帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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幕間
とある騎士の追憶と誓約


「ミカ!遅かったじゃないか?いつまでも来ないから待ちくたびれたぞ?」

 

 青年は長年連れ添って来た親友の声に、しかしすぐには反応する事が出来なかった。それほどまでに彼は放心し、絶望し、苦しんでいたから。

 

 その事に気付いたのはいつの事であっただろう?いや、きっとその事に本当はとっくの昔に気づいていた筈なのだ。

 

 ただ……ただ、気付かない振りをしていただけであったのだ。今の関係を壊したくないから。その繋がりを失いたくないから。

 

「ミカ?……おいミヒャエル、どうしたんだ?そんなに顔を青くして。どうせまた宇宙酔いする癖に酔い止めを飲み忘れて本を読んでたんだろう?お前は几帳面な癖に大事な事に限って忘れるからな?」

 

 駆け寄って来た親友は何事もないかのように青年に向けて屈託のない笑顔を向ける。そう、何事もないように。

 

「………」

 

 青年は渋い表情で親友を見つめ、思い返す。

 

 ……気難しく、話下手で、アウトドアを嫌う文学少年だった自分とは正反対の活動的で、社交的で、話上手で、そして幼年学校と士官学校でフライングボールチームのエースに輝いた親友は彼の合わせ鏡のようで、同時に憧れで、そして決して届き得ない目標であった。

 

 だからこそ……だからこそ、ある意味でこれは必然であり当然の帰結であったのだろうと青年は思う。それは身分が釣り合っているだけでなく、余りにもお似合いで、しかも彼女の幸せのためでもあったから。

 

 ……無論、だからと言って納得出来るかは別問題なのだが。

 

「あら、ミカ?漸く来たの?もう!遅いわよ、待ちくたびれちゃったじゃない!……顔色が悪そうだけど大丈夫?」

 

 親友の背後からやって来たのは天使だった。ムスっとして、次いで心配そうに彼の顔を覗く少女はまるで神話に出てくる美女神のようだった。妖精の笑みを浮かべる快活そうで、気品があって、何よりも美しい金髪碧眼の少女……。

 

「あ、ああ。クリスの言う通り酔い止めを忘れてね。大丈夫だよ、直ぐに良くなるさ」

 

 本当は酔い止めを忘れてなんかいなかった。今回のために彼は必死に、入念に、何度も忘れずに準備をしてきたのだ。様々なシチュエーションを想定して、下見も何度もしてきた。指輪だって彼が手に入れられる最高の物を用意してきた。

 

 だが、それも全て無駄だった。無重力酔いなんて可愛いものじゃない。気持ち悪くて、えずいて、胃液しかないのに今すぐ嘔吐してしまいそうだった。

 

 これでは道化だ。自分はとんだ間抜けだ。大馬鹿者の愚か者だ。その事を自覚していても、しかし彼は全てを投げ捨てる事は出来なかった。確かに腹立たしくても、憎々しくても、悔しくても、しかし彼には全てを捨て去る勇気なんてなかった。

 

「全く、呆れた奴だな。ほら、肩を貸してやるよ。あっちにソファーがあるからそこで休もうぜ?」

 

 親友は何の気負いもなく、苦笑しながら彼に肩を貸す。青年はそれが完全な善意である事を長年の付き合いから知っていた。

 

 だがそれでも……それでも彼を憎らしく思えるのは仕方ない事だった。彼女の、ヨハンナの甘い香水の匂いが彼の上着から仄かに漂って来たのだから。

 

 そして、青年は遂に自身が目撃した事を追及する事が出来なかった。ほんの半刻前に二人が人工滝で二人きりだった事を。そしてそこで………。

 

 

 

「被告人!入室されたし!」

 

 監視役の憲兵隊長の声で、彼は三四年前の夢の世界から現世に強制的に引き戻された。

 

 周囲を見渡す。ほんのり薄暗い貴族将官用被告人控え室は、豪華な調度品と世話役に二人の使用人が控え、同時に警護と逃亡防止を兼ねた一個分隊の憲兵が睨みを利かせる。軍服を着た彼の腕には電磁手錠が嵌められ、その身体は凶器の類がないか徹底的に調べ尽くされている。

 

 本来ならば例え敗軍の将とは言え、門閥貴族出身の将官をこんな重犯罪者の如き待遇に貶めるのは異例ではあるのだが……この対応が彼に対する帝国軍上層部の意思とその処遇を匂わせていた。

 

 彼は宣告に従い椅子から立ち上がると直ぐ隣に隣接する広い部屋に足を踏み入れる。上方では厳めしい顔立ちの軍の高官達が彼を鋭く睨み付ける。

 

 照明で照らされた被告人席に佇むと、裁判長を務める銀河帝国軍軍務省法務局長シュトロンハイム大将が法廷全体に聞こえる高らかな声で文章を読み上げる。

 

「それではこれより、高等軍事法廷案件第四八四号、即ち帝国暦481年三月におけるヘリヤ星系における会戦及び作戦指揮について、ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将の過失の有無に関する公判を開始する!」

 

 小槌を数回打ち鳴らしながら、法務局長は敗戦の将を弾劾する銀河帝国軍高等軍事法廷の開催を厳かに宣言した。

 

 

 

 

 軍事法廷は形式を一ミリと破る事なく淡々と進行した。

 

 まずは被告人の姓名・経歴について確認する形式で始められた。

 

 ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング銀河帝国宇宙軍中将は、生年月日を帝国暦426年六月七日、年齢は五七歳。生家はジギスムント一世公正帝時代に成立したカイザーリング伯爵家の分家ゴルトベルク=カイザーリング男爵家の長子であり、父より一〇年近く前に爵位を継承している。

 

 典型的な門閥貴族将校らしく、帝都オーディンの帝国軍幼年学校を席次一二位、次いで銀河帝国軍士官学校を席次一九位で卒業。双方において消極的で自己主張に乏しい部分があるものの品行方正かつ公明正大な人物として教官達に高く評価されており、特に前者においては学内風紀委員会会長を務めていたと記録されている。

 

「士官学校における戦略シミュレーションの評価は用意周到かつ勇猛果敢であるか。宙陸両用作戦と緻密に計算された伏撃において特筆するべき点があるな」

「ほぅ、研究科は宙陸統合戦研究科か。花形ゼミだな、羨ましい限りだ」

 

 法廷に出席する将官達がカイザーリングの学生時代の成績を見ながら称賛半分、冷やかし半分に宣う。しかし、当のカイザーリング中将はと言えば直立不動の姿勢のまま表情を変える事もなく、唯ひたすらに寡黙な態度を続けるのみであった。

 

「ふんっ。軍歴については……幼年学校時代に白色槍騎兵艦隊艦隊司令部の従卒経験有りか。当時の艦隊司令官からの覚えも良いらしいな。446年に士官学校を卒業、最初の勤務地は……ゾースト星系の補給基地の司令部勤務か」

 

 カイザーリングの態度に不快そうに鼻を鳴らした後、将官の一人が経歴の確認をしていく。

 

 帝国暦446年から449年までゾーストⅣ=Ⅱ兵站基地司令部勤務、その間に着任一年で規定通り少尉から中尉に自動昇進している。

 

 帝国暦449年には事務処理能力を評価され大尉に昇進、同時に宇宙艦隊幕僚総監部第一部第二課長副官を務めこれを453年まで職務を全うする。

 

 帝国暦454年に少佐に昇進すると、第三重騎兵艦隊宇宙軍陸戦隊大隊長として帝国暦459年までにイゼルローン要塞建設を妨害せんとする反乱軍に対する防衛戦に六度に渡り従軍して一一回の地上戦に参加した他、宇宙海賊との戦闘三度、辺境反乱の鎮圧作戦に一度参加。その間に戦傷章を一度、突撃勲章を二度、鉄十字勲章を一度授章する。帝国暦460年には大佐に昇進する。

 

「460年から462年まで第四軽騎兵艦隊の作戦参謀スタッフを経験、463年から466年に第二重騎兵艦隊所属の戦艦群司令官に着任、463年の反乱軍のイゼルローン要塞侵攻に対する防衛戦に参加したようだな」

「467年に准将昇進、アルトミュール星系根拠地隊司令官として二年、469年に第三竜騎兵艦隊の戦隊司令官に着任、ここでも二回出兵に従軍して武功を挙げていると。素晴らしい経歴だな」

 

 471年二月、宇宙軍少将に昇進。475年の六月までの四年間を銀河帝国軍士官学校教頭として勤務。古風で厳格であるが公明正大な、そして実戦経験から学んだ貴重なノウハウを体系化・理論化し惜しみ無く生徒達に指導した優秀な教員として評価されている。

 

 475年六月に前線勤務に復帰、同年のシュタインホフ大将による反乱軍勢力圏に対する攻勢ではエルシュ星系第五惑星衛星軌道においてデブリ帯に紛れての奇襲攻撃により同盟駐留艦隊を撃破、地上部隊の降下による基地占領に成功する。476年にオーバーライン帝国クライスに駐留する第十胸甲騎兵艦隊司令官に就任、オーバーライン帝国クライスはイゼルローン回廊と接する国境地帯であり、ここの駐留艦隊司令官に任じられる事は艦隊司令官として極めて高く評価されている事を意味していた。

 

「そして479年中将昇進、サジタリウス腕討伐軍副将としてアルレスハイム方面遠征軍の司令官に着任。480年の反乱軍の反抗を撃破し、この方面の賊将の首魁を敗死せしめるか」

「この功績に皇帝陛下はいたく感動しておいでだ。昨年の四月には双頭鷲勲章を授与し、報奨金を賜下なされた。帝国軍人として、最高の名誉であるな」

 

 軍事法廷出席者達はカイザーリング中将の功績を褒め称える。しかし、それはこれからの追及の前座に過ぎなかった。

 

「しかしながら……そのような皇帝陛下から多大な御恩を授かっている中将が此度の敗戦。正直な所、失望を禁じ得ませんな?」

 

 冷たい声でカイザーリング中将を非難する声が法廷に響いた。口にした者とてどこまで本気であの放蕩で、陰気で、無気力な皇帝を信奉しているかは分からない。しかし、その声調からは少なくともカイザーリング中将に対する明確な敵意がある事は明らかであった。

 

「……それではそろそろ本題に入りましょうか」

 

 経歴の確認を終えて、遂に法廷の話題は彼が、カイザーリング中将が収監される切っ掛けとなった前月の敗戦に移る。即ち、帝国暦481年三月上旬に生じたヘリヤ星域会戦についてである。

 

「この時点で、アルレスハイム遠征軍の戦力は各種の増援部隊を合わせ宇宙艦艇八〇〇〇隻余り、地上軍は凡そ七〇万という大軍を擁しておりました。……間違いありませんな?カイザーリング中将?」

 

 査閲局長の確認に、カイザーリングは無言でただ頷いて肯定の返事をする。

 

「たかが一中将としては過分な戦力ではありますが、一先ずはカイザーリング中将はこの方面において戦力的に劣勢な公王軍、及びそれに加担する反乱軍を撃滅しつつ、三月一四日、遂にヘリヤ星系外縁部に到達致しました」

 

 政治的理由から銀河帝国亡命政府を半分身内として認識しているために査閲局長は敢えて銀河帝国亡命政府軍をアルレスハイム公王軍と、そして自由惑星同盟軍は公王に臣従する辺境の反乱軍と形式的に称して帝国軍の『転進』に至るまでの説明を行う。

 

「航海参謀及び憲兵参謀、作戦参謀からの聴き取りによれば遠征軍主力は強固な防衛線が構築されていると予測されるヘリヤ星系攻略のため、最外縁を周回する第一八惑星を前哨基地とするべく揚陸作戦を敢行、現地の小部隊を殲滅して三月一六日までにこれを占拠した、とありますがこれは事実ですか?」

 

 カイザーリング中将の無言の肯定を受けて、査閲局長は説明を続ける。

 

「遠征軍は現地の防衛戦力及び陣容を把握するために斥候部隊を展開しました。戦力として宇宙艦艇六〇〇隻、地上戦力五万名に及びます。敵軍もまたこれに対応するべく小部隊を散開、三月一六日から三月二〇日までの間に一二四隻の宇宙艦艇と六五〇九名の地上戦力を喪失、引き換えにヘリヤ星系における大まかな敵戦力の陣容を確認する事に成功致しました」

 

 三月二二日、遠征軍主力は公王軍及び反乱軍の大規模な防衛線の敷かれた第一一惑星・第九惑星を各種の地上基地、軍事衛星群、小惑星基地を繋いだラインに攻撃を仕掛ける。敵軍の総戦力は四二〇〇隻、地上戦力三〇万に及ぶ。

 

「戦況は遠征軍優位に推移致しました。三月二四日には別動隊による迂回作戦が成功し、敵軍は六〇〇隻の艦艇と地上軍八万名の損害を受けて後退、第五惑星にまで戦線を下げる事になります。対して遠征軍の損失は敵軍の四割程度と見積もられます」

 

 数的優位があったとはいえ、敵軍にとっては防衛戦であり地の利があった。それを踏まえれば、短期の内に敵より軽微な損失で勝利したのは特筆すべき点であろう。

 

「以来、敵軍は全面衝突を避け、ゲリラ的攻撃に方針を転回致しました。遠征軍もまた小部隊を複数展開してこれに対応、同時に敵軍の補給を断つために各所の補給拠点の撃滅に乗り出します」

 

 三月二六日までに計八ヶ所の補給施設を破壊、三月二七日には星系外縁部において大規模な補給施設となっている事が確認された鉱山基地『ノイメクレンブルク』の存在を確認、これの攻略に主力部隊を動員する。

 

「さて、ここからが問題です。カイザーリング中将、鉱山基地攻略のために地上部隊一五万を輸送する予定でしたが、ここで大きな問題が起こります。三月二九日に地上部隊の収容作業中、大規模な爆発事故が発生しましたね?」

 

 弾薬庫の事故によって人的被害こそ少なかったものの、多量の地上部隊用の弾薬、及び酸素、食糧等が喪失、その収拾に丸一日の時間を要する事になる。

 

「更に三月三一日には傍受した通信と偵察部隊からの報告によって大規模な敵の増援を察知したと記録されております」 

 

 財政難の反乱軍のどこからそんな金が湧いて出たのか、一個艦隊の宇宙軍に加え二個遠征軍規模の地上軍の存在は帝国軍を驚愕させた。

 

「遠征軍司令部における会議における討論の結果、中将は待ち伏せと奇襲による各個撃破を狙った。間違いありませんな?」

 

 カイザーリング中将は首を縦に振り肯定する。正面からの戦闘は論外であった。戦力比は勿論、物資は心許なく、兵士の士気も低下していた。一部の部隊では長期の前線勤務から精神失調や麻薬の蔓延も発生しつつあった。カイザーリング中将自身はその戦歴と実際の指揮能力から幅広く兵士達の信望を得てはいたが、それでも限界がある。

 

 撤退は難しかった。敵の大軍が接近している中での撤収は地上部隊の動きの悪さやヘリヤ星系内に展開するゲリラの存在もあり困難を極めたし、何よりも本国と軍総司令部内では派閥抗争の混乱から撤退許可がいつまで経っても認可されなかった。

 

 撤退が許されないならば勝つしかない。より正確に言えば、一度勝利してから後退する事で撤退による懲罰を勝利による功績で帳消しにしようとした。そのためには何としても勝たなければならなかった。それも短期の内に。

 

「鉱山基地『ノイメクレンブルク』攻略を偽装しヘリヤ星系内の敵部隊を誘引しつつ、遠征軍主力は増援が通過するとされる第一四惑星、その小惑星帯に百隻単位の小部隊で散開しつつ潜伏致しました。機関、及び主要なアクティヴセンサーは逆探知の可能性から停止、光学機器を始めとしたパッシヴセンサーのみを利用し周辺警戒を行いつつ機増援部隊に対する奇襲を準備したと記録されます。四月二日0800時の事です」

「………」

 

 そう、カイザーリングは思い出す。あの時の事を。幾つか不確定要素はあったが、それでもやれる事は全てやった筈だった。鉱山基地『ノイメクレンブルク』に対してダミーと電子戦を用いて敵残存部隊の過半を誘引し、かつ増援部隊にも自分達の目的を錯覚させた。通信基地や偵察基地を小部隊をばら撒いて虱潰しにする事で主力の移動を捕捉されないようにした。艦隊の暴走が起こらないように兵士達の統制も万全であった。そう、不運でも起こらなければ増援部隊に対する効果的な奇襲は成功する筈であった。実際、彼らの動きや傍受した通信はカイザーリング達の存在を把握していなかった事を示していた。

 

 そう、いきなり背後から出鱈目な形で敵部隊が現れなければ。

 

「同日1845時の事です。横腹を晒したまま鉱山基地『ノイメクレンブルク』救援に向かう反乱軍に対して遠征軍主力は攻撃を仕掛けようとしました。しかしその瞬間、遠征軍は背後から攻撃を受けたのです」

 

 それは推定で艦艇三〇隻から五〇隻前後の、しかも反乱軍と公王軍の様々な艦種の混合編成であった。動きから見るに統制が取れているとは言えず、恐らくは急造の混成艦隊であったと思われる。それがよりによって遠征軍旗艦が展開する宙域に背後から突っ込んで来たのだ!

 

「何故そのような事が?奇襲部隊が逆に奇襲を受けるなぞ、警戒部隊は何をしていた?」

「その点については二つ理由があるようです。一つは反乱軍増援艦隊を注視していたために後方に対する警戒が薄くなっていた点、二点目としては探知の危険から探知をパッシヴセンサーに限定し通信も統制していたため、後方の警備部隊が司令部に警報を発する事が出来なかった点が挙げられるでしょう」

 

 軍事法廷に参加する軍人達の内、艦隊勤務の経験のある将官達が分析して推測する。

 

 この後方からの予想外の襲撃は遠征軍主力にとって細やかな、しかし致命的な失敗を招く事になった。後方から突入してきた小艦隊は文字通り狙いもつけずに気が狂ったかのようにあらゆる武装を四方八方にばら蒔いた。奇襲の上に、予想がつかない乱射の前に遠征軍主力は一気に混乱する。中には味方艦艇の爆発に巻き込まれるものや敵艦艇と衝突事故を起こしたものもある。

 

 しかも旗艦の至近である。混乱の中で殆んど回転しながら暴れる戦艦の一隻と旗艦はニアミスする。そして、その時放たれた電磁砲弾の一発は遠征軍の旗艦に直撃した。損傷自体は軽微であったが……通信装備が破壊された事実はある意味では撃沈されるよりも事態を悪化させる。

 

 旗艦が沈んだなら、軍規に従い次席の司令官が指揮を継承すれば良い。だが、なまじ旗艦が生存していたが故に諸提督は混乱した。幾人かは旗艦の通信装備が損傷を受けた事すら把握出来ていなかった。

 

 艦隊の混乱と撃沈艦艇の発生は当然のように反乱軍増援艦隊に伏兵の存在を知らしめる事となった。

 

「結果として、碌な指揮も執れぬまま、しかも小部隊に分かれ機関を停止していた遠征軍宇宙艦隊は猛烈な砲撃を前に四割の戦力を喪失、しかも地上軍の内残存する戦力の半数に及ぶ三〇万を回収出来ずに降伏とは……カイザーリング中将、これが帝国と皇帝陛下の権威を著しく貶める行為である事は御承知でしょうな?」

「………」

 

 俯き、ただ沈黙を守る艦隊司令官。

 

「ふんっ!ここまで来て黙りか!ダゴンのインゴルシュタット上級大将の真似かね?潔さを印象づける積もりかも知れんが却って見苦しい限りだな!!」

 

 ダゴン星域会戦において敗戦責任を問われたゴットリーブ・フォン・インゴルシュタット上級大将は中将として軍事法廷で一切の弁明を行わず銃殺刑に処され、その後マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝の時代に名誉が回復されて死後二階級特進が許された人物だ。

 

 軍事法廷の出席者達はカイザーリング中将の態度をインゴルシュタットと重ね合わせようとしていると解釈したらしかった。自身を処断すれば後世に汚名を残すであろう、と。  

 

「ダゴンの時とは状況が違うわ!奇襲の失敗は貴様の過失である事は明らかである!」

 

 出席者の発言は半分正解であるが半分は間違いであった。確かにカイザーリング中将にも奇襲作戦失敗の原因の一因はあるだろう。だがそれと同等かそれ以上に遠征軍が政治の道具とされた事も事実である。そもそも上層部の都合によって彼自身既に疲労は限界に近かった。そうでなければ流石に予想外とは言えもっと上手くあの局面を切り抜ける事もできただろう。

 

「………」

 

 しかし、それでも恨み事の一つも老将は言わず、ただひたすらに沈黙を守る。それは彼の贖罪であった。何はともあれ彼の指揮によって多くの兵士が死に、あるいは不具となり、捕囚の身となった。そしてその何倍もの家族を失った遺族が生まれた。彼はその事を自覚していたし、見苦しい言い訳を述べてその責任から逃れようと思う程恥知らずではなかった。故に全ての責任を甘受する覚悟があり、それ故の沈黙であった。

 

 ……尤も、それだけが理由ではないし、法廷出席者達にとっては逆に反感を抱かせるのも確かであったが。

 

 法廷の出席者達が交代しながら中将を糾弾し、敗戦の責任を一個人の過失に貶める。それは此度の敗北が組織や派閥抗争に起因するという批判の目を逸らさせ、矮小化しようとする目的があった。同時にそれは敗戦の老将を精神的に追い詰めて、ある提案を行うためのものでもあった。

 

「……まぁ、待ちなされ諸君。カイザーリング中将は長期の遠征で疲労している身、しかも御高齢だ。そうよって集って言い詰めるものでも無かろうて」

 

 そうカイザーリングに助け船を寄越したのは単眼鏡を顔に掛けたこの場の最高階級者……いや、銀河帝国軍における最強権力者であった。

 

 ヘルムート・レべレヒト・フォン・エーレンベルク元帥は賑やかな、人当たりの良い笑みを浮かべ、老将を労るように部下達に言葉をかける。だがそれは決して善意からではなく、寧ろこの法廷自体が彼によって完全に計算された政治ショーでしかなかった。

 

「軍務尚書殿、そうは仰いますがカイザーリング中将の失態は……」

「待て待て、そう焦るものではない。カイザーリング中将にも擁護するべき点は多々ある。反乱軍は大軍であったし、失敗の原因たる敵の奇襲部隊は武勇で誉れ高いあの伯世子が指揮官であったと聞く。幾ら歴戦の闘将たる中将とて勝利は容易ではあるまい。それに……」

 

 ちらり、と単眼鏡越しに意味深げな視線を向ける老元帥。そして、優しげに、しかし明らかに探るようにエーレンベルクは中将に尋ねる。

 

「それに、だ。報告書を読む限りでは事故によって物資も不足しつつあったと聞く。更に言えば一部の部隊では……誠に遺憾な事であるが麻薬汚染も広がってたそうだな?これではどのような提督であろうとまともな指揮は出来まい」

 

 そこで軍務尚書は目を細めた。

 

「だが不思議な事だとは思わんか?麻薬なぞ我ら栄えある帝国軍は勿論、反乱軍ですら禁止している代物、一体何処からそんなものが兵士達に流れているのか。報告書を読む限り少なくとも数千から数万人は汚染されていたと思えるが……それだけの者達が個人的に薬物を入手していたとは思えん」

 

 心底不思議そうに、そして態とらしくエーレンベルク元帥は言って見せる。そして、再度敗戦の将に尋ねる。

 

「カイザーリング中将、貴官とて軍の統制のために査閲将校や憲兵隊と取り締まりに動いていた筈だ。どこから違法薬物が流れて来たのか、調べはつかなんだか?」

「………残念ながら」

 

 短く、感情の籠らない言葉でカイザーリング中将はそう答えた。

 

「貴様ぁ……!!折角の元帥の御厚意を……!!」

 

 法廷に出席する将官達があからさまな怒気を湛えながらカイザーリングに罵声を浴びせていく。圧倒的に劣勢な立場の中将に対して軍務尚書が持ち掛けた取引を冷淡に拒絶されたのだから当然の事であった。

 

「…………」

 

 当のエーレンベルク元帥は無言で、剣呑で、冷酷で、酷薄な視線を被告人に向ける。老元帥はカイザーリングの言葉に取り合わず、目の前の男をどのように追い詰め、問い詰めるべきか思考を巡らせていた。そこには一切の怒りはなく、しかしそれ以外の感情も見て取れなかった。ひたすらに目の前の男をどうやって有効利用しようかという計算があるのみだった。

 

(余り使いたくない手であるが……)

 

 相手が取引に応じないのならば仕方無い。それならば彼の最も望まない方法で黒幕を引き摺り降ろすしかあるまい。幸運にもこの中将の周囲にはその起爆剤となり得るものは幾らでもあった。そのために……とある老貴婦人が一人陰謀に捲き込まれようと、何らエーレンベルクの良心を痛める事は有り得なかった。

 

 そして、エーレンベルク元帥が茶番染みた法廷を次の段階に進めようとしたその瞬間の事であった。法廷に慌てた表情の副官が現れたのは。

 

「ぐ、軍務尚書閣下……!!」

 

 軍務尚書副官に任命されている士官が優秀な軍人である事は疑いない。そんな者が驚愕仕切った表情で駆け寄る。

 

「貴様ぁ!神聖な裁判中に何を……」

「待ちたまえ。副官、何事かね?」

 

 出席者達が咎めるのを制し、副官に何の知らせを持ってきたのかを尋ねる軍務尚書。耳元でエーレンベルク元帥は恐縮する副官からのその連絡を聞き取り……次いで僅かに目を見開く。

 

「……法務局長」

 

 エーレンベルク元帥は裁判長を兼ねる法務局長に声をかける。同じく連絡を受けた法務局長は動揺した表情を浮かべ、それでもどうにか頷くと震えた声で宣告する。

 

「……か、火急の連絡を受けたため本日の法廷は一旦ここまでとする。じ、次回の開催については未定……追って日時を通達する!!」

 

 以上閉廷!と小槌を若干粗っぽく叩き鳴らし無理矢理裁判を中断させる裁判長。その行為に他の出席者達は困惑し、ざわめき立つ。

 

 それはカイザーリング中将も同様であった。あからさまな動揺こそ見せぬものの、このまま敗戦責任を問われ極刑を言い渡される事も覚悟していたのだが……。

 

「カイザーリング中将、面会希望者がお待ちです。どうぞ此方に御同行を」

 

 被告人として立ち尽くす彼の傍にいつの間にか控えていたのは無表情を装う憲兵将校であった。電磁手錠を解錠された上で憲兵達によって恭しく法廷から退出を促されるカイザーリング。

 

 その間にも困惑と混乱に法廷のざわめきは一層大きくなる。そんな中、軍務尚書だけが落ち着いていた。そして、静かな怒りを内心に渦巻かせていた。

 

「………小僧め、好き勝手やってくれるわ」

 

 憲兵達によって案内される老将の背を睨みつつ、エーレンベルクは半ば秘密となっているこの軍事法廷を察知し、介入を仕掛けた人物に対して吐き捨てるようにそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 混乱する法廷を尻目に促されるままに退出したカイザーリングは、まず被告人控え室に再度入室させられ……次いでその事実に気づいて一旦足を止めた。

 

「貴方様はっ………!?」

 

 中将は室内で待ち構えていた人物に驚愕し目を見開いた。

 

 一個分隊の使用人を控えさせ椅子に座るのは、若く、そして筋骨隆々ながら端正な青年貴族であった。

 

 その姿は異様であった。顔面に顎の治療用コルセットを装着した青年貴族は片手で重量十キロはあるダンベルを何度も上げては下げ、もう一方の手にはシュタイエルマルク上級大将が執筆した事で知られる戦術指南書を携え鋭い視線で睨み付ける。その形相は何か怒りに突き動かされているようにも思われた。

 

「マクシミリアン様、男爵がお出でで御座います」

「うん?そうか。失敬した。教官の指導でな、参考書の予習をしていた所なのだ。許せ」

 

 執事からの言葉に反応し、尊大な態度で答える青年貴族。その事自体は問題はない。伯爵家分家の男爵家当主である彼でも、流石に帝国宮廷で五本の指に入る権門の嫡男……それが宮廷で悪評と醜聞の塊のような人物であろうと……より格上である等と自惚れてはいない。

 

 そう、問題はそんな事ではない。何故、『あの』カストロプ公爵家の長子がこのような場で、軍事法廷の被告人控え室なぞで自身を待っていたのか、それこそが重要であった。

 

 たらり、とカイザーリングは額から一筋の汗を流した。質実剛健かつ、厳格で、禁欲的で、古風ながら格調ある騎士であり、今回の軍事法廷でも元より死刑をも覚悟していた彼ではあるが、それでも尚目の前の人物の意図には最大限に警戒せざるを得なかった。

 

「お初にお目にかかります、マクシミリアン公世子殿。ですが、私の如き栄誉ある帝国軍に泥を塗った一敗将になぞ、今更何のご用でありましょう?」

 

 厳粛に、完全に礼を執った優雅な口調でカイザーリングは目の前の青年貴族に尋ねる。放蕩者であり、傲慢であり、残虐な、しかし同時に先年以来宮廷の笑い者となり公の場に姿を現さなくなったこの公爵家の跡継ぎが何故軍事法廷の場に、しかも彼の裁判の時に姿を現したのか?

 

「くっくっくつ、随分と訝しんでいるようだな、男爵?何、そう警戒する事ではない。何も卿を獲物に狩猟を楽しもうという訳でないのだからな。そのような詰まらぬ趣味に興じる暇は私には最早ありはしない」

 

 そう言っている間にもダンベルを振り、額から大量の汗を流し続ける公世子。

 

「卿に今回会いに来たのは依頼をしたいと考えたからだ」

「依頼、で御座いますか?」

 

 公世子の発言に思わず首を傾げるカイザーリング。それは当然の事であった。絶大な権力を持つ彼が態態敗軍の将に何の依頼をしようというのか?

 

「そうだ。卿に、いや卿だからこそこの依頼をしたいのだ」

「……如何なる御用向きでありましょう?」

 

 マクシミリアンの口調から並々ならぬ意思と覚悟がある事をカイザーリングは察する事が出来た。そして、それ故に緊張した表情を浮かべカイザーリングは公世子が強く望む依頼のその内容を尋ねた。

 

「……卿に我が軍略の師として、その知識と経験を指導して貰いたい」

 

 戦術指南書を閉じて、カイザーリングを見据えながらマクシミリアンは有無を言わせぬ気迫を漂わせて答えた。

 

「っ……!?な、内容は理解致しました。ですが何故態態私なぞを指名を?帝国軍には現役、あるいは退役した経験豊かな名将は幾らでもおります。その中で何故私めのような愚かな敗将なぞを御指名なされるのでしょうか?」

 

 その気迫に歴戦の名将は一瞬狼狽えつつも、直ぐに調子を取り戻し冷静にその理由を尋ねる。

 

 貴族の師弟が所謂家庭教師を雇うのは極々普通の事である。そして、その中において政治や行政、軍事に関わる生の知識や心得、ノウハウを学ぶために現役ないし引退したばかりの帝国政府に仕える官僚や軍人を食客として招くのもそれ自体はありふれた話である。

 

 だが、当然ながら他所から招き寄せるのだ、有象無象の輩を招請するなぞ有り得ない。実際に功績を残し、経験豊かな人物を選び抜くものだ。それを、態態敗戦の弾劾を受けているカイザーリングの下に公爵家の嫡男が足を運び、教官として請うなぞ異常としか言い様がない。カストロプ公爵家であらば他にもっと優秀で名声のある将官に声をかける事も可能ではないか?

 

「ほぅ?愚かな敗将か。良くもまぁ堂々とそのようなものを言えるものだな?この私が態態卿に請うているというのに、言うに事欠いて自身の事を愚かなどと言うとはな。卿は私の目が節穴だとでも言いたいのかな?」

「い、いえ。決してそのような事は……!」

 

 カイザーリングの言葉に不機嫌な態度を示したマクシミリアンに男爵は慌てて言葉を修正しようとする。だが、それは無用であった。次の瞬間にはマクシミリアンは高らかに笑い声を上げる。

 

「くくく、くはははは!!いやいや、その疑問は尤もだよ。確かに私の財力があればそれこそ有望な将とて幾らでも呼びつける事が出来よう。ましてや、悪評を数え上げればキリが無い私なのだ、卿が警戒するのも至極当然であろうな?」

 

 心底愉快そうに、しかし底意地悪く嘲る公世子に恐縮するカイザーリング。ひとしきり笑い切った後、頬杖をつきながらマクシミリアンは質問に答える。

 

「そうさな。理由は三つある」

 

 そういって指を一本突き上げる青年貴族。

 

「一つ目は推薦だな。既に教えを受けている教官から卿を推薦された」

「推薦、でありますか?」

「うむ、私は今幾人かの教官の下で将としての指導の受けている。その中でシュターデンとオフレッサーから卿の推薦を受けた。士官学校の教官時代に面識があったそうだな?」

「成る程、そういう事ですか」

 

 その両名の名前にカイザーリングは納得の表情を浮かべる。両名共士官学校の教頭時代に教員として生徒指導をした関係がある。当時の学生達からは頑固なカイザーリングと小うるさいシュターデン、罰則指導員のオフレッサーは地獄の組み合わせであった。

 

「理論ではシュターデンが、陸戦指揮ではオフレッサーが其々己が上とほざいていたが、同時に実戦と宙陸の連携戦では卿が上とも言っておった」

 

 そしてくくく、と再度、嘲るように笑いながら続ける。

 

「知っての通り奴らは我がカストロプ家とは派閥が違う。借り受けるためにリッテンハイムには大枚を支払わされた、故に奴らもいい加減な事は言っておるまい。そもそも奴らはその道の専門家だ。性格的にもプライドは人一倍、そんな者達の推薦を受けたのだ、余り謙遜すると推薦者を貶める事になるぞ?」

 

 鼻を鳴らしながら品定めするようにカイザーリングを見やるマクシミリアン。そしてそのまま指をもう一本上げて、宣う。

 

「次にだ。これは寧ろ敗北した卿だからこそ雇いに来た、という側面があってな。卿の待ち伏せが失敗したのは反乱軍の一部と偶発的に遭遇したためであったな?」

「はい。その通りですが……何か関係が?」

「関係?大有りだな。卿の綿密な作戦を台無しにしたのは……したのは……!!!」

 

 そこで身体を震わせ、悪鬼の如き表情に豹変するマクシミリアン。そのままみしゃり、と手に持つ参考書が握り潰される。

 

「っ……!」

「お、おおっと。これは失敬したな。ついあの屈辱的な記憶を思い出してしまってな。怒りで我を忘れてしまったようだ。くくく!」

 

 怯える周囲の使用人やたじろぐカイザーリングを見て、歪に歪んだ笑みを浮かべるマクシミリアン。そして、続ける。

 

「さて、話を戻そう。卿も門閥貴族の端くれならば私がここ一年近くの間、社交界に一切顔を出していない事位は把握しておろう?」

「はい。親戚からの話ですが、僅かながらも聞き及んでおります」

 

 門閥貴族は四〇〇〇家余り、総勢にしても一〇万人もいない。そしてその多くが婚姻や養子縁組み等で繋がっており決して広くない世界である。ましてや大貴族、それもカストロプ公爵家の嫡男の動静ともなればその積もりがなくとも聞こえて来るものだ。

 

「どのような話かね?」

「それは……」

 

 余り愉快な話ではない。少なくともマクシミリアンにとっては。相手に非礼になる話を素直にするべきか、老男爵は一瞬迷う。

 

「ふん、その程度の事で今更卿を責めたりなぞするものか。私が宮廷でどれだけ物笑いの種にされているかなぞ、何より私自身が良く知っているわっ!!」

 

 不機嫌気味に言い捨てる公世子。正確には、あの底意地悪くサディスティックな父が嬉々とした笑顔で態態息子がどのような間抜けを演じたか、尾びれどころか翼が付いたような話を方々で広めていると笑顔で教えてくれた。そして、屈辱で怒り狂う息子を見て公爵が満面の笑みを浮かべて快感を感じているのをマクシミリアンは知っていた。

 

「……フェザーンにて、亡命した某伯爵家の長子と口論になり決闘に及んだと聞いております」

「そして自ら挑んでおきながら惨めに敗北した、と?くくく、随分と遠慮したものだな。どこの誰かは知らぬが、もっと私を蔑んだ話くらい幾らでもあっただろう?」

 

 マクシミリアン自身の放蕩具合もあるが、元々カストロプ公爵家自体、歴代当主の所業もあって嫌われている事もあり、この期とばかりに散々悪口のような噂が宮廷で広がっている始末だ。多少なりとも公平な内容を語るのはロマンチストで芸術家気質なランズベルク伯の広める話位のものだろう。それはそれで称賛するファンも少なくないが美化され過ぎである。

 

「まぁ良い。その某伯爵家が何処なのかは今更言うまでもあるまい。……ここまで言えば私が卿を敢えて雇う理由も分かろう?私と卿、双方の名誉を回復する良い機会だ」

 

 復讐は貴族の権利である。マクシミリアンも、男爵も、形は違えどティルピッツ伯爵家に泥をかけられた。ならばこそ、復讐のために誘いをかけるのもまた必定である。共に敗れ、名誉を汚された者達同士だからこそ報復もまた映えるというものだ。

 

「……理由は理解出来ました。ですが私は……」

 

 マクシミリアンの口にする理由は分かる。だが、その上で彼はこの誘いに気乗りしなかった。今の彼は名誉を回復したい、という望みなぞなかった。今の彼にあるのは倦怠感と虚無感と罪悪感だけであった。寧ろ、このまま名誉を汚されたまま寂しく、消えいくように一生を終えるのがせめてもの贖罪であるように彼には思えたのだ。

 

「待ちたまえ、まだ最後の理由について説明していないぞ?返答ならばその後でも遅くはない筈だが?」

「いえ、公世子殿、私はもう歳で後は下り落ちるだけの老い耄れで御座います。お恥ずかしいながら既に教官となる体力も、才気と覇気に溢れる青年方の復讐に加わる気概も持ち合わせては……」

「それが卿が長年望んでいた者を奪い返す機会としてもかね?」

 

 マクシミリアンの発言に老紳士は言葉を失った。余りに抽象的な目の前の青年貴族の発言、しかし男爵には何故かそれが意味する所を察してしまった。より正確に言えば心当たりがついてしまった。

 

 マクシミリアンは足を組み、愉快そうに笑みを浮かべる。

 

「ヘリヤにおける戦いに際して、確か卿の司令部には昔馴染みも参謀として共に戦ったのだったな?役職は後方参謀で名前は……そう、確か名前はバーゼル、クリストフ・フォン・バーゼル少将だ。高々一〇〇年の歴史もない田舎で家業を営む小諸侯の生まれだったか!」

「っ……!」

 

 カイザーリングの表情が強張るのをマクシミリアンは見逃さなかった。獲物に狙いを定める豹のように目を細め、青年貴族は芝居がかった声で迫撃をかける。

 

「バーゼル少将の妻も男爵と昔馴染みであったな?若い頃は大層な美貌のご令嬢であったとか。三人も子供が出来、可愛い孫娘にも恵まれているらしいな?」

「………」

「御友人夫妻は実に順風満帆な人生で羨ましい限りでだ。だがしかし……」

 

 敢えて一旦間を置いて、老人の表情の変化を確認しながらマクシミリアンは囁く。

 

「知っているかね?査閲局や憲兵総監の方で、大規模な捜索が始まっている事を。どうやら横領やスパイの一斉摘発の準備が進んでいるとか」

 

 それは実に態とらしい言い様であった。実際、半分は自作自演であった。

 

 カストロプ公爵家は同盟政府及び亡命政府との裏取引の後、更に秘密裏にブラウンシュヴァイク公とも取引を密かに行っていた。カストロプ公は自身が把握する組織外の不正を働いた軍人、あるいはカストロプ公爵家系列の組織に属していたものの末端であったり、組織にとって不都合になった人物を、ブラウンシュヴァイク公爵の軍部における影響力強化に使えるようその不正内容や証拠を揃えて売り払った。

 

 更に言えば、これはルードヴィヒ皇太子や同盟政府に対するある種の復讐と嫌がらせも兼ねている。ルードヴィヒ皇太子の旧守派に対してはブラウンシュヴァイク公爵の台頭そのものが、同盟政府や亡命政府にとっては摘発される将校の中に内通者が含まれている事がそれである。そして当然………。

 

「バーゼル少将についてだが……ビジネスの面で少将の企業は我がカストロプ家と繋がりもあってな。そこで此方の事務員が奇妙な書類を見つけたのだよ」

 

 にやり、笑みを浮かべるマクシミリアンに対して、カイザーリングの顔は完全に青くなっていた。

 

「誉れある帝国貴族ともあろう者が反乱軍と繋がっていた等と正に恥、どのように処理するべきか迷っていてな」

 

 嘘である。カストロプ公爵はバーゼル少将が亡命政府に繋がっている事を元より知っていた。知った上でカストロプ公爵はこれまで放置し続けていた。なぜなら、バーゼル少将の手掛ける麻薬ビジネスや軍需物資の横流しの手腕が公爵家に少なからぬ財をもたらす事を理解していたから。

 

 だが、バーゼルはやり過ぎた。確かに旧第九野戦軍を始め、アルレスハイム方面遠征軍は各地から少なくない敗残兵を糾合していた。故郷にも帰れず年単位で戦地に、しかも半分程捨てられた形で留まり続けるのだから、その軍規も少しずつ崩壊していく事は必然だった。

 

 それ故にサイオキシン麻薬を始めとした違法薬物は、部隊内で密売すればした分だけ売れる。軍需物資も書類を偽造して幾らでも横流し出来る。カストロプ公爵にバーゼルはそう売り込んで遠征軍の補給を受け持つ役職に自身を捩じ込ませた。だが、それは建前であり、偽装であった。

 

 銀河帝国亡命政府の設立した帝国宮廷内の貴族からなるスパイ網『フヴェズルング』のメンバーの一人クリストフ・フォン・バーゼル男爵はカストロプ公爵のビジネスに取り入る事を隠れ蓑にこれまで様々な情報を亡命政府に提供してきたし、今回に至っては軍需品の横流しとサイオキシン麻薬を蔓延させる工作をする事で亡命政府軍及び同盟軍の防衛戦を側背面から支援し続けた。終いには地上部隊の弾薬庫において破壊工作を仕掛けてその撤退を妨害し、会戦全体における帝国軍の敗北を決定づけた。亡命政府のスパイとしては十分過ぎる働きだ。目立ち過ぎて疑惑を持たれる程に。

 

「バーゼル少将は確かに我が一族に莫大な利益を提供し続けてくれた。だが、目立ち過ぎたのも事実だ。我々としても彼をどう処遇するべきか議論中でね。でだ、私としては卿の気持ちを知りたいのだ」

 

 無言で悲惨な顔の老人に、加虐的な笑みを浮かべるマクシミリアン。

 

「父上は亡命政府への貸しを作りたいのと、まだまだ使い道があるだろうという考えでな。一応生かしておくべきだと言っているんだが、私は違う」

 

 優しげな顔で公世子は囁く。

 

「此度の敗北が卿一人の過失でないことは明らかだ。ましてや、バーゼルは卿の思い人を抜け駆けして奪い取った卑怯者らしいな?この機会、どう思う?カイザーリング男爵?」

 

 その口調は人の醜い欲望を知り尽くしているマクシミリアンらしい心の隙間に這い寄る印象を受けた。カイザーリング男爵は狼狽え、顔を引きつらせる。

 

「そのような卑怯者に愛しい女を独占され続けた気分はどうだ?卿が一人で苦悩していた間、奴は卿の思い人と何をしていた?狡いとは思わんかね?卿の幸福を盗み、尚且つ私腹を肥やし続け、遂には卿の名誉を踏みにじったのだぞ?」

 

 それは正に悪魔の囁きであった。カイザーリングの中に眠る復讐心を、憎悪を、欲望を引き摺り出そうとするその話術は一流と言っても過言ではない。

 

「復讐、ですか……?」

「そうだ。君の思い人はあのような男の物であって良い訳がない。いや、それどころかあのような男と共にいてはいつか破滅さえしよう。不道徳等と考えるな。これは寧ろ善行なのだよ?何も知らぬ思い人を悪逆で強欲な裏切り者から救い出すのだ。そして奴から全てを奪うのだ。彼女は勿論、財も、名誉も、奴の信じる物すらも。奴も、奴と協力して卿の名誉を汚した亡命政府も同じだ。全て地獄に落としてやると良い。私がその一助となってやろうじゃないか?」

 

 甘い甘言は、しかし嘘ではない。実際、その程度の事はカストロプ公爵家の力があれば容易き事であった。その程度の出費でこの男を部下に引き抜く事が出来ればそれは安いものである。それに何よりも……。

 

「………」

 

 無言で苦渋の表情を浮かべ俯く老男爵を見やり、マクシミリアンは加虐的な微笑をする。マクシミリアンにはこの老提督の内面でどのような葛藤が起きているのかを考え、一層楽しそうにしていた。

 

 実際、カイザーリングの心は葛藤していた。

 

(私は……いや、しかし……だがっ!!)

 

 彼の脳裏に甦るのは自身が道化に過ぎなかったと知ってからの色褪せた、虚無感に満ちた日々であった。

 

 彼にとってあれほど心を揺さぶられた女性はいなかった。元々色恋に疎い彼ではあったが、彼女だけは……ヨハンナだけは違った。その美貌は勿論、太陽のような明るい性格、品性の中に快活性のある口調、すぐに他者と打ち解けて友人となれる人となりは陰気で物静かな彼にとっては真逆であり、同時に眩しかった。

 

 だが、そんな彼にとっての太陽は彼自身が知らぬ間に既に他者の……友人の虜となっていた。魅いられていた。

 

 敗北するのはある意味当然だった。自分よりも家柄の悪く、せっかちで、口の悪い友人は、しかし自分よりも遥かに人に好かれる魅力に満ち満ちていた。

 

 そしてとっくの昔に彼女が見ているのが友人だけである事も分かっていた。それでも……それでも彼は僅かな希望にすがって告白した。そしてそれを悲惨な、それでいて此方を窺うような遠慮がちな表情で断られた時、カイザーリングは彼女との間に二度と直らぬ断絶が生まれたのを自覚させられた。

 

「初恋というものは特別であるからな。卿の執着は痛い程分かるぞ?」

 

 マクシミリアンもまた、激しい執着心を内に込めているが故に語る。その感情のベクトルは男爵とは全く違うものの、彼もまたあらゆるものを犠牲にしてでもそれを優先する程に恋い焦がれていた。

 

(そう、次こそは奴を徹底的に屈服させ、絶望させるためならばな……!!)

 

 マクシミリアンにとって法廷に横槍を入れ男爵に助け船を出したのはそれだけが理由である。フェザーンで受けた屈辱と敗北、そして宮廷で失われた名誉を取り戻す手段は一つ、古式ゆかしい復讐のみだ。屈辱を受けた相手を打ち負かし、侮辱し、自らの力を誇示する事だけが汚名を雪ぎ、自らを救い、この激しい衝動を解消する方法である。

 

「男爵、私の提案はそう悪いものではあるまい?そうだろう?」

 

 立ち上がるマクシミリアン。男爵の傍から囁くように誘惑し、提案を受け入れるように勧める。公世子はどうやらこの優秀な提督をスカウトすると共に、彼自身がこの誘惑にどう判断するかもまた楽しんでいるようだった。

 

 この厳格で古風な、しかし純情で騎士道精神に溢れた老人が長年恋い焦がれた女を奪い、親友であった男をどう追い落とすのか……それを見届ける事もまたマクシミリアンにとって興味が惹かれる事であった。

 

 一方、老人の心中は葛藤が一層激しく荒れ狂っていた。一方の感情は愛する人から彼女の夫にして親友を奪い貶め、悲しませる事を非難する。それでいてもう一方の感情は彼の人生の喜びを盗み、その名誉まで汚した裏切り者に報復し、愛する人を取り戻せと叫ぶ。

 

「公世子、このような事今すぐに選択せよ等と言うのは困難でございます。僭越ながら……」

「駄目だ。今すぐに選びたまえ。人生というものはその場その場選択の連続だ。それ故に時間は大切にせねばならんよ。違うかね?」

 

 マクシミリアンは男爵の時間稼ぎを許さない。同時にその言葉は知ってか知らずか、彼の人生そのものを糾弾しているようにも思えた。そう。若い頃、愛する人を羨望しつつも自身の劣等感故にその感情を吐露出来ず、あまつさえ数十年に渡り縛られ続け、その癖何もしてこなかった自身への糾弾に……。

 

 彼は思い出す。三四年前のあの光景を。

 

 まだまだ個人恋愛が少なかった時代の事だ。彼はあの地で、彼女と初めて出会ったあの人工滝を背景に天体内を一望出来るテラスに一人足を踏み入れる。告白の準備のための最後の下見だった。このために待ち合わせ時間よりも早く、密かに彼はクロイツナハⅢに訪れたのだ。

 

 そして見てしまったのだ。仲睦まじそうに横に並んで歩き、談笑する二人を。

 

 咄嗟に隠れてしまった事が正しかったのか、彼にも分からない。ただ分かる事は二人が心底楽しげに語り合っているという事実だけだ。

 

 そして………彼が告白する舞台として密かに目をつけていたその場で親友は立ち止まる。

 

 そして騎士のように膝をつき、頭を下げて優雅に彼は彼女に愛の言葉を囁く。そして懐から取り出し、差し出されるのは金剛石の指輪だ。それは彼の得られる給与と実家の財力と比例した、決して大きなものではなかった。確実に自身の用意していたそれより二回りは小振りだった。

 

 だがそれでも、金剛石の大きさなぞ何の問題でもない事は分かってしまった。そんなもの、親友の詩人の如く洗練された愛の言葉と、彼自身の優美な振る舞いの前では関係ない。

 

 驚いた表情を浮かべる少女は、しかし次の瞬間には目元に涙を浮かべて、顔を赤らめる。それは怒りではなく、喜びから来るものである事を遠目からも彼は分かってしまった。

 

 笑顔で抱き合う二人、そして交わされる口づけを彼は見ている事しか出来なかった。……あれほどまでに恥ずかしげにはにかみ、しかしうっとりと熱に浮かされたような美しい彼女の笑顔は、彼は初めて見た。

 

「っ……!!」

 

 思わず歯を食いしばっていた事を老将は思い出す。そして長らく忘れていたこの高ぶる感情が何なのかを思い出す。怒りだ、底のない、煮えたぎるような怒りだ。

 

「そうだ男爵。怒り憎しめ。自らの感情と欲望を解放するが良い。さぁ、私の手をとりたまえ」

 

 差し出される手に、男爵はゆっくりと震える腕を伸ばす。そうだ、これで良いのだ。今こそ耐え続け、抑え続けていた自らの本性に素直になるが良い。この公世子の力さえあればその自らの望みは、欲しいものは幾らでも手に入るのだから!

 

 

 カイザーリングは目を見開き、ゆっくりと誘惑者の手を掴もうとして………。

 

 

 

 

 

『君は騎士道物語が好きなのか?』

 

 走馬灯のように記憶が甦る。あれはいつの事だったか?少なくとも四十年以上昔の事であった筈だ。

 

 社交的でお喋り好きな両親に連れて来られた煌びやかなパーティーは、しかし幼く、人見知りな少年にとってその時間は苦痛でしかなかった。だから一人休憩室のソファーに逃げて本を読み耽っていた。そんな時だった。そう呼びかけられたのは。

 

『あ……うっ………』

 

 確かその時、自身はそう呻くような声を漏らしていた筈だ。他に誰か来るとは思っていなかったためだ。目の前に立っている同い年位の少年は微笑を浮かべ自身を見つめていた。

 

『それ、「アーサー王伝説」だろう?随分と集中して読んでいたよな?』

 

 にかっ、と人好きのする笑みを向ける少年。それに対して気弱な彼は視線を逸らして、本で顔を隠していたと思う。恐らく恥ずかしかったからだ。身体が弱く、内気で、気が弱い。その癖に……いや、だからこそ勇敢で力強く、礼儀正しい物語の中の騎士に憧れていたから。

 

『おいおい、返事位してくれてもいいだろう?あぁ、自己紹介がまだだったな。クリストフ、バーゼル家のクリストフ・フォン・バーゼル。……まぁ大層な言い様だけど実態は出来たばかりの新参者の家だけどな?おかげ様で碌に声もかけられないと来ている。父さん達も困り顔だよ、折角オーダーで高いスーツ仕立てたのにってね』

 

 だんまりな自身に対して口を尖らせた後、ははは、と冗談めかして自虐する目の前の少年。

 

『君の名前は?こっちも退屈でね。一人か二人位話し相手が欲しいんだよ。駄目かい?』

 

 相変わらず親しみやすそうに少年は尋ねる。その優し気な態度に内気な男爵家の跡取りは恥ずかしげに小さく名を呟く。

 

『……僕は……ミヒャエル……ミヒャエル・ジギスムント……』

『ふーん、長いからミカって呼ぶけど良いよな?』

『ええっ!?』

 

 出会っていきなり渾名をつけられて、思わず目を見開き驚きの声を上げるミヒャエル・ジギスムント・カイザーリング。そんな彼にクリストフを名乗った少年はまた楽し気な笑い声をあげて、手を差し出す。

 

『いいじゃないか。結構可愛いと思うぞ?』

『可愛いって……』

 

 むすっと拗ねると、バーゼル家の息子は手を差し出す。

 

『おいおい怒るなよ?ほら、本読むのもいいけど折角のパーティーだぜ?はみ出し者にされてんだ、精々飯だけでもたらふく食っていってやろうぜ?』

 

 いたずらっ子のように宣うクリストフ。それは本を読んでいたミヒャエル・ジギスムントも、自分の家と同じ新興貴族の子弟と思っての発言だった。実態はカイザーリング家の本家は四〇〇年近く続く旧家であるし、その分家たる男爵家も少なくともバーゼル家の一〇倍は歴史がある。

 

 例え知らぬ事とはいえ家格が、身分が全ての帝国社会において、それは明らかに非礼な行いであっただろう。

 

 だがそれでも……いや、だからこそ、彼はミヒャエル・ジギスムント・カイザーリングは不安そうに恐る恐ると、しかし彼の視線を目の前の少年に向けると、勇気を振り絞って腕を伸ばし……。

 

 

 

 

「……公世子殿、私の望みは二つ御座います」

「……何かな?言ってくれたまえ」

 

 落ち着いた口調で、そして澄みきった瞳で顔をあげた男爵に、マクシミリアンは若干不機嫌そうに答えた。

 

「一つはバーゼル男爵、そして彼の家族の安全を保証して下され」

 

 その言葉に、マクシミリアンは心底失望した表情を浮かべる。

 

「折角の復讐の機会をふいにするのかね?」

「私個人として、彼に思う所があるのは確かです。ですが、復讐の相手にはなり得ません」

 

 愛する人が友を選んだ事に何も感じなかった訳ではない。しかし、あの恋は公平な戦いだった。少なくとも、彼は堂々と戦って勝利したのだ。まして彼女を幸せにしたのならばカイザーリングに友を恨む筋合いなぞない。それは彼の騎士の道に背く愚行である。

 

「無論、彼の罪は罪です。それは許されるべき事ではありますまい。……ですが友の道を正せなかった私にも責任はありましょう。彼には法を犯す行いから全て手を引くように、またこれまでの贖罪として不正に蓄えた資産を被害者とその遺族への補償に使うように命じて下され」

「それが二つ目の要求か?」

「身勝手かつ我儘な望みでありましょう。ですがどうぞ、公世子殿にお頼み申し上げます」

 

 それが決して道義的に正しい行いでない事は分かっていた。それでもカイザーリングは頭を下げてマクシミリアンに頼み込む。許されない罪を犯したのは事実でも、親友もまた彼女と同じ位彼にとって大切な存在であったから。

 

「……ちっ、期待外れだな。詰まらん男だ」

 

 舌打ちするマクシミリアン。その顔は好きな玩具を奪われて不機嫌になる子供のようだった。

 

「申し訳御座いませぬ」

「仕方あるまい。失望した分は働きで返して貰おう。カイザーリング中将、追って知らせが来るであろうが卿は予備役中将行きだ。そして直後にカストロプ公爵家の客将の地位に就いて貰う」

「はっ。……公世子殿、失礼ながら、今一つ要望が御座いますが宜しいでしょうか?」

「……何だね?」

 

 詰まらなそうにマクシミリアンは先を言うように求める。

 

「客将としての給金は求めませぬ。その代わり、その分の金銭を此度の戦死者の遺族基金に回して下さいますように御願い致します」

「無給で働くと?」

「はい」

 

 頭を下げたままの老将に、マクシミリアンは黙ったまま見据え続ける。

 

「……ふん、古ぼけて黴臭い騎士め。良かろう、貴様の望み通りにしてやろう。だが、男爵殿、騎士であるならば二言はあるまいな?後から復讐や給金の要求は受け付けぬぞ?」

 

 憎らしく、嫌らしく、挑発するように宣うマクシミリアン。そんな彼に対して、カイザーリング中将は顔を上げて答える。

 

「無論で御座います、我が主よ。……騎士に二言は御座いませぬ故に」

 

 古風で格調ある老騎士は、そんなマクシミリアンに対して堂々と、凛々しい態度でそう断言したのだった。

 

 




誰得なマクシミリアン強化イベント、尚本人だけでなく妹も強化される予定。(人格が綺麗になるとは言っていない)

後、どうでも良いですが顎コルセットしているのはオフレッサーとのタイマン訓練で顎の骨が粉砕されたためです。もしまた主人公とエンカウントして白兵戦になったらオフレッサー秘伝の肉体強化剤(ドーピングコンソメスープ)を血管注射して筋骨隆々になって襲い掛かって来ます。主人公は確実に死にます。

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