欲しいものがあった。
それは子供のころから夢見ていたキラキラとした夢の世界ではなくて。
他のだれもがそれを幸福と知らずに持っているものだった。
――何気ない日常。
でも、それは久遠は失ってしまったから。
再び手に入れるために、差し伸べられた手を取って、プロデュエリストの門を叩いた。
勧められるがままに入ったアカデミア。知る由もないが、彼のためを思って与えられた場所だった。
しかし、それは安住の地にはならなかった。
入学当初から、理不尽に虐げられるアカデミアの階級構造に、幼いが故に社会の悪意に翻弄されてしまった自分を重ね、アカデミアの歪んだ構造の頂点たる播磨校長と敵対することを選んだ。
平穏無事に居たいという願いと相反する行動をとって尚、友人と思ってくれる者たちが理不尽に虐げられることが許せず。結果的に久遠はアカデミアを離れることになった。
――そうと知っても、止まることはできなかった。
播磨の背後には、さらなる大きな敵がいた。
日本に並ぶデュエルモンスターズの総本山たるUSアカデミアの校長、マッケンジー。
それに憑依したるデュエルモンスターズの精霊との決着をつけた。
デュエルの強さがすべてを決める世の中において、『異端』の久遠は負けなかった。
たとえ、それが精霊という理外の存在でも。
それでも、思うようには生きていくことができなかった。
――だからこそ、力が必要だった。
時間はかかった。
それでも、播磨との因縁を解消し、久遠はアカデミアに帰ってきた。
そうして、抱えた因縁には、すべてケリをつけた。
――ようやく、この地に戻ることができた。
周りには、学友たちがいた。
仲が良くることができた者たちがいれば、逆にどうしようもない程に敵対してしまった者もいる。
それらをすべてひっくるめて戻りたい場所だったのだ。
それなのに――
「(超絶帰りたい…………)」
今の久遠は、一瞬でも早くこの場、デュエルアカデミア中等部から去ることしか考えられなかった。
戻りたかった場所から一刻も早く離れたいという矛盾。しかも今回はそれを阻むものなど何もない。
それでも久遠が去りたいと思うのには、訳がある。
話は、ほんの少しだけ前に遡る。
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静けさが漂うデュエルアカデミア。
その中心にありながら、人通りが少ない廊下に、鷹城久遠はいた。
目の前には、学内で一番重厚な扉が在る。
そして、扉の上には『校長室』と書かれたプレートがその存在感をあらわにしている。
「(あの時以来……だな)」
あの時。一度目の制裁決闘を終えて、しばし間をおいた深夜に呼び出された場所がここであった。
それが、アカデミアに久遠が立ち入った最後から2回目の日。
それからここに戻るまで約3年弱がかかった。
再び立ち入ったアカデミアで一番最初に立ち寄ることとなるのがここというのは、何の因縁なのだろうか。
そう思うも一方で、別の疑問が首をもたげる。
「(というか、誰に会えってんだろうか)」
言うまでもなく、ここの部屋の主は校長である播磨『だった』。しかしその主も今となってはもうアカデミアには居ない。追い出したのが自分なのだから、それは疑いようがない。
そうなると、久遠としてはいよいよこの場所に対してこなくてはならない理由がない。
「(一応、警戒だけはしておかんと)」
そう、因縁は此処にこそあったのだから。警戒しておくことにこしたことはない。
一段、頭の中のギアを上げる。
それに付随して生じた緊張感と集中を、体に、脳になじませていく。
それは此処数年で、幾度となく行ってきた彼にとっての当たり前。
扉を叩く。
さて、鬼が出るか、蛇が出るか。
「入ってください」
静かに扉をあけ、警戒しながらそれを潜ると。
「久しぶりですね、
蛇はいなかった、鬼も出ることはなかった。
今となっては主を失った校長室の机に備え付けられた椅子の上。
そこには、何故かこちらを知る坊主頭の男がいた。
その周りには2人の男。うちの一人には見覚えがあった。受ける必要のない入学試試験の時に対戦相手だった男だ。デュエルディスクに表示された名前を思い起こす。確か、クロノスだったか。
しかし、その他2人についてはどこかで見た覚えこそあったものの、すぐには出てこない
その考えが表情に出ていたのか、坊主頭の男が怪訝な表情を浮かべる。
「…………まさかとは思いますが、忘れたわけではないですよね?」
「……失礼、どちらさまでしたでしょうか」
失礼だとは思うものの、記憶にないのだから仕方がない。
誤魔化すことも考えたが、こういうときには素直に言ったほうがいい
「まあ、それも仕方はないでしょう。君と会ったのは5年も前、しかも大変僅かな時間でしたからね」
「……」
5年前、プロデビューした位の時期。しかも彼は
「(プロ関係か? でもあの時期結構な試合数をこなしてたから……覚えがないな)」
「それでも、プロデビューがかかった試合での対戦相手くらいは覚えていてほしかったですね」
「何言ってるんですか、デビュー試合の対戦相手は覚えてますよ。って……」
おや? といった表情を浮かべる相手。
逆に、何かがかみ合っていないような気がする久遠。
しかし一方で可能性こそ低すぎるが、この話の流れ上思い当たる節が一つだけある。
「まさかとは思いますが……」
「はい」
「貴方、マスター鮫島ですか?」
「そうですよ? 改めて、久しぶりですね」
「アンタこの5年でいったい何があったんだよ!!?」
相手が目上の人間であることも忘れて叫んでしまう。
マスター鮫島。名前は覚えている。と言うより、数多く戦ったプロデュエリスト達の中でも記憶に残っている一人である。当然といえば当然のことで、プロ試験を受ける際に戦った相手その人である。
その後しばらくしてから、サイバー流の振興に努めるため第一線を退くとして引退したとは聞いていたが、国内のプロとしてはいわゆる下位リーグである種族リーグ中心で活動していた久遠と、トーナメントクラスの鮫島とは終ぞ戦うことはなかった。
久遠が気付かなかったのには理由がある。
「もっと髪あったじゃないですか!?」
「いや、プロとしての緊張感が途切れたのと同時に色々張り詰めた物が切れたのか、体調を崩した時期があってね、そのさいにこう、つるっと」
「つるっとじゃねぇよ!?」
「とぅるんと」
「言い方の問題でもねぇ!!」
「はっはっは」
「何で笑ってられるんすか!!」
最近こんな大人ばかり回りにいるのは気のせいか。
那賀嶋といい、鮫島といい、変なところで振り回されている気がする。
一通り突っ込んだところで脱線しきった話を戻そうと試みる。
「それで、あなたがこちらに座っているということは、播磨前校長の後任はあなたになるということですか?」
「いえ、私は既にあなたがこれから通うことになる高等部の校長職を務めていますのであくまで此処の校長職は臨時ということになります。」
「成程、だから高等部教諭のクロノス先生がいらっしゃるわけだと」
「入学試験でいきなり乗り込んできて一戦交えたと聞きましたが」
温和な表情で聞いてくる鮫島に、ギクッとした表情を浮かべるクロノス。
というか、ギクリンチョとか声に出ている。
そのわかりやすい構図に、何となくこの人物の性格がわかったような気がする久遠。
中等部に多くいた権威主義の上昇志向、ただし、播磨ほど主義に徹底できない。
悪く言えば悪党としては小物。よくいえば根本的な部分でいい人。
そして、高等部校長、教員が此処にいることで久遠が呼び出された理由も見えてきた。
「まあ、成り行きというか、行き違いですが。で、こうして高等部の先生方がいるということは、これからの話ということでいいんでしょうか?」
「ええ、話が早くて助かります」
「中等部ではその立ち回りを間違えて大事になっていますから」
そう、色々間違えた挙句の果てに、今、こうしていた久遠がいる。
「その話は私の耳にも入っています」
「結果的にそれによってあなたがここに座っていることにもなっていますから、少なからずは情報が行っているとは思いましたが」
「ええ、オーナーやペガサス会長といった方や、中等部の教員など様々な方から」
「そうですか。では、単刀直入に聞かせてください」
「なんですか?」
だから、問う。
「俺は、何をすればいいんですか?」
再び手にした場所を、手放さないための方法を。
「別に、何も」
「は?」
しかし、帰ってきた答えは予想してたものとはまるで異なるもの。
「何も……ですか?」
「ええ、何も。あなたは、一度この件に関しては失敗していますね」
「……ええ」
「ならば、私から言うことは特にありません。あなたは既に一度間違いを犯し、それに対しての罰も十分に受けています。そうであるならば、どうすればいいかなど、自分で考えることができることでしょう」
「…………」
「幸か不幸か、あなたは既に普通の学生ではありません。今の貴方の言葉からすると、後者なのかもしれませんが。デュエルモンスターズという競技において、久遠帝という選手が残してきた功績を鑑みるに、階級主義を是とするデュエルアカデミアにおいても、あなたを特別と見なさざるを得なくなります。既に、今は廃寮となっている旧特待寮の再建築含めていくつかの案件で動いている内容があります」
「…………」
「それでも、その中で何をするべきか、何をしてはいけないかを自分で考えなさい。
「……」
鮫島の言葉を、言葉一つ返さずに聞く久遠。
その中には、播磨のときにあったような利己的な感情は一切見えない。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。ただし、頭の中では様々な感情が渦巻いていた。
いままで、久遠が辿ってきた道は、成程普通の人とはまったく異なるものである。幼いころから今に至るまで、それに振り回されてきて、間違った選択肢を沢山辿って来た。
その選択肢には多くの罰があり、それを受け入れながら今まで来た。
間違いを許容されたことなんてなかったから。だからこそ、それを当たり前のようにして伝える鮫島の言葉に久遠の感情は揺れる。
「……ご高配、ありがとうございます。未熟な身ではありますが、ご指導のほど、お願いいたします」
こうべを垂れて、それだけを言うのが、精一杯だった。
そんな、当たり前を求めてきたのに、そんな当たり前を提示されて戸惑う自分に、混乱してしまっていた。
「さて、話もまとまったところで、君のこれからのことについて、説明を受けてもらいます。既に内部性は別の説明会で実施した内容ですし、今更君に外部性と一緒に受けてくださいというのも違うでしょう」
「わかりました」
「事前資料は読みましたね?」
「はい。基本的なことは中等部と変わりがない事は読みました」
「そうですね、授業は学年一括、月一の定例試験があること、その成績に応じて寮のランクが変化することがあるという基本事項は同じです」
「はい」
「寮制度については中等部と同じく、3つの寮になります。こちらについては、中等部の寮制度とは若干異なります。まずは、中等部X組、Y組男子生徒と女子生徒全員が所属することになるオベリスク・ブルー、制服色は青です。ただし、特待生に関しては白基調の青制服となります。特待生の基準は中等部よりも厳しく、在学生では丸藤君のみ、新入生でも神倉さんだけになります」
「彼らはここ数年でトップクラスに出来がいい学生なノーネ」
「神倉が……」
「君は彼女の友人でしたね。まあ、その話は後にしましょう。続いて、Z組生徒と外部入学生の上位層がラーイエロー所属になります。こちらは制服色は黄色です。そして、最後に外部入学生の中位層以下がオシリス・レッド所属です。こちらが制服色は赤です」
「この間の忌々しいドロップアウトボーイはこの寮になることが確定しているノーネ」
「忌々しい……ああ、十代か」
「彼とも知り合いなノーネ?」
「ええ、古い友人です。というか、あいつレッドなんですか? 中等部の3年と比べても、さすがに特待クラスとは行かなくてもY組上位に負けないレベルだと思うんですが」
「…………そこは、止むにやまれぬ理由がありまして」
そこで、嫌な予感が再び頭をよぎる
「まさか、播磨元校長の差し金とか、そういうわけではないでしょうね?」
「いやいや、彼の件については全くそう言ったことはありません」
「学業成績の方が合格者の中でも特に低かったノーネ。筆記試験100位以上で入学できたのなんて2人しかいないノーネ。あの二人に関してはドロップアウトしていくことが見え見えなノーネ」
「…………あー、成程」
心当たりがありすぎる。
「まあ、彼についてはそういうことですが、中等部卒業者の成績については、播磨前校長の意思がないとは言えないと思います。ただ、高等部としては今になってそれを差し戻すわけにもいかず、中等部に差し戻したところで、教師の大勢が播磨前校長の派閥にいた関係上、結果が変わるとは思えません」
「…………」
「結局、高等部で高等部なりの判断を下さざるを得ません」
「……そうですか」
腑に落ちない部分は多々あるものの、それに関して目の前の人たちを攻めるわけにもいかない。
「話を戻しましょう。鷹城君はその功績からオベリスクブルー生となります。ただ、ここでも一つ問題があります。これは、確認していなかった高等部側にも問題があるのですが……」
「?」
顔を落とす鮫島校長を見つめる久遠。
またも怪しい空気になってきた。最早あの男のことだから何をされてもあまり驚かないが。
「中等部からは君の成績に関しては学内の成績しか送られてこなかったのです。つまりは、入学後1月程度の成績しかないわけです」
「…………俺、あいつに対してそこまでされる覚えはないんですがね」
「さすがに此処まであからさまだと高等部側としては見落とすことはありません。ただちにUSアカデミアの成績や対外戦の成績を加味させました。そもそも君はプロとして活動しているわけですしね。その点から考えてもブルー入りを反対できる者はいないでしょう」
「そうであれば問題はないのでは?」
「問題はシニョールにあるのではなく、昇格の当落線上にいた生徒の方にあるノーネ」
「ああ、成程」
その一言で、久遠は即座に納得する。
言わずもがな、寮の定員問題である。
寮には定員があり、そのキャパを超えて生徒を入れるわけにもいかない。部屋の数には限りがある。当然のことだ。
久遠が当初の予定になかったブルー入りを果たすことで、そのギリギリのラインにいた生徒がはじき出されることになる。
既にその生徒に対して決定事項を伝えているアカデミアとしては、その決定を覆そうというのは体面上色々とまずい部分もあるのだろう。
だからこそ、久遠を呼んだのだろう。
「本社に報告したところ、オーナーも配慮されたらしく、現在廃止となっている特待生寮の復活を決定されました」
「ああ、それでさっきの特待寮の建築につながるわけですね」
「ええ、ただし、着手するのが入学後、完成は冬休み頃になるかもしれません」
「…………ちょっと待ってください。では、俺はそれまでどこに住めと?」
「残念ながら、空きがあるのはレッド寮のみとなります」
ああ、この話の本題はそこか、と久遠は合点がいく。此処まで話されてようやく話がつながった。
最終的に特待寮に移るとはいえ、仮の宿がどうなるかという話である。
「いちばん平和的には、俺が暫定でもレッド寮に行くのがいいんでしょうかね。最短では月一試験までと言うことになるでしょうか」
「おや?」
「ギョギョ?」
とてつもなく意外そうな顔をされた。
「……一応聞いときたいんですが、その顔は何ですか?」
「いや、昔の君を知る身としては、今の解答は意外だなと」
「『慕谷くらい軽くブチのめしてブルーから追い出す』くらい言うかもしれないと思ってたノーネ」
「私はそれをどうなだめようかというストレスで……」
「禿げたとかいう自虐は必要としてませんからね。念のためですが」
「…………と、とにかく、我々の懸念も大分解決したところです」
というか、当落線上の生徒は慕谷だったのか。
なら追い出しても問題なかったかと、割と容赦ないことを考える久遠
今更覆すつもりもないが。
「そういうことなら、当面の問題は解決です。後は高等部に入るまで特に何かをしなくてはならないということはありません。鷹城君は今日から復帰しますか?」
「そうですね。と言ってももうカリキュラムはないでしょう?」
「いえいえ、大事なカリキュラムが一つ残っているのですよ」
「はぁ……」
「私も、そろそろそちらに行かなくてはなりません。どうせだから久遠くんもそちらに行ってください」
「はぁ……」
入学試験が終わり、新入生向けの説明会なども全て終わっているこの状況で何をしようと言うのか。
「一応聞きますが、最後のカリキュラムって何ですか?」
嫌な予感がしたので聞いてみる
鮫島は満面の笑顔を浮かべながら
「卒業式です」
「帰ります」
即答である。
逆に、不思議そうな顔をする鮫島。
「何故ですか?」
「3年丸々いなかった学校に今日戻って卒業式出ろって何の拷問ですか。そもそも思い出なんてほとんど残ってねぇよ!!」
「そうはさせません、君は今現在を以て本学生に戻りました。卒業式への参加は義務です」
指を鳴らす鮫島。と同時に天上から人影が3人程。
KCの黒服である。見知った顔も居た。
身構える間もなく、担ぎあげられてしまう。
「お前ら、何の真似だ、オイっ!!」
「黒服のみなさん、連れてっちゃってください」
「校長、一体何の冗談ですか」
「あ、生徒の入場は完了していますので、鷹城君は父兄席に入れておいてくださいね」
「尚のこと俺が参加しなくちゃならない理由はないじゃねぇかよっ!!! そもそも入れておいてくれって何だ!!」
「私の頭のことをいじったのです、それくらい当然でしょう」
「そもそもそれはテメェ自身が言い始めたことじゃねぇかよ!!!」
「それでは、行ってください」
「話聞けやっ!! 待て、河豚田、並野、伊志田! お前らも従ってんじゃねぇ、並野に至ってはニヤついてんじゃねぇっ!!」
有無を言われず連れ去られる久遠。
笑いながらそれを見送るクロノスと鮫島。
その傍らで、このやり取りの中で一言も放つことなく目を閉じて佇んでいた男か、一瞬こちらを見て、その目に何かが光ったような気がしたが、連れ去られる久遠には、それを気にするだけの余裕はなかった。
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「(超絶帰りたい…………)」
既に先程から何度となく繰り返した独り言。
アカデミア中等部の父兄席、回りは自分の親世代の人たちが瞳に涙を浮かべながら会場を凝視している中、その息子世代の自分が、所在狭げに座っているのである。居心地悪いにもほどがある。
周囲には父兄ばかり、卒業生の兄弟が来たりはしないのだろうか。今日卒業する妹を溺愛して止まないシスコンをこじらせた先輩を一名知っているが、その姿は会場のどこを探しても見つからない。
来ていそうなものだったが。カメラとかビデオとか完全配備で。
そもそもを言えば、怪しげな黒服3人組に担ぎあげられるという、どこかのローカルタレントのような扱いをされながら、どう考えても注目されるような移動の仕方をしているのである。肩身が狭いことこの上ない。
「(まあ、大人しくしてるしかないんだよな)」
余程のことがない限り、こうなってしまっては途中で抜け出すのも最早憚られる。
多く見積もっても2時間程度、それだけの間じっとしていればいいだけの話である。
それに、二年会わなかった同級生の晴れ姿を見ておくのも悪いことではないのだろう。
「なぁ、あれもしかして…………」
そう言うひそひそとした囁きに反応せず、静かに待つ。どうせ反応した方が騒ぎになる。こういうのは昔に比べて多くなったような気がする。
昔は何だかんだで、公の場にでることがさほど多くなかったこともあり、注目されることは多くなかった。今はこうして、何もしていなくても注目されることがある。これもまた、僅か2年で変わったことの一つなのだろう。
ざわざわとした空気がが収まっていく。
式が始まるまで、間もないようだ。
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卒業式そのものは特に大きなトラブルもなく、厳かな雰囲気を保ったまま進んでいた。
とはいえ、小学校の卒業式にもロクに出ていない久遠としては、これが普通かどうかなどわからない。その辺は雰囲気を何となく察しての感想である。
結局、そういう意味では今回の卒業式も『参加者』ではなく、『聴衆』の一人にしかなれなかったのではあるが。
式は進む。鮫島の挨拶、卒業証書授与、卒業生代表挨拶と。
代表挨拶が特待生になると聞いている神倉ではなく、万丈目だったのは驚いた。
まあ、それにも何らかの圧力でも働いたのかと思うと、今更な気もした。
まあ、文字通りこれが最後となるのだろう。
そして、在校生の送辞と卒業生答辞へと式次第は続いて行く。
見たこともない後輩たちの送辞が響き渡る会場、その中で久遠は想いを馳せる。
僅かでしかないが、自分も確かにまた、あの場所にいたのだから。
「希望にあふれた――」『入学式』
「まだ見ぬ学園生活に、不安を覚え、先輩たちの高みを知りました」
「(アカデミア入学自体が、そもそもいきなり決まったんだよな)」
――初っ端から大暴れした挙句、速攻で学園長を敵に回した思い出しかない
「他校と交流を持った――」『交流戦』
「本場の生徒の実力を知る、機会を得ました」
「(仕事で出れなかったんだよな)」
――出てないくせに留学生をこん睡させるとかいう、とんでもないことをやらかしていた人間の感想がそれというのも大概である。
「アカデミアの秩序を守る――」『制裁決闘』
「逆制裁で百黒君が被ダメージの世界記録としてデュエルギネスに載りました」
「(特例で載ったんだったか……可哀そうに)」
――間違っても、載せた人間の感想ではない。
「デュエルの聖地を巡った」『修学旅行』
「埠頭で伝説戦の間根っこをしている僕たちを、神倉さんが仲良く海にたたき込みました」
「(行ってない……っておま、何やってんだ!!)」
――彼女に一体何があったんだろうか。
「みんなで力の限りを尽くした――」『運動会』
「騎馬戦デュエルで神倉さんが敵チームの1/3を蹂躙しました」
「(またお前かよ!!)」
――彼女に本当に一体何があったんだろうか。
「そして、卒業する私たちの最後の姿を見せる」『卒業決闘!』
「まさかの2ターン目終了。泣く在校生代表に、一同唖然としてました」
「(間違いない、お前だな)」
――これだけは誰がやったか、考えるまでもない。通常運転である。
「沢山の想いを胸に、私たちは今日――」『卒業します!!』
「(え……それでいいの!?)」
なぜこれがいい話風に語られているのかが正直よくわからない。
だが、『ううう』と泣いている女子生徒がいるので、これはこれでありなのだろう。
納得が行ってない部分は多分にあるが。
「(でも、次こそは……)」
――次の卒業式には、こうして父兄席なんかで遠目にそれを見続けているだけでなく
――あの輪の中で、泣いたり笑ったりして式を迎えたい
司会が会の終了を告げ、退場していく同級生たちを見送りながら、久遠はそんなことを思った。
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「さて、多少強引に彼を追い出したのは、当然ながら理由があります」
時は少しだけさかのぼる。
久遠が強制退去させられた直後の校長室。鮫島は残る二人の方へと振り返り、問いを投げかける。
「お二人は彼をどう見ましたか?」
「かなり大人びている少年なノーネ。彼の経歴を見ればそうなっているのもあまり不思議なことはないノーネ」
「……クロノス氏は奴を『大人』と評しますか」
「なノーネ」
「私とは完全に違う意見ですな」
「な、何でスート?」
「大人なんてとんでもない、あいつがやっているのは、ただのガキの我が儘ですよ」
「そうですね。私もそう思います」
「校長ーモ!?」
「要は、あいつのやってることは中途半端なんですよ」
「ええ、そうですね」
「シカーシ、彼のプロとしての成績は大したものデーハ? 鮫島校長も、貴方ーモ、久遠帝に負けたことが認められズーに、負け惜しみを言ってるだけではないノーネ?」
「成績だけなら確かにそうですよ。海外進出後の成績だけでも4大大会を3年連続の制覇を始め、前代未聞の成績を残しています。デッキに関してもそう、BF、魔導、甲虫装機、征竜。今のデュエリストじゃ簡単に太刀打ちできない物を、しかも複数持っている。しかも、シンクロ、エクシーズ等最初の大会で披露して以来、全く出す気配がない奥の手を隠し持っていると来ている」
「な、ナラーバ」
「そんな力を持っていて、世界ランク10位って言うのが、奴をガキだと言う何よりの理由ですよ」
「どういうことなの―ネ」
「あいつは確かに強いです。それこそ、世界を取れるほどに。プロ、アマ含めて何千、何万といるデュエルモンスターズの競技人口の中で、プロになれる人間が何人いるかなど、アカデミア実技最高責任者たるクロノス教諭が知らないはずはありますまい?」
「ムムム…………」
「更に世界に手が届きそうというデュエリストがどれだけいるのでしょう。血反吐を吐きながらもそこにたどり着けない物がたくさんいる。そんな中、あいつは、手が届きそうな場所にいながら、それを掴もうとしない。こんなナメた話がありますか?」
「……」
「既に強さでは格下かもしれないが、プロの先輩から言わせてもらうなら、一旦こちらの世界に踏み込んできたのなら、中途半端は許されない。我々が居るのは、そういう世界です。そんな中、今更になって
「そうですね。プロとしての意識を語るなら、私も貴方と同意見です」
「ムム……」
「しかし、私はそれでもいいんじゃないかと思います」
「は?」
「子供でもいいんですよ。実際まだ彼は非常に若い。その中で自分の責務を果たしつつ、やりたいことのためにしなくてはならないことをするというのは十分に立派なことです」
「……まあ、そうかもしれませんが」
「だから、私たち教育者がいるのです。そして、貴方を招いた理由も此処にあります」
「……確か、久遠帝の指導をするようにと言う話でしたね。話を聞いた時には何のことだと思いましたが、実際に対面して見て改めてわかりましたよ」
「ええ、実際問題、私はもうプロを引退して数年が経ちます。現役でプロとして生きている彼の指導にはふさわしくありません。実際にその世界を知る方に、そしてプロとしての彼の姿を知る貴方にこそ、彼を見てもらいたいのです」
「主観は入りますし、やるなら徹底的にやりますよ? 生かすにせよ、殺すにせよ。私は教育なんて殊勝なことに携わったことは今まで無いですし、どちらかと言うとお天道様に唾吐いて生きてきたような人間です」
「ええ、それらを踏まえたうえで貴方に依頼しています」
「校長、狸ですね」
「綺麗ごとだけで終わらないのもまた、大人の世界でしょう」
「そりゃそうだ」
「さて、そろそろ私は校長代理としての責務があります、本格的に働いてもらうのは来学期からとなりますので、よろしくお願いいたします」
「ええ、わかりましたよ、校長」
大人たちの会話は、当事者不在にして繰り広げられる。
それがまた、新たな嵐を迎えることになると、知ることもなく。
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中等部のステージは終わりを迎え、決闘者たちは新たなステージへと進む。
新たな人物を迎え入れ、新たな騒乱が彼らを中心にして吹き荒れることとなる。
さて、ようやく高等部アカデミア編へと移ります。
ちょっと他が忙しくて相当ご無沙汰していました。
……執筆時間が取れないな……。
昔までのペースとはなかなかいかなそうです。