帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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ちょっと高級ホテルのビュッフェ行ってきた、ローストビーフうんめぇ
門閥貴族になって作者も食道楽したい


第八十話 偉い人が急に思いつきを実行すると下は大変だったりする

「若様、どうぞ御起床下さいませ」

「んっ……あ…ああ、もう朝か」

 

 年季を感じさせる、それでいて品性を感じる呼び声に目を覚ます。

 

 天井がまず視界に映る。そして視線を動かせばベッドのすぐ傍に高級な燕尾服に身を包んだ白髪に同じく白く切り揃えた口髭を持つ初老の老紳士が数名の女中を控えさせて佇んでいた。

 

何でこいつらいるんだ?等と一瞬考え、自身が実家に戻っていたのを思い出す。ちぃーす、コクラン大尉残業御疲れさんです!(いや、ガチ目にすみません)

 

 さて、悪ふざけは置いておくとして、まだ残る睡魔を退散させるように寝室のベッドから起き上がる。開かれた窓からは朝日と冷たさを感じる微風が入り込む。時間は……朝の6時半といった所か。

 

「……家令が直々に起こしに来るとは珍しいな」

 

 伯爵家の家令を務めるアルファンス・フォン・ゴッドホープに私は呟くように言った。

 

 ゴッドホープ家は伯爵家の使用人集団の頂点に立つ家だ。その本家の家令ともなれば使用人として代々仕える従士家と奉公人家合わせて数十家を指導・管理すると共に、場合によっては処罰や解雇に関して限定的にではあるが主家に代わり決定権を持つ。また主人の補佐として領地・荘園・屋敷の管理・補佐、金庫番役を担う。屋敷に主人がいる場合は主人の身支度・給仕・靴紐結び等も担う(雑用に思えるかも知れないが主人を暗殺可能なすぐ傍に長時間・複数回入る事になるため極めて信頼され、名誉な仕事とされる)。まぁ、所謂「爺や」ポジションと言えるだろう。

 

 アルファンスはもうすぐ七十になろうかと言う年齢であり、家令の地位を彼の実父より継承されてより二十年余り、父上よりも一世代近く年上と言う事で相談相手として、また優秀な事務能力から重用されてきた忠臣の一人だ。

 

 まぁ、ここまでは良い。問題はなぜ彼がこの部屋に来たか、だ。

 

 起こしに来た?そのような雑事は他の使用人にやらせれば良い、主人の傍にて輔弼し、屋敷と使用人全体を管理する家令がする仕事ではない。まして百歩譲って父上に対してならまだ理解出来るが、碌に屋敷に戻らないボンボンに対してというのは腑に落ちない。

 

「旦那様からの御指示で御座います。本日は自身で御起床するため代わりに若様の方にとの仰せで御座いますれば」

「……そうか」

 

 家令の説明に端的に私は答える。もう、こいつ心を読んでいる!?とか突っ込まねぇよ。家令ともなればもう出来て当然だよね、なレベルだからね。

 

 女中に椅子を用意され、そこに座れば殆ど全自動で朝の仕度が整えられる。歯こそ自身で磨くが(それすら頼めばしてくれるだろう)、三名の女中が洗顔をし、服装の着せ替え、整髪、靴結びを連携して行う。家令は背筋を伸ばし、その様子を観察する。彼自身は監督に徹し、女中に不穏な動きがないかを監視し、その支度に粗がないかチェックし、万一にも室内に不届き者が侵入すれば迎撃する。

 

 最後に鏡を用意させ、身だしなみの確認を求められる。緋色のジュストコールとベスト、キュロットの出で立ちは皴はなく、髪は癖毛の一本もない。うん、自分でやるより遥かに完璧だ。

 

「旦那様より本日のご予定を伺っております。本日は散歩を0700時頃より、朝食を0800頃に執り行う御予定で御座います」

 

 昨日の事については一言も触れず、優し気な笑みを浮かべ父が組み立てた本日の予定について報告を始める。因みに家長制の傾向が強い帝国では当主の言は優先されるので私がこの立てられた予定を違えるのは余り奨励されない……と言っても家にいる事が少ない父が予定の組立を命じるのは珍しいが……。

 

「まぁ、今は従うべきだよな?」

 

 正直昨日の事があの後どうなったか気になるが、ここで言っても仕方ない事である。家令が言付を受けていれば口にしている筈で、それが無いという事は家令は何も言付けられておらず、尋ねても意味がない。取り敢えず一通りの予定を頭に叩き込みそう答える。

 

 身支度を終え、自室を出れば天井にシャンデリアが煌めき、壁に目を向ければ絵画やら剥製、御城に良くある騎士甲冑(炭素クリスタル製実戦投入可能モデル!)等が飾られる廊下に出る。床は当然天然の高級木材に各種特殊塗料で難燃加工と光沢も付けている。当然の如く塵一つ、埃一つない。

 

 因みに屋敷は毎日主家の者達の目に触れないようにしながら毎日一、二回は掃除しなければならない。つまり私が廊下に出る少し前まで多分使用人達は右往左往しながら掃除していた事であろう。しかも埃一つ、汚れ一つでも残っていれば持ち場の責任者に後でこっぴどく叱られる事になる(ブラック企業かな?)。なので使用人への負担をかけたく無いのなら出来るだけ起床や出歩くのは決まった時間に、汚れがあっても見て見ぬ振りしよう。皆も門閥貴族に転生したら覚えておいてね?

 

 私のすぐ傍に家令(いつでも私を守れる位置を確保している)、背後に使用人が恭しく付き添う。伝統を固持する門閥貴族は自室を出ればまずは家族への挨拶と公園(当然のように貴族や最上位富裕市民しか入れない特別公園だ)に散歩が日課になる。

 

「……!父上、母上、おはようございます」

 

 廊下にて鉢合わせた両親に一瞬表情を強張らせつつも、私は作法に則り恭しく挨拶をする。

 

「うむ、息災で何よりだ」

「ヴォルター、どうだった?良く眠れた?」

 

 いつも通り厳めしい表情の父と昨日の事を忘れたかのように優し気に尋ねる母。父は私と殆ど同じで金縁にエメラルドのカフス釦を装飾した碧いジュストコールにベスト、キュロットに三角帽、母はロココ調のドレスに鍔の大きい白い帽子を被っている。それ自体は何の問題も無い服装だ。互いに後ろに使用人やら侍女を控えさせている事も同様に門閥貴族としては普通だ。

 

……問題は父がこの場にいる事そのものであるが。

 

「……はい、問題御座いません。……それよりも父上がここにおられるのは珍しい、御勤めの方は宜しいのでしょうか?」

 

 一瞬、昨日の事について尋ねようとしたが止める。この手の話を朝からするべき事ではあるまい。それに父が任せるように言ったのだ。少なくとも昨日今日で口にするべきでもない。

 

……無論、口にするのが少し怖い事は事実ではあるが。

 

代わりに尋ねたのは父がなぜこの時間にまだ屋敷にいる事か、である。

 

 規模が同盟軍や帝国軍とは違うとはいえ亡命軍の宇宙艦隊司令長官も暇ではない。いや慢性的な兵力不足と過重ローテーションでその緻密具合は寧ろ高いだろう。私の幼い頃から家にいる事は多くは無かった。

 

「ああ、問題無い。今日は、な……御者の馬車を停めてある。早く行こうか」

 

 懐から金細工の懐中時計を見た後そう催促する父。その言い方は恐らくは今日一日仕事が無い事を意味する。……宇宙艦隊司令長官に滅多に休日はありやしないのだが……。

 

 だが、そんな事を考えている時間もない。指示に従い私は両親の後ろに付き添う事になる。

 

 屋敷の庭先には三台の馬車が停まる。前後の馬車は使用人、中央が主家一家、そこに八名の護衛の騎兵(マスケット風ブラスターライフル装備)が傍に控える。御者と使用人も有事の護衛兼弾除けになる(使用人達は護身用・護衛用に拳銃・警棒・ナイフ等の最低限の心得はある)事を考えれば約二個分隊の護衛が付き添う訳だ。

 

 警備体制万全な星都中央のインネレシュタット区の更に警備の敷かれた公園に向かうのに護衛多すぎない?とは思うが爵位と貴族的常識を思えばこれは寧ろ少ない方だと言う。帝政初期の共和主義者(の皮を被ったモノホンの危険人物も多かったが)がどれだけ滅茶苦茶な方法で貴族達を殺害しまくり、生き残った貴族達がトラウマを負ったか分かろうものだ。

 

 さて、帝室の離宮である新王城宮の庭園でもある植物園・動物園・薔薇園・水族館の併設された大公園は会員制であり利用出来るのは極一部の者達だ。つまり門閥貴族や一部の帝国騎士や富裕市民である。帝室が離宮に滞在していない時は星都に居住ないし滞在する会員貴族や富裕市民の散歩と朝の挨拶、そして談合の舞台となり、帝室が滞在している場合は皇族への参拝の舞台となる。

 

 現在は帝室は殆ど滞在していないため、公園の一番の主役は大貴族達と帝室から嫁いだ元皇族達となる。つまり母のような立場の貴人である。

 

「これはこれは、夫人、息災で御座います。今朝もまた見目麗しい御姿で御座います」

「あら、ノルトハイム伯も御元気で何よりですわ」

 

 つまり母に挨拶する者が列を成すのだ。ノルトハイム伯爵、ブルックナー子爵、リスナー男爵、フッガー男爵等が次々と完璧な礼を持って挨拶する。笑みを浮かべ母の手の甲に手袋越しに軽い接吻をする。別に他意があるのではなくそれが作法である。唯それでも母の美貌はまだまだ十分過ぎる程に美しいので内心で役得である思っている者はいるかも知れない。

 

 あるいは女性でもヴァイマール伯爵夫人やユトレヒト子爵夫人、ベーリング帝国騎士夫人等が恭しく挨拶に参上する。下位の地位の夫人が上位の夫人に挨拶に行くのはマナーだ(更には回る順番も慎重にしないとならない、女性社会は怖い)。

 

 だが、それでも付き添う父の姿を見るとぎょっと二度見する者は少なくない。何せ普段は軍務省やら宇宙艦隊司令本部にいる父がこの場に入れば、しかも厳めしい(別に怒ってはいない)姿を見れば流石に動揺するのも仕方ない。それでもすぐに落ち着きを取り戻し恭しく挨拶出来るのは門閥貴族らしい。

 

 尤も、父の姿を確認すると当然そちらに挨拶参りに来る者も出て来る。多くの場合分家筋の者や同じ武門貴族である。一例を挙げればハーゼングレーバー子爵にクーデンホーフ子爵、ヴァーンシャッフェ男爵等である。

 

 問題は宮廷でも変人枠扱いのリリエンフェルト男爵だった。ブラックリベリオンしてそうな仮面を被りジェスチャーされても困ります。横の従士(無表情で真顔だ)が翻訳してくれなければ男爵は意味不明の踊りを永遠に続けていた事であろう。これには厳つい表情の父も公然とドン引きする。周囲は最早半分諦めムードだ。もうあの男爵はああいう人だから仕方ない扱いである。これで純粋に軍人としては有能枠なので困る。

 

 リリエンフェルト男爵の次位に面倒なローデンドルフ伯爵夫人(母の従姉・グスタフ三世三女)との長々しい挨拶(というより母とのお喋り)を終え、馬車で自宅に戻ったのは午前8時頃の事だ。屋敷に戻れば外着を使用人が恭しく脱がし、部屋着で料理人達が帰る時間に合わせた朝食を用意する、また手紙や新聞の確認もこの時間に行われる決まりだ。

 

 主家家族用の食堂につけば席に案内される。クロスの敷かれたテーブルの上座に座る父が仏頂面で新聞を静かに読み、母は御機嫌な表情で手紙を読む。時たま私や父に手紙の内容について語り聞かせる間に給仕女中と料理人が食器類をテーブルに位置を誤らずに次々と置いていく事になる。

 

 朝食は門閥貴族としてはどちらかと言えば質素なものだ。各種のパンは竈でその日に焼いた出来立てである。コールドローストビーフ、ベーコンエッグ、ゆで卵(半熟)、サラダ、チーズ、スープが主食、飲料はオレンジジュース(搾りたてだ)に紅茶か珈琲が選べる。デザートは果物に林檎、梨、杏等、甘菓子にクラップフェン、フロレンティーネ等が用意されている。

 

 大神オーディンと双子の豊穣神への(形式的な)祈りを捧げた後に食事は始まった。

 

「ふふふ貴方、パンでしたら私がお入れしますよ?」

 

 にこやかにそう言いながらロッゲンミッシュルブロード(ライ麦パン)を父の皿に入れる母。軍人時代の影響で父はこれにクリームチーズやサワークリーム、ベーコンエッグを挟んで食する事を好んでいた。今でこそフォークとナイフを使うが同盟軍に所属していた頃なら素手でこれを食べていたと言う。

 

「あ、ヴォルターにはこっちね?」

 

 と、固いものが多いドイツ系パンの中で比較的私が好むアインバックを皿に入れる母。口元が汚れれば使用人からナプキンをふんだくって代わりに拭き取る。

 

 何というべきか、これまで見た中でも今日の母はとても機嫌が良いように思えた。

 

「ヴォルター、どうかね市民軍での職務は。やはり市民軍ではこちらの常識とは少々勝手が違う。苦労しているだろう?」

 

珈琲を飲んだ後、カップを置き父は私に尋ねる。

 

「……いえ、ハイネセンでの生活で市民軍のやり方にある程度は慣れましたので。それに部下の補佐もあり、どうにかやっていけております」

 

 寧ろある意味では地元より気が楽ではある。尤も相手側の色眼鏡には困るが。

 

「そうか、職場の様子はこちらも度々話を聞いている。良くやっているが無理はする必要はない。まだ任官して一年も経っていない。これからも軍功を上げる機会はあろう。堅実に精進する事だ。さすれば提督になるのも困難ではあるまい」

「はっ……」

 

 父からの言葉に取り敢えずそう返事する。父は表情を変えずにうむ、とだけ頷き食事に戻る。

 

「そうよ?ヴォルター、頑張るのは良いけれど今はまだ若いのだからそこまで焦らなくてもいいのよ?ヴォルターなら無茶ばかりしなくてもすぐに昇進も出来るでしょうから」

 

 穏やかで落ち着いた表情で母も続ける。父に対するのと同じく承諾の返事をしつつも内心では困惑する。昨日あれだけ泣いていた母が今日になると人が変わったように優しく、機嫌が良いとは……一体昨日何を話したのだ?

 

 そのような事を思いつつも、私は両親ととりとめもない雑談をしながら食事を続ける。

 

 同盟軍で言えば0930時、つまり午前9時30分頃、食事を終え皿が片付けられる。テーブルにはデザート類のほか紅茶か珈琲(私は紅茶を頂いた)を味わいながら両親は手紙への返事や業者への対応、本日の用事について家令と家政婦長を始めとした使用人達に命じていく。これが地味にやる事が多く、一時間近く手紙の執筆や使用人との相談に時間を費やす。私は暇……という訳でもなく、跡取りであるために父の傍でその様子を見、必要によっては質問や相談相手もさせられる。

 

 大概の門閥貴族は幼少期からこのような仕事風景を観察し、場合によっては他の使用人による説明、両親からの半分クイズに近い質問がされる。流石に慣れているので私もその場その場で答えていく。少なくともぎりぎり合格点な受け答えは出来たと思う。

 

 10時半になると再び外着に着替える事になった。今日の予定には星都郊外の小さな荘園の視察も含まれていた(と言いつつ遊びに行くようなものだ)。

 

 馬車に揺られる事二時間半、門閥貴族の狩猟園や荘園の広がる一角に我が家のそれもある(尤もあくまで星都郊外の、であるため領地に行けば幾らでも荘園はある)。ここの場合は人口六百人程の村が園内にあり、彼らが荘園の開墾と収穫を、代官として派遣されている従士が管理と経営を司る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「旦那様、それに奥様と若様もよく本園にお越し下さいました。ささやかながら可能な限りの歓迎をさせて頂きます」

 

 代官と村長以下の荘園の代表が馬車を出迎える。代官は三角帽を脱ぐと頭を下げ、流暢な宮廷帝国語で視察に来た主家一家に挨拶する。見栄張りな貴族だと全ての村民を集め平伏させるらしいがそこまでは流石に悪趣味なのでやらない。

 

「は…ははぁ……伯爵様、こ、此度の御視察、ま、誠にありがとうございます……!わ、我ら領民一人残らず伯爵様のご、御慈悲と善政に、か、感謝を忘れた日々はご、ごご御座いません……!き、今日は我々の力の及ぶ限り日頃の御恩を御返しするため、ぜ、全力で御持て成しさせて頂く所存で御座います……!」

 

 代官が落ち着いた所作で挨拶したのとは裏腹に、村長以下の平民代表達は舌を噛み、震える声で必死に覚えたであろう宮廷帝国語でそう口にして深々と頭を下げる。そこには明らかな門閥貴族に対する畏怖の感情があった。

 

 まぁ、荘園の住民は産まれながらに領主様が絶対であると教育(洗脳ともいう)を受けているから致し方ない。まぁあれだ、極東の帝国では二十世紀中頃の時点で陛下を見たら目が潰れるとド田舎の小作人達は信じていた者もいるらしいから。同じように領主様を見ただけで打ち震えるのも当然だ。

 

 まして原作のように体制のタガが緩んだ黄金樹末期なら兎も角、このヴォルムスにおいては法的な特権はほぼ失われようとも社会的権威は下手すれば回廊の向こう側以上だ。殆どの平民は貴族の悪口を言う事すら憚る。ある意味では帝国人以上に帝国人らしい、とも言える。

 

「うむ、視察……という事になっているが唯の遊覧のようなものだ。そこまで気にせずとも良い。卿らの働きは良く知っておる。今朝の食事も美味であった。今後も励む事だ」

 

 威厳に満ちた表情、堂々とした体勢は服の下からでも引き締まった肉体美を有する事が分かる。優美な服装と物腰と相まって完全なる貴族様である。街に出る次男三男なら兎も角、村から殆ど離れない直系の村長を筆頭とした荘園代表は生来の純朴さと相まって比喩ではなく、父のその言葉に当てられ平伏す。

 

 あるいはその姿を標準的な同盟人が見れば眉を潜めるだろう。知識人ならそこに住民の無知さと権威と伝統の素朴な崇拝の念を見ることが出来、荘園と言う時代錯誤な封建制度に呆れ返るかもしれない。

 

 荘園制度の成り立ちは複雑であり、その成立を一概に説明するのは難しい。始まりは地方に派遣された門閥貴族が予算不足から貧困層や軽犯罪者を刑務所や収容所に投獄する代わりに自給自足可能な集落に閉じ込めた事であると伝えられる。

 

 そこから更に難民や叛徒の縁者等も合流する事になる。元々経済的問題や世間の目から外では生きていけない者達をその出自事に自給可能な設備を揃えた上で封鎖された土地に縛り、公共事業の労働力や軍役として領地の防衛・開発等に利用した。大概は一つの荘園で金納・労務・軍役・作物の献上等のいずれか一つの賦役を代々課される事になる。特に軍役や作物の献上は先祖に問題が少なく領主と体制への忠誠心の強い荘園が担う。

 

 この荘園の仕事は星都の屋敷に提供する馬や農作物、食肉、酒類を生産加工する事である。今朝口にした食事の材料も殆どがここから毎日新鮮なうちに提供された物だ。即ち特に帰属意識の強い荘園と言う事だ。

 

 当然殆どが無農薬・遺伝子加工無しの作物・家畜を可能な限り手作業で育てているため馬鹿みたいに手間暇がかかっている。訳の分からない物食べて優良(笑)な遺伝子が傷ついたり、健康を害したら大変だからね、仕方ないね。

 

 さて、それは兎も角として荘園の視察……というより観光あるいは遊覧が始まる。

 

「ヴォルター、あちらの牧場に行きましょう?」

 

 母に連れられて向かうのは荘園の一角の牧場だ。ポニーに子山羊、子羊、雛に牧場犬とくれば女子供ならば誰でも可愛いと思う事だろう。普段は煌びやかな宝石とドレスに包まれて高級な御人形の如く椅子に座る母も可愛い物は可愛いと考える感性は当然ある。寧ろ普段はこういう所に行けないので歳の割に燥いでいる位だ。

 

 熟練の牧場主と子供達が草原に連れて来た子山羊や子羊におどおどと近づき、頭や体を撫で回す。子羊が潤んだ瞳でメェ、と可愛らしい鳴き声を上げれば母は一層御機嫌でその口元や目元に触れる。子羊の方も興味津々と言った風にその手に鼻を押し当て、舌で擽るように舐める。

 

 雛鳥はてくてくと母の後ろについていく。少し早く歩けば置いて行かれないように急いでその後を追う姿は実に愛らしい。牧羊犬が構って欲しそうにぐるぐると母の足元を回る。牧場主がフリスビーを母に献上すれば牧羊犬は待ってましたとばかりに耳を立て、放牧地の向こうにフリスビーを投げれば全力疾走で牧羊犬は追いかけた。母の元に戻りフリスビーを返せば舌を出してハッハッハッ、と興奮した表情で次を待つ。

 

「ほら、次はヴォルターが投げて!」

「えっ、はぁ……」

 

 母に急かされてフリスビーを受け取る牧羊犬の前にそれを出せば犬の息遣いは一層激しくなり早く投げろやとばかりにぶんぶんと尻尾を振る。

 

「………」

 

 同盟軍人として投擲技術も当然学んでいる。手榴弾を投げるかの如く構え……全力でフリスビーを投げる!

 

 飛び跳ねるかの如く走り出す牧羊犬。数十メートル先で跳躍して口でフリスビーをキャッチし、全力で疾走して戻ってくる。それをキャッチアンドリリースするかのように再び投げる。受け取る。再び投げる。受け取る。

 

 愚直なくらい何度も何度もフリスビーを咥えて帰ってくる牧羊犬。興奮した面持ちで尻尾を振って駆け寄ってくる。

 

「……全く大した忠誠心だな」

 

 いや、本能に従って動いているだけかも知れんが。兎も角も駆け寄ってくる牧羊犬からフリスビーを取るとその首元や頭を撫でる。すると一層興奮して撫でる手を舐め回してきた。尻尾ははち切れんばかりだ。

 

「……可愛い奴め」

 

 一瞬、同じように愚直で忠誠心過剰な従士の姿を幻視した。確かに見ようによっては犬みたいかもしれない……いや、流石にそれはある種の悪口か。

 

 撫でる手を引き離すとこちらを見上げ、物足りなさそうに鳴く牧羊犬。耳がぱたんと倒れ、尻尾はしゅんと倒れる。

 

「ふふふ、遊び足りないのねぇ。こちらにいらっしゃい?」

 

 楽しそうに笑みを浮かべる母の手招きにてくてくと近づく牧羊犬。その首元を擦れば気持ちよさそうに目元を細めて喉を鳴らす。が、数分もすれば物足りないのか私の下に戻って首元を見せる。擦れや、という事だ。

 

「あら、妬けちゃうわ。私よりヴォルターの方が良いのかしら?」

 

 私は誤魔化すような苦笑いをしながら喉元を撫で回し続ける。私は喉元撫で回し機かな?

 

 母は私が牧羊犬を可愛がる姿を見て、優し気な視線でそれを観察していた。

 

 そして……御機嫌に戯れる母を見て、私の方は少しだけだが父と母の話し合いの内容に薄っすらと思い至っていた。

 

「メェェェ……!」

 

 そんな鳴き声に、下方に目を向ける。見てみれば子羊が震える足でメェメェと鳴きながら母のドレスの裾を咥えていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「きゃっ……こらぁ、駄目よ?」

 

 子供でも抱きかかえられるような小さな子羊を注意し、服装を引っ張る母。それでも未練がましく食らいつくので困り顔で母は私に視線を向けて助けを求める。

 

「ほら、お前の仕事だ。行ってこい」

 

 ジェスチャーで指示をすれば、アイアイサー!とばかりに立ち上がった牧羊犬は耳をピンと立てて勢いよく子羊に吶喊し、吠えかける。元々臆病で愚かな羊はその吠え声に驚き一目散に、震える足でメェメェと泣きながら逃げ出した。

 

「あらあら……困ったわねぇ、汚れてしまったわね」

 

 べたべたと濡れるドレスの袖を使用人がハンカチを持って拭き取ろうと駆け寄る。私はそれを制止する。

 

「悪いがそれを貸してくれ。母上、宜しいですか?」

 

 私が母の方を見ると、一瞬きょとんとした表情になるが、すぐに母は笑みを浮かべる。

 

「良いわよ、じゃあお願いしようかしら?」

「不肖の身ながら失礼致します」

 

 そういって母のドレスの袖の汚れを受け取ったハンカチで拭き取っていく。

 

「ふふふ」

 

 私が拭いているといたずらっ子のような、しかし上品な笑い声を上げる母。

 

「何事ですか?」

「いえ、こんな風に拭いてもらえるとヴォルターも大きくなったのね、と思って。昔は拭いてあげてばかりだったもの」

 

 昔の記憶を思い浮かべる。そして我儘ばかりで、癇癪持ちでその癖鈍臭くマナーを覚えるのも上手くなかったので同年代の子供に比べて服を汚す事が多く、その度に母が使用人からハンカチを奪って拭いていた事に思い至る。

 

「随分と御心労をお掛け致しました。我ながらお恥ずかしい限りです」

 

これには苦笑いで誤魔化すしかない。

 

「いえいえ、こんなに元気でしっかりした子になってくれて、母としてはとっても嬉しいわ」

 

 にこにことドレスの汚れを拭く私に幼稚園児にでも接するように頭を撫でる母。使用人や村人がいるので恥ずかしいのだが、母にとってはそんなものどうでも良い存在なのだろう。私としても振りは払うのは母へのこれまでかけた迷惑を思うと罪悪感を感じるため出来ず、結局そのまま頭を撫でられ続ける。

 

「仲が良いな、良い事だ」

 

 後方からの声に気付き立ち上がり振り向けば、案の定父が従士や村民を従えながら立っていた。

 

……流石に騎乗しては想定していなかったけどね?

 

「貴方の騎乗姿を見るのは久しぶりだわぁ。相変わらず凛々しい御姿ですわね」

 

一方、母は寧ろ懐かしそうに微笑む。

 

 まぁ、確かに懐かしい姿ではあるが……。本当に小さい頃母に抱っこされた状態で父の馬の後ろに乗ったり、逆に父の前で馬の首に抱き着いて散歩をした記憶はある。馬術の講義でも時たまに父が実例を見せて来た事だってある(流石に父も暇では無いので大抵は教官役の従士や奉公人が指導していたが)。

 

「うむ、折角の休暇それもこのような田舎だからな。いつもデスクに座っていると体が鈍る。時には野外での乗馬も良かろう」

 

 無論、普段よりトレーニングや陸上、射撃や戦斧術、徒手格闘術の鍛錬を怠る父ではないであろうが、立場が立場であるために野外での運動は滅多に出来ない。青空の元での乗馬は恐らく年単位で出来ていない筈だ。

 

 それでも元来の堂々たる威風を醸し出す父が歳を取っているであろうが大柄で逞しさと気品のある黒毛の馬に騎乗する姿はやはり絵画に出来る程度には威厳がある。原作のミュッケンベルガー程では無いであろうが、回廊の向こう側の無気力皇帝よりかは遥かに皇帝らしい(流石にグスタフ三世には威厳、という点では負けるが)。

 

 老馬に私が近づくと馬の方は私に反応して鼻で臭いをかぎ手や腕に触れ来る。そして上唇で優しく服の袖を噛む。所謂甘噛みで、馬の愛情表現の一種だ。

 

「あら、その子、貴方の御気に入りでしたわね。もう歳だと思いましたけど宜しいので?」

「そう激しく走らせるつもりはない。軽い散歩程度ならば良かろう」

 

 そんな両親の会話でこの馬が自分が小さい頃に乗せてもらった馬であると理解する。馬の癖に案外記憶力が良いな……うおっ、唸るなっ!?馬にまで私は心を読まれるのか……?

 

「お前も久しぶりに乗って見るか?ハイネセンでは乗馬なぞ滅多に出来んだろう?」

 

父が私に尋ねる。

 

 実家や幼年学校では馬術の訓練はしてきたが、流石に同盟軍では殆どしていない。対帝国戦や辺境での軍事行動でも馬を使うのは極一部の環境における地上軍の特殊作戦部隊程度のものであり、士官学校で数回程申し訳程度の体験をした位だ(私にとってはコープやヤングブラットに勝ってどや顔出来る数少ないボーナスステージだった)。

 

「大丈夫かしら……落馬したら大変だし、ポニーでも良いのよ?」

 

 心配そうに母が私を見やる、が私は父の意図を組み、敢えて母の提案を断る。それに自分でも馬術はそこまで苦手という訳でも無い(というよりも貴族の嗜みなので厳しく躾けられた)。

 

 実際荘園で飼育している馬の中では大人しい白毛を馬丁が連れて来たが、すぐに乗るのにも慣れる。実際荘園にある調教用の障害飛越競技場の障害物も全て突破して見せた。

 

 まぁ、もういい歳な老馬で私よりも早く突破する父には勝てないけど。付き添いの使用人なら兎も角、調教師や馬丁まで割とマジで拍手するレベルだ。多分貴族も軍人も辞めてしまっても競馬騎手で父は食べていけるだろう。

 

「ふふ、あの人本当に乗馬が御上手でね、私も若い頃良く乗せてもらったわぁ」

 

 くすくす、と子供のように笑う母、恐らく結婚する前の事でも思い出しているのだろう。

 

「けど、ヴォルターも中々のものよ?正直怪我しないかはらはらしていたのだけれど……」

「御心配をお掛け致します」

 

私は小さく頭を下げて謝罪する。

 

「良いのよ?お陰様でヴォルターの凛々しい乗馬姿も見られたのだし。ふふふ、これならどこかの御令嬢相手でも相乗りさせる事が出来そうね?」

「相乗り、ですか」

 

 流石に政略結婚や見合い中心の帝国貴族では乗馬出来る者が多くても相乗りする者は滅多にいない。両親の例は明らかに例外に含まれる。

 

 昼の三時頃に御茶会も兼ねた昼食を野外で行う。村人が用意した食材を随伴する使用人達が調理し、青空の下でテーブルと椅子を用意され、代官や村長夫妻、一部の従士達と楽しむ事になる。

 

 村の竈を使い焼き上げたパンに荘園自家製の各種のチーズとヴルスト、今日の持て成しのために急いで絞めたに違いない鴨肉のソテー、サワークリームであえたポテト、マリネ、茸とほうれん草、ベーコンのバター炒め、スープのレバークネーデルズッペ、デザートの果物に焼き菓子、荘園で醸造した白い葡萄酒が御供につく。村で調達可能な食材で可能な限りに豪勢な昼食を作ったと言える。全て手間暇かけて栽培し、加工した食材と思えば贅沢品だ。無論、事前に安全確認のため毒見されていた。

 

 軽い運動の後、という事もあり、思いのほか食事は進んだ。そんな私を見て母が追加の料理を命じる。育ち盛りは流石にもう過ぎたのだが……いや、食べますけど。

 

 両親は葡萄酒片手に昔話に興じる。結婚前や結婚後も私が幼い頃度々こちらの荘園に来ていたようだ。

 

「ここは変わっていなくて本当に良いわね」

「ああ、そうだな。星都に近く、それでいて広いので他所を気にせずに済む」

 

 星都に近い、というのはそれだけで客人の持て成しな交通の便の意味で好立地だ。その上で田園だけでなく放牧地や乗馬して走らせる事が出来る程に広いので他所様の目(使用人と村人はカウントすらされない)も気にせず息抜き出来る。

 

 食事が終わっても御茶会がそのまま続く。紅茶と珈琲を飲み、焼き菓子を口にし、シガレットを吹かし、世間話や雑談に興じる。特に代官と村長の夫人は母の聞き役に徹する事になる(接待だよねこれ?)

 

「ローデンドルフ伯爵夫人も困ったものだ。結婚すれば大人しくなると思ったが……」

「あの娘が輿入れした程度で大人しくなるなんてありませんわ。昔から男勝りでしたから。男子の輪に入って喧嘩をするような性格ですし。あれでも相当大人しくなったのですよ?」

「あれでか?夫が不憫過ぎる。尻に敷くどころの話ではない」

「確かに私生活ではそうでしょうが、それでも式典やパーティーではちゃんと夫を立てておりますでしょう?」

 

 心底困り顔の父と違い母は困り者の従妹について、寧ろ慈しむような表情で語る。母はグスタフ三世の子供達の中では一番伯爵夫人と仲が良かったという。私もアレクセイの姉という事もあり、小さい頃可愛がられた、が随分と男勝りな性格の人だった。というか現役軍人だ。亡命軍少将でサーベル片手に先陣切って突撃してゆくような周囲の臣下を胃潰瘍にさせるトラブルメーカーで評判だった(それでも殆ど怪我しないとか意味分からない)。

 

「そうそうヴォルター、クレーフェ侯夫人はどうしていました?あの娘とはもう随分と会えないから……」

 

 侯爵夫人は母とギムナジウムの同年であり、血縁で言えば曾祖母が夫人の家の出だ。帝国貴族的には近縁者扱いされる。

 

「ええ、御元気にしておられました。良く同胞学生達に菓子を配っておりましたし、私も血縁の誼で幾度か茶会や食事に誘って頂けました。夫婦仲も良好に見えました」

 

 彼方も何年もハイネセンに住んでいるために随分と母や宮廷の事について尋ねていた。それだけ故郷が恋しいのだろう。良くこちらの話を尋ねていた。

 

「そう……それは良かったわ」

 

 心底安心するように母は答える。大貴族同士だと形式や体裁もありそう軽々と連絡を取れない。取るとしても超高速通信よりも直筆の手紙が主流だ。夫の立場的にもハイネセンをなかなか離れられない事を含め私の近状報告を聞き安堵した様子だった。母には平民や従士に対しての慈悲は無くても、同じ門閥貴族や身内に関しては人並みに思いやりの心は持てる人であった(その心を下々にも一パーセントでいいから分けてあげて)。

 

 食事と御茶会が終われば恒星は傾き夕暮れに近づきつつあった。使用人達が当然のように片付けをするのも無視して荘園内にある伯爵家別荘に代官と村長直々に案内される。

 

 ……うん、普通に代官や村長の屋敷より大きい。話によると毎日村の者達と駐在する数名の使用人が日に二回掃除する(させられる)らしいです。おう、扉開けて入って一番に広間に初代当主と父の肖像画が掲げられているのはドン引き案件ですよ。

 

 え?恒例のあれは無いのかって?安心しろよ、書斎ではちゃんと皇帝にサンドウィッチされた建国の父がいるぜ(最早テンプレだ)!

 

 乗馬の汗を風呂で洗い流し、居間に足を運べば既に暖炉に薪がくべられ、室内は暖かな空気に包まれていた。先に入浴を済ませ、室内用のドレスに身を包んだ母が揺り椅子で読書をしているのを視認するとほぼ同時に母もこちらに気付く。

 

「あら、もう上がったのね。そうそう、夕食まで時間があるわ。あの人も呼んで遊びましょう?」

 

 そう誘う母の表情は子供のようにわくわくとしたもので到底断りにくい。

 

 結局父も同じ考えなのだろう、母と共に夕食までの時間、使用人達が呼ぶまでにトランプに賽子遊び、チェスにダーツと言った帝国貴族らしい娯楽をする事になる(電子ゲームは悪い文明なので禁止、はっきり分かんだね)。

 

 最初は母の接待感覚のつもりであったのだが、普通に負け続け次第にマジでやるのだが……。

 

「ふふ、チェックメイト」

「あれぇ、なにこれぇ?」

 

……あれ、普通に強くね?

 

 トランプも賽子、チェスもダーツ、ビリヤードまで両親に惨敗する私。手抜いて無いのに……、あ、あれぇ……!?

 

 接待するどころか寧ろ一人だけガチでやって第二次ティアマト会戦並の歴史的大敗を喫した私は夕食の準備が整った事を使用人が知らせに来た頃にはプライドはべきべきに粉砕されていた。母上ー、楽しそうに笑わないでー。

 

 さて、夕食もやはり村で可能な限り贅を凝らしたコースとなっていた。オードブルに鴨のレバーのムースを焼き立てのパンと共に頂き(毎度毎度焼かないといけないパン焼き職人マジ重労働だな)、スープはビシソワーズを頂く。魚料理に鮎のポシェ、サラダと共に来るメインはラム肉(子羊)のフレンチラックのローストである(まさかと思うがドレスしゃぶっていた奴ではなかろうな?)、村の赤ワインが添えられ、デザートは荘園内で栽培される新鮮なメロンや葡萄と言った果物で口直しとなる。コースが終われば珈琲や紅茶を口にしながら焼き菓子を口にする。まぁ、(門閥貴族基準で)殊更質素でも贅沢でも無い食事内容だ。

 

 それでもやはり母にとっては機嫌が良かった。家族で食事なぞそう出来る機会がない。私は長年ハイネセンにおり、父も軍務がある。父がたまに家で食事するとしても客人を招く時が殆どだ。家族水入らず(前にも言ったが村民と使用人はそもそも対象外だ)で食事出来たのは何気にこちらに帰って来てから初めてかも知れなかった。

 

「ヴォルター、御免なさいね?思いのほか強いからお母さんも熱が入っちゃって……」

 

申し訳なさそうに母は語る。

 

「お前は昔からこの手の遊戯が思いのほか手慣れていたのだったな」

 

 ワイングラスを手にした父がいっそ懐かし気にそう語る。私に比べればマシではあるが、それでも相当の負け越しをしていた。悔しがる様子が無い事から結婚前から相当敗戦を重ねていたのだろう。

 

「懐かしいわねぇ、ここで宿泊すると毎回遊んでいたのだけど毎回貴方が不機嫌そうな顔でもう一回、だなんて重々しく言うのだもの。その御顔で言われたら何か可笑しくて……」

 

 思い出すように口元に手を添えくすくす、と擽るように笑う。

 

「む……」

 

 バツが悪そうな表情で父は唸る。不機嫌と言うよりはある種の誤魔化し、端的には照れ隠しであった。

 

「うふふ、可愛い人。……次はこの白をもらおうかしら?」

 

 そんな父の表情を見ながら小さな笑い声を上げるとソムリエ資格のある執事に命じてテーブルの上のワインボトルから白ワインを選び注がせる。

 

 暖炉の火で暖められた室内で、雑談と思い出交じりの夕食は続いていく……。

 

 

 

 

 

 

「うふふ……それでにぇ、ヴォルター……あにゃたが迷子ににゃった時なんてぇ……お母さん、ほんとーに心配して……食事ものでぃおを通らなかったのよぅ……?」

 

 夕食も終わりに近づき、呂律が若干回らない口調で昔私が宮廷の北苑で遭難した時の事を語る母。

 

 家族揃っての思い出話(あるいは愚痴?)をして御機嫌なのか、酒が進む母。今口にしているのは宇宙暦735年物の甘いロゼワインだ。

 

 これで夕食で飲酒した量はワイングラスにして既に五杯目に突入していた。無論、人種や性別、年齢やアルコールの種類にもよるがそれでもその量は少ないとは言えない。古代ギリシャ人は言っている、賢明な人間は葡萄酒は三杯までしか飲まないと。それを比較対象にすれば間違いなくアウトであろう。母の頬はほんのりと紅潮し、その眼差しは明らかに酪銘状態だった。

 

「母上、流石に少々飲み過ぎでは?御無理を為さってはいけません」

「むりなんかしてないわぁ……伯爵夫人としてぇ……パーティーでもちゃーんとせつどをもって飲んできたのだものぉ。自分のことはよくわかっているわよぉ?」

 

いや、分かってねぇよ。言葉が間延びし過ぎだよ。

 

「もうぅ……ヴォルターはすぐお母さんのいうことに反抗するんだからぁ……あにぁたぁぁ、ヴォルターが不良になっちゃっいましたぁ……うう……どうしましょぅ……」

 

 泣き上戸、という訳ではないが半分冗談、半分本気な雰囲気で母が嘆きながら父にしな垂れる。

 

「そうだな、息子には私から言っておくから安心しなさい」

 

 そう言いながらも使用人達にさりげなく指示をしてワインをシャンパンや水にすり替えさせる。母の取り扱い、という点では父の方がやはり上手のようであった。

 

 既にメインを食べ終わりデザートの冷えた果物を食しているのだが、正直このままでは食後のお茶も出来まい。

 

「……久しぶりの泊まりで疲れただろう。今日はもう寝なさい」

「うぅん……そうねぇ、さすがに……つかれてねむくなってしまったかも知れないわぁ………えぇ、そうねぇ。では、おさきにしつれいしましょうかしらぁ」

 

 柔らかで、力の抜けた声で母は辛うじてと言った風に答える。使用人達が支えようとするがいやいや、と子供の如く母はその手を振り払う。

 

「う~ん……ヴォルターぁ……おねがいぃ……お母さん少し頭おもくてぇ……しんしつまでぇ……連れていってぇ……」

 

おねだりするように母が口にする。

 

「ええぇ……」

 

 困り顔で父を見るが、父の方は淡々と珈琲を口にしながら「母を良く介抱するように」と御命令をしてくれた。畜生め。別荘の案内に不慣れなので家令が随伴してくれたのが救いだ。

 

「はぁ、分かりました。母上、失礼致します」

 

 母の両手を自身の肩に乗せてもらい、か細い硝子細工のような母の体を慎重に立たせる。ふらっと倒れそうになるのを支えているとアルコールによる熱と酒気が薄っすらと感じ取れた。

 

「若様、こちらを右折致します」

 

 ゴッドホープがゆっくりと先導しながら廊下を歩く。私も母がこけないようにゆっくりと母を歩ませる。余り力が入らない母は殆ど全ての体重を私の肩に預けながら生まれたばかりの子山羊のように足を震わせながらそれに続く。

 

 尤も、全体重を乗せられると言っても十年以上軍人として鍛錬を積んできた体である。まして華奢な母では乗せられた体重も寧ろ驚く程に軽く思えた。

 

「うふふ……ヴォルターの手も肩も、おおきいわねぇ……昔は本当に小さかったのに……」

 

 私に支えられた母は廊下を歩きながら腑抜けた声でそう口にする。

 

「昔って……いつの事を言っているのですか」

 

 私もいつまでも馬鹿な子供でもない。死にたくないから鍛えもする。流石に軍隊の中では兎も角世間一般から見て弱弱しい体付きではない。

 

「だってぇ……あにゃた、はいにぇせんにぃ……いってしまったじゃないのぅ?はぁ、成長期をみるのをみのがしてしまったわぁ……」

 

 十代前半は幼年学校に、後半は士官学校にいたがために、余り母と顔を合わせた機会がない。私自身実家に帰るのを嫌がったために母にとっては未だに私は小さな手のかかる子供扱いだったのかもしれない(実際に面倒事を起こすという意味では昔と変わらない)。

 

「……余りこちらに帰れず申し訳御座いません」

 

 今にして思えば実家に戻らなかった事に少々罪悪感を感じる。不肖とはいえ、こんな私でも我が子として可愛がってくれていたのだ。そこまで戻るのを嫌がるのは悪かったかも知れない………と思ったがこちらに戻った時の歓待を思い出すとやっぱり嫌だなぁ、とも思った。

 

「……うふふ、良いのよぅ?素直にあやまってくれればぁ、お母さんはおこりませんよぅ?」

 

 にこり、と酔いでぼんやりとした瞳で、慈愛の笑みを浮かべる母。

 

 母の寝室に着き、家令が扉を開き中の安全を確認後に、頭を下げて招待する。

 

天蓋付きの大柄なベッドに慎重に降ろしていく。

 

「本当、おおきくなったわねぇ……めをはなしている内にこんなにぃ……もう私より背がたかくて……」

 

 ベッドに腰を下ろすと母はふらふらと手で私の頭を撫でる。ハイネセンにいる内に身長は母を越えていた。元々母が小柄である事もあり、今や私の身長は母より十センチ近く上回っている。

 

「……ほんとう、ほんとうに健康に成長して………けど……お母さんおいていかれてすこしだけさみしいわぁ………」

 

 何を置いて行かれて、とは言わない。何となく意味は理解していたからだ。

 

「母上……」

「ほんとうはねぇ……わたしは母親だからぁ……こばなれしないといけないのはわかっているのよぅ?あまり私がととのえてばかりだといけないって……」

 

寂し気に微笑む母。

 

「御父様はものごころがついてすぐお亡くなりになったわぁ……夫の父……おじいさまもわたしとあうまえに戦死なされたわぁ……あのひともぉ……軍務でいえをあけるからぁ……一人っ子だしぃ、ついついあなたにはかほごになってしまうわぁ」

 

暫く黙り込み、再び口を開く。

 

「けどぅ……むかしよりはたよりがいがありそうねぇ。けど、たまにはおかあさんの所にもどってきてくれないかしら?おかあさん、すごく、すごーくさみしいわぁ」

 

 酔いが回っているのか、にへらと笑いながら母は御願いする。笑いながらもとても寂しそうだった。

 

「……ええ、善処致しましょう」

 

そう言ってベッドに母を寝かせて、布団をかける。

 

「むかしみたいにぃ、いっしょにねてもぉ、いいわよぅ?子守唄うたってあげるわよぅ?」

「はは……また、別の機会にお願い致します」

 

 朗らかにそう尋ねる母。流石にそれはこの歳では(当時もだが)恥ずかし過ぎるので適当に誤魔化す。

 

「……良い夢を、母上」

 

 室内を出る前にそう一声かけて見た。聞こえていたかは分からない。だが……どうしても掛けたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何用だ?私は今執務があってな、暇では無いのだよ」

 

 深夜、私が書斎に入室すれば羽ペンで何やら書類を処理する父を視界に収める。あ、壁でサンドイッチされている国父さん、泣きそうな顔でこっち見ないで。

 

「存じております。ですが、やはり直接父上から言質を頂きたいと考えまして、逸る気持ちでお尋ねした事お許し下さい」

 

 そう言って私は一礼する。今日一日の事を含め、母の性格から大方予想はついているが、答え合わせは大事だ。

 

 ちらり、と父は私を一瞥した後で元の書類に視線を戻す。

 

「……あれを宥めるのには随分と苦労をさせられた……いや、半分近くは私の責任でもあるな。その点を理解しているからこそ此度はお前の肩を持ったのだ。まず、その点を忘れるな」

「はい、良く理解しております」

 

 父の口にする言葉の意味を私は良く理解していた。今日一日は正に母を懐柔するために費やされたと言ってよい。

 

 そもそもの母が怒り号泣した理由の最大の原因は私自身にあるが、同時にそこまで私にばかり母が構うようになった理由の一因が父の不在にある事は間違いない。

 

 まぁ、三度目にして漸く無事に私が生まれた、という時に父が軍務で家に帰るのが遅くなれば当然あそこまで子煩悩にもなるだろう。軍務に就く夫がいつ戦死するか分からんのだ。必要以上に私に構うし、過保護に、神経質にもなる。

 

「あれには随分と苦労をかけた。唯でさえ重圧で情緒が不安定というのに問題児なお前を一人で世話させてしまった。色々溜めていたようだな」

 

 その口調から恐らく昨日色々泣いて懇願されたのだろう。親馬鹿、と言えばそれまでであるが母を非難する事は出来まい。極限のストレスと世間体、実家の面子、伯爵家本家の夫人としての責任と重圧があり、周囲に助けを求める事が出来る者は少ない(身内や友人ですら気軽に会う事が出来ないのだ)。それで歪むなという方が無理がある。

 

……いや、半分くらいは多分素だろうけど。

 

「ですから今日を?」

「本来ならば別の機会が良かったのだが、あれに今すぐにと言われたからな。職場や使用人共には無理をさせた」

 

 多分ではあるが、宥める父に対して母の方が所謂家族サービスでも求めてきたのだろう。父も相当無理をして時間を作ったらしい。だから母が寝た深夜にこのように積み重なった仕事を行う。デスマーチかな?

 

「私としても気難しいお前が珍しく気に入り、しかも貴重な臣下を失う訳にもいかんからな。臣下の重要性は有能か無能か以上に忠誠心の有無だ」

 

 有能な者が欲しければ食客を雇う手もある。だが、忠誠心は金で簡単に手に入るものでもない。いざという時に裏切る心配の少ない信頼出来る人手としての従士の価値は有能か無能か以前の問題だ。

 

 ましてベアトも兄妹、少尉だって少なくとも無能とは程遠い。失態の原因の大部分は私にあることも理解していよう。ならば可能な限り彼女達の肩を持とう、というのが父上の意思らしい。

 

「今日一日で、あれもお前が昔程には手をかけないでもやって行けると多少は理解したらしい。尤も幾らか条件がつけられたがな」

「条件?」 

 

疑問符をつけて私が尋ねると、父も頷いて肯定する。

 

「そうだ、お前の護衛を厚くする事、年に一回はこっちに戻って過ごす事……これは私もあれにしつこく念を押されてな。まぁ、気持ちは分からんでも無い……あれには毎日屋敷で一人で過ごさせて来たからな。その程度くらい骨を折らんとな」

 

苦笑しながら条件を列挙していく父。

 

「それと今度、お前を婚約者候補に会わせるように殺気だった目で言われた。……何があった?お前の女性問題に関しては揉め事が無ければ干渉するつもりは無いが……節度は持った方が良いぞ?」

 

 寧ろ何もないからだと思いますよー。というかさらりと人生の墓場行きの道が舗装されている事を暴露された。聞いてねぇよ、婚約者候補誰だよ。

 

「……さて、ツェツィの方は一応私から説得はした。次にいきなりお前が重傷でも負わん限りはあれも私との約束を反故にする事はあるまい、が」

 

そこで一旦言葉を切る父。

 

「それで、言い訳はお前が妻に言った通りで良かろう。お前が昔から気難しい事は知っていよう、実際に目の前で血を流す者以外信用出来ないと言っても不自然には思うまい」

 

 改めて思うがこの言い訳ガチで門閥貴族(ガチ)にも程があるよなぁ。命令一つで命捨てられる臣下をえり好みしているとか性格悪くね?

 

「それで、ライトナーの双子はどう取り扱うつもりだ?」

 

そこですよねー、問題は。

 

「今の私の階級は中尉、数か月後に大尉に昇進するとしても確かに目付をそうそう増やせません」

 

 地上軍ならばそれでも宇宙軍に比べ護衛を付けやすい。だが、私としても基本的には宇宙軍での昇進を目指すつもりだ。当然だ、金髪の小僧を始末するにも対決するにも、あるいはアムリッツァをどうにかするにしても宇宙軍での栄達をしなければ干渉は難しい。そして兄妹は地上軍だ。地上勤務でなければ傍に置く名目を作れない。

 

「無論、捨てる気はありません、が私の傍に置く事も難しい点が問題です」

 

 ならばどうするか、取り敢えずは私が昇進してより影響力を持てるまで次善の策を取る。つまり………。

 

「近年「薔薇の騎士連隊」の再編が行われていると御聞きしました」

 

使える地上戦の駒を育成しましょうかね?

 

 

 

 

 

「「薔薇の騎士連隊」……ああ、あれか」

 

父は思い出したかのように呟く。

 

 リューネブルク伯を初め縁のある幾人かの貴族が上奏し、そこに「薔薇の騎士連隊」所属の第3大隊第1中隊が惑星キャッシークでの撤退戦において同盟軍全軍の殿を務め(務めさせられ)文字通り一名残らず玉砕した。

 

 撤退に成功した兵士の多くが戦場カメラマンやインタビュアーの前で彼らの英雄的行為を賞賛し、同盟政府も事実上の敗北を糊塗する意図もあり勲章を大盤振る舞いした。

 

 亡命軍と同盟軍も注目の集まったこの機会に長年放置してきた連隊の再編に本腰を入れる事を決心したようで、暫定第10代連隊長にリリエンフェルト中佐(男爵)を指名、同盟軍全体から歴戦の帝国系陸戦兵を集めると共に亡命軍から複数名の兵員を出向させる予定となっていた。

 

尤もそう上手くもいかないもので……。

 

「リューネブルク伯も仰っていましたがなかなか有望な人材が集まらないそうです。やはりこれまでの不祥事や扱いから敬遠されるようで……」

「成程、ライトナーの兄妹をそこに押し込もうと?」

「別に悪意がある訳ではありません。リリエンフェルト男爵やリューネブルク伯爵ならば遅かれ早かれ連隊を再び精強な精鋭に鍛え上げるでしょう」

 

 実際二人、そしてその従士達も相当な腕だ。連隊に残る兵士達も劣悪な環境で生きてきた熟練兵だ。すぐにでも原作のような精鋭部隊に返り咲く事だろう。

 

そして、だからこそ今の内に恩を売る。

 

 出来るだけ早期に出世して、カプチェランカで金髪に連隊を丸まるぶつければ殺せる可能性も(多分)あるし、そうでなくても護衛役や魔術師との繋がりを持つ切っ掛け(イゼルローン攻略では必要な筈だ)、立場的にバーラトの和約後に同盟政府に暗殺される可能性もあるので魔術師のおまけで良いので救助してくれるようにお願いもしたい。そのためには連隊に我が家から人を送り影響力を出来るだけ高めたかったりする。

 

 無論、父にそこまで言えなくても近い将来連隊が精強に鍛え上げられる事は理解出来る筈。リリエンフェルト男爵やリューネブルク伯爵を始めとした貴族に恩を売る機会でもある。実際その方向で双子については弁護しようと動き回っていた。

 

「ふむ……成程な。確かに悪くはない考えだな。だが……」

 

少々呆れ気味で私を見る父。

 

「それだけではあるまい。兄妹の安全のため、もあろう?」

「……御明察の通りです」

 

苦笑いで私は誤魔化す。

 

 将来的に連隊は危険地帯に行くとしても練兵中は後方、一年半程度は安全地帯にいる筈で、その後も実戦と言っても激戦区には行かず数年は辺境外縁部の紛争や対帝国戦でも激しくない戦区での戦いが主の筈だ。あの二人ならば恐らく生き残れよう。少なくともどこかの前線部隊にいきなり叩き込まれるよりは生存率は高い筈だ。

 

「全く……今更の事ではあるが、そこまで配慮が出来るのならば最初から問題を起こさなければ良いものを。お前には昔から面倒をかけさせられた」

「も、申し訳御座いません……」

 

 少々不機嫌そうにする父に私は慌てて謝罪する。幼い頃の我儘に幼年学校での負傷、士官学校での極右騒動に戦略シミュレーション、カプチェランカの一件に先日の騒動……きっと裏である程度父が後処理で苦労した事だろう。……今更ではあるが随分と問題児だな、私。

 

「だが、問題に見合った結果は出して来たのも事実だ。……その点は評価しておくとしよう」

 

仕方あるまい、と言った態度で父は小さな溜息をつく。

 

「……お前の希望は了解した。ゴトフリートの娘は既に確保しておる。ライトナーの双子についてはそれも良かろう。リリエンフェルトやリューネブルクに恩を売れるのならば臣下達も文句はあるまい。ノルドグレーンの方は本人の怪我と実家への言付もあるし、事件に対しての事情聴取もある。二、三か月程かかるが構わんな?」

 

 後に知った事だが、父は父なりに裏でベアト達に恩赦を与えようと秘密裏に手を回していたらしい。私が地元に帰って以来逃げるように話し合いの席を設けなかったのは私から(恐らくはベアト達に懇願された事で)お願いされたと思われるのは好ましくないからだという。

 

おう、私は見えない敵と戦っていたのか。

 

「御手数をおかけ致します……」

 

深々と頭を下げて感謝の意を示す。事実上の満額回答、不満がある訳が無い。

 

「うむ……そうだな、後ラザールにも礼を言っておく事だ。お前を心配していたからな。私が臣下を宥める際にも協力してもらった」

「そ、そうなのですか……!?」

 

 流石に思いがけない台詞に私も驚く。秘密裡に相談はしたが、実際に動いていたとは聞いていない。

 

「あちらは気にせんだろうが、あれもこちらでの立場が安定している訳でもない。そんな状況で動いてくれたのだ。遠縁とはいえ同胞、借りは返す事だ」

「り、了解です!」

 

私は未だに驚きつつも敬礼で答える。

 

「うむ、もう夜も遅い。折角休暇を取ったのだろう?今夜はゆっくり寝る事だ。後、あれはきちんと持って帰る事だ」

 

 そう言って父が首を振ってある場所を示す。それに誘導され、そちらに目を向けると同時に私は驚愕に目を見開いた。

 

「べ、ベアト……?」

 

 書斎の隣部屋の扉が開いていた。そしてそこには同盟軍服に身を包む、鮮やかな金髪に紅玉のような赤い瞳の馴染み深い少女が不安げに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と従士は一言も発さずに別荘の廊下を歩んでいた。

 

「……」

 

 つい、足を止め、何かを口にしようと振り向く。その行動に驚いたのか、同じく足を止めて肩を竦ませる金髪の従士。伺うような表情で上目遣いでこちらを見やる。

 

 口を開こうとして、しかし思わず言葉に詰まる。何を言えば良いのか分からなかったのだ。カプチェランカで思わず叫んだあの言葉を思い出して私は戸惑う、が……。

 

「わ、若様……」

 

 それは目の前の少女も同じのようで、普段と違いおどおどと、年相応にうろたえていた。そこには怯えがあった。そして恐らくそれは罪悪感である事を私は理解していた。それくらいは分かる。何年傍で面倒を見て貰ったと思っているんだ、という話だ。

 

 だからこそ、私はここでやるべき事が何かを理解していた。

 

「ベアト」

「は、はい……!」

 

 私が姿勢を正して命令形で名を呼べば当然の如く体勢を整えてはきはきと答える。そこには隠してはいるが、若干不安げな感情が読み取れた。

 

「……良く戻ってきた。怪我はもう完治したか?」

「は、はい、問題ありません!」

 

 私が尋ねれば即答する従士。いつも通り受け答え一つ一つを必死に答える姿はどこか微笑ましい。

 

「そうか……カプチェランカの件は気にする必要はない。あれは私のミスだ。もっと冷静に、そしてお前達を統制しておけなかった私の不手際だ。許せ」

 

 私はまず、カプチェランカでの命令違反を私は自身の統制能力の不足として不問とする。

 

「い、いえ、あれは……!」

 

 その言葉に何か言おうとする従士に、しかし私は機先を制する。

 

「いつ私が貴様に意見を求めた、この恩知らずが、貴様は黙って自分の職務を果たせばいいんだ、従士の分際で甘えさせてやっている内にそんな事まで忘れたか」

「っ……!」

 

 カプチェランカでのあの台詞を口にすると、ベアトが肩を震わせて黙り込む。その瞳は怯えを含み、少し潤んでいた。私は暫し黙り込み……。

 

「……まぁ、そんな事言っている内は確かに統制不足だよな」

 

私はにかっ、とベアトに向け笑う。

 

「えっ……?」

 

どこか呆けた表情でこちらを見るベアト。

 

「いや、当然だ。私も門閥貴族らしくなく随分と頭に血が上っていた。余裕を持って優雅に命令するのが私の役目だ。あんな暴言を吐いている内はそりゃあお前達も不安にもなるな」

 

 指揮官が恐慌状態にあれば、それを理解していながら唯々諾々と命令に従う訳にもいかない。同盟軍でも現地の前線指揮官が激しい戦闘で摩耗した結果、指揮権剥奪される事は珍しくない。

 

「そ、そんな事……!」

 

 慌てて否定しようとするベアト。余り気取ったのは恥ずかしいが敢えて威厳を持たせるために彼女の頭に手を置いて静かにさせる。

 

「門閥貴族たる私がそう言っているんだ。素直に言葉に従う事だな。それとも私の言葉に従う価値は無いと?」

「い、いえっ!そんな事はありません!」

 

 尊大にそう口にしてみれば、全力でベアトは私の質問を否定する。

 

「うむ、お前にはこれからも私の世話をしてもらわんと困る。問題があれば解決し、危険があれば守り、足りない能力は必死に身に付けて補ってもらわんとな。まぁ、一先ず……良い珈琲豆があるから、明日お前に淹れてもらいたい。出来るだろう?」

 

 私がそう命じると、目の前の純粋で、愚かで、哀れで、それでいて一番信頼出来る従士は一瞬目を見開き、ついで自身を落ち着かせると、姿勢を正し、敬礼して口を開く。

 

「はいっ!このベアトリクス・フォン・ゴトフリート、若様のために御命令を完遂致します!」

 

 少女は、昔と変わらず、慈愛と忠誠心に満ちた眼差しで私に向けてそう答えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尚、次の日の書斎での事であるが……。

 

「早速だが、ラザールから頼み事だ、信頼出来る副官が欲しいらしい。短期間になるがラザールの元で一つ参謀体験でもするといい」

「……」

「返事は?」

「アッハイ!」

 

 そんな訳で、私は第三艦隊司令部航海参謀ラザール・ロボス少将の元でスタッフの一員としてイゼルローン回廊に向かう事になったのである。

 

………え、嘘……マジ?

 

 




よくよく考えたら母上一歩間違えたらベーネミュンデルートの可能性ありそうだったかも知れないと思った

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