船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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船久保浩子は退屈していた。

 

 

 インターハイの結果はもちろん悔しかった。だがそれ以上にあのヒリヒリした空気に惚れこんでいた。

 

 あの空気を味わってしまうと日常がなんだか物足りないと感じてしまう。持てる力を全て出すことを強要され、身を削るような思いをする経験などそうそう転がっているものではない。花も恥じらう高二の夏にそんな経験をしたものなど数少ないだろう。

 

 「なんやろなぁ……、こう、なんなんやろ……」

 

 今いる場所は地元の公園。インターハイが終了してからちょうど一週間、夏の盛りである。

 

 手元には自販機で買った缶の炭酸飲料がある。買ったばかりではあるが気温のせいもあり大量に汗をかいている。浩子の右手の温度を奪い続けているはずではあるのだが、本人はまるで気が付いていないというふうである。その様子では味覚など仕事をサボって旅行にでも行っているに違いない。ベンチに座って空を見上げている様は、控えめに見たって放心していると形容するのが正しいくらいだった。

 

 浩子が所属するのは麻雀部である。それもただの麻雀部ではなく、全国規模で名門と呼ばれる麻雀部に身を置いている。さらに言うならば浩子は二年生にしてその名門の団体戦におけるレギュラーでもある。平たく言ってしまえば、彼女は麻雀がめちゃくちゃ上手い。

 

 東京で行われたインターハイは団体部門と個人部門で分かれており、日程的には団体の次に個人というかたちで組まれていた。当然のことだが男子も女子もあるためそれぞれ交互に行われる。浩子は団体でこそ副将を任されていたが、個人戦では思うような結果を残せず府予選で敗退してしまったというのがこの夏の成績である。

 

 ではなぜ今こうして名門麻雀部に所属している浩子が練習もせずに公園で呆けていられるかといえば、監督が気を利かせて個人戦決勝のあとに休暇を入れてくれたからである。浩子は団体戦のみだったのでさして疲れているわけでもなかったが、好意はきちんと受け取っておく。今日は休暇の最終日。明日からは部長としての振る舞いが要求される。大阪の名門、千里山。冷静かつ頭の回転の速い浩子は、あまりそこに気負いを感じてはいなかった。それに三年生も引退こそしたものの、たまに遊びに来ると約束してくれた。

 

 この一週間で先輩とはきっちり遊んだ。もちろん一年生でレギュラー入りを果たした可愛い後輩もいた。ジョシコーセーってやつみたいにショッピングなり何なりを楽しんだ。いつもの制服ではなく私服でおでかけはもうなんか貴重だった。普段から男の格好ばかりしている先輩に対して磨けば光ると言ってはばからなかった浩子は大満足だった。

 

 そういったふつふつと湧く思いがあってなお、船久保浩子は退屈だ、とそう感じるのである。

 

 

 理論派で鳴らした浩子である。退屈の原因などすぐさま思い当たる。

 

 「うら若き乙女が朝から公園でぼけーっとして、そんで行きつく先が麻雀てどーなんやろ」

 

 そう苦笑して、いつの間にか飲み干していた空き缶をゴミ箱に投げる。からん、と小気味いい音を立てて入っていく。浩子にとっては珍しいことだった。

 

 

 

―――――

 

 

 船久保浩子はデータを重んじるプレイヤーだが、普通に打っても強い。そうでなければ千里山でレギュラーなどとても張れない。もちろん運は絡むが、そうそうそこらの人に凹まされることはない。

 

 ( もうちょっと、こう、ヒリつくような人おらんかな )

 

 雀荘に入って以降の浩子のプラス収支は続く。

 

 学生は夏休みだが世間は平日である。そうなれば雀荘にいるのはやはり学生が中心となってしまい、その辺の学生では浩子に太刀打ちなどできるわけもない。そんなこともあってか浩子は中年の客と卓を囲んでいた。平日の朝からいるだけあってそこらの学生よりかは腕が立つようだがそれでも彼女にはまだまだ届かない。数局打っていると一人が抜けてしまい、一欠けの卓となってしまった。浩子が思うさま暴れた卓に乗り込もうとする客はおらず、期せずして休憩時間となってしまった。

 

 雀荘の中は冷房が効いていて涼しい。それほど気温が高くないはずの朝でさえ先ほどいた公園ではかなり暑かったのだ。朝よりも太陽の位置が高くなった今、外に出ることを考えるだけでうんざりするくらいである。

 

 ちりん、とドアについた風鈴が鳴る。白髪に黒いワイシャツを着た男が入ってくる。どうしてか浩子は冷房の真下にいるときより寒気を感じた。

 

 男が卓につき第一声を放つ。

 

 「レートは?」

 

 「兄ちゃん、ここはノーレートや。レートありは別で探さなあかんで」

 

 同卓していた中年が声をかける。白髪の男はそれを聞いても意に介さず、まあいいや、と席に着く。

 

 「ところで兄ちゃん、腕に自信あるんか? このメガネの子インハイ出とるで?」

 

 中年が少し意地の悪い笑みを浮かべる。そのメガネの子にぼっこぼこにされている第一人者の言である。白髪の男は中年たちに目を向けず、胸ポケットから煙草を出し火をつける。煙草をしまい、カバンからどさり、と何かを放る。目は浩子を見据えている。

 

 

 「サシウマってことでどうだ?」

 

 

 目の前の状況が浩子には理解できない。あの男の手から卓上に放られたものはなんだろう。見たことはある。手にしたこともある。一万円札だ。ただしそれはきちんと指でめくって数えられる枚数で、である。そこにある一万円札はどうしたことだろう。ベルトをしている。おそらく百枚単位で。それが三つ四つとどさどさ放られるものだからよくわからない。

 

 じっとりとした汗が出る。脳内では危険を告げるアラームが大音量で鳴り響いている。尊敬する元部長にドッキリを仕掛け、企画立案が自分だとバレたときより音量が大きい。絶対に関わっちゃいけない、と理性も本能も絶叫している。ある意味で言えば勝負を避けるために彼女の口をついて出た言葉が今後の彼女の趨勢を決めたと言っていいのかもしれない。

 

 「そんなん釣り合うもん持ってませんよ」

 

 椅子の手すりを握りしめる手は震えている。

 

 「別に同等のモン張れ、なんて言っちゃいないさ。百円玉あるか? それでいいぜ」

 

 「いやいやいやいや!百円と数百万て明らかにオカシイですやん!」

 

 「いいのさ、多少理不尽なくらいでちょうどいい。それに何か賭かってねえとやる気でねえだろ?」

 

 このとき少しでも浩子が冷静だったなら。このときわずかでも考える時間が与えられていたら。しかし、そのもしもは可能性のままで消えていく。

 

 

 ( 上等や。こういうガチンコの経験も欲しい思っとったところや )

 

 

 もちろんのことデータは傾向やクセを割り出すのに極めて有効である。かと言って全てがデータ通りに運ぶわけではない。重要なのは集めたデータを基にしてどれだけ自分が対応できるかという点にある。それだけに初めて打つ相手というのは貴重な経験になる。データなしでの対応力を鍛えるにはもってこいの条件なのだ。さらにサシウマを挑んでくるあたり、少なくともそれなりの実力は備えていると浩子は踏んだ。

 

 千里山にはレギュラーに三年生が三人いた。どの先輩も強く、まだ浩子は誰にも届いていないだろうと自覚している。ただそれはいずれ超えなければならない壁であり、そのためには地力を鍛え上げる必要がある。サシウマ自体にはまさに驚愕していたが、麻雀として捉えた瞬間にギラつくあたり、船久保浩子もまた麻雀の熱にアテられた一人と言えるのだろう。

 

 もちろん勝ったところで全額かっぱぐつもりではなかったのだが。

 

 

 

―――――

 

 

 何一つ、できなかった。

 

 手も足も出なかった。出そうとする手が、足が、全て操られていると錯覚すらした。

 

 

 千里山のメンバーとも違う。姫松とも違う。全国には驚くべき選手が何人もいたがそれとも違う。切りたい牌が指に粘りつく。捨て牌が主張している。そいつを切っていいのか、と。その主張に従おうが抗おうが、魅入られたように和了り牌を出してしまう。加えて白髪の男は振り込まない。浩子だけに、というのではない。上家にも下家にも一度として彼が直撃されることはなかった。半荘一回ならばそういったこともあろうが、浩子はすでにサシウマで千円持っていかれている。白髪の男がなぜ札束を賭け続けるのかも理解に苦しむが、浩子の頭はそれどころではない。オカルトが関わったような通常ありえない自体に直面しているわけではない。普通に手は入るし、対面の男以外からは普通に和了れる。ツモ和了だってあった。そういった事象から導き出される結論は、単に技術で圧倒されているというものに落ち着いてしまう。

 

 卓越した技術は魔法に見えるというが、浩子もそれに近いものを感じていた。十一回戦目ぶんのサシウマを支払ったところで浩子は卓を離れることを決意する。

 

 「あらら、やめちゃうの?」

 

 「白旗ですー。そんかしオニイさんの麻雀ちょっと見させてもらいますわ」

 

 白髪の男はそうかい、とくつくつ笑いながら再び卓へと向かっていった。船久保浩子が情報収集モードに切り替わる。愛用の iPadをカバンから出し、牌譜を記録するためのアプリを起動する。できるだけ情報を集め、それを使いあの男の麻雀を丸裸にするつもりマンマンである。

 

 時間帯はすでに夕方と呼んでも差し支えないが、そこは真夏、外はまだまだ明るかった。

 

 ターゲットの手牌が見える位置に陣取り、対局が始まるのを待つ。からからとサイコロが回り、親が決まる。さあ見せろ、と浩子の腕に力が入った。

 

 

 後ろから見ると男の闘牌は控えめに言っても不思議なものだった。豪胆にして繊細。目を覆いたくなるような打牌をしたかと思えば、ぴたりと浮いた牌を止める。流局時に確認してみれば、浮いた牌はみごとに他家の当たり牌。当たり前のように全ての局で振り込まない。他家も雀荘に入り浸るだけあって下手というわけでもない。しかし、一人だけステージが違う。手牌山牌が透けて見えているようなフシがある。

 

 自動卓なのに?

 自動卓なのに。

 

 

 おそらく並の打ち手では相手にならないだろう打ち回しを見せる男に、浩子は一つの疑念を捨てきれないでいた。

 

 ( このニイさん手ぇ抜いてるなんてことないやろな…… )

 

 どうにも彼自身からやる気というか気慨のようなものが感じられない。手の動きそのものは淀みない。牌に長く触れている証である。ただそれとは別に、この男はギラつかない。たとえそれがどれだけくだらない勝負であれ、勝負である以上は多かれ少なかれ勝利への意欲のようなものが出るはずだと浩子は考えている。本やマンガで見るような勝負以外に目的がある場合は例外として。その淡々とした運びを見ているとどうも本気ではないように浩子には思えてしまう。

 

 とはいえ分析すると決めた以上、するべきことはする。だが目の前で行われた白髪の男の闘牌を譜におこしている段階で、浩子はうすうす感じ取っていた。おそらく分析したところで、この男の底は割れない。導き出せる結論が “相手の手牌・山牌が透けている可能性が高い” だけとかもはやギャグである。そんなことが実現してしまえば負けがあり得ない。さんざんオカルト染みた麻雀は見てきたが、今回のこれは別の領域だろう。

 

 あの小鍛治健夜でさえ、打ちこみゼロはありえなかったのだ。もちろん今日打った面子はプロと比べれば格段に落ちる。だからプロと打たせれば結果は変わってくる可能性は高い。しかし浩子は低い方の可能性を拭い去れない。

 

 プロ相手でも変わらないのではないか?

 

 本来なら偶然で片付けることもできたのだろう。だが説明不能の威圧感がそう考えることをやめさせる。さっきまでこの目に映っていた麻雀は必然だ、と頭の奥から声がする。

 

 頭の上からも声がした。

 

 「なあ、その板…… なんだ?」

 

 いつの間にか卓を立った白髪の男が興味深そうに浩子の手元を見ている。

 

 「あ、iPad ですけど……」

 

 「……アイパッド?」

 

 「もしかして知らないんですか?」

 

 不思議そうに高い技術で作られた板を眺めている。本当に知らないのだろう。だとすればどれだけ情報を遮断しているのだろうか。現代日本に生きていて iPad を知らない若者などいるのだろうか。少なくともその状況は浩子には想像できなかった。

 

 「で、これ何に使うんだ?」

 

 「いろいろと用途はありますけど、うちは相手の情報集めるのに使うてます」

 

 「ふーん……」

 

 「うちは最後の最後に勝負を分けるんは情報やと思てますんで」

 

 白髪の男の目が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。

 

 「クク……、それじゃあその iPad とやらで俺の情報は掴んだ、ってか……」

 

 楽しそうに男が笑う。浩子は悪い冗談を言うな、と苦笑を浮かべる。不可解に過ぎるのだ。闘牌も発言も人格も何もかもが。どこの世界に自分を研究されて楽しそうな顔をする人間がいるのか。たしかに自尊心をくすぐられる人間はいるかもしれない。自分は研究されるに値するのだ、と。それとは別種なのだ。新しいおもちゃを与えられたこどもが楽しそうな顔をするのと同じ顔なのだ。少なくとも浩子の常識の中には研究されて喜ぶ人間はいない。

 

 「機械もずいぶんと発達したもんだ……。なあ、まさか牌譜だけってんじゃないんだろ?」

 

 「えっ」

 

 「……フー」

 

 明らかな落胆のため息だった。浩子からすればそれ以上の情報なんて見当がつかない。

 

 傾向。彼女が集める情報の中心はそこにある。常識外のオカルト麻雀であっても必ずそこには隙が生まれる。切羽詰まった状況になれば、必ず人間は自分の傾向が出る。そこを狙い打つための方策。異能を持たない浩子が異能を打ち倒すためにできること。事実、それで浩子は何人ものオカルトを食ってきた。それに対してこの男はため息をついたのだ。まるで無駄な徒労だと言わんばかりに。

 

 「……あのよ、麻雀てのは機械と打つわけじゃねえだろ」

 

 白髪の男が呆れたように言う。浩子の頭が動き出す。男の言葉の意味を探す。彼が言ったことはきわめて当たり前の事実だ。ゲームとかでない限り麻雀というのは人が揃ってはじめて成り立つ。ならば人と機械の違いはどこにあるのか。機械はシステムで動き、人間は生きた思考で動く。だから人と機械は違うなんていくらなんでも単純すぎるし、浩子もそれはとうの昔に辿りついている。別の解答があるはずなのだが、どうにもそれが見当たらない。

 

 

結局、その日はなにひとつ得られないまま家に帰った。

 

 

 

―――――

 

 

 翌朝、変わることなく太陽は絶好調である。夏休み期間における日差しはもはや殺人的であり、この中で活動できる人たちをわけもなく浩子は尊敬してしまう。病弱な先輩の言い種ではないけれど、そりゃ熱中症で病院に担ぎ込まれる人が増えるわけだ。だからといって帽子をかぶるわけでもないし、日傘なんてまず選択肢にない。女子高生はけっこう大変なのだ。

 

 そういった事情はあるにはあるが、浩子の顔が晴れないのには別の理由がある。昨日の一件が頭から離れない。あれからどうにか答えを出そうと夕飯を食べながら考え、入浴しながら考え、布団に入って考えた。一向に結論は出ない。

 

 

 すっきりしない頭で校門をくぐり、部室の扉を開ける。むわっとした外気とはまるで別の、さらりと冷えた空気が肌に触れる。一気に体が冷えてもいけないのでハンドタオルで汗を拭きとる。

 

 「おはようございますー」

 

 いくらもやもやしたものを抱えていようが、それは部活とは関係がない。ましてや浩子は今日から部長なのだ。名門の先頭に立つ者として、礼儀を欠くわけにはいかない。部室全体に通るようにきちんと声量を調節する。すでに中にいた部員たちが挨拶を返す。二年生たちはため口で。一年生たちは敬語で。体育会系のノリは好きではないが、ある程度のルールは必要かな、と考える。思えば先輩方にはわりと生意気めな口の利き方をしていたような。尊敬してないわけではなかったが。

 

 練習開始まであと十五分くらいあったため、浩子はその時間を部員とのコミュニケーションにあてることにした。

 

 今日は先輩方は来ない。これから受験生として忙しくなるし、疲労もたまっているだろう。それに代替わりを印象付けるためにも残りの夏休みの間は一、二年生のみで練習を行うことになっている。これは監督のはからいである。

 

 「さ、練習はじめよか」

 

 監督の一言で一斉に部員たちが卓へと散っていく。それぞれが自分の課題に向かって打ち始める。浩子も卓につき、いざ打とうとするそのときだった。

 

 「あー、浩子はちょっと待ってなー。お客さん来てるで」

 

 「……客ですか?」

 

 不審なことこの上ない。浩子は今でこそ千里山の部長だが、昨日までは団体レギュラーではあったがただの二年生である。そんな自分に客が来るのだろうか。というか先輩のときにそんなことがあっただろうか。よく考えたら客が来るべきなのは清水谷先輩や江口先輩じゃないのか。そんな思考が頭を巡る。

 

 とりあえず愛宕監督に言われるままに応接室へ一緒に向かう。廊下はすでに外の暑気にやられはじめており、あの冷えたイメージは影を潜めている。エアコンをつけて閉めきっていたときはさして気にとめなかった蝉の声がやたらと大きく聞こえる。校内で朝から活動する部は麻雀部のみで、運動部はグラウンドや体育館で汗を流している。したがって誰もいない校舎内を二人で歩くことになる。応接室へ向かう途中、ちらりと監督を見てみると少しだけ汗をかいていた。どうしてか、暑さから来る汗には見えなかった。

 

 

 


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