IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ 作:Granteed
午後八時。カルヴィナ家の食卓では、四人の人間が膨れた腹をさすっていた。カルヴィナと簪、統夜とアル=ヴァンが対面にテーブルについている。統夜は目の前の皿をテーブルの上に静かに置いた。
「はぁ、食った食った」
「お粗末さま。統夜、久しぶりの私の料理はどうだった?」
トレーニングでクタクタになった体に、久しぶりの姉の手料理は体の芯まで染みた。明らかに一人前以上の量を胃に収めた統夜が、コップの水を飲み干して感想を述べる。
「うん、美味かったよ」
「あら、嬉しい事を言ってくれるのね」
「で、でも……私も美味しいと思いました」
統夜の横に座っている簪が、その言葉に同意の意を示す。二人の言葉を受けながら、カルヴィナはテーブルの上の食器を片付けていく。その横では、アル=ヴァンも無言のまま首を縦に降っていた。
「うむ、やはり手料理と言うのはいいものだ。特に、自分以外の人間が作るものはな」
「……もしかして姉さん。あっちで料理、してなかったの?」
「正解だ、統夜。食事は主に外食ですますか、私が作っていた」
「ちょっと、アル」
皿をキッチンに運んでいたカルヴィナがきつい口調で声を上げる。統夜は深々とため息をつきながら目の前の男性に頭を下げた。
「すいません、アル=ヴァンさん。姉さんの世話を任せちゃって……」
「構わない。そもそも、私が彼女を選んだのだからな」
「統夜、余計な事を言うんじゃないの。いいのよ、私は私のままで」
「だって姉さん、勿体無いだろ。こんなに美味い料理作れるのに、面倒くさがって作らないなんて」
統夜と簪もアル=ヴァンに習って、机の上の食器をまとめる。食器類がカチャカチャ鳴る音をBGMにして、リビングの会話は続いていた。
「ほら、もういいからあんたは簪と一緒に自分の部屋に行ってなさい。二人きりで話したい事もあるでしょう?」
「そ、そんなのあるわけないだろ!」
「あら、そうかしら?」
からかっているのか、それとも本気でそう思っているのか。カルヴィナの言葉は判別がつかなかった。姉にからかわれた統夜は椅子を蹴立てて立ち上がると、横にいる簪を手で招く。
「簪、もう行こうか」
「うん」
統夜とは対象的に静かに椅子を引くと、簪は立ち上がって統夜に続く。リビングを抜けて廊下を歩き、再び統夜の部屋の前へと到着した。
「……は?」
「──いたっ」
部屋に入って電気をつけた統夜の体が固まる。統夜の後に続いて部屋に入ろうとした簪は、入口で立ち止まった統夜の背中にぶつかってしまった。
「統夜、どうしたの?」
ぶつけてしまった鼻の頭をさすりながら、簪が目の前で立ち尽くしている統夜に問いかける。しかしながら、統夜から反応が帰ってくることはない。簪は統夜の脇から、部屋の様子を覗き込んだ。
「本……?」
部屋の様子はただ一箇所だけを除いて、つい数時間前と何も変わりはない。唯一の変化は、部屋の中央にある折りたたみ式のテーブルの上に、一冊の分厚い本が置かれている点である。
「ったく、姉さんだな」
「統夜。あれ、何?」
「ああ、そんな大した物じゃない」
先に部屋へと足を踏み入れた統夜が、勉強机の所に置いてあった椅子に腰を落ち着ける。簪はテーブルの傍に腰を下ろした。視線は目の前に置かれている水色の冊子にどうしても引き寄せられてしまう。簪の視線に気づいたのか、統夜は手を振って簪を促した。
「見ていいよ」
「あ、うん」
恐る恐る右手を伸ばして冊子の表紙を掴む。ゆっくりと冊子を開くと、簪の目に飛びこんできたのは、数々の写真だった。
「これ……」
「家族の写真。主に姉さんが管理してるんだ」
開いたページの全てに、所狭しと写真が貼られている。小学生くらいの容姿をした、まだ幼い統夜がカルヴィナと並んで映っている写真もあれば、アル=ヴァンと三人で映っている写真もある。ペラペラとページを捲っていくが、例外なく統夜が映っている。相違点は共に映っている相手がカルヴィナか、アル=ヴァンか、友人と思われる少年少女かの違いだけだった。
「これ、統夜が子供の時の?」
「そうだよ、主に俺の写真ばっかだけど。会話の種があった方がいい、とか姉さんが考えて置いたんだろうな」
「私が見ていいの?」
「別に構わないさ。あの事とは違って、これは秘密って訳でもないし」
簪は写真一枚一枚を吟味する様に見つめる。統夜の思い出が映し出されているそれらを、簪は物珍しそうな眼差しで見つめていた。
「これは?」
簪が写真の一枚を指差して統夜に問いかける。写真をよく見ようと、統夜は椅子から離れてテーブルの傍に膝をついた。
「それは、俺が初めてアル=ヴァンさんと特訓した時の写真だよ。ほらここ、俺が思いっきり吹っ飛ばされてるだろ」
「統夜でも勝てなかったの?」
「今も昔も、アル=ヴァンさんと姉さんには勝てないさ。例えファクターの力を使っても、どれだけ特訓しても、あの二人には一生勝てないだろうな」
「そ、そんなに凄いの?」
「例えるなら……どんなに手を伸ばしても届かない壁って感じかな、あの二人は。強くなったと思って挑んでも、その度に手酷くやられるんだ」
「凄い……」
一言感想を漏らして、簪が再びページを捲る。
「こっちは?」
「姉さんの会社で撮ったやつ。姉さんの所属してる会社の研究チームの皆と撮ったんだ。ほら、ここに姉さんとアル=ヴァンさんがいるだろ。二人とも、同じ部署で働いてたんだ」
「ちっちゃい統夜」
「それほどでもないだろ。この写真撮ったのは小学六年生位なんだから」
「こっち……統夜の友達?」
「ああ、中学の頃の友達だ。そう言えば一鷹とカズマの奴、どうしてるかな……」
いつの間にか簪と統夜の距離は縮まり、額を突き合わせるような格好で写真を覗き込んでいた。気になった写真を簪が指差し、統夜が解説する。そんな会話を続けてから、数十分が経った時、簪はあることに気づいた。
(……あれ?)
ふと湧いた疑問を確認するべく、簪は冊子の一番最初のページに戻って写真を確認していく。一ページ、また一ページと冊子を捲っていく簪の行動を不思議に思ったのか、統夜が横から口を挟んだ。
「簪、どうかしたのか?」
「……」
統夜の問に答えず、簪はページを捲っていく。そして全てのページを捲り終えた時、ようやく簪は動きを止めた。
「……統夜、何で無いの?」
「何がだ?」
「その、統夜が小さい頃の写真」
「さっきも見ただろ?」
「ううん。そうじゃなくって、統夜がもっと、子供の頃の写真」
「っ……」
簪の言わんとする事を理解した統夜の表情が、途端に曇り出す。みるみるうちに表情を変える統夜を見て、触れてはならないものに触れてしまったと悟った簪は慌てて自分の言葉を撤回した。
「ごめんなさい。い、言いたくないのなら……」
「いや、別に言いたくないとかじゃないんだ……ただ、ここには無いってだけで。ちゃんとあるよ、他の場所に」
「そう、なの?」
「ああ……少し遠い所にな。この家にあるのは、リビングにあるあの一枚だけだ」
統夜が重苦しい口調で答えを返したその時、部屋の扉がノックされた。間髪いれずに扉が開いてカルヴィナが顔を出す。
「統夜、もうそろそろ九時になるわ。駅まで簪を送ってあげなさい」
「あ、私は別に……」
「反論は聞かないわよ、簪。こんな夜中に可愛い女の子を一人で出歩かせるなんて、馬鹿な事をするつもりは無いわ。統夜、変態が襲ってきたら腕の一本や二本、折ってあげなさい」
「はいはい。あとこれ、元の場所に戻しておいて」
統夜が立ち上がって写真の詰まった冊子を取り上げると、姉に差し出した。カルヴィナは統夜から冊子を受け取ると、中身を流し読みする。
「俺の部屋に入るのはいいけど、こんなもの置いとかないでくれよ」
「あら、面白い話が出来たでしょう?」
「……ノーコメントで」
「全く、もうちょっと素直になりなさいよ。簪もそう思うでしょう?」
流し見ていた写真集を閉じて、カルヴィナが部屋の中に声を投げかける。唐突に意見を求められた簪は考え込む仕草を見せてから、首を振った。
「でも、統夜は統夜のままで……いいと思います」
「あらら、質問する相手を間違えたかしらね」
「それ、どういう意味だよ?」
「自分で考えなさい。さて、いつまでもぐずぐずしてないで送ってあげなさい」
「話しかけてきたのは誰だよ……簪、準備いいか?」
「うん」
傍らに置いてあった荷物を手に取って簪が立ち上がる。統夜はベッドに投げ捨ててあった上着をTシャツの上から羽織ると、姉を押しのける様にして廊下に出た。後を追って統夜の部屋から出るが、玄関に向かおうとする簪をカルヴィナが引き止める。
「プレゼントよ」
「……?」
手渡されたのは小さい紙切れだった。内側に何か書いてあるらしく、黒い文字が透けて見える。簪は二つ折りの紙片を開こうとするが、カルヴィナが手で押し止めた。
「一人になった時に開けなさい。ちょっとしたサプライズよ」
「は、はい……」
カルヴィナの脇を通って、廊下に出る。廊下に統夜の姿は無く、既に外に出たようだった。自分の靴を履いて玄関口に立つと、簪はくるりと振り向いた。
「あ、あの……今日はありがとうございました」
「気にしないで。噂の可愛いルームメイトと話せて、私も楽しかったから」
「そ、そんな……」
「君は自分に自信を持った方がいい。自分を卑下しすぎると、良い事は無いぞ」
何時の間にかカルヴィナの背後に立っていたアル=ヴァンが、簪に言葉を送る。カルヴィナはアル=ヴァンの存在に驚きもせず、その言葉に同意の意を示した。
「そうそう。もう少し自覚しなさい」
「ど、努力します……それじゃあ、ありがとうございました」
「またね、簪」
カルヴィナとアル=ヴァンの二人に見送られて、簪は一人カルヴィナ家を後にする。廊下に出てみれば、壁に背を預けて待っていた統夜がいた。
「お、お待たせ」
「ごめんな。姉さんの長話に付き合わせて」
「ううん、楽しかった」
「そう言ってもらえると、気が楽だよ」
話しながら、歩を進める。エレベーターで一階に降りてマンションの外に出ると、満天の星空と真円の満月が頭上に広がっていた。
「今日はありがとな、簪。家まで来てくれて」
「私も……楽しかったから」
誰もいない歩道を二人で歩く。既に九時を回っているせいか昼間とは違い、夜の街は喧騒とは無縁だった。月の光と街頭に照らされながら、駅までの道を二人で歩く。
「でもさ、仕事でこっちに来てたんだろ。それなのにわざわざ寄ってくれたんだから、礼の一つも言わせてくれ」
「仕事……?」
「……あれ、確か代表候補生の仕事で近くに来たから、俺の家に来たんだよな?」
二人の間にしばし沈黙が流れる。自身が言った事のはずなのに、統夜の言葉を聞いても簪はきょとんとして統夜の顔を見上げていた。しかし数秒後、何かに気づいた様に慌て出すと、繕うように口を動かす。
「……あ、そ、そう。うん。仕事だった」
「そ、そうだよな。だから、わざわざ家に来てくれてありがとう」
「う、うん」
何故か途切れた会話は、二人が駅に着くまでそのままだった。改札を前にして、簪が統夜に向き直る。
「統夜……送ってくれて、ありがとう」
「ああ。次は、IS学園で」
「うん」
「それじゃあ、またな」
片手を上げた統夜は段々と離れ、夜の闇に紛れて行ってしまった。簪は大きく息を吐くと、改札に入って駅のホームへと向かう。丁度良いタイミングで到着した電車に飛び乗るとすぐさまドアが閉まり、電車は音を立てて動き出した。
(……あ、そうだ)
去る時にカルヴィナに手渡された紙の事を思い出し、ポケットに入れていたそれを引っ張り出す。綺麗に折りたたまれた紙をゆっくりと開くと、そこには数字の羅列と、たった一つの文が刻まれていた。
(“何か聞きたい事があったら電話しなさい”)
恐らくはカルヴィナの個人的な連絡先だろう。11桁の数字と端正な文字が紙に書かれていた。再び紙を折りたたんで丁寧に仕舞うと、何気なく窓ガラスに映っている自分の顔を眺める。
「……」
肩まで伸びている髪を、自分の手で梳く。窓ガラスを見ながら髪の毛を弄る内に、カルヴィナやアル=ヴァンに言われた言葉の数々が頭の中に浮かんできた。髪を梳いていた手を下ろすと、何かを握り締めるように力を込める。
(……頑張ろう)
その決意の矛先は彼女しか知らない。それは小さくとも確かな存在として、簪の心の中に芽吹いた。窓から外を眺めると先程と変わらない満月が、簪を見下ろしていた。