帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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次話で要塞戦を終わりまでやり、合わせて二、三話でこの章は終了予定です


第九十四話 これが本当の吊り橋効果である

「良いですか?幾ら生活が貧しくても、精神まで貧しくしてはいけません。いたずらに人を妬まず、卑屈にならず、自身の境遇に誇りを持ち、堂々と胸を張りなさい。それこそが騎士の矜持なのですから」

 

それは病床にあった母が彼にかけた言葉であった。

 

 ファーレンハイト帝国騎士家……正確には二等帝国騎士……は新興も新興の貴族であり、元を辿れば卑しい下層平民の家であった。

 

 しかし、小さな星間運輸会社の下働きであった祖父ヨーゼフは偶然取引先の貴族達の噂話を聞き耳し、それを元に社長に輸送取引の提案を直訴、その提案を受け入れた社長は結果的に反乱に際し、後方における帝国軍の軍事物資輸送の大口取引を引き受ける事に成功した。

 

 後の「グリンデルヴァルト侯の反乱」と呼ばれる事件である。

 

 時の皇帝コルネリアス二世を退け一族の血が流れる腹違いの皇帝の弟を次期皇帝に即位させようと画策した帝政成立以来の歴史を持つ侯爵は、しかしその工作に失敗し、最終的に破れかぶれの反乱を起こす事になった。フェザーンでは大商人バランタイン・カウフが処刑台の階段十二段目から王座に登り詰めた切っ掛けとして有名な事件だ。

 

 因みにコルネリアス二世の時代は帝国にとってある種の暗黒時代であった。即位前には次男アルベルトの失踪、即位後は宮廷で小事件が頻発し、730年マフィアの登場、「ヴィレンシュタイン公の反乱」を始めとした反乱、帝室の威信回復をかけた第二次ティアマト会戦に大敗とそれによる平民階級の台頭、晩年には「偽アルベルト公事件」があり、止めはそんな散々な時代を見て来た上、偽アルベルト公事件で周囲から一時期掌返しされた有能な次代皇帝オトフリート三世が即位後に病んで衰弱死した程だ。

 

 ……話を戻そう、末席とは言え宮中十三家が一つであるグリンデルヴァルト侯爵の反乱は帝国の物流に少なからず打撃を与え、その後の航路治安に少なからず悪影響を与えた。帝国軍からの大口取引によって手に入れた資金を持ってヨーゼフは更に航路警備の需要増加を見込み警備を請け負う警備会社の株式を買い込み転売、一財産を手にする事で下層平民階級から富裕市民に成り上がる事に成功した。

 

 そしてある資産家の娘と結婚するに及び典礼省から二等帝国騎士の地位を購入し、末端の末端とはいえファーレンハイト家は貴族階級の一員となったのだ。

 

 無論、戸籍上「帝国騎士」に列せられるだけでは意味が無い。末席の末席とはいえ貴族年鑑に記録される以上はそれに相応しい教養が無ければ無学の成り上がり者として同じ貴族どころか平民達の良い笑い者だ。

 

 息子フレデリクは貴族階級としての教養を十分に受ける事が出来た。帝都の高名な家庭教師を雇い入れ、いつか貴族階級の社交界に参加しても恥ずかしくないように言葉遣いや宮廷儀礼を、教養を叩き込まれた。その成果もあり、フレデリクは新興の帝国貴族でありながらも社交界でも不足無い優美な所作を身に付けた。

 

 しかし、アーダルベルトが生まれるのと前後してファーレンハイト家を不幸が襲った。所有していた貨物船の事故による契約先と従業員への補償により資産の大半を失ったどころか借金が残ってしまった。

 

 無論、それだけで即座に一族の破滅を意味する訳ではない。帝国騎士階級には末席であろうとも貴族年金や帝国銀行からの低利子の借り上げが可能だ。

 

 しかし、所詮貴族年金は少額であるし、借金はいつかは返さねばならない。フレデリクは少なくとも帝国騎士らしく家族のために当主の責任は果たそうとした。

 

 彼は官吏としてイゼルローン要塞建設に関わる事務員として出仕する事になった。交易会社を運営していた経験を強みに要塞建設責任者であるリューデリッツ伯爵の下で建設機材の輸送に従事していた。

 

 ここまでならばまだファーレンハイト家にも持ち直す機会があっただろう。だがファーレンハイト家の災難は続く。反乱軍による要塞建設妨害を受け彼の乗船する輸送船は沈没してしまった。しかも世は吝嗇家として悪名高いオトフリート五世の御世であったのが更なる不幸であった。

 

 帝国の財政を大幅な黒字にして安定させた点においてオトフリート五世は評価されるが、彼の善政は悪政と表裏一体であった。

 

 少なくない増税は民衆の生活と経済成長に悪影響を与えたし、貴族階級に対しては資産や爵位の相続税の増税や貴族年金を、軍部に対しては遺族年金や各種手当の減額を実施していた。当然ファーレンハイト家にもその影響は及び当主死亡による相続税が襲い、同時に家族にもたらされる遺族年金は微々たるものであった。

 

 当然のようにファーレンハイト家は貴族でありながら経済的に困窮した。オトフリート五世の治世は多くの下級貴族が没落した時代でもあり、彼らを保護したブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家の勢力が伸長した時代でもあった。オトフリート五世の長子リヒャルトと三男クレメンツの両者(あるいは両派閥)の対立もその主軸の一つが緊縮財政の継承か緩和かであると言われる。

 

 何はともあれ、ファーレンハイト家は未だに借金が残る状態で未亡人とその子供が残されるのみとなったのだった。未亡人となった妻は仕方なく実家を頼った。

 

 当然ながら借金を背負った家族を温かく迎える訳はない。一応は一族であるために衣食住は保障され、借金は肩代わりされたが元々病弱である事もあり家での扱いは不遇であった。

 

 そのためアーダルベルトの幼少期の記憶と言えば狭い部屋での母との生活がその大半を占めた。少しでも借金を返済するために内職に励む弱々しく、薄幸な雰囲気を身に纏う母の姿が彼の日常であった。

 

 日々の精神的・肉体的な負担により弱っていた母に我儘を言う事は少なかった幼少期、数少ない交流は躾の時間であった。

 

「いいですか?貴方はファーレンハイト家の次期当主なのです。ですから帝国騎士らしい振舞いが求められるのよ?」

 

 母の言は決して未練がましく貴族の地位に、過去の栄光にしがみついているためでは無い。

 

 開祖ルドルフ大帝の遺訓の一つに「遺伝子にあった階級を、階級に相応しき義務と振舞いを」と言うものがある。帝国においては階級にあった品性が求められるのだ。それはたとえ零落れた新興の下級貴族でも同様だ。いや、寧ろ下級貴族だからこそ大貴族と違い力が無いためにそれが求められた。仮に身分に相応しくない振舞いを見られればそれだけで虐めや蔑視の対象になり、噂が広まれば職にありつく事が出来なくなるかも知れないのだから。礼儀作法は彼女が母として唯一息子に残す事の出来る財産であった。

 

 母の思いを幼い息子は子供心であるが理解し、母の思いに応えるために必死に貴族に相応しい礼儀を覚えた。また貴族たるもの常に平民の規範たる事を為すためにギムナジウムでの勉学にも打ち込み学問でも、無論運動分野でも常に学内において首席を争う最優秀グループに位置していた。

 

 十五歳になり、彼が帝国軍士官学校に入学したのは母のためであった。確かに大学を出て官僚になる道もあった。だが大学の学費が嵩む。奨学金の競争率は高く、その上高級官僚の多くは大貴族が占め出世するのにも限界があったのだ。

 

 一方、帝国軍は帝政成立以来実力主義の気風が強く、官僚になるよりもより栄達の道があった。何よりも学費が無料、それどころか学生時代から微々たるものではあるが給与が支払われるのだ。自身で食い扶持を稼ぐためにも、母の労苦に報いるためにも軍人になるのはある意味当然の既決であった。

 

……結局の所、彼は不運だった。

 

 恐ろしい倍率を突破して士官学校に入校しても身分の差は付きまとうのだ。校内を分けるのは大きく二つの勢力であった。一つは門閥貴族を中心とした貴族派閥であり、もう一つは富裕市民を中心とした平民派閥である。

 

そして、そのどちらも禄でもないものであった。

 

 貴族達は決して無能と言う訳ではない。コストを度外視した教育を物心がつく頃から受けているのだ。士官学校の試験とて多少の手心はあろうともあからさまに不適格な者は有無を言わさず落選する。少なくとも彼らは頭脳と肉体に関しては帝国社会において水準以上のものを有していた。

 

 だが実力と精神性は必ずしも一致しないものである。彼らは門地と実力を鼻にかけ、平民を才覚の有無に関わらず蔑視した。いや、平民だけでなく歴史の浅い下級貴族も同様だ。自分達以外を塵芥同然に扱い、自制心は無く、高慢で、下劣で、他罰的な精神性は少なくとも彼が母から学んだ貴族階級の美徳とは最も遠いものと言わざる得ない。

 

 だからと言って平民達の派閥もまた彼には不快感しか無かった。

 

 彼ら平民は門閥貴族達に比べたら比較にならない劣悪な環境で自己研鑽をした果てに士官学校に入学した者達であった。彼らは自身の実力を誇り、そしてだからこそ貴族と言うだけで上位階級を敵視していた。憎悪、或いは嫌悪しているとも言っても良い。周囲の手厚い支援無しにここまで来れない貴族共よりも自分達の方が優れていると彼らは教条的に確信していた。異様なまでに貴族的な価値観を排除し、執着的で狭量な傾向のある彼らの下に行く事は耐えられなかった。

 

 結果として彼は一部の下級貴族や派閥に無関心な者が多い士族階級同様に士官学校の権力闘争の場から距離を置いた。彼は派閥に然程拘泥するつもりは無かった。真に努力し、才覚のある者は派閥なぞ無くともおのずと引き上げられると、彼はルドルフ大帝の言を信じていたし、それは記録に残る少なくない平民や下級貴族の無派閥将官が証明していた。

 

 彼の考えは正しい、正しいが、ある意味では純粋に考えすぎた。あるいは時代が悪かった。

 

 彼は優秀であった。秀才の集まる士官学校の学生の中でも特に優秀であった。それでいて下級貴族の無派閥ともなれば注目を集める。派閥への誘いがまずあり、それを完璧な態度で丁重に断ると次に不興を買い、双方からの嫉妬とやっかみ、そして嫌がらせを受けた。

 

 四半世紀前ならばこんな事は早々無かった筈だ。優秀な者は身分の差も無く称賛したであろうが、既にそのような美徳を持つ帝国人は絶滅危惧種である。その意味で彼は時代が悪かった。

 

 それでも一時期副校長であった公平にして厳粛なメルカッツ少将、才覚ある者には家柄の別なく学生が嫌がる程執拗に指導するシュターデン教官、身分の上下に関わらず弱者は投げ飛ばし、病院送りにする特別陸戦教官オフレッサー中将等の存在もあり、学生生活の前半は比較的平穏であった。だが彼らが学校を去り前線勤務に就くとその嫌がらせは明らかに酷くなった。

 

 時期を同じくして母が病死した事が知らされた。元々体が弱く病気がちであったのが冬の寒さから風邪を引き共に急激に悪化したためであるらしい。母はアーダルベルトの学業に影響を及ぼす事を嫌いそれを伏せ、結果彼は生前に母に一目会う事も叶わなかった。

 

 失意に打ちひしがれた彼に出来る事は一つしかなかった。母に誇る事の出来る貴族として生き、立身出世を果たす事だ。

 

 彼はまず母の葬式と借金返済のために貯蓄を全て母の実家に支払い、ついで典礼省で手続きをして正式に帝国騎士家ファーレンハイト家の当主と認められた。同時に貴族年金の受け取り先を母の実家に指定し、それ以外の縁を切った。

 

 彼にとって家族とは母一人を指していた。一度実家を出ながら借金を背負い戻ってきた娘に実家は冷たく、それ故に母以外の親族に対しては愛着は湧きようもない。借金の支払いを肩代わりした事への返礼のため貴族年金の受け取り権を譲渡した以上、それ以上の義理を果たす必要を感じなかった。

 

 古き良き帝国騎士のように誇りと矜持を持って、一方で多くの悪意に晒されたが故に処世術と鑑識眼にも長け、世間の醜さもまた学んだ彼は士官学校を優秀な成績で卒業した。尤も流石に多くの悪意を受け過ぎたがために初年度にして一巡航艦の乗組員と言う立場を甘んじる事となってしまったが。

 

「……我ながら中々波乱に満ちた人生だな」

 

 真空の闇の中を漂流するファーレンハイト少尉はそこで我に返るように目覚め、ぽつりと呟いた。着任した巡航艦の副長は面倒この上無い人物。しかもよりによって反乱軍の攻勢が始まり所属艦隊は最前線に送り込まれ大破と来ている。あの亡命貴族の坊ちゃんが流れて来た時にようやくツキが回ってきたかと思えばこの様である。悪神にでも憑りつかれているのだろうか?などと彼は半分真面目に考える。

 

「さて……後、二時間余りか……」

 

 ファーレンハイト少尉はふざけるのを止めると、まず宇宙服の酸素残量メーターを見やり、その数字に表情を強張らせる。

 

「ちっ、運が良いのか悪いのか……」

 

 余りに少ない酸素残量の理由を調べる。どうやら彼がランチから放り出された時、デブリが彼の宇宙服の酸素タンクを一つ吹き飛ばしたようだった。人体に当たれば風穴が空いていたのである意味間一髪ではあるが見方を変えればはじわじわと苦しんで死んでいくのと同意だった。

 

無論、彼はこんな所で死んでやるつもりは無いが。

 

「どこか降りられそうなデブリでもあれば良いのだが……ん?」

 

 見れば遠目に反乱軍の宇宙服が漂っていた。あの状況では恐らく中に人が入っているであろう、動いていないのは何等かのショックで死んだからだろうか……?

 

「どうするかな?」

 

 正直見込みは大きくはない。酸素は既に切れている可能性があるし、あるいは宇宙服に穴が空いてにるかも知れない。貴重なバックパックのスラスター残量を無駄には出来ない。

 

「………考えても仕方ないな」

 

 周囲に使えそうな漂流物が無い以上思考するのは無意味だった。仮に酸素残量が無くともそれを確かめるために行くしかない。ギリギリまで粘ってから行っても時間の無駄だ。まずは調査する、次いで駄目ならば次の策を考えるべきであろう。

 

 貴重なスラスター燃料を節約しながら目標に向かう。数キロは距離があるだろう。ファーレンハイト少尉は二十分余りをかけて尤も燃料効率の良い速度で加速する。

 

「よし、右…上……ちぃ、左、上……よしっ……!」

 

 スラスターから噴出されるバーニアを繊細に調整し、ようやく少尉はそれに掴みかかる。

 

「よしやったぞ!酸素は………」

 

 そこで喜色の笑みを浮かべた彼の表情はすぐに真顔になった。

 

「………」

 

取り敢えずヘルメットを殴った。

 

「うえっぷ!?うおっ……!?ここ何処だ!?」

「いや、貴方こそ何でここにいるんですか?」

 

 少し胃液を吐き出してパニックになった伯爵家の長子にファーレンハイトは取り敢えずそう突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 暫しのくだらない言い合いの末、どうにか互いに情報交換し合い、状況を確認し終える。

 

「つまり我々は仲良く宇宙漂流中と?」

「そうなりますね」

「それってひょっとしてヤバくね?」

「ひょっとしなくてもヤバいですよ」

「ですよねー」

 

取り敢えず状況が最悪に近い事だけは共有する。

 

「……助け、来るかね?」

「貴方がいるので可能な限りはするでしょう。救助部隊が壊滅していないなら、ですが」

 

 尤も、壊滅していなくても簡単には救助が再開される事は無いだろう。

 

「これは……覚悟がいるかも知れませんね」

 

 そう呟いてファーレンハイト少尉はこれからの自身の選択に突きつけられる。一歩間違えれば間違い無く死ぬ事になるであろう。寧ろ死ぬ可能性の方が遥かに高いのだ。

 

 思考の海に沈もうとしていた彼を我に返らせたのは宇宙服からの警告だった。

 

『残量酸素、一〇%を切りました。交換の必要を認めます』

 

 機械音は無線通信を通じてもう一人にも伝わっていた。ファーレンハイトはその意味を理解して視線をもう一人にすぐさま向けた。

 

「酸素残量不足、か?」

 

 目の前の青年貴族は険しい表情で呟く。そして今更ながらファーレンハイト少尉は自身の置かれている状況を再認識する。

 

 自身の酸素残量は少なく、相手のそれは自身より余裕がある。そして現状いつ救助が来るか分からない。

 

 自身の腰を見る、ハンドブラスターはどこかに飛んで行ってしまった。相手のそれを見る、そこにはハンドブラスターが収納されている。

 

 互いの手元を見る、今動けばどちらが先にハンドブラスターを手に入れられるかは五分五分の状況である。即ち、先に動いた方が勝つ。

 

 ファーレンハイト少尉は青年貴族の目を見る。ヘルメットの強化特殊樹脂製のグラス越しに見える瞳は互いにその事を理解している事を示していた。

 

「………っ!」

 

 ここに至っては是非も無い。生き残るために生き汚く、貪欲に行動しなければならなかった。彼はこんな所で死ぬわけには行かなかった。

 

 少尉は手を青年貴族のハンドブラスターに伸ばす。そしてもぎ取ったハンドブラスターをその持ち主の眼前に向け………。

 

「待て待て降伏!降伏するからっ!ストップ!ストップ!話せば分かるから!」

 

 一切の躊躇なく目の前の亡命貴族は全面降伏した。情けないくらいあっさりと命乞いをして来た。

 

「…………」

 

 一瞬、場が白けたように沈黙する。想定ではハンドブラスターの奪い合いが起きると思っていた。彼も自身の戦闘技能は相応の自信はあったが相手の伯爵家長子も決して無能ではない。負ける事は無いが相応の修羅場になると考えていたが……。

 

「まさか即抵抗を諦めるとはな……」

 

 流石に少尉も呆けた表情を向ける。一瞬たりとも抵抗する素振りが無かった。少尉がハンドブラスターに手を伸ばした瞬間には既に手を上げていたという有様だ。

 

「OKOK、文明的に話し合おう!酸素残量半分やるからその物騒な玩具さっさと降ろせ!」

 

 慌ててそう叫ぶ伯爵家の長子。しかしそこはこれまでの人生で少なからぬ悪意を受け続けて来たファーレンハイト少尉はすぐさま信じる事は無い。

 

「ほぅ、貴重な酸素を半分渡すと。中尉殿にはこの状況が理解出来ていないようですな。我々は宇宙漂流しているのですよ?」

 

 広大な宇宙で人は極めて小さい存在だ。艦艇のレーダーでも映るか怪しいものだし、そもそも下手すれば高速で移動する軍艦に気付かれずに「轢かれる」事すら有り得るのだ。そのため捜索は極めて慎重に、そしてどれ程時間がかかるか知れたものでは無い。今この場においては僅かな酸素が万金に匹敵する価値があった。

 

「貴方の酸素残量は……六時間ですか、私はせいぜい二時間です。合わせて八時間、しかもそれだけ待って救助が来る保証はない。まして半分渡す?残り三時間の命になって構わないと言う事ですかな?」

 

 正気とは思えない。明らかに出まかせだ。そう言って安心させたところで奇襲する可能性の方が遥かに高い。

 

「待て待て待て!そんなに目をギラつかせるなっ!?マジ怖い!分かったっ!説明する!説明するから!だから殺さないで!私何も悪い事してない!(風の谷風)」

 

 少尉の目付きから本気度を理解したのか亡命貴族は必死に説明を始めた。

 

「あーそうだな、まず一つ、そもそも私はお前さんに勝てない、これが降伏した理由だ」

 

 無重力空間では唯でさえ不得手な上、白兵戦の心得も帝国が上、しかも帝国軍士官学校を上位の成績で卒業した者に勝てる筈がない、と語る。そしてこの場で殺される位ならば降伏した方が生存率は高い、とも。

 

「次、ここで争う事自体が酸素の無駄だ」

 

 戦闘ともなれば酸素も急激に消費する。それどころか酸素タンクの喪失すら有り得る。それならば初めから半分差し出した方がマシだ、と語る。

 

「最後、正直寂しい、一人にしないで」

「おい、最後だけ理由が可笑しいぞ」

 

思わず突っ込みを入れるファーレンハイト少尉。

 

「……いや、これは私も恥ずかしいし、言うべきか迷ったのだが……宇宙怖くね?」

 

 漆黒で音の無い極寒の世界。その中を何時間も一人で漂流するのは恐怖でしかない。二人居れば少なくとも発狂せずにいられる、と言う。

 

「お前さんは兎も角私はマジで一人で漂流は厳しいんだよ。多分お前が起こさずに自分で起きてたらパニックになっていたと思うぞ?」

 

 冗談半分に、しかし半分本気で中尉は語る。そこに嘘はあるようには思えない。

 

「それにお前さんだってどうせ回収されるなら褒美が欲しいだろう?私が殺されたらどうなるか分かるよな?」

 

 人力で移動出来る距離はたかが知れている。双方合わせた酸素残量八時間では幾ら移動しようとも軍艦にとっては十分もせずに移動出来る距離でしかない。そしてこの中尉の死体が見つかれば……。

 

「自分が人質で脅迫の材料と言う訳か」

「御名答」

 

 中尉の表情は一見余裕そうに見えるが、ファーレンハイト少尉には彼が相当緊張しているのが覗えた。

 

(この状況で危険を承知ではったりを言えるのは賞賛してやるべきかな……)

 

 少なくとも本国の大貴族よりは肝が据わっている、と評価する。

 

「成程、一本取られましたか。ですが一つ見落としがありますな?もし救助された後、脅迫された恨みを忘れずにこの事を貴方が話せば私は縛り首です。でしたら同じ事では?」

 

 目を細め、改めて少尉は銃口を向けた。一方、中尉は一瞬肩を竦めつつも、覚悟を決めた表情で答える。

 

「私は卿に命乞いをした」

「……そうですな」

 

少尉は短く答える。

 

「私がその事を口にすれば卿もどうせ死ぬならとその事を叫ぶだろう?当然ながら伯爵が帝国騎士に命乞いなぞ外聞は余り宜しくない。その場で出鱈目扱いしても良いが叫べば幾人もの人物が聞くだろう」

 

 そして人の口を完全に閉じる事は出来ないし、貴族社会では噂はそれが事実でなくとも力を持つものだ。

 

「互いにこの事を口外しない、という事でどうだ?私からすれば最大限の譲歩だが、これで納得してくれないのなら仕方あるまい」

 

 諦めるとも徹底抗戦するとも取れる言い方で言葉を切ると少尉の顔を伺う、或いは値踏みする伯爵家の長子。

 

「信用出来ると?」

「私が自分で口にした事を反故にした事があるかね?」

 

 淀みなく言い返す中尉。ファーレンハイト少尉は暫し沈黙し………最終的に深い溜息をついた。

 

「少し見誤ったかも知れませんな。予想以上に貴方は貴族のようだ」

 

 そう言ってファーレンハイトはハンドブラスターの銃口を降ろす。

 

「おい、それは褒めているのか?貶しているのか?」

「御想像に任せますよ」

 

 少なくとも侮ってはいませんよ、とは口にしない。軍人としては兎も角貴族としては案外狡猾な存在かも知れないとファーレンハイトはふと考えた。

 

 一方、心底安堵した表情を浮かべた中尉は不慣れな手つきで宇宙服の酸素タンクを取り外し始める。

 

「…何をしているんです?」

「契約は遵守するさ。今殺されるよりはマシだからな」

 

 苦笑いを浮かべながらそう言い三時間分の酸素が内蔵されているタンクを慎重に取り外す中尉。その姿を見て複雑そうな表情を浮かべ、少尉は口を開く。

 

「……二時間」

「ん?」

「双方の空気を合わせて等分すれば四時間になります。貴方に先に死なれたら私に報酬がありませんし、それどころか怪しまれる。……それに誇りある帝国騎士が他者より少しでも長く生きようと醜態を晒すような事はしたくない」

 

 その言葉を聞いて、中尉は動きを止め、暫し沈黙してから、厳粛な声で語った。

 

「けどお前全部奪おうとしたじゃん」

「やはり射殺する事にしようか」

「マジ調子に乗ってすみません、御免なさい、許して下さい」

 

 即答で中尉は謝罪した。慌てて話すその姿には先程までの威厳は一ミリも無かった。

 

 何はともあれ、暫くして双方の酸素残量を等分し終える。それを確認した後、ファーレンハイト少尉は手に持つハンドブラスターをティルピッツ中尉に返そうとした。それはある種の信用の証である、が……。

 

「……いや構わん。持っておけ」

「……良いのか?」

「お前さんの方が射撃上手いからな。それに私はヘタレだからいざと言う時に手元が狂いそうだ。たからその時は頼むよ」

「……?どういう事だ?」

 

 話の要領が分からずにそう尋ねると、同盟軍中尉は複雑な口調で答える。

 

「酸欠で死ぬのは苦しいらしいからな、その時が来たら面倒をかけるが最後に頼まれて欲しい。私はビビりだから……上手く撃ち抜いてくれよ?」

 

その表情は強がるような歪んだ笑みであった。

 

 

 

 

 

 

 帝国軍を辛うじて撃退した同盟軍の救助部隊司令部はある種のパニック状態になっていた。

 

「各種レーダーは出力全開だっ!どんな小さな反応でも連絡しろ!」

「速力を上げるな!最低速力でも人間の体は簡単に轢き殺される事を忘れるなよ!」

「ランチとスパルタニアンを全機射出しろ!この付近にいる筈なんだ!何としてでも探せ!」

「工作部隊にデブリを回収させろっ!糞、こんなに塵ばかり漂っていては捜索も出来んっ!!」

 

 同盟軍と亡命軍の救助部隊がデブリ帯の一角に集結して捜索を行っていた。

 

「やばいな……これ見つからなかったら全員減給では済まないぞ?」

 

 救助部隊司令官モンシャルマン大佐は顎髭を撫でながらぼやく。口は軽いがその表情は険しい。

 

 彼とて状況は理解しているし、亡命貴族と亡命帝国人の結束力がどれ程のものか位知っている。下手すれば亡命政府系ロビーが一気に現同盟軍首脳部に敵意を向けかねない。先ほども何と本遠征の亡命軍派遣艦隊の司令官が一介の大佐に無線通信を入れ、念入りに回収対象の保護を申し出ていた(脅迫していたとも言う)。

 

「よりによって捕虜を連れてくるとはなぁ、しかも本人が一番最後とは、もう少し状況と立場を理解して欲しいのだが……」

 

 本人は英雄気取りかも知れないが尻拭いする立場にもなって欲しい。いや、いっそのこと前線に出ないで欲しい。

 

「これ、見つからなかったら全員降格処分ですかねぇ」

 

副官が肩を竦めて口を開く。

 

「リストラかも知れんよ?覚悟する事だな」

 

 冗談とも本気ともつかない口調でモンシャルマン大佐は言い返す。そして暫し沈黙し、ふと思い出したかのように再び口を開く。

 

「先遣隊の回収した友軍と捕虜はどうなっている?」

「事情聴取を行うつもりでしたがこの騒ぎです、現状は待機してもらっています」

 

 副官は淀みなく答える。話によれば丁重に扱うようにと「政治的重要人物」が通達していたために一応礼儀を持って監禁はしているが四肢の拘束はしていないと言う。

 

「不安そうな表情で回収対象の事を尋ねているそうだな。本当に何をしでかしたらあれだけの人数を降伏させられるのだか」

「回収された我が方の中尉はもっと大変でした。パニックになってスパルタニアンに乗って出ようとしましたから」

 

 回収対象が行方不明になったと知らされると動転して艦内を走り抜け、単座式戦闘艇格納庫で乱闘を起こそうとして制圧されたのだ。

 

「確か同じ帝国系だったな」

「御守り、という事でしょうね。我々で降格なりリストラならあれは処刑ですか、そりゃあ捜索しようともしますね、それとも逃亡でしょうか?」

 

 同情半分冗談半分に副官は語る。尤も、処刑については必ずしも冗談とは言えないのだが。

 

「今は落ち着いているようですが、五分毎に捜索状況を尋ねるもので目付役の憲兵もうんざりしているようです」

「随分と精神が不安定のようだな、必要ならば医官も付けてやる事だ。我々の管理下で自殺されたら敵わん」

 

 モンシャルマン大佐はそう注意してから艦橋のメインスクリーンを見据える。

 

「後……持って三時間程度か」

 

 推定される対象の酸素残量から見たタイムリミットを大佐は呟く。最早時間は無い。

 

「各員っ!ここが正念場だっ!危険手当てと残業手当ては弾んでやるから何としても目標を探し出せっ!」

 

 大佐は艦内無線を通じ、傘下の全艦隊の部下を叱咤激励して職務に集中させた。

 

「流石に今更死なれたら寝覚めが悪いからな……」

 

 不満はあるが回収対象は士官学校を出たばかりの新兵であると言う。彼として自身よりも年下の若者を酸欠のまま苦しめて死なせる事を好む訳でもなく、可能であれば助けたい、と考える程度には善良な人物であった。それ故に捜索を急がせる。

 

 尤も、彼が仮に現在の回収対象の状況を知っていればここまで悠長に構えてはいられなかった筈だ。

 

 実際の宇宙服の酸素残量は既に一時間を切っていた……。

 

 

 

 

 

 

 現在時刻5月17日0400時、酸素残量は残り三二分……あ、今三一分になった。さて、そんな絶体絶命の状況で私達が何をしているかと言えば……。

 

「と、言うわけだ。私は散々からかってくれたその帝国騎士の結婚式に乱入して泣きながら恥ずかしい祝辞を読むまで死にたくない」

「はた迷惑以外の何物でもないな」

 

取り敢えず宇宙遊泳しながら現実逃避の雑談していた。

 

 いや、だって!仕方ないだろ!周囲に使えそうなデブリは全く無いのだよっ!ふざけんなよっ!酸素タンクだと思ったら使用済みローションって何だよっ!?何っ!?所有者、軍艦の中で何に使っていたの!?

 

 他にも何度か浮遊物(人間含む)の捜索をしてみたが当然の如く使い物にならないものばかりだった。そして捜索している内にファーレンハイト少尉のバックパックのスラスターの残量が底をついた。え、私の?おう、デブリがぶつかって見事にぶっ壊れてたぜ!

 

「そう自虐する事も無いだろう、バックパックのお陰でデブリの軌道が逸れたのだ。本来なら幸運に分類すべきものだ」

 

 仮にバックパックが無ければそのまま背中の肉が抉れショック死か失血死をしていたのは間違い無い。間違い無いが………。

 

「だがな……正直お前さんも困っているだろう?」

 

 私は少尉の宇宙服と繋がった安全帯を見て勘繰りを入れる。実際私が宇宙遊泳が下手な事もあり、我々が移動するには互いに繋げて行うしかない。そして当然私と共に移動するにはより多くのスラスターが必要だ。

 

「酸素を借りておいて今更その事に文句を言う程私も狭量ではありませんよ」

 

 優美な口調でそう語る少尉、だが流石に彼も眼前に迫る危機の前にはどこかぎこちない表情だった。実際あれこれと手段を講じたが残念ながらどれも徒労に終わり、冗談抜きで打つ手が尽きていた。ははっ、笑えないな。

 

「………あっちではまだドンパチが続いているみたいだな」

 

 そう視線を向ける遥か先では銀色に動き回る小さな星々と、流れ星のように生まれては消えていく光筋、そして色鮮やかな光球がちかちかと輝いていた。イゼルローン要塞、そしてそれを取り巻く艦隊の砲撃戦は我々の存在を気にする事なく続いていた。あの光の嵐の中では毎秒のように何十、何百という人命が失われているのだろう。そう考えると自分達の存在がやけにちっぽけで無価値な物であるように感じられた。

 

「……死は平等、と言う所かな?」

「ロレンハーゲンですかな?相変わらずですが大貴族が言うべき言葉ではありませんな。周囲が皆死んでも自分だけは死なないと思っているのが貴方達でしょうに」

「んな訳あるかよ、お前さんももう散々理解している癖に。こちとら怖がりのびびりの弱虫じゃっ!」

 

 今だって空元気で刻一刻と迫る死の恐怖を誤魔化しているだけだ。糞、何で私がこんな目に……。

 

「そういうお前はどうなんだよ?私と比べ随分と落ち着いているが……」

 

そう語る私に鋭い視線を向ける少尉。

 

「伯爵、私はですね、無論死ぬ事に恐怖が無い訳ではありません。ですが……それ以上に恐ろしい事がある」

「………」

 

 私は口を開かない。ファーレンハイト少尉はそれが続けろ、と言う意味である事を理解して再度口を開く。

 

「私は母に育てられました。善き帝国貴族であるように、善き帝国騎士であるように、と。故に今の境遇も、運命も、無論可能な限りは抗いますがたとえその先に死があろうとも覚悟自体はしております」

 

ですが、と続ける白髪の少尉。

 

「私とて欲が無いとは言いません。可能であれば立身出世を望みますし、高みに登り詰めたいと言う野望があります。それが叶わぬとしてもこのような場所で無為に死にたくはない」

 

口元を引き締めて少尉は続ける。

 

「せめて死ぬならば意義ある死に方をしたいのですよ。堂々と、誇りを持って、何かを成して死にたい。味方を救うのでも良い、敵を討ち果たすのでも良い、主君や貴婦人を守って死ぬなぞ、騎士の誉れでしょうな」

 

冗談めかして彼は笑う。無理をした笑みだった。

 

「このような場所で何も成さず、誰にも知られずに死ぬなぞ、願い下げと言うものです。これでは無駄死にですよ。流石に騎士として育ててくれた母にこのような死に方で会いに行くのは御免です」

 

 鋭い意志を秘めた瞳には、同時に悔しさが含まれていた。

 

「………まぁ、言っても詮無き事ですがね。幾ら演説した所でこの通り、私は一山幾らの少尉で、ここで正に無為に死のうとしている。大言壮語の勘違い野郎と言った所ですな」

 

 肩を竦めて自虐の笑みを浮かべる少尉。その表情には明らかな諦念があった。事実、彼もまた助かるために出来る事を必死に考え、実施し、その全てが徒労となっていた。彼もまた、既に行える事が無い事を理解していたのだ。

 

 ……酸素の残量は既に二〇分を切っていた。周囲には殆んど漂流物はなく、あってもこの場で使い道の無い物ばかりだ。

 

「………まぁ、そう嘆くなよ、強いて言えばいよいよと言う時には憎らしい門閥貴族のボンボンの頭撃ち抜くっていう一生に一度出来るか出来ないかの大イベントがあるんだ、元気だせよ?運が良ければ帝国軍で敵将を討った英雄として死後勲章が貰えるかもだぜ?」

「撃ち抜かれる本人が言っても慰めになりませんよ?」

 

 流石に冗談にしてはセンスが無いためにしかめっ面でそう語るファーレンハイト少尉。

 

「むっ……いや、まぁ……確かに笑えない冗談だけどな。うーむ……………じゃあ………ああ、あった、これならば良いか?」

 

そう言って私はある物を差し出す。

 

「それは……万年筆、ですかな?」

「副長から御返しして頂いた奴だな」

 

それは宇宙服の気密ポーチ内に入れていた万年筆だった。

 

「敵将討ち取りが嫌なら主君の介錯役でもしてくれよ?ほれ、契約書の代わりにこれが証拠代わりだ」

 

 そう言って投げつけた万年筆はゆっくりと少尉の方に行き、受け止められる。

 

「……こんな時でなければ嬉しいのですがね、これでは下町で換金出来ない」

「売るのかよ」

 

思わず突っ込みを入れる。

 

「ふっ、冗談ですよ、私だってそこまで落ちぶれてはいません。有り難く頂きますよ」

 

小さく笑いながら少尉は万年筆を見やる。

 

「つまり、私が主君の最期を看取る役目と言うわけですな?」

「一応、それなりに名誉ある立場だ。文句は言わせんよ?ここまで来た仲としてのサービスだ、不満かね?」

 

 先に楽になるのだ。それくらいの事は弾んでやるつもりだった。どうせあの世には名誉なんて持っていけないしな。

 

 万年筆を十分見た後、少尉は複雑そうな、呆れ果てたような、しかしそれでいて穏やかな表情を浮かべていた。そして私と視線を交じ合わせて、………僅かに笑みを浮かべ口を開く。

 

「……宜しい、本懐だ」

「止めろ、ここに来て更にフラグを積み立てるな」

 

 取り敢えず唯でさえ絶望的なのに更に生存率を下げてくれた臣下に突っ込みを入れる。

 

「何ですかな?私としては心からの本音を口にしただけですが。……ここに来て雰囲気を壊すのは止めて欲しいのですが」

「いや、今のは誰でも突っ込むわ。まさか臣下になった瞬間にフラグを立てるとは思ってなかったよ!」

 

 いきなり主君の生存率をマイナスまで引き下げるとはたまげたなぁ。

 

「ここに来てフラグとは、まだ助かるつもりでいらしたのですか?」

「誰だって出来れば死にたくないからな。無論、ここに至っては神頼みさ。大神オーディンよ照覧あれ、てな。お前さんも祈りまくってくれ、もしお前の祈りが通じて助かったら食客の働きとして特別ボーナス付けてやるから」

「ふっ、中々魅力的な話ですな。宜しい、一回くらいは主君たる若様のために祈りましょうかな?」

「一回かよ」

 

 呆れるように小さく笑う。暫く笑いつつも現実に戻った私は目を細め酸素残量メーターを見やる。既に一〇分を切っていた。

 

「……そろそろ、覚悟を決めんといかんな」

 

 平静な態度を心掛けるが、やはり本心は誤魔化せない。心臓の鼓動が激しくなるのが分かった。

 

「……辛いなぁ」

「……可能な限り即死出来るように善処しますよ」

「いや、お前の腕は心配していない。していないが……」

 

 私はこの場では相応しい話ではないと理解するために言い淀む。

 

「構いませんよ。言ってみて下さい。そうですな、辞世の句とでも言うのですかな?それを聞くのも臣下の役目と言うものですよ」

「どちらかと言えば告解の方が近い気がするがな」

 

そう指摘した後に私は思い残しを語る。

 

「まぁ、両親と叔父には悪い事をしたな、とは思うな。それに従士にも……この遠征の後ちょっと餓鬼の頃の尻拭いしてやる約束をした臣下が居てな、糞、恨まれるなこれは……」

 

知らせを聞いた後の反応を想像すると陰鬱になる。

 

「それに………」

 

 ベアトはどんな反応をするだろうか?一応あの状況では私の指示を受けてのもの、物理的に彼女には責められるべきものはない。そんなに重い罰は無かろうが……。

 

「悪い主人だったな、私は……」

 

 ベアトにとっては問題ばかり持ち込む迷惑この上無い主人だった筈だ。それでもあれだけ尽くしてくれた。くれたのに……頼むから自決しないでくれよ?

 

「なかなか、周囲に慕われているようで」

「家柄のおかげでな。………済まんな」

 

 最後の最後で私の無意味な愚痴に付き合ってくれた少尉に心からの謝意を述べる。気付けば酸素残量はもうすぐ五分を切ろうとしていた。

 

「いえ、構いませんよ。こちらも最後に華を持たせて貰いましたから」

 

 苦笑するように、仕方ない、といった笑みを浮かべる少尉。

 

「そうか、じゃあ……頼むぞ」

 

 酸素残量は三分を切ろうとしていた。正直ベアトや両親、叔父上達には後ろめたさしかないが、実際問題窒息死は相当苦しいし、死んだ後が見苦しすぎる。ぎりぎりまで粘りあれこれと出来そうな事は行ったのだ。これ以上私に何を求める?

 

「主人への最初で最後の奉公がこのようなものである事、御許し下さい」

「構わんよ。……やれ」

 

 流石にその瞬間が来て、少し気負い気味に緊張する少尉。私は最後位威厳を保とうと、相手がやり易いように堂々とした態度で目を閉じる。

 

「……済まない」

 

 小さく、本当に小さく私は誰かとも知れぬ人物に心からの謝罪の言葉を呟いた。込み上げる恐怖を押し殺す。直ぐ……そう直ぐにこのような言葉に出来ぬ感情は消失し、私の意識は永遠の眠りにつく筈で………。

 

 

直ぐに…………………。

 

 

直ぐに…………………。

 

 

直ぐ……に…………………?

 

 

「……んんっ?」

 

 いつまでも私の頭が弾けないので怪訝に感じおずおずと私は目を開く。

 

 目の前の少尉は漆黒の真空空間の一角を驚いた表情で見つめていた。私は釣られるように同じ方向を向く。

 

「あれは……」

 

 弧を描くその光跡が何であるのか、最初に気付いたのは私だった。同時に気が抜けるような、深い安堵の溜息を吐く。

 

「どうやら助かりましたかな?」

 

 少し遅れての食い詰め少尉の声。恐らく私と同じくその光跡の明度と色から推測したのだろう。

 

「スパルタニアン……?はは、助かった……助かったの、か………?」

 

 そうであるならば間違いなく救助用の生命維持用救難セットが完備されている筈だ。当然その中には予備の酸素タンクもある。

 

「良かった……本当に…良かった……!」

 

 私は自身の身体の力が抜けるのを感じた。声は震え、今更のように目元が潤み、頬は紅潮し、息は荒くなる。当然だ、怖かった……本当に怖かった。虚勢を張っていたが本当は泣きじゃくりたかったのだ。文字通り死を覚悟した瞬間に救いの手が来れば誰だってこうなるに決まっている。

 

「……伯爵、これを。もう必要無いでしょうが私が持っていたら後々疑われて面倒ですので」

 

 そう言って少尉が差し出すのは元々私の腰にあったハンドブラスターだ。彼の表情には私と同じ安堵の笑みが映る。私は今度は何の躊躇いもなくそれを受け取ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

尚………。

 

「ひゃっほーい!颯爽とヒロインの登場です!ぐへへっ!これで若様の好感度は天井底抜け間違い無し!ささっ、お姉さんの胸に泣きながら飛び込ん……ぐべっ!?」

 

 スパルタニアンの搭乗席が開くと共にそう言い放った准尉の顔面に私はハンドブラスターを投げつけた。

 

「よし、少尉。そいつを搭乗席から引き摺り出せ、押し込めば二人乗れる筈だ」

「いや待て、これ救助部隊ではないのですか?」

 

 淡々とした私の命令に冷静にそう突っ込みを入れる少尉。おい、空気読めよ。

 

「いや、可笑しいですよねっ!?空気読んだ結果どうして幼気で純情な私が宇宙に放り出されるんですか!?」

「幼気で……純情……?」

「あはっ!心の底から衝撃を受けてますよ!」

 

 乾いた笑い声を上げる准尉。普段の態度が態度だからね、仕方ないね。

 

 なんだかんだあって無線で救助のための艦艇を要請した我々は狭い狭いスパルタニアンの搭乗席内部で詰め込まれていた。酸素タンクの新鮮な酸素が美味すぎる!

 

「それはそうと……若様、あれ、拾い物ですか?」

 

 私の宇宙服の傷を確かめていたレーヴェンハルト准尉がぼそりと呟く。宇宙服に備え付けられた無線機による秘匿通信である。当然内容は搭乗席内で酸素タンクからの新鮮な酸素を摂取している帝国軍士官についてだ。

 

「……まぁ、そんな所だ。余り敵意は向けてくれるな、あれにはそれなりに助けられたんだ。因みに言えば食客だ」

 

 尤も、あれは死ぬ直前だから応じたのだから、助かった今となっては心変わりしているかも知れないけど。……まぁ、最悪コネ作り出来たと思って諦めるさ。

 

「貴重な酸素を取られても、ですか?」

 

 私の言に、にこにことした表情で、しかし片目を閉じて意味深げに尋ねる准尉。……相変わらず気味が悪いくらいに勘の良いパイロットだ。

 

「……黙っておいてくれない?」

 

恐らく誤魔化しが利かないので私は素直にお願いする。

 

「…………はぁ、仕方ありませんねぇ。従士の身としてはお願いされたら断れませんよぅ?」

「迷惑をかけるな」

「いえいえお気になさらず。………それに二人の共通の秘密と聞くとぞくぞくしてきますしね!!」

「今お前に謝意を述べた事に滅茶苦茶後悔したよ」

 

 涎垂らしながら鼻息を荒くする准尉を見て私は虚無の目でそう呟く。

 

「まぁまぁ、そう言わずに……そうだ、ベアトちゃんが心配していましたからその辺り後で慰めて上げて下さいな」

 

 思い出したかのようにそう付け加える准尉。その名前で私は再び表情を強張らせる。

 

「私の指示で離れていた訳だから立場が悪くなる事は無いだろうが……」

「ケッテラー大将とヴァイマール少将も実家にはまだ御伝えしていないので今なら誤魔化せると思いますけど……ケッテラー大将なぞは懇願してでも揉み消して欲しいでしょうし」

 

 遠縁であり、父の目付け役のようなヴァイマール少将は私(と父)の意を汲んでくれるだろうし、ケッテラー大将は一族の当主(代理)の意向もあって此度の災難について可能な限り大事として母に伝えられたくないだろう。それに同盟軍所属の叔父の進退にも関わる。事実を事実として知らせても全員が不幸になるだけなので口裏を合わせれば誤魔化せる筈だ。寧ろ被害者の私が今回の騒動をどう始末するのかの主導権を握っていた。

 

「帰りは口裏合わせで忙しくなりそうだな」

「あの~良いですか?」

「……凄く嫌な予感がするが一応尋ねる。何だよ?」

「どうせなら今回の救助について御褒美を貰っても良いと思うんですよ~」

 

 そう言って気味の悪い笑みを浮かべて胡麻擦りする准尉。

 

「そうです!どうせ帰りはシャトルでの行き来を何度もする事になるでしょうしぃ、若様のシャトルのパイロットを志願したいなぁー、と。……駄目ですか?」

 

 御機嫌伺いするようにこちらを見やる准尉。私はその准尉のにやにやする姿に暫し葛藤するが……。

 

「…………わかっ…た」

「うっしゃゃゃゃゃ!!!」

 

 絞り出すような私の返答と裏腹に男のように大声で歓声を上げる従士。うん、信賞必罰だからね、好悪に関わらず働きには褒賞がいるからね?うん、帰りの旅は苦行だけど頑張る。

 

 そんな風に死んだ魚の目で私が下らない覚悟を決めた次の瞬間だった。……漆黒の宇宙が輝いたのは。

 

「なっ……!?」

「若様っ……!」

 

殆ど咄嗟に従士が私を光から庇うように抱きしめる。

 

 当初私は、付近に敵がいてその攻撃を受けたのかと考えた。実際はある意味それ以上の衝撃だった。

 

 闇の世界に光の柱が輝いていた。主戦場から離れているためここから見えるイゼルローン要塞の姿は小さかった。それでもその光の光条は異様なまでにはっきりと視認出来た。直径数キロから数十キロの光はその本質を理解しつつも神々しさすら感じられた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 見ればファーレンハイト少尉は恐らくその光の破壊力に衝撃を受けているようだった。その視線をレーヴェンハルト准尉に向ける。すぐ目の前から見えるそれは普段の雰囲気は微塵もなく、険しい、敵意を露わにしたそれであった。

 

 気付けばスパルタニアンの無線からは幾つもの救援要請や悲鳴が響き渡っていた。その内の一つ、駆逐艦「ジャーヴィス」からのそれに准尉は周波数を合わせる。

 

『こちら特別救難部隊所属、同盟軍駆逐艦「ジャーヴィス」だ……!たった今総司令部より全部隊に通達が入った!全軍撤退だっ!本艦も貴官達の回収ののち急いで現宙域を離脱する!直ちに収容準備に入られたし!繰り返す、直ちに収容準備に入られたし!』

 

 オペレーターの声は明らかに上ずっていた。そしてそれは恐らく同盟軍全軍の心情と同じであった。一刻も早くこの場から逃げ出したい、その意思がありありと分かった。

 

「了解しました。……若様、着艦準備に入ります。多少Gがかかりますので御注意下さい」

 

 淡々とそう注意を口にする准尉に、今度は私も静かに頷いた。

 

 宇宙暦785年5月17日、0510時、第四次イゼルローン要塞攻防戦は同盟軍の全面撤退により終結した。同盟軍にとって通算四度目の敗北であった。

 

 




原作や考察サイトを読んでみると
・カウフが一発逆転したのは約半世紀前の某侯爵の反乱
・ヴァレンシュタイン公爵の反乱は原作の約60年前(宇宙暦730年代?)
・730年マフェアの台頭は宇宙暦740年頃(原作の約50年前)
・第二次ティアマト会戦は745年
・この時代の皇帝はコルネリアス二世の可能性が大(オトフリートが一世紀前の人物?某サイトでも計算が合わないって言っているからね、仕方ないね)
・コルネリアス二世の即位にはアルベルト大公の失踪等疑惑がある
・晩年には偽アルベルト大公事件発生
・次皇帝は毒殺を恐れて餓死したオトフリート三世
との事。

……きっとコルネリアス二世は(一世と同じ名前のせいで)同盟130億人から呪いの儀式の対象にされていたに違いない

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