帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百七十八話 仕事中は公私を分けて働こう(後書きにイラスト等あり)

 宇宙暦792年、帝国暦にして483年五月六日0630時、イゼルローン要塞前面に展開した自由惑星同盟軍イゼルローン要塞遠征軍は要塞駐留艦隊に向けて全軍を以て微速前進を開始した。

 

「司令官、総司令部からの通達です、『勇者達は気分屋な虚空の女神に求婚せり』!」

「始まったか……!」

 

 第四艦隊旗艦でもあるアイアース級旗艦級戦艦『レオニダス』艦橋にて、その通信を受けとったオペレーターが叫ぶ。第四艦隊司令官ドワイト・グリーンヒル中将はその報告に険しい表情で頷くと、前衛部隊たる第二分艦隊に前進を命じた。同様に五艦隊においてもアレクサンドル・ビュコック中将の命令を受けたラムゼイ・ワーツ少将率いる一個分艦隊が整然と隊列を整えて前進を開始する。

 

『第九二独立空戦隊は全機発艦を完了した。続いて第三四、六八、六九、一一三独立空戦隊も周辺宙域の警戒及び制宙権確保のためただちに発艦を開始せよ』

『イゼルローン要塞攻略作戦「マリアージュ」の発令を確認。現時点を以てオペレーションはフェーズ・ツーに移行する。全軍第一級戦闘態勢!』

『0635時を以て機密保持・通信処理容量確保のため遠征軍全部隊における全ての通信はレベル・ファイブクラス秘匿暗号通信に限定する。以後、私用通信は原則として厳禁とする』

『全部隊の戦略・戦術データリンクシステム接続を確認!最前衛第三八戦隊、及び五五戦隊は紡錘陣形での突入を開始します。……じゃが芋野郎共に一泡吹かせてやれ!』

 

 まさに戦闘の秒読みに入った同盟軍全部隊間における通信量は飛躍的に増大していた。そして同時に第一級戦闘態勢に移行した事でその通信はランダムで周波数が変更され、なおかつ高度に暗号化されたがためにその内容の特定もまた帝国軍にとっては困難となる。しかし、そこは帝国軍の精鋭たる要塞駐留艦隊の司令部である。現状、把握出来る同盟軍の動きのみで凡そその狙いを看破して見せる。

 

「格闘戦に特化した戦闘艇部隊が散開しておりますな。此方の肉薄攻撃を警戒しているのでしょう。この分では雷撃艇による近接戦闘は不可能でしょうな」

「反乱軍は二個分艦隊相当の戦力を先鋒に突入を開始しました。更にその中から二個戦隊が急速に前進しております」

「急速に突入してくる二個戦隊は陽動でしょう。其方に攻撃を集中させた隙に前衛二個分艦隊の主力が中距離まで進出してくる積もりと思われます」

 

 帝国軍の精鋭たるイゼルローン要塞駐留艦隊の旗艦……重厚な装甲と強力なエネルギー中和磁場を保持し、一個戦艦隊に匹敵する火力、何よりも指揮通信設備が充実したヴィルヘルミナ級旗艦級戦艦『タングリスニル』の艦橋にて、参謀達はスクリーンに映る敵軍の動きをそう説明する。

 

「とは言え、突出する敵を無視も出来ぬ。此方が放置すれば奴らは嬉々として肉薄してこよう。第三悌団に突出する二個分艦隊の対応に当たらせよ。本隊は敵第四・第五艦隊を牽制する。総員、艦隊戦用意……!!」

 

 銀色を基調としたロココ風の装飾の為された司令官専用の座席に深く座り込んだ中年の痩せた男が叫ぶ。ヘルムート・フォン・ヴァルテンベルク大将は権門四七家には劣るものの第三代皇帝リヒャルト一世美麗帝の治世より続く名門貴族家の当主であり、同時に最早絶滅危惧種に近くなった最前線で軍功を重ねた実戦派の貴族将校でもある。七年前の第四次要塞攻防戦ではその終末期において第一一艦隊の側背を強襲する事で全軍の勝利に貢献した。猛将に類するために戦略面では多少不安があるものの、無能からは程遠い。

 

 両軍は共に微速で前進した。それは互いに相手の間合いを警戒しているようでもあった。互いに一発のビームもミサイルも撃たず、整然と並んで行進する様はまるでマスゲームのようにも思えた。しかし、そのような静けさはいつまでも続かない。演目が始まるのは文字通り直ぐそこに迫っていた。

 

「ファイエル……!!」

 

 0645時、ヴァルテンベルク大将はその手を重々しく振り下ろした。ほぼ同時にやや弧を描いた陣形を展開していたイゼルローン駐留艦隊に所属する戦艦部隊が一斉にその主砲を斉射した。数万もの青白い光条がスクリーンを埋め尽くさんばかりの光点に殺到する。

 

 銀河帝国の標準戦艦、その主砲たる大口径の中性子ビーム砲は砲門数六門、最大射程三〇光秒と同盟軍標準型戦艦の八門二五光秒に対して射程にて勝る。故に帝国軍は同盟軍に対して先手を打つ事は理論上は可能である。

 

 とは言え、光秒単位での距離が離れ両軍が高速で移動している以上、長距離で砲撃戦をした所でその損失はたかが知れていた。

 

 事実、前衛部隊に到達した砲撃の嵐は、しかしその大半が回避されるかエネルギー中和磁場で弾かれる。不運な艦艇が数十隻程爆散して短命な小太陽を生み出すが、その程度の損害は想定内であった。

 

「前衛第四・第五艦隊、反撃せよ……!!」

 

 同時にその射程内に入った同盟軍前衛艦隊の標準型戦艦が、シトレ大将の宣言と同時に報復の砲撃を開始した。数倍はあろうかという砲撃の雨を、しかし帝国軍の標準型戦艦は、その巨体に相応しい頑強な中和磁場でエネルギーの奔流を悠然と受け止めた。

 

「前進だ!!前衛の戦艦は中和磁場の出力を三〇パーセント上げろ、接近すればビームのエネルギーは収束する事を忘れるなっ……!!巡航艦!射程に入り次第戦艦の影から支援砲撃を開始せよ!!」

 

 殆んど損失の出ない戦艦同士の砲撃戦に巡航艦が参戦するのは両軍間の距離が二〇光秒から一五光秒に差し掛かった時であった。所謂中距離砲撃戦である。ここからが両軍にとって重要な局面だ。

 

 同盟軍駆逐艦の有する光子レーザーの最大射程は一五光秒前後、帝国軍駆逐艦の持つ電磁投射砲の有効最大射程は約一〇光秒である。両軍艦艇の六割を占める駆逐艦を如何に有効活用するか。これが通常の会戦であれば帝国軍は接近戦の機会を窺い、同盟軍は等間隔を継続して火力の優越の維持を図るのがセオリーだ。

 

 しかし同時に、イゼルローン要塞における攻防戦においては同時に帝国軍は同盟軍との距離を保たねばならず、同盟軍は逆に大火力に曝されるのを承知して接近戦を仕掛ける必要に迫られる。ここに両軍にとってのジレンマが生まれる。

 

 帝国軍が同盟軍を要塞主砲射程圏まで引き摺りこむには味方撃ちを回避するためにも中距離を維持する必要がある。一方、同盟軍からすれば要塞主砲を封じるには損害が激しくなる近距離まで詰めなければならなかった。それは特に帝国軍に比べ人命を重視する同盟軍にとってその選択は極めて厳しい判断であったが……。

 

「構わん!損害は気にするな、ひたすらに前進せよ……!!」

 

 前衛集団たる第四艦隊第二分艦隊司令官アップルトン少将は声を枯らして叫ぶ。軽装編成たる第四艦隊において最も戦艦の比率が高く、また練度が高いが故に第二分艦隊は前衛部隊として常に第四艦隊の前衛であり、要として機能していた。司令官の奮起の叫びに応えるように帝国軍の激しい砲撃の応酬を前にしても、第二分艦隊は前進をし続ける。

 

 

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「むっ!止まらんのか……!?」

 

 第三梯団を指揮する老将エイルシュタット少将は思わず呻吟を漏らした。その言葉への返答は同盟軍駆逐艦の突進と主砲三連射であった。

 

 戦艦を盾にしていた駆逐艦部隊は近距離戦の間合いまで詰めると、一気に全速前進で吶喊して砲撃を開始した。瞬間的に火力が増強された事で対応していた要塞駐留艦隊前衛を務める第三悌団は傘下の艦艇が次々と撃沈されて悲鳴を上げる。そこに第四艦隊の他の分艦隊も参入すれば一気に宙域は屠殺場に変貌した。無論、接近戦は第四艦隊にも少なからずの犠牲を強いるが同盟軍は気にする素振りも見せなかった。

 

 要塞駐留艦隊の四倍から五倍近い戦力を叩きつけた理由は正にこのためであった。要塞駐留艦隊との近距離戦で大損害を受ける事を想定し、それでも尚その抵抗を押し倒すためにはかつてない大軍の投入が必要だった。単艦には分隊を、分隊には隊を、隊には群を、群には戦隊を、戦隊には分艦隊を……物量の手数で圧倒する事で艦隊戦で撃ち負けるのを回避するのが総司令部の示した冷徹な方針であった。

 

「ぬぅ……反乱軍め、何と無茶な戦いを……!!」

 

 同盟軍の猪突猛進とも言うべき突撃は完全に帝国軍前衛部隊の意表を突いた。エイルシュタット少将は軍歴四〇年を超える宿将であったが、それ故に同盟軍は損害を厭うという固定観念を抱いていたのだ。

 

 そして、その固定観念が同盟軍の突進への対処を遅らせた。同盟軍の損害を度外視した突撃は、帝国軍が後方の駆逐艦を前進させる機会を奪い去った。帝国軍前衛部隊は戦艦と巡航艦を後退させ、駆逐艦を前進させようとするが激しい砲火の中で隊列が混乱する。

 

「やむを得ん、駆逐艦の前進は諦める。電磁砲の斉射は取り止め後方からミサイルによる支援のみをやらせよ。……この戦力差では正面から撃ち合いを続けても消耗するだけだ。戦艦は温存し巡航艦には防空任務に集中させよ」

 

 エイルシュタット少将はこの場で最善の命令を下すが、だからといって戦局が好転するとは限らない。次の瞬間には第三梯団旗艦『インターラーケン』のすぐ傍を航行していた戦艦『アルプナッハ』が一個駆逐隊の集中砲火を受けて爆散した。爆発の衝撃が『インターラーケン』を激しく揺らす。

 

「ぬぅ……!反乱軍め!!」

「想定以上に敵前衛部隊は頑強なようです。我ら第三梯団のみで抑えるのは難しいかと……!」

 

 付き人でもある副官がエイルシュタット少将に向けて進言する。実際、同盟軍第四艦隊第二分艦隊及び第五艦隊第三分艦隊は帝国軍の艦列に殴り込みをかけるために熟練指揮官とエース艦長を可能な限り集めており、その士気と練度は両艦隊においても随一のものであった。

 

「あの乱れた艦列を見ろ、チャンスだ!全艦に通達、我が戦艦群はこれより敵の懐に突撃するぞ……!」

 

 全軍の先頭の更に先頭に位置する第四艦隊第二分艦隊第三八戦隊、その副司令官にして第三八戦艦群司令官グエン・バン・ヒュー大佐は獣のような雄叫びを上げて宣言する。同盟屈指の名家たるグエン家に名を連ね、士官学校では三大花形研究科の一つ艦隊運用統合研究科に加入し席次一一三位という上位で卒業した男は、しかし本人の外見はそのような知的な一面は全く見えなかった。

 

 グエン大佐の乗り込む戦艦群の旗艦『カリュドーン』は六万隻の艦隊の文字通り先頭に立って帝国軍の戦列に躍り込んだ。主砲も副砲も乱射しまくり帝国軍第二三三巡航隊所属の『オストアルプⅤ』と『エスリンゲン』を一撃の下に粉砕すると、そのまま正面に立ち塞がった駆逐艦『カッセルⅨ』を主砲三連斉射で撃破する。

 

「はっはっは!いいぞ!どっちを向いても敵ばかりだぁ!狙いなぞつけんでいい!撃って撃って撃ちまくれ!!撃てば敵に当たるぞ!!精魂果てるまで撃ちまくれ……!!」

 

 サイオキシン麻薬でもキメているのかと錯覚する奇声を艦橋で上げるグエン大佐。『カリュドーン』の二割の勇気と八割の狂気によってこじ開けた間隙に後続の艦艇が突入しその亀裂を更に拡大させていった。

 

「他艦に遅れを取るな!我々も行くぞ!」

「士官学校出身の若造共に負けられんわ、我らも突撃だ……!」

 

 同じくエース艦長にして第二三〇六駆逐隊司令官のマリノ少佐、第六八四巡航隊司令官ラルフ・カールセン中佐等がグエン大佐に続いて部隊を率いて第三梯団の懐で縦横無尽に暴れ始める。瞬く間に第三梯団所属の第三六五戦隊は旗艦『トリーア』が周囲の護衛艦もろとも撃沈、司令官ルーテルボルク准将以下司令部が全滅して半身不随状態に陥った。

 

「既に第三梯団の損耗率は二割近くに達しております。既に最前列は突出した反乱軍との混戦状態に陥っている模様です」

「むぅ、エイルシュタット少将程の宿将が、これ程あっさりと劣勢に陥るとは……」

「数が違い過ぎるのだ。幾ら少将でも数倍の敵と正面から戦うとなればこうもなろう」

「増援部隊を送るべきでは?」

「増援だと?そんな余裕がどこにある?我らが一個戦隊を送れば奴らは一個分艦隊を送り付けて来る。せせこましく戦力を投入しても消耗戦に陥るだけだぞ?そして総戦力で我々は劣勢だ」

 

 最前線で苛烈で熾烈な戦いが続く中、要塞駐留艦隊司令部ではスクリーンを見ながら参謀達が議論を重ねていた。

 

「……エイルシュタット少将からの増援要請は来ているか?」

 

 豪奢な椅子に腰がけたヴァルテンベルク大将が通信士に向けて尋ねる。

 

「……御座いません」

 

 通信士は、一度確認作業を行った後、重々しく答える。

 

「司令官、これは……」

「うむ、エイルシュタット少将は古風な武人だ。この状況で増援の要請はするまい」

 

 ヴァルテンベルク大将は厳しい表情を浮かべる。大将は第三梯団司令官の意図を既に理解していた。

 

 この圧倒的戦力差である。尚且つ要塞近縁に近づくまで隠密行動していたとなればその戦略は第三次攻防戦と同様のものであると想定出来る。要塞駐留艦隊を大戦力で粉砕、そのまま後退する要塞駐留艦隊に紛れる形で要塞に肉薄・揚陸する積もりであろうと思われた。

 

 であるならばここで援軍を送るのは悪手である可能性があった。寧ろ帝国軍にとって最も最善の手段は……。

 

「エイルシュタット少将は自軍を殿にする事で我々の後退を支援しようとしているのだろうな。少将らしい考えではある」

 

 第三梯団を無理に回収しようと前進した所で並行追撃に持ち込まれるだけ、ならば第三梯団を殿にする事で反乱軍との距離を維持した方が良い。

 

「閣下……!」

「この戦力差ともなれば多少の犠牲はやむを得ん。無論、そのまま見捨てる訳にはいかぬが……第三梯団以外の部隊はゆっくりと後退させよ。距離を取ってから長射程の戦艦部隊を最前列に展開し前衛の第三梯団を支援するのだ。急げ!」

 

 ヴァルテンベルク大将は主力部隊を後退させつつも、射程の長い大型艦を前に出し砲撃を行わせる。それにより第三梯団を援護し事態の変化を待ち、かつ第三梯団の救援の機会を窺おうとした。その戦略方針自体は間違ってはいない。

 

「帝国軍主力部隊、戦略パターンEに基づいた行動を開始しました!」

 

 ……しかし、それは同盟軍が長年かけて研究し、想定していた行動予測の範疇を越えぬものであった。通信士の報告に『ヘクトル』艦橋では浮足立った参謀スタッフ達が歓声を上げる。

 

「今の所は上手くいきそうですな」

 

 レ中将が重々しい口調でシトレ大将に向けて呟く。

 

「うむ……、前衛部隊の損失はどうだね?」

「第五艦隊第三分艦隊の損失は一割程度ですが……近接戦を行っている第四艦隊第二分艦隊は敵主力からの支援砲撃を集中して受けている事もあり、かなりの損失を受けています。既に戦闘不能艦は三割に達したかと……」

 

 シトレ大将の質問に次席副官アッテンボロー中尉が答える。

 

「予想はしていたが中々の損害だな……第四艦隊に通達、次の段階に移れとな」

 

 腕を組んで苦虫を噛んだシトレ大将は、次の段階に移るように命じる。0840時、同盟軍の最前衛を預かる二個分艦隊はその損害……特に物資の消耗と人員の疲労からその動きを鈍らせた。

 

「今だ!!全軍反転攻勢に出ろ!!対艦ミサイル斉射、反乱軍の足を止める!!第三梯団の退避を支援しつつ反乱軍を要塞主砲『雷神の槌』射程内まで引きずり込むぞ……!」

  

 0850時、同盟軍の動きの鈍さに気付いたヴァルテンベルク大将は前衛第三梯団の回収と共に反乱軍に打撃を与え、挑発しようと目論んだ。大将の命令と同時に要塞駐留艦隊に所属する全艦艇は総計十万発に及ぶミサイルを発射する。

 

 これに対して慌てたように同盟軍駆逐艦が前進して防空レーザーによる迎撃を開始する。そしてその隙を突くように半壊しつつあった第三悌団は反転後退を実施した。

 

「後方の反乱軍には構うな!本隊の戦艦部隊が支援砲撃をしておる、その間に距離を稼ぐのだ!!……部隊の残存戦力は如何程か?」

「梯団の損害は四割に上ります。物資も相当に消耗し、これ以上の戦闘継続は困難でした。反乱軍が先に動きを鈍らせたのは幸いです……!」

 

 副官がエイルシュタット少将の質問に答える。第三梯団の消耗率は既に相当な水準に達していた。正面の近距離から二個分艦隊と、更に後方から二個艦隊の支援砲撃を叩きつけられていた事を考えれば寧ろその損害は抑えられているとも言えるが……それでも到底無視出来る被害ではなかった。

 

 そして、損害以上に深刻なのは、梯団の疲弊であった。

 

「くっ!梯団の動きが鈍すぎる……!!全艦、陣形が崩れても構わん!一刻も早く戦域から離脱せよ……!!」

 

 その怠慢な動きからエイルシュタット少将は梯団の組織だった後退は困難であると悟り、個々の艦艇での後退を厳命する。最悪混乱の中で衝突する艦艇が出てくる可能性もあったがこの際は許容するしかなかった。本隊のミサイル攻撃で同盟軍の足が止まっている間に距離を稼がなければならない……!!

 

 ……だが、その行動すら同盟軍の想定範囲内の命令であった。

 

「今だ!第六艦隊は帝国軍の後ろに食らいつけ!」

 

 シトレ大将の叫び声と同時か、少し早く第六艦隊は動いた。

 

「小型艦は全速前進で対空迎撃を行う第一列を潜り抜けよ!混戦状態を作り出せ……!!」

 

 体重が激減したために声まで変質して逞しくなったように思えるラザール・ロボス中将の命令に従い、第六艦隊所属の巡航艦と駆逐艦は一斉に動いた。小回りが利き高速の巡航艦と駆逐艦は前方で大量のミサイルを迎撃し始めていた第四・第五艦隊の艦列を混乱する事なく擦り抜けて、撤退する帝国軍の最後尾に、一気に食らいついた。個々の艦艇で離脱するために艦と艦の間が広く開いていた第三梯団はあっけない程に易々と第六艦隊の浸透を許してしまった。

 

 

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「無理に沈めんで構わん!後方の帝国軍は小回りの利かん大型艦と疲弊した第三梯団のみだ!艦隊の間に潜り込めば碌に攻撃は出来ん!」

 

 第六艦隊は帝国軍第三梯団、更には浸透したまま進撃をする事で殿の戦艦部隊との混戦状態をも作り上げる。第三梯団は既に疲弊し、弾薬も消耗していた。本隊の戦艦部隊は物心両面で余裕はあったが戦艦の主砲は威力が高過ぎて不用意な近接戦闘は出来ない。故に一度懐に入ってしまえば帝国軍の最後尾は殆んど攻撃の選択肢がなかった。主力部隊もまた混戦状態に陥った最後尾を砲撃する事は出来ない。これで最後尾の帝国軍の動きは完全に封じられた。

 

「よし。敵本隊が第六艦隊に注目している今がチャンスだぞ!我々第四艦隊主力も敵艦隊に突入する!!」

 

 疲弊して後方に下がった第二分艦隊を除く第四艦隊もまた節約していた物資を使い速力を上げる。第六艦隊によって混在状態になった最後尾をどうするか戸惑っていた要塞駐留艦隊本隊に機動力を活かして側面に回りこみ突撃した。

 

「な!?は、早い……!!?」

 

 要塞駐留艦隊は混乱していた所を横合いから殴り込まれて一瞬壊乱状態に陥りかける。

 

「おのれ……!!全艦、撃ち返せ!思い上がった反乱軍を一隻も生かして返すな……!!」

 

 横合いから殴り付けられた第五梯団司令官ゼークト中将が声を荒げて反撃を命じる。側面の副砲で迎撃に出る帝国軍。勇猛な提督の指揮を前に帝国軍は短期的にではあるが持ち返す事に成功する。

 

 しかし、やはり一個悌団に対して四個分艦隊では分が悪すぎた。四倍の火力の差は指揮官の能力ではカバーしきれなかった。次第に限界に来た第五梯団の艦艇は砲火を浴びて爆散し、戦列に次々と穴が開く。更に後方からは第五・第七機動戦闘団、亡命政府軍も前進を始めていた。

 

「閣下!このままでは艦隊が分散されます……!!」

「おのれ反乱軍め……!!くっ、最早仕方無い。全軍、要塞まで全速力で後退せよ!」

 

 ヴァルテンベルク大将は苦渋の決断をする。

 

「しかし……これでは奴らの並行追撃を許す事に!」

「やむを得ん!このままこの場で堪え忍んでも数で圧倒的に劣る我々に勝機はない!」

 

 そして、艦隊の壊滅は要塞にとっても王手同然の状況であった。無敵の要塞なぞない。要塞主砲とて散開すれば決して多くない犠牲で要塞表面に肉薄出来る。イゼルローン要塞の難攻不落の神話は要塞そのものと艦隊、双方があるからこそ成り立つものであった。その片方が失われれば……!!

 

「それだけは避けねばならぬ!確かに我らが後退する動きを見せれば、奴らの並行追撃を仕掛けて来るのは明白だ。しかし、逆説的に言えば奴らも並行追撃のため我ら駐留艦隊を全力で叩き潰しはすまい……!」

 

 要塞駐留艦隊を撃滅したとしても、同盟軍は要塞に肉薄するまでに数発の「雷神の槌」を受けなければなるまい。薄く散開して接近したとしても最低でも一〇〇〇隻以上の艦艇を失う事になろう。それは同盟軍にとっても大きな覚悟を必要とする行為である。

 

 だが、要塞駐留艦隊がイゼルローン要塞に向けて後退すれば同盟軍はこれを完全に撃滅する事はないであろう。同盟軍からすれば駐留艦隊は大事な盾になりうる存在、態々自分達でそれを捨てる可能性は低かった。

 

「我々からしてもここで玉砕するよりも要塞に引きずり込む方がまだ勝機はあろう。要塞主砲は使えなくとも浮遊砲台と要塞空戦隊があれば彼我の戦力差をある程度は埋められる……!」

 

 それ故に、ヴァルテンベルク大将は後退の決断を選んだ。要塞に揚陸せんと同盟軍は要塞にレーザー水爆ミサイルを落とすかも知れないが、それとて要塞の防空能力、そして流体金属に四重の装甲を以てすれば相当の時間は守り切れると思われた。それならば……!!

 

「後で宇宙土竜共に笑い物にされるだろうな。おのれ反乱軍め、この屈辱必ずや晴らしてくれるわ………!!」

 

 ヴァルテンベルク大将は怒りに拳を強く握り締め、その余りの強さに手から流血する程であった。それは奴隷共の思惑に乗らされる事への怒りであり、同時に常日頃から互いを軽蔑し合う要塞防衛司令部の戦力に頼る事への恥辱によるものであった。

 

 だが、ヴァルテンベルク大将以下の要塞駐留艦隊司令部の幹部達も、気付かなかった。確かに要塞主砲を封じる上で並行追撃は悪手ではない。だが、六万隻の大軍による並行追撃そのものが壮大な囮に過ぎない事を……。

 

 

 

 

 

 

 ……ヴァルテンベルク大将が後退を指示して凡そ三〇分余りが経過していた。追い縋る同盟軍と抗いつつも後退する帝国軍……両軍の戦いは刻一刻と激しさを増している。そして漆黒の宇宙を無数の光条と爆発の光がいっそ神々しく照らし上げた。それは醜くも、芸術的な光景であった。

 

 

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 そして、『彼ら』はその光景をモニター越しに静かに、そして冷徹に鑑賞していた。いや、より正確にはモニターを凝視し続ける事で彼らの役割のための機会を窺い続けていた、と言えるかも知れない。

 

 ……そして、遂にその時が来る。

 

「よぅし、本隊の手筈は上々だな。さぁて、錨を上げろ!俺達も行くぞ……!!」

 

 戦艦『アウゲイアス』の艦橋の椅子にふんぞり返り、浮浪者のように好き放題に生やした髭を擦るキャボット少将は、獣のような獰猛な笑みを浮かべて命じた。同盟軍第八艦隊の後方に隠れるように展開していたミサイル艦とステルス揚陸艦、そしてそれらの護衛艦からなる混成艦隊はまるで群体で一つの生物のようの鮮やかに帝国軍の索敵網を擦り付けて突き進む。

 

「第五、第四艦隊の影に隠れながら要塞側面に回り込むぞ。各艦索敵網に掛らぬように散開、全速前進!勢いあまって暗礁宙域に突っ込んで爆沈するようなヘマはするなよ?」

 

 キャボット少将の言葉はまさしく杞憂であった。この別動隊に編入された部隊長や艦長は誰もが航海術において第一級のプロのみで固められている。ましてや何か月にも渡る厳しい訓練を経た彼らが砲撃も受けていないというのにそのような自滅をするなぞ有り得なかった。別動隊は第四艦隊と回廊暗礁宙域の間を滑るように走破する。その先頭に立ち先導するのは『アウゲイアス』だった。

 

「流石提督ですな。これ程の速度を出しながら帝国軍に気取られぬとは……」

 

 回廊の暗礁宙域と第四艦隊の僅かな間隙、そこにある帝国軍の小さな死角を凄まじい速度で潜り抜けて見せる艦隊を見て、改めて総司令部から派遣されたウィレム・ホーランド准将は感嘆の声を上げた。

 

 本遠征計画の成否を左右する別動隊の司令官キャボット少将は優秀な指揮官であり、艦隊機動において同盟軍でも五指に入る用兵家である事は間違い無い。だが同時に激情家であり、暴走しやすい人物である事も事実でそれ故にホーランド准将は総司令部から助言役と目付け役を兼ねた立場でこの『アウゲイアス』に派遣されていた。仮に作戦の中止ないし失敗によって総司令部が撤退を決めてキャボット少将がそれに従わない場合、その指揮権の剥奪と副司令官への譲渡を指示する権限を彼は与えられていた。

 

(優秀ではあるのだろうが……)

 

 能力面は十分ありながらも、その性格と気質から分艦隊司令官に甘んじ、かつ総司令部からお目付け役が派遣されるようなキャボット少将を一瞥するホーランド准将。同時に、その目付けとして派遣された自身はどういう目で見られ、どう認識されているのだろうか?等と似合わぬ事をふと考え、次いで彼は冷笑した。

 

(防御力の低いミサイル艦に足の遅い揚陸艦を中核とした別動隊、一個分艦隊でも差し向けられればまず助からんな。作戦が中止か失敗の時点でどの道助かるのは厳しいか……)

 

 見方によっては貧乏籤を引いた生贄要員に見えるかも知れない。無論、実際はそんな事有り得ないので悪く考えすぎているだけなのは間違いはない。仮にそうだとしても、成功時の功績や名誉と言ったリターンを考えれば悪くはない賭けだろう。ひと昔前の自分ならば不安も疑念も抱かずに堂々とこの職務を受け入れていた筈だ。

 

「私も柔になったものだな……」

 

 名誉や昇進よりも生きて帰りたい、生きて帰りまた友人達との日常を過ごしたいという思いが心の片隅にある事を自覚し帰化帝国系同盟人は苦笑を浮かべる。それこそあの帝国人の巣窟だった幼年学校や、出自や派閥でギスギスとしていた士官学校で学んでいた頃には思ってもいなかった事であった。自分自身で軟弱で甘ったれた人間になったものだと呆れる。呆れるが……。

 

「………ふっ」

 

 ふと、ホーランド准将は懐から手帳を取り出す。その中に止めてある写真を見つめ、笑った。いつぞや、士官学校での公開戦略戦術シミュレーション大会で惜敗した際に、反省会等と言い繕ってテルヌーゼンのビュッフェ形式のレストランでチームで食事をしていた時に撮った写真だった。士官学校の学生は半額キャンペーンだったせいでその日に戦ったコープ達のチームと鉢合わせしてしまい丁度双方が妖怪を見たような表情を浮かべている場面を運が良いのかスコットがカメラに納めてしまったのだ。コープは特に皿にケーキの山を載せていた事もあって放蕩貴族やホーランドと真正面から出くわして普段の態度からは信じられない程大慌てしている。

 

 ……そう言えばこの戦いが終わったらまたケーキ屋巡りに同行する約束だったか……そんな事を思い出して、尚更自分が随分と変わった事を思い知る。

 

「さて、約束を違えんためにも今回は勝ってしまいたいが…………これは本当に、もしかしたらもしかするかも知れないな」

 

 手帳を直し、ベレー帽を被り直して、スクリーンに映る映像を見つめたホーランド准将はらしくもなく上ずった声で呟いた。帝国軍の動きから見るに、彼らは本隊との戦いで精一杯で別動隊の存在を完全に見逃しているようであった。別動隊は要塞の索敵網をも潜り抜けて回廊の帝国側出入り口近くまで回り込みつつあった。

 

 同時に同盟軍本隊もまた少なからずの犠牲を出しつつも要塞駐留艦隊に対する並行追撃を八割方成功させつつあるように思われた。信じがたい事に、ここまでの戦闘の推移はほぼ完全に同盟軍の想定の範囲内で進んでいた。

 

「さて。ここからが本番、だな………」

 

 腕を組ながらスクリーンを食い入るように凝視するホーランド准将。同盟軍の総力を上げた遠征はその作戦の第二段階に移ろうとしていた。

 

 

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「ふぅ……どうにか作戦通りに行ったか?」

 

 私、ヴォルター・フォン・ティルピッツ准将は戦闘が事前の計画通りに進行した事を確認すると緊張の糸が切れたように艦橋の一角に設けられた椅子にへたりこんだ。

 

「准将、御苦労だった。各局面での判断、的確だったぞ?」

「いえ、シトレ大将と現場の指揮官方の実力あっての事です。私は事前に想定された計画と実際の状況を照らし合わせて進言しただけですので……」

 

 背後から現れた航海部長クブルスリー少将に向けて私は額に汗を流したままに答える。実際それは謙遜ではなく事実だ。

 

 ホーランドが一番大事な別動隊の監督のために出張し、直属の上官たるクブルスリー少将が要塞に肉薄する次の段階の監督を行うための準備をする必要があった以上、先程の前哨戦にて全軍の進軍と部隊展開に対してその指導と提案、監督を行っていたのは何を隠そう私だった。……無論、前哨戦は一番難易度が低く、統合作戦本部で何ヵ月もかけて数百のパターンを想定していたし、演習時にも何度か似たような経験はあったので、実地で私がしなければならぬ事はそう多くはなかったのだが。

 

「そう謙遜する事はあるまい。准将にとっても良い経験になっただろう?六万隻の大軍の進軍に責任を持つ体験なぞ滅多に出来ん事だ。実戦でこう問題なく対処出来たのなら上々であろうさな」

 

 クブルスリー少将が笑みを浮かべて擁護する。

 

「暫くの間は戦局が激変する、等という事はあるまい。アーネド大佐に役務を引き継がせて准将も休息に入ると良かろう。病み上がりで無茶する必要はない」

「り、了解です……」

 

 半分以上善意からのものと知りつつも、クブルスリー少将の言に、私は苦笑いするしかなかった。周囲からすれば訳も分からずにぶっ倒れてほんの少し前までベッドで寝ていたのが私である。軍医から健康証明書を発行してもらった後、急いで簡易な始末書を提出して役務を引き継いだ私の存在は、周囲からすれば不安の塊である事は想像に難しくない。

 

 総司令部航海部参事官アーメド大佐に任務の引き継ぎをした後、私は『ヘクトル』のスクリーンモニターに視線を向ける。

 

「若様、御疲れ様で御座います。お飲物を用意致しました」

「ん……御苦労様」

 

 艦橋の座席の一つに腰掛けてテレジアから差し出された紙コップ入りの珈琲を義手で受け取り口に含む。うん、流石安物だな。不味いとまでは言わないが確実に美味くはない。  

 

 私が珈琲を飲んでいる間、テレジアは恭しく、そして当然のようにハンカチを取り出して私の額の汗を拭き取っていく。遠征軍全軍の進軍を監督中、精神を張り詰めていたために冷や汗をかきまくっていたのだ。

 

「まぁ、当然だな。それにしても前衛の分艦隊を中心に結構手酷くやられたものだな。ええっと?ここまでの喪失艦艇は……」

「ここまでの前哨戦での損失艦艇一七六三隻……統計漏れと報告の遅れもあるだろうからプラスで二、三〇〇隻って所かしら?安心しなさいな、あんたが行軍の責任を務めたにしては案外少ない損害よ。……正直驚いたわよ?作戦部の方だと後三〇〇隻位は損害が出ると思っていたのだけれど」

 

 私が携帯端末で既に報告された遠征軍の損害を調べようとして、横槍を入れるように話題に加わったのは書類の束を抱えた士官学校の同期でもある作戦部副参謀殿であった。若干警戒気味にテレジアがコープから私を守るように前に出る。

 

「……それは嫌味の類いかね、コープ准将?」

「そこまで穿った考えなんかしなくて良いのに。あんた、相変わらずひねくれているわね?……いや、爛れているのかしら?良くもまぁ当然のように職場に愛人同伴させられるものよね?しかも複数人も」

「微妙に間違っていないから反論出来ねぇな……」

 

 私は視線を逸らしてコープの糾弾を誤魔化す。止めてくれよ、医務室での一件の後機嫌を直させるのに私がどれだけ口八丁したか……女性の機嫌を取るのは階級による上下関係があっても簡単じゃないんだぞ……?

 

「それにしても、二時間余りで一個分艦隊並みの損失か。物量頼みに力押ししたのだから当然だろうが……作戦部はもっと悲観的な損害を覚悟していたのか?」

 

 テレジアに後ろに下がるように命じてから、私は話題逸らしの意味を含めて作戦部の予測に話を振る。

 

「別にあんたの出来の悪さを計算に入れていたからじゃないわよ?要塞駐留艦隊の精強さは私達も良く知ってるわ。ましてや接近戦を主眼においている帝国艦を相手にするならこれ位の覚悟はいるわ。……大軍でかつ此方が追撃している状態だから喪失艦艇に比べて人的損害はそうでもないわね。一〇万は超えないんじゃないかしら?」

 

 喪失艦艇と言っても数秒で爆散する艦艇は全体の数割だ。多くの艦艇には脱出するだけの時間はある。仮に爆散しても高度にブロック化してダメージコントロールしている同盟艦艇ならばデブリとなった区画に閉じ込められている状態であれ生存している兵士も少なくない。そして我々は今迫撃中の身だ。それらの漂流兵の回収は容易だ。

 

「軍人なんてやっていると感覚が麻痺しそうだな。一〇万名の戦死者が少ないと思ったぞ?」

 

 この一パーセントしか死んでいないとしても本来は異常なのだが。

 

「こんなもの序の口よ。まともに『雷神の槌』を食らったらこれと同等かそれ以上の兵士があっという間に消し飛ぶわ」

「そちらの最悪の想定は肉薄と揚陸までに二発は食らうんだって?」

「……出来るだけ散開して、緊急離脱も視野に入れているのだけれどね。それでも作戦部長のお気に入りの計算によれば最低でも一発で半個分艦隊は吹き飛ぶそうよ。その上で混乱を押し止めて突入すれば二発と二〇万から三〇万の犠牲でどうにかなるそうよ」

 

 淡々と答えるコープ。しかしその言葉には僅かに嫌悪感がにじみ出ていた。彼女とてそこまで冷酷ではない。兵士の犠牲を最初から勘定に入れている作戦部の計算に言いたい事の一つや二つはあるだろう。その上で彼女は参謀であり、将官である。私情で動く事が許される立場ではない。不満を押し殺して自らの役割を果たす事に余念はないようだった。

 

「あら、噂をすれば件のお気に入りの御登場かしら。どうやらあんた同様休憩タイムのようね」

 

 コープの言に視線を移せば間に椅子を五、六個挟んだ端末デスクの席で足を組み、ベレー帽を脱いだ若い士官の姿があった。若干青みのある黒髪の端正だがぼんやりとした表情の宇宙軍少佐……。

 

「確か、ヤン・ウェンリー宇宙軍少佐でしたか?エル・ファシルの英雄、だったと記憶しておりますが……」

 

 思い出すようにテレジアが呟く。彼女の記憶力は悪くない。この総司令部に努める数百名の参謀達の顔と官姓名、その経歴もその積もりになればスラスラと言えるだろう。目の前の存在感が薄い眠たげな態度の少佐が例外なだけだ。認識障壁でも張っているのかな?

 

「無害な顔に騙されたらいけないわよ。エル・ファシルの功績なんて所詮味方を生贄にしたものでしょうに。『レコンキスタ』の時も詐欺師みたいな作戦ばかり立てたって話よ。今回だって『雷神の槌』でどれだけ犠牲が出るかのシミュレーションをしたのはあいつだし……マキャベリズムの極致みたいな奴ね」

 

 敵意しかないと言った口調でコープは語る。その意見は部分的には誤りとは言えないが、それでも恣意的という誹りは免れないであろう。彼女が魔術師殿を嫌う一番の理由は従弟が士官学校でのシミュレーションで大恥をかかされた事である事は間違い無い。

 

 本遠征軍にも従軍している第五艦隊第二分艦隊司令部作戦スタッフたるマルコム・ワイドボーン少佐が事ある毎に魔術師と比べられ、兵站を理解しない秀才様(笑)とか頭でっかちの坊っちゃん等と妬み半分に悪口を囁かれている事を私も人伝いに聞いていた。

 

「随分と辛口評価な事だな。ハイネセン・ファミリーの英雄シトレ大将の秘蔵っ子の一人だろうに」

「シトレ大将の能力は認めるわよ。けど主義主張にまでは同意出来ないわね。特にああも出世していてどこの派閥にも入らないなんて目障り過ぎるわ。せめて統一派にでも加わってくれたらまだやりやすいのに」

 

 シトレ大将の軍人としての能力は疑うに値しない。政治家としても優秀だろう。独自のコネクションもある。しかしだからこそ統一派にすら加入せずに中立的な立場にいるのは面倒でもあった。今回の遠征軍の構成を提案したように各派閥と繋がりが無い訳ではないが……軍事的・政治的に優秀で社会的立場があり、多くの有能な教え子や部下を子飼いにしている高級軍人というのを各派閥のお偉いさん方が手放しで容認出来るかと言えばねぇ。

 

「今はヴォード元帥が手綱を握っているから良いけれど、あれが統合作戦本部長なんてなったら面倒この上ないでしょうね。子飼いの教え子も奇人変人が多いのに、あれがトップになったらそんな濃い面子が軍高官を独占する事になるわ。それくらいなら個人的にはあんたの所の太っちょがなってくれた方が幾分かマシよ」

「俺ら帰還派の高級軍人の絶対数は少ないから、か?」

 

 亡命政府軍に流れる者も多いので亡命帝国人……特に亡命貴族や貴族主義者の同盟軍人の絶対数は多くはないし閉鎖的だ。そのため同盟軍という巨大組織の重要役職を独占出来ない。その点で帰還派はある意味他の派閥から安心されているという側面があった。

 

「というかそんな話を私にしていて良いのか?此方からすればお前達建国以来の名家組の仲間割れ情報ゲット、な状況なんだが?」

「その情報で以て貴方に出来る事があるわけ?安心しなさい、貴方の器量では大してそっちの派閥に役立てるだけの能力も覚悟もないわよ」

「嫌な信頼だな……」

 

 鼻を鳴らして冷笑するコープに私は肩を竦める。まぁ、私としてもシトレ大将程の能力を持つ人物に策略を練る能力もなければ必要性もない。聞いた所で役立てようがない。……よしよし、テレジア落ち着け。安い挑発に乗るな。

 

「ですが若様……」

「これくらい唯のじゃれ合いだよ。いちいち反応する必要はないさ。そっちもいつまでも油を売ってる時間があるのかね?その手元の書類はサイン貰いに来たんだろう?」

 

 ちらりと視線を動かせば漸くシトレ大将とマリネスク作戦部部長の会話が終わった所であった。大方話が終わるまでの時間潰しとして私は使われた……という所だろう。

 

 私が再度視線を戻せばふっ、と小さく嘲笑うような笑みを浮かべ雑に手を振ってその場を去るコープ。よしよし、だからそんな挑発に乗らんで良いからなテレジア?

 

「若様に向けてあのような無礼な態度を取るなど……!」

「テレジア」

「っ……!承知致しました」

 

 私が優しく諭すように名前を呼べば不肖不肖と言った風にではあるがそう矛を収める従士。その従順な態度に私は笑みを浮かべる。

 

「何だかんだ言っても素直で忠義深いのはお前の美徳だよ」

「おだての御言葉は御止し下さいませ。……自分自身でも面倒な性格なのは良く理解しております」

 

 私の言葉に複雑そうな表情をするテレジア。ホーランド達にも弁明をして医務室から退場してもらった後ハイライトのきえた彼女の調子を元に戻すのに少し手間取った。やはり、薄々思っていたが彼女は少し執着的で嫉妬が強い性格らしい。とは言え………。

 

「少なくとも半分以上は本音だぞ?それを言ったら私はお前よりも遥かに面倒な人間だからな」

 

 下手打ったらハイライトが消えるだけならば可愛いものだ。……そもそも彼女のハイライトを(故意にではない?にしろ)毎回抹殺している奴が言えたものではない。しかもトラブルメーカーの放蕩貴族である。最早役満の殿堂入りである。毎回小事を大事にするのに比べればテレジアの狭量気味な性格はそこまで問題があるものではない。それに……。

 

「……」

「……若様?どうか致しましたか?」

「……いや、少し疲れてしまってな。ぼうっとしてしまっただけだよ」

 

 急に黙り込んで自身を見つめていたからだろう、少し困惑気味に声をかけてきたテレジアに私は微笑みながら応じる。彼女の頭が弾ける光景を思い出していたなんて言える筈もない。

 

(攻略戦直前に縁起でもない夢を見た事だな……)

 

 彼女ならば夢の内容同様咄嗟の時に肉壁にでもなってくれそうではある。それに比べれば性格の欠点なぞ無きに等しい。……まぁ、そもそも何で総司令部の参謀が要塞内部に揚陸しているんだって話なのだがね。

 

「んっ……!?若様……?このような場で……」

「なぁに、じゃれてるだけじゃないか?それとも命令してやろうか?」

 

 冗談半分で私はそう嘯きながら彼女の頭を撫でて、その髪を弄ぶ。テレジアの方は困り顔で、しかし嫌がる事もなくそれを受け入れた。彼女にとって私の要求に拒否する選択なぞ元より考えもしない事だから。寧ろ、少し機嫌が良さそうだった。

 

 それは一見、恋人同士でふざけているようにも見えるかも知れない。しかし実際は……少なくとも私にとってそれはベアトに対するもの同様、テレジアが無事かを確かめている行為だった。無論、その事をテレジア本人に言う事はないが。

 

「本当、こんな時期に碌でもないな……」

 

 ……微笑みの中で、しかし瞳だけは笑わずに、私は誰にも聞こえない位小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 宇宙暦792年五月六日1300時、同盟軍は帝国軍と並行追撃・混戦状態に入りながらイゼルローン要塞『雷神の鎚』射程圏内に雪崩れ込んだ。虚空の女神への通算五度目の求愛行為は、次のステージに突入したのである……。

 




 c.m.先生様から素敵なイラストを頂けました。差分含めてここでご紹介させて頂きます!


【挿絵表示】


 なんだこの屑貴族の癖に外面だけイケメンは!?……こんな顔の癖に職場で愛人囲って婚約者には容赦無きマウントを取っているんですよね……やっぱ門閥貴族は根切りにしなきゃ(使命感)

以下は略章等を変更した差分です


【挿絵表示】

艦隊司令官バージョン


【挿絵表示】

宇宙艦隊司令長官バージョン


【挿絵表示】

統合作戦本部長バージョン

 他にも差分がありますが、其方については第一話後書きにこれまで作者がAIで制作したイラストと纏めて貼らせて頂きます。素晴らしい出来ですので残りの差分についてもぜひご覧下さいませ

 改めてc.m.先生様に対して感謝の言葉を贈らせて頂きます。


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