帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十一話 嫌な思い出程記憶に残り、嫌な予感程良く当たる

 フェザーンは戦火の及ばぬ平和の星……それは半分本当で半分嘘と言える。

 

 確かに一隻だけでも馬鹿げた値段がつく最新鋭の宇宙戦艦を何万隻も並べて正面からぶつけ合うなぞ帝国と同盟にしか出来ない行いだ。両国辺境や外縁宙域で蠢く宇宙海賊や中小国、あるいは軍閥、その他の武装勢力が有するのは二大超大国から見れば旧式も良い所な艦艇をせいぜい数十から数百隻、現在確認されている最大規模の勢力すら一〇〇〇隻あるかどうかであろう。性能や練度を含めればその戦力差は更に広がると思われる。

 

 一五〇年にも渡り大戦争を繰り広げる両国の争いはフェザーンや周辺小勢力群から見れば正に神々の戦いに等しい。確かにそんな物と比べればフェザーンは正に平和そのものと言えよう。相対的に考えれば。

 

 銀河中の金と欲望が集まり、格差の大きいコミュニティでは犯罪が蔓延るものだ。フェザーン警備隊や傭兵、フェザーン自治領警察軍が配備される『表街』であれば兎も角、広大かつ碌に戸籍も記録されていない貧しい『準市民』でごった返す『裏街』ではマフィアやギャングが幅を利かせている。しかも大概の場合それらの犯罪組織は背後にスポンサー企業がいたりするので各治安組織も『表街』や『市民』に被害が及ばない限りは『裏街』で何があろうとも放置している有様だ。

 

 逆に言えば、『表街』でテロが起こるなぞ滅多に有り得ない事でもあり、その事実はフェザーン上層部に強い衝撃を与えた。

 

「自治領主に二点お尋ねしたい。先日、即ち九月一九日午後三時四五分フルンゼ街第二ハイウェイで生じた爆弾テロ事件についてです。一、本事件において爆弾が自由惑星同盟及び銀河帝国亡命政府からの外交特使の乗車する地上車を標的としたものである事は事実でしょうか?二、本事件において第二ハイウェイは約六時間に渡り封鎖され、それによる経済的損害は推定で五〇〇万から五五〇万フェザーン・マルクに及ぶと商務局及び財務局は概算しております。これらの損害について治安維持に責任を持つ自治領主府は如何に責任を取る積もりでいるか、以上二点についてお答え願いたい!」

 

 フェザーン自治領主府の一角に設けられた円形会議場……元老院五十人議会議事堂の議員側の一席で怒声にも似た声が上がる。親帝国派として帝国鉱物資源・エネルギー公社との金属ラジウム採掘事業を行う業界大手企業の若手役員のものであった。彼の声と共に一ダース程の元老達が同意するような野次を飛ばす。

 

 五十人議会と言いつつも、フェザーン自治領成立以来一世紀、人口の増大と企業や財閥、コミュニティの勃興、それによる新興勢力の政治参画の要求から議席は増加し、その議会組織は複雑化していった。今では議席の総数は一〇〇席を超え、その役割も細かく細分化されている。議事堂建設の頃の想定の倍の議員が犇めく事もあってか、伝統的に市民の目に公開される事のない秘密会議でありながら、フェザーン最高議会の議事堂は妙な熱気に包まれていた。

 

 議会議事堂の自治領府行政側の席から高価なスーツを着込んだ自治領主ワレンコフが壇上に上がる。壇上に設置されたマイクに向けて老自治領主は説明する。

 

「まず一点目に関しまして、爆弾の爆発地点の近隣に両国の特使の乗車する地上車が存在したのは事実であります。幸い一般市民及び特使達に死亡者が発生しなかった事は極めて幸運であると考えております。二点目に関しましては此度の特使の護衛のためにハイウェイの部分的封鎖を行っていたがために損失を最小限で食い止められたものと自負しております。方々にて此度の被害に遭われた企業・個人に関しては個別の事情を考慮しつつ必要に応じて自治領主府より救済措置も検討中であります」

 

 ワレンコフの政治家らしい応対に議場の彼方此方から再度野次が飛ぶ。

 

「自治領主、他人事のように言ってもらっては困ります。即ち、此度の事件は銀河帝国と自由惑星同盟による軍事抗争に我々フェザーンが巻き込まれ、フェザーン市民及び経済が危険に晒された訳です。これが如何なる意味を持つか自治領主は御理解しておいでですかっ!!?」

 

 若手議員は自治領主よりも寧ろ他の元老院議員に問いかけるように声を荒げる。

 

「皆様、このフェザーン自治領は独立独歩を旨とする商人の国です。帝国にも同盟にも組せず、ひたすらに中立の立場でビジネスに専念するのがフェザーン人であり、自治領主府はそのための政治的調整と交渉のために存在する筈!」

 

 議員が口にするのはフェザーン自治領成立時の理念と建前である。その歴史的経緯から元より商人や船乗りが多く、また戦火から逃れた難民の集まるフェザーンに、ある日地球出身の商人レオポルド・ラープが訪れ語った。

 

「戦争で故郷を捨て、財を捨て、家族を失った者達よ、血を流すのは帝国と同盟に任せておけ。戦争に奪われたのならば戦争から取り戻そうではないか。奴らが流した血を以て、この星を我らの楽園としよう」

 

 実際は然程韻を踏まず、もう少し散文的であったであろうがラープが実際に似たような発言をしたのは事実だ。

 

 元より多くの人々が初期は拡大を続ける二大超大国から、次いで激しく抗争を繰り返す両国から逃れて来た。それが海賊達をルーツに持ち長らく独立国として振舞って来た原住民のアイデンティティーと同化した結果生まれたのがフェザーン人特有の反骨精神旺盛かつ反権威主義・独立志向・孤立主義・平和主義・物質主義の価値観である。それ故にフェザーン人は同盟と帝国の戦争に巻き込まれるのを極端なまでに嫌う。

 

「自治領主は長らく帝国による吸収合併に対抗するためと称し、親同盟政策を推進して来ました。ですが、私からみた場合、寧ろその政策こそが帝国の軍事的圧力を助長しているように見えます」

 

 そして元老達の方に視線を向け議員は更に口を開く。

 

「皆様方、自治領主は凡そ三〇年に渡り同盟に肩入れをして参りました。その結果得たのは何でしょうか?帝国市場における損失と同盟から押し付けられた多額の低金利債権だけではないですか!これではラープの説いた言葉と真逆!フェザーン建国の理念に反する行いです!そして今我々は金銭だけでなく生命すら脅かされようとしている!!」

 

 若い議員の言葉に帝国ビジネスや金融業界に携わる元老を中心に賛同の声が上がる。

 

「確かにワレンコフ氏は同盟に肩入れし過ぎだな」

「お陰で最近の共和主義者共は我らに高圧的だ。我らが金の湧き出る魔法の壺とでも思っているようだ」

「帝国との繋がりもぞんざいにしてはならん。帝国の市場は同盟よりも大きい。潜在力を鑑みればまだまだ投資の価値がある」

「そろそろ政策の修正が必要かも知れませんな」

「左様、共和主義者共に灸を据えなければならん」

 

 思いのほか多くの議員から上がる肯定的な声にワレンコフは苦々しい表情を浮かべる。

 

「いや、それは筋違いというものだ。そもそも此度の爆弾事件が帝国側の工作によるものという証拠がない。それに、仮に帝国の行いであったとしてそれを元に親同盟政策の転換を行うのは道理に合うまい。寧ろその場合は帝国にこそ抗議の声を挙げるべきだ」

 

 自治領府と自治領主の擁護の声を挙げるのはスペンサー議員であった。これに同調するように同盟との結び付きの強い議員達が騒ぎ立てる。

 

「だが実際問題、同盟に肩入れし続けても得られる利益はいかほどのものだ?帝国に肩入れしろとは言わぬが同盟ばかり贔屓にするべきではなかろう」

「現帝国財務尚書であるカストロプ公爵は帝国において数少ない親フェザーン派だ。現在アルレスハイム方面で進んでいる軍事行動も公爵が一枚噛んでいるという。ここで早急に借款しては只でさえ厳しい帝国国内での事業が一層厳しくなろう」

「然り然り、自治領府の行いは我らフェザーンの経済発展を不必要に束縛しておる。その是正を願いたいものですな」

 

 中堅から老境の議員達が立て続けに語り話題をある方向に誘導していく。彼らが皆、帝国における開発事業に多額の投資をしているのは言うまでも無かった。

 

(カストロプめ、相当金をばら撒いたな……!)

 

 ワレンコフ自治領主は議場の者達に聞こえないように小さく舌打ちする。あのハイエナのように狡猾な強欲公爵はフェザーン人よりもフェザーン人らしい守銭奴であるが、同時に決してオトフリート五世のような無分別な吝嗇ではない。必要な時に必要な金を使うだけの器量があった。此度の案件においても相当額の工作資金をばら撒いていると思われる。

 

 議論は次第に今回のテロ事件の説明から自治領主の管理と政策に対する責任追及の場へと移行していく。スペンサー議員以下、親同盟・ワレンコフ支持派の議員が議論の逸脱を批判するが、その中にすら寝返る議員が数人おり、議論は混迷の様相を見せ始める。フェザーン人は個人主義者と拝金主義者と功利主義者の集まりだ。こうなれば収拾をつけるのは簡単ではない。

 

「リコールだ!リコールを要請する!」

 

 一部の議員達のその宣言に会場は、特に行政側の議員席に座る閣僚や官僚達は困惑と驚愕にどよめく。リコール、即ち自治領主の進退を決める投票を行いたいとまで言い出すのだ。フェザーン政界では激しい政策対立がこの一世紀幾度か生じた事はある。だが流石に基本終身制たる自治領主の退任の要求なぞ制度上は可能でもこれまでなかった事だ。ましてやこの程度の事で………。

 

「……ルビンスキー」

「はい、自治領主殿。何用でありましょう」

 

 罵詈雑言が飛び交い混乱する議会を尻目にワレンコフは小さく補佐官の名を呼ぶ。すぐにスーツを着込んだアドリアン・ルビンスキーは自治領主の傍らに控えた。

 

「元老院がここまで拗れるとなると帝国の貴族共だけが動いている訳ではなさそうだ。教団と証券業界……それと『裏街』の溝鼠共辺りも探るべきかな。内偵に動向を調べさせろ。それと……」

 

 苦々し気に議会を一瞥した後、ワレンコフは続ける。

 

「同盟・亡命政府の特使に連絡を。借款契約は少し遅れそうだとな。この混乱では承認も難しかろう。安全対策のために警備も割り増しさせると伝えてくれ。全く、すぐに金に釣られる馬鹿共め」

 

 愛国者にして、民族主義者である自治領主は傍らの補佐官以外に気付かれないように吐き捨てる。それはフェザーン全体ではなく自分達の組織や企業のためだけにフェザーン政界を掻き回し、混乱させる議員達に対する非難であった。

 

「やはり奴らにこのフェザーンは任せられんな、ルビンスキー。どれもこれも一国を背負う責任感が欠如しておる。ここは一つ大掃除が必要なようだ」

「はっ、その通りで御座います」

 

 ルビンスキーは恭しく、同意するようにワレンコフに頭を下げる。少なくとも外面は。

 

 混乱する議場をルビンスキーはそっと離れ、裏手に向かう。そして誰も見ていないのを確認し、低い笑い声を漏らす。

 

「これはとんだ喜劇(バーレスク)だな」

 

 ワレンコフ自治領主の推察は半分正解だ。確かにこの元老院の混乱した惨状は確かに旧守派や分権派だけによるものではなかろう。その事に物的証拠無しにすぐに辿り着くのは流石自治領主というべきか。背後にいると疑った者達も妥当であるし、実際幾人かは正解だ。

 

 だが同時に余りに滑稽な事は………。

 

「さて、勝ち抜くのは誰かな?帝国か、同盟か、フェザーンか……」

 

 禿頭の男の脳裏にこの陰謀と欲望が入り乱れるゲームのプレイヤー達の顔が過ぎ去る。そして愉快気に口元を吊り上げる。

 

「あるいは、この俺かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、流石に驚いたよ。十メートルも離れていない路上で即席爆弾だからね。爆風で地上車が横転して頭をぶつけたよ」

 

 自由惑星同盟・フェザーン高等弁務官事務所の貴賓室のソファーでははは、と困ったような笑い声を上げるのはシュヴェリーン大公ことアレクセイ・フォン・ゴールデンバウム銀河帝国亡命政府軍宇宙軍准将だ。その態度は一見すると爆弾テロの標的にされた人物とは到底思えない。

 

「随分とまぁ、呑気だなぁ?爆発が後数秒遅れてたら危なかったんだろう?」

 

 幾ら装甲を張っている要人輸送用の特殊地上車とは言え、最前線に投入される装甲ゴテゴテの大型車と違いガワは一般高級地上車と然程差異はない。物理的な耐爆性能は限界がある。実際、防弾硝子はズタズタにヒビが入っていたし、装甲も内側まで鉄片がめり込みかけていた。

 

「それこそ杞憂ってものさ。私を本気で殺そうなんて相当覚悟がいるよ。私が死ねば亡命政府は無論、フェザーン自治領府も動かざるを得ないからね」

 

 アレクセイは肩を竦めて答える。アレクセイは皇族だ。そして外交使節だ。それが殺害されれば間違いなく亡命政府も、面子を潰されたフェザーンも全力で相手に報復するだろう。そのリスクを取れる程の者達は限られる。

 

「アレは恐らく本気で殺しにかかったものではないだろうね。本気でやるならもっと威力を高めるか、いっそハイウェイ自体を倒壊させてしまう方が確実だ。暗殺は一度失敗するとハードルが上がる、やるなら一撃で仕留めないといけない」

「それにしては警備体制を潜り抜けて爆弾を設置出来たのに威力も爆破のタイミングも稚拙だな。となると目的は……」

「寧ろ借款交渉の遅延を狙っている、といった所だろうね」

 

 私とアレクセイはほぼ同時に答えに辿り着く。

 

「ワレンコフ自治領主は『表街』でテロが行われた事による責任を議会で追及されている」

「外交使節団も安全の確保のために暫く交渉は延期してこの高等弁務官事務所に缶詰めだそうだ。今後の交渉時期は未定らしいよ」

「考えられる犯人は?」

 

 私は此度の『火遊び』の犯人について旧友の意見を求める。

 

「亡命政府なりフェザーンなりに恨みを持つ組織や個人は幾らでもあるけど、実際にこの手の手段を実行出来る能力を有するのは限られているからね。帝国であれば最有力は旧守派に分権派辺りになるのかな」

「同盟の極右はどうだ?奴らは我々亡命政府が嫌いだろう?」

「動機はあっても能力が無いだろう?右翼自体は大きくても極右は少数だ。トリューニヒト議員は与党の中道右翼、つまり右翼の大半は今回の交渉に賛同している。身内の跳ねっ返りの手綱位は引いている筈さ」

 

 同盟の極右勢力はその筆頭たる『サジタリウス腕防衛委員会』が780年に小規模な内部紛争を起こし、統一派の援助を受けた(比較的)穏健派が主導権を握り内部の粛清と引き締めを行って以来大人しいものだ。ほかの極右系武装組織にはフェザーンの厳しい警備網を抜けてこんな大それた事は出来まい。

 

「後はフェザーンの親帝国派辺りに戦争ビジネスをしているマフィアか宇宙海賊辺りか……いや、後者は流石にリスクが高いか?後は………」

「後は?」

「いや、何でもない。実行犯は兎も角裏で糸を引けそうな輩はこんなものだな」

 

『地球教』……そのフレーズが脳裏に過った私はしかし、この場でその事は口にしなかった。この世界に生きて二六年になるが、その常識からすればこの場であのカルト教団の名を口にしても怪訝に思われるだけだ。

 

「それよりも無事で良かったよ」

「心配してくれたのかい?」

「そりゃあそうだ。死ぬどころか怪我一つですら一緒にいる私にも責任が来るからな。ここに来るまで戦々恐々だったよ」

 

 私の尻ぬぐいのせいで良く心労気味になるベアトやテレジアを思えば……同じ思いをするのは御免だ。

 

「酷い言い草だなぁ。親友と思っていたのは私だけなのかい?」

 

 アレクセイは悲し気にしくしくと腕で涙を拭う仕草をする。涙声を美味く演技しているのは評価するが口元のにやけでモロバレだぞ?

 

「おいおい、嘘泣きなんて止めろよ。気持ち悪い。女の涙は武器だが男の涙は見苦しいだけだぞ?」

「ヴォルターは相変わらずだね。こんな下手な演技でも他の人達なら結構慌てるんだけど……ヴォルターは小さい頃からこういうのはスパッと切り捨てる性格だったから」

「あー、そういう事もあったな……」

 

 私は僅かにしかめっ面を浮かべて応じる。心当たりはある。私が色々と拗らせていた頃だ、止めろよ恥ずかしい。

 

「あの頃に比べたら随分と丸くなったものだよね。確かあの頃は遊びを勝手に止めて逃亡したりお願いしても即答で拒否されたりしたよね?」

「止めろ止めろ、人の黒歴史を掘り返してくれるな」

 

 今冷静になって思えば笑えない位無礼な事をしていた事は自覚している。アレクセイが次男であり、私の両親の立場がなければ血の気が引くような行いだった。完全に中二病と高二病が併発してたよ………。

 

「私の寛容さを喜んでくれよ?これが兄上ならカンカンだったんだから」

「流石に皇太子殿下とは歳が離れすぎてるだろ?餓鬼相手に大人気なく怒るかよ?」

「もし怒ったら?」

「アウグスタ様にでも泣きつく」

「結局他人頼みじゃないか」

 

 暫くの間、互いに転げるように笑う声が室内に響く。そして……笑い声が自然と消えていくと共に、互いの瞳を見つめる。

 

「ハーン伯爵が心配症でね、私が怪我したら心底困るらしい」

「此方も厳しい。トリューニヒト議員も軽傷を負った。お前同様暫くはここで引き籠ってもらうしかない」

 

 国防委員会財務・会計副委員長たるヨブ・トリューニヒト議員は今回の借款交渉の調印権限を持つ重要人物だ。ここで爆死されたら借款交渉自体が停滞、最悪は御破算してしまう。それだけは回避しなければならないので、彼もまたこの高等弁務官事務所に閉じ籠る以外の選択肢はない。最低でも本国から調印権限を持つスペアが来るまでは。

 

 更に言えばトリューニヒト議員だけでなくオリベイラ学長も同様の理由で動きにくくなっている。いや、ある意味此方はより深刻だ。

 

 個々人の議員に対して学会人脈を通じて切り崩そうにも、既に議題は借款の是非から自治領主の進退の是非に変わってしまっているのだ。しかも帝国に対する諜報網からあのゼーフェルト博士が派遣される事が発覚した。

 

 アロイス・ベルントルト・フォン・ゼーフェルト騎爵帝国騎士は帝国学術協会・帝立哲学協会・帝国科学アカデミーの名誉会長を務め、国立オーディン文理科大学の理事長も務める言わば『帝国版オリベイラ学長』とも言うべき人物である。私の記憶が正しければ確かあの獅子帝の時代でも学芸尚書として重用されていた筈だ。御用学者としてその理論構築能力・交渉能力・人脈は中々のものだ。他の数名の帝国政財界要人も入国しているのも含め、親帝国派議員達に対する協力と説得に駆り出されているのだろう。

 

「となると、もう動けるのは私位な訳だな?」

 

 肩を竦め半分程自嘲気味に私は尋ねる。分かり切った事だ。アレクセイもトリューニヒト議員もオリベイラ学長も、次いでに言えばハーン伯爵も今現在スペアの効かない調印に必要不可欠な存在だ。

 

「一方私は失っても比較的痛くない立場、となれば私が代わりに飛び回るしかないわけだ」

「……別にヴォルターを失っても良い訳ではないよ?君は伯爵家の跡取りだし……何より私の友人だ」

 

 少し言いにくそうにアレクセイは声を漏らす。そこには仄かな罪悪感が見て取れた。

 

「別に構わんさ。お前は勿論、学長も修羅場慣れしている訳じゃあないからな。トリューニヒト議員は……まぁ現場を離れて久しいからな」

 

 学者であるオリベイラ学長は当然銃の撃ち方すら知るまい。アレクセイは幼年学校時代に実際に命の取り合いを経験しているが逆に言えばそれだけだ。トリューニヒト議員は同盟警察に所属していた頃極右・極左組織に犯罪組織相手の取り締まりや暴動鎮圧の現場に関わった経験があるというが、議員になってからは流石に体も鈍っていた。一方、私は現役軍人であり、嫌になる程死にかけている。危険地帯に突っ込むには絶好の人選と言う訳だ。

 

「正直いつものパターンを考えると滅茶苦茶不安になるが……まぁ、流石にフェザーンの街中で戦車や装甲擲弾兵に襲われる事は無かろうよ」

 

 工作員が中立国のど真ん中で使うとなれば重装備は密輸出来まい。拳銃や爆弾程度、頑張っても機関砲が精々だろう。そう考えると凄い気が楽だ。

 

 ………うん、こんな惨状で安心出来ると思えるのが悲しくなってきた。

 

「ヴォルター……御免ね?」

「だから気にするなよ。無理ゲーは慣れてる。寧ろこれならイージーモードだろうさ。但し、代わりに餓鬼の頃の恨みつらみは掘り返すな。あの頃の話は私に効く」

 

 いや、マジで掘り返されると恥ずいんだよ……。今思い返すだけでも格好つけな自分に悶絶するぞ……。

 

「けど……」

「なぁに。お前さん達がここに引き籠るお陰で浮いた情報局のエージェントを此方に回してくれるらしいからな。それに……」

 

 そこで私はちらりと貴賓室の玄関にて直立不動の体勢で控える従士二人を見据える。私の視線に気付いたのか、改めて彼女達は姿勢を正す。

 

「私と付き合わせているせいであの二人も随分鍛えられている。どこぞの石器時代の勇者なら兎も角、軽装備の工作員相手なら遅れを取る事も無いさ」

 

 私は冗談めかしてそう嘯く。ふとベアトと目が合い、口元を綻ばせて応じると相手も答えるように微笑む。

 

「そうか、なら……安心だね」

 

 一方、アレクセイは僅かに憂いを含んだ声でそう呟く。

 

「アレクセイ?」

「いや……悪いね、やっぱり少し疲れたみたいだ」

 

 少しだけ力がない声で私に向け答える旧友。

 

「悪いけど、そろそろ休みたいかな。見舞いに来てくれて感謝するけど……」

「分かっているよ。私も長居し過ぎちまったな。後は私に任せて、精々偉そうにこのビルでふんぞり返っておけよ?」

「ヴォルター、やっぱり私の事嫌ってるよね?」

「いやなに、唯の意趣返しだよ」

 

 困り顔のアレクセイに意地悪な笑みを浮かべて私はソファーから立ち上がる。ハイネセンやベアトの事で揶揄ってくれたからね、仕方ないね。

 

 私はそのままベアトとテレジアと共に部屋を去る。さてさて……不本意ではあるが旧友のためにも一働きしようかね?

 

 

 

 

 

「………本当、ヴォルターは意地悪だなぁ」

 

 旧友達が部屋を去った後、シュヴェリーン大公ことアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは一人静かに苦笑しながらぼやく。室内に反響したその声には好意と親しみと、何よりも複雑でほろ苦い感情が混合されていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『地球教』……原作において様々な陰謀を企てた巨悪であり事実上のラスボスはしかし、この時点における世間の知名度は決して高くなく、ましてやそこまで大それた存在とは見られていない。それは諜報において何でも有りであり、国内の安定のために強力な監視体制を敷いている銀河帝国においても同様だ。寧ろ比較的安全な宗教団体とすら見られている。

 

 ソル星系第三等帝国自治領を運営する地球自治委員会、そこに強力な影響力を有する宗教法人『地球教』のルーツは新興宗教と言うくくり分けとは対照的に古い。

 

 その思想的源流は地球統一政府初期に流行した地球シオニズムであるとされている。地球を人類発祥の聖地として人類はそれを保全・保護し、汚染せぬように全人類を宇宙に移民させるべきという考えだ。

 

 この思想は宇宙開発が進み、宇宙人口が増大すると多くの植民諸惑星の市民が宇宙移民第一世代の地球に対する哀愁の念を引き継いだ事もあり一層流行し、シリウス戦役以前の段階で宗教というよりかはイデオロギーとして人類社会全体に広がっていた。無論、単純に地球を保護したいというだけでなく地球人に対するある種の羨望と嫉妬、そして経済的打算もあったと見られる。地球統一政府独立治安維持組織『ティターンズ』は植民星共栄思想・銀河合衆国構想等と共に反地球統一政府思想として長年このイデオロギーを弾圧してきた。

 

 地球生まれでありながら地球シオニストの両親に連れられ少年時代にロンドリーナに移民したカーレ・パルムグレンは、反地球統一戦線の指導者となった後も『地球の地球人の欲望からの解放』を何度も口にしてきた。シリウス戦役末期には経済的理由を下に地球総攻撃に反対するタウンゼントと共に地球統一政府の名誉ある降伏を幾度も促した。まぁ、最終的には植民星共栄思想を奉じるフランクール以下前線の軍人の暴走で地球は壊滅したが。

 

 信仰の対象たる地球の壊滅にタウンゼントの暗殺、『銀河統一戦争』の勃発……戦乱の時代の中で地球シオニストの大半はそのイデオロギーを捨て故国の星系の国益を優先する星系ナショナリストに転向したが、極一部は別の道を進んだ。

 

 黒旗軍十提督の一人であり、フランクールと対立する地球シオニストであった故にタウンゼントの粛清の嵐から逃れたアンドルー・サディアス中将は同胞を結集させると荒廃と混乱の最中にある地球に降り立ち、地球の復興と地球市民の追放活動を始めた。元より環境的にも経済的にも生活が困難となり流出が続いていた地球の人口減少はこれにより急速に加速する事となる。

 

 それ以降彼らは地球自治委員会を称し、閉鎖的なコミュニティを運営して地球の環境復興を何世紀も続けていた。銀河連邦成立後も形式的な加盟だけをして内に籠り切り、外部との交流は暫く行われなかったのだ。

 

 そこに微妙な変化が生じたのは連邦末期、『銀河恐慌』以降である。当時、混乱し閉塞感と無秩序が広がる時代の流れか、多くの新興宗教や既存宗教の分派が救いを求める市民の間に流行した。

 

 しかしながら、それらの信仰は社会の不安定化と閉塞、衰退に伴い次第に過激に、あるいは封鎖的となり暴走を始めたものも珍しくない。救世教恭順派、箱舟教終末派、シンワット教、ニュー・ユニゾン・ソサエティーズ、肉と死からの解放教団……これらの新興宗教は連邦末期から帝国初期にかけて社会に多大な混乱と破壊をもたらしたがためにルドルフにより徹底的に弾圧された。

 

 現在の地球教の雛型はこの時期に成立したとされる。地球自治委員会が地球復興のための資金供給源としてかつての地球シオニズムを宇宙暦三世紀の価値観で再解釈・宗教化したそれが現在に繋がる地球教だ。西暦時代のそれをプロト・テラリズムとしてネオ・テラリズムとも呼ぶ。

 

 地球教は他の新興宗教勢力と違い、武力闘争や反帝国闘争・反社会活動に手を伸ばさず、寧ろ既存宗教勢力同様に銀河帝国の諸政策に対して穏健で従順な態度を取り続けた。更に、当時の帝国政府は資金難や人手不足が慢性化していたために、親帝国派宗教団体に向け、邪教徒認定したカルト教団に対する『十字軍令』を認可した事例も存在する。ゼウス教、エリス教、輪廻教、月光教、飛翔せし偉大なるスパゲッティ・ウィズ・ミートボールモンスター教と言った長い歴史と莫大な資金、私兵すら抱える宗教団体は、この帝国の方針により独自の自治領を有したり諸侯等との経済・政治的結びつきすら有するようになる。オーディン教に至っては事実上の国教となった。

 

 地球教は十字軍に参加こそしなかったものの、帝国の社会福祉政策への資金援助や独自の難民保護等を行い連邦末期から帝政初期の社会的混乱の収拾に寄与、それ故に比較的帝国の警戒を受ける事なく、それどころか連邦時代同様に地球の自治を続ける事を許された。

 

 宇宙暦640年のダゴン星域会戦を契機に帝国国内の様々な宗教組織がサジタリウス腕に領域を持つ自由惑星同盟に対して伝道を試み、帝国政府に支援を嘆願したがそれらが認められる事は無かった。宇宙暦669年のコルネリアス一世元帥量産帝の親征においては帝国は巧妙で、各宗教組織に対して遠征軍と随行して布教を行う認可と引き換えに出兵費用の一部を支払わせる等と言う手が講じられたという。地球教も帝国政府に対して寄付を行うと共に司教や伝道師を幾人か派遣したとされる。尤も、これらの宗教団体の派遣人員は帝国の侵略の手先として同盟軍レジスタンスのテロ活動の標的にされる事も少なくなかった。

 

 結局、親征の中止により地球教を含む宗教団体も同盟における布教活動を再び凍結させる事となった。そして、彼ら宗教団体は別のルートからの布教活動を試みた。

 

 宇宙暦682年のフェザーン自治領成立において地球教が同盟・帝国双方に対して賄賂を支払った事自体は公然の秘密だ。だがそれを行ったのは別に彼らだけではない。多くの宗教団体や企業、自治領がフェザーン成立を後押しし、地球教の名はその他大勢のスポンサーの一員でしかない。本格的な布教活動開始は宇宙暦690年以降とされる。

 

「まぁ、それも簡単ではないのですがね。唯でさえ初期に流れた宗教組織が起こした問題で警戒されていましたし、帝国国内で合法化されていた宗教団体は当時の同盟国内では銀河皇帝の手先として偏見に晒されていましたから。地球教に限らず、帝国から流入した宗教団体は良く極右団体の襲撃や焼き討ちを受けたものだと記録されています」

「確かあの頃は憲章擁護局も幅を利かせていたんだったか?」

「そもそも帝国から流入した危険思想の取り締まりが設立理由ですからね。ダゴン星域会戦後に同盟に流れた宗教団体は碌なものがありませんでしたから」

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝時代の司法尚書『弾劾者』こと、オスヴァルト・フォン・ミュンツァーの策謀である。彼は帝国の混乱を収拾し、逆に同盟社会を混乱させるべく国境警備の緩和を皇帝に進言した。国内の不穏分子……特に旧ヘルベルト及びリヒャルト派諸侯、急進的共和主義者、宇宙海賊やマフィア、その他危険思想集団等を追い立て、同盟に押し付ける事での帝国国内の治安回復を狙った。

 

 この作戦は見事に成功し、彼らを迎えいれた同盟と同盟警察は国家的危機とまでは行かぬもののその後何年にも渡りこの国外から流れついた犯罪集団との抗争を強いられる事となる。その中には反社会的であり帝国から長年弾圧されてきたカルト教団の数々も名を連ねている。コルネリアス一世元帥量産帝の親征の被害と共にそれが同盟史において悪名高い憲章擁護局設立の遠因となった。

 

「今となれば滑稽な話です。地球教に限らず、フェザーン経由から来た宗教団体は初期に来た輩と違い教義的にも運営的にもまだまともだったのに、堂々と信教の自由を無視して同盟は弾圧したのですからね。お陰様で敵を増やすだけの結果となりました。地球教教会も良く抜き打ち査察や言い掛かりによる教会封鎖があったそうです。結果として多くの宗教団体同様、同盟の地球教総本山たるバーラト教会は地元住民の支持を得るために現地の気風に順応、反帝国・民主主義擁護の立場を取り始め帝国の庇護下で自治を認められ政治的に中立姿勢に立っていた地球教会と対立、結局フェザーンでの公会議の末に両教会は決裂しました。正式に分裂こそしてませんが今でも軽い冷戦状態だそうですよ」

 

 地上車を運転するバグダッシュ少佐が同盟情報局の有する情報を後部座席に座る私に説明した。と言ってもどれもギャラクシーペディア(同盟公用語版)にも乗っているような基本中の基本のような内容ばかりなのだが。

 

「地球教が麻薬……サイオキシンを密売しているなんて話を聞いた事があるが、どうなんだ?」

 

 私は少佐に好奇心からのものを装ってそう質問する。

 

「私は同盟警察じゃあありませんので詳しい事は知りませんが……サイオキシン麻薬自体は違法薬物の中では人気のある種類ですからね。信者の中に中毒患者がいたりするのは可笑しい事ではないでしょう。他の宗教団体でも信者にジャンキーがいた、なんて話は幾らでもあります」

「成程」

 

 つまり地球教が組織的に麻薬の密造・密売をしている疑念も証拠もない、とバグダッシュ少佐は暗に伝えた。それが同盟情報局の能力不足か、機密故に私に伝えないのか、彼自身も伝えられていないのか、あるいは本当に現時点では地球教がサイオキシンを扱っていないのか……少なくとも一番最初のパターンだけは勘弁願いたいものだ。

 

 コーベルク街のコロセウムに向かう傍ら、私は極極自然な形で地球教、及び彼らの陰謀についてバグダッシュ少佐に情報を求めたのだが……中々期待出来る内容は現状出てこない。

 

「それにしても大佐殿がこんな話を振って来るのは意外ですね。どうしました?合法麻薬吸引店に興味でも出ましたか?流石にこの街の中では合法でもお薦めは出来ませんが……」

 

 バグダッシュ少佐は顔を顰めてそう意見を述べる。コーベルク街の幾つかの店ではコカイン、マリファナと言った基本的な違法薬物からバリキドリンクにニトロラープ、サイオキシン等の高高度依存性有害薬物、電子ドラッグまで販売・使用を半ば公認されている。

 

「成金が良く薬をキメてから店で高級娼婦達と遊ぶんだそうです。で、一度二度の火遊びで終わらす積もりがズルズルと……御興味があってもやらない方が安全です。少なくとも今回の任務が終わるまではお止め下さい」

 

 それは逆に言えば任務が終わった後は勝手にしやがれ、という風にも聞こえた。まぁ、少佐からすれば任務中に薬中になられたら困るだろうからね……主に自分の生存率的に。

 

「若様……」

 

 直ぐ隣に座るベアトは少しだけ不安げに私を呼ぶ。あー、何か言いたい事は分かった。うん、私、一時期内緒でソシャゲ課金してたね、完全にガチャが出来る(アへ顔)!!してたね。

 

 残念ながら電子ゲームも課金もルドルフ的には不健全で退廃的な悪い文明である。連邦末期、所詮電子データのために生活を破綻させる中毒者がどれだけいた事か……その社会的悪影響から帝国刑法において違反した際の罰則は麻薬の使用に準ずる程だ。というかお前まだ覚えてたの?そりゃあ二人だけの秘密だよ?けどあんな下らん事まだ覚えていたの?

 

「少佐、僭越ながらそのような誹謗中傷はお止め下さい。若様はオーディンの堕落した者達とは違います。そのような卑しく下劣な不健全娯楽に御興味を持たれるなぞあり得ません」

 

 一方、助手席に座るテレジアが可能な限り下手に出つつも、不快そうに上官を詰る。うん、君は士官学校時代の私の所業知らないからね、仕方無いね。

 

「あー、テレジア。お前の忠誠心は分かったからそこまでにしとけ。曲りなりにも少佐は上官だ、余り軍の階級序列を無碍にするな」

 

 取り敢えず話題を逸らす意味も込めて私はそうテレジアを宥める。こう言われれば根が生真面目な彼女が逆らう事は有り得なかった。

 

「し、承知致しました。……少佐、出過ぎた発言でした、申し訳御座いません」

 

 テレジアが私の方を見て僅かに戸惑った後に、義務的に謝罪の言葉を口にする。バグダッシュ少佐の方は肩を竦めてシニカルな笑みを口元に称える。

 

 

「いえ、此方こそ貴方方の立場を理解していながら先程の発言は軽率でしたね。此方こそ御容赦を。さて……到着致しました。どうぞ降車の用意を御願いします」

 

 バグダッシュ少佐はそういってから表情を引き締める。ふと、外から大きな歓声が響いた。私は窓越しに地上車の向かう施設に視線を向けた。巨大なドーム状のスタジアムが夜の街に照明の光で不必要な程鮮やかに照らされていた。

 

 

 

 

 

『グオオオオォォォ!!!』

『ギャアアアォォォ!!!!』

 

 古代ローマの円形闘技場を思わせるスタジアムの中央で二体のけたたましい獣声が響き渡る。そこで行われていたは文字通り獣達による殺し合いであった。

 

『おっと!!御覧ください!!今ガウチの喉元が!!食い付くっ!!食い付く!!鋭い牙が厚い脂肪に食いついて肉を引き裂いております……!!』

 

 取っ組み合いをする獣の争いをリポーターが会場を沸かせるために巧みに、そして興奮気味にリポートしていた。会場に浮かぶブックメーカーの数字は賭けの対象達のオッズをコンマ一秒単位で変動させ続けている。

 

 次の瞬間にはゴキッ!!と不気味な音が響くと共に巨大な海豹を思わせる獣は首をだらりと垂らして床に倒れこんだ。白目を剥き、身体をピクピクと痙攣させ、口から真っ赤な血を吐き出す。そして、古代人が空想したような西洋竜を思わせる怪物が海豹の上に乗り、翼を広げ王者の如き咆哮を轟かせる。

 

 レフリーとリポーターがティガレックスの勝利を叫ぶように宣言した。その宣言に強化硝子とソリビジョンモニター越しに観客席の観衆が生命を賭けたこの『見世物』に歓声を上げ、あるいは罵声を上げて宙には何百、何千枚という紙屑となった籤が舞い散った。

 

「獣や剣闘士奴隷を活用した見世物の起源は古代カンパニア地方に遡れるそうだ。古代ローマでは最初故人を偲ぶ祭事として、次第に『パンとサーカス』を求める衆愚達の娯楽へとなり果てた」

「結果として刹那的な流血を望む観衆の需要に答え競技は次第に残酷化し、死者も多発した。良く言われるキリスト教の普及は副次的要因に過ぎず、『サーカス』の衰退の本当の原因は剣闘士奴隷の供給が減少と消耗した事、それに流血を優先したために肝心の試合から芸術性が消え去り面白みが失われた事である、でしょうか?」

「御名答だ、伯世子殿」

 

 観客席で膝にこの前と同じ愛人を乗せ、傍らに数名の黒服を控えさせたブラウンシュヴァイク男爵が私に気付いて振り向きながら古代ローマのコロセウムの歴史を紐解けば、その続きを私が答える。民主政から帝政へと移り変わったローマ史の熟知は帝国貴族の当然の嗜みだ。衆愚政治が蔓延した古代ギリシア史に流血と粛清が続いたフランス革命、東欧を民族紛争の坩堝に変えたハプスブルク帝国崩壊とゲルマン第二帝国の解体によるナチス・ドイツの台頭、二大超大国による『一三日戦争』、地球統一政府崩壊から始まる『銀河統一戦争』等と共に、ローマ史は民主共和政の批判と銀河帝国の思想・制度的正統性を擁護する実例とされる事が多かった。

 

「お隣失礼しても?」

「生憎隣の席は自由席で、俺はその席を金で予約していない。ならフェザーンのルールに基づけば俺は拒否する権利がないぜ?」

 

 嘲るようにそう宣言し、男爵は続ける。私は軽く会釈して観客の一人として自由席の使用権を行使した。背後には従士達とバグダッシュ少佐が控える。こういう場所に慣れている少佐は兎も角、ベアト達は会場の空気に溶け込めずに顔を顰めていた。

 

「この街に長年住んでいると人間の本質なんてものは何千年、何万年経とうが毛皮を着てマンモスを追っていた頃と大して変わらん事が良く分かるね。古代ローマどころか地球統一政府や銀河連邦でもここと似たような娯楽があったそうだ。遺伝子を弄り回してドーピングしまくった獣を食い殺し合わせる番組がゴールデンに放送されていたなんて狂気じゃあないか。それどころか末期には税収確保のために国営で人間を使ってそれをやっていたんだぜ?人間の欲望と加虐心は際限がないものだな。結局帝国政府が強権で停止させたが闇では似たような見世物は続いたし、このフェザーンに至ってはここまで堂々と開催されている」

「一応、法的には志願者と死刑囚等の重犯罪者に限定はされていたそうですがね」

「重犯罪者ね……末期の地球政府や連邦政府が公平で公正な裁判をしていたと思うか?」

 

 隣のスタンドに座った私に意地の悪い笑みを浮かべブラウンシュヴァイク男爵は尋ねる。末期の地球統一政府では反地球思想は凶悪なカルト思想扱いであったし、連邦末期は賄賂で白が黒に黒が白になるような超拝金社会だ。到底まともな裁判が行われていたとは思えない。身分制度がある帝国の法廷の方がまだマシではないかと言えるレベルだ。

 

「……このスタジアムは世界の縮図みたいなものさ」

 

 誤魔化すような笑みを浮かべた私に男爵は嘲るように嘯いた。

 

「縮図?」

「ああ、さしずめ、あれが帝国と同盟と言った所かね?」

 

 そういって指差すのは強化外骨格に身を包んだ職員とドローンによりスタジアムに引きずり出された新しい怪異達だ。ラギアクルスとリオレウスがパラライザーの電撃に悲鳴を上げながら姿を現す。あの興奮具合を見るにドーピングもされているようだった。全身に噛まれたり引っ掻かれたような傷跡が幾つも見られる。

 

『さーて!次の試合です!今回参加のラギアクルスは前回の試合では前評判を覆しイビルジョーを絞め殺した個体で……』

「運営が両国政府とフェザーン、今賭けのオッズを注視しているのは商人や企業と言った所かね?ああ、フェザーン人だけじゃないぞ?当然帝国と同盟の商人共も戦争(ゲーム)の推移には興味深々だろうさ」

 

 運営の言葉を遮るように男爵はほくそ笑み自論を述べる。

 

「後賭けではなく単純にエンターテイメントとして見ているのは両国にフェザーン、それに外縁部の民衆と言った所か。戦争つっても今の時代、大半の輩には他人事さ。そりゃあ国境なら兎も角、それ以外が戦火に焼かれるなんてないからな。たまに増税やら身内が死ぬのは御愛嬌さな。小銭で遊び感覚で掛金を捨てる程度のリスクさ。それでほれ、あそこで訳アリ達が悪巧み中という訳だ」

 

 同盟や帝国から旅行で来たのだろう富裕層に属するだろう観客をそう評し、次いで防弾硝子の張られた貴賓席を指し示す。

 

 貴賓席に居座る面子の悪い意味で豪華な事、驚嘆するべきであっただろう。同盟最大規模のサイオキシン麻薬密売組織の幹部に外縁宙域から帝国・同盟の領域境界を幾度も脅かす凶悪無慈悲なボスコニア海賊団の副団長、外縁宙域から同盟に大量の不法移民を斡旋しているナイジェル&カーター星間運輸会社の役員、大量の戦争犯罪から軍法会議の欠席裁判で満場一致で死刑宣告を受けた今現在は外縁宙域で傭兵会社を営んでいる元同盟軍士官……他の輩も似たり寄ったりだろう。

 

「役満じゃねぇかよ。良くもまぁこんな場所で顔を出せるものだな。本来ならお天道様なんざ拝める立場じゃなかろうに……いや、こんな場所だからか?」

 

 大半が懸賞金付きのお尋ね者である。賄賂や横槍が無ければ公平公正な裁判で確実に絞首刑にされる面子だ。そんな輩が安全な貴賓席で警備に守られて高級酒片手に雑談しながらショーを見物しているのだ。同盟警察なり社会秩序維持局の職員が見たら発狂する事間違いない。

 

「げ、バーレ将軍までいやがる」

 

 同盟政府が後押ししていたマーロヴィア星系暫定政府軍に最後まで抵抗していた軍閥の長は同時に特大の戦争犯罪者だ。街を丸ごと略奪虐殺するのは当然として宇宙海賊や一部のフェザーン商人に占領地の住民を口減らしもかねて売り払う等合計一三四件の犯罪に手を染めた彼は、戦争の最終期に一部の部下と大量の資産を持って行方を晦ました。同盟警察が一億ディナールの懸賞金を掛けている一級の危険人物がこんな所でブランデー片手にショーを楽しんでいた。その隣で悠然と御話中のガウンを着た端正な顔立ちの青年貴族は……。

 

「叔父上の伝手で聞いた話だ。人身売買業者にとってカストロプ家は良いお客さんらしいぜ?そっちの宇宙からもそこそこ卸されているらしい。その辺りは少佐も知っているだろ?」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプ公世子を一瞥した後ちらり、と男爵は私と共について来ていたバグダッシュ少佐を一瞥し含み笑いを浮かべる。

 

「決定的証拠は未だ把握できていませんが……」

 

 歯切れの悪そうにバグダッシュ少佐は答える。この分では帝国の司法省だけでなく同盟軍情報局や同盟警察もハイエナ公爵に相当煮え湯を飲まされているようだった。

 

 カストロプ公オイゲンが莫大な巨利を上げている手段は合法非合法多種多様であるがその一つは非合法奴隷の売買や利用であるとされている。帝国には一五〇億を超える奴隷階級が存在しているが、彼らにも最低限の人権は存在している。少なくともあからさまに使い潰す事も虐殺も公然とは容認されてはいない。外縁宙域や帝国・同盟各地からの誘拐で掻き集められた非合法奴隷はカストロプ公に現在進行形で富を齎していた。

 

『さて!まもなく試合が始まります!さぁ!本日一番の注目試合です!何方が勝利するのか?オッズは激しく値動きをしております!……おや、通信障害でしょうか?動きが遅いですね、少々お待ち下さい』

 

 ナレーターが空中に投影されるソリビジョンモニターに映る勝敗のレートの動きが鈍い事に気付いて何やら運営と相談を始める。観客の一部が運営の動きの悪さに身勝手なブーングコールを鳴らし始める。

 

「全く、醜い事だよ。このスタジアムも、この世界もな。誰も彼も身勝手で自己中心的な事この上ない。大帝陛下が日常生活から内心に至るまで全て管理しようとした気持ちを嫌でも分からされる」

 

 そんな運営と観客を観察した後、目を細めながらそう呟き男爵はゆっくりと私の方を向く。

 

「私の所にのこのことまた顔を見せに来た理由は察しがついているぜ?どうやら何処ぞの輩が火遊びしたらしいな?おかげ様で議員殿も大公殿下もヒキニート生活だって?」

 

 男爵は昨日今日に決まった決定を既に知っているようだった。流石ブラウンシュヴァイク一門と言うべきか。ここまで来ると同盟側に二重スパイがいても不思議じゃないな。

 

「ええ、何処ぞの馬鹿のせいで私の仕事がオーバーワークになりそうですよ。男爵は今回の火遊びについて何か御存じではありませんか?」

「おいおい、よしてくれ。俺は全知全能の神様でも質問に何でも答えてくれる魔法の鏡でもねぇぞ?このフェザーンで好き勝手している輩共一人一人の動向なんて知るものかよ」

 

 私の質問に笑いながら男爵は嘯き、次いで疑惑の視線を向ける。

 

「寧ろ、私からして見れば君達こ…そ………」

 

 そこまで口にして男爵は表情を強張らせる。その視線に気付き私は男爵と同じ方向を見やった。スタジアムの下層席を黒い軍装に身を包んだ一団が進んでいた。顔をヘルメットで隠し銃器を持つその姿は一見会場警備の傭兵にも見えたが……。

 

「若様……!」

 

 ベアトが耳元で私に険しい表情で耳打ちする。視線を移せばスタジアムの上方出入り口から姿を現す一個分隊程の武装兵。私の脳裏で急速に最悪の事態への懸念が浮かび上がる。

 

 周囲に注意を向ければ観客の一部が携帯端末が繋がらない事に気付き、何やらざわつき始めていた。カチャリ、という音に視線を移せば男爵の黒服達が周囲の警戒しつつ懐からハンドブラスターを引き抜く準備をしているのが視界に映る。私は顔を男爵の方へと向けた。男爵の方も偶然此方の方に顔を向けていた。

 

「男爵、私は長年の経験で今非常に嫌な予感がしているんですが、心当たりはございますか?」

「奇遇だねぇ、伯世子殿。俺も長年この如何わしい街で住んでいた経験から本能が警報を発している所さ」

 

 私と男爵は互いに悲惨な笑みを浮かべた。同時に次の瞬間にはスタンド椅子を蹴飛ばして周囲の観客達を盾にする形で床に伏せた。

 

 完全武装した傭兵達の手に持つブラスターライフルの引き金が引かれたのはほぼ同時の事だった。




本作貴族はイケメンが多い設定なので必然的にドラ息子さんの媒体は全裸幼女連れてる方になった模様、尚妹以外にもギリシャな肥満体とボクシング上手そうな弟もいるかも知れない

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