IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ 作:Granteed
『……成程ね、統夜君は完全に塞ぎ込んじゃったわけか』
「うん……」
歩き疲れた簪は白い泡と青い水が打ち寄せる砂浜で立ち止まる。柔らかなオレンジ色の陽光が顔を照らす中、簪は電話口の向こうにいる姉の言葉にこくりと頷いた。
「どうしよう、お姉ちゃん……私、分からない」
『……』
「私じゃダメなの……私じゃ、統夜を助けてあげられない……」
部屋の中で見た、統夜の諦め切ったあの表情が先程から一向に離れない。まるで自分に絶望しきったような統夜の顔は、簪にとってはそれほどまでに衝撃的な物だった。
「教えて、お姉ちゃん。私、どうすればいいの?」
すがりつくような声音で姉に助けを求める。自分より完璧な姉ならば、自分より立派な姉ならば、統夜を救う答えを持っているはずだと信じて。しかし帰ってきた言葉は酷く辛辣な物だった。
『……ねえ簪ちゃん。私を頼ってくれるのはとっても嬉しいけど、まだ勘違いしてるわよ?』
「勘、違い……?」
『そう。厳しい事を言う様だけれど、私と統夜君は友人に過ぎないの。まだ知り合って数ヶ月もしていないのに彼の悩みは愚か、救う方法なんて分かる訳ないでしょ?』
「……え?」
『私は簪ちゃんの好きなヒーローじゃないの。失敗だってするし、悩みもする。極々普通の学生なのよ』
まあ極々普通とは言わないかもしれないけどね、と付け足して姉は言葉を切った。簪は握り締めた携帯を取り落としそうになりながら、震えた声で言葉を紡ぐ。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
統夜を助けたかった。何度も何度も助けてくれた統夜に恩を返したい、何度も力になってくれた統夜の力になってやりたい。その一心で途切れかけた救いの糸に手を伸ばす。簪は拒絶の意を示した姉に言葉を投げかけ続けた。
「どうやったら、統夜を……助けてあげられるの?」
『そうねぇ……そもそもスタートラインから少し間違ってるわよ?』
「どういう、事……?」
『私が思うに、今の統夜君を助けられる人なんてこの世にいないんじゃないかしら?』
「な、んで……?」
姉のストレートな物言いに簪は動揺を禁じ得なかった。もしも姉の言葉が正しいとするならば、今自分の大切な人を救う方法は存在しない事になってしまう。簪の思いは姉の言葉によって真正面から打ち砕かれてしまった。
『……統夜君が悩んでいるのは自分の体の事よ。私達は普通の人間であり、統夜君は普通の人間じゃない。この違いが分かる?』
その事は嫌と言うほど理解していた。初めて統夜のあの姿を見た時、自分は思わず彼に恐怖心を感じてしまった程だ。今でも怖いか、と聞かれれば正直言って恐ろしいと答えてしまうかもしれない。しかし、紫雲 統夜という人間がその答えを止めていた。今更言われるまでもないという意思と先を聞かせろという要求の、二重の意味を込めて返事を返す。
「そんな事……分かってる」
『確かに違いは分かっているかもしれないけど、それが意味する事は分かってないでしょ?』
「……どういう、事?」
『今の統夜君が悩んでいるのは自分の事について。体の事、ラインバレルの事、自分がIS学園に留まっていいのかと言う事……全ての悩みの大元は統夜君自身についてなの』
「……だから?」
『ここではっきりさせなきゃいけないのは、簪ちゃんが普通の人間だと言うことよ。そう、“統夜君とは違う”と言い換えてもいいわね。とにかく、簪ちゃんと統夜君は違うのよ』
「……だから、それが──」
『じゃあ簪ちゃん、統夜君の気持ちが分かる?』
「え……?」
簪は咄嗟に答える事が出来なかった。姉の質問の意味が分からなかったからではない、当たり前過ぎる質問に虚を疲れた訳でもない。簪は本当に答えを持ち合わせていなかったのだ。沈黙の中、姉が淡々と告げる。
『……つまり、そういう事。簪ちゃんじゃ、統夜君の気持ちは分からない。それなのに助けるなんて事、出来る訳ないのよ。そもそも統夜君が何で悩んでいるのかすら、理解出来ないのだから』
「で、でも…」
何とか反論しようと、在り来たりな言葉を使って会話を繋ごうとする。しかしその目論見は、次の瞬間簪の頭に泡の様に浮き上がってきた記憶によってかき消された。
『簡単に言わないでくれ!』
「っ!!」
統夜の秘密を初めて知った時、自分は少しでも彼の事を知ろうとした。どういう形であれ自分の事を助けてくれた恩人の事を理解したかったから。
『俺がどれだけ……どれだけこの体で悩んだか知りもしないで……そんな簡単に言わないでくれ……』
悲壮感溢れ出るあの言葉は彼の姿とも相まって、今でも鮮明に頭の中に残っている。いつまでも口を開かない簪とは対照的に、姉は幾分もせずに会話を再開する。
『心当たりが、あるの?』
「……うん。最初に統夜のあれを見た時、そう言われたから」
『そう……もう分かったかもしれないけど、簪ちゃんじゃ統夜君の気持ちは絶対に分からない。統夜君はずっと前から自分の事について悩んできた。一朝一夕の問題じゃないし、何より問題が大きすぎる。他の人が入る余地なんて無い位に』
「じゃあ……私はどうしたらいいの?」
統夜を助ける事は出来ない、それは理解出来た。だが簪は諦めたくなかった。統夜が悩んでいるのであれば、少しでも力になってやりたい。彼の置かれている状況は理解出来た、心境も納得出来た。それでも簪は思考を止めない。
『……統夜君の傍に居てあげなさいな』
「統夜の……傍に?」
『そう。助けにはならないかも知れない、意味はないかもしれない。それでも、統夜君の傍にいて支えてあげなさい』
「私が……支えてあげる……」
姉の言葉をオウム返しに繰り返す。頭の中で何度も反芻しながら、その単語の意味を考えた。
(……私も、統夜に支えてもらった)
姉が嫌いだった。そのせいでIS学園に入るのも億劫だった。姉を見返す為に、自分で自分のISを作るためだけに入学したと言っても、過言ではなかった。
(でも……統夜と出会った)
初めて同世代の男子と会話した。切欠こそ本音を交えたものだったが、一ヶ月もしないうちに二人でいる事が当たり前となっていた。
(私を……助けてくれた)
彼が身を挺して助けてくれた。自分の事について言われるのを、彼は嫌がった。それでも質問した。何故なら彼の事を純粋に知りたかったから。
(統夜が……ラインバレルだった)
白鬼の正体は彼だった。驚愕の事実を知ってなお、彼の見方は変わらなかった。その頃には、いつの間にか自分の中で彼の存在が膨れ上がっていた。
(何時も傍に……いてくれた)
姉の事で悩んでいた時、IS製作で手詰まりになっていた時、彼は何時も傍にいて自分を支えてくれていた。思い返せば、彼にはたくさんの物を貰った気がする。
『……決心はついた?』
姉の声で、現実に引き戻される。決意を新たにして夕陽を眺めながら、簪は深呼吸を繰り返した。
「力にならなくてもいい、助けにならなくてもいい。私は……統夜を支えてあげたい」
『……それじゃあ、行ってあげなさい。塞ぎ込んでる統夜君の所に』
「うん」
顔を上げて一歩を踏み出す。通話の切れた携帯電話をポケットに仕舞い込み、半ば駆け足の形で砂浜を歩き出した。
(……あれ?)
砂浜を歩いて数秒もしない内に、ふと視界に入った影に目線を奪われる。見慣れた小さい人影は、一目散にこちらへと駆けてきた。
「やっと見つけたわよ、簪」
「鈴……どうかした?」
その影は自分と同じ制服姿の鈴だった。疲れているのか、少しばかり息が上がっている。膝に手をついて呼吸を整えてから、鈴は口を開いた。
「アンタの事、探してたのよ。少し話したい事があって」
「何……?」
「単刀直入に言うわ。福音、私達で倒しに行かない?」
一瞬、鈴の言葉が理解出来なかった。それは余りにも突飛で、いきなりで、彼女らしかったから。納得はしても、理解が出来なかった。
「……どういう、事?」
「さっきラウラが、福音がこっちに迫ってくるって教えてくれたのよ。ほら、ラウラってドイツの軍人じゃない。その筋から情報が回ってきたみたい」
「……」
「それでさ、いてもたってもいられなくなって専用機持ち達に声をかけてるの。一緒に行かないかって」
答えたかった、一緒に行くと。言いたかった、力になると。しかし、今はもっと大切な事があった。そして、心の中で決めた返事をゆっくりと口にする。
「……ごめんなさい、私は……行けない」
「……」
「今は……もっと大切な事があるから」
鈴は無表情のまま、簪の答えを聞いていた。そのまま数秒程経っただろうか、いきなり鈴が簪との距離を詰める。そしてゆっくりと簪の肩に鈴の右手が乗せられた。思わず体を縮こませる簪に対して、鈴は穏やかに口を開く。
「じゃあ一つ頼みがあるんだけど、いい?」
「な、何……?」
「……皆の事、お願いね」
顔を上げて鈴を見ると、彼女は真っ直ぐに簪の両目を見つめていた。どこまでも本気の言葉に応えるかのように、ゆっくりと頷いてみせる。鈴は簪の肩から手を離すと、夕陽に向かって大きく伸びをした。
「まあ、サクッと行ってサクッと帰ってくるわ。千冬さんのお説教も怖いし」
「鈴……約束して」
「何?」
「絶対に……絶対に無事に帰ってきて」
「勿論よ。帰ってきたら一夏の馬鹿を思いっきりひっぱたいて、起こしてやるんだから」
「……」
「じゃあ、あとお願いね」
「うん、任された」
「……行ってくるわ」
そう言い残すと、鈴はもと来た道へと引き返していく。背中が見えなくなるまでそれを見送っていた簪だったが、自分のやるべきことを思い出す。
(私も……行かなきゃ)
その瞬間、何処かからパチパチと拍手が聞こえてきた。周囲を見渡しても、自分以外の誰もいない。
「いやぁ、聞かせてもらったぜ」
その声と共に、岩場の影から人が飛び出して来た。いきなりの登場に少しばかり警戒するも、簪は謎の人物に問いかける。
「……誰ですか?」
「アタシが誰かなんて関係無いだろ。日本の国家代表候補生、更識 簪ちゃん」
「っ!?」
素性と名前を言い当てられて一歩後ずさる。女性は臆面も無しに簪へとゆっくりと近づいた。
「自分の名前と身分を何で知ってるのかって顔してんな。一つ教えてやるよ。その気になれば調べられない事なんて、この世には無いんだぜ?」
その女性は、場違いな濃紺のサマースーツに身を包んでいた。くっきりした目鼻とふわりとしたロングヘアーが印象的な女性は語りながら砂浜に転がっていた岩に腰を落ち着ける。そして両足を組みながら蠱惑的な物言いで簪へと語りかけ続けた。
「と言ってもまあ、お前の事は普通に調べられたんだけどな。有名人の候補生さん」
「……誰、ですか?」
「ああ、気にすんな。ちょいとお話をしに来ただけだ。まあ、それだけじゃねえんだけどな」
「……」
「ある所に、一匹の鬼がいました」
黙っている簪を他所に、女性は一人で喋り始めた。正直目の前の女性からは危なげな印象しか感じ取れなかったが、蛇に睨まれたカエルの様に何故か足が動かなかった。
「その鬼はあるときはミサイルを撃墜し、あるときは頼まれてもいないのに人助けを行い、そしてあるときは自分の身を挺して人を守りました」
「それって……」
「さて、ここで問題です。一体その鬼は何がしたかったのでしょうか?」
今すぐ逃げ出したかった。女性背を向けて旅館へと駆け出したかった。しかし、自分に向けられる女性の射抜く様な視線が簪の動きを封じていた。
「純粋に人を助ける為?敵を欲しがっただけ?それとも、気まぐれ?鬼の目的は誰にも分かりません」
女性は歌うように口ずさむと、立ち上がって緩やかに簪へと近づいていく。女性の顔に貼り付けられたその純粋な笑顔は、見る者に恐怖しか与えないだろう。
「こ、来ないで……」
「さて、お話はここで終わりだ……出てこいよ。ブリュンヒルデ」
「え……?」
唐突な人名に面食らう簪の真正面で、上空に視線を這わせる女性。すると程なくして、空から一機の打鉄が砂浜に舞い降りた。
「やっと来てくれたな。こっちはいつ来てくれんのかとずっと待ってたんだぜ」
打鉄に乗っているのは、憤怒の形相をした千冬だった。千冬が乗っている打鉄はハリネズミの様に武装していた。右肩にミサイルランチャーを、左肩にはガトリングを、右手にはIS用ブレードを、左手にはIS用のアサルトライフルを構え、それらが発する殺意の矛先は全て女性に向けられている。
「一つだけ、質問に答えろ」
「おう、何だい?」
「貴様は……人間か?」
凍りつく空気の中で、簪がゆっくりと女性から離れていく。女性はかぶりを振りながら、億劫そうに質問に答えた。
「決まってんだろ、アタシは人間だ。あの白鬼のファクターなんかとは違う、正真正銘の人間だよ」
「少しばかり聞きたい事があるのでな。同行してもらうぞ」
「……おっと、見てみろよブリュンヒルデ。アンタ達が大好きな生徒達の出陣だぜ」
その言葉に釣られて、千冬と簪の視線が空へと向けられる。そこには飛行機雲の尾を引きながら空を飛ぶ、幾つもの影が浮かんでいた。
「今、福音が沖合からこっちに向かっているからな。大方それの迎撃に行ったんだろ。アンタの指示かい?」
「……いいや、違う。それにそんな指示も出すつもりも毛頭無い」
「じゃああいつら、自分の判断で行ったってことか。いいねぇ、若いってのは。行動力に溢れてて、考えた事に正直で……自分のミスを後から後悔する事になるとも知らずに」
途端、女性の雰囲気ががらりと変わる。体全体から野獣の様な空気を飛ばしつつ、素手で千冬と相対した。千冬は相手が生身にも関わらず、全ての銃口を下ろそうとはしない。
「帰って来る場所がズタボロに引き裂かれてたら、あいつらはどんな顔をするんだろうな?」
「ああ、帰ってきたら少しばかり説教でも食らわしてやる。だが、貴様がそんな妄想をする必要は無い」
「はぁ?」
「私の前に立ったからには無傷で帰れると思っているのか?」
「……流石はブリュンヒルデ、言う事が一々大きい。でも、この数相手なら少しは苦戦するんじゃないか?」
女性が空に右手を上げて、指を弾き鳴らす。すると千冬の顔つきが少しばかり変化すると共に、穏やかだった海に漣が生まれた。
「この反応は……」
「さて、機兵隊のお出ましだ」
漣が生まれた海面がどんどん盛り上がっていく。そして次の瞬間、幾つもの機動兵器が水柱と共に海中から舞い上がった。全部で四つの機動兵器群は飛び上がったあと地上へと降下して、女性の後ろに静かに控える。
「さあ、まとめて相手してくれよ。
「ふん、いいだろう」
女性の背後にいる迅雷達が一斉に抜刀する。腰に下げていた直刀を抜き放ち、今にも千冬に襲いかかりそうな挙動を見せた。そして戦闘が始まると思われたその瞬間、今まで黙っていた簪が動く。
「……私も、戦います」
「更識、お前は旅館に戻って生徒達の警護を頼む。あの馬鹿どもがいない以上、旅館に残っている戦力は数機の打鉄しかない」
「……すみません、織斑先生。それは聞けません」
右手を目の前に掲げながら、簪は静かに答える。その指に輝くのは水晶の指輪、それは彼と自分の努力の結晶。
「二人でやった方が早いですし……あれが皆に手を出すなら、私は戦います」
口調とは裏腹に、簪の胸中は緊張と恐怖で満たされていた。誰だって、命を賭けた死闘をするとなれば怯え、逃げ出したくもなるだろう。しかし、彼女には逃げてはならない理由があった。
(統夜を……守る)
簪を支配していたのは、その思いだけだった。何度も自分を助けてくれた統夜を、今度は自分が守る。千冬はいつもの無表情でいくらか考えた後、目の前の敵に視線を戻した。
「……すぐに片付けるぞ」
「はい!」
「……まあいいか。獲物が一つ増えただけだ」
そう言って、女性は懐から白い球体を取り出した。中心に小さな黒い円がついているそれは、一見して戦闘に使う物だとは考えられない。しかし女性はそれを、自分の胸に思い切り押し当てた。
「行くぜぇ!!」
叫び声と共に、白い球体から機械的な触手が数本伸びて、女性の体を覆っていく。そして触手が発光を始めると、女性の体が宙に浮いた。
「うおおおおっ!!」
女性の体が金属に覆われていく。触手はエネルギーパイプとなり、各所の装甲が生成され、繋ぎ合わさる事でひとつの鎧となっていく。端正な顔立ちは生成された仮面で隠され、一秒にも満たない刹那の瞬間に目の前の女性は戦う存在へと変貌していた。
『さあ、やろうか!!』
二人の目の前でイダテンが両手で長槍を構える。一つしかない瞳は獲物を前にして、獰猛に光り輝いていた。