帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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ヴィンランド・サガを視聴する度に見せつけられるゲルマン人の野蛮具合よ


第百四十三話 夢の国の熊「僕の親戚なんだ、皆も仲良くしてくれると嬉しいなぁ」(純粋な眼差し)

「痛てて……尻が……うぐっ…まだ何か尻の中に異物感があるんだけど……」

「弾は抜いてやったぞ?まさかもう一発貰ったのか?」

「首が痛い……あがっ…あの野郎素肌に電磁警棒なんて使いやがって……!!」

「そっちは一過性の麻痺でしょう?それよりこっちは肩撃たれたんですよ?糞っ!もう二度とこんなバイトするものかっ!!糞ったれ!」

 

 山林地帯を通る星道をフェザーン系企業からレンタルした数台のトラックで走りながら薔薇の騎士達は愚痴る。皆大なり小なり負傷しており、流石に名門従士家に正面から殴り込みをかけるのは彼らをしても簡単な事ではなかったと物語っていた。

 

「おいお前達、御姫様の前でグチグチ言うな。情けないぞ、全く……」

 

 荷台で駄弁る部下達を見て情けないとばかりに叱責する不良騎士。そしてふと目の前で三角座りで荷台に座り込む護衛対象に視線を向ける。憂いを秘めた表情で俯き先程から口一つ利かずに黙っていた。

 

「……御体調が優れませんかな?姫様?」

「……その呼び方は止めて頂けませんか?」

 

 シェーンコップの呼びかけに顔を上げた護衛対象は若干不快気にそう伝える。

 

「これは失礼しました少佐殿。もうすぐ目的地に辿り着く筈です、今少し御待ち下さい」

「そうですか、連絡ありがとうございます……」

「……心残りが御有りで?」

「………」

 

 従士は答えない。より正確には言葉が出てこなかった。

 

「……あれは私の失態でした。護衛対象である少佐の手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 

 複雑そうな表情を浮かべ、不良騎士は謝罪する。狙撃手の存在で動きを封じられた彼に代わり兄を撃ったのだ。彼女の心中は形容出来ない思いが渦巻いている事は間違い無かった。

 

「……いえ、あの場で私が兄を撃つのは当然でした。時間の余裕もありませんでしたし」

 

 大枚を叩いて入手した簡易電波妨害装置でドローンの運用や長距離無線を妨害していたが、それにも限界がある。思いのほか追っ手が粘った事もありもたもたしていれば警備会社や伯爵家からの増援が来ている可能性もあった。実際、予定が押していたために雇用主が回収を命じていた電波妨害装置やそのほか多くの装備を逃亡のために放棄せざるを得なかったのだ。あの場で迅速に幕引きを図るにはあれが一番であったのは間違いない。

 

 とは言え、理屈と感情は違う。彼女にとっては家族を裏切り、兄を傷つけた事に変わりはないのだ。いや、これから実家に向けられる視線を考えれば文字通り一族を捨てたも同然の行いをしたと言える。そう簡単には家に帰る事なんて出来ないし、帰ったとしても針の筵であろう。

 

「……本来ならばもっとスマートに行きたかったのですがね。いやはや、これではある意味依頼は失敗ですな」

 

 苦笑いを浮かべて頭を掻く不良騎士。本当なら護衛対象にあのような事はさせたくなかった。名目上は無理矢理拉致された、という形にしたかったのが本音だ。そうすれば後々彼女が家に戻る時も建前を取り繕い易かった。

 

 実際は現当主の長男であり次期当主たる彼女の兄にバッチリと撃つ所を見られてしまった。死人に口無し、とも言うが流石に立場的に殺す訳にも行かないのでベアトリクスが自ら逃亡しようとし、しかもそのために兄を撃った事はほぼ確実に知れ渡る事になろう。その意味では確かに失敗とも言えた。

 

「……お気にしないで下さい。中佐は私と違い良く仕事をしてくれました。正直、これほどの軽装備で良くもまぁ我が家の追っ手を返り討ちに出来たものだと関心する程です。中佐も、中佐の部下も……私なんかより遥かに優秀です」

 

 そうベアトリクスは不良騎士達を褒め称える。尤も、その表情は物悲しげで自虐的であったが。

 

 シェーンコップはその表情から相手が何を考えているのかほぼ完全に察する事が出来た。彼の不器用でどんくさい妻が刹那の瞬間に見せる表情に良く似ていたからだ。

 

 ……そう、妻が粗相をやらかしその尻拭いをする時の感謝の言葉の後に見せる複雑そうな表情に。

 

(劣等感、と言った所ですかな?)

 

 客観的に見れば兎も角、この従士の視点で見れば自身を無能扱いしている事に間違いなかった。主人を支えるどころか毎回のように失態を繰り返す。その一方、新参者で飄々としている食客が自分を階級で追い越し、ましてや自分よりも役立って頼りにされているとなればこうもなろう。

 

(こんな美人なご令嬢を曇らせるとは、伯爵殿も中々性悪なお方ですな)

 

 内心で冗談半分に雇用主を罵倒しておく。本人が聞けば理不尽だと騒ぎ立てるだろうが知った事ではない。女の涙に勝てるものはないというのが騎士たる彼の持論だった。……特に妻と娘の涙には絶対に勝てないと確信している。

 

 まぁ、冗談は置いておいて………。

 

「余り自分を卑下にするものではありませんぞ?謙虚なのは家臣として美徳かも知れませんが、過ぎれば卑屈ですからな。子供の頃から付き従う付き人ならば多少主人の威を借りても宜しいでしょうよ」

「ですが……」

「それに」

 

 ベアトリクスの反論を遮るように力強くシェーンコップは口にする。

 

「それに我らが雇用主は貴女を取り返すために我らを派遣したのです。我らを消耗しても貴女が欲しかった訳ですな」

 

 もちろん、使い捨てる積もりは無かっただろうとはこの不良騎士も理解している。流石に私戦に官品を使う事は出来ないので雇用主が彼らのための装備全てをポケットマネーでかき集めていたのは知っているし、そのために雇用主個人の私財をかなり使った事も知っている。

 

 それだけに、投入した私財と人材から見て雇用主が何れだけ重要視しているか分かろうものだ。

 

「つまりは我々全員よりも貴女を優先しているのですよ。まぁ随分と高く買われておられるようですな、羨ましい限りです」

「私はそんな……」

「先程も言いましたが自身を卑下するのは良くありませんな。それほど高く評価されて求められているのです、喜ぶべき事でしょう?」

「………」

「まぁ、そういう事です。いじけている暇があれば期待に応えようと努力する方が生産的でしょうよ。無論、本当に今の立場がお嫌であれば代わってあげましょう、手当ても良さそうですからな?」

 

 最後は敢えて不純な動機を意地悪な口調で言ってやる帝国騎士。それは本気で、というよりも発破をかけるという意味の方が強いように見えた。無論、その手の冗談が彼女に通じない事も見越しての発言である。実際ベアトリクスはシェーンコップの身も蓋もない発言に若干不機嫌そうに顔を歪ませる。

 

(まぁ、泣いてるよりは怒ってる方がマシでしょうな)

 

 背中に感じる敵意の視線を自覚しつつ、飄々と帝国騎士は笑みを浮かべた。

 

 そうしている間に地上車は目的地に辿り着く。山間部を貫く星道の一角、既に数台の地上車が停車する地点に到着したシェーンコップは、しかし怪訝な表情を浮かべ、次いで嫌な予想が脳裏に過る。

 

「おいっ!どちらが来ていないっ!」

 

 既に停車する地上車の手前でトラックを停めて身を乗り出しながらシェーンコップは叫ぶ。帰って来た答えは面倒なものだった。

 

「此方の護衛は達成している」

 

 ダンネマン大佐の一派は既にリューネブルク伯爵の別荘から護衛対象を護送し終えた状況だった。想定した追っ手等からの襲撃は無く、大佐の乗る地上車の後部座席には不安げな表情を浮かべるノルドグレーン大尉の姿があった。睡眠不足なのか少し窶れ気味の姿ではあったが。

 

「ちっ、となると若様の方ですな?いやはや、言い出しっぺが一番遅刻ですか……!」

「はは、お恥ずかしぃ」

 

 シェーンコップの舌打ち、彼らの雇用主を護送する筈だったレーヴェンハルト中尉は地上車の運転席で困った表情で頭を掻く。人員の頭数が理由で彼女が雇用主の護送役に選ばれて伯世子は全力でごねていたが、流石にボイコットのために遅刻した訳ではあるまい。集結した者達はある者は怪訝な、ある者は不安そうに互いを見やる。

 

 ダンネマン大佐の地上車の助手席から出て来たファーレンハイト中佐が深刻そうな表情を浮かべる。

 

「一応既に屋敷から脱走している事は判明している。だが……」

「予定時刻を大幅に超過していながら未だに現れない、と?」

 

 シェーンコップの続ける言葉にファーレンハイトは頷く。傍でその会話を聴き入っていたベアトリクスは顔を強張らせると共に嫌な予感を覚える。そして……。

 

「……!」

「お、おい!?」

 

 シェーンコップ達が制止の言葉をかける。だが従士は逆に命令を口にした。

 

「一、二台だけ待機して残りは計画通り移動して下さい!こんな星道に何台も止まっていては怪しまれます!」

 

 そう言い捨てて狩猟園外縁部のフェンスに足をかけて一気に中への侵入を果たす。

 

「若様……!」

 

 彼女はこれまでの経験から恐らく自身の主人に何か不穏な事が差し迫っているのを確信していた。そして一刻も早く助けに行かなければならないだろう事もまた理解していた。その迅速かつ迷いなき行動はある意味ではその高く純粋な忠誠心の証明であったろう。

 

 ……だが、より冷静になって考えれば彼女が向かう必要は無かった事にまで考えも及んでいただろう。護衛対象でもある彼女よりも薔薇の騎士達を数名送り込んだ方が良かった筈だ。その点でいえば彼女の判断は忠誠心過剰の判断力過少の誹りは免れまい。

 

 無論、直前に兄を撃ち、家族を捨てた事が重しとなりその分思考が主君重視となっていた……より正確にはそうして現実から目を背けようとしていた側面もあろう。そういう意味では一種の逃避行動であったかも知れない。

 

 何方にしろ、現実は変わらない。ベアトリクスは背後からの声を完全に無視して森の中に駆け出していたのだから……。

 

 

 

 

 

 

 西暦二〇三九年、当時地球を大きく二分する勢力であった『北方連合国家』と『三大陸合衆国』の対立は全面核戦争に発展した。数十億の人間が大都市と共に焼き払われ、多くの文化財と知識が永劫に消失し、死の灰が地上に降り注ぎ核の冬が到来した。放射能が地球の大地を汚染し、残された人類は自らの共同体の生存をかけた戦乱の時代に突入する。

 

 大打撃を受けたのは人類だけではなく、地球の生態系そのものも同様であった。

 

 元々二〇世紀後半より指摘され始めた環境破壊の懸念は人類人口の急激な増加、それに伴う資源と食料消費量の拡大、その帰結としての乱開発により悪化の一途を辿っていた。そもそも二大超大国自体、長く続く異常気象や食料不足、それらを要因とする民族・宗教紛争やテロ、それらから逃れようとして生じた難民の増加、世界経済の不安定化に対する危機感から成立したものである。

 

 一三日戦争と九〇年戦争は地球の環境と生態系を壊滅寸前に陥れた。大規模な気候変動や放射能汚染、残された人類による乱獲によって野生動物や原生植物の多くが絶滅した。

 

 地球統一政府による地球再生計画において遺伝子工学はその禁忌を破られ大いに活用された。放射能除去や汚染物質分解、酸素や水の浄化を行う各種微細生物群は元を辿れば宇宙移民事業を計画していた『北方連合国家』が火星テラフォーミング用に遺伝子改良して産み出したものがその起原である。そのほか、各地の核シェルターや月面都市に保管されていた遺伝子情報や数少ない生存個体を基に絶滅ないし個体数の激減した動植物のクローニングを行い生態系の復興に努めた。

 

 地球再生計画によって培われた遺伝子工学は後に商業化する。まず家畜用の遺伝子改良によって多くの新品種の生物が開発された。セレ豚やトリウマはその代表格だ。ペットとして開発されたキツネリスやナキネズミはその愛らしさと飼育のしやすさから地球統一政府時代だけでなくその後も何度もブームを巻き起こした。化石等から採取した遺伝子を基に一三戦争以前に絶滅した生物の復活も試みられ、その究極がカリブ海に浮かぶイスラ・ヌブラル島で開園した『ジュラシック・パーク』と言えるだろう。

 

 当然『北方連合国家』がそれを目的としたように宇宙開発においても遺伝子工学は活用された。テラフォーミング用の微生物や植物の開発、低重力ないし高重力下で生存・繁殖可能な動植物の開発が試みられ、その大半が成功を収めた。知的生命体こそ発見されなかったものの、宇宙探査を通じて地球外起原の複数の原始的生命体の発見とその遺伝子情報の採取・活用も行われ、幾つもの惑星で地球と似た、あるいはまるで異世界のような独自の生態系が形成された。

 

 地球統一政府中期以降、遺伝子工学の活用は退廃的な傾向を帯びて来た。ペットとしての新種開発がより盛んになると共に、古代ローマのコロセウム宜しく公然と闘技場で遺伝子改良により作り出された動物同士を戦わせ、殺し合わせる娯楽が人類圏全体のブームとなり、これまでとは一線を画す異形の生物達が生み出された。通常の自然界では到底生まれ得ない強靭な肉体と腕力、鋭い牙や爪を保持したまるで神話に登場するような幻想的で狂暴な怪物達が娯楽のために消費された。

 

 植民星の不満の蓄積、その末に勃発したシリウス戦役時代、遺伝子工学技術は軍事転用された。今や帝国で広く飼育される有角犬やかつて同盟軍で活用されていた剣虎等はそのルーツを地球統一政府軍や特別治安維持組織『ティターンズ』の運用していた軍用動物にまで遡る。より殺傷力を追求したものとしてはT‐ウィルスやG‐ウィルス等のウィルス兵器とそれらを転用したB.O.W生物群がロンドリーナやカシャ等での対ゲリラ戦で一部投入された記録が現存している。

 

 シリウス戦役に投入された生物兵器で最も有名かつ悪名高いものは間違いなく環境破壊兵器『アスタロス』である。

 

 戦役の最終局面にてシリウス政府首相カーレ・パルムグレンや経済相兼運輸・交通相ウィンスロー・ケネス・タウンゼントは地球統一政府の名誉ある降伏を支持していた。地球は憎き敵ではあるが、前者はその理想主義から、後者は地球の銀河金融における重要性からこれ以上の地球に対する攻撃に対して消極的であったのだ。情報相兼公安警察局長チャオ・ユイルンの進言も容れて軍事施設や一部インフラ等への軌道爆撃を行いつつ兵糧攻めによる降伏を迫る。主戦派かつ過激派の首魁ジョリオ・フランクールとその一派に配慮し、二か月の兵糧攻め後の全面攻勢が基本方針とされていたが、実態は既にイオ自治政府やマーズ・ポート商工組合の仲介の下、裏ルートで地球政府の降伏と汎人類評議会による新人類社会秩序の成立が半ば決定していた。

 

 しかし降伏が予定されていた時刻の僅か一四時間前、黒旗軍はヒマラヤ山脈の地下シェルターに破壊工作を仕掛けた。地球統一政府首脳部や閣僚、軍司令官の多くが破壊された用水路から溢れ出た濁流に飲み込まれて溺死、地球の中央政府は文字通り麻痺状態となった。当然降伏の意思表示なぞ行える筈もなく、これを降伏の意思無しと見なした黒旗軍は地球と武装解除の準備をしていた地球軍に対して全面攻撃を仕掛け、その止めとして『アスタロス』が投入された。

 

 元々テラフォーミング用に開発された繁殖力旺盛な遺伝子組み換え植物を兵器として転用したそれは五〇〇年もの時間をかけて回復した地球の生態系を僅か二週間で文字通り回復不可能なまでに徹底的に壊滅させて見せた。後世の歴史家によれば、地球のその後の衰退を決定づけたのは苛烈な軌道爆撃や人類社会の盟主の座からの転落より、寧ろこの『アスタロス』投入による所が多いとまで言われている。地球は緑に覆われた死の星となり果てた。

 

 この『アスタロス』による災厄は後の銀河の歴史を大きく変えたと言えよう。地球は銀河系における資本と金融の中心地であり、諸惑星にとって食料・資源・軽工業製品の巨大な輸出先であり、航路上の中継拠点であり、宗教権威が衰退した後の人類社会統一の精神的支柱・象徴でもあった。地球の壊滅はまず経済面で銀河系を恐慌状態に導いた。次いで諸惑星の連帯感に亀裂を入れる事になる。パルムグレンはその収拾に奔走し過労で疲弊、病死した。ビッグ・シスターズやプロセルピナ通商同盟との連携でギリギリの所で銀河経済破綻を回避したタウンゼントはフランクールと冷戦状態に陥って後の軍部のクーデター未遂、そしてタウンゼント独裁体制の成立と崩壊に繋がる。

 

 シリウス戦役とその後の『銀河統一戦争』による戦乱で人類同士が殺し合いを続ける中、かつて遺伝子を徹底的に改造された生物達は研究所や動物園、あるいは闘技場から逃げ出し野生化していった。

 

 自然界への離散後、多くの種は環境の変化により死滅したが、一方でそのまま外来種として現地の生態系の一角を担うようになった生物もいるし、様々な理由で他惑星に輸出され放流された種すら存在する。宇宙暦8世紀ともなれば、自然界において一三日戦争以前から存在した生命体とその後に産み出された生物が各々の立場を作り、元からそうであったように共存していた。それどころか余りに繁栄し過ぎたせいで一般市民が一三日戦争以前から存在する『原種』であると勘違いしている種すら多数に上る程である。

 

 え?何でこんな長々と逃亡中に関係なさそうな説明をするかって?煩い!察しろ馬鹿野郎!

 

「ぐっ……!はぁはぁ……おいおいこんなのありかよっ、糞ったれ!」

 

 嵐の続く森の木陰、その一角に隠れながら私は自らの厄運を罵る。ふざけるな!世界観が違い過ぎるだろうがっ!!おかげ様で少しの間脳内教科書読み返して現実逃避してたわ!!

 

 ……確かに地上戦における脅威は敵兵だけとは限らない。気候や生態系も無視出来ない強敵だ。地球時代においても風土病や不衛生から来る伝染病、虫害は軍組織全体の悩みの種であった。熱帯地方等では河に潜む鰐や平野に生息する獅子や狼に襲われる何て事例はあったし、そうでなくても興奮した大型草食動物に踏み潰されたり蹴り殺された兵士だっている。撃沈された水上艦艇からの脱出者は鮫の群れに襲われたし、都市部での戦闘では機械類の配線を齧歯類に噛み切られて戦闘時に車両が動かなくなったなんて事例もある。そしてこれらの問題は宇宙暦8世紀においても根本的解決とは程遠い状況だ。

 

 フェザーンを介した戦時条約によって生体兵器や生物兵器の投入こそ禁止されているが、あくまでもそれだけだ。大気と酸素のない惑星は兎も角、現実にはカプチェランカやカキンのように特別な装備なく生存可能な惑星を巡る争奪戦は当然あるし、それらの惑星に生息する野生生物群は同盟軍と帝国軍の区別なぞしてくれない。

 

 地下資源と水資源、酸素が豊富で生態系豊かな惑星カキンにおける獣害はかなり深刻だ。泥沼には有毒性の大量の雑菌や寄生虫がひしめき、傷口に少しでも触れたらアウト。そこらの土を掘り返せば毒虫が大量に這い出て来る。海では毒水母やリアルジョーズが血の匂いに誘われてくる。高地で無警戒で佇んでいたら空から襲い掛かるレオノプテリックスに餌としてお持ち帰りにされるし、熱帯雨林で孤立すればランポスの群れに嬲り殺しにされて白骨死体の出来上がりだ。もっと単純に蛭や虱、蚤の虫害もある。

 

 これらの獣害や伝染病の対策のために帝国も同盟も莫大なリソースを投入しており、それ故に実戦においては表面的な被害としては中々目立つものではない。しかし、逆に言えば、莫大な予算を費やして対策しなければ下手すれば被害は部隊単位にまで波及する重大な課題である事も事実だった。

 

 全身を改造手術でもしない限り、所詮人間は強靭な筋肉も鋭い牙や爪も無い、無駄に大きくその癖貧弱な中型哺乳類でしかない。文明外において人間という生き物は寧ろ食われる立場の存在に過ぎないのだ。それは分かる。分かるのだが……。

 

「このタイミングとなると流石に笑えるな……!」

 

 誰にも聞こえないような自嘲の笑みを漏らす。漏らさざるを得ない。笑ってないとやっていけねーよ。何だよこの状況!私はしたっぱ時代のルドルフ大帝じゃないぞ!?

 

「グウウゥゥゥ!!」

「って!?うおぉっ!!?」

 

 その唸り声で私はその野獣が此方を見つけたのに気付いた。同時に背筋が凍り付く。木陰の裏側から巨大なシルエットの大熊が赤い不気味な瞳でもって此方を見下ろしていた。

 

 より正確に言うならば大型雑食哺乳類『青熊獣』、別名をアオアシラ……地球統一政府中期に遺伝子改良と品種改良で生み出された獰猛な大型雑食性哺乳類が私をつけ狙う獣の正体であった。

 

「ちぃっ!!?」

 

 咄嗟に手にするハンドブラスターを発砲する。闇夜に光る細い一筋の熱線、しかしそれを胸に受けた獣は僅かに仰け反るがそれだけであった。

 

「……おい、マジかよ」

 

 そりゃあ低出力のハンドブラスターの貫通力なんてたかが知れてるよ?熊さんの厚い被皮に分厚い脂肪、強靭な筋肉と太い骨の頑強さ位知ってるよ?(正面から受けた猟銃の弾丸を角度次第では頭蓋骨が弾き返すレベルらしい)まして熊さんを遺伝子組み換えしまくったアオアシラさんの硬さ位予想はつきますよ?けど流石にほぼノーダメはたまげたなぁ。

 

「グオオォォ!!」

「ひいっ!?」

 

 降りかかる鋭い爪の一撃を私は身を翻す事で木の幹を盾にして防ぐ事に成功する。ちょっ……待ってっ!?爪が!爪が幹を豆腐みたいに抉っているんだけどっ!!?

 

「ちぃぃ……!!」

 

 私は踵を返して必死にその場を離れる。同時に右腕の義手のリミッターを緩和する。うん、別に戦う積もりはないよ?いやあんなの完全武装の一個分隊で遠方から集中攻撃しないと殺せないから?ハンドブラスター一丁とか無理ゲーだからね?

 

 戦う積もりはない。私がリミッターを外して握力を高めた義手に期待するのは戦闘ではなく避難のためである。

 

「くっ……!このっ……!!」

 

 近場で最も太く長い木々の上方に全力で跳躍、そして義手で枝木の一つを掴みそのまま片手で身体を持ち上げる。うおっ!?私がさっきまでいた空間にアイアンクローがっ!?下手しなくても木に登るのが後数秒遅かったら足持ってかれた!?

 

「ふ、ふざけんなコンチクショウ!!誰が食われてやるかってんだっ……!!?」

 

 私は涙目になりながら雨で濡れて滑りそうな木々を登っていく。義手の握力と滑り止めのお蔭で比較的スムーズに登る事は可能だった。生身の腕だとここまで簡単には登れなかっただろう。その点では義手に感し……いや待て、そもそも腕無くなってなきゃこんな状況に陥ってないじゃねぇかよ!!?

 

「っておい!止めろ止めろ!そんな鼻息荒くして登ってくんなワレェ!!」

 

 私が木の上に避難したのを見てか、うんしょっと木の幹に爪を立てて登って来ようとするアオアシラ。こっちに来んなとばかりにハンドブラスターを数発撃ってやるが少し痛がって距離を取るだけの効果しかなかった。てめぇ何文明の利器の前に平然としてんだよ!!素直にくたばれよ!?

 

 ハンドブラスターが嫌がらせ程度の効果しかないのは本当に笑えない。こんな現実を目にするとふと昔読んだ(読まされた)ルドルフ大帝の回顧録の内容が思い浮かぶ。遭難したからって半裸に自作の槍一本で狂暴な成獣ガララワニ仕留めて食ったとか絶対誇張だわ。え、本当?ノンフィクション?マジかよ………。

 

「グウウゥゥゥ………!!」

 

 しつこいハンドブラスターの銃撃にうんざりしたのか渋々と木の幹から降りるアオアシラ。威嚇するように唸りながら猛獣は木の周囲をうろつき回り、時たまに見上げて私を睨みつける。

 

 どうやら私が下りて来るのを待ち構えている事にしたらしかった。

 

「誰が下りるかよ、この畜生が……!」

 

 私は焦燥感を誤魔化すように小さく呟く。こんな所にアオアシラは住んでいる筈がない。となれば狩猟園の猛獣区画から逃げ出した、と考えるのが普通だろう。問題は管理する下人達が逃げ出したのに気付いたか、だな。

 

 私の捜索も続いているだろう、余り時間はかけたくはないのだが………とは言えあんな猛獣にハンドブラスター一丁ではどうしようもないのも事実。私としては飽きてさっさと別の獲物にでも注意を向けて欲しいのだがな……!!

 

「持久戦か。流石にこんな状況は想定外だぞ……!?」

 

 逃亡のために走り続けたのと激しい雨に打たれ続け体力を削られる。当然眠る事は出来ないし、油断したら手足を滑らせて地面に落下して大熊のご飯だ。割かし厳しい状況だな……!

 

「グオオオォォォォ!!」

 

 何分、いや何十分たったのだろうか?暫くすると痺れを切らしたかのか、アオアシラは苛立つような遠吠えと共にその巨体を利用し木に体当たりを仕掛け始めた。木が大きく揺れる。更には鋭い爪でガリガリと木の幹を引っ掻き……いや、そんな可愛いものではない。その爪で幹を豪快に抉っていって木が倒れやすくなるように削り取っていく。少し削っての再度の体当たり。それは最初の揺れよりも明らかに揺れは大きかった。

 

「くっ……!!?糞……どうする……?」

 

 大熊は少しずつ、しかし確実に私を食い殺そうと追い詰めにかかっていた。糞がっ!ただの畜生の分際で……!!

 

「ふざけやがって……!!これでも食らえっ!!」

 

 ハンドブラスターを向けて頭部……目に向けて発砲しようとするが相手は動いている存在、しかも私の動きを学習したのか頭部を腕で守りやがった。腕にブラスターの閃光が吸い込まれるが固い毛皮と分厚い皮下脂肪、強靭な筋繊維によって殆ど有効なダメージを与える事は出来なかった。貴重な弾の無駄遣いだった。

 

 そうしている間に三度目の体当たり……。

 

「うおっ……!!ひっ……!?」

 

 今のは少し揺れが大きかった。身体のバランスが崩れそうになり義手で幹を跡が残る程強く掴む。不味い……これは本気で不味い。

 

(まだ耐えられそうだが……長くは持たないか?糞っ!いっそ降りて別の木に登る?いや、中途半端な太さの木だとすぐに倒される。走って逃げる?論外だな)

 

 熊の走る速度は図体に似合わず洒落にならない位には速い。どれだけ全力で走ろうと一〇数える前に追いつかれ背中から襲われる事だろう。無謀過ぎる。

 

(糞っ!糞っ!糞っ!ふざけんなよ!流石に食い殺されるとか想像出来るかよっ……!!戦斧で殺されるより質が悪いじゃねぇか……!!?)

 

 私は内心で運命を罵倒し尽くす。正直かなりやばい事態だった。色々戦死の仕方は想像してきた。艦艇の爆発に巻き込まれて即死出来るとは限るまい。生きたまま焼け死ぬ事も内臓を零してゆっくり死ぬ事もあり得る。大破した艦から真空に投げ出される事もあるだろうし、地上戦の砲撃で四肢が吹き飛ぶ事も想定内だ。だが……だが、生きたまま食い殺されるなんて考える訳がないだろう……!?

 

 恐怖で動転しそうな脳を必死に落ち着かせつつ私はこの場を助かる方策を必死に考える。文字通り恐怖を押さえつけて考え続ける。

 

 ………尤も、私が何等かの方策を導き出す前に状況は変わってしまった。尤も、悪い方向にだが。

 

「若様っ……!?」

 

 とても懐かしい付き人の声を、私は最悪の状況で聞く事になった。

 

 

 

 

 

 

「若様、どこにおられますか……!?」

 

 森の中を必死に駆けて、息を上がらせながら彼女は自身の主君を幾度も呼び続けていた。暫く前に自身がシェーンコップ達の呼び止めを無視した事が失敗である事に気付き内心で自身の無能さを罵り落ち込んだが今更後戻りも出来ない。それ故にがむしゃらに彼女は捜索を続け、漸くその姿を見出したのだった。

 

「若様っ……!?」

 

 暗い森の中で必死に辺りを探す。そんな状況で咄嗟にある木々の上でよじ登った人影を見つけ出しほぼ同時にそれが自らの主君のものであると理解出来た彼女の観察眼と洞察力は素直に称賛するべきであったろう。

 

 だが、その掛け声が彼女の主君の下にいた獣の注意を引いた。

 

 不幸としか言えない。ベアトリクスもまさか主君がアオアシラに襲われて避難している時であろうとは想定していない。距離があったのと茂みや木々のせいでアオアシラの姿を見つけにくかった。そもそもこの一帯は草食獣の飼育区域である筈だった。故に想定しろというのは余りに酷過ぎた。

 

 無論、だからと言って現実が彼女に配慮してくれる筈なぞないのも確かであった。

 

「ベアトっ……!?」

 

 驚愕する主君の自身を呼び掛ける声に従士はまず安堵し、歓喜した。彼女自身気付かなかったがそれはある種の代償行為であったのだろう。家族と袂を分けたが故に、彼女は一層主君に忠誠を誓う事に自身の存在意義を見出し、そして依存していたのだ。故に普段以上に自身を呼ぶ、しかも求めるような声に反応したのだろう。

 

 だが次の主君の言葉にベアトは硬直し、次いで自身のミスを思い知らされた。

 

「ベアトっ!今すぐ逃げろっ!!」

 

 必死の形相の主君の命令、同時に漸くその脅威に気付いた。ベアトリクスは目を見開き、殆ど反射的に腰のハンドブラスターを構え、連続で発砲する。だが……。

 

「横に避けろぉぉ!!」

 

 木の上から降り立ちながら気が狂ったような大声で主君が叫ぶ。八発目まで撃ち、全弾命中しても尚突っ込んで来る猛獣の姿を見てベアトリクスは身を翻すように横に跳んだ。ほぼ同時に背中を引っ張られるような感覚を感じ、泥の中に突っ込む。

 

「ベアトっ!?」

「っ……!も、問題ありません!服が破れただけです!」

 

 悲鳴のような呼び声に、彼女は僅かに動揺しつつも自身の受けた被害を正確に報告した。擦れ違い様に背中に受けた爪の一振りはしかし彼女の衣服に爪痕を残したが実際それだけの事で薄皮を僅かにひっかけただけであった。無論、コンマ一秒動きが遅ければ致命傷になりえたのは事実である。

 

 伯世子はハンドブラスターを乱射しつつ従士に駆け寄る。ブラスターの銃撃はアオアシラの強靭な肉体を貫通する事は出来ないがそれでも僅かながらにダメージは蓄積され得る。表面に小さな傷跡が確認出来た。

 

 ……本当に小さな傷跡であったが。

 

「手を掴め!早く立つんだ!!」

 

 ぬかるんだ泥に足を掬われそうになる従士の腕を掴み立ち上がらせる伯世子。視線を向ければ木の幹に頭をぶつけ不快そうに頭を振り木片を払うアオアシラの姿が映り込む。

 

「走っても追いつかれる!一旦木の上に避難するぞ……!」

「わ、分かりま……若様!来ています!」

 

 目を見開いて叫ぶ従士。次の瞬間その意味を察した青年貴族はそのまま従士を押し倒し、振り向いた。そこにはもう距離を詰めた猛獣が大きく振りかぶった腕を振り下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐおっ……!!?」

 

 咄嗟の機転が幸いした。身体を捩じり、アオアシラの腕の一振りを私は辛うじて避けていた。

 

 それは客観的に見て幸運だったと言える。仮に顔面に受けていれば恐らく衝撃で私の首は螺子切れていただろうから。

 

 だから、爪が掠って私の右耳が千切れたとしても、それは幸運であった事に間違いはなかった。

 

「若っ……」

 

 一瞬、私は押し倒されたベアトが目を見開き、何かを思い出すように絶望に顔を引き攣らせている姿を確認出来た。同時に千切りにされた耳の小さな肉片と血が従士の頬を汚す。次の瞬間には彼女は金切声に近い悲鳴を上げて手に持つハンドブラスターを乱射していた。

 

「グオオオオオオォォォォ!!!??」

 

 猛獣もまた金切声のような咆哮を叫ぶ。ベアトの乱射した一発がアオアシラの左目を撃ち抜いていたのだ。流石に眼球は肉体に比べ頑強ではない。片目を失い血を流しながら激痛にのたうち回る獣。

 

 尤も、凶悪な両腕を見境なしに振り回すので危険は変わらないのだが。

 

 ひゅん、伏せる直前私の頭のすぐ上をアオアシラの腕が通り過ぎる。数秒遅れてさらっ、と数本の髪の毛が落ちるのが視界に映った。多分少し頭下げるのが遅れてたら脳味噌が辺りに散乱していただろう。はは、笑えねぇ。

 

「ベアト!逃げるぞ……!」

 

 泥にめり込むように這いずり私はベアトに叫ぶ。右耳から鈍い痛みが走るが傷の酷さと出血の割には痛くなかった。多分興奮し過ぎて一時的に痛覚が麻痺していと思われる。……落ち着いた後の激痛が怖いな。

 

「わ、若さ……」

「落ち着け!この程度問題ない!」

 

 地面で尻餅をついたまま硬直するベアト。私を……より正確には私の千切れた耳を見て打ち震えている。このままでは二人共危険なのでベアト叱咤しつつ引き摺るように私は退避を開始する。

 

「私は……私はまた……いや……」

 

 ベアトは私に引っ張られて一緒に逃げるがその表情は明らかに絶望に歪んでいた。糞、合流していきなりミスったな……って!

 

「やべっ!横合いに跳ぶぞ!」

 

 私は後方から飛び掛かるように突進してくる化物を回避するためベアト共々横合いに跳躍し本日何度目か分からない泥中へのダイブを果たす。はは、もう外套の中までずぶ濡れだな。ファック!

 

「それにしても……!随分とタフだな……!」

 

 もう痛みから立ち直ったとは畏れいる。元々猛獣同士の殺し合いのために作られた品種なだけあって痛みに対して我慢強いのだろう。そのままアオアシラは我々が先程までいた空間を抜けそのまま木の一つにぶつかり大きく幹を揺らす。怒りの咆哮と共にアオアシラは片目で我々がどこにいるかを探そうとする。

 

「片目になっている筈だから死角がある筈だ!そちらの方向からこの場を逃げるぞ!」

「き、来ました!!」

「畜生の分際で判断力が高いな糞がっ!!」

 

 視界が潰れたので臭いで此方のいる方向を探り当てたのだろう。既に走り出して殆ど茂みと木々に隠れていた私達の下に視界が悪いのに一直線で突進してくる。

 

 私達は走りながら後方にハンドブラスターを撃ちまくるが当然その勢いは止まらない。咄嗟に木陰に隠れる事でその突進から身を守る。

 

 激しい衝撃と共に木の幹に突っ込んだアオアシラは、しかしその巨体に似合わない俊敏さで木陰に回り込み、心底腹ただしそうな唸り声と共に我々を見つけ出す。そして腕を振り上げ……。

 

「ベアトっ……!」

 

 大熊の一撃を庇うように私は前に出た。同時に右腕を構えて身構え……殴りつけられた衝撃で私は軽く吹き飛んだ。ベアトだったら即死していただろう。

 

「ぐおっ……!?」

 

 脳震盪を起こしそうになる衝撃だった。右腕から嫌な音が響く。泥の中に勢い良く叩きつけられたのがどうにか分かった。

 

「グオオオォォ!!」

「熊公がぁ!!」

 

 崩れた私に怒りの唸り声を上げながら覆いかぶさるアオアシラ。そのまま熊の習性に従い生きたまま頭に齧りつこうとする。私は右腕で襲い掛かるその牙を受け止めた。ゴリッ、と鈍い嫌な音が響き渡る。

 

「ぐおぉぉっ……!!?」

「若様ぁっ!!!??」

 

 すぐ傍でベアトが金切声に近い悲鳴を上げる。目の前で主君が生きたまま食い殺されようとしているのだから当然だった。必死の形相で此方に駆け寄ろうとするが……。

 

「ぐっ……だ、駄目だ!!絶対にこっちに来るな!」

 

 私は怒声を上げて此方に向かうのを止める。ビクッ、と殆ど条件反射で足を止める従士。だが、それだけでは駄目だ。

 

「ベアトっ!今すぐ離れろ、命令だっ!!」

「ですが……いや…だって………!!」

 

 私が離れるように命令するがわなわなと声にならない声を呟く。

 

「命令の一つも聞けないのかっ!?邪魔だから失せろって言っているんだぞ!?」

「け、けどっ……!!」

「いいから距離を取れってんだ!ぐっ……!?頼むからそれ位聞いてくれ!!」

 

 クソ熊の腕に噛みつきながらの腕の一撃を寸前で避けて私はヒステリック気味に叫んだ。あ、頬が少し切れてる。痛い……。

 

「あぁ…あ…う………!?」

 

 私の重ね重ねの命令に漸くベアトは少しずつ距離を取るように離れていく。その表情は良く見えないが少なくとも平静でないのは漏れ聞こえる声から分かった。

 

「よ、よし……良い娘だっ……!」

 

 私は噛まれ続ける腕をもう片方の手で支えながらシニカルな笑みを浮かべ小さく呟いた。

 

 ……いや、別にもう助からないから彼女だけでも逃がそうとかそういう義侠心溢れる理由では無いんだ。本当にそう……あれだ。『巻き込み』が怖いからね?

 

「グウウゥゥゥッ!!!??」

 

 私の右腕に齧りついている畜生は今更のように違和感に気付いたらしい。当然だろうが、お前さんの噛力に生身の腕が数秒も持つかよ。アッと言う間にへし折られているわ!

 

 私はにやりと意地悪な笑みを浮かべ、アオアシラが必死に義手を噛み砕こうとしている姿を見つめる。うん、痛みがないのに腕ががりがり噛まれて穴が開いたり凹んでいる感覚が分かるのって凄く気持ち悪いわ。

 

 まぁ、それはそれとして………まぁ、あれだ。角度と向きを調整して空いている手で支えて……と。

 

「そんなに腹減ってるなら食わしてやるよ。ちゃんと味わって食えよ……?」

 

 炭素クリスタル製の破片を、な?

 

 次の瞬間、パンッ!と弾けるような爆音が森中に響き渡り、私自身にも反動が襲い掛かり身体に叩きつけるような衝撃が走る。

 

「グウオオオオオォォォ!!!??」

 

 同時に悲鳴に似た咆哮が鳴り響いた。それは獣の断末魔の声だった……。

 

 

 

 

 

 オーダーメイドの義手、本来ならば必要ないはずの予備を作る際に、おまけとして追加機能を組み込んだものを一つ用意させていた。……まぁ、御分かりだろう。所謂仕込み武器という奴だ。

 

 内容は腕部の表面と内部の間に挟みこまれた炭素クリスタル製の板と火薬……簡単に言えばある種の爆発反応装甲である。相手が目と鼻の先にいる近接格闘戦の際に起動し、火薬の爆散と共に砕けた破片が正面の敵に襲い掛かる訳だ。

 

 ……おう、正直な話作ってもらってから滅茶苦茶後悔したよ。使い勝手悪すぎるしな!角度間違えたら下手したら自分も破片に当たるし使った時の衝撃がエグい。しかも飛距離はそれ程でもないので文字通り相手が目と鼻の先にいないと効果が期待出来ない。完全に糞装備じゃねぇか。

 

 職人も私の提案を聞いて微妙な顔で止めるように申し出ていた。私の提案の欠点位分かっていたのだろう。尤も私が一つだけと言って強制的に作らせたけど。ああ、そりゃああのミンチメーカーにエンカウントなんかすればトラウマになってこんな装備も作らせようよ。流石に出来たものを一度試して後方に吹き飛んだら自分がどれだけ冷静でなかったのかを自覚したが。今回この義手で逃亡を図ったのもあくまで手持ち装備が少ないので気休め程度で装着していたのだが……。

 

「ぐっ……まさか…こんな絶好のシチュエーションが来るとはなっ……!」

 

 押さえつけられた状態で目と鼻の先でしかも義手を噛み砕かれつつある状況、背後は衝撃を吸収しやすい泥、しかも相手に飛び道具なぞない。完璧過ぎる条件。そこで腕に仕込んだ炭素クリスタル製の破片の散弾を顔面に、口内に食らえばどうなるか、分かり切った事だった。

 

「グ……ォ……」

 

 目の前にいたのは顔じゅうに小さな穴を空けて大量の血を流す怪物の姿だった。牙がへし折れ、鼻は抉れ、舌は半分千切れてぶら下がり、喉から蛇口のように赤黒い血が噴き出す。壮絶な姿だった。悍ましい惨状だった。

 

「っ……!」

 

 ベアトによって撃ち抜かれなかったもう片方の目から殺意と敵意に満ち満ちた眼光を向けられている事に気付いた。惨たらしいその姿と相まって私は打ち震える。その瞳とよく似たものを半年以上前にも見た事があった。私の片腕を持って行ったあの野蛮人と同質のものだった。野性的で原始的で根本的な、根源的な恐怖を感じさせる純粋な殺意……もしここで目の前の獣に一撃顔面を殴られれば相手が瀕死とは言え私の顔面は挽肉になっていたであろう。

 

 しかしそうはならなかった。代わりにむせるように口から吐き出した血が私の顔面に降りかかる。

 

「あっ……」

 

 生暖かいものを頭から被った事にどこか非現実的な感覚を感じていた。気味が悪い以上に殴り殺されなかった事に幸運を感じていた。緊張の糸が切れて、荒い息をする。

 

 尤も、それは安易な考えであった。

 

「あっ……」

 

 ぐらり、と死に絶えた獣が崩れ落ちると同時に私はそれに気付いた。重量数百キロの猛獣はその質量自体が凶器なのだという事実に。

 

 このすぐ後、雨の中崩れ落ちるアオアシラの死骸を必死に義手で支えながら先程離れるように命じた従士に助けを求める涙目の門閥貴族のボンボンの姿がそこにあったのだった……。

 


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