ハイネセン亡命者相互扶助会は、文字通り惑星ハイネセンの亡命者の相互扶助コミュニティだ。
ハイネセン全土に1500万人住む亡命者とその子孫達の7割が加入するそれは、会員からの会費や寄付金を運用した投資や教育活動、広報活動、政治活動、文化活動、生活補助、情報共有といった活動を実施している。
その組織理念は「同胞の生活・財産・安全の保護及び伝統文化の存続」である。ハイネセン移住初期、少なくない同胞が差別や不当逮捕、私刑を受けた事とこの組織の成立は無関係ではない。
現在の会長の名前はゲオルグ・フォン・クレーフェ侯爵、銀河帝国文官貴族の名門にして最初期の亡命貴族の子孫である。
「うひっ……ヴ、ヴォルター君どうかね?今度のハイネセンスタジアムでのリーゼたんのコンサート、一緒に見に行かないかい?」
「あ、すみません。受験が近いのでお断りします」
荒い鼻息をしながら尋ねる豚……ではなくクレーフェ侯に私は礼節を持って機械的に断る。
「そうか……とても残念だ。リーゼたんの情熱的な歌声を聞けば元気ルンルン100パーセントなのに……」
ライトスティックとファンクラブ特注シャツを着た侯爵がしょんぼりとする。
彼が言っているのはハイネセン亡命者相互扶助会の押す若きアイドル、リーゼロッテである。公表されている限り12歳、亡命者の子孫でその愛らしい美貌と天性の歌声で一躍スーパーアイドルとなった少女だ。持ち歌「しゅくせーしちゃうぞ?」は「365日スパルタニアン」、「ワルキューレで誘って?」を抑えサジタリウス腕オリコンチャートで3カ月連続1位、フェザーンソングランキング第2位、銀河総ダウンロード数は10億回突破した。新曲「ごーるでんばーむくーへん」は見事に社会秩序維持局で不健全文化、反体制歌の栄冠を得て摘発対象に指定、既に30万人が矯正施設に連行されたらしい。最近では謎の社会現象になった深夜アニメ「べすてぃー・ふろいんと」において声優としても高い評価を受けている。
クレーフェ侯爵はその銀河有数の人気新人アイドルのファンらしかった。
……なにやってんだこいつ。
クレーフェ侯爵は私達、亡命軍幼年学校学生のために援助を提供してくれているハイネセン最大の支援者だ。会長としても投資家としても無能ではないが……どうしてこうなった?
「あの……すみません。勉強中ですので退出してくれませんか?」
「ぶひっ……うう、ヴォルター君は連れないなぁ。儂は寂しいのぅ」
しょんぼりしつつ退出する侯爵。まぁ、あの豚は後で繁華街の菓子でも持っていけば大丈夫だろう。
「おい、あれをどうにかしたらどうなんだ?騒がしくて迷惑だ。後汗臭い」
直球で罵倒するホラント。
「そう言うな。こっちの世話役として色々してくれているんだ。これくらい大目に見ろよ?」
士官学校受験者のための家と食事、さらには学習のための図書館に各種資料、トレーニングルームにリラクゼーション施設まで用意している以上可哀想だ。それにあの人も遠縁でも身内だし。
「というか、もう数日後かよ……ああ、ヤバい。行けるか、これ?」
ひたひたと迫りくる試験日に対して弱った声を上げる私。全く侯爵もこんな時期に誘うな。暇な時期でも行かんけど。
「あかん、物理と天文学がマジであかん。過去問正答率が6割だぞ……?」
最低でも7割は合格に必要だ。やばい。本格的にやばい。
「わ、若様、ベアトも助力致します!諦めないでください!」
必死の表情のベアト。うん、お前最早自分の学習時間より私への指導の時間の方が多いよね?なんかマジでごめんね?
「……こうなったら最後の手段だ」
「ん?」
「……山を張る」
「……正気か?」
「正気に思えるか?」
ホラントに向け死人のような表情を向けて私は答える。ははは、正気じゃあやってらんねぇよ!
「あの~、良いですか~?」
「ああ、パトラッシュ……もう疲れたよ……」
私は、ベアトにもたれかかる。もう無理です。
「あの~若様~」
「ああ……おいたわしい、このベアト、力不足を嘆くばかりです」
良いんだよ。ベアト。知ってる。私が頭悪いからだよね?
「あの~お姉ちゃん、寂しくて死んじゃいます~」
「……おい、ティルピッツ、さっきからあれが呼んでいるぞ」
ホラントが顎で図書館の隅で縛られている(ベアトがした)レーヴェンハルト軍曹を指す。
私はその指摘に対してすっと立ち上がると真顔で答えた。
「奴はショタコンだ」
「お、おう……」
「時が時ならば劣悪遺伝子排除法で処分される筈だったドブネズミだ。ドブネズミの分際で人間の言葉らしきものを捲くし立てているが耳を貸す必要は皆無だ。分かったな?」
某ヘテロクロミアのような台詞を真顔で口にする。実際問題耳を貸す必要はない。大体必要価値の薄い内容しか口にしないのだ、こいつは。
「あ、ああ……」
呆気にとられた表情を見せるホラント。お、レアな表情だな。
「う、うぅ……その語り口、まるで大帝陛下のようです。ああ、若様は確かに度重なる賊共の反乱に対して大帝陛下の雷意を代弁した栄誉あるティルピッツ伯爵家の跡取りで御座います!」
……ベアト、斜め上の感動するな。止めろよ、帝国にいた頃の実家のあれな行為の数々を掘り返すな。
「罵倒されてすごーくお姉さん傷つきましたよぅ……?けど……なんかすごくゾクゾクしてきました。伯爵家を守護する立場でありながら自身の存在自体が大帝陛下の国是から見て誤っている……なぜか言葉に出来ない背徳感が……あの~若様、縄を追加してくれませんか?」
……マジかよ。こいつ放置プレイしていたら勝手に新しい世界を切り開きやがった。早くどうにかしないと。
「……レーヴェンハルト軍曹、私が悪かった。話を聞くから新世界への門を開くな」
「いえ、縄を………」
「伯爵家の長子として命じる。さっき何を言おうとしたか吐け」
仕方ないので命令形で要求する。この言葉を言えばうちに仕えているどんな従士でも迅速に指示に従ってくれる。実際軍曹も恍惚の表情から現実に意識を戻し直ぐ様真面目な表情となる。いつもこんな風にしてくれたら良いのに。
「はい、若様。私、此度の試験について若様の需要を満たせると愚考致しました」
敬礼しながら、出来る女の顔になり具申する軍曹。
「おう、一体どうやってだ?」
「はい!私、昔から試験は一夜漬けの山勘で受けてきたのですが大体範囲が合っておりました!此度の試験の範囲も何となく分かるかもです!!」
「よろしい、我が忠臣レーヴェンハルト軍曹、言いたまえ」
「調子良い奴だな」
軍曹はきらきらと目を輝かせ、私はこれ程に無いほど優しげな声をかけ、ホラントは蔑みと呆れをない交ぜにした視線を向ける。
……まぁ、実際問題こいつ変な所で勘が良い奴だ。専科学校を出た後のレグニッツァの実戦でいきなり帝国軍のワルキューレ3機を撃破しやがった。現場にいた飛行士曰く「後ろに目があるようだ」との事。全面的に期待はしていないがどうせ残り数日である。試しに使って見るのも手であろう。
「恐らくですがこれまでの出題範囲から推測すると『揚陸作戦の基礎理論』と『電子戦下における通信連絡方法の展望』、『サルガッソースペースにおける航行の未来的可能性』、『宇宙暦8世紀における宇宙要塞発展史』が怪しいと思われます!」
書物の山から抜き取った論文と参考書を差し出す軍曹。
「ふむ……『サルガッソースペースにおける航行の未来的可能性』はノーチェックだったな。ほかには?」
熟考と同時に先を促す。
「そうですね~、これとかどうでしょうか?」
軍曹の差し出すのは『艦隊運用における通信と部隊編成の提言』と『艦艇の自動化あるいは無人化技術の戦術的活用』だ。尚参考書の最後を見てみたら著者はそれぞれエドウィン・フィッシャー宇宙軍少佐とシドニー・シトレ宇宙軍大佐だった。
「ふむ……よろしい。これでいってみよう」
少なくともこいつの参考書を見る目は確かだという事は分かった。
「おい、マジでやるのか?」
正気か?といった表情を向けるホラント。ベアトも口出しこそしないが懐疑的な表情だ。
「いや、これは……もしかしたらもしかするかも知れん」
ここに来て思いがけない希望が出てきたかも知れなかった。
「私は残りの全ての時間をこれにかける……!!」
「と、調子に乗っていた時期が私にもありました」
テルヌーゼン同盟軍士官学校第3試験会場の一角に座る私は頭を抱える。
「あかん……これ詰んだろ。マジ他の分野覚えていないんだけど?」
あれだ、あの時は徹夜明けのノリだったんだ。常識的に考えて山勘とか無理だろ?常識的に考えて範囲どんだけやばいんだよ?よりによってあのショタコンの甘言を真に受けるなんて……。
「自己責任だ。諦めろ」
ホラントからの一言。私には勿体ない素晴らしい同僚だよ。
「若様、まだです……!まだ試験まで15分時間があります!」
悲壮な決意で参考書の重要箇所を開き説明するベアト。お前、いいから自分の勉強しろ!情けなくなるだろっ!?え、自分はほぼ確実に行けるからお気になさらず?あ、はい……。
周囲を見れば多くの学生が文字通り最後の最後の追い込みをかけていた。ある学生はデスクの上にチェックを入れた山積み参考書を血走った目付きで見つめ、ある生徒は電子書籍を死んだ目で睨みつける。ある生徒は帝国公用語の辞書を見ながらぼそぼそと呟く。やばいな。この地獄のような試験会場を見ていると入学式で飄々とした表情をしていた魔術師がどれだけ異質なものか分かろうものだ。
「そろそろ時間だっ!各員そろそろ資料類は片付けるように!当然知っている事であろうがカンニングの類を行った者は再試験は永年禁止だ。くれぐれもそのような馬鹿な行為はしないように!」
試験監督員の一人がデスクを回りながら叫ぶ。若く、逞しい黒人種の中尉だった。胸の名刺にはアブー・イブン・ジャワフと名前が記入されていた。はて、聞いた事があるような気がするが気のせいか?
士官学校試験におけるカンニング行為はある種風物詩だ。毎年15万~20万名が受ける試験は全4日間にわたり続く。記念受験や併願をしている者もおり、ガチ勢となると少し減るがそれでも10万名は降るまい。
士官学校に入学出来るだけでもエリート中のエリートだ。代々軍人の家系や名家の子供はそれこそ物心がついてすぐそのための勉強をしているのだ。そうなると古代中国の科挙よろしくありとあらゆる手段で合格しようとする。毎年新たなカンニング用アイテムが開発され、あるいは教官に賄賂や脅迫して試験を事前入手しようとしたり、学校に潜入して答えを書き換えようとする者までいる。ネットを漁れば衣服にみっちり帝国語単語を記入したシャツの画像が出てくる(当然バレた)。
尤も学校側もそんな事想定済みだ。一部では対帝国用防諜体制よりも厳しいと半分冗談で言われるほど対策が為されている。試験会場では1時間に一人くらいカンニングのバレた生徒が逞しい軍人達に両脇を掴まれて泣きながら御退場する。……というか今私の前の奴が摘まみだされた。
「嫌だあぁぁぁ!3浪なんだっ!もう後が無かったんだぁぁぁ!」
泣きわめく生徒をいつもの事とばかりに連行する兵士達。周囲はそれに反応せず黙々とペンを走らせる。
そして私はというと………。
「…………」
1か月後、テルヌーゼン同盟軍士官学校の門前に合格者番号が公表される。
「あったぁぁぁぁ!!」
「カツる!これでカツる!」
歓声が上がる。
「ブッタファック!」
「ノオオオォォォ!!」
その隣では絶望に満ちた悲鳴が上がる。
悲喜こもごもの物語が展開される中、私は妙に冷静に番号を探していた。
「……あったし」
喜びより先に唖然とした。理由?そりゃあ簡単さ。
「いや、全部ドンピシャとか……マジか?」
あのショタコン、ニュータイプかな?と私はその時疑ったのだった。
刻が見える……!