帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百四十九話 風邪と痔と禿げには薬は効かない

 自由惑星同盟政府及び銀河帝国亡命政府が派遣した使節団をフェザーン自治領主府が歓待する祝宴会を開催したのは宇宙暦790年9月19日の夜からの事であった。フェザーン自治領セントラル・シティの省庁街に程近い繁華街に建てられた高級ホテル『ホテル・バタビア』がその会場である。

 

 尤も、一国の代表団を歓迎する上で本来ならば『ホテル・バタビア』は決して最善の選択肢とは言えない筈であった。確かにこのホテルは高級ホテルが軒を連ねるフェザーンにおいても決して格落ちするものではない。だがそれでもフェザーンにおける最高レベルとは到底言えない事も確かであった。

 

 それでもこのホテルが歓待の場に選ばれた一因に、経営者が同盟系フェザーン人のため代々同盟高等弁務官事務所が信頼して懇意にしている、という要素があっただろう。誰だってアウェーで密談もあるパーティーを主催したくないものだし、自治領主府もそんな同盟側の心象を忖度していた。

 

『ホテル・バタビア』における一番広いパーティー会場、高級絨毯が敷かれ、煌びやかなシャンデリアに照らされた大部屋には同盟・亡命政府・フェザーンの要人が集まっていた。その中には社会的著名人も少なくない。私もまたその出席者の一人である。(残念ながらベアト達は居残りした)

 

「皆様方、此度はフェザーンへの訪問を心から歓迎させて頂きます。どうぞ今日は『両国』の友好関係を一層深化させるべく心行くまで交流を深めましょう」

 

 パーティーは壇上でシャンパングラス片手にそう笑顔を浮かべた老人の宣言から始まった。白い豊かな髭を蓄えた第四代フェザーン自治領主ゲオルキー・パプロヴィッチ・ワレンコフがグラスを掲げ乾杯の言葉を口にする。同時に広々とした会場を満たす両国の要人達が同じようにグラスを持ち上げ同じく乾杯の言葉と共にそれを口元に運んだ。

 

 こうして酒精混じりに自由惑星同盟(及び銀河帝国亡命政府)とフェザーン自治領の腹を探り合う宴会は幕を開けた。

 

「どうですかな?大公殿下はフェザーンへの行幸は初めての事であるとか。何かご興味を抱かれたものはありましたでしょうか?」

 

 ワレンコフ自治領主はトリューニヒト議員、ハーン伯爵、オリベイラ学長……という重要な者から順番で十名程のゲストに挨拶した後、私と軽い会話を交わしていたアレクセイこと、シュヴェリーン大公に宮廷帝国語でそう呼びかけた。

 

「ワレンコフ自治領主、お気遣い有難く頂こう。そうだね、今日も少し見させて貰ったが……流石フェザーンというべきか、物珍しさに年甲斐もなく目を惹かれてしまったよ」

 

 宮廷帝国語によるアレクセイの上から目線の発言に、数名の同盟側の出席者が顔を強張らせる。尤もトリューニヒト議員もオリベイラ学長も、無論私も驚きも焦りもしない。驚愕した者達には悪いが、彼らはもう一度フェザーンについて勉強し直すべきだ。寧ろフェザーンと亡命政府の関係としてはこれが旧友の取るべき正しい態度であった。

 

 フェザーン自治領は銀河帝国の行政区分において、正式には『フェザーン星系第一等帝国自治領』と呼称される。

 

 銀河帝国国内における自治領は元々銀河連邦建国期における初期加盟国等……その多くは『銀河統一戦争』時代からの独立国でもある……を中心に約一〇〇星系前後が自治権を認められ、一八〇億前後の人口が自治領民として内包されている(自治領の中に更に細かく自治区と自治区長が設けられている場合もある)。

 

 彼らは最低でも政治体制の自由が認められており、また徴兵義務を負う事もない。その特権と引き換えに、形式的とは言え銀河帝国を連邦の正統なる後継国として承認し、銀河皇帝を全人類の支配者にして全宇宙の統治者である事を認め、(形式的とは言え)一家臣として臣従する事を求められていた。

 

 自治領及び自治領主の帝国国内における行政区分・宮中席次を定める目的から、また自治領間の連携を阻害する目的から、帝国自治領は五段階に区分されている。即ち『第一等帝国自治領』から『第五等帝国自治領』までである。宮中席次ではそれぞれ公爵から男爵に当たり、その差は帝国の自治領主に対する待遇と自治領の得る自治権の範囲に比例する。また自治領内の自治区の長も同様に宮中席次として子爵ないし男爵相当の待遇と共に帝国への臣従を義務付けられている。

 

 実際の所、特に理由もなければ大半の自治領は第三等ないし第四等自治領として区分されているとされる。かなりの自治権が認められている第二等自治領に指定されるのは現状、旧銀河連邦首都惑星が存在する『アルデバラン星系第二等帝国自治領』と開祖ルドルフ大帝生誕の地である『プロキオン星系第二等帝国自治領』の二つのみである。歴史上に出て来る有名な惑星で言えば、地球を含む太陽系が『ソル星系第三等帝国自治領』の立場にある。他に、シリウス星系は元々第三等帝国自治領であったが、カスパー一世短命帝失踪後の混乱に乗じて起こした反乱から現在では『シリウス星系第五等帝国自治領』に宮中席次を格下げされている。

 

『フェザーン第一等帝国自治領』の呼称は文字通りフェザーンが他の帝国自治領に比べ異様な程幅広い自治権を有している法的根拠だ。制限付きとは言え独自の恒星間航行能力を有する自衛戦力の保持を認められ、独自通貨発行の権利と独立した外交権限、自治領内外に対する完全な関税自主権等を有する。自治領主は参勤交代義務を免除され、帝国の宮廷席次では実質は兎も角、形式的には公爵に準ずる扱いが為され、『銀河帝国サジタリウス辺境部通商航路総督』の役職を与えられる事になっている。自治領と自治領主としては破格の高待遇である。

 

 フェザーン自治領成立時、当然ながら亡命政府も同盟政府と共に自治領成立の交渉に立ち会っており、特に亡命政府とフェザーンの関係性について要求を行って受理されている。

 

 亡命政府もまた形式的であるにしろフェザーンを『自国の自治領』として認める形を採る事で帝国政府同様フェザーンの自治権を認め、自治領主に対して公爵位に匹敵する宮廷席次を認めている。

 

 逆に言えば亡命政府から見ても形式的にはフェザーン自治領主は亡命政府及び皇帝の『臣下』である訳だ。であるならば当然『大公』たるアレクセイから見た場合ワレンコフ自治領主は名目上は目下の存在となる訳である。それ故一見横柄にも思えるこの態度は寧ろ正しい。

 

 亡命政府にとっても同盟政府にとっても、この事実は案外対フェザーン外交の上では軽視出来る事ではなかったりする。幾ら名目的とは言え両者が明確に立場の上下を了解して理解している状況は、外交交渉の上でも心理的駆け引きの上でも相応に優位に働き得るのだ。

 

「それは喜ばしい事で御座います、大公殿下。どうぞ此度の御訪問、満足いくまでフェザーンをお楽しみ下されば幸いです」

 

 ワレンコフ自治領主はアレクセイの態度に不快感を一切表さず当然の態度を取る。フェザーンにとっても成立時の協約で(形式的な)主従関係がある事は勿論、亡命政府は主要なビジネスパートナーであるし、万一亡命政府が本物の銀河皇帝に返り咲いた時、あるいは帝国と和解し相応の立場に復帰した際の事を思えば態々相手からの印象を悪化させる必要はない。口先だけでも下手に出る位何の問題があろうか?

 

 自治領主の世辞と打算に満ち満ちた態度と言葉に大公は小さく苦笑した。そして僅かに目を細めて口を開く。

 

「そうしたいのは山々だけれどね。此度は仕事での訪問だ、そう遊び惚けてばかりいられないのが残念な所だ。それに一人で楽しんでは妻も拗ねる。フェザーン観光は別の機会に妻と一緒にやらせてもらうよ」

 

 アレクセイの言葉は軽い警告だ。近いうちに妻と旅行する程に余裕が出来る、即ち目下の帝国軍のアルレスハイム侵攻をどうにかした後でと言っていた。つまりフェザーンの努力を期待したいと言外に伝えているのだ。

 

 ワレンコフ自治領主は微笑を浮かべ小さく頭を下げて大公の言葉に応じた。言質を取られないようにしつつ、この場を切り抜ける正しい応対の仕方だった。

 

 アレクセイも深く追及しない。この程度の揺さぶりで要求を呑ませる事が出来れば陰謀渦巻くフェザーンの自治領主に三十年居座るなぞ到底出来まい。あくまでも今の言葉に警告以上の意味合いは無かった。

 

「さて……」

 

 ワレンコフ自治領主は次いでアレクセイのすぐ傍にいた私に視線を向けた。ちらりと胸元の自由戦士勲章に注目した後、私の顔を見つめる。そして恐らく思考をフル回転させ何某かの答えを導き出し、貼り付けたような笑みを浮かべる。

 

「活躍については私の耳にも入っておりますよ。エル・ファシルでの軍功、誠に見事でしたティルピッツ大佐」

「使節団代表特別補佐官ティルピッツ大佐です。自治領主殿の下まで御話が伝わっている事、恐縮の至りで御座います」

 

 ワレンコフ自治領主のにこやかな表情を浮かべての言葉が御世辞、あるいは皮肉の類であろう事は分かり切っていた。

 

 そもそも自治領主にとってパーティーの出席者の顔と経歴は予め暗記しておく類のものであるし、それ以上にフェザーンの政財界にとって私の名前は余り愉快でない意味で最近有名になってしまった。

 

 エル・ファシル攻防戦における私の行動は偶然であるにしろ、多くのフェザーン商人達の不興を買った。

 

 エル・ファシル攻防戦のフェザーンにおける前評判は今年二月から三月頃まで続くと予想されており、多くの企業や商人がそれを前提に運輸業務や航海日程の作成、物資の先物買い、証券・債権の売買を行っていた。だが実際は攻防戦は一月の頭にはほぼ終結してしまった。

 

 その一因は間違い無く帝国地上軍第九野戦軍の戦線崩壊であり、その根本的理由は第九地上軍司令官エーバーハルト・フォン・ツィーテン大将が同盟軍及び亡命政府軍の捕囚となった事……即ち私のせいである。

 

 正直私もあの戦いは何度も死にかける程酷い有様であったし、友軍や家臣達のためにも後悔する事ではない。とは言え、私のせいで予定が狂い損失を出したフェザーン企業や商人も少なくない。

 

 戦争も商売も想定外の事は幾らでもある事はフェザーン人も理解しているだろう。それでも少なからずのフェザーン人が私に何とも言えない感情を抱いているのは確実であろうし、自治領主もその辺りの諸事情は把握している筈だ。私に対して何とも言えない感情を持っていても可笑しくなかった。

 

 ……まぁ、後五、六年もすれば私の仕出かした事とは比べ物にならない程戦争の前評判は酷い推移をする事になるんだろうけどね?アスターテ、第七次イゼルローン、帝国領遠征作戦………恐らく原作におけるフェザーン市場は大荒れ所じゃなかっただろう。冗談抜きでフェザーン商人総アヘ顔雌堕ち状態だった筈だ。ビルの屋上からエキサイティングにヴァルハラ急行に乗った奴ら絶対山程いただろう。私なんかで荒れている場合じゃないぞ?

 

 ……さて閑話休題、話がそれたな。

 

「先日の戦いにおけるフェザーンの尽力に感謝致します。『レコンキスタ』におけるフェザーン企業の後方支援の数々は極めて心強いものでした。分不相応ではありますがあの戦いに従軍した全ての兵士達に代わり御礼申し上げます」

「いやいや、全ては各社の自由意思によるものですよ。フェザーンの住民は商魂逞しい者達が多いですからな。適正な報酬さえあれば誰のどのような要望でもお答えします。それがフェザーン人の誇りと言う物です」

 

 私が『レコンキスタ』作戦中に同盟政府から下請けとして雇用された後方警備や輸送・補給・その他のサービスにおけるフェザーン企業の活躍に謝意を示せばワレンコフ自治領主は慣れたように謙遜する。実際慣れているのだろう、トリューニヒト議員も恐らく同じような言葉でワレンコフ自治領主と会話していただろうから。

 

「それでもです。幾ら商人の国たるフェザーンと言いつつも全ては自治領主府あってこそのものです。自治領主府が秩序と規則を定め監督しているが故に今のフェザーンの繁栄がある。ならば自治領主府の代表たる貴方に謝意を示すのは当然の道理というものでは?」

 

 私は軽く自治領主をおだてて見せる。とは言えまるきり嘘でもない。フェザーンが今日の経済的繁栄を享受してきたのは歴代自治領主府首脳部の経済政策と政治政策の功績だ。「フェザーンでは無能が役人になる」なんて話は鵜呑みにする類のものではない。寧ろ彼らこそがフェザーンで一番手強いビジネスマンだ。

 

「過分な評価、有難いものですな」

 

 ワレンコフ自治領主はそう(少なくとも外面は)機嫌良さそうにそう笑顔を浮かべ、次いで一礼してから同盟フェザーン租界工部局長チアン氏と同盟フェザーン租界防衛司令官兼フェザーン租界宇宙軍特別警備陸戦隊司令官コリンソン少将の元へと踵を返した。

 

「最初にしてはそこそこ良いジャブだったかな?」

 

 自治領主と入れ替わるようにやって来たトリューニヒト議員は人好きする、しかし内心の窺い知れない笑みを浮かべながら私達の元へと来た。どうやらフェザーン元老院の議員との挨拶を終えた所のようだった。アレクセイの方を向くと小さく頭を下げる。

 

「シュヴェリーン大公、彼方の総裁方が御話しをお望みです。御足労をお掛けしますが御同行を御願いします」

 

 そういって国防委員はテーブルの一角に視線を向ける。フェザーン中央銀行副総裁に北極星銀行理事長、フローラル金融グループ会長にサバロフ銀行総裁……即ちフェザーンを代表する意地汚い金貸し屋達が雁首揃えて控えていた。交渉相手の下見と言った所か。

 

「分かりました、国防委員。ヴォルター、悪いけど失礼するよ?」

 

 旧友は僅かに肩を竦め、私の方を向いてすまなそうに口を開く。

 

「仕事だからな、仕方あるまいさ」

 

 アイサツは大事、古事記にも書いてある。実際、商売人達にとっても面子は大事だ。名より実を取るべき、等というが甘い。強欲なフェザーン商人の中には両方欲しがる者だって珍しくない。

 

 トリューニヒト議員がアレクセイと共にその場を離れると今度は私が標的にされた。私の下に来たのはフェザーンの警備会社と軍需企業の役員連中であった。まず間違いなく私の家柄狙いであろう。父は宇宙艦隊司令長官、大叔父は軍務尚書とティルピッツ伯爵家は亡命政府軍の重鎮であり、領地たるシュレージエン州は当然のように軍事工廠が集まるヴォルムスの重工業地帯の一つだ。私に唾をつけてビジネスの足掛かりにしたいのだと思われる。

 

 正直彼らに這い寄られるのは愉快ではないが無視出来る存在でもない。亡命政府にとっても彼らは重要な協力者であり、何よりもフェザーンの『軍事力』の根幹だ。

 

 フェザーン自治領府独自では数十万の警備隊しか軍備を有していないが、フェザーンに拠点を置いて密接に結びつく民間軍事会社の傭兵は数だけでいえば総数一〇〇〇万にも及ぶ。これ等の企業は有事にはフェザーン自治領首府に戦力を提供する契約を結んでいた。自治領府では寧ろ運用に制約のある警備隊よりも必要な時に何時でも何処でも如何なる目的でも安く利用出来る彼らの方が使い勝手が良いと言う意見すらある。

 

 特にフェザーン民間軍事会社最大手の一つ、アトラス・セキュリティ・カンパニー(ASC)のスペンサー社長と交流出来たのは幸運というべきだろう。アトラス社は亡命政府軍に対して主に外縁宙域出身の傭兵の教育と斡旋を長年受け持っている得意先だ。現最高責任者たるスペンサー社長はフェザーン元老院五〇人議会の一員でもあり、次期フェザーン自治領主候補の一人でもある。

 

 ……正確には亡命政府が候補として援助しているというべきかも知れないが。

 

「我が社は長年貴国に対して上質な兵士を供給してきた実績があります。近年の戦況は予断を許しませんが我々としても今後も出来る限りのサービスは提供させて頂きます」

「それは有難い限りです。我が家としても御社と今後も深い付き合いを続けていきたいと考えております」

 

 片や五〇代の初老の老人であり片や三〇にもなっていない小僧であるが互いに長年の友人のように手を握り合う。私も彼も互いに互いが必要な事はよくよく理解していた。社長にとっては亡命政府は最大の契約相手の一つであり、亡命政府にとってもアトラス社は貴重な兵力の供給源だ。

 

 そしてこの短い挨拶でスペンサー社長が『此方側』なのはほぼ確実だった。まずは一人、と言う訳だ。

 

(ワレンコフ自治領主と元老院の親同盟派は此方側として……問題は親帝国派だな)

 

 ちらりと視線を移動させる。ルナ・ネクサス社のトンプソン幹事長に星海貿易公司のタオ社長、ハロルド・ロイド保険組合のコンラディン総帥………彼らは同じくフェザーン元老院五〇人議会の議員達であり帝国との繋がりが深い者達だ。いや、より正確には帝国自治領との繋がりか。

 

 宇宙暦707年に第二代自治領主ウィッテンベルクは帝国・同盟からの新規移民を一部例外を残して禁止した。両国が自国の人的資源がフェザーンに流出する事を嫌い自治領主府に圧力をかけた結果である。

 

 とは言え、この時点でフェザーン自治領成立から既に四半世紀が経過している。その間に流入した人口は推定四億人、それ以前に流入したそれを含めれば六億人に迫る。戦火を嫌い多くの人と企業がフェザーンに逃げ延びた。

 

 特に帝国からフェザーンに流出したのは自治領民と自治領企業であろう。帝国の階級社会や厳しい法規制、自治と引き換えの星間移動・ビジネスの制限……自治領の法人企業はそれらを疎んで帝国に比べ遥かに規制の緩いフェザーンに新天地を求めた。彼らは故郷との繋がりを維持しつつフェザーン人としての立場を利用し、これまで多数の障壁で保護されていた帝国市場を蚕食していった。

 

 特に第二次ティアマト会戦敗北や諸侯の反乱の相次いだコルネリアス二世の治世において帝国財政が破綻一歩手前にまで陥りかけると、帝国政府は遂にフェザーン企業と妥協せざる得なくなった。オトフリート皇太子(オトフリート三世餓死帝)は帝国直轄領の公社の権益は維持しつつ、同時にいつ反乱を起こすかも分からぬ諸侯の勢力を削るために法改正を断行した。帝国政府と皇帝の『代理』としてフェザーン企業は諸侯の領地に押し入り数々の保護政策で守られていた地元企業と対等の立場で勝負し、その多くでシェアを奪い取った。帝国政府はその利益の何割かを受け取り軍の再建に費やす。

 

 この事例はその後の帝国史に意外な程の影響を与えた。名君たり得た筈のオトフリート三世はこの件による貴族の反発もあってか偽アルベルト大公事件で掌返しの上で命を狙われ人間不信から餓死コースに至り、しかしこれによって帝国政府が一時的であれ持ち直した結果、後の強精帝の滅茶苦茶な行動が可能となった。吝嗇帝の時代にはクレメンツ大公の一件から経済的結びつきの強まっていたフェザーンの梯子外しを受けてイゼルローン要塞建設が遅延する事となる。

 

 無論、経済的結びつきが深まれば、それは多くの場合一方的な依存ではなく相互依存である。自治領企業……その多くは地球統一政府や銀河連邦時代にルーツを持つ老舗企業でもある……もまた四〇〇〇を超える貴族領に広くビジネスを展開し暴利を貪っていた所にクレメンツ大公の一件があり、両国関係が冷え切ると一転して大損害を受けた。多くの諸侯はこの機に地元企業を援助して勢力を盛り返したために貴族領におけるビジネスは停滞し、苦闘し、最終的に市場から叩き出された。

 

 この件で最も利益を得たのはカストロプ公オイゲンであろう。このハイエナは毎回の事ではあるが本当に廃品リサイクルが上手い。吝嗇帝の緊縮で下級貴族が困窮すれば彼らから搾り取り、リヒャルト派・クレメンツ派の抗争で双方の諸侯が没落すれば彼らからも搾り取り、叩き出されたフェザーン企業に対しては帝国直轄領でのビジネス参入の口利きをして見せて手数料を懐に収めた。

 

 当時はオトフリート五世が身を持ち崩した辺りからフリードリヒ四世が即位したばかりの時期である。大諸侯カストロプ公の協力は必要不可欠であったし、フェザーンとの緊張緩和も必要だった(一時期フェザーンへの同盟艦隊駐屯や回廊通行許可の交渉まで行われていた)。何よりもフリードリヒ四世の無気力さが決定打となり当時のベルンカステル・ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムの三諸侯は条件付きでフェザーン企業の帝国直轄領参入を認めざるを得なくなった。

 

 フェザーン企業からの手数料で財を成したカストロプ公は、その財を元手に宮廷工作を仕掛けて財務尚書となり更に暴利を貪る事になるが……その辺りは話が逸れるので今は置いておこう。兎も角そういう経緯からワレンコフの親同盟政策への恨みとカストロプ公爵への義理もあってフェザーン元老院議員の中の親帝国派は結束が強い。帝国のアルレスハイム星系侵攻はカストロプ公も一枚噛んでいる事もあって彼らの切り崩しはかなりの困難を伴うと思われる。

 

 と言うかカストロプ家フェザーンとズブズブじゃねぇかよ。そりゃあ息子も軍事衛星買ったり亡命先にしようとしますわ。お前ら仲良すぎじゃね?ズッ友かよ。こうなるとカストロプ動乱も違う見方が出て来るな……。

 

(そうなるとやはり攻めるべきは………いや、今は眼前のパーティーに集中するべきか)

 

 其方の所在調査はバグダッシュ少佐以下の情報局に任せておけば良かろう。

 

 そう思い気を引き締める私は、しかし次の瞬間会場で妙に印象に残るその人影を見つけると小さな呻き声を漏らしていた。

 

 とは言え、同盟側の使節団と陽気に世間話を交える恰幅の良い禿頭褐色の自治領主補佐官を見ればそのリアクションも許容してもらいたかった。

 

「アドリアン・ルビンスキー……ねぇ」

 

 この年三五歳、一四年前にフェザーン高等官吏試験に首席合格して以来優秀な官僚として同盟・帝国との各種の交渉に功績を上げて来た。その功績を自治領主ワレンコフに見込まれ七年前に帝国高等弁務官補佐官に任命、その後自治領主府商務局参事官、そして二年前に自治領主補佐官に任命されて以来その右腕として敏腕を振るっている。入念な根回しと執拗なネゴシエーション、自治領主府でも有数の帝国通である事で知られている。そして、そう遠くない内にフェザーンの頂点に君臨するであろう人物だ。

 

 ……おわぁ、会話したくねぇ。けど立場的にアレ絶対来るよね?

 

 というか何度も遠目に監視していたけどあのオーラ怖っ、近づきたくねぇ!!

 

 そんな風に内心で嘆息している内に笑顔で使節と別れた自治領主補佐官はシャンパングラス片手に周囲を見渡し……ふと私と視線が合った。

 

(あ、やべ)

 

 ズンズンと此方に歩み寄って来る禿げ男に私は何処か逃げようかとも考えるが、すぐに悪手であると気付き止める。立場的に相手の不興を買う訳にはいかないし、それ以上に警戒されたくない。

 

(けど御話ししたくない!)

 

 糞みたいなパラドックスで私の脳内は一瞬混乱していた。そしてそれが致命的であった。気付けば肩幅の広い身体が照明の角度もあるのか、私に影を作り出していた。

 

「これは武勇で知られたティルピッツ伯爵家のヴォルター大佐でしょうか?お初にお目にかかります。ワレンコフ自治領主の元で補佐官に任命されておりますアドリアン・ルビンスキーと申します。若輩者ではありますがどうぞお見知り置きください」

 

 口元を歪めて人好きのするような、しかしどこかふてぶてしく、あるいは不敵にも思える笑顔を浮かべる補佐官。私は脳内で軽い罵倒を吐きつつ対面を取り繕って軽く頭を下げる。

 

「此度の使節団の護衛を務めておりますヴォルター・フォン・ティルピッツ大佐です。此方こそお初にお目にかかります。ルビンスキー氏……で宜しかったでしょうか?」

 

 私は自信無さげに答える。パーティー出席者全員の名前を覚えきれていない貴族のボンボン、という風に見てくれれば幸いであるが……。

 

「遠くで見させて頂きましたが、シュヴェリーン大公殿下と随分と親しいご様子でしたな」

 

 ファック!結構前からロックしてやがる!

 

「幼馴染というものでしてね。身分の差異を弁えず子供の頃は随分と御迷惑をかけてしまいました」

「今は違う、と?」

「いえ、訂正しましょう。今も結構迷惑をかけています」

 

 この禿げ男の探りに私は困り顔で道化を演じる。いい歳こいてトラブルばかり起こす道楽息子扱いしてくれれば良いのだがね。

 

「旧友と言う事ですか。成程、信頼出来る右腕と言う事ですな?」

「その表現は余りぞっとしませんね。大公殿下の忠臣なぞ名誉ではありますが責任も重そうです。私では力不足ですよ」

 

 おどけ気味にそう答え私はグラスのシャンパンを呷る。額から緊張のあまり汗が流れそうなので冷たいシャンパンで身体を冷やしたかった。

 

「……少し小腹が空きましたね」

「奇遇ですな。私もですよ。どうでしょう、彼方で丁度子牛の丸焼きが焼けた所です。御知りの事でしょうがガーランドの牛は帝国、延いては銀河一ですよ。さぁ此方です」

「アッハイ」

 

 適当な理由をつけて一時避難を試みようとしたら先回りするように機先を制されたでござる。うん、そうだね。根回し先回り得意だったね。仕方ないね。

 

 一見ルビンスキー氏に先導させながら悠々と、内心刑務官に手錠付きで連行されるような気分で私は会場の端に向かう。ビュッフェ形式のようでコック達がその場で出来たての料理を提供していた。

 

「ううむ……ステーキを二枚、それにこのローストビーフを四、いや五枚くれ。あぁ、その子山羊の香草焼きも良い匂いがするな、一個貰おうかね?」

 

 皿の上に肉、肉、肉……実に肉汁に満ち満ちた取り合わせに止めに度数三〇度超えのフェザーン・ウィスキーを受け取るルビンスキー氏。

 

「おや、どうしましたかな伯世子殿?そのように小食ではパーティーに付き合い続けて終わりまで体力が持ちませんぞ?」

 

 私のマリネやらカナッペを乗せた皿を一瞥した後、ルビンスキー氏は機嫌の良さそうな笑みを浮かべて一枚のローストビーフを一口で丸飲みし、それを流し込むようにウィスキーを一気飲みして見せる。ごめん、私そんな大食いでも酒豪でもないんだ。

 

「これはまた……豪勢な食べ方な事で………」

 

 ステーキを数等分してフォークで突き刺すと、みるみるうちに口の中に消していく自治領主補佐官。やべぇな、大食い選手権狙えるぞこいつ。

 

「ははは、御遠慮なさらずとも結構ですとも!貴族階級からすれば随分と品の無い食事の仕方に見える事でしょうからな」

 

 私の返答に対してルビンスキー氏は心底愉快そうに笑う。自虐するようでいて、しかしそこには負の感情は一切見えなかった。

 

「私は元々貧困層の生まれでしてね。父の代にビジネスに失敗して負債を抱え込みました。物心ついた時には『裏街』で空き缶やら鉄屑集めで小銭を稼いでいた程です。中等学校も中退しました。まぁ、どうせ汚い服装で飯も我慢していましたからな。学年で馬鹿にされる位なら止めてやって良かったと思っています」

 

 そういって追加のフェザーン・ウィスキーを受け取りグラスの中の金色の液体をどこか神妙に、そして楽し気に見つめる補佐官。

 

 

「……初めて聞く話ですね。聞く限り随分と苦労を重ねたのですね?」

「えぇ。……思えばいつも腹を空かせていましたなぁ。いつも怒ってもいました。美味い物を食べたい、馬鹿にされなくない、偉くなりたい、見返してやりたい、とね」

「………」

「フェザーンが実力主義で助かりました。官吏試験に学歴は関係ないですからな。一八歳以上なら年齢制限も関係なく当日の試験成績だけで採否が決まります。学校を中退して以来、仕事しながら中古の参考書片手に勉強漬けの日々を続けた甲斐があったというものです」

 

 ふっ、と小さく笑った後下町の中年のようにグラスを一口呷り、彼は続ける。

 

「……やはりテーブルマナーを学んでも駄目ですな。こういう時になるとつい地が出るものです。食べられる時に食べて飲める時に飲んでしまう。周囲の視線を気にせずね」

「補佐官……」

「伯世子殿、この光景をご覧ください」

 

 ルビンスキー氏は小さな声でそう言うと会場全体を見渡す。内装で七色に輝く会場では着飾った議員に官僚、資産家に企業経営者が美酒の注がれたグラス片手に彼方此方へと移動し、空虚で虚飾に溢れた会話を交じ合わせている。煌びやかで、そして虚しくおぞましい光景………。

 

「私は享楽主義者です。そして機会主義者でもあります。小さい頃に人生は太く長く、そして愉快に生きようと決意しました。少しでも上の世界に上れるチャンスがあればたじろぐ事なぞせず突き進みます。そして得た権力を持って美食に、美酒に、美女、あるいは賭け事に芸術……心を豊かにしてくれる娯楽は何でも全力で楽しむと決めております」

「御祝い致します、補佐官はその望みを達成しましたよ」

「本当にそう思われますかな?」

 

 不敵な視線を此方に向けるルビンスキー氏。

 

「昔ならばこの歳のこの立場に登り詰めただけで満足していたでしょう。実際路地裏で塵漁りしていた小僧としては上出来でしょう。ですが、権力というものは一種の麻薬でしてね、得ても得てもより強大な権力を、より多くの財を求めてしまう質の悪い代物です」

「補佐官……?」

 

 私はただ間抜けにそう呟く事しか出来なかった。彼の言いたい事が分からなかった。いや、正確には分かっているが困惑せざるを得なかった。この短い会話でこの男がそこまで私の底を見抜くとは思えなかったから。

 

「いやはや、流石に伝え聞く話とは違うので私も困惑致しましたよ。もう少し気が強く、選民意識に凝り固まった人物でしたら助かりましたが……いや、困りましたな。思ったよりも思慮深そうだ。やはり生の情報に勝るものはありませんな」

「……私がどのような性格だとお聞きになられたので?」

 

 私が困ったような表情を浮かべて下手に出て尋ねれば一層彼は……『黒狐』は狡猾で不気味な笑みを浮かべる。

 

「そうやって頭の足りない振りをされて情報を探ろうとなさる。貴方も大概小狡い方だ」

 

 ……はは、見抜かれてやんの。

 

「まぁ良いでしょう。………私の聞き及ぶ範囲では貴方の評価は散々ですよ。御気に入りは金髪、見境なしに唾をつけようとする典型的な好色家。小さい頃から拘りが強く気難しい我が儘坊やだったそうですな。無茶ぶり上等の周囲の苦労を気にもかけない猪武者、しかも注意力散漫なせいで怪我ばかり、そのお蔭で配慮に配慮を重ねて大佐に昇進し自由戦士勲章まで手に入れた。これでは同盟軍も御仕舞いだ、だそうです」

「それはまた……間違ってはおりませんが」

 

 言い方は悪いが本質的には間違ってはいない評価である。悲しい事にな。私としては目の前の男が決して正確とは言えないが間違っている訳でもない評価を取り消す理由が分からなかった。

 

「そのように下手に出る時点で既に伝え聞く性格とは違うのですよ。私の知る大貴族であれば私の食べ方を冷笑しますし、私の先程の発言に怒り狂う筈なのですがね」

 

 そもそも私を見る目が普通の貴族とは違う。

 

「………」

 

 その指摘に今度こそ私は黙らざるを得ない。冷たく笑みを浮かべるルビンスキー氏。

 

「少し前に申しましたが私は昔ドン底の生活をしていました。お陰様で相手の自身に向ける感情には存外敏感なのですよ。特に貴族の方々であれば表面上は兎も角、目の奥には『劣等種族』、あるいは『下賤の民』でしょうかな?大概蔑みと嘲りの色が見て取れます」

 

 肩を竦めて嘲笑する黒狐。その表情はまるで「まぁ、そうやって見くびって貰った方がやりやすいのですがね」とでも言いたげだった。

 

「伯世子はこのパーティーが始まって以来、遠目でずっと私を警戒しておりましたね?」

「……失礼ですが流石にそれは自意識が過剰では?何故私がそのような事をしなければならないのでしょう?」

「本当、その通りですな。自意識過剰であれば良いと思います」

 

 私とルビンスキー氏は互いの目を見つめ合っていた、あるいは睨み合っていた。周囲の人々が表向きであれ朗らかに会話を楽しむ中、明らかに互いに警戒感を剥き出しにしていた。

 

「……ふむ、このホテルの肉料理は中々の物ですな。素晴らしい逸品でした」

 

 先に視線を外したのは黒狐の方だった。しかしそれは彼が逃げた訳ではなく、寧ろ精神的な余裕の証明に思えた。ナプキンで口元を拭くと給仕に汚れた皿と飲み終えたグラスを持っていかせる。

 

「それでは失礼を、私もまだまだ顔合わせが済んでいない方々がおりますから。あぁ、此方よろしければ」

 

 そういって差し出すのは名刺であった。禿頭の顔のすぐ横には数字の羅列が記されている。恐らくは電話番号であろう。

 

「それでは」

 

 黒狐は堂々と人の海の中に入り込み進んでいく。向かう先は先程私が観察していた親帝国派元老院議員達の集まるテーブルだ。

 

「厄介な人物に目をつけられたな」

「オリベイラ学長、厄介とは?」

 

 フェザーン金融局の局長との会話を終えたオリベイラ学長が私の下にゆっくりと近付きながら語りかける。

 

「少しでも考えれば分かる事だ。アレは次の自治領主候補だ。今のワレンコフ氏の年齢は?」

「八〇過ぎでしたね?」

「うむ、後十年も自治領主の椅子に座り続けることはなかろう。少なくとも体力的にそろそろ引退はせねばなるまい。そうなれば次の自治領主の最有力候補はスペンサーかあるいはアレという訳だ」

「一応他にも候補はいる筈では?」

「先程まで私が集めた情報から言えば大半は最早当て馬だよ。スペンサーが第一候補、アレが期待のダークホースと言った所かな?」

 

 そこまで聞いて私は嫌な気配がした。

 

「学長、まさかと思いますが私……出汁にされました?」

「されたな。ちらほら注目していた者達もいたぞ?」

「ファック!」

 

 スペンサー社長のすぐ後ってのが不味い。周囲や社長から変な誤解を受けかねない。あれだけ長々と彼方の話を聞いていたんだ。しかも食事をしながらだ。最後には名刺まで貰っちまった。スペンサー社長以下の周囲から関係を疑われる事は必至、しかも妙に警戒されてしまうというおまけ付きである。え、嘘……私御話一つで完敗してる?

 

「見事に利用されたの。今頃お前さんを侍らせて操作した印象を彼方で存分に活用しとるじゃろうて」

「はは、ワロスワロス」

 

 最早乾いた笑いしか出てこねぇ。もう嫌……。

 

「いきなり尻拭いだな。安心しろ、民間軍事会社ともなれば経済や政治分析の御用学者もごまんと抱えているものだ。其方のルートから儂が口添えしておこう」

「うぐっ……申し訳ありません」

 

 私は情けない表情で謝意を示し、へこたれる。初っ端からこれとは……先が思いやられるな。

 

 私は溜息をつく。そして同時にその視線は気付けば元老院議員達との歓談に勤しむ褐色の禿げ男の背中に向いていた。同時にどうでも良い事が気になっていた。無論、所詮は私を拘束しその底を推し量るための小道具であろう。あの小賢しい『黒狐』がそこまで素直とは思えない。

 

 だが……それでも思うのだ。先程の彼の話は……一体どこまで作り話だったのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀河中の人が集まり、銀河中の企業が集まり、銀河中の物品が集まる。ファッションと流行、運動、報道の発信地であり、多種多様な言語、民族、人種、宗教、イデオロギーのコミュニティが集まるのが『万物の坩堝』たるフェザーンであり、その中心地が沿岸地域に沿って数百キロに渡って一〇〇階建てのビルが林立し、ソリビジョンの看板がそこら中に掲げられ、人と地上車が圧死しそうな程に地上を覆い尽くすセントラル・シティである。

 

 そんなセントラル・シティの中心街の一角、全高四メートルの鉄筋コンクリート製の塀の上には有刺鉄線が敷かれ、軍隊と見紛うばかりの重武装の兵士達が整列していた。地上には暴徒鎮圧用の放水銃やパラライザーガン、あるいは殺傷用のガトリングガンを装備した二足歩行型ドローンの群れ、上空には航空ドローンに武装ヘリコプターが巡回している。

 

 一見軍事施設か何かと勘違いしてしまいそうになるこの場所は、しかし当然ながらセントラル・シティのど真ん中にある以上そんなものではない。この塀の向こう側は極楽であり、魔窟である。そして恐らく完全に腐り切っている場所だった。

 

「まさかこんな場所に……いや、寧ろ当然なのか」

 

 『ホテル・バタビア』でのパーティーの翌日、昼過ぎの事だ。私は内心失敗したな、とぼやく。護衛にベアトやテレジアを連れてきたのは失敗だった。情報局からエージェントを追加で要請したほうが良かっただろう。

 

 戦闘装甲車まで配備されている正面ゲートにバグダッシュ少佐の運転する同盟軍情報局の偽装地上車が止まる。多数の地上ドローンと傭兵が地上車の傍に集まり、窓を開けるように要請される。

 

「大佐、身分証の提示を御願いします」

「あいよ。二人も用意してくれ」

 

 後部座席で丁度左右に控える黒スーツ姿の従士達が答える。懐から自身の身分証明書を取り出した。

 

「失礼します」

 

 明らかに帝国人ではない傭兵は流暢な宮廷帝国語でそう言い、我々のID付き身分証明書を一つずつ受け取り手元の携帯端末でデータを読み取る。同時に端末の液晶画面に映し出される顔と身分証の持ち主の顔を見比べる。地上ドローンが首部関節を引き延ばして車内に侵入してきた。先端の高解析度カメラがまずバグダッシュ少佐の、次いでテレジア、ベアト、私の順に顔をじっくり確認する。AIが骨格や網膜をスキャンして『予約』を入れている本人かを確認しているのだ。

 

「お客様、お待たせしまして申し訳御座いません。どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ」

 

 全ての検査をクリアした後、車内に侵入したドローンが下がり、周囲の傭兵は銃口を下に落とす。寧ろゲートがゆっくりと開くまで彼らは一転して地上車を守るように展開した。

 

 ゲートが開ききると共に地上車が進む。そこから先は別世界だった。

 

 セントラル・シティのメインストリートも相応に整然として美しい街並みではあったが、この最上級歓楽街には負けるだろう。ゲートを出ていきなり現れるのは銀河中のブランドが集まる高級商店街と来ていた。優美な街灯が並ぶ通りにはカフェにレストラン、骨董品店に美術品店、宝石店、書店に仕立屋、衣服店、歌劇場に映画館……多種多様な店舗の収まる百貨店が軒を連ねていた。その中には大貴族すら御用達にするブランドも存在する。街を行きかう者達はその半数が使用人や雑用を連れているようで、また全員が明らかに景気の良い出で立ちに身を包んでいる。それだけでこの街に入場する者達の所得水準を推し量る事が出来よう。この街を利用する客は銀河全体で上位〇・一パーセントの権力者のみだ。

 

「ここはコーベルク街の外周です。外縁部の店舗は堅気も利用するのでまだまともな店が多いですが……問題はその奥ですよ」

 

 高級地上車が行き交う車道を走りながらバグダッシュ少佐が口を開いた。

 

「街は全一二区、街の人口は凡そ一〇〇万人、これはこの街で働いている者達の人口で、利用客はもっと少ないと考えて良いでしょう」

 

 仕事柄何度もこの街に来た事があるらしい少佐が皮肉げに説明を続けていく。

 

「酒場にカジノ、ホテルはギリギリセーフですかね?高級娼館に金持ちの悪趣味道楽クラブ、薬物バー、殺人を含むシチュエーション何でもござれの賭け試合闘技場に美術品や武器の闇オークション、丸ごとやら『バラした』やらの人身売買の競り場と……まぁ街の奥地に行く程お坊ちゃんには信じられないような場所になっている仕様です」

「話には聞いているが……よくもまぁ自治領主府もこんな場所放置しているな」

「利用客が御偉いさんだらけですからね。それにこれでもこの街は名義的には『表街』です。自治領主府にとって摘発すべきは『裏街』ですよ。彼方と違いここは税収は良いですからね。接待漬けにするにも絶好ですし」

「それはまた……」

 

 私は車内で頬杖をつき呆れる。私も資料や書籍からだけの知識しかないが、公に得られる知識だけでも『裏街』をあれだけ弾圧し抑圧しておきながら、セントラル・シティのど真ん中にあるこの街は厚い護衛付きとは……亡命貴族の私が言えた義理ではないがフェザーンもまた前世の意味で公平で平等からは程遠く思えた。

 

「所詮は金と生まれ、か」

「大佐?」

「……独り言だよ。目的地に急いでくれると助かる」

 

 私は自嘲の笑みを浮かべ少佐にそう命じると外の景色に視線を移す。

 

 地上車は街中を奥に、奥にと進んでいく。同時に街並みは輝かしい高級商店街から次第に昼間だというのにどこかどんよりと薄暗く、怪し気な雰囲気を醸し出し始める。

 

「本当に例の人物はこんな場所に、しかもこんな時間からおられるのですか?」

 

 真っ昼間から無駄にネオンの光を全開にした賭博場が軒を連ねるカジノ街に地上車が入った頃、ベアトが怪訝な表情を浮かべ質問した。このような俗悪な街に件の一門の人物がいるとは彼女の価値観からは理解出来なかったのだ。

 

「いえ、二日前からカモにした店で入れ食いしているようです」

「入れ食いって……それイカサマだろ?」

 

 私は顔を顰めて尋ねる。ギャンブルなんてものは基本店側が勝つように仕組まれているものだ。極稀に幸運を掴む者がいるが本当に幸運だ。勝つのは兎も角、勝ち続けるのは明らかに普通ではない。

 

「ええ、そうでしょうね」

「店から摘まみだされないのか?」

「フェザーンの諺にこういうものがあります。『バレなきゃ犯罪じゃない』、とね」

 

 その言葉に私は理由を即座に理解した。

 

「証拠がなければ摘まみだせない訳ね」

「それはそれで命懸けですよ。バレれば罰金、払えなければ黒服達に裏手に連れていかれます」

「帰って来た奴は?」

「とんと知りませんね」

 

 それはまた怖い事だ。

 

「……家柄からして金には困らん筈なのにな。何故態々イカサマなんかするんだ?スリルでも求めてるのか?」

 

 こんな時間から沢山の道楽家達が下僕やら女やらを連れてカジノや酒場を梯子する様を見ながら私は尋ねた。原作を見る限りあの一族は帝国有数の権勢を持つ。イカサマなんてしなくても金には困らないし、ギャンブル依存でもしているなら尚更イカサマなんて手段をとってはワクワク感も半減だと思うのだが。

 

「いえ、話によれば一族の付き人が護衛をしておりますが仕送りは本人が断っているそうです。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、と」

「はぁ?それでカジノに入り浸りか?正気か、そいつ?」

「さて、私にも理解し難い事です。彼方でも相当な変人扱いされている程ですから」

 

 肩を竦めて心底理解不能、と言った表情を浮かべるバグダッシュ少佐。そんな話をしている内に漸く地上車はあるカジノに辿り着いていた。昼間っから露出度の高いバニーガールが客達の手を引くそこはこの街でも十本の指に入ろうかと言う巨大カジノの一つだった。

 

「……待っておくか?」

 

 帝国人の価値観からすれば今すぐに取り壊したいであろうド派手で情緒もない建物である。従士達に車内で待機する事の許可も出す。

 

「……いえ、問題御座いません」

「わ、私も御同行させて頂きます!」

 

 僅かに躊躇しつつもベアトがまず、次いでテレジアが答える。若干無理してそうだが……まぁ、良かろう。

 

 カジノは会員制(そのための金も馬鹿みたいな額だ)であったがバグダッシュ少佐が事前に登録していたらしい。門前の黒服に二、三言付ければすぐに中に通される。

 

 入った瞬間酒精の匂いに僅かに私は顔を顰めた。

 

「意外と混んでるな」

 

 こんな昼間にしてはそこそこの客がゲームに興じていた。顔採用なのか美形が多く、結構服装がギリギリのバニーガールがグラスを彼方此方も運び、テーブルの各所で人垣が出来、何やら騒いでいた。こいつら仕事いいのか……?いや、いいから来ているんだろうけど。

 

「見つけました、彼方です」

 

 バグダッシュ少佐が指差した先に私の視線が移動する。私はカジノの中心地から外れた撞球エリアに数人の人影を見つけた。

 

 男は熟睡していた。ベルベット調の高級な椅子に深々と座り、足はビリヤード台の上で組む。可愛らしく幼げな少女が椅子の肘に腰がけて座っており、周囲には飲み切ったビール瓶がビリヤード台の上とも床の上とも言わず散乱していた。開いたポルノ雑誌を被せて顔を隠し下品な鼾をかいている姿は下町の中年男を思わせるが、品が良く質も良さそうなコートと数名の手練れであろう黒服の護衛の存在がそれを否定していた。

 

「旦那様、御客様がいらっしゃいました」

 

 黒服の護衛が厳かな態度で鼾をかく男の耳元で囁く。男はむずむずと身体を揺らすと鬱陶しそうに顔面の上の雑誌を投げ捨てる。

 

「んんん……?あ、やべぇ。いつの間にか寝てんじゃん俺。……うえぇ、二日酔いしてやがる。やっぱウォッカのラッパ飲みがミスったか。うー、店に水……それと適当に飯寄越すように言っておけ」

 

 男は寝癖のついた頭を抑え、次いで不機嫌そうに髪が伸び気味の頭を掻く。そして気付いたように此方を振り向くと愉快そうな表情を浮かべていた。同時に漸く私は男の顔を見る事が出来た。三十にはなっていないだろう。先程までの惨状とは裏腹にその顔立ちは予想外に端正だった。目元が酔いで据わっていて頬が真っ赤なのを除けば。

 

「あー、そうだったな。もう待ち合わせ時間だな。今日はバグダッシュ君だけじゃないようだな。お、イイ女!どうよ?良いホテルがって……付き人かよ」

 

 男はベアト達を見ると初対面でそんな事を言いかけて、私を視界に収めると心底落胆する。

 

「悪いですが、男爵殿。見目麗しい女性ならば幾らでも取り寄せられる立場でしょう?今回はどうか御控え下さい」

 

 バグダッシュ少佐は恭しく『男爵』に頭を下げる。それはまるで臣下が主君に向けて行うそれのようにも見える。尤も、ガワだけであろうが。

 

「へいへい、分かったよ。で?お宅かい?俺を通じて新無憂宮にちょっかいつけたいって抜かす坊っちゃんは?」

 

 にたにたと嘲るような、それでいて探るような笑みを浮かべる男爵。その姿に私は気を引き締める。絵に描いたような放蕩貴族であるが彼の家名を聞けば到底舐めてかかる事も油断する事も出来なかった。

 

 銀河帝国の五本の指に入る権門ブラウンシュヴァイク一族……銀河帝国の諜報組織と治安組織に深々と根を張り巡らせる陰謀と謀略に長けた帝室の藩屏、その分家の当主にして一族最大の放蕩児であり問題児、ヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵家当主シュバルツ・フォン・ブラウンシュヴァイク男爵は真っ昼間から愛人を侍らせて、小さくゲップをしながら私を観察していた。

 




ちょっとした補足説明:実は幾つかのイベント(アルレスハイム星域会戦等)は主人公のせいで数か月早く進行中だったりする、養ってくれた故郷への恩を仇で返す主人公は屑貴族の鑑です。

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