帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第七十一話 きっとその御方は子供が嫌がっても授業参観に出席するタイプ

遠い記憶……セピア色の記憶の中で、幼い子供は口を小さく開いて絵を見上げていた。

 

 その子供が縦に二人、横に三人は並べる程の大きな油絵。軍服を着た兵士達が銃やサーベル、軍旗を掲げて奇怪な服装に残忍な、しかしどこか滑稽な集団と対峙していた。幾人かはその集団を追い立て、あるいは捕縛して吟味するような表情で見下ろす。良く見れば追い立てられる者達は驚愕し、あるいは許しを請う表情をしている者もいる事が分かる。

 

「もうっ!ここにいたの!?駄目でしょ、勝手に御父様の部屋に入っちゃ!」

 

 子供は後ろからの聞き覚えのある声にぴくっと体を震わせるとゆっくり振り向いた。そこには一回り大きい彼女の姉がいた。

 

「あっ……おねえさま……」

 

 バツの悪そうに項垂れる子供にはぁ、と四歳年上の姉は溜息をつく。

 

「もう、目を離したらすぐにこう、御父様との約束くらい守りなさい!」

 

 姉妹の父は、以前遊びで書類をインクまみれにし、幾つかの水晶製の文鎮を粉砕して見せてからこの妹の入室を禁止していた。

 

「ご、ごめんなさい。けど………」

 

 おどおどしつつも、妹は先程まで見ていた絵画に視線を向ける。

 

「?……その絵がどうしたの?」

 

妹の視線に気付いて姉は首を傾げる。

 

「このっ……ひと、きれーなかみしてるの!」

 

 背伸びし、ぴょんとジャンプしながら伸ばした指で描かれた一人の女性を指差す。

 

 それは背の低い鮮やかな金髪に紅蓮の瞳をした女性だった。もしかしたら少女かもしれない。周囲に比べれば幾分か粗末な服装であるが、指揮官らしき人物の傍で銃を手に守るように佇み、その鋭い視線は襲いかかる異形の軍団に向いている。

 

「あら本当。貴方と同じ綺麗な金髪ね。それに瞳も」

 

 はしゃぐような妹の指摘に、姉は興味深そうに共に絵画を見つめる。

 

「えっと……確かこれ、昔の戦争の時の絵よね?確か……」

「アンタレスじゃな。正確にはアンタレス星系第十一惑星カルブのコロサァム高原の決戦じゃ」

 

その声に姉妹は揃って怯えたように肩を竦ませた。

 

「ほほ、そう怯えるな。儂じゃよ、儂じゃ」

 

 部屋に入って来たのはしわがれた声の老紳士だった。一族の長老の一人で姉妹の大叔父に当たる人物で、二人もたまに遊び相手になった経験のある人物だった。

 

「お、大叔父様、もう集会は終わられたのでしょうか!?」

 

 動揺しつつも姉は礼節ある態度で頭を下げて尋ねる。相変わらず幼いながらもしっかりした姉だった。今日は一族の者達が集まる集会日であり、本家分家合わせて十二家、百人を越える親族が集まっていた。当然一族に仕える奉公人を含めたら人数は数倍になるだろう。そんな中で本家の者が当主たる父に折檻される醜態を見せる訳にはいかなかった。

 

「いやいや、抜けて来ただけよ。老い耄れがしゃしゃり出ると若い者は良い顔しないからのぅ。……それよりその絵に興味があるのかな?」

「は……はいっ!えっと……あのね!このひと、わたしとおなじかみなの!」

 

 叱られると思い大人しくしていた妹は、その恐れがないと察するとすぐさま強請るように指摘する。

 

「こ、こら……」

「よいよい。その娘に興味あるのだな?」

 

 にこにこと、幼い一族の末裔の燥ぎぶりを微笑ましく見つめ、老人は絵画に視線を移す。

 

「彼女は……ああ、そうじゃな。「煤被りのヘルガ」じゃったな」

 

思い出したように老紳士は答える。

 

「すすかぶり?」

「それ、名前なのですか?」

 

 姉妹は描かれた女性に似つかわしくない名前のように思えて首を傾げる。

 

「そうじゃよ。我等の主家………伯爵家開祖オスヴァルト様が召し上げた時、襤褸切れのような服装に火薬の煤で汚れ切っていたからな」

 

 そう言って説明していく。大帝陛下からの勅命により辺境で邪教を広め、人々を退廃と堕落に陥れたシンワット教の教祖を征討するため初代ティルピッツ伯オスヴァルト(正確にはこの時期はまだ帝国はなくルドルフは終身執政官であったが)は麾下の軍勢に私財を投じて雇った傭兵や義勇兵を率いてその本拠地に向かった。海賊崩れの宇宙艦隊を鎧袖一触で葬り去り、野戦機甲軍や装甲擲弾兵が惑星に揚陸し、伯爵自ら陣頭に立ち忠良な兵士達を指揮した。

 

「無論、我らの先祖も共をしたぞ?憲兵隊長として義勇兵を指導しつつ、先頭に立って邪教徒共と銃火を交わせたのじゃ。士気は兎も角、義勇兵共は興奮すると略奪をしかねんからな。先頭で監視せんと」

 

 邪教団は追い詰められると遂にはサイオキシン麻薬で洗脳した女子供まで兵士として投入してきたという。当初は無傷で捕虜にしようとしたが遠隔操作の爆弾で自爆攻撃が行われると伯爵は自身の責任の下に部下の生命と教団壊滅を優先して無差別攻撃を実施したらしい。

 

「そして教団の本拠地まで進み、オスヴァルト様は十名にも満たぬ兵士を率いて遂に教祖を最奥の間で捕らえた」

 

 その際教祖の親衛隊に所属し、捕虜となった少年兵の一人がヘルガだった。まだ幼いが顔立ちが良いのと兵士としての筋が良かったために親衛隊に配属されていたという。実際暗闇の中、暗視装置も無くオスヴァルトの左肩を撃ち抜いたのだ。最後はオスヴァルト自身が取り押さえて辛うじて捕虜としたと言う。

 

「その際に捕虜となった兵士達は、結局大半はそのまま伯爵の軍勢に編入され、その旗の下で辺境各地で正義のために戦う事になった」

 

 出来れば両親の下に返すなり、孤児院や里親に出すべきであっただろうが、既にこの時期長引く連邦の混乱により、社会保障制度は崩壊、辺境に至っては無法地帯だった。怪しげな教団の少年兵なぞ誰が引き受けようというのか?切迫した社会は脛に傷ある者達に冷たかった。道徳的に堕落したこの時代、両親を探す事すら困難だった。

 

 結局今更一般社会に戻る事は出来ない。また、辺境を平定する勅命を受けたオスヴァルトにとってあらゆるものが不足していた。時間も、資金も、文官も、兵士も。

 

 そのために彼らは改宗と共に正しい道徳と軍事教練を何年もかけて仕込み、伯爵の指揮の下で各地を転戦する事になる。彼らとしても戦う以外に食べていく道を知らなかった。食べさせてもらえるならば誰の下でも戦った。後に伯爵家の私兵軍で代々忠誠を捧げて戦う従士や奉公人の士族も、この時代はまだ正規軍と傭兵、少年兵と義勇兵の寄せ集めだった。

 

「彼女は若くして優秀な兵士であり、良き臣下じゃった。あっと言う間にオスヴァルト様の従卒となり、幾度となく暗殺の魔の手からその御命を御救いした。一度は自身の両腕を犠牲にして爆弾から伯爵を御守りした程だ」

 

 実際、その忠節は大帝陛下にも聞こえ、忠臣を身を挺して守り抜いたこの従卒の義手を皇帝自らが下賜した程だ。

 

「当然、伯爵家の忠臣は従士として迎えられた。苗字が無い故に伯爵自らが一族の名を決め、頂戴する名誉に浴したのじゃ。その血は今も脈々と受け継がれておる」

 

そう言ってから老人は妹の頭を撫でる。

 

「うむうむ、やはり母親と同じヘルガの髪と瞳を受け継いでおるな。その髪と瞳は彼女の血筋じゃよ」

 

 そう言うと妹は一瞬ぽかんとした表情をして、すぐさまその瞳を輝かせる。

 

「じゃあ、このひとわたしのごせんぞさま!?」

「そうじゃ。お前さん達の母がヘルガの一族の出だからな」

「私は金髪じゃないわよ?」

 

 自身の髪を指で弄りながら姉はそう口を開く。その髪は妹と違い鉄色がかった黒髪だ。

 

「お主はノルドグレーン一族の血の方が濃いからの。ほれ、そこにおるじゃろう。お前や父と同じ髪色じゃ」

 

 老人が指し示す先には賊を捕らえる鉄色がかった黒髪の憲兵の姿。初代ノルドグレーン家当主カールの雄姿がそこにある。

 

「……我らが一族は先祖を辿れば銀河連邦の警察官僚に辿りつく。謀殺される寸前にオスヴァルト様にお救い頂きその下で帝国建設のために多くの悪党共と戦ったのじゃ」

 

 正義を信じる若き警察官僚ノルドグレーンはテオリアの五大犯罪組織ソウカイヤの犯罪の数々を告訴しようとし、裏で結託していた上司に疎まれ危険な辺境に左遷された。そこで見計らったかのように宇宙海賊に襲われ、殺される寸前の所、大帝陛下の命で辺境に出征していたオスヴァルトに助け出された。

 

 そしてその下で多くの不正を糾弾し、海賊やマフィア、犯罪組織との抗争、総督府では社会秩序維持局の支局長として治安維持を受け持った。帝政時代になると伯爵領でのスパイ狩りや劣悪遺伝子排除法の実施を主導し伯爵家の「ハウンド」の設立にも関わっている。カールの次男ロベルトは父の下で経験を積み、後に初代ファルストロング伯爵より社会秩序維持局行政本部長の席を与えられ、組織の統制・監査・警備・会計事務等を司り局内への反帝国工作員浸透の阻止と摘発にその力量を示した。

 

「オスヴァルト様の引き立てにより従士に任じられ、庇護される事で今現在、我ら一族の繁栄があるのだ。故に我らは伯爵家とその血筋に忠誠と奉仕を持ってその大恩に報い、臣民の範とならねばならぬ」

 

 標準的な従士的思考を有している老人はそれを心から信じていたし、嘘ではない。経済的にも、法的にも、世間体からも従士は門閥貴族の保護を得られるため大半の平民よりも豊かだ。仕事の斡旋があり、高給が支払われ、裁判や契約における後ろ盾や保証人にもなる。祝い事があれば多くの祝い品が贈与され、功績を上げれば報酬が下賜される。一族に何かあっても残った者は手厚く面倒を見てもらえる。

 

 多くの利益を享受し、伝統を受け継ぐ、それ故に事が起きれば主家のために一命を賭してでも義務を果たさなければならない。そうでなければ一族の価値は乞食にも劣る無駄飯食いの恥晒しと謗られよう。

 

「は、はい!大叔父様、肝に銘じます!」

「うん、わかりました!」

 

幼い一族の末裔の拙い、しかし元気のある返事に老人は優し気に微笑んだ。

 

 その直後だった。一族の当主たる父が部屋に来たのは。

 

 びくっと妹は大叔父の足元に隠れる。尤も、父はそんな末娘の事は気にせず、堂々とした立ち振る舞いで、しかしどこか弾んだ面持ちで姉の方に向かいその名を呼ぶ。そして当主としての命令を伝える。

 

「お前は明後日から伯爵邸で住んでもらう。御子息様の付き人としてな」

「えっ……?」

 

姉が漏らすようにそう呟いた。

 

「極めて名誉な御役目だ。細事に至るまで御子息様を御支え申し上げよ。失態は許されん、心して備えよ」

 

父は、真剣な面持ちで、かつ重々しくそう自身の娘に語り聞かせる。

 

 妹はその内容と雰囲気に何処か不安そうな表情を浮かべ姉を見やる。当の姉はあっけに取られたような表情を浮かべ、傍目からも驚愕している事が分かった。動揺と緊張と僅かの歓喜の入り混じった表情。

 

 そして、一抹の寂しさを感じた妹はつい姉に向かい抱き着いて………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢……ですか」

 

 カーテンで日差しを遮られた室内に凍えた声が木霊した。

 

 嫌な夢だ、と思いながらも彼女はすぐにベッドから起き上がる。

 

 起き上がると暗闇の中でも鈍く光る長く薄いブロンドの髪が重力の法則に従い、幾らかは肩口にかかるものの殆どは櫛で研いだ後のように真っ直ぐに下に落ちた。この癖の少ない金髪は母方の始祖から脈々と続く遺伝であり、同じように兄弟姉妹、それに従兄弟従姉妹の幾人かは色の濃淡こそあれ、同じものだった。

 

 眠気を完全に押し殺し、寝巻きのシャツ一枚で立ち上がる。貴族階級たる者、賤民の如くいつまでもぐうたらと情けなく惰眠を貪る訳にはいかないのだ。

 

 寝汗と共に眠気を洗い落とすためシャワーを浴びる。同盟軍のシャワー室は効率重視の狭くて味気のない個室だがこの際は仕方ない。寝ている間に皴の出来たシャツを鈕一つ一つ外して脱ぐとシャワー室に入り熱いシャワーを頭から浴びた。あくまでも汗を流すためなのでそこまでしっかりと洗う必要はない。五分程度でさっさと上がるとタオルで体を拭き取り、箪笥から白いレースの下着と同じ色のシャツを取り出して身に纏う。

 

 そのまま湯冷めせずに僅かに火照る体で洗面台に立った。冷たい水で顔を清め、歯ブラシを手に入念に洗口する。一欠片の虫歯もない白い歯を維持する秘訣だ。

 

「ふぅ……」

 

 それらを終えると小さな溜息をつき、その足で立て鏡の前に向かった。然程手入れも必要ない髪ではあるが、シャワーを浴びたためドライヤーで軽く乾かした後に櫛で髪型を整える。ドライヤーの電力を調整しなければ毛先が焦げてみっともないのでその点については細心の注意を払う。

 

 同盟軍制式採用の士官軍装のスラックスを履き、カッターシャツ、スカーフを首元で締め、ブラシをかけた上着を羽織る。

 

 自身の顔立ちの良さを理解しているため、最低限の控えめな化粧のみをし、最後にベレー帽を被り、彼女は改めて姿見の前に立った。

 

 歌手のように発声練習をする。数回咳き込んでから小鳥の囀ずりのような優しい声が響く。

 

「………」

 

冷たい視線、整っているが表情に乏しい顔、これではいけない。

 

 瞼を僅かに閉じ、口元を仄かに吊り上げ笑みを浮かべる。するとそこには先程と違い温かみがあり、優しげに微笑む軍服姿の女性がいた。

 

 少なくともその外面にはどこにも落ち度はないように彼女には思えた。それは自惚れではなく客観的な事実だ。ゲルマン系らしい金髪に染みのない白い肌、赤い瞳は意志の強さがあり、それを口元の微笑が和らげていた。腰が括れ整ったスタイル、真っ直ぐに伸びた背筋は自信を、正しい姿勢は気品と落ち着きを印象付ける。見るからに仕事も出来そうだ。

 

 まず、魅力的な女性士官と言って良い。当然だ。そのように育てられたのだから、当然なのだ。

 

「………」

 

 一瞬だけ自虐的な笑みを浮かべると、すぐに優し気な表情に戻る。昨日の内に用意しておいた職務用の書類を詰めた手持ち鞄を手に取ると颯爽と玄関に向かう。

 

「……忘れる所でした」

 

 体の向きを変えて、一旦立て鏡に戻る。硝子製の瓶に入った香水をテーブルの上から手に取ると軽く自身の髪に吹き掛けた。

 

そして改めて玄関へと向かう。

 

 ………人気の消えた室内には爽やかな柑橘系の上品な香りが立ち込めていた。

 

 

 

 

 

 宇宙暦785年の始まりと共に最前線の戦闘は一層激しさを増した。昨年11月頃数十隻単位であった艦隊戦は12月には数百隻単位、今年1月中旬時点で分艦隊規模の会戦が既に三回勃発し、その全てにおいて同盟軍は勝利した。2月下旬頃にはダゴン星系より同盟側の実質的制宙権は同盟軍の手中に収まる事であろう。

 

 無論、優勢であるからと言って何も問題が無いか、と言えば別問題である。既に今年に入ってからの戦死者は七万名、負傷者は二十万名に達しておりシャンプールの受け入れ態勢は前年からのそれを含め飽和状態に近づきつつあった。艦艇や装備の修理、武器弾薬の補充など、その他の後方支援体制も随所で悲鳴を上げつつある。

 

 国境に近い諸惑星も同様である。アルレスハイム星系統合軍は星系内の待機状態であった補給基地四か所の再稼働を始めた。予備役にあった三万名の後方支援要員がハイネセンから派遣される。同時に前線に向かう前の休息を取る同盟軍兵士がヴォルムスの街を散策する姿が増加し、空を見上げれば戦闘による損傷を修理するために衛星軌道に待機する艦艇の姿が薄っすらと確認出来た。

 

 当然の如くトラブルも続発する。今月の2日にはバーで同盟軍と亡命軍のパイロットが酔いに任せて乱闘を行い三十名以上が逮捕、店に対して7000ディナールに及ぶ損害を与える事になった。7日には前線に向かう予定の同盟軍兵士四名が武器を持ったまま部隊から脱走、エッセン市では捕縛まで戒厳令が敷かれた。11日には同盟軍人が休暇中にナンパをした結果相手の父親に決闘を申し込まれ負傷して双方が取り調べを受ける事になった。

 

 惑星人口だけでも6500万、一時滞在を含む駐留同盟軍人は既に三十万を越えようとしていた。当然のように地域調整連絡室には毎日のように苦情や陳情のために電話が鳴り響く。

 

 内心で、心底下らない業務だと思いつつも、その事はおくびにも出さず粛々と果たす。決して難しい事ではない。法律関係ならば元々専門分野であるし、地元住民との話し合いも難しいものではない。大抵彼らは法律面の知識なぞないし、権威に滅法弱い。フォンが名に付く人物であると知るだけで大概はその声のトーンは急速に小さくなる。

 

 それでも彼女は諍いと問題の放置が招く結果は知っていたため礼儀正しくその用件を聞き「ある程度」可能な程度の調整は行っていた。その方が同盟の「ハイネセン的共和主義者」の心象を良くし、円滑な業務の上で有効である事も、ひいては自身の護衛対象の立場をより強固にするであろう事も理解していた。自身が派遣される時点での前任者からのフィードバックは十全にしてきたつもりだ。

 

「新年明けから酷いものだな、毎日揉め事だらけじゃないか。これでは数か月後が思いやられる」

 

 1150時、隣のデスクより響いた声にノルドグレーン本家の血を引く彼女は視線を向ける。そうすれば同盟軍士官軍装に身を包む一回り背の高い青年が映り込む。

 

 代々顔立ちの良い血を取り込んだ貴族階級の例に漏れず整った顔立ち、一見すれば母方の血が強いのか線が細く思えるが、その気難しそうにする表情は父方の宇宙艦隊司令長官のそれに似ている事を彼女は知っていた。高貴にして神聖不可侵の母方には幼い頃何年か小間使いとして仕えた経験があるし、父方とは液晶画面越しではあるが毎日顔を合わせていたから。

 

「若様にとってはやはり武門の家柄として前線で武功を立てる方が御好みでしょうか?」

 

 彼女は自身の「主人」として命じられている青年にそう声をかける。それはある種の監視であり、観察であった。

 

 地域調整連絡室……凡そ同盟軍の中核を占めるエリート層士官学校卒業生を配属するには似つかわしくない部署だ。このような雑用部署、本来ならば予備役士官学校や幹部候補生養成学校出身者が配属されるような所である。士官学校席次1000位以上の準上位席次卒業生、まして同盟軍名誉勲章を授与された身が着任するのは明らかに役不足である。連隊相手に数名で戦い抜いた軍人ならば不満を持っても可笑しくない。

 

 この役職への着任は複数の人物の思惑が複雑に絡まった結果であった。

 

 第一に意見したのは主家が伯爵夫人である。明らかに息子を溺愛していた夫人にとっては初任地で弾除けが役に立たず息子が死にかけるなぞ考えてもいなかったに違いなかった。故に前線任務から外し、かついつでも問題があれば助けられるように地元への着任を夫や神聖不可侵なる皇帝陛下に強く求めた。

 

 第二に意見したのは軍務尚書であった。伯爵家分家筆頭は前当主が次期当主共々ヴァルハラに旅立った後、混乱する一族内で長老として現当主を擁立し、皇族との婚姻も取り付けた。決して私欲ではなく一族の安寧と平和のためにそれらを実行した身からすればようやく生まれた次期当主が戦死して再び後継問題を紛糾させたくなかった筈だ。あるいは後方の事務畑を歩かせようと考えたのかも知れない。

 

 第三に意見したのは星域軍司令官ブロンズ准将であった。イゼルローン要塞攻略戦に向けたこの時期に准将自身がその経歴を調べた上で強く地域調整連絡室への着任を依頼したと彼女は聞いていた。当初はその理由は理解出来なかったが恐らくは調整役としての適性を少ない資料から読み取ったのだろう。士官学校上位席次卒業生はこれだから油断出来ない。それとも情報畑出の嗅覚か……。

 

 兎も角このような思惑が合わさった結果が現在の経歴に不相応な役職の原因であった。

 

 もし自身の「主人」が今の役職に不満があれば、彼女はやんわりとそれを懐柔する事が彼女に課せられた幾つかの役目の一つであった。

 

「いや……与えられた職務を果たす事が最優先だ。少なくとも同盟軍は帝国軍や亡命軍と違いそういう組織だ。そんな中で独走は宜しくないな。それにこういう仕事を経験すると言うのも悪くはない」

 

……尤も、その必要は無さそうであったが。

 

 誤魔化している訳でも、無理している訳でもない。強いて言えば複雑そうな表情で彼女の「主人」は答えた。落ち着きつつ、自制的に、理性的に答える姿に彼女は正直な話、意外に感じていた。

 

決してその名誉を謗る訳ではないが、「門閥貴族」という存在は我の強い者が多いのが事実であった。

 

 それ自体は罪ではない。周囲の意見に流されず、自制と理性を持ちつつも必要であれば冷徹に自身の意志を貫く貴族精神……アーレ・ハイネセンが唱える「人類が持つべき四概念」で言う自由・自主・自尊・自律の体現は必然的にそれを求めるのだ。強い意志と指導力が無ければ衆愚は指示に従わず身勝手に我欲を満たすだろう。あるいは人類全てがそれを体現出来れば良いのだが、現実には未だ為されず、結果選ばれし貴族が一際強い意志で民衆を導かねばならない。故に門閥貴族はより強い意志を志向する必要があり、それは賞賛されるべき事である。

 

 尤も、オーディンの門閥貴族はその点で堕落していた。自尊が自律を食い潰し、自主は独善に、自由は我儘にとって代わっているのだ。そしてその意味においてこの地に住まう貴族達こそが大帝陛下の理想を体現し、その遺志に従う真の貴族だ。オーディンのかつての同胞は恥を知るべきであろう。ヴァルハラでどの面下げて大帝陛下に相まみえるつもりか。

 

そしてその意味で彼女は彼女の「主人」は思いのほか上手く適応しているように思えた。

 

 周囲に合わせつつも貴族としての自尊は忘れず、自律しつつも自主的に、自由な視野を持って職務を全うする事が出来ていた。昨年の聖誕祭の件も含め何件かの案件の処理でその片鱗は垣間見る事は出来た。

 

「それにしても事務処理が早くて助かる。迅速に、正確な事務をしてくれるとスムーズに案件が片付くからな。数字が違ったり、説明不足な部分があると修正や確認のために時間がかかるし、相手の心象も悪くなる。非常に助かっている」

「いえ、滅相も御座いません」

 

 書類を見ながらそう自身を褒める「主人」に微笑みながら儀礼的に彼女は答えた。そう、儀礼的な、形式的な返答、その微笑みも所詮は形だけのものに過ぎない。その筈であるが、内心で感動を感じるのはやはり自身が従士の血族であるのだと自覚させられる。同時に複雑な気分になる。

 

「……そう言えば昨日の窃盗事件はどうなっている?」

 

 思い出したかのように尋ねるのは先日の同盟兵士が市民の自転車を窃盗して乗り回した件だ。若い新兵が学生のノリでやらかしたらしい。一応既に拘束して自転車は被害者に返還、被害者側も特に裁判沙汰にする気はなく終わったがそれだけでは終われない。

 

「はい、部隊の方で書類送検にされ、罰則が与えられたようです。流石に訴えられなくても罰が無いのでは軍組織としての規律は維持出来ませんので」

「だろうな。官報の方に載せたいが、広報部との相談がいるな」

 

 後から事件を公開するより先に公式記録として公開した方が市民感情から見て良いに決まっている。大した事件ではないので同盟軍の名誉をそこまで傷つけず、寧ろその軍規を知らしめる上では都合がよい事件ではある。無論、それでも管轄の広報部に話を通す必要はあるが。

 

ふと、室内にチャイムの音が鳴り始めた。

 

「皆御苦労。一旦仕事を止めて休憩しなさい。残りたいなら私に予め伝えてくれ。夜もそうだが勝手に残業されても残業代を出せん」

 

 コクラン大尉の言葉と共に室内の事務員が背伸びをして雑談を始めた。あるいは昼食のために部屋を出る者、弁当を用意する者や買い出しに出る者もいる。軍隊であっても後方の事務は民間企業と変わらないように思えた。

 

「若様、本日は……」

「ああ、そうだな。業務も余裕があるし行くか」

 

事務の手を止め、立ち上がる「主人」に続き彼女は部屋を出た。無論、襲撃を最大限警戒してである。

 

 基地内には平時でも二万名、有事には数十万名が駐屯する事になるため合計して五つの食堂が存在していた。持ち場から最も近いのが二つ隣の北第1ビルA棟の基地内食堂である。

 

 数千人が同時に食事が出来る基地内食堂は、しかし大抵の同盟軍所属の貴族士官はやはり雑多な身分が一同に集まり食事をする環境になかなか慣れず、士官室で態態食事を取る者も少なくない。

 

 その意味では目の前の二人は変わり種であると言わざるを得ない、食事をしながら不敬を承知しつつもノルドグレーン少尉にはそう思われた。

 

 食堂の一角に座り食事を取る片方は彼女の「主人」、もう片方もなにか武勇で名を轟かせた人物であった。

 

「流石リリエンフェルト中佐だ。狙撃だけでなく、野戦指揮も戦斧術も、教官としても優秀な方だ。機械音と手話でコミュニケーションを取ろうとする事以外は完璧ですよ」

 

 ヘルマン・フォン・リューネブルク大尉……いやリューネブルク伯ヘルマン氏は食事(当然メニューは帝国風だ)を取りながら上官について語る。

 

 「薔薇の騎士連隊」……その名前自体は聞いた事がノルドグレーン家の彼女もある。正式名称を同盟宇宙軍第501独立陸戦連隊、亡命政府がスポンサーとなり結成された宣伝用部隊の一つであり、しかし度重なる不祥事から事実上解散同然の部隊となっていた筈だ。連隊司令部は持てず、中隊・大隊単位で宇宙軍陸戦隊総監部で運用されている、とまでは聞いていたが、どうやら聞き耳を立てている限りの情報を纏めると近々再結成されるらしかった。

 

「噂には聞いていましたけど、本当にあの人自分で話さないんですね……」

 

 半分苦笑いを浮かべながら「主人」は口を開く。一説では事故か戦傷によるもので常に仮面(何故か髑髏。但し祭事にタイガーマスクやペストやカボチャマスクをしていた目撃情報、仮装舞踏会でベイダーな暗黒卿の仮装をしていた事実有り)をつけ、声帯による会話が出来ないというリリエンフェルト男爵家当主ヘルムート・フォン・リリエンフェルト中佐は、それ以外では英雄と呼ぶに相応しい人物である事も事実だ。

 

「どうですかな?都合が付くならば卿の知り合いから優秀な陸兵を紹介してくれないかね?連隊は急速に整いつつあるが、やはり人員の方がな。……曰く付きの部隊では志願者が増えん。未だ定員の7割程度しか揃わん」

「幾人か興味を持ちそうな者はいますが……今の状況ですと戦列への参加は何時頃と想定されていますか?」

「今年中は無理だな。来年の中頃には最終的な編成と練兵が終わるか、と言った所か」

 

 やはり精兵が多く残っているとはいえ、連隊司令部の復活と部隊再編の作業は一筋縄ではいかない。これまでの中隊・大隊単位で運用から連隊単位の運用とでは求められる役割と戦術、装備が違い兵士に施す訓練も様変わりする。

 

「旦那様はまた連隊勧誘の御話か」

「仕方ありません。前当主が育てた部隊、いうならば形見のようなものですから」

 

 ノルドグレーン少尉はカウフマン中尉、ハインライン中尉に視線を向ける。テーブルの対面に座る彼らはリューネブルク伯爵家に代々仕える従士、ようは彼女の同族である。共に胸元に一等鉄十字章と同盟軍殊勲章が輝いており、若いものの、古参兵にも一目置かれる程度の実力は十分にあった。

 

 ちらり、と自身の胸元を見る。幾つかの技能章はあるものの、勲章どころか負傷章や従軍章の一つもない。予備役であり、かつ後方職種である故であり、それ自体は罪でない。後方の事務や支援職だって軍事組織には必要不可欠な存在だ。同盟軍上層部にも一度も戦場経験がなくとも将官や重要役職にある人物は幾らでもいるし、彼らは臆病でなければ無能でもない。その能力は同盟軍にとって必要だからこそその役職と地位に辿りついたのだ。

 

 それでも、やはり実際に対面すれば劣等感を感じてしまう事は人間である以上仕方の無い事だ。

 

「どうでしょうか?ノルドグレーン少尉が知る限り、推薦出来そうな方はおりますか?」

 

 カウフマン中尉がふいに話を振って来たために僅かに彼女は動揺した。

 

「えっ?……ああ、そうですね。私の一族は事務屋が多いので。最低限の陸戦技能はありますが一線級となると……やはりライトナー家の者、それにクラフト家やローデン、後家格で少し落ちますがエクヴァルト家くらいでしょうか」

 

 伯爵家に仕える従士家の中で陸戦系の一族の名前を口にしていく少尉。

 

「クラフトとエクヴァルトの家は戦地で会った事があります。連隊にクラフト家の分家筋から一人既に入隊している方もおりますし。その方は戦斧術がかなりの練度でした。やはりティルピッツ家の従士の層は素晴らしいものです」

 

 ハインライン中尉が出された名前に関心を持ったように口を開く。

 

「いえ、御二人こそ勇名は聞こえております。初陣で三名で小隊を全滅させたとか?」

「いや、あれは半分程旦那様一人で片付けてしまいましたので。我々は殆どお役に立てず……」

 

 そうは言うが小隊は最低でも三十名はいる。半分でも十五名、一人で七名の敵兵を初陣で屠るのは尋常ではない。

 

「それこそティルピッツ様の初陣は我々以上でしょう、連隊相手にあれ程の戦いをして見せるとは。旦那様も陸戦隊志望を望んでくれたら、とぼやいておりましたし」

 

 ははは、とカウフマン中尉は逞しくいかつい顔を緩めて微笑む。巨人が笑っているようにノルドグレーン少尉には思えた。

 

 同時に意識させられた。……自身の前任者がそのような戦いに身を投じていた事に。自身と違い実戦経験を経た者である事に。

 

……その後の食事は妙に食事が味気ないように彼女には思えた。

 

 

 

 

 

 昼食後の昼から夕刻に入りこの部署の仕事量は増加する。

 

「ザクセン州の方で揉め事だそうです。現地の分室では手に余るそうなので少し出ます」

「来週の第460師団の受け入れ基地が周辺自治体にまだ連絡出来ていないそうです。集会と説明会の準備が必要でしょう」

「レンタルカーでスピード違反した同盟軍人の引き渡しをしたと警察から電話がありました!」

「ちょっと法務部との打ち合わせに行ってきます!」

 

 死者が出るような大事は滅多にないが、それでも小事件や連絡、打ち合わせや交渉により室内は慌ただしくなる。

 

 しかし、彼女は自身の事務処理能力に自信を持っていた。彼女にとって大抵の問題ならば解決するのは難しくなかった。大抵の問題は……。

 

「ええ、そうです。……はい、それでは宜しくお願いします」

 

彼女の「主人」がゆっくりと受話器を切る。

 

「はぁ、これはまた随分と面倒だったな」

 

 苦笑いを浮かべる「主人」。地位協定により公務外における民事事件は亡命政府の裁判所での裁判が基本であり、新証拠で犯人引き渡し特定こそ出来たが当の本人は軍務でシャンプールにおりその対応で揉めていた。しかし最後はどうにか「主人」が話を纏め上げてシャンプールからヴォルムスへの護送で決着が着いたようであった。

 

「相手が生真面目な性格で良かった。冷静に話を聞いてくれた」

 

 ノルドグレーン少尉と対応したシャンプールのムライ少佐は彼女以上の法律通のようで法律のグレーやマイナーな裏技的解釈で対抗してなかなか引き渡しに応じなかった。彼女の「主人」は細々とした法律解釈ではなく、過去の判例……しかも立場が逆の際のそれを記録から掘り起こしてそれを盾にしてどうにか引き渡しに応じさせる事が出来た。

 

「……申し訳御座いません。私の勉強不足の結果御手数をおかけしました。…実にお見事な手腕でございます」

 

少尉は頭を下げ、謝罪と共に「主人」の戦果を称える。

 

「いや、向こうも暗にそう言っていたからな、彼方としても法律的には引き渡しが妥当だと思っていたと思うが……恐らくあの口調からみて上司辺りに引き渡すなと強く言われていたんだろうな。多分反対したら案件から外すとでも言われたんじゃないか?」

 

 だからこそ遠回しに過去の、しかも両者の関係が反対の場合の判決を調べるように伝えてきた、と語る。話によれば過去の判例を否定する訳にもいかないので仕方なく引き渡す、という体裁を整えるように無言の内に提案してきたのだ、と語る。

 

 態々自身の傷になるような事をするか?などと不審に思うがここで口にすべき事ではないだろう、と少尉は考え、改めて謝罪する。

 

「……私の機転が利かず、洞察出来なかった事、お許しください」

「いやいや、気にしなくていい。私も横から聞いていて気付けた事だ。正面から相手が勝つつもりで口喧嘩になれば多分勝てないだろう。本気出したら多分銃殺刑ものでも無罪に出来そうだな。あの知識量と機転は凄い」

 

と、何かを思い出すように苦笑いを浮かべる「主人」。

 

「……いや、あの口調、秩序と規則が服を着て歩いていそうな雰囲気だと思ってな」

「は、はぁ……」

 

 ……微妙に分かりにくい例えに彼女は自信なさげにそう答える。

 

 そんな事がありつつも、1900時には一応の業務は終わる。無論、深夜にも事件やトラブルはあり得るし、惑星の反対側は朝を迎えた所だ。そのため各地の分室はこれから仕事であるし、本部にも複数の緊急対応要員が控える事になる。尤も、それは所謂ローテーション制であり、残業代も出るのでそこまで辛い仕事と言う訳でも無い。

 

「それでは先に失礼します」

「ああ、御苦労さん」

 

 デスクの書類を整理し、幾つかは持ち帰って「主人」と共に残業組の事務員に退室の挨拶をして部屋を出る。

 

 そのまま夕食を食堂で、今度はロボス少将と共に取る事になる。「主人」と少将の会話に聞き耳を立てながらも、周囲の襲撃に注意する。

 

 食事も終えた2000時、所謂士官用宿舎に向かう。同盟軍の士官階級、特に亡命貴族出身者は大概基地の大型浴場ではなく自室で入浴する。そして彼女の部屋は「主人」の隣であり、途中まで同行するのは当然であった。

 

「それでは本日も御苦労だ。就寝前にゼーハーフェンでの陳情の内容に目を通す位はしてくれ」

 

 自身の部屋への扉のドアノブに手を触れながら「主人」は思い出すように尋ねる。

 

「了解致しました。若様の方も、何事か御座いましたら私が御対応致しますのでどうぞ御遠慮なく。()()()()()()()()でも何なりと御申し付け下さいませ」

 

 にこやかに、優し気な表情と声には、しかしどこか粘り気と不穏な空気があった。その瞳は妖艶な雰囲気が僅かに感じられた。

 

「あ、ああ……そうだな。その時には遠慮なく頼もうか」

 

 不穏な空気を感じ、半分逃げるように視線を逸らし(しかし襲撃に備える足の構えであった)、若干警戒しつつも部屋へと入る「主人」。表情を崩さず、敬礼してそれを見届ける。

 

そして、暫しの間その体勢を維持する。

 

「駄目ですか……」

 

淡々とした口調でそう呟くと自身の部屋に向け踵を返す。

 

……その表情には既に温かみも、感情も見てとれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い自室内でノルドグレーンの娘は、時間が来たために固定端末のテレビ電話機能を起動させる。

 

「………奥様、ご尊顔を拝する栄誉を与えられました事、誠にありがとうございますテレジア・フォン・ノルドグレーン少尉、これより定時連絡をさせて頂きます」

 

彼女は液晶ディスプレイに映す主人に向け頭を下げる。

 

 長い銀糸の髪に白い陶磁のような肌。その物腰からは高貴な印象が感じられる。気品と高慢と共に産まれたかのような貴婦人……。

 

 偉大なる黄金樹の末裔たるツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人は扇子で口元を隠しながらも、異様に上機嫌な雰囲気であった。しかし、ノルドグレーン少尉はそれがいつもの事である事を知っていた。

 

「細かい挨拶はいいわ。ねぇ、それよりあの子はどう?ちゃんと仕事は出来ていたの?御飯は食べた?怪我したりしなかった?まさかとは思うけど虐めなんてあっていない?」

 

 映像が繋がって挨拶もなしでの早々矢継ぎ早の質問に、しかしそれはいつもの事だ。ノルドグレーン少尉は営業スマイルと共に粛々と今日一日の報告をする。

 

 ある意味では彼女の最大の仕事がこの一日の報告であったかも知れない。彼女は主家夫婦双方から別個に監視任務を受けていたがその本質は全く違った。伯爵家の当主たる宇宙艦隊司令長官からの命令は軍務としての公的な命令であり、それは職務の経過報告であった。レポートでの数日に一度の報告に過ぎず、それも勤務態度の報告に等しい。軍人としての役目を果たせているか、の報告だ。

 

 一方、夫人からのそれは完全に私的なものであった。溺愛する息子の「御守り」としての監視を仰せつかっていた。出来の悪い前任者の代わりに彼女が「主人」を守り、支え、面倒を見るように命じられ、その上で息子が困り、あるいは怪我に合う事がないかの保護するのが役目であった。

 

「はい、本日も誠に健やかに御過ごしで御座いました。まず……」

 

 そう言って彼女は今日一日の「主人」の経過を伝えていく。夫人はにこやかにそれを聞いていた。それだけ自身の子を可愛がっていた。自身に産まれた唯一の子供を。

 

「そう、今日も怪我をしたりしていないのね?良かったわ」

 

 報告を聞き終えると心底ほっとした表情を浮かべる夫人。

 

「やっぱり地元で仕事させるのが一番ね。前線でいい加減な上司のせいで怪我したら大変だもの」

 

 この夫人は武門の家に嫁いだ身として子供が軍人になることは当然と理解していた。と、同時に彼女には軍人となる事と戦死や戦傷は繋がらないものであるらしかった。彼女にとって息子の側に弾除けや盾艦があるのは当然であり、負傷、まして戦死なぞ有り得ない事のようだった。そんな事、想像もしていないのだ。

 

 故に、ノルドグレーン少尉の前任者に対して最も怒りを示したのはこの夫人であった。息子に寵愛を受けながら一番大事な所で役に立たない道具に何の価値があろう?

 

「……あの子の御願いは聞いてあげたいけど母としてここは心を鬼にしてでも守って上げないといけないわ」

 

 悲しげな、決意に満ち満ちた表情を浮かべながら夫人は語る。

 

 幼い頃は手間がかかる子であったが、それはそれで母としては可愛いかった。無論、今は立派に軍人になったのだから一層可愛いに決まっている。だからこそ、そんな息子が小さい頃からの御気に入りを取り上げるのは心が痛む。

 

 だが、それでも母親として息子の安全は守らなければならない。その義務感から難色を示す夫に駄々を捏ねたのだ。結果、夫人は自身が知る上で最も息子の御気に入りに外面が似た、しかも安全な後方勤務に秀でた「新品」を息子の傍に用意する事が出来たのだ。夫人はそれを息子のための愛情と本気で信じていた。

 

 「期待しているわよ?貴方は良く気の利いた娘だったから。あの子の事もちゃんと言う事聞いてあげるのよ?前の物のように甘える事なくきちんと役目を果たしなさい。分かるわよね?」

 

 にこりと微笑みながら、しかし最後に釘を刺すように語る夫人。前の道具のように我が子の寵愛に胡坐を掻いて、義務を忘れないように、という事だ。

 

「重々承知しております。奥様。若様の御身は一命に賭して御守り致します。どうぞお任せ下さいませ」

 

 恭しく答える少尉。その礼節と気品に満ちた返事に満足した夫人はニ、三言息子の事を質問した後、通信を切った。

 

 液晶ディスプレイからの光が消え、部屋は暗くなると共に再び静寂が包み込んだ。

 

「……正に代用品ですね」

 

沈黙を破るように此度の人事の裏事情を知る彼女は小さく呟いた。

 

 「代用品」……彼女は自身の主人がそう呟いた事を聞いていた。成る程、確かに今の自分は「代用品」だ。替えの聞く道具に過ぎない。夫人はきっと今でも可愛い息子がお気に召さなかった場合に備え次のスペアを探している事だろう。

 

「……代用品でも構いません」

 

 光源の無い薄暗い室内でふと、ノルドグレーン家の娘は力なく呟く。

 

「一族のため、先祖のため、御姉様のために……」

 

それは絞り出すような声だった。

 

「……そのために生まれたのですから」

 

沈痛な、どこか物悲し気な木霊が室内に響き渡った。

 




銀河連邦末期のテオリア他の都会=ネオサイタマめいた民度と治安
辺境=北斗の拳+大海賊時代+マッドマックス

実際辺境を平定も都会暮らしもデスノボリだらけ。初代門閥貴族達は大概ダース単位で暗殺されかけている。連邦末期の「停滞と不安」は控えめ表現なマッポー。



「ハウンド」については舞台版が元ネタです。帝国政府のほか、貴族の個々に持つ諜報組織も全て纏めてそう呼ばれている、とします。

義眼に兄貴がいたんだ……。

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