IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第四十三話 ~月夜の晩に~

「んふふ~、いいデータが取れた取れたっ」

 

土の地面に直接座っている女が小さく呟く。暗い空に頼らなくとも、自ら光を放っているディスプレイを眺めながら兎耳のカチューシャをつけた彼女は独り言を続けた。

 

「絢爛舞踏もいい感じに発動したし、何より収穫だったのは白式の進化だよね。まさかここまで早いとは思わなかったなぁ。やっぱり彼が傍にいたから、かな?」

 

目の前のディスプレイに次なるデータが表示された。そこには先程の戦闘の様子が一部始終映っている。それを見ながら鼻歌を歌う彼女は足をぶらぶらと遊ばせる。

 

「~♪」

 

彼女が腰掛けているのは、断崖絶壁の端だった。通常の思考を持った人間であれば十人中十人が、こんな所には座りたくないと答えるだろう。しかし彼女はそんな状況下にも関わらず普段の調子のまま、目の前の映像を食い入る様に見つめ続けた。

 

「……鉄の心臓は動き始めた。その鼓動は白と黒が交じり合う事で始まり、彼が死すまで終わりを迎える事はない」

 

歌う様に言葉を繋ぐ。誰に聴かせるでもなしに紡ぐその歌は、海の波音にかき消されていく。

 

「主とそれに仕える鬼。彼らはどんな軌跡を辿るのか……ねえ、ちーちゃんはどう思う?」

 

「……お前はいつの間に詩人に転職した?」

 

暗闇に投げかけた質問が、質問で返ってくる。暗がりから姿を現したのは、片頬に湿布を張ったスーツ姿の千冬だった。革靴が地面を削る音を響かせながら、千冬は彼女の背後に立つ。

 

「んふふ~、いいでしょ?私は何でも出来るんだ~」

 

「確かにな、束」

 

稀代の天才、篠ノ之 束は足をぶらつかせながら、褒められた子供の様にはしゃぐ。千冬はそんな代わり映えのしない友人を見下ろして、小さくため息をついた。

 

「ねえちーちゃん、結末教えてよ」

 

「福音は無事回収、一夏を含めた代表候補生達も帰還した。ただ、あいつは礼を言う前に何処かに去ってしまったがな」

 

「へぇ、良かったね。ハッピーエンドじゃん」

 

「……今回の事、お前はどこまで知っていた?」

 

「何が~?」

 

あくまで自分からははっきりとした言葉を言わない、そんな友人の事は痛い程理解していた。千冬は大きく息を吸い込んでから、具体的な事案を提示する。

 

「一夏の傷が綺麗さっぱり消えていた。重傷だったはずなのに、だ」

 

「あー、それはちーちゃんも心当たりあるでしょ?それで合ってるよ」

 

「……あの敵はどう見てもISではない。にも関わらず、あれほどの戦闘力を持つ兵器をお前は知っているのか?」

 

「う~ん、難しいねえ。知っていると言えば知っているし、知らないと言えば知らないし……」

 

「……アレは、何だ?」

 

「くふふ、それが一番、聞きたかったんでしょ?」

 

束が質問を質問で返す。千冬は口を真一文字に引き結んで束の回答を待った。数度含み笑いを漏らしてから、束は空に言葉を投げかける。

 

「……ラインバレル」

 

たった一つの単語に、千冬が反応する。束は背後を振り返る事もなく、千冬の今の胸中の思いを言い当てた。

 

「今ちーちゃんが一番知りたいのはそれでしょ?いっくんのことでもなく、正体がわからない敵のことでもなく、たったそれだけの事が知りたい」

 

「知っているのか?」

 

「……待ってあげて。私から言える事は、それだけ」

 

「待つ、だと……?」

 

「うん。あの子が話すまで待ってあげて。大丈夫、あの子は敵じゃないから。それだけは私が保証してあげる」

 

「……ふん。お前がいうのなら、そうなのだろうな」

 

その根拠は目に見える物ではない。はっきりしたものでもない。ただ目の前の相手に対する信頼、たったそれだけの事だった。

 

「あれ~?いやにあっさり信じるねぇ。どうかしたの?」

 

「私はお前を信じている。初めて私がISに乗ることになった、あの日のお前の目を見た瞬間から」

 

「あ、あの時はもう忘れてよ。恥ずかしいよ」

 

「いやいや、あの時は傑作だったぞ。なにせ普段はすましているお前が血相を変えて私の所に飛び込んで来たのだからな」

 

ククク、と意地の悪い笑みを零す千冬に対して束は頬を膨らませる。

 

「ぶ~っ、そんなちーちゃんなんて嫌いっ!」

 

「ははっ、すまんすまん……束、お前は誰の味方だ?」

 

がらりと口調を変えて、千冬が問いかける。月灯りに照らされる彼女の表情を千冬は見る事が出来ない。しかし、その言葉から彼女の心を推し量る事は出来た。

 

「……ねえちーちゃん。今の世界は楽しい?」

 

「ああ、楽し過ぎて涙が出てくる」

 

「私も楽しいよ。いっくんがいて、箒ちゃんがいて、ちーちゃんがいて。今の世界がだーい好き」

 

広げた両手を羽の様に大海原に向けて喜びを表現する友人の言葉は、何処か寂しげだった。光を当てた黒曜石の如く輝く海は、二人の眼下一杯に広がっている。

 

「でも私は未来の、これからの世界が嫌い。だから、あるべき姿に戻したい。ただ、それには準備がいる」

 

「……お前は何を考えている?」

 

「ふふふ、当ててご覧。はい、これ」

 

脈絡も無しに差し出された友人の手に握られているのは、小さな紙切れだった。

 

「確実に私に繋がる連絡先だよ。ただ、数回しか使えないからここぞという時にだけ使ってね」

 

「お前から何かを貰うのは久しぶりだな」

 

「そう?じゃあ今度ちーちゃんの誕生日にでも何か作ってあげるよ!そうだね、自宅警備用の数十メートル位のロボットとか──」

 

「いらん、邪魔だ」

 

束の提案をばっさりと切って千冬は大切そうに紙切れをポケットにしまう。会話の流れが途切れた事で、二人の間に沈黙が流れた。

 

「じゃあ、私はそろそろ行くね」

 

「次に来るときは菓子折りでも持って来い」

 

「そうだね、次に会う時は何か持ってくるよ……ちーちゃん、これだけは覚えておいて」

 

「何だ、さっさと言え」

 

「……やっぱりいいや。気をつけてね」

 

気になる言葉を残して、束がひらひらと手を振る。千冬が瞬きをしたその刹那の瞬間に、彼女は音もなく消えていた。先程まで彼女が座っていた場所に立って暗い海を見つめる。

 

「束……お前は一体、何を見ている?」

 

 

 

 

砂浜に腰を落ち着けて海を眺める彼の頬を、潮の匂いを含んだ風が撫でる。髪の毛がふわりと風に靡き、海特有の匂いが統夜の鼻をくすぐった。

 

「……嬉しかったな」

 

ぽつりと漏らすその言葉は、右手の中にいる存在に向けられた物だった。右手を開くとその中から転がり出てきたのは、月灯りを浴びて鈍く輝くネックレス。それを目の前にかざしながら統夜は呟いた。

 

「一夏にお礼を言われた時……嬉しかったんだ。この力を使って良かった、って心から思える位に」

 

呟きは波の音の中に消えていく。一点の曇りも無くなった胸中の思いを語りながら、統夜はネックレスを首にかけた。

 

「長い付き合いだけどさ、初めて言うよ……ありがとな、ラインバレル」

 

「統夜」

 

その時、背中に声がかかる。思わず統夜が振り向くと、そこには素肌を晒したルームメイトがいた。

 

「か、簪?」

 

「あの……統夜が部屋に戻ってなくて、もう遅いから戻ったほうがいいって言いに来て……」

 

両手を後ろに回して言い訳がましく言葉を並べる彼女の体は、空色の布で覆われていた。青と白のコントラストが目立つビキニは要所だけを覆い隠し、白い肌を惜しげもなく晒している。ただ、下半身は青色の薄い布で作られたパレオで隠されていた。

 

「何で水着なんだ?」

 

「そ、そんなに見ないで……」

 

「ご、ごめん!」

 

思わずまじまじと見てしまっていた統夜だが、簪に言われて慌てて顔を海の方に向ける。砂を踏みしめる音だけが響いた後、背中に新たな感触が加わる。

 

「か、簪?」

 

「こっち向いちゃ……だめ」

 

簪の体温を背中に感じながら、統夜は振り向こうとする首を何とか抑える。まさかこんな所に来るとは思っていなかった統夜は、いきなりの簪の来訪に戸惑いを隠せなかった。

 

「簪、どうしたんだ?」

 

「……お礼が言いたくて」

 

「お礼?」

 

「うん……皆を助けてくれて、ありがとう」

 

「……俺も言いたい事があるんだ」

 

大きく深呼吸をして息を整える。背中の向こう側で簪が体を強ばらせるのを感じ取りながら、統夜は訥訥と口を開いた。

 

「俺さ、IS学園から出ていくのが一番いいって思ってたんだ」

 

「そんな事……」

 

「敵が俺を狙ってくる以上、ここにいたら確実に簪達に迷惑がかかる。少し前まで、本気でそう思ってた」

 

「少し、前まで……?」

 

「でも、あいつらは俺だけじゃなく一夏も狙ってた。だったら俺がいてもいなくても、結局は簪達が危険になる」

 

「……」

 

「ここにいたら皆が危険だとか、俺が化物だからここにいちゃいけないって思ってたのは、俺の本心だけど本当にしたいことじゃなくて……皆を助けたい、そう思って俺はこいつになってたんだって。こいつ自身に言われて気づいたんだ」

 

首の辺りで光るそれは、何時でも統夜の傍に有り続けていた。外れかけた道を正してくれたのも、日々自分を守り続けてくれたのも、戦う力をくれたのも彼だった。

 

「俺は俺の力を……簪を、皆を守る為に使いたいって思ったんだ。それが俺の本当にしたい事で、力を使う理由で……ここにいる意味だから」

 

「統夜……」

 

「でも、もしかしたら……俺は間違っているのかもしれない。ここにいるせいで簪達が今よりもっと危険に──」

 

「そんな事無い!」

 

声を上げる簪を不思議に思って統夜が後ろを振り向くと、右手が簪の両手に包み込まれる。統夜が声を上げる前に、簪は両手で包み込んだ統夜の手を、自分の胸に押し当てた。顔を赤らめる統夜が言葉を紡ごうとする前に、簪が怒涛の勢いでしゃべりだす。

 

「か、簪!?い、一体何を──」

 

「そんな事無い……統夜の目の前で生きている私が、その証明」

 

「簪……」

 

「私は統夜に助けてもらった……IS学園でも、今日も助けてもらった。統夜がいなかったら、私は今ここにはいない。だから、統夜は間違ってなんかない」

 

「簪……」

 

「だから、どこにも行かないで。統夜がいなくなったら……私……」

 

「……あ、あのさ、悪いんだけど……離してくれないか?」

 

「あ……きゃああああっ!!」

 

統夜に言われて初めて気づいた簪は、素早く統夜の手を離し両手で胸の辺りを抑える。若干涙目になりつつある簪を見ていると罪悪感に駆られるが、統夜は全くもって悪く無い。興奮で息が上がっていた簪は、ゆっくりと落ち着いていく。

 

「……ごめん、なさい」

 

「お、俺も悪いからさ。すぐに手を離せばよかったのに」

 

「でも統夜……何で今更海に来たの?」

 

「少し一人になって考えたかった、っていうのが一つ……もう一つは、自分の中でけじめを付けに来たんだ」

 

「けじめ?」

 

「本当はさ……海って嫌いだったんだ。初めてラインバレルになって、初めて戦って……初めて人に怖がられた場所だから……」

 

「あ……」

 

憎しみと恐れの視線は、目を閉じると今も思い出せる。海を見ると半ば条件反射でそれを思い出してしまうのは、致し方ないだろう。しかし、統夜はそんな思いをもう抱きたくなかった。

 

「この力が怖かった。この体が嫌いだった……でも、これからはそんな事言ってられないし、俺自身そんな風には思いたくない。この力があったからこそ皆を助けることが出来たし、この体じゃなければIS学園に来られなかったかもしれない」

 

「統夜……」

 

「だからさ、俺決めたよ」

 

ぱんぱんと尻を叩きながら、背伸びをして立ち上がる。暗い水平線を眺めながら、統夜は決意を新たにするかの様にはっきりとした口調で言い放った。

 

「俺が本当にここにいていいかどうかは分からない。だから俺はここにいて、皆を守りながらその答えを探していきたい……それが、俺がここにいる意味だ」

 

「……うん。それで、いいと思う」

 

統夜のその言葉は、真正面から矛盾していた。自分がIS学園にいて良いか否か、その意味を探す為にIS学園に残って戦い続けると言っているのだから。しかしそれはまごう事無き、統夜が心の底から望んだ初めての願いだった。

 

「あとさ、もう一つ聞いてもらっていいか?」

 

「何……?」

 

「これはまあ、ほかの人に聞いてもらわないと決意が鈍るって言うか、願掛けみたいな物なんだけど……」

 

統夜は言いにくそうに、頭を掻き毟る。しかしいつまでも続く沈黙に居た堪れなくなり、閉ざされていた口を厳かに開いた。

 

「……俺さ、いつか一夏達に俺の事を話すよ」

 

「統夜……」

 

その言葉は簪にとって驚くべき物だった。入学当初の統夜は自分の事を知られる事に対して、過剰なまでの拒否反応を示していたのだから。しかし、悲壮感や虚無感など全く滲ませず、統夜は言葉を続ける。

 

「いつかは分からない。ひょっとしたら学園を卒業するギリギリまで言えないかもしれない。でも、いつまでも友達に嘘を吐き続けるのは、もう嫌なんだ」

 

「……いいの?」

 

「話してどうなるかは分からない。下手したら拒絶されるかもな。でも、俺は俺自身で、いくら言っても変わらないから。これが本当の俺だ、っていつか胸を張って言えるようになりたいんだ」

 

「……きっと、上手くいく」

 

「ありがと。聞いてくれて」

 

大きく背伸びをした後、統夜は簪の隣に座る。月に照らされた砂浜には、二人以外誰もいなかった。

 

「そういえばさ、何で簪はここが分かったんだ?」

 

「え……?」

 

「だって、俺がここにいない可能性もあっただろ?なのに水着まで着て、俺がここにいなかったらどうするつもりだったんだ?」

 

「あ……そ、それは……あの……」

 

詰問を受けて、簪の様子が明らかに変わった。何かを考えるかの様に明後日の方向に視線を這わせ、両手をもぞもぞとこすり合わせる。不審に感じた統夜は無意識の内に、きつい言葉で簪を追い詰めた。

 

「何だよ、やっぱり何かあったのか?」

 

「……変に、思わない?」

 

「聞いてからじゃないと、何とも言えない」

 

「うぅ……」

 

どんどん追い詰められて逃げ場を失った簪は、横目でちらちらと見ながら統夜の顔色を伺っている。しかし、統夜は海の彼方を見やりながら、聞く姿勢を崩さない。

 

「……お、思ったから」

 

「思った?」

 

「統夜だったら……ここにいる、って思ったから……」

 

「……そ、そうか」

 

彼女の勘の良さを褒めるべきか、自分の行動を悟っていることに驚くべきか、統夜には判別つかなかった。そのうち、横目でちらちらとこちらを見てくる簪に気づいて簪の顔を覗き込む。

 

「どうしたんだ?」

 

「……す、少しだけ遊ばない?」

 

「遊ぶ?」

 

短く言い切った簪は急に立ち上がって統夜から離れていく。統夜が止める暇も無いまま簪は海へと入ると、踵を返して振り返った。

 

「……えいっ」

 

「ぶはっ!」

 

簪が手で掬った海水が、統夜の顔を直撃する。慌てて袖で拭いながら統夜は、目の前の少女をまじまじと見つめた。

 

「そ、その……統夜、昨日もあんまり海で遊んでなかったし、だから、その……」

 

「……ははっ」

 

自然に頬が緩んで、笑い声を上げていた。目の前の彼女を嘲笑った訳ではない。只々純粋に嬉しかった。何故かその顔を見て自然に笑顔が出る程目の前の彼女は優しく、暖かく、愛おしく見えた。

 

「そうだな……それもいいな」

 

ひとしきり笑い声を上げたあと、立ち上がって靴を脱いで制服の裾を捲る。数歩踏み出して両足を海水に浸すと、ひんやりとした清涼感が足だけではなく全身を包み込んだ。

 

「そらっ!」

 

「きゃっ!」

 

情け容赦無く、簪の顔めがけて水をかける。飛び散る水滴が月灯りに照らされて、二人の間で踊り始める。夏の海にどこまでも響く笑い声を上げながら、ぱしゃぱしゃと水を打つ音が響く。

 

「お返しっ……!」

 

「うわっぷ!?このっ!!」

 

そこにいるのは鬼でも化物でもない。一喜一憂の度に心を動かし、自分の歩んで来た道を悩み、戦う事を決意した年相応の、一人の少年だった。


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