帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十五話 夜中に食べる拉麺は最高だぜっ!

 バラック小屋でシーツにくるまり、身体を丸めて寝入っていた少女はふと目を覚ます。惑星の殆ど全域が乾燥帯に属するフェザーンは気温が高くとも湿度は比較的低く、その点では暑さはマシではあるが、あくまでもマシであるだけだ。やはり砂漠地帯に程近い人口過密なスラムでの睡眠は余り良いものではなかった。

 

 長い黒髪に黄金色の瞳の端正な少女……アントニアはまず意識を取り戻すとその感触がない事に怯え、次いでパッと身体を起き上がらせて周囲を必死に見渡す。白く碌に日差しも浴びてない肌はみるみるうちに青くなり、動悸は荒くなり、瞳は震える。それは恐怖と不安によるものだった。 

 

「起きたのか、アン?済まないな、俺はここにいるぞ」

 

 その声に振り向いた彼女は常日頃傍にいて、片時も離れた事のないその人物を見つける。口元にスカーフをマスク代わりに巻き、手に持つ雑巾は汚れていた。恐らくバラック小屋の掃除をしていたのだろう。

 

 家主はこのスラム街に住んでいるにしては綺麗好きでバラック小屋にしては手入れされているもののどうしても黄砂で室内は砂っぽくなってしまう。ブラウンシュヴァイク男爵にとっては不本意でも自分のため、そしてそれ以上に彼女のためにも掃除をせざるを得なかった。

 

「あっ……に………!」

「分かってる分かってる、離れて悪かったな。許してくれ。……アンスバッハ達が居れば俺がこんな事しなくても良いのだがねぇ、伯世子様の不運に巻き込まれてから酷いものだな。宿泊先は不潔だし、飯は糞みたいな味、しかもこの砂っぽさと来てはな」

 

 アントニアを膝の上に座らせてグチグチと今の状況について毒づく男爵。曲がりなりにも門閥貴族として相応しい至れり尽くせりの環境で生活してきた彼にとって、スラムでのニート生活は最悪であった。これは文明人の住まう環境ではないと彼は確信していた。

 

「まぁ、家主なりに頑張ってはいるのだろうがね。その辺りは評価してやらんとな?」

 

 膝に座るアントニアに向けてそう語りかければ黒髪の少女はコクりと頷く。丸三日間このバラック小屋で寝泊まりし、その間家主の観察と家の調査をしていた男爵は既にその事に気付いていた。それ故に男爵も、アントニアもある意味良く似た境遇の彼女には『多少』は同情するだけの心持ちはあった。……あくまでも多少ではあるが。

 

 暫しの間、沈黙が室内を支配する。暑さで喉が渇いた男爵がコップにペットボトル入りの井戸水を注いで飲み、次いでアントニアにも分け与える。

 

 喉を潤した男爵はため息をついてから話題を変える。家主の事は正直彼にはどうでも良かったし、それ以上に彼らにはより気にかけるべき事があった。

 

「それにしてもあいつらどこからの差し金だろうな?まさかとは思うが叔父上の所じゃあないと思うが……」

 

 数日前にスタジアムで自身の生命を狙ってきた下手人共について男爵は考える。暗殺や謀略と言えば自身の叔父が最初に思い浮かぶが………。

 

「まぁ、そりゃあねぇな」

 

 確かに男爵、いや男爵達はブラウンシュヴァイク一門にとって死んでくれた方が都合が良い存在ではある。あるが、あの叔父上が損得勘定で身内を謀殺するとは到底思えなかった。そもそも本気でブラウンシュヴァイク一門が暗殺を目論むなら今頃彼らはこの世にいない筈だ。あのスタジアムでの出来事はブラウンシュヴァイク一門が仕掛けたにしては杜撰過ぎる。

 

「となると考えられるのは髭と豚と狸辺りが候補かね?」

 

 宮廷の派閥動向を考えつつ有り得そうな下手人の飼い主について男爵は候補を挙げる。

 

「髭は……無いな。下手に飛び火したらあいつら自身がヤバい」

 

 となると、候補はギリシャ趣味の豚とくたばり損ないの狸爺辺りとなるが……。

 

「どちらにしてもやはり杜撰過ぎるな。特に豚だとすればあからさま過ぎる」

 

 よりによって息子があの場にいるのにあんな疑惑を生みそうな真似はするまい。狸にしても石橋を叩いて渡るような奴だ。もし狸の差し金とすればあんなギャンブルみたいな事はしないだろう。

 

 となると、やはり同盟の自作自演の可能性も………。

 

「いや………」

 

 いや、正確にはあの三人以外にも候補はいる。いるが………。

 

「まさか……だとすれば流石にそれは悪手ってもんじゃねぇかな?だろう、皇子様よ?」

 

 

 

 

 

 夕暮れ時になり恒星フェザーンが橙色に輝きながら地平線の向こう側にその姿を半分消しつつあった。マスクとゴーグルとスカーフで顔を守る人の群れが塵山からスラム街に向けて帰宅の途に就く。その人の群れの中に私と家主もまた交じって進み続けていた。

 

「結局いつも通り夕暮れ時になってしまったわね」

 

 はぁ、と溜息をつきながらアイリス嬢はぼやく。あの後、結局予想以上に金になりそうな廃品が見つからず、回収出来た廃品とかけた時間を考えれば余り良い成果とは言えなかった。

 

 塵拾いの集団はスラム街のすぐ傍に留まる数台の大型トラックの元に列を作る。『表街』の廃品回収業者達が塵拾い達の集めた籠の内容物の種類と重さを基にぞんざいに買い取り金を押し付ける。周囲には護衛役の『カラブリア・スピリット』のメンバーが面倒臭そうにその作業を観察していた。

 

 集めた数十キロもの廃品であるが、回収業者達から受け取れるのは精々数フェザーン・マルクでしかない。文字通りその日の食事で消えてしまう程の薄給だ。当然ながらそれは業者が不当な安値で買い叩いている事もあるし、元締めのマフィアがみかじめ料を受け取るためでもある。

 

 それでも大半の者達は文句も言わずに淡々と代金と受け取る。逆らっても目をつけられるだけであるし、命の危険もある。何よりも日々の生活に疲れ、逆らうだけの気概が最早ないのだろう。寧ろ、こんな劣悪でどうしようもない街で勝ち気な家主の方がどちらかと言えば異端なのかも知れない。

 

「あいよ、この量と中身だと……二フェザーン・マルク八一ペニヒだな」

 

 重量と中身を適当に確認した作業服を着こんだ回収業者はあくびをしながらそう家主の籠の中身の価値を計り、小銭をテーブルの上に雑に置く。

 

「この前だと同じ内容と重さで四フェザーン・マルクに六〇ペニヒはあった筈だけど?」

 

 アイリス嬢は詰るように業者を問い詰める。普段から叩き売りさせられているが、どうやら今回はいつもより安過ぎるようだ。

 

「ちっ……相場が変わったんだよ。お上の指示だ。文句言うなら他所で売りな」

 

 業者は舌打ちしてからそう詰まらなそうに語る。ほかの所と言ってもこの辺り一帯の回収業者は彼らだ。別の業者の買い付け場所は余りに遠過ぎて態態足を運ぶのは非現実的だった。彼女にそんな事が出来ないのを承知での言葉なのだろう。

 

「おらっ、後がつかえているんだよ。早くしてくれ。たくっ、この街は相変わらず酷い臭いで汚ねぇ」

 

 早くこの仕事を終わらせたいとばかりに去るように暗に促す。周囲の用心棒を兼ねた『カラブリア・スピリット』のメンバーがガンを飛ばしながら腰元の拳銃を弄ぶ。

 

「くたばれ豚野郎……!」

 

 そう吐き捨て中指を突き立て売上金をふんだくる。そして列を抜けて私の番となる。

 

「はっ、やんちゃな小娘なこった。顔が良くてもあれじゃあいけねぇな。やっぱ女は従順で愛嬌がなきゃあな。そう思わねぇか?」

 

 嘲るような笑みを浮かべ回収業者は私にそう尋ねる。当然ながら私は設定上応答は出来ないのでだんまりを決め込む。

 

「ふんっ、だんまりかよ。おらよ、さっさと受け取って失せな」

 

 二フェザーン・マルク三六ペニヒの小銭をテーブルに置いて去るように回収業者は命じる。私の運んで来た廃品はそこそこの量だった筈だが、『表街』での学生アルバイトの一時間どころか三〇分にも満たない代金であった。因みに宇宙暦790年現在のフェザーンの学生アルバイトの法的最低賃金は時給一〇フェザーン・マルク八〇ペニヒである。ブラック企業かな?

 

「っ……!馬鹿にするのもいい加減にしなさいっ!流石にこの量でその代金なんて安過ぎるわよっ……!!」

 

 傍で私の代金支払いを待っていた家主様が再度噛み付く。どうやら私も相当安く買い叩かれているらしい。

 

 彼女の立場からすれば今後の事も含めて余り安く買い叩かれる前例を作りたくないので文句を垂れるのは当然であろう。だが……ここで目立つのは少々不味い。

 

 私は回収業者に文句を言い続けるアイリス嬢の肩に黙って左手を添え、首を小さく振る。設定から言葉を発する訳にはいかないので身ぶり手振りで此方の意思を伝えざるを得ないのだが……流石スラム育ちというべきか、直ぐに此方の都合を理解する。

 

「あのねっ……!!……っ!?」

 

 此方に鋭く咎める視線を向ける家主であるが、私が添える手の握力を僅かに強めれば此方の意図を察して周囲を見、次いで苦々しげな表情を浮かべて回収業者に食い下がる。

 

「あああっ!!もう分かったわよっ!!はいはい!!もういいわよっ!さっさと行くわよっ!!」

 

 腹立たしげに踵を返すアイリス嬢に、私は代金を受け取り後ろから着いていく。列を作る幾人かの同業者がちらほらと此方を見たが、大多数の者達は黙々と疲れた表情で無関心そうにしていた。私としては注目を浴びたくないので幸いではある。

 

 一方で不満の表情を浮かべるのは傍らで共に歩く群青色の髪を揺らす家主様だ。回収業者と代金を受け取る同業者の列から少し離れたスラム近郊の砂丘を歩く彼女は、周囲を見て近場に人影がないのを確認した上で口を開く。

 

「何?確かに目立つ行動だったけど仕方無いじゃないの。彼奴ら、完全に仕切り値を下げて来てたわ。あそこで私だけでも噛み付かなきゃこれからもあの値段で固定されちゃうわ」

 

 忌々しげに理由を口にするアイリス嬢。

 

「お前さんはこの街からトンズラする予定じゃ無かったのか?」

「その予定よ」

「だったら……」

「それとこれとは話が別よっ!!」

 

 彼女は腰に手を添え、憤慨するように吐き捨てる。

 

「塵山での仕事をしているのは大概女子供、それに後はあんたの設定みたいな碌な仕事が出来ない身体の奴ね。ようはこの掃き溜めみたいな街でも特に弱い奴らばかりってのは知ってるわよね?」

「ああ」

 

 確認するように尋ねるアイリス嬢に私は頷きながら答える。この時点である程度彼女の怒りの理由は見えていた。

 

「だったら話は早いわ。塵拾いで生きてる奴らにとって仕切り値を下げられるなんて一大事なのよ。今回の代金なんてその日、頑張っても次の日の腹を満たすだけで消えるわ。当然貯金なんて無理だし、いざ病気か何かでもあればそれっきりよ。彼奴ら、本格的に私達の口減らしでも考えてるのかしら?」

 

 彼女自身はそう遠くないうちに棚ぼたの収入で逃げ切るとしても、このスラムには知り合いが多いのだろう。特に子供相手にはガキ大将みたいな事もしているので、そんな彼女からすれば残していく知り合いを見殺しにするような真似を嫌ったか。

 

「別にそこまで善意での事でもないわ。……ただ母さんも朝から夕方まであの仕事して私を養ってくれてたから。それに汗水垂らして働いた仕事には相応の報酬ってものがあって当然よ。彼奴ら只でさえ中抜きしてる癖にまだぼったくろうとしているから厚かましくて腹が立つのよ。薬なり銃器なり密売して儲けている癖にこんなせせこましい事……欲が深過ぎると思わない?」

「内容には同意だな。仕事には見返りが不可欠だ。流石に飢え死にしかねん程搾取するのは強欲ってものだな」

 

 帝国人的価値観で私は肯定してやる。初代皇帝ルドルフ一世が劣悪な待遇と危険な業務を敷き続けたブラック企業と戦い続けた事は帝国では常識だ。

 

 銀河連邦末期、終身執政官に就任したルドルフは、これまで法の穴から逃げ続けた悪徳企業を徹底的に取り潰し、国営化し、主要幹部を弾劾し、労働環境を改善した事で下層民の広範な支持を取り付ける事に成功した。そのため銀河帝国の義務教育では現在でも大帝陛下は臣民の守護者として教えられているし、同盟人のイメージと違い思いの外労働者の権利は保護されている。え?奴隷階級の事を忘れてる?誰かがババを引かないといけないからね、仕方無いね。い、一応大半の奴隷は飢え死にしない位待遇に配慮はしてあるから……(震え声)

 

「てか私は兎も角、家主様って仕事中汗一つかいたようには思え……ひでぶっ!?」

 

 膝裏に蹴り入れられてその指摘は途中で阻止させられる。解せぬ。

 

「いちいち細かい難癖をつけないで頂戴。男の癖にみみっちいわね」

「うぐぐ……ズタボロの身体で恋仲の幼馴染の所に帰って来た健気な青年になんて態度だ!」

「嫌がってた癖に都合の良い時だけその設定利用しないでくれる?」

 

 はぁ、と呆れたとばかりに塵を見る目で私を見下ろし溜息をつく少女。ううう……癒しが欲しい。全て終わったら取り敢えずベアトに泣きついて膝枕して貰おう、うんそうしよう。

 

「ほら、さっさと立ち上がりなさいな。幾ら郊外とは言え砂漠なんだから。余り長居していると迷い込んできたガレオスに食われるわよ?」

「うぐぐ……分かったよ………」

 

 いじけながらも私は渋々立ち上がる。と、同時にその騒音に気付いたアイリス嬢が鋭い視線を背後に向けて舌打ちする。

 

「ちっ、また面倒そうな屑共が来たわね」

 

 私が彼女の視線の先を見れば其方から砂漠走行用に改造された地上車が来ていた。

 

 所謂テクニカルトラックという奴であった。トラックに描かれた絵柄に同盟公用語の文字から推察するに、元々ハイネセンのダウンタウン辺りで個人営業されていた天然トーフ屋のものだったらしいそれは薄汚れていて、荷台には機関砲がポン付けされていた。同盟製地上車は部品の高い互換性による整備のしやすさから、帝国製地上車は信頼出来る枯れた技術を中心とした設計による頑健性から、中古品のそれらが大量に外縁宙域に放出され、様々な組織に転売されていた。

 

 我々の近くで停車した地上車の荷台から目付きの悪いマフィア達が煙草を吹かしながら降りて来る。地元の者達にとっては恐ろしいだろうが……うん、やっぱり豆腐屋のトラックから降りて来る姿ははっきり言ってシュール過ぎた。ゴーグルとマスクとスカーフをしていて正解だ。微妙ににやけ顔なのが気付かれずに済む。

 

「……何の用かしら?恐喝なら私のような塵拾いよりももっと稼いでいる奴相手にでもしたら?」

 

 古く、どこまで整備しているか怪しいとは言え銃器を持つマフィア数名相手に、しかし我らが家主様は一切怯えを見せずにそう宣う。それは決して無謀な行いという訳では無かった。少しでも弱みを見せればこの『裏街』では致命的なのだから。彼女の手は腰に添えられつつ極極自然な仕草でいつでもハンドブラスターを引き抜ける姿勢を取っていた。

 

「ははは、相変わらずどぎつい御言葉だぜ、可愛げの無ぇ糞餓鬼だ」

「顔は悪かねぇのにな。ボスも物好きだよなぁ」

「母親みたいにもっと大人しくて物分かり良くなった方が良いぜ?その方が可愛がってもらえるぞ?」

 

 冷やかすような、あるいは嘲るような仕草で口口に挑発するような声をかける『カラブリア・スピリット』の構成員達には見覚えがあった。先程まで並んでいた廃品回収業者の護衛の一部のようだった。

 

「臭い口で話さないでくれるかしら?歯磨きしてる?下水より酷いのよ。で、何の用?私をマワして後でボスに私刑にされたい訳?」

 

 胡乱気な瞳でそう言い捨てる家主様である。ハイネセンポリスの女学生ならここで怯えて涙目になっているだろうが、彼女の場合は少なくとも表面的には言葉に一切の恐怖は感じ取れなかった。この程度の事は慣れた事と言わんばかりだ。実際こういう街で少女の一人暮らしともなれば相応に場慣れしているのだろう。

 

「はっ、餓鬼の分際で!ボスや成り上がりの禿げから贔屓にされてるからってお高く留まりやがってよ!」

「臭いってんならお前さんだって塵拾いなんぞしてんじゃねぇよ。もっと稼ぎの良い仕事なら幾らでもあるだろ?母親みたいによぅ?」

 

 茶化すようにそう言いながら一人が家主のスカーフを掴む。

 

「ちょっ……汚い手で止めなさいよ!」

 

 咄嗟に嫌悪感を顔に浮かべながらその手を叩く少女。しかし既に捕まれていたためにその衝撃で僅かにスカーフがズレてその特徴的な群青色の髪がはみ出してしまった。

 

「おいおい、髪切ってんじゃねぇかよ。勿体ねぇな」

「ばっさり切っちまってるな。……母親は確か腰位まで伸びてたっけな?」

「ああ、ボスの好みドストライクだったんだよ」

 

 そんな事言いながら距離を詰めようとする男達。

 

「まぁそれは置いといて。そろそろ覚悟決めたかどうか聞きに来てんだよ。こちとらお気に入りに餓死されたら洒落にならねぇからな」

「廃品回収の仕切値が下がるらしいからな。そろそろ諦めて身売りした方が得だぜ?」

「そうだそうだ、プライドじゃあ腹は膨れねぇからな。……これは善意で言ってるんだぜ?どこぞの安宿で春売りさばくよりずっとマシな筈なんだからな?こっちだって餓死したお前さんを連れていきたくねぇんだ。ボスにブっ殺されちまう」

 

 そう言って一人が彼女の腕を強引に掴み問い詰める。言葉だけならば懐柔に近いがその態度は実質脅迫に類したものであるのは明白だった。

 

「ちょっ……いい加減にっ……!!」

 

 家主の掴まれていない方の腕がハンドブラスターに伸びるのが見えた。その口調からかなり彼女が激高しているように思われる。下手したら脅しではなく本当に射殺するかも知れない。彼女とこの数日付き合い、それなりにその強かさは知っているが、流石にここに来て尚彼女が冷静であるのかと言えば、私には断言し切れなかった。故に……。

 

(いらん御世話かも知れんがな?)

 

 次の瞬間、私は彼らと家主の間に割り込み家主の細腕を掴む対照的に太いそれを義手で握りしめていた。

 

「痛ぇ!?」

 

 一見安物(いうよりも実際安物)のアーム型の義手だが、それでも機械である事に変わりない。当然与えられる最大級の握力は生身のそれと同等かそれ以上だ。故に多少力を入れればそれなりに鍛えているであろう男の逞しい腕相手でもこのように悲鳴を上げさせる事が出来た。細腕を掴む力が弱まったようで家主が男の腕を振り払う。

 

「何だってんだてめえ……!!?」

 

 別のマフィアの男が拳銃を引き抜こうとしたので私はもう生身の左腕でその鼻先にハンドブラスターの銃口を向けて動きを止めさせる。

 

「やる気かっ!?ドタマぶち抜くぞっ!ゴラァ!!」

「あんたこそ脳天ぶち抜くわよ?豚野郎」

 

 最後の一人が背負っていたライフルを私に構えた所で家主様がその男の頬にハンドブラスターの銃口を捩じ込み尋ねる。当然ながらこのまま進めば場は凄惨な事になるので全員が動きを止めざるを得なくなる。

 

「……よう、色男。止めてくれよ、彼女の前で物騒なもん構えるもんじゃないぜ?グロい事になっちまう」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべるのは私にハンドブラスターを向けられた男であった。隙が出来るのを狙っているのだろうか?どちらにしろ、私は何も答えられないし答える積もりもなかった。

 

「……うぉい、アイリス。どうにか言ってくれよ。そこのヒモ男に暴力は良くないってよ?お前さんも言ってただろう?真面目に働いて暴力を振るわない男が好みだってよ?」

「ええそうね。けど私、別に非暴力主義者でも平和主義者でもないから。それにいざって時に身内も守れない男はもっと好みじゃないの」

「ちっ、アバズレがっ!」

 

 男はアイリス嬢の懐柔に失敗して舌打ちし、罵る。当の少女自身はそれに対してどこ吹く風とばかりに涼しげな表情だ。まぁ、貴女は銃口向けられてないですしね。

 

 沈黙と緊張が場を暫し支配する。それを破ったのは遠くから聞こえて来た砂が蠢く音だった。

 

「……ちっ、砂鮫共め、俺らの騒ぎに寄って来やがった」

 

 マフィアの男の一人が毒づく。私はゴーグル越しに砂丘の地平線の先をちらりと覗き見る。砂丘の中から鮫のヒレのような突起が沈み行く恒星フェザーンの光に当てられ不気味に蠢いていた。

 

 恐らく銀河連邦時代に何処かの馬鹿が放流して野生化し繁殖した魚竜目有脚魚竜亜目砂竜上科ガレオス科に属する砂漠魚竜ガレオスは、フェザーンの広大な砂漠地帯の全域で繁殖する害獣であり、同時に『裏街』の住民の貴重な食糧だ。軽装備の『裏街』の住民では狩るのにも一苦労、市街地外縁に迷いこんで死者が出る事も珍しくないが、その鱗は保湿性が高く、宇宙暦8世紀現在でもその粉末は天然保湿クリームの原材料として重宝されているし、肝は珍味でそれ以外も可食部分は多い。

 

 一説では元々は地球統一政府の恒星間移住時代に植民した砂漠型惑星での食用、そして美容・医療用保湿剤の原料として遺伝子改良された養殖用魚類が原種とされているが、正確な所は不明である。シリウス戦役で少なからずの西暦時代の各方面の資料が喪失・散逸してしまったからだ。因みに夜行性で、夜になると昼間以上に狂暴になる。

 

 遠目に見れば砂漠の地平線の向こう側でごそごそと幾つもの動く影が見える。砂漠の中を泳ぐガレオスは視覚が退化している代わりに聴覚に優れているため長居していると此方に大挙して押し寄せかねない。この場はさっさと退散するに限るだろう。……早く退散したいなぁ。

 

「……あー、分かったよ。俺達も食われたかねぇ。引き下がってやるよ。だから勘弁してくれよ?……なぁ?」

 

 仕方無さげに私にライフルを向ける男は手を上げて銃口を私から離す。釣られるように残り二人も戦闘態勢を解除し、私と家主もまた答えるようにハンドブラスターを下げて……。

 

「何て言うと思ったかよ!!バーカ!!てめぇはぶち殺……ぎゃっ!!?」

 

 最初に銃を下ろした男が本心によるものではないのは分かっていたので、私は腕を掴んでいた男を投げつけて砂漠に叩きつけてやる。

 

「この野郎……!ぐおっ!!?」

 

 ナイフで襲いかかって来た三人目の突きを受け流し、腕を掴み背負い投げ、倒れた所で容赦なく腕を踏みつける。激痛でナイフを離した隙にそのナイフを蹴り上げて砂丘の何処かに沈んでもらう。危ない玩具を持つのは止めような?

 

 そうしているうちに背後から殴りかかって来たのは私に腕を掴み投げつけられた男だった。

 

「てめぇ!良くも人を投げ飛ば……ぐあっ!!?」

 

 復讐に燃え襲いかかってきた男に、振り向き様にその顔面に義手で一撃入れる。義手は金属製なので当然ながら勢い自体は大した事なくても結構痛そうだ。鼻血をぽたぽたと砂の上に落としながら鼻先を手で抑えて悶える男。

 

 最後に私は仲間を投げつけられて体勢を崩していた最初に銃を下ろして和平を主張した男の所に向かう。私に気付いて慌てて火薬銃を構えたので発砲直前に一気に距離を詰めて義手で銃身を掴み、そのまま銃身を上に持ち上げて射線をギリギリで逸らした。うおっ!!?危ねぇ!!

 

 最後にライフルの銃身を義手で握り潰して彼の飛び道具を無力化する。唖然とした男をそのまま銃ごと砂丘に押しやり尻餅させて見下ろす。

 

「……ハロルドがさっさと失せなさいって。あんた達、さっさと逃げなさい。次は殺されるわよ?」

 

 設定の事を覚えていた家主様が私の傍らに来て此方の言葉を代弁してくれた。さっさとこの場を去らないと命がないと脅し、男達は我々を憎悪の視線を向けて睨み付ける。

 

「あら、負け犬にしては随分と勇ましい視線ね?良いわよ?まだ喧嘩を続けたい?それとも……鮫の餌の方がお望みかしら?」

 

 ザザザ、という音に気づいた男達がそちらを見れば、先程よりも近くをさ迷う数頭のガレオスの姿が目に映る。

 

「くつ……畜生っ!ふざけやがって糞アマにヒモがっ!!」

 

 そう吐き捨てながらも男達は怪我した部位を押さえながらテクニカルトラックに乗り込み、直ぐ様エンジンを掛けてその場を去っていく。実際とぼとぼしていたら下手すればガレオスに食われてしまうので当然の判断だった。あれだけ挑発されても置き土産に機関砲を撃ち込んで来なかったのは幸いだ。

 

「………はぁ、本気で危なかったぁ」

 

 私は周囲に隠れている者がいないのを確認してから肩を下ろし、脱力した。

 

「あら、結構余裕そうだったじゃないの?武器持った男三人相手にあれだけ出来るなんて、案外やるのねあんた。ただのヘタレ貴族という訳でもないのね?」

「ド素人相手だ、誇れる事じゃあないぞ?」

 

 帝国軍装甲擲弾兵所属の狂戦士達ならば素手で全員を殴り殺しただろうし、厳しい訓練で鍛えられた同盟軍地上軍の一般兵士でも私と似たような事は出来た筈だ。武器を持っているとしても相手の動き自体は完全に素人だった。路地裏での喧嘩で我流に鍛え上げた技量では、徹底的に相手を無力化し殺害するために合理化・最適化されたプロの軍人の徒手格闘戦術のそれには遠く及ばない。しかも此方は義手つきで戦闘能力が底上げされている。

 

 寧ろ、これだけ有利な状況が揃っていても尚、私自身は内心ひやひやしたし結構危なかった程だ。扱いが素人でも武器は武器、下手したら私が返り討ちにあって殺されていた。その点は相手が油断しきっていたのが有利に働いたと言える。

 

「それはそうと……不味いな。今の、悪目立ちしただろう?目をつけられたんじゃないか?」

 

 介入した今になって後悔しそうになる。本当はもっと穏当にしたかったのだが思いの外彼方が引き下がってくれなかったのでこの様だ。

 

「あれ位なら平気よ。死人が出た訳でもないし、誰かに見られた訳でもないしね。あいつら、どうでも良い事でプライドが高いから。逆にだんまり決め込むかもね」

 

 楽しげに笑う家主様である。何がそんなに楽しいのかね?

 

「最高よ、あいつらがあんなにみっともなく逃げる姿なんて初めてよ?あいつら、バックに大貴族やら大企業やら付けててこの辺りだと結構ブイブイ言わせていたから。それがあの様……ふふ、傑作ね!」

「そりゃあどうも」

 

 ころころと歳相応に笑う彼女を胡乱げに私は見つめる。笑う姿は可愛らしいが内容が笑えない。

 

 ひとしきり笑い終えた後、深呼吸した家主様は機嫌良さそうに自宅とは反対の方向に足を向ける。

 

「予定変更よ、久々に機嫌が良いわ。少し寄り道するわよ。良く働いた者にはそれ相応の手当をつけてやらないとね?」

 

 此方に振り向きながらそう私に呼びかける彼女の姿はお茶目な女学生のようだった。

 

 

 

 

 

 朝から夜までこのスラムの繁華街は人で賑わう。それは余り健全ではないだろう、要は朝っぱらから仕事もせずに飲んだくれている奴が多いって事だ。

 

 しかも露店や居酒屋の衛生環境は最悪だ。地面はコンクリート等で舗装されておらず、砂と土がむき出しだ。廃棄物が捨てられて野良犬やゴキブリがそれを餌にしている。食中毒や密造酒で死ぬ者は数知れず、ジャンキーが野垂れ死んでいても無視、客引きの女達は多分性病を盛大に媒介してくれている。一見貧しいなりに人々で明るく賑わっているように見せて内実は最悪この上ないのは、映像記録で見た事のある銀河連邦末期のテオリアの下町を彷彿とさせていた。

 

「安心しなさいよ、私だって食あたりで死ぬなんてご免よ。ちゃんとした店だから安心して」

 

 この街でのちゃんとした基準って何だよ?、と言いたくなったが口にはしない。私は設定上口も利けない障害持ちだ。

 

「あら、お兄さん。どうだい?仕事帰りならうちによらないかね?うちの娘達はどれも上玉だよ?」

 

 そう声をかけて目の前を遮って来たのはスラムにしたはそこそこ小綺麗な衣服を着た婆さんだった。娼館の客引きの類だろう。あるいは穿って見れば連れていかれた先にヤーさんがいて尻の毛まで毟られるかも知れない。

 

「………」

「おっと、そう無下にしなくても良いだろう?ねぇ?」

 

 だんまりしてその場を去ろうして、婆さんはその意図に気付いて道を塞ぐ。

 

「……悪いけど私の連れなの、客引きは止めてくれないかしら?」

 

 若干呆れ顔を浮かべた後、助け船を出すようにアイリス嬢は私の前に立ち、客引き婆さんと相対する。

 

「なんだい。アイリス、お前さんの連れかい?」

「ええそうよ、文句ある?」

 

 客引き婆さんは舌打ちしながら私に声をかける。

 

「あんた、その女は止めた方が良いよ?面倒な奴らに目をつけられているからね。そのうち皮剥がされてガレオスに生きたまま食われちまうよ?」

「勝手な事言わないでくれるかしら?……安心なさい、いざって時は私が話をつけてやるわよ」

 

 婆さんの話は恐らく以前に彼女に近寄ってマフィアにでも殺された男がいるのだろう。目をつけている女に近寄る虫は始末するって事か。

 

「まともに口説いてくれれば良かったのにね。強姦しようとして返り討ちに遭わした後の事よ。同情なんてしないわ」

 

 鼻を鳴らしてつまらなそうに補足説明をしてくれる家主である。

 

「それよりも、さっさとどいてくれるかしら?こっちも暇じゃないの。客ならほかのを当たりなさいな」

「ふん、ちょっと顔に恵まれただけで御高く留まってんじゃないよ小娘がっ!お前さんこそ随分と逞しい事だね。あの小僧がいなくなって落ち込んでいると思えばもう別の男を……」

 

 そこまで言おうとして客引きの婆さんは黙りこむ。それだけアイリス嬢の眼光が殺気立っていたからだ。

 

「……早くいくわよ」

「………」

 

 私は彼女のその命令口調の声に従い後を追う。僅かにではあるがその声が震えていたような気がしたのは気のせいだったのか、私には判別がつかなかった。

 

「ほら、ここよ。この辺りだと一番マシな店なのよ。金ならあんたのライターの売上から補填するから気にしなくていいわ」

 

 そう言って家主様は繁華街の外れにあるビニールハウスに入る。暫し私は後を追うか迷うがこのままここに留まる訳にもいかないし、何かの罠の可能性も低いだろうと考えてそのまま中に入った。

 

(あ、下はビニールシートなのか)

 

 店の出入口で泥を落とす空間があり、そこで靴の汚れを落としてから私は内部へと足を踏み入れた。

 

「らっしゃーい。あれ?アイリスの嬢ちゃんかい?久し振りだねぇ、おやその連れは………」

「余り詮索しないでくれない?此方も色々事情があるのよ。吾朗拉麺二つ、野菜と脂はマシでお願いね?」

 

 両腕が義手の上に顔に大きな切り傷をつけたおっさんが厨房でラーメンを作っていた。

 

「何してんのよ、さっさと座りなさいな。後ここでは口利いても問題ないわ。……そうそう、マスクとゴーグル、それに上着も脱ぎなさい。食事の時に塵の臭いなんて嗅ぎたくないわ、食欲が失せるもの。オッケィ?」

「アッハイ」

 

 ……取り敢えず、命令通り上着等を脱いでから大人しく席に座る事にした私だった。

 

 

 

 

 

 

「この『裏街』で拉麺屋をしているジョーンズだ。まぁ、お見知りおきを、とでも言っておこうかな?」

 

 決して広くない、ラジオから小賢しい銀河の妖精の歌が店内全体に響く拉麺屋の店主は、麺を湯掻きながらそう口を開いた。

 

 元自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊所属のジョーンズ氏(恐らく偽名)は脱走兵なのだと言う。十年以上前に戦地でフェザーンの亡命斡旋営業マンのサービスで脱走、紆余曲折あって今ではこの『裏街』で拉麺屋台をしているそうだ。うん、何言ってるか分からないだろうが私にも分からん。

 

「嬢ちゃん、まさかとは思うけどその連れ軍人かい?」

「あら、分かるの?」

「同業者は佇まいで分かるさ。え?まさか俺軍法会議にでもかけられるの?」

 

 私が同盟軍の法務部なり憲兵本部からやって来たエージェントではないかと疑う店長。いえ、完全に偶然です。

 

「安心なさいよ。こいつ多分帝国貴族だから。同盟からの追っ手なんかじゃないわよ。そもそも店主そんな追っ手に狙われる位偉かったの?」

 

 残念ながら一五〇年も戦争が続けば脱走兵の数は洒落にならない。当然ながら個人単位だけでなく戦艦で、あるいは部隊単位での脱走兵すら過去の事例には存在する。

 

 半分程はそのまま行く宛もなく帰って来るのだが、逆に言えば中にはそのまま宇宙海賊や犯罪組織化したもの、また両国の未開拓惑星に住み着いたり、外縁宙域まで逃げて傭兵や軍閥化するものすらある。一五〇年の間に脱走してそのままとなった兵士の数は数百万近くに上る。余りに多すぎるため、両国ともいちいち下っぱの捜索に力を入れるようなことはない……というよりか人手がない。佐官以上の士官が含まれていたり、あるいは数百人や数千人単位で纏めて組織的逃亡でもしない限りは市民の注目も浴びる事もないだろう。少なくともこんな『裏街』で拉麺屋台をしているおっさんがそれに該当するとは私には余り想像出来なかった。

 

「まぁ、人生色々あってねぇ。ほら吾朗拉麺お待ちっ!!」

 

 そう言って野菜(主にモヤシ)がてんこ盛りで乗っかった吾朗拉麺(ガレオス骨味)が出される。うん、凄く……多いです。

 

「ほら、さっさと食べるわよ。……麺が伸びたら辛いのよね、これ」

 

 そう言うが早くレンゲと割り箸で脂がたっぷり浮かんだスープに麺と野菜を絡めて淡々と食べ始める家主様である。その姿を見た後、私は目の前の湯気を発するガレオス骨の出汁をベースとした吾朗拉麺を見やる。

 

「おう兄ちゃん、安心しろよ。うちのはほかの店と違って安全だからよ。あ、それとも吾朗拉麺は帝国人的に駄目か?」

「い、いや……そういう訳ではないが………」

 

 少なくとも表向きは文化的、また農業政策・経済政策的理由からゲルマン食文化の普及を推し進めたルドルフ大帝が数少ない国家的弾圧を加えた料理がその源流を一三日戦争以前にまで遡れると言われる吾朗拉麺である。

 

 その暴力的なコレステロール値と化学調味料ドカ盛りの味付け、その麻薬染みた依存性とその常食による生活習慣病患者の数は、当時の銀河連邦の社会保険制度に強かな打撃を与え、何度も帝国政府は国内の全飲食店にその調理と顧客への提供禁止を皇帝の名の下に布告したが一向に守られる事はなかった。

 

 最終的には帝国暦17年、吾朗拉麺及びそのインスパイア系調理品は法的に『高依存性・高有害性禁止料理』のカテゴリーに指定、一種の摂食麻薬として帝国政府の徹底的な弾圧を受ける事になる。

 

 極一部の帝国貴族のみが知る事実であるが、初代ゾンネンフェルス伯爵モーリッツは長年その依存性に苦しめられ、遂にある日帝都下町の違法露店で野菜にんにく脂マシマシ吾朗拉麺を食べていた所を偶然店を摘発しに来た社会秩序維持局に見つかった。ルドルフ大帝はこの報告を受けた後暫く沈黙し、伯爵の家督を息子に譲らせたあと、吾朗拉麺の店がない田舎にモーリッツを隠居をさせるように指示したとされる。長年謎とされてきた初代銀河帝国軍統帥本部総長モーリッツ・フォン・ゾンネンフェルス元帥の粛清の真相である。(御先祖様の手記にあったので多分事実だ)

 

 ルドルフ大帝時代に主だった店は封鎖され、その調理法レシピ焼却もされたものの、その後もちらほらと違法屋台等が摘発され、その度に多くの中毒患者が地獄のリハビリ生活を送る事になる。因みに同盟やフェザーンでは旧銀河連邦植民地で代々暖簾分けされた幾つかの店が続いており、その後同盟の拡大と共にこの料理も再び銀河に広まる事となる。市民の間では中毒性の高い料理として知られているが、帝国と違い流石に法的に禁止されてはいない。

 

「そう気負わなくても良いわよ?世間で言われる程中毒的でもないわ。ほどほどにたのしむ分なら美味しいだけの拉麺よ。あ、スープは流石に残しなさいよ?」

 

 そう言いながらパクパクと拉麺を口の中に消していく家主様である。年頃の女性らしく上品に、しかし確実に拉麺は消費されていく。

 

「……頂きます。あ、旨い」

 

 正直ベアトとかの目があって罪悪感から一度も屋台を見ても手を出せず憧れていたのだが……いざ口にしてみるとこんな『裏街』の拉麺なのに普通に美味かった。少なくともアライアンス料理の缶詰の千倍は美味い。

 

「うちは主流とは違って化学調味料は少な目に、しかも豚骨じゃなくてガレオスの骨と煮干しを使っているからな。結構あっさりしてて食べやすいだろう?」

「はぁ、まぁ確かに……」

 

 通常ならば豚の骨を使う所をフェザーン『裏街』特産の新鮮なガレオスの骨と煮干しから取ったスープはしつこさがなく深い味わいだった。麺はどうやら古くなった『表街』の小麦粉を使っているらしい。野菜は九割モヤシに極一部がキャベツだった。どうやらモヤシはこの時代でも低所得者の救世主らしい。叉焼はガレオスの股肉だった。意外な程柔らかく、しかも甘かったって……何で私グルメリポーターみたいな事言ってるんだっ!!?

 

「うるさいわねぇ、食事位静かにしなさいな。子供じゃないんだから」

「ははは、嬢ちゃんの小さい頃思い出すねぇ。母親に叉焼もっと欲しいってごねてたっけ?」

「店主、お口チャックしないと縫うわよ?」

 

 煙草を吸いながら私達の姿を見て笑う店主とそれをジト目で睨む家主様である。仲が良い事で。

 

「一〇年来の付き合いのマブダチだからな!お、兄ちゃん。余り嫉妬はいけないぜ?男の嫉妬程見苦しいもんは無いからな。嬢ちゃんを口説きたかったら正面から堂々とするこったな。ここだけの話、ブイブイ言わせているがその実結構メルヘン趣味……」

「やる気なのね?そうなのよね?この糞店主今から口縫うから動いちゃ駄目よ?」

「ちょ……マジタンマ……!!?」

 

 どこからか裁縫用の糸と針を出して淡々と店主に襲い掛かる家主様である。宇宙暦8世紀になろうとも拉麺店を営むには体力が必須なので店主もそれなりに鍛えている筈だが結構店主が劣勢だった。まぁ、私は気にせずに麺にスープを絡めてふぅふうと冷ましながら啜り続ける。うん、美味い。

 

「……家主様よ、そろそろその辺で勘弁したらどうだ?少し麺が伸びて来てるぞ?」

「何っ!?……くっ、忌々しい!」

 

 数分程してそろそろ本気で店主の口が縫われそうになった所で渋々私はそう言って場を収めた。目の前で人の口が縫われているのに美味しく拉麺食える程私の神経は図太くはなかった。

 

「はぁはぁはぁ……兄ちゃん、マジ助かった。このお嬢ちゃん有言実行な性格だからな。言っとくが今のじゃれ合いじゃねぇぞ……?」

 

 ガチで汗だくで顔を青くした店主が指摘する。だったら言うなや。

 

「それにしても随分と付き合いは長いのですか、御二人は?」

「付き合いという程でもないわ。唯の店と客の関係よ。小さい頃から行きつけの店だったから。……母や友人とね。とは言え値段が張るから月一回位しか来ないのだけど」

 

 どうやら月一回の贅沢、という事らしい。六フェザーンマルク九〇ペニヒはこのクオリティを考えれば破格の値段設定ではあるが、それでもこの街の住民には気軽に食べに行ける訳ではないらしい。

 

「最近は塵の買受の仕切値に限らず『表街』との仕事は値下げの嵐だからな。噂だとこの辺りの再開発のために自治領主政府が圧力をかけているんじゃないかって話もある。……そういやあの馴染みの坊主はここ暫く顔を見ないな。嬢ちゃん、何か知らないか?家向かい側だっただろ?」

 

 ふと思い出したように店主は家主に尋ねる。途端に彼女の箸の動きはぴくりと止まる。

 

「……さぁね。この街じゃあ急にいなくなるのも、気付いたら死体が見つかるのも良くある事だから。あいつ、どこか捻くれている所あったからね。ああいうのは長生き出来ないんだけれど」

 

 物憂げな、それでいてどこか寂し気な口調で家主は呟く。そこにはどこか自嘲に似た乾いた笑みを浮かべていた。

 

「って、急に話が暗くなったわね。店長、あんたのせいよ。折角人が飯食べに来たのに気分壊さないでくれない?こっちは月一の贅沢してるのよ?そこ理解してくれる?」

 

 私や店長の視線に気付いてか、ムスっとした表情を浮かべてそう文句を口にする家主である。

 

「ほら、あんたも箸が止まってるわよ?話も良いけどどんどん食べる!」

「あ、ああ。……そういえば私達はここで食うが残りの分はどうするんだ?」

 

 ふと、私はバグダッシュ少佐や男爵様方の事を思い出して尋ねる。少佐はどうせ居酒屋を梯子している事であろうが男爵達の夕食はどうするべきか。

 

 私が尋ねれば家主様はガレオスの叉焼を頬張りながらこう偉そうに答えてくれた。

 

「働かざる者食うべからず、よ。まぁ、飯抜きという訳にはいかないから好き嫌いするなら今日は乾パンだけで我慢してもらうわ」

 

 実に無慈悲な宣告であった。

 

 

 

 

 

 

 途中から流石に食べるのが辛くなったのをどうにか詰め込み私は吾郎拉麺を食べ切る事が出来た。あっさり目のガレオス骨味で幸いだった。脂ギドギド系だったらリバースしていた事だろう。家主様、あんた何で平然と食べ切ってんの?お前の体内のどこに食べた分消えてんの?

 

「好きな時に好きな物食べられる御貴族様と違ってこっちはたらふく食べるなんて滅多に出来ないのよ。流石にスープを飲み干すのは厳しいけどね」

 

 満足げな表情で勘定を始める家主様である。会計中僅かに値段を見てうーうーと唸っていたが最終的に諦めて支払い店外に出ていく。私も上着を着てスカーフ・マスク・ゴーグルの三点セットを装着して後を追おうと椅子を立ち上がる。

 

「兄ちゃん、有難うな?」

 

 私が店に出ようとする直前、背後から店主からそう声を掛けられる。

 

「何がですか?」

「いやなぁ……嬢ちゃん、母ちゃんが死んでから随分とカリカリしていたからよ。馴染みの小僧もいなくなったようだしな。あそこまで元気なのを見たのは久々でな」

 

 エル・ファシル産の安物煙草を咥えながら店主はそう語った。

 

「臨時収入が入って来たからでしょうね。会って数日ですが逞しいものですよ」

 

 私が知る限りでもあの家主の境遇は何気にヤバいんだよなぁ。前世の記憶がある訳でも無かろう、そう考えればこの街の糞みたいな環境で育ったにしては(がめつい所があるにしても)結構真っ当な精神に育っているように見える。

 

「会って数日?そりゃあまた随分と手早いものだな?」

「金の力は偉大という訳ですよ」

 

 私は変な誤解を生まないようにそう言い返して店を出た。砂漠の夜は冷える。恒星フェザーンの落ち切った夜の街は厚い上着を着ていても寒かった。

 

「早く帰るわよ。油断してたら凍死しちゃうわ。偶に飲んだくれた馬鹿が外で寝てそのまま死ぬ事もあってね」

「そりゃあ酷いな。さっさと帰るに限る」

 

 私がそう答えると私の口元に人差し指を(マスク越しに)添え、ジト目で家主様は注意する。

 

「設定」

 

 そう不機嫌そうに言い捨てる彼女に肩を竦め、私は恭しく頭を下げ、恭順の態度を示す。

 

「分かれば宜しい。さぁ、行くわよ。居残り組が飢え死にしない内にね」

 

 外食したのは内緒でね、と付け足すその表情はやはり年相応の子供だった。

 

 暫くの間、スラムの繁華街を家主様が一方的に愚痴や説明をしながら進み続ける。夜中になってスラムの中は一層活気に溢れていた。余り健全な方向ではないが。

 

 三〇分程歩けばスラムの繁華街を通り抜け、閑静なバラック小屋が軒を連ねる道に入る。ハイネセンポリスでなら所謂住宅街と言える地域だ。窓に明かりが灯る小屋は少ない。家主がいないのか、寝静まっているのかと言った所だろう。前者は宵越しの銭を持たないとばかりに繁華街ではしゃぎ、後者は仕事の疲れと明日への体力温存のために寝ているのだ。

 

「まぁ、こんな場所で強盗する奴は余りいないでしょうけど一応気をつけなさい」

 

 小さな声で先導する家主様は私に注意を促す。この辺りの貧民を襲ってあるかどうか分からない小銭を奪うなら繁華街で強盗した方が実入りも良い。それでも一応『裏街』に慣れているとは言い難い私にそう伝える。

 

「って、あんたなら大丈夫かもね。何だかんだ言っても軍人だし、その腕を見るに実戦は経験していそうだから、ここらの強盗程度、怖くないでしょうね」

 

 私の義手の右腕を見て、そして夕方頃のトラブルを思い出してから家主はあっけらかんとした表情で苦笑する。

 

「危なくなったら頼むわよ?御貴族様なら幼気なご令嬢を守るのは騎士道的に崇高な義務なんでしょ?ついでに身包み剥いでプレゼントしてくれれば完璧よ?」

 

 誰が幼気なご令嬢だよ。更に言えばそれじゃあ私達の方が追い剥ぎじゃねぇか。どう考えても騎士様達に討伐される方だろうが。

 

 そんな意志を込めてゴーグル越しに呆れ顔で見つめてやれば「冗談の通じない男は面白くないわよ」と論評される。お前さんには言われたくない。

 

「そもそも……っ!」

 

 そこまで言って家主様、ほぼ同時に私もその気配に気付いて振り向いていた。夜道に此方に近づく足音が妙に反響していた。

 

「これはこれは御嬢さん、夜中まで出歩くのは余り宜しくありませんぞ?」

 

 バラック小屋が軒を連ねる通りの横道からその人影は我々にそう呼びかけた。アイリス嬢はその声に警戒感と不快感を露わにした表情を浮かべる。私もまたマスクとゴーグル越しに密かに驚愕していた。その声、そして人影の風貌を私は知っていたから、そしてその人物がこの場にいる事が信じられなかったためだ。

 

「あんた……何の用?」

 

 アイリス嬢は先程までとは打って変わり、これまで私達にすら向けた事のない嫌悪と侮蔑の視線を人影に向ける。しかし当の視線を向けられた人物はどこ吹く風とばかりに不敵な笑みを崩さない。

 

「おやおや、随分と冷たいじゃないか。折角の可愛い顔が台無しだ。……まぁそう言わずに、一つ自宅訪問をしても宜しいかな、フロイライン?」

 

 黒いタートルネックのセーターに淡緑色のスーツというこのスラム街では清潔過ぎる出で立ちのアドリアン・ルビンスキーは、月明りにその身を照らされながら意味深げな微笑を湛え我々の前に現れたのだった。


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