IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ 作:Granteed
「統夜……行こ」
「もうちょっと待ってて。今弁当入れるから」
学年別トーナメントから一夜明けた翌日、統夜と簪は平和な部屋に戻ってきた。結局昨夜は夜遅くまで二人揃って楯無にからかわれ続け、精魂尽き果てた状態で部屋へと帰ってきた。言葉も交わすのも億劫だった二人はベッドにダイブして、朝までぐっすりと眠っていたのである。
「お待たせ。さあ、行こうか」
「うん」
二人揃って廊下に出る。結局学年別トーナメントはアクシデントのせいで、中止を余儀なくされた。但し、データ取りの為に一回戦だけはやるとの事だが。
「でもお披露目したかったよな、簪のIS」
「別に、構わない……これから機会は、たくさんある」
「かんちゃ~ん。と~や~ん」
寮から出たちょうどその時、背中側から声がかけられる。揃って振り向くと、転びそうな足取りでこちらに駆けてくる本音がいた。そのまま二人の隣に並ぶと、歩調を合わせて歩く。
「本音、おはよう」
「おはよ~。二人とも、昨日は大丈夫だった?結構危なかったけど~」
「……大丈夫だよ。俺も簪も、傷一つないから」
「良かった~。おりむーも大丈夫だったし、誰も怪我しないで終わって良かったよ~」
「ボーデヴィッヒさんも大丈夫だったの?」
「うん~。損傷は結構激しかったけどコアは無事だったみたいだし、本人は今日も学校に来るって昨日おりむーとしゃるるんが言ってた~」
「良かった。一夏の奴、大丈夫だったんだ」
「私もびっくりしたよ。だって生身でISに向かっていくんだもん」
話している間に一組の教室に到着する三人。簪と別れた二人が教室に入ると、机の上で頬杖をついている一夏を発見した。自分の席に鞄を置く前に、一夏の方へと歩み寄る。
「よっ、一夏」
「おお、統夜。昨日は大丈夫だったか?」
「それは俺のセリフだ。お前こそ大丈夫か?見ててヒヤヒヤしてたぞ」
「悪い悪い、どうしてもやらなきゃならねえ事があってな」
「でも、無事で何よりだ」
「まあ、俺だけの力じゃないんだけどな。あのラインバレルにも助けてもらったし」
その単語を聞いて、統夜の体がビクリと震えた。思わずネックレスに手をやる。無関心を装ってネックレスを手で弄びながら、口を開いた。
「ラインバレル?何だよそれ」
「ああ。あの六年前の事件あっただろ。その時の白鬼ってやつ、そいつの名前だよ」
「この間、クラス代表戦の時にも現れた奴か。あいつ、ラインバレルって言うのか?」
「そいつが自分で言ったんだ。俺と箒を助けてくれて、今度は皆を助けてくれた。いくら礼を言っても足りねえよ」
一夏の言葉で統夜の胸に熱い物がこみ上げてくる。仮面をつけた姿のことでも、友人から言われる感謝の言葉は胸に染み込んでいく。自分の名前を聞きつけたのか、どこからともなく箒も二人に近づいてきた。
「どうした?私の名前を呼んだ様だが」
「ああ。今統夜とラインバレルについて話しててな」
「あの白鬼か」
「そうだ。箒はどう思う?ラインバレルについて」
一夏からの疑問を振られて考え込む仕草を見せる箒。数度口を開きかけるが考えがまとまっていないのか、言葉が出てくる事は無い。だがとうとう答えが決まったのか、ゆっくりと自分の考えを述べた。
「私は……あいつの考えている事が理解出来ない」
(ッ!?)
「何だよそれ。お前もラインバレルに助けてもらったろ?」
「ああ、その点では感謝している。だが私にはどうしても奴の考えが分からない。どうしてあんなに強い力を持っているのに、それを隠しているのだ?」
「隠す?何のことだよ」
「奴は六年前から動いていた。にも関わらず、先日のクラス代表戦まで全く音沙汰が無い状態だったのだ。あんな力を持っているのだったら、もっと表舞台に出てきてもおかしくはないのではないか?」
「事情とかあったんじゃないのか?ほら、簡単には力を使えないとか」
「……確かに、色々な理由があるのかもしれない。だが奴が何を考えているのか分からない以上、警戒は必要だと私は思う。いつあの力が、私達に向けられるとも限らない」
その時教室のドアが開き、千冬と真耶が揃って入ってきた。箒は踵を返して自分の席に戻っていくが、統夜はさっきの体勢のまま固まっていた。
「統夜、どうかしたか?」
「……ああ、何でもない」
「何でもないって顔じゃないぞ?気分が悪いんだったら医務室にでも──」
「本当に大丈夫だから。気にしないでくれ」
一夏の言葉を振り切って自分の席へと戻る統夜。鞄を机に上に置き、教室の前へと目を向ける。だがその目は前に向けられていても、統夜が見ていたのは別の事だった。
(俺が……分からない……?)
先程箒に言われた言葉が頭をよぎる。統夜がラインバレルだと知らない以上、あれは彼女の本心なのだろう。気づいてしまったその事実が、統夜の心を更に掻き立てる。
(ただ……皆を助けようと……)
自分が行ってきたこと。それが正しくない事だったのだろうか?今すぐ秘密を打ち明け、彼らの目の前でラインバレルになってしまったらどうなるか。そんな子供みたいな考えが心に浮かぶが、統夜はそれをすぐさま叩き潰した。二、三度深呼吸を繰り返して頭を冷やす。
(……そうだ、何も皆が受け入れてくれる訳じゃない。それに悪いのは、隠してる俺なんだ)
思い直して前を見る統夜。いつの間にか真耶は教卓の所で生徒に向かって声を張り上げていた。
「え、ええと……今日はまた転校生を紹介します……」
真耶の言葉に触発されて騒ぎ出す生徒たち。統夜と一夏はもう慣れたもので、達観した表情を浮かべながら耳を塞いでいた。千冬の無言の圧力で周囲が静まり返った後、真耶は再び口を開く。
「ええと……そのですね、その転校生と言うのが──」
真耶の言葉が終わらないうちに、教室のドアがガラリと開けられた。そこから入ってきた生徒は迷い無く歩を進め、教卓の隣に立つ。女子用の制服にみを包んだ転校生は、はきはきとした言葉で躊躇い無く自己紹介した。
「シャルロット・デュノアです。よろしくお願いします」
「え?じゃあシャルル君は男の子じゃなくて、女の子だったってこと?」
「おかしいと思った!美少年じゃなくて美少女だったのね!!」
「って織斑君、まさか同室だったんだし知らなかったって事は……」
「ちょっと待って!確か先月あたりから男子が大浴場使い始めてたよね!?」
シャルル改め、シャルロットはニコニコと人あたりの良い笑顔を浮かべている。最初こそ静かだった教室だが、再びざわざわと騒がしさを取り戻していった。教卓では“ああ、また部屋割りが……”と嘆いている真耶の姿が見えるが、千冬はおろか誰も相手にしない。
(シャルルの奴、凄いな……)
統夜は自分の秘密をあっさりと明かすその勇気に感動していた。だがそんな感動も束の間、いきなり教室の前方のドアが音を立てて吹き飛ぶ。思わず両手で顔を守る統夜。指の隙間から見えたのは、紫色のISを装備して憤怒の表情を浮かべているツインテールの少女だった。
「一夏ぁ!説明しなさぁーい!!」
「り、鈴!?待て、話せば分かる!!」
「問答無用!!」
肩の衝撃砲が音を立ててチャージされていく。呆気に取られていた統夜だが、事の重大さに気づいて慌てて席を立とうとした。しかし、再び教室のドアから入ってくる人影を捉えて、浮きかけた腰が止まる。
「ボーデヴィッヒさん!?」
統夜は思わずその少女を声に出して呼んでいた。ラウラは滑らかな動きで一夏と鈴の間に割って入るとISを展開、右手を突き出してAICを起動させて一夏を衝撃砲の危険から守っていた。思わず胸を撫で下ろす統夜。助けられた側の一夏も少し戸惑っているのか、辿たどしい言葉でラウラに礼を言っている。しかし次の行動で、クラス全員の息を呑む声が教室に響いた。
「お、お前……何で……」
一夏の唇は、ラウラの唇で塞がれていた。そのままたっぷり五秒ほど口づけを交わすと教室中に響きわたる声でラウラが宣言する。
「日本では、気に入った相手の事を“嫁にする”と言うのが一般的な習わしだと聞いた。よってお前はこれから私の嫁だ!」
唖然として固まる一夏だったが、鈴から放たれる殺気で身の危険を感じたのか、慌てて教室から出て逃げようとする。しかし青い一筋の光が、一夏の進路を阻んだ。
「一夏さん、いったいどこに行かれるのですか?」
統夜が目を向けて見れば、撃ったのはスナイパーライフルとISの腕部分だけを展開したセシリアがいた。目には澱んだ光が宿り、どう見ても正気ではない。命の危険を感じ取った一夏は身を翻して、窓から逃走しようと足を動かした。しかし窓から飛び降りる直前、今度は目の前に真剣が突き立てられる。
「……一夏、詳しい話を聞かせてもらうぞ」
「ちょ、ちょっと待て箒!誤解だ!!」
「誤解も六回もあるか!!」
真剣を振りかざして一夏を追いかける箒。その後ろでは鈴とセシリアもセットになって追いかけていた。一夏は教室を見渡して統夜の顔を見つけると、慌てて統夜の背後に隠れる。
「おい一夏!何やってんだよ!!」
「統夜も説明してくれ!俺は無実だ!!」
「冗談じゃない!!誰が好き好んで処刑されなきゃならないんだ!!お前が──」
「紫雲……」
「は、はいっ!?」
統夜の前には悪鬼が四人、並んでいた。何故かシャルロットもISを展開して箒達の横に並んでいる。彼女達からは暗い何かが吹き出ており、身の危険を感じた統夜は思わず一夏を差し出した。
「止めてくれ統夜!友達だろ!?」
「逝ってこい一夏。骨は拾ってやる」
「字が違う!!」
「一夏ぁ!!」
「うわわわわ!?」
箒のひと振りが顔を掠めた後、一夏は猛スピードで教室から出ていった。四人もそれを追って教室から廊下に出ていく。しかし統夜が胸をなでおろした所で、再び勢い良く教室の扉が開いた。
「か、簪?」
入ってきたのはつい先ほど別れたばかりの簪だった。ツカツカと鋭い足音を鳴らしながら統夜に近づくと、前置きも無しに統夜の腕を掴む。
「……」
「ちょ、ちょっと!?」
問答無用で統夜の腕を引っ張って廊下まで出ると、やっと簪は手を離した。若干掴まれた腕に痛みを感じながら、統夜が問いかける。
「ど、どうしたんだ?今は授業の時間じゃ──」
「統夜……一緒に入ったの?」
「はあ?」
ハイライトの消えた目で簪が言葉を漏らす。その顔を見て、統夜はぞくりと悪寒を感じた。
「答えて……統夜は──」
ごくりと唾を飲み込む音が、体の中で嫌に大きく響く。これから一体何を言われるのか、統夜の頭はその言葉で一杯だった。そして再び、簪の口が開かれる。
「そ、その……デュノアさんと、お風呂入ったの?」
「……え?」
「こ、答えて……」
唐突に簪が普段の調子に戻り、顔を赤く染めながら統夜を見上げてきた。一瞬だけ質問の意味を考えて、正しく質問の意図を理解した統夜は簪と同じく顔を染めてぶんぶんと顔の前で手を振る。
「い、いやいや!そんな事してないって!!
「本当……?」
「ほ、本当だって!」
統夜の言葉は真実である。男装した女子と混浴するなど、とてもじゃないが自分の精神が持たない。その為男子の入浴時間のうち、統夜と一夏が入る時間、シャルロットが入る時間と、三人で時間を区分けしていたのだ。幸か不幸か、統夜はラッキースケベなど持ち合わせていないのでこの一ヶ月間、浴場でシャルロットと鉢合わせした事は一回も無かった。
「でも何で……デュノアさんの事、隠してたの?」
「それは……ごめん。シャルロットから頼まれたんだよ。誰にも言わないでくれって」
「……分かった。疑って……ごめんなさい」
「いいよ。悪いのは言わなかった俺なんだからさ」
「おい紫雲」
名前を呼ばれて振り返ってみると、教室のドアから千冬が顔を覗かせていた。
「話が終わったのならさっさと教室に入れ。HRを始めるぞ」
「あ、はい」
言われて教室に戻ろうとする統夜の袖を簪が掴んで引き止めた。
「そ、その……今日、昼休みに……お昼ご飯……」
「ああ、分かった」
「そ、それで、二人き──」
「のほほんさんも誘っておくからさ、また三人で食べようか」
統夜が言うなり、簪は意気消沈していた。今すぐ座り込んで呪詛を吐きそうな顔をして、統夜を睨んでいる。
「ど、どうしたんだ?」
「もう、いい……」
短く言葉を発すると簪は踵を返して走り去ろうとしたが、何かに引き止められた様に立ち止まった。おずおずと統夜の顔を見るが、統夜には何が何だか分からない。
「何かあるのか?」
「統夜の……ばか」
簪はぽつりと呟くと一目散に走り去ってしまった。完全な善意で言っている分、統夜には先ほどの簪の言葉の意味が全く分からなかった。
「何なんだ……?」
六月のとある朝。この日は少しばかりの勇気を振り絞った少女の願いが、あっさりと打ち砕かれる日だった。