対局場へ行って心の準備でもするのが筋なのだが、なにやらがさごそと鞄をあさっている。そこから紙の束を取り出したかと思うと雅枝のもとへと持っていき、当たり前のことであるかのように言った。

 

 「いちおう牌譜は集めて分析しておきましたんで」

 

 それだけ残すと、やるべきことはやったという風にさっさとドアを開けて出て行ってしまった。控室に残された雅枝を含む千里山女子のメンバーはあっけに取られてしまっている。たしかにこれまで他校の牌譜の分析は浩子に一任してきたが、まさか留学紛いのことをしている現在においてまでやるとは誰も思っていなかったからだ。そんな時間があるのか、牌譜はどこから手に入れたのかなど疑問は尽きないが、その答えを知るのは浩子しかいない。相変わらず内容はよくまとまっており、手書きでの注意点など痒い所に手が届く仕様となっていた。

 

 

 しん、と血が冷える感覚がする。集中力が高まるときに起きる現象にはさまざまあるが、試合のとき限定のこの現象はなかなか悪くない。手や足の指先にまで神経がぐっと張り巡らされるかのようで気分がいい。自然と口角が上がる。歩く姿は百合の花、とはいかなくとも座ったときに牡丹のように決めたいとも思うが、今日はその日ではない。今日はあくまで試す日だ。知らない相手を知るための “打ち方”。そのための下準備はやりすぎてはいけない。あくまで実戦、その場で確かめるレベルでとどめなければならない。

 

 浩子は高揚している。はじめて iPadを買ったときのような気分だ。新しい道具を使えるという子供のようなワクワク感。このツールが自分を新しい領域に連れていってくれるような気がする。赤木や健夜の見ている景色の一端を自分も見ることができる。そう思うといてもたってもいられないような気持ちになったが、それが外面に出ると恥ずかしいのでそこはなんとかこらえた。

 

 対局場の扉が近づいてくる。両開きで重厚感のある劇場にあるような扉だ。手をあてて、ぐっと力を入れて押す。動き始めるまでに少し力が要るが、少しでも動いてしまえばあとはそれほど押さなくてもスムーズに開いていく。その先には雀卓が中心に置かれた簡素な部屋。そこにはすでに相手となる三人が席決めをするために立って待っていた。浩子は自分の立ち位置というものをしっかりと理解していた。千里山女子の先鋒という立場はどうしたって相手を警戒させてしまう。だから浩子は努めて自然に場を和ませるように室内へと入っていく。なぜなら自然体で全力でなければ本質など見えてこないだろうから。

 

 

 席決めの結果、浩子は西家から始まることになった。

 

 

 

 

 


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