IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ 作:Granteed
暑い夏の平日、更識家の応接間に三人の人間がいた。純和風の部屋にいる三人の内二人はそれぞれ机を挟んで対面になるように座り、一人はお盆に乗ったコップを統夜の目の前に静かに置いた。
「粗茶ですが」
「あ、どうも」
目の前に置かれた麦茶に手を伸ばす。ひんやりと冷えた麦茶は、火照った体に良く効いた。胸の奥が冷えていく感覚を感じながら、統夜は黒塗りのテーブルを隔てて座っている簪に視線を向ける。
「……そ、そう言えば楯無さんは何処行ったんだ?」
「あ、お姉ちゃんなら……」
「あの子なら、主人と一緒にいますよ」
簪の隣に座った女性が代わりに答える。初めて見る人物を、統夜はまじまじと凝視してしまった。その視線に気づいたのか、女性がくすくすと笑いながら統夜に質問を投げかける。
「どうかしましたか?」
「あ、い、いえ。すみませんけど、貴方は……?」
身長は統夜と同じくらいか、少し低い程度だろう。水色という日本人にはありえない髪色なのに、それが怖い位に自然に感じられた。男の目を引くであろうメリハリのあるボディは横にいる簪と比較されて、より豊かに見える。統夜の質問を受けて、女性は艶やかな唇を動かした。
「あら、ごめんなさい。そう言えばまだ行ってなかったわね。私は更識 楓。この子の母親です」
「そ、そうだったんですか。あ、俺は──」
統夜が自己紹介しようとすると、女性が小さな手でそれを押し留める。我が娘を横目でちらりと盗み見てから、おっとりとした言葉遣いで言葉を紡いだ。
「知っていますよ、紫雲 統夜君。簪の同室の子ですよね」
「あ、はい」
「この子が全部教えてくれましたよ。まずは、最大限の謝辞を」
そう言うと女性は一歩下がって深々と頭を下げた。若草色の畳に額がつきそうな程深く土下座をした楓を見て、慌てて統夜が立ち上がる。
「な、何してるんですか!?」
「お礼を。この子と刀奈……楯無の仲を取り持ってくれて、ありがとうございます」
楓の隣に座っている簪も、母親のいきなりの行動に度肝を抜かれているようだった。目をパチクリと瞬かせて、母親を見つめている。簪と同じく統夜も驚きながら、しどろもどろに言葉を返す。
「そ、そんな事、俺がいなくてもどうにかなりましたよ」
「いえ、貴方でなければ出来ませんでした。仮定の話ではなく、現実として簪と楯無は貴方に支えられた。どうも、ありがとうございます」
「……俺に感謝するなら、顔を上げてください」
その言葉に従って、楓が顔を上げる。楓が自分を見ているのを確認すると、統夜は額を机にぶつける勢いで頭を下げた。今度は楓が慌てる番だった。
「ど、どうかしましたか?」
「礼を言うのは、俺の方なんです。俺は楯無さんと簪に、数え切れない程支えてもらった」
「統夜……」
「俺がここにいられるのも、IS学園で過ごせるのも、全部楯無さんと簪のお陰なんです。礼を言うのなら、俺の方ですよ」
「……顔を上げてください。お客様に頭を下げさせたとあっては、更識の名に傷が付きます」
楓の奨めに従って、統夜が顔を上げる。顔を上げた統夜の目に飛び込んで来たのは、先程と変わらない笑顔を浮かべている楓だった。大きく息を吸って落ち着いた楓が、真っ直ぐに統夜を見る。
「少しだけ分かりました、貴方の人となりが。やはり聞くだけではなく、実際にお話する方が良いですね」
「あの、その聞いた相手ってのは」
「勿論、この子です」
「簪は俺の事、何て言ってたんですか?」
統夜のその一言で、簪が慌て始める。静かに話を聞いていた簪が途端に狼狽し始めて、母親にすがりついた。そんな娘を横目で見ながら、楓は返答する。
「それはそれはもうベタ褒めで、欠点などない誠実な──」
「お、お母さん!!」
「あら、何か間違えた事を言ったかしら。私はただ、簪ちゃんから聞いた事をそのまま彼に伝えているだけよ?」
「ま、間違ってないけど……」
「ふふふ、後は若い二人に任せるわね」
楓が立ち上がって部屋から出ていこうとする。しかし立ち上がったその瞬間、楓は簪の耳に口を近づけて囁いた。
「簪ちゃん、頑張ってね」
「~っ!は、早く行って!」
突如立ち上がった簪に背中を押されて、楓が部屋から出ていく。そのまま母親を押しやった簪は襖を開けて楓を部屋から追い出すと、ぴしゃりと勢いよく襖を閉めた。
「はーっ、はーっ」
「だ、大丈夫か簪?」
「う、うん。大丈夫……」
元の場所へと座って統夜と相対する簪。しかし、会話が再開されようとしたその時、再び襖が開かれた。
「紫雲君、気兼ねしなくていいわよ。ここを自分の家だと思って過ごして頂戴」
「早く行って!」
簪の金切り声が和室に轟く。娘に罵声を浴びせられた楓は悪びれる様子も見せずに、少しだけ開いた襖から覗かせていた顔を引っ込めた。しかし、三度襖が開かれる。
「お待たせ~」
Tシャツとホットパンツというラフな格好で、楯無が部屋へと入ってくる。簪の隣に腰を落ち着けた楯無は息を切らして荒い呼吸を繰り返す簪と、困惑している統夜を交互に見つめた。
「どうしたの?何かあったの?」
「ええっと……」
「……ああ、お母さんね。まあ、あの人は放っておいて、本題に入りましょうか」
楯無は何処からともなく方眼紙を取り出すと、目一杯机の上に広げる。紙の上に書かれているのは色鮮やかな文字の数々と、数々の時刻だった。簪と統夜が揃って方眼紙を見つめる中、楯無だけが自慢げに腕を組んで鼻を鳴らす。
「ふふん、どうかしら?」
「お姉ちゃん、これ何?」
「これはね、統夜君のスケジュールよ」
「俺のスケジュール?」
思いもよらない言葉を、統夜がオウム返しに繰り返す。確かに、よくよく見れば時刻の横に予定と思しき文字が並んでいた。思わずその文字の羅列を声に出して読む。
「“ISについての講義”“格闘術の特訓”“簪ちゃんとお昼寝”“私と組手”“簪ちゃんとお昼寝”“宿題を片付ける”……」
「ね?いい考えでしょう?さあ、早速今日のメニューを──」
「帰らせてもらいます」
楯無の言葉をぶった切って、統夜がやおら立ち上がる。ボストンバッグを持ち上げて帰る意思を見せる統夜にすがりながら、何とか引きとめようとする楯無。
「な、何でよ!?私が一生懸命考えた予定表に、何か不満があるの!?」
「巫山戯ないでくださいよ。半分近く遊んでるじゃないですか」
「そ、それはトレーニングばっかりじゃ、統夜君が滅入っちゃうかな~と思って……」
「……一つだけ質問です。それをすれば、俺は強くなれますか?」
「も、勿論よ!嘘だったら針千本飲んでみせるわ!」
統夜はズボンを掴んでいる楯無から視線を外して、先程から座ったままの簪を見つめる。数分前から全く口を開いていない簪だったが、その表情で今の感情を精一杯表していた。しばし簪と視線を交差させて、重苦しいため息を一つ吐く。
「……分かりましたよ。やります」
「や、やってくれるのね!?」
「簪のヒーローになる以上、もう負けられませんからね。強くなれるんだったら、言うことなしですよ」
「と、統夜……」
伏し目がちになりながら赤面する簪を、統夜と楯無が揃って見つめる。場を仕切り直す為に楯無がごほん、と咳払いをした。慌てて統夜と簪が居住まいを正す。
「あー、ご馳走様。取り敢えず二人とも、いいかしら?」
「あ、はい」
「さて、ここからは真面目な話よ。二人とも、よく聞いてね」
「「……」」
いつになく真剣な声色の楯無に釣られて、二人がごくりと唾を飲む。簪の隣に座った楯無は重苦しい口調で話し始めた。
「この特訓の目的は、純粋な戦力強化よ。今回、臨海学校で襲ってきた敵は何とか退けたけど、これからも同じ事が出来るとは限らないわ」
「それは俺も思いました。あの無人機、確実に強くなってます」
「うん……後からデータを見直したら、明らかに機体性能が違ってた」
臨海学校の時に襲ってきた敵を退けられたのは、幸運と偶然の積み重ねに過ぎない。たまたま統夜がラインバレルと共に覚醒を成し、たまたま一夏の白式が進化を遂げ、たまたま紅椿の
「その通り。敵は確実に強くなってる、それに対抗するにはこちらも戦力を充実させるしかないわ。幸い、私達には統夜君とラインバレルという
「それじゃあ、一夏達にも?」
「ええ。夏休みが明けたら、私が稽古を付けるわ」
「でもお姉ちゃん、統夜はもう十分強いと思うけど……」
「いえ、私に言わせたらまだまだよ。それは統夜君自身が分かっているはず」
「分かってます。俺はまだまだ弱い」
「いい返事ね。それじゃあまずは──」
不意に立ち上がった楯無が、統夜を見下ろす。先程とは打って変わって、痛い程の威圧感を放ちながら、楯無は猛禽類にも似た獰猛な視線で真正面から見つめた。
「私と戦いなさい、統夜君」