なんでこんなことになっているんだろう……?
俺はいろいろな理由で火照っている顔に、手で風を送りながらそう思った。
「風呂は一人で入るのが好きなんだがな。背中でも流してくれるのか?」
正面を見ながら横にいるタバサへと話しかける。
注意をしていないと目が横にいってしまいそうになるあたり、俺もまだまだ未熟だな、と感じる。
「して欲しいのならば私は構わない。けれど今回来たのはお礼を言うため」
真剣な声色でそう言われ、ついタバサの方へと振り向いてしまう。しかし湯気越しに見えた驚くほどの肌の白さになんだかひどくいけない物を見てしまったような気分になり、すぐさま視線を正面へと戻した。そのままなんとなく自分の体へと目を落とす。あちこちに生々しい擦り傷や切り傷がついたままだ。……比べるものではないけれど、こんな傷だらけの状態の俺の隣に、あんなに肌の綺麗な奴がいると思うと、ひどくみっともないような気持ちにさせられるな。まあ、俺が透き通るような綺麗な肌をしていたら、それはそれで洒落にならないくらいに気持ち悪いってことくらいはわかってるが。
「ありがとう。あなたに助けてもらったおかげで、私は今もこうしていられる。あなたがいなければ私は、こうしてお礼を言おうとする心さえも失っていた。それに……」
「俺に言うくらいなら、キュルケにもお礼言っときなよ? エルフとの闘いはもちろん、宿やメシの代金はキュルケが出してくれたんだから」
なんだか真面目にお礼を言われることが気恥ずかしくなり、話をさえぎる。冷静に考えると我ながら無茶をしたな。女の子を助けるためにエルフなんて化け物と戦うなんて……なんだか現実味のわかない話だ。
「もうすでに言った。それに……一日とはいえ母様を元に戻してくれたことに対してもあなたにお礼を言っておきたかった」
「ああ、それだけどな」
そう言えばそれについて一つ思いついたことがあったんだった。
「アーハンブラ城で、タバサに使うつもりだったらしい毒薬を見つけてな。調べなきゃわからんけど、あれはたぶんお前のお母さんに使われたのと同じものだと思う」
タバサに聞いた話だと、俺たちがタバサを助け出した日の翌日が、薬を飲まされる予定の日だったらしい。全くぎりぎりだったものだ。タバサのマントとかもきちんと畳まれておいてあったし、あのエルフずいぶんと几帳面な性格だったんだろう。すでに薬が用意してあったので、ありがたくちょうだいしてきたのだ。まあ、見た目からして『五分前行動が座右の銘です』って感じだったからな。絶対あいつ委員長やってたタイプだ。
「それで?」
「毒薬そのものがあれば、もっときちんとした解毒薬が作れるってことだ。それに……まだ形になっていないから言わないが、思いついたことが一つあってな。下手すりゃ完治に限りなく近い状態にまで持って行ける……かもしれない……気がする……」
なんとなく勢いで言ってしまったが、そこまで自信があるわけでもなかったので、語尾がしぼんでいってしまう。もしかしたら、まだあの秘薬の効果が残っているのかもしれない。あのドーピング薬は興奮剤に似たものだからな。普段より気が大きくなる効果があったのかもしれない。
「本当……?」
震える声でそう返される。
「……正直やってみないとわからない。けどまあ、毒薬があるってことは動物で試してみたりできるからな、上手くいく可能性が高くなったのは確かだよ」
しかしエルフ特製の毒薬そのものを使っていろいろ試すとなると、コルベール先生に協力を頼むわけにもいかないな。さすがにそこまで迷惑はかけられない。
「ありがとう……」
「ふわぁっ!」
お礼の言葉を言いながら、タバサが俺の腕を掴み、ぐいっと近づいてくる。そのすべすべとした濡れた肌の感触に、俺は男らしくもない情けない悲鳴を上げてその手を振り払うと、ばしゃばしゃと水音を立てながら距離を取った。
反射的に口から文句のような言葉が出る。
「お、お前……バカ、風呂でくっつくな! ただでさえ風呂熱いんだから! 人だって熱い時は熱いんだかな!」
俺はいったい何を言っているんだろう? いかん、少し落ち着こう。
そう思い、軽く目を閉じて心を落ち着かせてタバサに目をやると、どことなく落ち込んでいるようだった。
「ごめんなさい。気を悪くさせるつもりはなかった」
「あ、いや、悪いというか、どちらかといえば良かったよ、うん」
俺は本当に何を言っているんだろう。ここまで自分が不測の事態に弱いとは知らなかった。
先ほどよりも少しだけタバサから距離をとって、再び前を向く。
それにしても結構な時間、風呂に入っていたせいで随分と湯だっているのに、変に慌てたせいで余計に熱くなってきた。そろそろやばいってのに、隣に裸のタバサがいるせいで風呂から上がれん。
「えーと……今後はどうするんだ? お母さんはここで世話してもらえるそうだけど、タバサもここに残るのか?」
そう聞くとタバサは首を横に振った。
「私は学院に戻る。ここに居ても私にできることはないから。それにあなたたちに借りを返したい」
「……そうか」
あっつい……のぼせてきた。
俺はぐでっと、浴槽の縁に上半身を乗せる。早く上がらないと。いや、タバサが先に上がればいいんだ。それなら……いや、それだと俺がタバサを見ることになる。
あれ? これ詰んでないか?
「うあ……あー、借りとかそんな気にせんでも……いいぞ。俺もキュルケも今回のは好きでやったことだし」
あと30。30数えたら問答無用で出よう。もうなんか頭がぼーっとしてきたし。1、2、3……
「それこそ気にしなくてもいい。あなたは良くトリステインに行っているみたいだし、今後はその時に遠慮せずに私を使える程度に考えてくれれば」
29、30。ふう、上がるか。……いかん、やっぱ恥ずかしくて出れない。どうしよう、なんかのぼせすぎて指震え始めた気がするんだけど。
もう30、もう30数えたら今度こそ出よう。1、2……
「…………出かけるときに、送ってくれるってことか? ………………それは、どうも」
……………………まずい、変な汗出てきた。あれ? 今いくつまで数えたんだっけ? 頭が回らない。目の前がちかちかする。
「それに他に何か用があれば私もできるかぎり協力する。もちろん母様の解毒薬以外のどんな雑用でも構わない」
…………………………もうだめだ。
「………………………………おう」
「……大丈夫?」
その声が随分と遠くに聞こえたのを最後に俺は気を失った。
「ん……、んー?」
「あ……。起きた?」
顔にあたる風に目を覚ますとベッドの上だった。体を起こして、いまだに少しはっきりしていない頭に片手をやる。変に涼しいと思ったら、ベッドの横に立っていたタバサが風を送ってくれていたようだ。
少し心配そうな表情をしているな。迷惑をかけてしまったか。
「一応体は冷やしたし、水も飲ませたけれど……大丈夫? どこか悪いところがあるのならば、言ってもらえればできる限りのことはする」
「いや……どこも悪くないけど」
そう言いながら自分の体を見ると、きちんと服を着ていた。
……倒れたのは風呂だったよな?
「その……聞きたいんだが、俺に服着せたのって誰?」
「…………浴室の近くにいた使用人の人」
俺の予想と違っていることを心の底から願いながらタバサへと尋ねる。一応俺の欲しかった答えは返ってきたが、そう言ったタバサの頬は赤く染まり、顔もそらしている。つまりは、そういうことなんだろう。
……どうしよう、お婿に行けない。
馬鹿な事を小声で呟きながら、頭を抱えてしまう。まあ、俺は男なんだしあんまり恥ずかしがるのもアレな気はするんだがな。できるだけ気にしないように……というかさっさと忘れよう。あー、こんなことになるのなら、恥を忍んでさっさと風呂あがっとけばよかった。やるは一時の恥、やらぬは一生の恥というやつだな。座右の銘として、紙に書いて部屋にでも張っておくか。
長時間風呂に入った後というのは、変に体が疲れてしまう。俺は起こした体を再びベッドに横たえた。
さすがはツェルプストー家のベッドだ。学院での俺の部屋のはもちろん、実家のベッドよりも遥かに寝心地が良い。タバサの救出に協力したからだろう、ずいぶんキュルケの中の俺の株も上がったみたいだし、遠慮せずにここでぐっすり眠って、大貴族様用の上手い飯食って学院に戻ることにするか。解毒薬作成をもう一度頑張ることになったし、英気を養わなきゃいけないしな。それに……
俺の頭の中にクールな顔で怒るメイドの顔が浮かぶ。
無断で大冒険した件について、またあいつに謝らなきゃいかん。
俺はうんざりとした顔をしながら、現実でのタバサからの心配そうな視線と、想像でのアラベルの怒った視線から逃れるために布団をかぶって目を閉じた。
「なんだか懐かしいような気さえするな」
数日ぶりに戻ってきた学院を前にして浮かんだのは、そんな月並みな感想だった。
まぶしい日差しになんとなく手で日の光を防いでしまう。ついさっきまでシルフィードの上で風に当たっていた身としては、こんな暑い外にいるよりかはさっさと部屋に戻ってごろごろしたい。解毒薬作りに取り掛かるのは明日からでいいだろ。
俺は乗せてきてくれたお礼をタバサに言うと部屋へと向かった。というか向かおうとした。
「……」
「……」
「いや、なんでついてくるのさ?」
なぜか俺の後をついてくるタバサ。こっちは男子寮なんで、来たってしょうがないと思うんだがな。何か用でもあんのか?
「私のせいであなたは杖を失ってしまった。だから杖が再び使えるようになるまでは私があなたをを守る。すでに言ったけれど、そのためにも近くにいた方がいい」
そう言えばそんなことも言ってたな。別に学院で危ない目にあうことも無いだろうし、そんな過敏にならんでも、と思うが。
「それにもう命令に従って任務をする必要も無いので、何かして欲しいことがあるのならば、私にできることならいくらだって協力することもできる」
「お手伝いでしたら私がするので、大丈夫だと思いますよ」
……何やら俺の背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。怒っているのか随分と硬い声だが、この声を聞いてなぜか安心感をおぼえるあたり、俺もずいぶんやられているような気がする。……もしかしたらただ単に精神的に疲れているだけ、って可能性も否定できないが。
俺は振り向くと同時に、そこにいた人に笑顔で話しかけた。
「やあ、元気? いやー、ずっと会いたかったよ」
「なら出かける前に一言言ってください。何度目ですか、このお話をするの。あとその白々しい嘘やめてください」
振り向く前からわかっていたことではあるが、声の主はアラベルだった。笑顔は動物の警戒心を和らげると何かで聞いたからわざわざ笑顔で返事したのに、アラベルの表情はどことなく硬い。……そりゃ黙って行くなと言われたのに、二回も三回も勝手に冒険しに行ってりゃ不機嫌にでもなるか。
「で? ミス・タバサとはどういったご関係で?」
間髪入れずにそう尋ねてくるアラベル。実はタバサは俺の生き別れた妹なんだ! とか言ってみたい気もするけど、さすがにまずいよな。
「こんなところでする話でもないな、部屋で説明するよ。何より暑いしな。……いや、そういえば散らかってたっけ? タバサの部屋の方がいいかな」
「アシル様の部屋でしたら、出かけられている間にきちんと片づけて置きましたよ。お掃除もしておきました」
「……お前と話しているとたまに、もしかしたら俺はぐうたらな奴なんじゃないか、なんてありもしない妄想に囚われることがあるよ」
「それ現実です」
「…………」
肉体的ダメージが癒えた体に今度は精神的なダメージを受けた俺は、何があったかの説明をするためと心身を回復させるために部屋へと戻ることにした。