IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~ 作:Granteed
五月の下旬、統夜がIS学園に入学してから約二ヶ月が経過した。こんな日でも簪はISの作製する手を休めない。統夜も手伝うと言った手前、何もせずに簪が頑張っているのを見るだけというのも気分が悪いので積極的に手伝っていた。今日も整備室で骨組みだけの状態である専用ISを前に、簪がキーボードを叩いている。その隣で椅子に座りながら、統夜は既に完成した武装の図面を見ていた。
「簪さん。ここなんだけど、近接武器は普通に作ればいいとして、流石に荷電粒子砲とミサイル兵器は何かのデータを元に作らなきゃダメなんじゃない?」
「うん……だから、それは後回し。取り敢えず機体と近接用の武装が……最優先」
統夜へ返事をしている間も簪の指はその動きを止めない。まるで脳と指が独立して動いているかのようだ。実際には脳で考えて指を動かしているのだからそんな事はありえないが、そんな事を連想させる程、今の簪は凄い。
「まあ、しょうがないか。分かった」
そして統夜が再び図面を見る。そのまま十分程無言を貫いていたが、疲れが溜まった統夜は席を立って背を伸ばすと、ポキポキと背骨が鳴った。時計を見れば既に午後七時を回っている。
「簪さん。今日はここまでにして、食堂に行かない?」
「うん……行く」
統夜の提案に従って簪も手を休めて首を回す。統夜は目の前に散りばめられた図面の数々をファイルにしまい始め、簪もデータを保存する作業に入った。しかし始めてから一分もしないうちに、統夜はふと視線を感じる。
(……ん?)
きょろきょろと周りを見回すが、勿論整備室内には自分と簪しかいない。
「紫雲くん?」
統夜の行動に疑問を持ったのか、簪が手を止めて統夜を見る。統夜は簪に構わず整備室内に目を走らせると、一つの扉の前で視線が止まった。
「……」
統夜は図面をてきぱきとしまって、足音も立てずに歩き出す。簪はいつまでも統夜を見ている訳には行かないと考えたのか、視線を外して自分の作業に戻った。統夜は音もなく扉の前に立つ。自動で扉が開くと、その先には一人の女性がいた。
「どなたですか?」
「……何でバレちゃったかなぁ?おねーさん、そんなに分かりやすかった?」
はにかみながら統夜を上目遣いで見つめてくる目の前の女性。制服のリボンの色からして一個上の生徒だろう。簪と同じ水色でミディアムに伸ばした髪の毛を、背中側に垂らしている。いたずらっ子の様な表情を浮かべながら、女子生徒はどこからか扇子を取り出すと目の前で広げた。その扇子には“天晴!”と書かれている。
「あの、俺に何か用でも?」
「まあ、興味はあるわね。この学園でたった二人の男性操縦者、紫雲 統夜君?」
「失礼ですが、名前を教えてもらえませんか?俺、あなたの事知らないので」
「しょうがないわね、教えてあげましょう!私の名前は──」
「紫雲君、終わったから早く……」
生徒が大仰に扇子を振りかざし自分の名を名乗るタイミングで、統夜の後ろから簪が顔を出した。ファイルを両手で抱え込み統夜を急かそうとするが、女子生徒を見て簪の表情が固まった。
「あなた……」
「簪さん、どうしたの?知り合い?」
「こ、こんにちは、簪ちゃん。ISの方はどう?上手くいって──」
女子がそこまで発言した時、簪が動いた。無言のまま統夜の手を引っつかむと、いつもの彼女からは考えられないようなスピードで廊下を走っていく。突然の事に訳も分からず、統夜はただ引きずられて行くばかりだった。体重差など感じさせない勢いでそのまま整備室を出て、アリーナを出、寮の玄関口に到着した時やっと統夜は簪に声をかける。
「簪さん、簪さん!」
「っ!……ごめん、なさい」
「いや、別にいいけど……」
何処か気まずい空気を漂わせながら二人は食堂に直行し、そのまま夕食を取る。そして部屋に戻った後、空気を打破するため統夜から口を開いた。
「さっきの人って、誰?」
「……」
取り繕ってもしょうがないと考え、統夜はストレートに疑問を口にする。簪はずっと口を閉ざしていたが、やがてぽつりぽつりと口を開き始めた。
「……更識 楯無」
「“更識”?それってもしかして……」
「うん。私の……姉」
「あの人が……」
統夜は脳裏に先程出会った人物を思い浮かべる。一度であったら忘れることが無いであろう、特徴的な雰囲気。人を虜にしてしまう瞳に心を掻き立てる笑顔。簪はそれっきり黙り込んでしまった。統夜も話したくないのだろうと心中を察してベッドに横になる。
(今度話してみたいな、あの人と……)
考え事をしながら毛布にくるまっていると、すぐさま眠気に襲われた。こうして今日も統夜の日常は終わりを告げる。
6月に入ると、ISの授業は本格的に始まる。今まで座学中心だった物が、実際にISを使っての実践的な授業に切り替わるのだ。やっとISを操縦できる、そんな気持ちからか朝の教室はとてもざわついていた。統夜は自分の席に座りながら、机に腰掛けている一夏と会話を交わしている。
「なあ統夜、楽しみじゃねえか?今日のIS実習!」
「俺も入学試験の時に動かした時以来だもんな。その点お前はいいよな、自分の機体があるから」
「統夜も貰えるんじゃねえのか?」
「貴重なISのコアを、一度に二つも学園に回せる訳無いだろ。まあ、それはそれで構わないんだけどな。いろいろ身体検査されるのは御免だ」
「みなさーん、席についてくださーい!」
真耶が教室に入ってくると、生徒が指示に従って席についていく。日頃からいろいろと舐められているが、それと同時に親しまれているのも確かだ。その後ろから千冬も入ってきて、扉の所で腕を組みながら生徒達を注視している。
「え、えーと、今日はこのクラスに転校生がやってきます!」
「「「え……」」」
「しかも二人です!!」
「「「えええええ!!」」」
示し合わせた様に真耶と生徒の声が大きくなっていく。千冬は扉から顔だけ外に出している。恐らく廊下にいる二人の転校生に「入れ」とでも言っているのだろう。
「失礼します」
「……」
千冬の隣を通って二人の生徒が教室内に入ってきた。その片方の姿を見て、統夜は思わず声を漏らしてしまう。
「嘘だろ……」
前の席にいる一夏の背中は微動だにしていなかった、恐らく統夜と同じ事を考えているのだろう。何故なら二人のうち、一人は統夜達と同じ男子用の制服を着ていたのである。
「シャルル・デュノアです。フランスの代表候補生で、こちらに転校してきました。どうぞよろしくお願いします」
綺麗な金髪を後ろで一つにまとめている転入生からは、温和な雰囲気がにじみ出ていた。自己紹介を終えた所で教室を見渡すシャルルだが、無反応なクラスメイトに疑問を感じて小首を傾げる。
「?」
((ヤバイッ!!))
だがその沈黙に一夏と統夜は覚えがあった。二人は一瞬で視線を交わすと互いに頷きあって己の考えが正しい事を悟る。そして二人揃って耳を塞ぎながら机に突っ伏した瞬間、懐かしくもはた迷惑な爆音が教室に響き渡った。
「「「きゃああああ!!」」」
「うわっ!?」
((うるせええええっ!!))
「男子!三人目の男子!!」
「織斑君とか紫雲君とは違う守ってあげたくなる系!いいわ!!」
「このクラスに黒髪、赤髪、金髪と揃ったね!!」
統夜達と同じ現象が再び起こった。クラスの女子達は耐性でもあるのだろうか、誰ひとりとして耳を塞ぐ事も無く騒ぎ立てている。
「静かにしろ!」
パンパンと両手を打ち鳴らす千冬に従って、段々と喧騒が静まっていく教室。次に生徒達の視線が向けられたのはシャルルの隣にいる銀髪の少女だった。
(……?)
だがいくら待っても少女は微動だにせず、ただクラスメイトの顔を舐めるように見渡すだけだった。動こうとしない少女を見ていた千冬はため息混じりに、催促する。
「……ラウラ、挨拶をしろ」
「はい、教官」
不動だった少女は千冬の言葉に敏感に反応した。直立した状態のまま両手を後ろに回し、仏頂面のまま口を開く。
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
「「「……」」」
「あ、あの~、それだけですか?」
「そうだ」
あっさりと返されて涙目気味になっている真耶を放置したまま再び教室内に目を走らせるラウラ。だが数秒後、一点で視線を止めたかと思うと、いきなりツカツカと音を立てながらとある机に近づいていく。
「な、何だ?何か用か?」
「……織斑 一夏だな」
「え?あ、ああ。そうだけど──」
(何だ!?)
一夏が言い終わらない内に、ラウラの張り手が一夏の右頬に炸裂した。ラウラは眼帯に覆われていない瞳で一夏を見つめている。端正な顔を怒りで歪め、体全身から憎悪が吹き出していた。一夏は何が何だか分からない、と言った表情でぽかんとラウラを見上げている。
「貴様の……貴様のせいで……」
「な、何しやがる!」
抗議の声を上げる一夏だがラウラはどこ吹く風、と言った具合で腕を組みながら無言で一夏を見下ろすばかり。一触即発の空気が漂う教室内に響き渡ったのは、千冬が手を打ち鳴らす音だった。
「貴様ら、次はISの模擬戦闘の為速やかに校庭に集合する様に!遅れた者は校庭を十週程走らせるぞ。それでは解散!」
席を立つ音で騒がしくなった教室を静かに真耶と千冬が出ていこうとする。揃って教室から出ていこうとする千冬と真耶だが、急に千冬が立ち止まって統夜と一夏に言い残す。
「紫雲、織斑。お前ら、デュノアの面倒を見てやれ。同じ男子だからな」
「あ、はい。分かりました」
一夏が返事を返すと、すぐにシャルルの席に近づいていった。統夜も自分の荷物をまとめてから、一夏達に近寄っていく。
「君が紫雲君?初めまして」
「ああ、よろしく」
「統夜、急がないと」
「分かってる」
目で会話を交わす統夜と一夏。戸惑っているデュノアを一夏が先導して、三人揃って教室の外に出た。
「統夜、急がないとまた捕まるぞ」
「ああ。今日はデュノアさんもいるからいつもより多いぞ」
「ね、ねえ二人とも。何言ってるの?」
「それは──」
一夏が説明を始めようとした所でゆっくりと、しかし確実に地鳴りが始まった。しかも地面が揺れるだけではなく、どこからともなく雪崩の様な音も聞こえてくる。
「な、なにこれ!?」
「統夜、来たぞ」
「ああ。一夏はデュノアさんを頼む」
「分かった」
一夏が短く返事をすると共に、シャルルの隣に立つ。統夜は廊下の先にある階段を見つめたまま確認の言葉を発した。
「一夏、準備は?」
「OKだ。何時でも行けるぜ」
「そうか。それじゃ──」
「「「……斑く~ん!!」」」
「「「……雲く~ん!!」」」
地鳴りの音に混じって、人の声が聞こえてきた。既に地面だけではなく、一夏達の周囲の壁すら振動を繰り返している。そして統夜の見つめていた階段から、数十人という人間が駆け下りてきた。
「走れえええっ!!」
「織斑君発見!情報にあった転校生くんも一緒よ!!」
「私達は紫雲君を狙うわ!先回りして!!」
廊下を全力でダッシュする三人の後ろには、数十人という女子生徒が押し寄せている。しかも後ろだけではなく、前の教室からもわらわらと女子生徒が溢れて来るので統夜達は何度も進路変更を余儀なくされた。
「な、何で皆集まっているの!?」
「そりゃ、この学園の中には男子は俺たちしかいないからな!!」
「……?」
「だから、珍しいってことだよ!!」
「あ、そ、そうか。そうだよね」
話している間にも、何度廊下を曲がったか分からない。このままでは遅刻してしまうと判断した統夜は、一夏の方を振り向いた。
「一夏!こうなったらいつもの通り、二手に分かれるぞ!お前はデュノアさんを頼む!」
「分かった!統夜も無事でいろよ!!」
「ああ!」
「え、ちょっと!?」
次の曲がり角で統夜と一夏達はそれぞれ反対側に走る。いつもは二人だけで抜け出せるのだが今日は転校生の存在もあってか、たやすく抜け出せるような包囲網ではなかった。
(マズイ、このままじゃ……)
遅刻する、そんな単語が頭をよぎりかけたとき、統夜の目の前の分かれ道からそろりそろりと一本の腕が伸びてきて、統夜を手招きした。
(何だあれ?)
「……大丈夫、私は味方よ。早くこっちに」
しかも廊下の向こう側から声まで聞こえてくる。統夜は後ろを振り向き、大勢の群衆を見やった後、急いで右に曲がる。周囲に視線を走らせると、ひとつの半開きになっている扉があった。
「こっちよ」
再び先程と同じ声がドアの向こう側から聞こえてきた。とにかく彼女らの追跡を振り切らないことには始まらない。そう考えた統夜は躊躇いもせずに扉を開けて部屋に飛び込んだ。
「こんにちは、紫雲 統夜君」
声の主を見ようと、顔を上げる。その視線の先にいたのは、水色の髪を綺麗に伸ばし重厚な机に両肘を突きながら笑みを浮かべている、一人の少女だった。