IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第五十二話 ~約束~

更識家の敷地内にある広々とした武道場の中で、統夜と楯無が正対する。IS学園指定のジャージに身を包んだ二人は、足元に広がる畳の感触を確かめる様に足を踏み締める。二人の脇にはこれから始まる戦いを憂うように顔を曇らせた私服姿の簪もいる。

 

「さて、準備はいいかしら?」

 

「何時でもいいですよ」

 

「あ、簪ちゃんはもうちょっと離れててね。少し危ないから」

 

「うん」

 

姉に促されて、統夜に付き添うように立っていた簪が二人から離れる。五メートル程感覚を空けて、楯無は構えを取った。

 

「もう一度確認するわよ。私を一度でも倒せたら統夜君の勝ち。逆に統夜君が負けを認めない限り、勝負を続けるわ」

 

「本当にそれでいいんですか?さっきはああ言いましたけど、俺もそれなりに強いと思いますよ」

 

「ああ、いいのいいの。どうせ統夜君は、私に勝てないから」

 

「……それじゃあ、思いっきりやらせてもらいます」

 

その一言でプライドを刺激された統夜が体を引き締める。余裕の表情を保った楯無は簪に向けて手を振った。

 

「簪ちゃん、合図お願い」

 

「……は、始め!」

 

「っ!」

 

簪の合図と共に、統夜が前へ出る。ファクターとしての身体能力を使わなくても、日頃から姉達に鍛えられている統夜の肉体は、同年代の男と比べて遥かに発達している。常人ならぬ動きで一息に楯無へと近づいた統夜は右腕を楯無の襟首へと伸ばした。

 

(掴んで、投げ飛ばす!)

 

自分と同じ柄のジャージを着た楯無の襟首めがけて、右手を伸ばす。しかし、そんな危機的状況にも関わらず瞬間的に視界に入った楯無の顔には、笑みが浮かんでいた。

 

「──凄いわね」

 

そして楯無の一言が漏れた後、統夜は畳の上に転がっていた。

 

「……は?」

 

「やっぱり凄いスピードね。私なんかとは比べ物にならないくらい速いわ。でも、捉えきれないって訳じゃない」

 

畳に寝転んでいた統夜は慌てて体を起こして構える。楯無は統夜を観察するかの様に、じっと見つめていた。そこでやっと統夜は自分が投げられたのだと認識する。奥歯を噛み締めながら、再度楯無に向かって突撃する。

 

「今度は……!」

 

「それはストレート過ぎるわよ?」

 

フェイントも織り交ぜた、足元への蹴撃。意表を突いたはずの一撃すらも、楯無はあっさりと避け切った。瞬間的に生まれた隙を見逃すはずもなく、楯無は統夜の懐に入って体を動かした。

 

「ぐっ!?」

 

「鍛えていると言うだけあって、そこそこの技術は身に付いてるみたいね。でもその程度じゃ、私には勝てないわよ?」

 

一瞬の内に畳の上に転がった統夜の顔を覗き込むようにしゃがむ楯無。言い表せない敗北感を感じながら、統夜は腕を横に振った。苦し紛れの一撃ですら、楯無はあっさりと避けてしまう。距離を取った楯無を睨みつけながら、統夜はゆっくりと立ち上がった。

 

「さて、次は何を見せてくれるのかしら?」

 

「……やられっぱなしってのも癪ですからね。手加減無しで行きますよ!!」

 

気合の乗った一言と共に、統夜の瞳が赤く光る。統夜の体が動くたびに、輝く瞳は夜空に輝く流星の如く、赤い尾を引いた。先程までとは段違いのスピードを見せつけながら、楯無に向けて正拳を放つ。勿論手加減しているとは言え、たった一つしか年が離れていない少女に繰り出していい一撃ではなかった。しかし、渾身の力を込めた一撃ですら、楯無は湛えた微笑を崩す事無く難なく避ける。

 

「なっ……」

 

「遅い遅いっ♪」

 

「こ、のっ!!」

 

握られた拳が楯無に向けて放たれる。しかし肩や腕を狙って放つ拳は全て、楯無に受け流されていた。突き出す肘は掌で受け止められ、握り拳を華麗に避けられ、蹴撃を放とうとすれば先に膝を抑えられてしまう。一旦距離を置こうと攻撃を止めれば、楯無の腕が伸びてきて綺麗に投げられてしまう。

 

「よいしょ!」

 

「がはっ!!」

 

五分後、楯無に投げられた回数が二桁に達しようというタイミングで、統夜が力尽きて畳の上に崩れ落ちた。投げられた際に擦れた頬に、新たな擦り傷が生まれる。畳の外にいた簪は慌てて駆け寄って、統夜の顔を覗き見る。

 

「統夜君、これで分かったかしら?自分はまだまだって事を」

 

「そんなの、分かってますよ……」

 

相対する楯無は崩れたジャージを直しながら、統夜に近づいた。額に幾らかの汗が浮かんでいるものの、その体には傷一つ無い。対して、服に隠された統夜の皮膚には、数多くの擦り傷や打撲の跡が刻まれている。

 

「うん、統夜君は確かに自覚してる。でも、これではっきりしたでしょ?私と貴方の力の差って奴を」

 

「……」

 

反論の余地がない楯無の言葉に、統夜は只々頷く事しか出来なかった。

 

「確かに統夜君は強いわ、ラインバレルの力を抜きにしてもね。でも、それだけで今後戦っていけるとは限らない」

 

「俺は……何をすればいいんですか?」

 

顔を上げた統夜が、楯無を見上げる。真摯な眼差しで統夜を見つめ返す楯無は片手を上げて指を一本だけ立てた。

 

「一週間、私のトレーニングを受けてもらうわ。続きはIS学園でやるけどね」

 

「一週間、ですか」

 

「そう、まずは一週間。それと、もう一つ大事なことがあるわ」

 

「何ですか?」

 

「私は統夜君に、ラインバレルとしての戦い方を教えないわ」

 

「え?」

 

満身創痍の統夜が呆けた声を上げる。統夜に寄り添っている楯無は押し黙ったまま、姉の言葉を待っていた。楯無はしゃがみこむと、統夜と自分の視線の高さを合わせる。

 

「だってそうでしょう?私はラインバレルの事について一切知らないし、動かしたこともない。だったらISの戦闘について教えて欲しい、って思うかもしれないけれど統夜君が実際に戦場で動かすのはラインバレルよ。ISじゃない」

 

「じゃあ、何を特訓するんですか?」

 

「それはね、人間としての戦い方よ」

 

「人間としての……?」

 

「ねえ、何で私が統夜君に勝てたか分かる?力でも遠く及ばない、速さでも勝目が無い。そんな私が、統夜君を圧倒出来た訳って何だと思う?」

 

「……」

 

統夜は先程の戦いを頭の中で反芻する。こちらが繰り出す攻撃は全て綺麗にいなされ、逆に楯無の攻撃は一回も避けられなかった。全力を出したつもりだった。ムキになって僅かとは言え、向けてはいけない力まで出した。しかしそれでも勝てなかった。

 

「……技術、ですか?」

 

「経験、とも言うわね。ともあれ、私は統夜君にそういう物を無くして欲しくないのよ。言い換えれば、人間としての能力(ちから)、ってやつね」

 

「でも、俺は人間じゃ──」

 

「違う!」

 

大気を震わせる様な声が、道場に響く。声のした方向に目を向けてみれば、簪が何かに耐えるように唇を噛み締めながら、統夜を見つめていた。目尻を光らせながら、簪が途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 

「統夜は……統夜は、違う。私達と同じ……」

 

簪の言葉はそこで途切れてしまったが、言わんとする事は理解出来た。しかし、既に自分の体の事情を正確に把握している統夜はしどろもどろに言葉を返す。

 

「いや、その……でも、俺は……」

 

「簪ちゃんの言う通りよ」

 

「楯無さんまで何を言ってるんですか。俺の体は──」

 

「そう、確かに私達と統夜君の体は生物学的に見て、明らかに異なってる。でも、私が言っている“人間”の線引きは、そんな物に左右されないのよ?」

 

「俺が、人間……?」

 

「考えてご覧なさい、何を持って“人間”と定義するかを……ま、これは私からの宿題って事で。いつか、統夜君なりの答えを聞かせて頂戴」

 

そう言い残すと、楯無は立ち上がって道場から去っていった。残された簪は床に体を横たえた統夜を真上から覗き込む。

 

「あ、あの……統夜……」

 

「……」

 

簪の呼びかけに対しても、微動だにしない統夜。瞳を隠す様に右腕を顔に載せている統夜は、身じろぎ一つしない。簪がそろそろと手を伸ばして統夜の腕を持ち上げようとしたその時、統夜が動いた。

 

「……はは」

 

「……?」

 

「アハハハハッ!!」

 

畳の上に寝転んだまま、統夜が唐突な哄笑を上げる。簪は目の前の少年の突飛な行動におおろと戸惑うばかりだった。

 

「と、統夜……どうかしたの?」

 

「……凄いよな、楯無さんは。俺たちとそんなに変わらないのに、あんなに強いんだから」

 

「お姉ちゃんはロシアの国家代表だし、色々と訓練もしてるから……統夜が負けても、仕方ないと思う……」

 

統夜に対して慰めの言葉を投げかける。楯無に負けてショックを受けていると思った簪は、思いつく限りの言葉を挙げた。しかし、そんな簪とは対象的に、統夜の顔は珍しく清々しい表情を浮かべている。

 

「ああ、違う違う。気にしてないさ、楯無さんに負けたことは。ただ、嬉しいんだ」

 

「うれ……しい?」

 

「だってさ、今弱いって事はこれからまだまだ強くなれるかもしれないって事だろ?」

 

「そう、だけど……」

 

統夜が上半身だけを起こして、目の前で両手を握る。まるで自分の力を確認するかの様に、両手を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。掌に視線を落としながら、統夜は言葉を続けた。

 

「俺はもっともっと強くなりたい……いや、強くならなきゃいけないんだ。もう二度と、目の前で誰かを失うのは嫌だから。あの日……父さんと母さんが死んだあの日みたいな事は、もう二度とごめんだ」

 

「……約束して、統夜」

 

「何だ?」

 

簪がゆっくりと統夜の頬に右手を伸ばす。先程までそこにあった擦り傷は既に影も形も無い。数秒前に光と共に消えてなくなってしまった。統夜が統夜である異形の印を、確かめる様に優しく撫でる。

 

「……無理だけはしないで」

 

「簪……」

 

「統夜の体が丈夫なのは知ってる……でも、無理だけはしないで。こうしてるだけで、私は満足だから……」

 

「ありがとな、簪」

 

統夜の右手が、頬に添えられている簪の手と重なる。互いの手の感触を確かめ合うように、重なり合う掌は微動だにしない。二人がそのまま寄り添いあっていると、静かな道場に口笛の音が鳴り響く。

 

「あらあら、私はお邪魔虫かしら?」

 

「た、楯無さん!?」

 

道場の扉を開けて入ってきたのは、片手にそれぞれ一本ずつ竹刀を握りしめている楯無だった。楯無の登場と同時に、慌てて簪と統夜が重ねていた手を離す。楯無は苦笑しながら統夜に近づくと、片方の竹刀を放った。

 

「さあ、次は武器を使った特訓と行きましょうか。今日は寝かせないわよ?」

 

「冗談でもぞっとしない台詞ですね、それ」

 

「へえ、統夜君がそんな生意気な口きくなんて、おねーさん悲しいなぁ~……」

 

「あ、いや、今のは冗談ですよ?」

 

統夜から距離を取って、竹刀を構える楯無の瞳が獰猛にギラつく。姉の怒りを察知した簪はそそくさと統夜から離れて一足早く危険から去っていった。統夜が座り込んでいるにも関わらずじりじりと距離を縮める楯無と対照的に、統夜は後ずさりしながら何とか楯無から離れようと座ったまま体を動かす。

 

「あ、あの~……本当に冗談ですよ?」

 

「ほら、最近おねーさんの活躍の場が無かったじゃない?そろそろこの辺で私の強さを再認識してもらおうと思うのよね」

 

「た、楯無さんの強さは知ってますから!いや、ホントに冗談ですって!!」

 

聞く耳を持たない楯無はジリジリと統夜に迫っていく。後ずさる統夜だったが、背中が道場の壁に当たり、動きが止まる。逃げ場を失った統夜が正面を見ると、獲物を見つけた肉食動物がそこにいた。

 

「さあやりましょうか」

 

「と、統夜……頑張って」

 

「……くそっ!やれってんなら、やってやるさ!!」

 

その日、人とは異なる肉体に強い意思を宿らせた少年が静かな一歩を踏み出した。

 


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