帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第八十九話 帝国軍のパワハラは厳しそう

 5月13日から14日にかけた第一一艦隊の攻勢が失敗した時点で同盟軍の継戦能力は限界に達しつつあった。

 

「既に第二艦隊の余剰弾薬は会戦前の四五%、中和磁場のエネルギーは四〇%にまで低下、喪失艦艇・損傷艦艇の合計は全体の二一%、戦闘効率に至っては三八%低下しており、これ以上の戦闘は補給の観点から見て危険であると判断致します」

 

 5月14日0900時に行われた旗艦「アイアース」での遠征軍会議の席にてオーレリア・ドリンカー・コープ少佐は第二艦隊の現状を補給面から報告する。

 

 実際、第二艦隊だけでなく、遠征軍全体が限界を迎えつつあった。

 

 此度の遠征における遠征軍戦死者数は三二万人、重軽傷者はその一・五倍にも及ぶ。艦艇のダメージコントロールシステムにより喪失艦艇に比べれば戦死者数は若干下回るもののそれでも既に一度の会戦における平均戦死者数を越えていた。

 

「帝国軍に対しては相応の損失を与えた。少将一名を含め複数の士官も戦死させた、要塞の各種最新情報の収集も出来た。戦果は十分だ、欲をかいて危険を冒す前にここは撤退に向けて行動するべきであろう」

 

 第二艦隊司令官ワイドボーン中将は口を開く。実際完全に、とはいかずとも此度の遠征の目的の大半は達成したのだ。後は「雷神の槌」を撃たせずに撤退出来れば上々であろう。スポンサー達も一応の納得はする筈だ。

 

「撤退か、この状況ではそれこそが至難の技ではあるがな」

 

 ヴァンデグリフト中将の言は決して臆病風に吹かれてのものではなかった。物資の欠乏と兵員の疲労が重なる事で自軍の艦隊の機動力と戦闘効率は低下しているのに対して、帝国軍のそれは会戦直後に比べれば低下しているものの要塞の後方支援により未だ十分なだけの継戦能力を保持していた。下手な後退をすれば帝国軍に付け入る隙を与えかねない。

 

「作戦参謀、撤収作戦の作成はどうなっているかね?」

 

 にこにこと、現状の難しい難局において緊迫感の感じさせない表情でブランシャール元帥はグリーンヒル作戦参謀に尋ねる。

 

「はっ、作戦の作成自体は完了しております」

 

 そう言って手元の携帯端末を操作して、会議場中央のソリビジョンを起動させるグリーンヒル作戦参謀。

 

「撤退は左翼の第二艦隊から中央の第三艦隊、そして右翼の第一一艦隊の順列で実施する事を想定しております」

「理由は?」

 

 グリーンヒル作戦参謀の発言に事実上の殿を務める事になるラップ中将が険しい顔で尋ねる。下手をすれば「雷神の槌」の直撃を受ける事に、いやそれでなくとも主力から孤立してしまう可能性もある危険な任務である。その態度は当然のものであった。

 

「第一一艦隊は回廊内での機動戦闘を想定した軽装艦隊です。撤収作戦である以上、重装備の艦隊では撤収の時間がかかります。第一一艦隊であれば殿として帝国軍の包囲を受ける前に撤収を完了させる事が可能です」

 

 一拍置いて、グリーンヒル作戦参謀は端末を操作して帝国軍の艦隊情報をソリビジョンに映す。

 

「更にいえば左翼は中央、右翼に比べて損耗している艦隊であることも一因です。要塞駐留艦隊の戦闘効率は会戦初期の八六%を維持しておりますが、第二猟騎兵艦隊のそれは七四%に低下しております」

 

 要塞駐留艦隊が殿たる第一一艦隊の展開宙域に侵入する前に第二猟騎兵艦隊の迫撃を退けて撤退する事は不可能ではない。少なくとも逆の撤退順列よりは成功率は高いであろう。

 

「無論、第一一艦隊の損耗率も少なくないため単独で殿を務める事を命じるつもりはありません。司令部から第五戦闘団、第3独立戦隊、第4独立戦隊、亡命軍より三個巡航艦群、六個駆逐群を増援として派遣する予定です」

 

 グリーンヒル作戦参謀は第二艦隊と第一一艦隊を伺うようにして口を開く。ぴくっ、と不快気にラップ中将が眉をひそめるがそれ以上の反応はない。どうやら状況に応じてプライドを抑えるだけの理性はあるようであった。

 

 尤も、それくらい出来なければ艦隊司令官などと言う精神を磨り減らす重役に就く事なぞ出来ないのだから当然ではある。

 

「各艦隊の損耗と物資、稼働率から逆算した撤収作戦だ。問題はないと思うが各艦隊から、特に航海参謀の意見を聞きたい。どうかね、この作戦展開は可能か?」

 

 遠征軍参謀長ゴロドフ大将がフェルナンデス少将、ロボス少将、タンプナール准将、三艦隊の航海参謀に尋ねる。

 

「データ分析から見れば問題はありませんな。空間的にも余裕は十分あると言えましょう。少なくとも第一一艦隊に関してのみであれば計画通りの展開は可能でしょう」

 

 第一一艦隊航海参謀フェルナンデス少将は低い声で、作戦を評価する参謀というより生徒の試験を採点する教員のような態度で答える。それは高慢な態度ではあるが決して口だけの事ではない。少将は実際に自らに課せられた役目を寸分の誤りなく達成する事であろう。

 

「ううむ……簡単に、とはいきませんが不可能ではありません。増援と燃料の融通さえして頂けるならばやって見せましょう」

 

 第二艦隊の日焼けした年配の参謀は答える。ハイネセンファミリーとはいえ名家の出でもなく、専科学校の航海科出身の彼はこの場の出席者の中ではどちらかと言えば非エリート層に類する。だが下士官上がりの准将はその豊富な経験から作戦の成功確率は高いと判断していた。

 

「うむ、第三艦隊の方はどうかね?」

 

 ゴロドフ大将が第二・一一艦隊の航海参謀の返答に大仰に頷き、最後に第三艦隊の航海参謀に尋ねる。それにつられるように諸将がロボス少将に視線を向ける

 

「…………」

「……ロボス少将!」

「えっ?い、いえ、失礼致しました」

 

 どこか上の空で無反応になっていたロボス少将に対して第三艦隊参謀長のロウマン少将が隣で肩を揺らし、ようやく彼は我に返ったようだった。見るからに若干痩せている彼は一瞬慌てつつも、しかし明瞭な脳細胞は場の状況を瞬時に理解し、顔を引き締め口を開く。

 

「本官も大きな問題点は見出せません。強いて言えば撤収に際して殿部隊の掩護のため空戦隊の展開、更に言えば小部隊による長距離砲撃支援を充実させるべきでしょうな。特に敵空戦隊の接近は艦隊の後退時に混乱の原因になり得ますので阻止すべきです」

「空戦隊か、グリーンヒル作戦参謀、どうだ?」

 

 その発言に見るべきものがあったのだろう、ゴロドフ大将が意見する。

 

「はっ、現在後詰として四個空戦隊の用意をさせております。確かに此度の戦闘において帝国軍の空戦隊は前回に比べ飛躍的に強化されておりました。作戦上の懸念は十分にあります。しかしこれ以上の空戦隊の用意は戦線に穴が開きかねませんので……」

 

 近距離での戦闘が発生しやすい回廊内での戦闘では空戦隊は各方面で酷使されていた。帝国軍と違い要塞という後方支援拠点が無い事もあり激しい消耗の中にある。必要であるからと言って他の戦線から気楽に抜けるものではない。客観的に見て四個空戦隊用意出来ただけでも上出来である。

 

「ならば司令部から二個空戦隊をそちらに派遣しよう、それならば足りるかな?」

 

 ブランシャール元帥は孫にお小遣いを渡すような気軽な口調で提案した。

 

「閣下、それは……」

 

 ゴロドフ大将が異を唱える。既に遠征軍司令部は直属部隊の多くを前線に貸し出しており、残存部隊もまた大半を殿として投入する予定であった。

 

「これ以上の投入は戦略予備に不安が生じますが……」

 

遠征軍参謀長の言に、しかし元帥は朗らかに口を開く。

 

「そうは言ってものう。実際足らんのじゃから仕方無かろう。このまま殿が敵を振り切れずに包囲されれば救出は絶望的じゃ」

 

 唯でさえ最後尾の艦隊は「雷神の槌」の絶好の的になりかねないのだ。万が一撃たれた後となれば艦隊は恐慌状態になり、戦闘艇部隊に付け入る隙を与えかねない。

 

「その時になって投入しても間に合うまい。ならば初めから展開させた方が良かろうて。第二艦隊の後退後に司令部直属の一部をこちらに補填させれば良かろう」

 

どうかな?と提案するブランシャール元帥。

 

「ううむ……ワイドボーン中将、どうだ?元帥はこう仰っているが出来そうか?」

 

ゴロドフ大将は第二艦隊司令官に確認を取る。

 

「比較的消耗の少ない三個空戦隊、それに一個戦隊を撤収と共にそちらに回しましょう。流石に練度は落ちますがそれでよろしいでしょうか?」

「おおう、済まんのぅ」

 

 ニコニコと喜ばしそうに笑みを浮かべる元帥。それに対して社交辞令的に微笑むワイドボーン中将、尤も内心では冷めた目で元帥を見ていた。

 

「……やはり狸だな」

 

 誰にも聞こえないようにぼそりと呟いたワイドボーン中将。

 

 此度の遠征が長征派を中核としたものである以上、ワイドボーン中将はそれを無事に撤退させるために最大限の努力を求められる立場であり、断る事なぞ許されるものではない。

 

 まして第一一艦隊は第二艦隊同様に長征派の影響の強い艦隊だ。同胞を一隻、一人でも多く故国に帰す事は当然の使命であった。元帥の言はそこまで見越しての事である事は間違いない。

 

「全体会議はこんな所かの。……数名、今後の事で相談があるので残って貰うが残りは解散といこうかの?諸君ご苦労だった。少し早いが昼食にアイアースの食堂に行くことを勧める、この艦のガララワニステーキは絶品じゃぞ?」

 

冗談めかした言葉と共に会議は閉会する。

 

「………」

 

 書類を整理して席を立とうとしたフェルナンデス少将はちらりと会議室の上座に視線を向ける。

 

 そこには深刻そうな表情で何やら相談しあうブランシャール元帥とゴロドフ大将、そちらに向かうのは会議終了前に名前を呼ばれた青白く力のない顔立ちのロボス少将に、そんな彼を敵意剥き出しで睨むケッテラー亡命軍大将等、所謂亡命政府系の出身者達であった。

 

「……大方身内事だろうな」

 

 平民共が幾ら死のうとも気にも止めない癖に同じ門閥貴族が一人怪我するだけで怒り狂うのは最早彼らの習性のようなものだ。

 

「ロボスも御苦労な事だな、あのような立場で義理立てせんとならんとは」

 

 皇族とはいえ、妾腹生まれと平民との混血を一部の極端な血統主義の貴族は「半純血」なぞと蔑視する者もいるという。

 

 彼らにとっては代々爵位を持ち、伝統を守る「純血」の者のみが「健康で文化的」な人間であり、下級貴族は不健全な人擬きに過ぎず、平民は「穢れた血」が流れる家畜に過ぎない。場合によっては身分違いの血の交わりは獣姦に等しいと宣う者までいるほどだ。独裁者に媚びを売って得た地位をここまで有り難く讃える事にフェルナンデス少将はいっそ失笑すら禁じ得ない。

 

 名前は忘れたがこの前に顔を合わせた新任士官が行方不明となっているのは少将の耳にも届いていた。実力もないのに前線に出るからこうなる。一度きりの幸運を実力と履き違えた者の末路だ。どうせ生きてはおるまいに。

 

「……あのような輩とは縁を切れば良いものを。馬鹿な選択をしたものだ」

 

 かつて士官学校にて鎬を削ったライバルの選択と末路に嘲笑と失望と、僅かな憐憫を混ぜ合わせた視線を向け、少将は立ち上がり、会議室の出口へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 原作を基準にした場合、銀河帝国においては民衆の誰もが貴族階級に不満を持っているように思えるがそれは正確ではない。平民階級でも例えば地方の農村部や地方都市においては貴族階級は普通に敬うべき対象として認識される。

 

 なんせ地方人の感性は保守的であり、ばっちりと教育で身分制度が善であると教えられるし、何よりも出会う貴族に無能者が少ないからだ。

 

 地方で出会う貴族は大概現地で徴税や裁判を行う地元に根差した領主や官吏達である。当然彼らは地方行政を指導する役目を背負い、平民達を指導し、祭事を催し、場合によっては陳情を聞く。仕事をこなすため相応の教育を受けているし、領民との距離は比較的近く、時としては寧ろ領民に頼られる立場だ。敬いこそすれ、軽視出来る存在ではない。

 

 まぁ、悪口や不満を口にする空気読めない子は村八分にされるという事もあるけどね?

 

 兎も角も、地方出身者はこのように貴族階級を見れば怯えながら頭を下げはしても堂々と敵視する者なぞかなり珍しい存在な訳だ。

 

 一方、帝都を始めとした大都市や中央出身の平民は地方人と比べて貴族階級に懐疑的、ないし敵対的な者は意外な程多いという。

 

 単純に住民の流動性が高く保守的な気風が薄い事もあるだろう。

 

 それ以外にも富裕平民の被差別意識も挙げられる。例え富裕平民でも所詮は「賎しい平民」であり、基本は貴族階級からなる上流階級の社交界に参加出来ない。上流階級の社交界に出るには莫大な資金を使い伝手を作り、社交界マナーや宮廷帝国語をマスターしなければならない。そうしてどうにか参加しても「所詮は賎民」などと冷笑される事に不満が募る訳だ(特に成り上がりはその傾向が強い)。

 

 あるいは敬うに値しない貴族を見かけやすいのも一因だろう。都市部となれば貴族の絶対数も増える。没落した帝国騎士階級とかいう貴族(笑)な奴らを見る事もあろう(大抵平民が金で騎士称号を買った場合だ)、あるいは実家から半分勘当同然の放蕩貴族も目につきやすい。無論、没落貴族は兎も角放蕩貴族は実のところ貴族階級全体から見れば格段に多い訳ではないが何事も悪い面は目立ち易いものだ。

 

 同盟との戦争も一因だ。同盟の民主主義思想は帝国ではカルト思想ではあるがそれでも下層民には優美な生活をしている貴族階級への反発から民主主義思想が広がる事もあるし(民主主義というより共産主義に近いが)、第二次ティアマト会戦により多くの武門貴族や士族が失われた結果、軍部で昇進した平民士官・下士官が安全な場所にいる、あるいは無謀な命令を下す貴族軍人を蔑視する事も少なくない。

 

 尤も、最後の指摘は余り公平とはいえない。多くの武門貴族が当主や跡取りを失った結果である事はつまりはそれ以前は多くの貴族が最前線で戦っていた事を意味する。第二次ティアマト会戦のトラウマにより後方勤務に就く貴族が増えるのは仕方ない事だ。

 

 その上、帝国もそれを問題視し、臣民の規範たる貴族階級の義務を果たさなければならないとして失われた武門貴族の穴埋めのため文官貴族等それ以外の出自の貴族を多く帝国軍に任官させた結果、勇猛(あるいは無謀な)だが戦略眼に欠ける貴族軍人が前線に増え、却って平民士官のヘイトを増やす悲劇も招いた。前線に出ても後方にいても平民共が不満を口にするのだからどうしようもない。やっぱり卑しい平民共は愚か、はっきり分かんだね(門閥貴族的価値観)。

 

 まぁ、長々と語ったがそう言う訳で帝国における平民の貴族観はかなり両極端な訳だ。

 

 そして大事なのは、どうやら私は余り愉快ではない方に拘束されたらしいという事だ。

 

「おいおい、捕虜だと?少尉、我々に奴隷共にやる酸素の余裕があると思っているのか?」

 

 帝国軍ブレーメン級標準型巡航艦(の残骸)の中で、宇宙服を脱がされ電磁手錠で拘束された私を連行したアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少尉は第一声に限りなく罵倒に近い叱責を受けた。

 

「フォスター副長、ですが此度の捕虜は普通の反乱軍兵士とは訳が違います。私は唯、軍令に従い捕虜として礼節を尽くさねばならぬと考えた次第です」

 

 巡航艦「ロートミューラー」副長フリッツ・フォスター大尉に対してファーレンハイト少尉は敬礼と共に報告する。

 

「軍令だと?」

 

 四十代のプライドの高そうな副長は怪訝な表情で私を見つめる。ファーレンハイト少尉は私に官姓名を答えるように命じる。

 

「……自由惑星同盟軍、ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中尉だ。ティルピッツ伯爵家の嫡男に当たる。貴軍の軍令881号に基づき私自身の身分に相応しい名誉ある待遇を所望する次第だ」

 

 私は暫しの葛藤の後にそう答える。自身の名前を出さないといけないのはこの際仕方ない、私もその場で射殺されたくはないのだ。

 

 以前にも触れたが亡命貴族は基本捕虜になっても相応の待遇で扱われる。下っ端の兵士達は亡命政府や亡命軍についての知識は教えられないが非公式に上官からの口伝えや直接戦ってその存在を知っているし(中には同盟政府や同盟軍が亡命貴族の政府や私兵軍と認識している兵士までいるという)、士官は軍令によってその存在(曲解した説明だが)と捕虜とした際の取り扱いを指導されている。

 

 そのため私が門閥貴族の血を引いていると言えばこの場で即射殺される可能性は限りなく低い訳だ。亡命貴族を捕虜とすれば報奨金が与えられ、逆に捕虜の待遇を望まれながら殺害した場合、高貴な血族を故意に害したとして裁判沙汰になる可能性もある。平民達が亡命しているとはいえ同じ門閥貴族を害すればいつしかその矛先が自らに向かんとも限らないからだ。

 

 ……尤も、この場では少しタイミングが悪いようであるが。

 

「ごほっ……!?」

 

 私はいきなり近づいてきたフォスター大尉によって腹部に膝蹴りを受けた。唯でさえ無重力状態で気持ちが悪いのにそんな事をされれば当然ながら私は床に膝をつき軽く嘔吐する。無重力故にそのまま体が浮くところを大尉は逃がさないとばかりに私の頭を強く床に踏みつけた。

 

 その行為に場にいた帝国兵の半数が嘲るように小さく笑い、半分が冒涜的とばかりに肩を竦ませる。

 

「ふんっ、名誉ある待遇か、笑わせる。奴隷共に頭を下げる破廉恥共を優良な遺伝子を受け継ぐ貴族階級として遇せとは思い上がりも甚だしい。そうだろう、お前達?」

 

 ははは、と半数が喜色の笑みを浮かべ、半分は黙り込んだまま俯く。前者は士官が、後者は兵士が多い、下士官は半々と言った所か。この時点でこの巡航艦(の残骸)内での権力構造は大体予想がつく。

 

 地方の徴兵された農民達と中央の大都市の富裕層とでは教育環境が違い、当然それは軍内での階級にも反映される。昔は平民士官と言えば士族階級を指していたが長年の戦争の結果、非士族の平民士官や下士官も珍しくない。寧ろ逆転すらしている。

 

 そしてどうやら大都市部出身であり、士官の大半を占める者達にとって門閥貴族という立場は余り意味のない、下手すれば寧ろ不快な存在であるらしかった。そんな中で命乞いする伯爵家の嫡男という存在がどういう扱いを受けるかは分かりきっていた。

 

「ファーレンハイト少尉、こいつを撃ちたまえ。貴重な酸素を浪費されてはたまらん。それくらいの道理も分からんのか?」

 

 新任少尉を見下すように口を開く副長。それは軍人としての叱責というよりはただの嫌みに聞こえる。

 

「そもそもこいつが本当に御貴族様か知れたものではない。見ろ、地べたに這いずってゲロを吐いているではないか?到底貴族様らしくはあるまい、ほら、狙いがズレんように頭は固定してやる、さっさと撃ちたまえ」

 

 頭を踏みつけられ録に動けない私を指しながらフォスター大尉は高慢な顔で命令する。私の発言を同盟軍兵士が命乞いするための言い訳として扱おうとしているようだった。貴重な酸素を浪費されては堪らんのだろう。だが……。

 

「拒否致します」

 

淡々と、背筋を伸ばした白髪の青年は命令を拒否する。

 

「………少尉、聞き間違えか?命令を拒否するというのか?上官反抗罪で銃殺されたいのかね?上官の命令は絶対である事は士官学校で学ぶ基礎の基礎だぞ?」

 

 心底不快気に尋ねるフォスター大尉、彼の傍にいる数名の士官と下士官も少尉に剣呑な表情を向ける。しかし、当の少尉は一切憶する事なく反論する。

 

「この捕虜が自身で口にするように伯爵家の人間である事は尋問の中で流暢な宮廷帝国語を口にした事から可能性が高いと思われます。また、物的証拠ならばこれを」

 

 そう言って軍服のポケットから少尉が取り出すのは万年筆だ。

 

「こちらの万年筆に刻印されているのは帝国の国章(双頭の鷲と黄金樹)と亡命したティルピッツ伯爵家の家紋です。材質や品質も相応の品、唯の奴隷共がこのような物を保有するでしょうか?」

 

 漆塗に金細工の為された重厚な万年筆には削った金剛石の粉末で紋章が刻まれている。反乱軍の兵士が帝国の紋章を態々万年筆に描くなぞ考えにくい。伯爵家の家紋に至っては最早確定的だ。

 

 開祖ルドルフ大帝が直々にデザインしたそれは銀河連邦初期あるいはそれ以前より代々続くコレリア星系の軍人家系ティルピッツ家の家紋である赤い盾の中に金の百合に青と白の斜め縞に手を加えたものだ。

 

 帝国の守護獣としての鷲獅子が家紋の盾を支えている。その下では鉄十字にサーベルとマスケット銃が交差し、大帝陛下より下賜された諸星系の星系旗が盾の中に追加されていた。

 

 まごう事無き痛痛しい中二……ではなく荘厳で煌びやかなそれを偽装するのは帝国においては門閥貴族の権利を侵害する大罪であり、所有者の出自を証明するある種の身分証明書であった。ファーレンハイト少尉は下級とはいえ貴族であり軍人だ。亡命した貴族の家紋程度当然記憶していた。

 

 フォスター大尉は乱暴に万年筆を少尉より取り上げるとそれを検分する。尤もその視線を読み取ればそれが真贋を見定めるのではなく、どれ程の金銭的価値があるかと見ている事に気付くであろう。

 

「万一に彼が口にするように貴族でないとしても、捕虜の虐殺は戦時条約、軍規の双方に違反します。まして降伏を申し出て武器を取り上げたのと引き換えに生命の安全を保障した兵士を射殺するなぞ誇りある帝国騎士としての恥、射殺するつもりならば大尉殿自らお願いしたい」

 

 半分程弾劾するような口調で大尉に答えるファーレンハイト少尉。その態度に大尉は周囲の部下を目配せし、自ら手を下す勇気のある者がいないか探すが、皆が目を逸らすために不機嫌そうに再び若輩の少尉を睨みつける。

 

「………ちっ、士官学校を出たばかりのぺーぺーが。それで?ランチはどうなんだ?それに報告にあったもう一人の敵兵はどうした?」

 

舌打ちした後、少尉に詰め寄るように尋ねる大尉。

 

「残念ながらランチは戦闘により損傷している様子で、修理が必要のようです。またもう一人の兵士については負傷者と戦死した部下の回収をしている間に行方不明となってしまいました」

 

 その言葉の中には言外にもっと人手を寄越さないからだ、という意図があったが大尉に伝わっているかは怪しい。

 

「ちっ、役立たずめ。言い訳はもういい、さっさとランチの修理と姿を眩ました敵兵の捜索をしろ、それと……こいつは取り敢えず独房にぶちこんでおけ」

 

 吐き捨てるように口にすると大尉は踵を返してその場を去る。というか待てや、さらりと万年筆拝借してんじゃねぇよ。

 

「………災難だったな、悪いがここでは期待するような待遇は受けられんそうだ。まぁ、口減らしに銃殺にされんだけ我慢する事だ」

 

 ファーレンハイト少尉は私を起こすと純粋に困ったような口調でそう私に宮廷帝国語で語りかける。すたすたと駆け寄る兵士が私が吐いた吐瀉物を拭き始める。

 

「……無礼だ、と言う訳にもいかんな。ついさっきまで殺し合いしていたから仕方あるまい。それに……どうやら面倒な様子のようだしな」

 

 私はけほけほと咳込みながら同じく宮廷帝国語で答える。連行中の会話とこの場でのやり取りから凡そ、この巡航艦(の残骸)内での状況は把握していた。

 

 巡航艦「ロートミューラー」は帝国軍第二竜騎兵艦隊所属の巡航艦だ。5月7日の戦闘により艦首部に駆逐艦の光子レーザー砲の直撃を食らい艦首部が吹き飛んだ。隔壁が下りる前に多数の兵士が宇宙空間に放り投げられ、残る乗員も多くが衝撃で負傷したほか、内部の計器類の大半が機能停止する程の損傷を負った。脱出ポッドやシャトルで逃げ出したのは丁度艦内にて近くにいた少数に留まる。

 

 艦長ダンネマン少佐は肋骨を始め複数の骨折と船体の破片による出血を受けており、意識混濁で指揮は不可能であった。残る生存者を集めた副長フォスター大尉ではあるが救助の要請は本隊に届かず、脱出ポッドやシャトルも残っていないか破壊された中、現在はひたすら救難信号を流しながら貴重な空気と食料を消費しているらしかった。

 

「漂流して六…いや七日か?残る酸素と食料を思えば焦燥もするだろうな」

 

 ある意味では同情する。最高責任者の艦長が負傷して指揮が取れない中で「たかが」平民の副長が兵士達の暴走を監視しながら助かる術がないか悩んでいるのだ、そのストレスと孤独感は言葉で言い表せまい。そんな中のこのこと御貴族様の捕虜が偉そうに貴族らしく礼節を持って厚遇せよ、などとほざけばあれくらいの扱いも有り得るだろう。

 

「半分正解だな、だがそこまで好意的に見てやる事もない。あの副長は元々ああいう性格だ」

 

 私を連行しつつ兵士を従えたファーレンハイト少尉は僅かに冷笑しながら答える。

 

 話によればどうやら大尉は下士官上がりの中流階級の平民らしく、下流平民や階級の低い下級貴族や士族の新兵にパワハラ紛いの命令をする事で知られていたらしい。下の階級は当然として上の階級も合法的に虐める事が出来るのは軍隊位のものだ。

 

 それでも良識的で公明正大な艦長が抑え役としていたためにそこまで酷くはなかったらしいがその艦長が負傷して、漂流生活が始まるとその粗暴な態度が一層酷くなったらしかった。

 

「私は特にこの艦の中では艦長を除いて唯一の貴族でな、士官学校出である事もあって正直副長に嫌われている。卿を襲撃した面子も実の所あの副長が嫌いな奴らで固められていてな。体良く我々も死んでくれたら酸素も節約出来て万々歳、とでも思っているのだろうな」

 

 不敵な笑みを浮かべる白髪の少尉。この危険で不安定な状況を、しかし彼はどこか楽しんでいるようでもあった。

 

「………それで?ファーレンハイト帝国騎士、卿は何が目的でそんな話を私に語り聞かせる?態々捕虜に語る内容とは思えないが?」

 

 静かに、低い、可能な限り周囲に響かない声で私は尋ねる。整った顔立ちに白髪、蒼色の瞳孔、低い声、恐らくは名前から見て原作の同一人物であろう。まさか同姓同名のそっくりさんではあるまい。

 

 そして獅子帝の下で、しかも途中加入で上級大将に成り上がる程の人物がたかが愚痴で自らの立ち位置と状況を捕虜に説明する理由がないように思われた。

 

 若い少尉は私の質問に答えず、沈黙を守りながら歩き続ける。そして、独房の前に着くと私と視線を合わせると意味深気な笑みを浮かべた。

 

「……流石に、最低限の頭は回るようだな」

「それは誉めているのか貶しているのか、どちらで解釈したら良いんだ、ファーレンハイト帝国騎士?」

「さて、どちらだろうな?」

 

 門閥貴族に対して会話するにしては雑な口調で若い少尉は独房の扉を開くと、私の肩を掴み、中に押し込む。

 

「悪いがこの艦はただの巡航艦でな、高級スイートルームも無ければ、世話役の使用人もいないのだ、我慢して欲しいものだな」

 

 それは帝国における門閥貴族用の刑務所が実質的には高級ホテルと変わらない事を皮肉っていた。

 

「それは構わんが……食事は毎日三食、ワイン付きで出るのか?」

 

 独房に押し込まれた私は振り返ると、半分売り言葉に買い言葉で、もう半分は内心の焦燥を誤魔化すようにそう尋ねる。

 

「悪いが毎日保存用のオートミールとザワークラフトを一食だけだな、水ならこれだ」

 

 そう言って投げられるのはミネラルウォーターのペットボトルである。

 

「それで三日は持たせろ、飲みきっても三日後までは次は出せん。持たせられんときは……」

「時は?」

「小便でも濾過する事だな」

 

 貴族然とした優美な佇まいから不釣り合いな下町の悪餓鬼のような笑みを浮かべて、ファーレンハイト少尉は独房の扉を閉じたのだった……。

 

 

 

 

 

「少尉、宜しかったのでしょうか、あのように遇しては後々の事を考えると……」

 

 独房に間抜けな門閥貴族の捕虜を収監した後、無重力の通路を進みながら護衛として付き添ったザンデルス軍曹は恐る恐る尋ねる。

 

 まだ幼さの残る17歳の軍曹の表情は明らかに強張っていた。

 

 銀河帝国における奴隷・強制労働者、あるいは自治領民等の「帝室の恩寵と加護を受けるに値しない」数百億もの非人層を除く総人口約二五〇憶、その九九%以上が農奴・士族も含む平民階級が占める。

 

 そして約四〇〇〇万に及ぶ貴族階級のうち、同じく九九%が一代貴族・帝国騎士・従士等の下級貴族が占める。100家余りの亡命門閥貴族家を除いたとしても男爵家以上の貴族は四三〇〇家余り、一族の女子供を合わせても一〇万に満たない。この一〇万人が所謂門閥貴族と呼ばれる帝国の政財界や高級官僚・軍人の中核を担う指導者層だ。

 

 だが更に彼らを振るいにかける区別がある。門閥貴族約四三〇〇家のうち、九割以上が男爵・子爵位であり、伯爵位以上の爵位を持つのは同盟やフェザーンに亡命した一族を含めても200家程度でしかない。

 

 所謂大貴族と称される彼らこそが貴族の中の貴族、支配者の中の支配者、帝国の選ばれし真の選民階級の頂点に位置する。広大な領地や荘園、莫大な資産、最低でも数千万の領民と数十万の私兵、数千人の臣下を手中に収めるその権勢は宮廷の主要プレイヤーとして、帝室の藩屛として、帝国を支える支柱として申し分が無い。

 

 正に階級社会たる帝国において最も高貴な存在である。少なくとも帝国臣民はそのように理解している。

 

 故に亡命貴族とは言え、大貴族に区分される伯爵家と相対するなぞ下級貴族や平民達にとっては通常は有り得ない事であるし、ましてそれを捕囚とする状況なぞ普通は想像出来る事ではない。

 

 ましてティルピッツ伯爵家は亡命したと言っても帝国開闢以来の歴史を持つ大貴族だ。二〇〇家余りしかない大貴族の中でも大帝時代に任じられたのはその四分の一余りでしかない。最盛期はファルストロング家やアイゼンフート家、エーレンベルク家と並び伯爵家の最上位、実質的には侯爵位に匹敵する権勢を誇っていた名家だ。

 

 帝国直轄領の地方農村出身の軍曹にとっては顔を合わせる貴族と言えばせいぜいが村に徴税に来る帝国騎士の官吏程度のもの、亡命貴族とは言え大貴族は大貴族、それを粗末な独房に入れるなぞ価値観的にも、後の報復的にも、彼らの目的的にも受け入れがたく、恐ろしい事に思えるようであった。

 

「ふっ、構わんさ。あの程度でグレるような状況の理解出来ん馬鹿ならどの道計画に利用出来んからな。その時にはあれにも死んでもらう」

 

 弟分に近い年下の軍曹を振り向きながらファーレンハイトは不敵な表情で嘯く。その発言にザンデルスは緊張した表情で周囲を見やる。今の発言を聞かれたらどうなるか、聞いた者によっては面倒事になるのは必須であった。

 

「安心しろ、時と場合は考えて発言しているさ。だが……」

 

 実際基準以下の無能であれば利用するに値しない。貴族的矜持や誇りと共に冷徹な合理主義的思考を宿す少尉にとっては何よりも自身と部下の生存が最優先であり、その次が金銭的利益だ。今の状況で善意で亡命貴族のボンボンを代価もなく保護してやる義理は無いし、余裕もない。

 

「あれが狭量な馬鹿貴族ならばすぐに馬脚を現すだろうさ。威厳を保てず、状況も把握出来ないのなら計画なぞ成功しないし、してもその先も無いからな」

 

 もしあれが駄目な場合は最初から使わずに次善の策を使うほかない。その方がマシだ。

 

「尤も、怒り狂う事も泣きわめく事も無かったからな。性格は最低限合格ライン、と思いたいものだ。後は力量と頭の回転だが………」

 

 ファーレンハイト少尉は軍服のポケットから略章を取り出して見つめる。それは自由惑星同盟軍名誉勲章の略章であった。

 

「……彼方さんの勲章がこちらと同じ御飾り用でない事を祈りたいものだな」

 

 貧乏貴族の士官は鋭い眼光でそれを睨みつけた。その口調は試すようにも、それでいて祈るようにも感じられる極めて複雑なもののようにザンデルス軍曹には思われたのだった………。

 

 


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