平穏は長くは続かない
春休みのとある日。すずかははやて宅を訪れた。フェイトにはバイオリンの稽古の日、と言ってある。抜かりはない。インターホンを押すと、シャマルが出迎えてくれた。
「シャマルさん、こんにちは」
「すずかちゃんこんにちは。まぁ上がって」
すずかはリビングへと通され、ソファに座る。はやての淹れてくれたお茶をすすって気を落ち着かせる。そうしてすずかは本題を切り出した。
「無理言ってシャマルさんのお休みの日にごめんなさい」
「別に大丈夫よ?それで、用件って?」
シャマルが質問すると、すずかは何を思ったのか、おもむろに上着を脱ぎ出した。
「ちょっ!!すずかちゃん、何脱ぎ始めて!?‥‥‥て、すずかちゃん、何や、それ!?」
上半身下着のみとなったすずかの左胸には、例の紋様があった。はやてが驚くのも無理はない。何故ならその紋様は、すずかの左胸どころか左肩一杯、右胸にかかるくらいに拡がっていたのだから。
「最近妙にタートルネックが多いと思っとったけど、そういう事やったんか」
何かを必死に我慢しているすずかを見て、今迄黙っていたスノーホワイトがその口を開いた。
《‥‥‥今のすずかには、ナハトヴァール戦の時の半分の力も出せませんわ。どうやら、『それ』に魔力結合を阻害されているようですの》
スノーホワイトが話し終えると、振り絞るようなか細い声で、すずかがシャマルに問う。
「どうなんでしょうか?」
「ちゃんとした精密検査の機械はないから正確な事は言えないけど‥‥‥多分侵食率で7割くらいよ。いつ何が起きてもおかしくないわ。管理局にはこの事は?」
シャマルの非情な診断。言葉を詰まらせたすずかだったが、何とか答えを返す。
「アリサちゃんには言いました。そしたら、『アタシが何とかするから、他には言っちゃ駄目』って」
はやてとシャマルにはすぐにアリサの意図が分かった。管理局に知れれば、恐らく闇の書の時と同じように‥‥‥。親友のアリサの事だ。今必死になって別の解決策を探しているのだろう。
「フェイトちゃんには?」
言える訳がなかった。すずかにとって、一番大切なフェイトにだけは、心配をかけたくない。それは、かつて自分たちがそうであったはやてにもシャマルにも良く分かった。
「言えないよ。心配、かけちゃう。‥‥‥私、死んじゃうのかな」
「死なへんよ!奇跡だったのかも知れへんけど、私だって助かったやないか!」
はやての件を間近で見ているが為、今のすずかは余計に、闇の侵食が死のイメージと直結している。はやては確かに助かった。しかしそれは犠牲を伴い、更に管制ユニットである魔導書の主という前提があったからこそ。今のすずかとは初期条件が全く違う。
「はやてちゃんの時とは違うの。制御ユニット、魔導書がないもん。リインフォースさんはいないの。力が暴走したら、止められない!侵食だって、かなりペースが早いの!‥‥‥ごめんなさい。私、リインフォースさんの事‥‥‥」
「ええよ。分かってる。すずかちゃん、ちょっとでも何かあったら相談してな?」
膝の上に置いた両手でスカートの裾をギュッと握り締め、泣きたいのをこらえてすずかは一言、「ありがとう」と言って俯いた。
◆◇◆◇◆
(アレ?すずか?今日はバイオリンって‥‥‥どうしてはやての家に?)
はやての家から出てくるすずかを、本当に偶々見かけたフェイト。そのまますずかに近寄り、話し掛ける。
「すずか!」
「フェイトちゃん‥‥‥」
フェイトに嘘を付いた罪悪感と、秘密にしている後ろめたさ。そして何より、今の事態を知られたくないという気持ちが渦巻き、すずかは思わずフェイトから目を逸らす。
「バイオリンの稽古は?どうしてはやての家にいたの?」
「それは‥‥‥」と言い難そうにしているすずかを見て、はやてに対する嫉妬に駆られるフェイト。思わず、「はやてと、何、してたの?」と強い口調になってしまう。尚も答えず、目を逸らして俯いたままのすずかを壁際に追い込み、すずかの両手首を持って、その肩の高さくらいで壁に押しあて、すずかを拘束する。
「はやてには言えるけど、私には言えないんだね」
「ちっ、違うの!」と首を振るすずかを、嫉妬から無意識に睨むように見ていたフェイトは、すずかの「フェイトちゃん、怖いよ」という一言にハッと我に返る。手首を掴んでいた手をパッと離して、怯えるすずかを慌てて抱き締め、謝った。
「ごめんね、すずか。そんなつもりじゃ無かったんだ。ただ、すずかが心配で。最近元気なかったから、その」
「ううん。私こそごめんなさい。怖くてフェイトちゃんには言えなかったんだけど」
すずかは意を決して、自身の急激な異変を伝えようと口を開く。しかしそれは、咄嗟にすずかを守るように抱き締め直し、振り向き様にシールドを展開したフェイトに遮られた。
二人に向かって放たれた攻撃は、すんでのところでフェイトのシールドにぶつかり、飛散した。
「いきなり何するんですか!」
抱き締められて見えないが、フェイトは首だけ振り向き誰かに叫んでいる。その騒ぎと結界が展開された事で、家の中に居たはやてとシャマルも外へと飛び出してきた。
「何や、すずかちゃん、フェイトちゃん、どうしたん!?」
「色違い?ま、いっか。闇統べる王とシステムU-Dみーつけた!キリエちゃん今日はツイてる、K・K・T!」
(キリエさん!?)
すずかが首を伸ばして見てみると、そこには特徴的なピンクのジャケットに身を包み、二丁の銃型デバイスを持ったキリエがいた。
すずかは思わず溜め息をつく。どうしてこの世界は、元居た世界の友達が揃いも揃って敵として現れるのか。
「王様、システムU-Dを渡してくれるかしら?」
キリエははやてに向かい、すずか以外には訳の分からない事を言っている。
「王様??私王様やあらへんよ?」
「へ?闇統べる王じゃないの?」
(やっぱりそうだ)と、すずかは確信した。キリエははやてをディアーチェと勘違いしている。つまりシステムU-D、ユーリの制御ユニットを持っているのはディアーチェという事だ。この世界のディアーチェに会えれば、何とかなるかも知れない。それはすずかにとって、藁にでもすがりたい微かな希望だった。
「私、最後の夜天の主ではありますけど。八神はやて言います」
「まさか、人違い!?そんなぁ‥‥‥まぁいいわ。その子を大人しく渡しなさい♪」
すずかに舐めるような視線を送り、不気味な笑顔で近付くキリエ。フェイトはその前に立ちはだかり、バルディッシュを構えた。
「させない!」
そのフェイトを睨み、少し不機嫌に見えるキリエは、銃剣を構え直し、フェイトに迫る。
「邪魔する子にはお仕置きしないとね♪ちょーっと痛いかも知れないから、なるべくみっともなく泣きわめいてね?」
◆◇◆◇◆
管理局本局。アリサは焦っていた。
(不味い、不味いわ。急がないと)
コンソールを叩く指は目まぐるしく動き、何かを必死に探していた。
《ユーノ、そっちは?》
無限書庫内のユーノに進捗状況を確認する。
《紫天の書はどうやら、『マテリアル』って呼ばれる特定の者にしか使えないみたいだよ。その人物が見つからない事には、どうにもならない。僕も今日中には97管理外世界へ行くよ》
《アタシも行きたいのはヤマヤマだけど、まだ動けないのよ。頼むわよ、ユーノ》
《分かった、アリサ。何とか見付けてみせるよ》
アースラは現在、本局のドッグで停泊中。前回の闇の書事件同様、管理局の最終兵器を搭載するためである。
(アルカンシェルの使用許可なんて、どうかしてるわ!何が、『三日月の涙』よ!冗談じゃないわ。すずか、私達が必ず助けてみせるわ)
管理局は、砕け得ぬ闇の、すずかへの侵食を掴んでいた。
時空管理局、エグザミア及びシステムU-Dを第1級捜索指定ロストロギアに認定。
作戦コード『Crescent Moon tears』。アースラスタッフがフェイトにひた隠しにするそれは‥‥‥エグザミアの分離及び封印が不可能と判断された場合、アルカンシェルにて月村すずかごとシステムU-D、エグザミアを消滅させる作戦である。
砕け得ぬ闇編スタート。初回でいきなりキリエさん登場。この小説のタイトルの理由が明らかになりました。