帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五話 贈与税には気を付けろ!

 同盟国内における反帝国移民運動は、国境付近の星系では未だ大量の避難民が発生し続けているものの、全体的には少しずつ収束に向かいつつあった。

 

 一因として、同盟警察公安委員会に属するヨブ・トリューニヒト議員の指導力が挙げられるだろう。本人自身、同盟警察のキャリア組として活躍し、多くのテロや破壊工作を防止ないし鎮圧してきた経験がある。彼の主導により同盟領内における帝国系を狙った犯罪行為の多くが未然に摘発され、あるいは実行犯の逮捕が迅速に行われ、反帝国極右組織の弱体化に繋がった。

 

 それだけならばトリューニヒト議員は単なる帝国系の手先と扱われただろう(実際に裏金か銀の壺が贈与されている可能性は否定しない)。だが、彼の場合はそれと平行してそれ以外の不安定要素……例えば反同盟分離運動や麻薬密売組織、宇宙海賊摘発等も平行して実施し、相応の成果を挙げていた。

 

『銀河帝国の脅威に脅かされる今、我らは一つに結束しなければならないのです!それ故にその結束と団結を阻害する者達、市民を苦しめ不当な利益を貪る卑劣漢共に正義の鉄槌を下さなければならない!!市民の皆さん、今は同胞同士で戦うべき時ではないのです!今こそ本当の敵が誰か良く考えていただきたい!そしてその撲滅のために政府に力を貸して頂きたいのです!』

 

 ハンサムな若手議員の演説は確かに完成度は高いが必要以上に煽動的であり、意地の悪い見方をすれば国難に託つけた同盟警察の権限拡大を目指したものであるのは明らかだ。更に裏に精通している者には彼が与党連合「国民平和会議」における統一派や帰還派……自由共和党や立憲君主党のマイクである事位は知れ渡っている。

 

 この若手議員が前回の選挙において獲得した票はその政治的主張ではなく、美貌と演説とバラエティーの才能で獲得したものだ。故にこういった政治的リスクのある政局において代理役として使い勝手の良い存在なのだ。本人も実積作りと売名、そして政界中枢との結び付きのために積極的に道化を演じているようであった。

 

「今必要なのは火焔瓶を投げ、暴力を振るい、市民同士で傷つけ会う事ではない。そのような体力があるのなら今すぐ難民キャンプでボランティアに従事してもらいたいものだね。彼らが望んでいるのは今日の食事とテントであって暴動のニュースではないのだから」

 

 国境難民生活委員会に所属するホアン・ルイ議員は、マスコミの取材に対して毒気のないあっけらかんとした表情で辛辣に現状を非難する。

 

「思い出してもらいたい。全ての同盟市民は元を正せば皆同じく銀河連邦市民である事実を。今迫害されている同胞は、帝国の弾圧から自由を求めて命がけでこの自由の国へと逃れてきたのだという事実を。我らには彼らを温かく迎える事こそ必要であり、彼らに憎悪を向ける事は筋違いでしかない。自由の民として我らは子孫に誇れる良識ある態度を示すべきではないだろうか?」 

 

 ハイネセン人権講演会の最中でジョアン・レベロ議員は出席者に訴えた。清廉かつ禁欲的で、同盟でも最悪レベルの腐敗で有名なエリューセラ星系における外部監査顧問時代に、脅迫や暴力に屈せずに犯罪組織の摘発や既得権益の解体を推進した勇敢な教授の発言は、感銘と説得力を聴講者達に与えた。

 

 尤も、前線の状況は未だに緊迫していた。六つの有人惑星の占領と、三箇所の大規模疎開。一般市民の大規模な捕囚こそ発生していないが、避難民の総数は現状で三〇〇〇万人を越えている。その大半は第二方面軍司令部の置かれるエルゴン星系の首星たる第三惑星シャンプール南大陸と、第三惑星第二衛星の仮設ドーム型都市に収容されている。人口三億一〇〇〇万を誇るエルゴン星系とは言え三〇〇〇万……今後更に増加する可能性も高い難民の受け入れは、その行政能力を越えつつあった。

 

 まして、難民の収容先の多くは砂漠地帯や荒野地帯であり、同盟政府に懐疑的な原住遊牧民が放浪する南大陸となれば難民側の不満も出てこよう。同盟政府もこの点については憂慮しており、難民を幾つかの惑星に分散して保護しようと動き出してはいた。

 

 一方、そんな国境地帯の問題は国家単位では重大な課題ではあるが、サンタントワーヌ捕虜収容所にとっては然程関係のない話だ。極右組織の暴動やテロの危険が低くなる中、元々リベラルの風潮が強いハイネセン南大陸での軍と警察の警戒レベルは引き下げられ、収容所警備も緩和されていた。実際数日前ならば収容所の出入口の警備は三倍はあったし、上空には二四時間体制で完全武装の空中監視ドローンが警戒していた。敷地周辺における兵士の巡回も倍はあっただろう。兵士達にとっては負担が減り喜ばしい事だし、収容所の経理課から見ても特別手当を出さずに済み万々歳であろう。

 

「おはよう御座います少佐」

「うむ、おはよう」

 

 そんな事を考えているとサンタントワーヌ捕虜収容所の衛門で無人タクシーが止まる。私や従士達は窓から身分証明書を野戦服に火薬式実弾銃を装備した看守の兵士に提出し、声紋認証や網膜認証を受ける。すぐ横を見れば反対側からこちらを監視する警備用地上ドローンが光学カメラで覗きこむようにこちらを見ていた。どうやら私の顔や骨格を分析しているのだろう。

 

 測定した全てのデータが同盟軍の管理ネットワークに記録された我々のそれと一致したのを確かめると、漸く遮断機が持ち上がり無人タクシーは収容所内へと進む。

 

「さて、確か今日は……」

 

 防空レーダーと連動した無人迎撃システムに守られた捕虜収容所司令部ビルの四階の一室、その一角にある自分のデスクに座り、固定端末を起動させながら今日の予定について記憶を引き出す。

 

「昼頃に御訪問が予定されております」

「ああ、そうだったな」

 

 尤も、そういう点に関しては私よりも余程ベアトの方が頭が回る。私が思い浮かべるより先に本日の予定について伝えられた。

 

 心底面倒臭そうな所長ほかに恐る恐る尋ねた結果、訪問に指定されたのが今日の昼頃であった。一つには警戒令が解かれる時期である事、二つ目の理由には所長ほかの予定に比較的余裕がある事、三つ目の理由としては捕虜への訪問者が少ない日であった事だろう。所長にとっても対応しやすくトラブルや問題が起こりにくい指定日という訳だ。

 

 所長としても、本当は訪問許可なぞ出したくはなかっただろう。部隊や部下の家族が職場に訪問する事自体は後方基地ではそれなりにあるが、それとて多くの場合は毎年行われるイベントや親睦会においてであり、平時に訪問してくる者は極めて珍しい。許可したのは制度上禁止ではない事、門閥貴族の文化の面倒さを理解している事、収監中の自治委員会の貴族共からも挨拶と持て成しをしたいと連絡があったためだ(相変わらず門閥貴族の情報収集能力は変な所で先鋭化している)。

 

 くれぐれも問題を起こさないように、とは訪問の許可申請の書類を受け取った時に所長から念を入れて言われた言葉だ。おいフラグ立てるな。……いや、普通に考えたら問題なぞ起こらないだろうけど。 

 

「だが……よりによって日程が重なるとはな」

 

 起動した固定端末を操作して収容所の本日の面会予定のデータを開けばその予約記録を閲覧する事が可能だ。

 

「盗聴と記録はこちらで行いましょうか?」

「一応頼む、とはいえボロは出さんだろうな……」

 

 盗聴されている事位は織り込み済みであろう。大佐も、グラヴァー氏もプライバシー何それ?な帝国出身だ。会話や挙動には細心の注意を払う事は間違いないし、実際これまでの調査でも不審点は殆ど発見出来なかった。

 

「やはり人質を取って尋問するべきでは?」

「うん、だからそういう方向の思考は止めような?」

 

 同盟人としては過激も良いところの意見を口にするベアト。悲しい事はこれでも段階を踏んでいるだけ比較的マシという事実が悲しいね。

 

「兎も角、昼頃には私は所長と出迎えに行く事になる。その間の職務、頼めるな?」

「当然で御座います」

 

 仕事を同僚(あるいは部下に)に押し付けるような形だが、ベアトは嫌な顔一つせず快諾してくれる。社畜の鏡である。

 

 因みにノルドグレーン中尉の方には私の付き添いを頼んでいる。正直な話、付き人とはいえ女性を連れて婚約者を相手に出向くのはどうなんだ?と思うが、やはり護衛はいるし、強いて言えばベアトと中尉ならば中尉の方が若干向こうの心情的にはマシであろう。

 

「……胃が痛くなりそうだな」

 

 出迎えと案内、その後の周囲の視線と愚痴を考えると今からストレスで腹痛を感じてくる。取り敢えず私は携帯している胃薬を口に放りこむ事にした………。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦788年8月26日1330時、多くの兵士達が昼食を済ませ、休憩を楽しみ終えて再び任務に就こうと言う時刻である。まず気付いたのは捕虜収容所の監視塔に詰める兵士の一人だ。

 

「あれは……車列か?」

 

 第三監視塔の頂上で巡回していた、同盟地上軍の市街戦用デジタル迷彩に身を包んだ警備兵が遠目にそれを発見する。

 

 直ぐ様首に下げた多目的双眼鏡を顔に当てて、最大望遠で対象を拡大。車両は計五両、全て黒塗りであり、内二両は装輪装甲車の類いであった。

 

「こちら第三監視塔、星道24号線より複数車両確認、照合を求む」

 

 兵士が無線で警備司令部に連絡、次いでデータリンクシステムにより双眼鏡が撮影した拡大映像が警備司令部の端末に送信される。ほぼ同時期に星道に設置されたセンサーとカメラの類も車列を確認していた。オペレーターは直ちに車列の番号を軍のデータバンクと照合する。

 

『……了解、照合完了です。そちらの車列については基地の訪問が予定されているものですので問題はありません』

 

 若い女性オペレーターは車列に軍事的脅威は無い事を警備兵に連絡する。

 

「こちら第三監視塔了解。因みに問題なければ何の車列かは問い合わせ可能か?」

 

 この捕虜収容所には、相応の階級や立場の人物が収監される場合が多い。当然、同盟情報部やら同盟警察公安部等から特別護送される事例もさほど珍しくない。だが彼の知る限り、黒塗りの車列のどれもが情報部や公安が使用している車両とはタイプが違う。その点から、あるいは敵対勢力の成り済ましの可能性もあった。だがそれに対してオペレーターは暫しの沈黙の後、少々戸惑い気味の口調で返答する。

 

『いえ、それが……職場訪問だそうで』

「……はい?」

 

………警備兵は思わずオペレーターに聞き返した。

 

 

 

 

 アルレスハイム民間警備サービス所属の警備用装甲車両に前後を護衛されたリムジンが捕虜収容所内の駐車場に停車する。すぐ傍には捕虜収容所所長たるクライヴ准将が数名の部下と共に出迎えのために佇んでいた。その中には訪問者を招待した若い少佐の姿もあった。

 

「何で態態所長が来て出迎えるんだ?市長か軍高官って訳でもないんだろう?只の民間人相手に……。」

 

 周辺で警備任務についている今年六月に自由惑星同盟軍ハイネセン兵学校トゥーロン分校を卒業して任官したばかりの若い憲兵が怪訝そうに疑問を口にする。

 

「そりゃあ、あれだろ?御貴族様だからだろ?」

 

すぐ傍の同僚がその疑問に答える。

 

「だからだろ、じゃないだろう?帝国じゃあるまいに所長が直々に出向く事かぁ?しかも確かあの若い参事官補の嫁さんか何かだろ?何でそんな事のために俺達が……」

 

 まだ二十歳にもなっていない憲兵は愚痴る。この捕虜収容所の参事官補は複数いるが、内一人が門閥貴族の出らしい彼より五、六歳程年上の少佐であった。

 

 それだけで嫌悪感を持つ程には彼も差別的な性格ではない。士官学校は兵学校や専科学校とは比べ物にならない難関学校であるし、胸元に名誉勲章や従軍勲章を着用している事からして兵学校の憲兵コース出の自分よりもずっと上のエリートである事位は理解している(とはいえ兵学校の中では憲兵コースは着任時より一等兵でありエリートコースなのだが)。

 

 だが、実際にその姿を見ると勲章や経歴が嘘ではないかと訝りたくもなる。双子?の部下を職場に連れて身の回りの世話をさせるだけでも一瞬ここが帝国軍基地ではないかと錯覚してしまいそうになる。まして毎日のように捕虜と駄弁ってお茶を飲んでという生活ばかり二か月も見せつけられては本当に仕事しているのかと言いたくもなろう。

 

「別の部署に行った同僚が聞いた話だとあの少佐なんて言われているか知ってるか?『動く公共風俗壊乱』だぞ?前の部署でも随分派手にしていたとか聞くし……」

 

 以前は第三艦隊司令部と言うエリート部署に所属していたらしいが、嘘か真か、初日に艦隊旗艦の男子トイレで如何わしい行為に及ぶ程の筋金入りだったとも聞く。聞くところでは司令部に親族がいたのを良い事に随分と好き勝手していたとか……。

 

「身内の権威で安全な所で遊んで、しかもそれで勲章と昇進だぞ?しかも今回の茶番劇だ。いつから俺達は帝国軍人になったんだ?」

 

 愚痴るように語る一等兵。そんな上司の妻か愛人か婚約者か知らないが出迎えの手伝いをさせられたのだ。不平の一つも言いたくもなる。

 

「仕方ないだろ?相手も御貴族様なんだからな、あいつら妙に仲間意識強いし、面倒な性格しているからな。お仲間の出迎えが無かったってだけで一斉にへそを曲げやがる」

 

 この捕虜収容所に収容される貴族達……同盟軍の捕虜となる貴族達はどこから話を仕入れるのやら、同じく貴族が無礼な目に合うと揃いも揃ってサボターシュを決め込むのだ。しかもこの捕虜収容所はほかの収容所に比べて貴族の権威が強い。下手すれば暴動にもなるし、あるいは捕虜からの事情聴取も難しくなる。看守側も彼らの機嫌を損ねるのは避けたいと考えていた。

 

「しかもあの生活ぶりだろう?税金じゃなくて自前らしいが……」

「中には帝国に戻れなくなって家代わりにしている奴までいるらしいしな。全く、これじゃあ俺達は看守じゃなくて自宅警備員だぜ?」

 

 これでは捕虜収容所ではなく、衣食住が保障され、しかも警備員までいる安全な家である。そう考えると自分達が何のために仕事をしているのか分からなくなりそうだ。

 

「はは、違いないな。お、そろそろ降りて来るらしいな」 

 

 同僚が顎で示す先では漸く高級そうなリムジンの扉が黒服によって開かれた所だった。

 

「御貴族様ね、どうせ澄まし顔でいけすかない表情を浮かべているだろうよ」

 

 ゲルマン風の金髪碧眼に釣り目の可愛げのない娘と言うのが典型的な同盟人の帝国貴族令嬢のイメージだ。若い憲兵はリムジンから降りてくる貴族令嬢を物見遊山するように遠目から見据える。だが……。

 

「げっ!?」

「おっ、こりゃまた小さい……」

 

 流石に彼らもリムジンから降りて現れたのがハイスクールに通っているかも怪しい少女だとは考えなかったのだろう、小さくではあるが驚きの声を上げる。

 

「一五、六といった所か……可哀想に、ありゃどう考えても政略結婚って奴だろ?」

 

 実際の所、その小柄な体格と幼さの残る顔立ちからもう少し年下に見えない事はない。

 

「一回り以上年上の好色で自堕落な奴と結婚とは御貴族様も楽じゃないと言う所かね?」

 

 そこに帝国貴族社会の歪さを垣間見て吐き捨てるように、あるいはからかうように憲兵達は嘯く。

 

 周辺警備をする憲兵達と同じく僅かながらに驚いているクライヴ准将は、しかし流石に長年面倒な輩が捩じ込まれている捕虜収容所の所長を務めてはいない。すぐに微笑みを浮かべて令嬢に何やら挨拶をしているようだった。

 

『本日の御訪問歓迎致します、フロイライン』

「直々のお出迎え、痛み入りますわクライヴ閣下。本日は宜しく御願い致します」

 

 クライヴ准将の帝国公用語混じりの宮廷帝国語に対して、件の貴族令嬢は実に流暢な同盟公用語で答える。ネイティブそのものの言葉遣いにクライヴ准将は再度目を僅かに見開いて驚くが、すぐに愛想よく笑顔を浮かべた。

 

「成る程……御配慮に感謝致しますケッテラー伯爵令嬢、我々が応接間まで御案内致しましょう、では少佐」

「了解です」

 

 賓客の言葉遣いからその意味を察して所長は同盟公用語で本日の訪問客の関係者でもある参事官補を呼びつけ付き添いと応接間への案内を命じる(その際視線でトラブルは起こさないように念押しする)。それについていくのは当の貴族令嬢と数名の護衛のみであった。

 

 本来ならば身分的にぞろぞろと使用人と従卒を引き連れても良いのだが、流石にここは帝国ではなく同盟、まして捕虜収容所である。まず無いとは言え捕虜の脱走に協力する可能性もあるので、そこまで許容する訳にはいかなかった。結果として非殺傷用のパラライザーハンドガンと電磁警棒のみ装備した若干名の護衛だけが建物内への同行を許されていた。

 

 尤も、ここは同盟軍の軍事施設内であり、普通に考えれば安全は確保されていると考えるべきであろう。

 

「ああ、こちらになります」

 

 彼らが向かったのは、地上一二階地下四階を誇る、捕虜収容所司令部ビルの一〇階にある所長室。それに隣接された形で設けられた応接間は、平時には捕虜収容所に訪れた賓客の受け入れや、あるいは所長自らが捕虜を尋問(と言っていいのかは疑問があるが)するための部屋であり、当然内装は相応に高級感漂う様式となっている。

 

 天然繊維のソファーと、同じく高級木材のテーブルに案内された訪問客は、ソファーに座るとお茶と菓子を提供された。無論、この日のために(所長のポケットマネーで)購入してきたシロン産のそこそこ値の張る茶葉とノイエ・ユーハイム菓子店のヌーベル・パレ支店の菓子だ。貴族相手に安物の茶を出したり非ウエスタン系の菓子を出す事のリスクを所長は良く理解していた。

 

「少々お待ち下さい、残りの者もすぐに顔を出せますので」

 

 帝国文化に理解の必要な捕虜収容所の所長であり、将官ともなれば流石に多少は慣れがあるのだろう、クライヴ准将は小慣れた、とは言わなくとも紳士的に令嬢にそう伝えた。

 

「丁寧な持て成し、感謝しますわ。……そうでした、あれを」

 

 思い出したように令嬢が語ると後ろに控える護衛が木箱を差し出す。中を見れば納められているのは重厚な雰囲気を醸し出す磁器のカップとポットである。

 

「余り大仰な物は宜しくないとの事でしたから……詰まらぬ物ですがどうぞお受け取り下さいませ」

 

 賑やかに笑みを浮かべる伯爵令嬢にクライヴ准将は愛想笑いで応える。尤も内心は溜め息交じりであった。

 

 貴族なんてものは会うたびに互いにブランド品をプレゼントし合うような存在である。私人としてならまだ良いのだが、捕虜収容所の所長なんていう公人の立場でも貴族と言う存在は平気で物を贈って来る。

 

 当然下手すれば賄賂やら利益供与やら問題が出るので、この処理や受け入れの手続きが面倒を極める。しかも下手に処分するとすぐに相手の耳に届き不機嫌になる(そのため捕虜収容所勤務の同盟軍人はまだこの手の手続きは簡単な方ではある、別の部署だとそれこそ手続きが地獄だ)。

 

 クライヴ准将も此度の訪問で十中八九何か贈られて来る事は覚悟していたし、令嬢のすぐ傍で目をそらす若い少佐に事前に注意したのだが……。

 

(これが詰まらない物、か)

 

 仕事柄嫌でも帝国の芸術・工芸・文化に造詣が深くなるので、所長も専門家程ではないが此度の贈与品の大体の価値は理解している。ヴィーダー・マイセン白磁器は帝都でも一、二を争う高級磁器のブランドだ。当然のように亡命政府の初代皇帝ユリウスが暗殺を逃れて同盟に逃亡する前、亡命する次いでとばかりに帝都の工房を襲撃して職人連中を誘拐した。今ではヴィーダー・マイセン白磁器は帝都に残った職人集団からなる「ザイリッツ流」とアルレスハイムに連行……ではなく移住した「ラウエ流」に分裂しており、双方共に「我らこそが元祖!」と主張しているという。

 

 受け取ったティーセットは亡命政府の保護下で企業化した「ラウエ流」こと「ラウエ=ヴィーダー・マイセン工房」の一般人向け製品であり、比較的安物の部類に入る。それでも二〇〇〇ディナールはするだろう、貴族からすれば詰まらない安物であるが、同盟人新入社員の一月分の給料を越えかねない額の品を同盟基準で安物扱いは無理であった。

 

 再度令嬢に見えない角度で若い少佐を睨む。無論それは半分程八つ当たりだ。それでも所長は迷惑している意志を示し釘を刺すためにもそうした。

 

「フロイライン、素晴らしい贈り物に感謝致します」

 

 そしてすぐに令嬢に対して謝意を示す。こうして門閥貴族の相手をするのも一度や二度の事ではない。相手がバリバリの貴族主義者ではなく婚約者の職場に挨拶に来る自分の娘程の歳の令嬢相手ならば可愛いものだった。

 

 所長は自身のやるべき事を理解していた。彼がこの訪問で行うべき事はこの令嬢が喜ぶように部下である少佐を誉めてやり、トラブルが起きないようにエスコートして所内の人物紹介と案内を行い、安全にお帰り頂く事だ。それ故に次に必要な事を彼は分かっていた。

 

「……それで少佐はお若いですが武功もあり社交術も上手い。流石士官学校出のエリートと言うべきですかな、とても頼りがいのある若者ですよ」

 

 所長はこの準トラブルメーカーな少佐を高く評価するように令嬢に暫し語り聞かせる。正直茶番も良い所だ。それでもほかの幹部が来るまでの短い間、所長は自然体を装った笑みで令嬢の婚約者を高く評価して見せた。

 

 実際、所長も面倒には思っていても、亡命貴族出の若い少佐を必ずしも嫌っているわけではない。決して良い印象がある訳ではないが経歴は本物であるし、何よりも彼が来てからは面倒な捕虜達との食事や挨拶を殆ど押し付ける事が出来た。その意味では評価はしていたのだ。

 

 そうして上手く時間を潰してほかの幹部達が来る時間を稼ぐ所長。その後参集した副所長や警備主任、参事官等を紹介していく。仕事の途中に呼び出された幹部達は内心で不機嫌ではあるが流石に客人にはその感情は見せず、代わりにちらりと若い少佐を睨みつけた(そして少佐は歯を食いしばり、額から冷や汗を流してその非難を我慢する)。

 

 ………当然彼らにも差し入れが贈られた。正直後の書類が面倒なので嬉しいかと言われれば怪しいのだが、その事は表に出さない。

 

「フロイライン、そろそろ移動致しましょう。ボーデン伯爵が細やかながら歓迎したいと仰っておりますので、お待たせしない方が宜しいでしょう」

 

 上司達の空気を読んで少佐は気取られないようにそう自身の婚約者に提案した。

 

「そうですね、それでは准将閣下、それに皆様方も失礼致します」

 

 その提案を受け入れてゆっくりと立ち上がった令嬢は育ちの良さそうな笑みを浮かべながら一礼する。これに応えるように所長以下の幹部も敬礼する。

 

 若干ぎこちない仕草の少佐が付き添いの中尉を連れて伯爵令嬢と共に応接間より退出する。そして後を追うように護衛の黒服達もその場から立ち去っていった。

 

 伯爵令嬢が最後に一礼し、護衛の黒服が応接間の扉を音が鳴らないようにゆっくりと閉める。

 

「……はぁ、中々緊張するものだな」

 

 暫しの沈黙の後、客人が部屋から離れたのを見計らって准将は深い溜め息をついた。

 

「やれやれですな、全くあの参事官補は次から次へと面倒事を持ってくる。困ったものです、そうは思いませんかな参事官殿」

 

 警備主任のブレツィリ中佐は退出した少佐の直属の上官に嫌みを三割程含めた口調で尋ねる。

 

「そうはいいましてもな、あれを押し込んで来たのは事務局ですからな、お分かりとは思いますがここの参事官職は定年までの骨休め先か、そうでなければ御上の命令で来る者ばかりです。私とて実質的にあれに命令やら指示やらを出来る立場ではないのですよ?」

 

 参事官たるノーマン中佐は心外とばかりに答える。確かに多少の職務こそ与えているが、大半の事務は彼とそのスタッフが行っており、新任の帝国系士官二人は比較的自由な時間を満喫させているのが実情だ。そしてそれは善意ではなく彼らの着任と前後して上から与えられた指示に従っての事だ。

 

「やれやれ、それにしてもほかに適任はいなかったのですかな?毎日あのように部下を侍らされると周囲が困ります」

 

 瞠目するように目を伏せ、僅かに首を振るのは副所長のケインズ大佐である。退役直前の老大佐にとっては兎も角、彼の部下達にとっては件の少佐が所構わず女性士官を侍らせる姿はその遊んでいるように見える仕事姿を含めて不満の的であった。

 

「こういう場所だ、上が何の目的でここにあれを送り込んで来たのか詮索するべきではなかろう。我々はただただ彼らが役目を終えて早々にここから出ていってもらうのを待つだけだよ」

 

 ソファーに深く座りこみ、気だるげに部下にそう言い聞かせるクライヴ准将。

 

「同感ですな」

「左様、それは兎も角……」

 

ノーマン中佐は手元の紙箱に目をやる。

 

「……これの処理が面倒ですな。中々高そうな茶菓子ですが」

 

 ノーマン中佐の手元にある箱の中はノイエ・ユーハイムの洋菓子のセット一五〇ディナールである。

 

「こちらは紅茶葉ですな」

 

 同じくブレツィリ中佐の手元にあるのは茶箱であった。アルト・ロンネフェルトには及びもしないが、ヴォルムス南大陸産出のロスト・ブラオンの高級茶葉だ。一時期外貨の国外流出を懸念して帝国産茶葉の禁輸が同盟で実施された際に帝国風茶葉の代替用に亡命政府が栽培を開始したブランドであり、禁輸処置解除後も一般的同盟人や亡命者にとっては同盟国内で気軽に購入出来る帝国風茶葉ブランドとして馴染み深い。

 

「私は……どうやらブランデーですな」

 

 サクランボを利用したブランデーはキルシュヴァッサーと呼ばれ、地球時代においては旧ゲルマン地域で盛んに生産されて現地で親しまれて来たと言われる。銀河帝国においてもブランデーと言えば葡萄と同じ位にサクランボを利用するのが主流であり、特にカルステン公爵領のそれは非常に人気でフェザーン経由で同盟にも盛んに輸入されている。ヴォルムスにおいてはドラケンベルグ子爵領のそれが特に人気であり、どうやらそこの二十年物らしい。恐らくは一〇〇〇ディナールはする筈だ。

 

「そして私はティーセットか、これは狙っているのかね?」

 

三者がそれぞれに互いの顔を見やる。

 

「……お湯はあるかね?」

「……用意しましょう」

 

 所長の言に警備主任が答える。参事官はテーブルの上に菓子箱を置いた。副所長はブランデーの瓶を開ける準備をする。前線ならばいざ知らず、ここは後方の捕虜収容所である、この位の気の緩みは許容範囲であるし、まだ勤務時間ではあるがそこは一応緊急時に備えて司令部で待機という言い訳を用意していた。というか贈与品の受け取り手続きが面倒なのでせめて腹の中に収める事が出来る物だけでも処理して無かった事にしたかった。

 

 そういう訳で彼ら捕虜収容所の幹部達は司令部にて緊急時に向けた対応準備を名目に、この応接間にて密かに御茶会を開いたのであった。

 

 

 

 

 

「であった、じゃねぇよ!!」

「だ、旦那様?何か御座いましたか……?」

「え?い、いや何でもありませんよ」  

 

 平和ボケしているのか勝手に勤務時間にアルコール入りの御茶会を始めた上司達に思わず突っ込み周囲の注目を浴びた私こと、ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍少佐である。いや、だってそれ証拠隠滅じゃねぇか!!

 

「そ、それでしたら良いのですが……」

 

 少々困惑気味のグラティア嬢、そりゃあいきなり婚約者が奇声のような突っ込みを入れたら怯えもするだろう。

 

「さ、さて……こちらの方で歓迎の準備が行われておりますので参りましょうか?」

 

 私は気を取り直し、案内のために手を差し出す。

 

「はい、宜しくお願い致します」

 

 少し迷う素振りを見せるがすぐに微笑みを返して手袋をした手を添える。……その手は気付くのは難しいが僅かに震えていた。

 

(……緊張だな)

 

 先程の私の馬鹿な突っ込みへの動揺もあるだろうが、彼女自身このような場に慣れていないのであろう。

 

 この場における「このような場」は軍事施設、それも同盟軍のそれを指す。これが社交界であれば宮廷であれ、同盟の名士の集まるパーティーであれ、そこまで戸惑う事は無かろう。

 

 武門の出とは言えケッテラー伯爵家の数少ない直系の娘であり、尚且つ御家騒動もあったためにグラティア嬢は身の安全のため余り軍事に触れて来なかったようだった。 

 

 母親たるヴァレンシュタイン子爵夫人はどちらかと言えば文化系の令嬢であり、息子の方こそ軍事に携わらせたが、娘には寧ろ宮廷儀礼や文学、芸術を中心に指導していたそうだ。

 

 それ自体は必ずしも非難される事ではない。武門貴族の娘とは言え軍事に詳しくなる必要は然程ない。最低限の護身こそ修めるが、基本的には軍人であろう夫の支え方や留守中の家庭と一族の維持、息子の教育と親族が戦死した際の心構えこそが求められる。亡命政府軍では帝国と違い女性でも戦闘職の軍人になる者も少なくないが、それでも実際にそれを行うのは絶対的に少数派なのだ。

 

 まして、同盟軍の捕虜収容所である。門閥貴族の令嬢が珍しいとは言え、警備の露骨で無遠慮な視線は領民の領主に向けるそれとはまた性質が異なる。まだ少女の彼女にとって愉快な物では無かったであろう。誰が好き好んで見世物になりたいものか。

 

 恐らくは護衛も理由だろう。元々の付人が外され、しかもケッテラー伯爵家の古くからの臣下は少ないし、その中で手練れとなればかなり限られる。そしてそのうちの何割かは同盟軍か亡命軍に所属し、残りもヴァレンシュタイン子爵夫人や息子、長老方の護衛についている筈だ。彼女の傍にいる護衛は警備会社からの者か、別の家に仕えている遠縁の者を借り受けているかであると思われた。恐らく余り知らない人物なのだろう。同盟軍基地で見世物にされて、しかも護衛も馴染みない者達となれば一六歳の少女も内心で不安の一つや二つあるだろう。

 

「……そうでした、お待ちしているボーデン伯爵はワーグナーがお好きでしてね、いやはやあの演奏は長過ぎて流石に途中で眠りこけてしまいそうになります。実は此度もそれをお聞かせしようとしていたようでほかの曲にしていただくのに苦労しましたよ」

 

 なので私はグラティア嬢の手を取り、緊張を解きほぐすように雑談を口にし、可能な限り通りかかる同盟軍人から彼女が見えないように壁となりながら歩く。只でさえストレスで無理をしているであろう、可能な限り負担は減らしたかった。

 

「先に行き手続きを行います」

「ああ、頼む」

 

 ノルドグレーン中尉が先行して収容所棟への入棟手続きに向かう。IDカードとパスワード、生体認証で収容所棟の自動扉が重々しい音と共に開く。入室前に警備兵が私や中尉、護衛の持つ武器類を回収するが仕方無い事だ。

 

「おお、お待ちしておりましたぞ、フロイライン」

 

 廊下を歩き、毎回本当に収容所の一室なのか訝しんでしまう自治委員会の本部に入室すれば、年老いたボーデン伯爵がこれまた捕虜なのか怪しい華美な出で立ちで待ち構えていた。椅子から立ち上がると老人とは思えない程背筋を伸ばし、伯爵令嬢に挨拶する。

 

「こちらこそ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳御座いません。お会い出来て光栄ですわ」

 

 伯爵令嬢は先程までとはうって代わり、小慣れたように挨拶を返す。やはり貴族同士の挨拶の方が彼女にとっては気楽なようだ。

 

 続いて自治委員会の書記長等その他の幹部達が恭しく頭を下げ顔合わせを行う。グラティア嬢はにこやかに笑みを浮かべながら応対し、続いて当然とばかりに贈り物をする。因みに収容所の所長達に与えた物より遥かに高価な代物だ。平民や奴隷に贈る物より安い物を同胞に贈るなんてあり得ないからね、仕方無いね。

 

「さてさて、何時までもご令嬢を立たせる訳には行かぬの。ささ、お座りなされ」

 

 伯爵が楽しそうにそう語り高価な天然木材と絹糸で作った椅子を引き伯爵令嬢を招き寄せる。その姿は歳の差から祖父と孫のようにも見える。

 

「はい、失礼致しますわ」

 

そう返答してちょこんと椅子に座る伯爵令嬢。

 

(ある意味こっちの方が気楽か……)

 

 参加者も周囲の護衛もある意味皆同じ文化と常識を共有する同胞だ。私は兎も角それ以外の者達にとってはある意味落ち着ける環境という訳だ。

 

「アフタヌーンティー、と言うには少々粗末ではあるがの、可能な限りの持て成しをさせて貰うのでどうぞ許して欲しい」

「いいえ、伯爵様方の御気持ちこそが一番の持て成しですわ、どうぞお構い無く」

「うむ、おお伯世子殿もお座りなさい」

 

 ボーデン伯爵が私にも着席するよう勧める。私は形式的な笑みを浮かべてそれに従う。すぐ傍で中尉が護衛につく。

 

 そして刑務所内でのアフタヌーンティーが始まった。フェザーン経由で輸入したのだろうザイリッツ・ヴィーダーマイセンのティーセットにどこから手に入れたのかアルト・ロンネファルトの茶葉、菓子類はノイエ・ユーハイム、サンドイッチ等その他の料理もフェザーンの保険会社が天然食材を集めてプロのシェフが調理した物であった。

 

 雑談だけで優に一時間は時間が経過する、というよりも寧ろこちらの方がグラティア嬢にとっては本題かも知れない。刑務所の所長達よりも伯爵達の方が挨拶する上で重要な相手なのだ……門閥貴族にとっては。

 

「……失礼、暫し席を外します」

 

 そう言って私はトイレにかこつけて一旦退席するが実際の所は時間帯から見てシュミット大佐とグラヴァー氏の面会が終わった頃であるためだ。携帯端末でそちらに回していたベアトに何か変わった事があったかを尋ねる。

 

 自治委員会の本部を出て捕虜収容所のトイレの方へと向かう。………因みに中尉何で付いて来てるの?

 

「?当然ではありませんか?ゴトフリート少佐は同行したと聞きますが」

「それ風評被害だからな?」

 

止めて、私の名誉をこれ以上地に落とさないで。

 

 取り敢えず中尉にはトイレの外で見張りをしてもらい私は誰もいないのを確認した上で男子トイレで携帯端末を取り出し、ベアトの番号を打ち始める。……正にその時であった。捕虜収容所全体に爆発音が轟いたのは。

 

「………!?」

「若様……!」

 

 すぐに私は警戒体勢をとり、中尉がトイレへと入り込む。

 

「今の爆音は……装備の整備を間違えて誤爆、はあり得ないだろうなぁ」

 

 あんな爆発音がするような装備はこの捕虜収容所にはない。基本対人装備しか配備されていない筈だ。となると……。

 

「若様……!」

「……あー、だよなぁ」

 

 中尉に呼ばれトイレの窓を見て、私は半分諦めに類した表情をする。ここでフラグの回収かぁ……。

 

 窓から見える捕虜収容所の敷地では銃火器を装備した捕虜達が警備兵と銃撃戦を繰り広げていた。

 

 宇宙暦788年8月26日1545時頃、サンタントワーヌ捕虜収容所における捕虜による「サンタントワーヌ武装蜂起事件」はこうして発生したのだった。


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