仮面の理   作:アルパカ度数38%

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7章4話

 

 

 

1.

 

 

 

 ティアナ・ランスターはウォルター・カウンタックのファンである。

6年前、殉職した兄の名誉を守るため、ランスターの弾丸に打ち抜けぬ物は無し、と証明するべき立ち上がった頃。

ウォルターの事を凄いとは思っていても、憧れる程では無かったその頃に、ティアナは出会ったのだ。

あの、燃える魂を持つ男と。

次元世界最強の英雄と。

 

 今でもティアナが瞼を閉じると、鮮やかにあの日の彼の相貌が浮かんでくる。

当時、兄を亡くしたばかりで抜け殻のようだったティアナは、魔導師による銀行強盗に巻き込まれた。

未だ魔力を持つだけで魔法を行使する力を持たない彼女は抵抗できず、犯罪者の手に寄り人質になる。

無気力で怯えていたティアナの心に炎が灯ったのは、その時だった。

犯罪魔導師の手にあったデバイスは、兄と同じ拳銃型のデバイスであった。

彼は兄と同じ魔法で、他者を傷つけようとしていたのだ。

許せる物ではなかった。

怒りに我を忘れたティアナが抵抗し、殺傷設定の弾丸を足に撃たれそうになった、その時である。

 

 ヒーローが、現れた。

その手には黄金の巨剣、背にははためく黒い外套、黒曜石の瞳に漆黒の髪。

ウォルター・カウンタックが、ティアナを助けてくれたのだ。

 

 その後の事を、不覚にもティアナはあまり憶えていない。

使い慣れていない魔力を使った上に、緊張のしすぎで頭が真っ白になっていたのが原因だろう。

だが、少なくともウォルターがティアナの事を守ってくれたのは確かで、それを滅茶苦茶格好良いと思ってしまったのも確かだ。

参ってしまった、と言うのが適当な表現だったのだおる。

その日からティアナはウォルターのファンになってしまった。

 

 と言っても、熱狂的ファンという訳では無かったのかもしれない。

生写真ぐらいは財布に入れて持ち歩いていたし、戦闘記録には必ず目を通し、映像記録があれば何度も観てはいた。

しかし、ディープなファンのように彼について語り合ったり変身魔法でコスプレどころか本人になりきってみせたり、それ以上の事などしてはいないのである。

 

 それでもティアナは彼の言葉と信念を頼りに、これまで辛い訓練や戦いを乗り越えてきた。

何より一番辛かったのは、スバルがウォルターと仲違いしていた事と、そのスバル達に密かに才能で劣等感を憶えていた事だろう。

しかしそれも、前者は2人の和解により、後者はなのはとの面談やウォルターによる個人訓練により、解消された。

 

 個人訓練。

そう、個人訓練である。

 

「さて、今日も幻術の時間だな」

「は、はいっ」

 

 今日この日に至って、ティアナはウォルターに師事できるという幸運に至っていた。

と言うか、フォワード陣は偶にだが全員個人レッスンを受けており、一番最初に個人レッスンを受けたのもエリオであってティアナでは無い。

しかし、一番丁寧に教えられているのは、ティアナであった。

 

「スバルとエリオは組み手で、キャロは竜の弱点の座学と仮想敵、対しお前は幻術の実技からだからなぁ」

 

 とはウォルターの言である。

今日もまた、ウォルターはティアナに一対一で己の技術を教え込もうとしてくれていた。

 

「……だから、定数hは乗数倍に増えて、こう……」

 

 言ってウォルターは、ティルヴィングを構えて見せた。

良く観ていれば分かる、透明化や通常の幻術の組み合わせで、その切っ先は数センチほど短くなっている。

 

「なる。まぁ、シグナムレベルの相手だと数合で見切られるが、その数合でも貴重なリソースになるからな。近接戦闘では十分有効な魔法だよ。お前のクロスミラージュのダガーモードでも有効活用できるだろうさ」

 

 告げ、ティアナのデバイスに視線を。

なのはの手によってリミットを解除され、近接戦闘形態を追加されたクロスミラージュに視線をやる。

たまたまその視線の先には、焦点こそ合っていないのだろうが、ティアナの乳房があり。

ふと、見られているだな、と思うと同時、ティアナは思わず頬が赤くなりそうになるのを必死で堪える必要があった。

自分はそんな簡単に頬を赤らめるようなチョロい女ではないし、そもそもウォルターは真面目に魔法を教えてくれているのだから、羞恥を憶えるなど失礼にも程がある。

咄嗟にティアナは、歯を噛みしめ、己をなじり、どうにか平静を取り戻す。

当然見ていたのだろうウォルターは、優しい笑みで気にせずに続け口を開こうとしていた。

その優しさが微妙に痛いのだが、そこはぐっと堪え、飲み込むティアナ。

 

「そういや、射撃と言えば、こいつもあったか」

 

 言って、ウォルターは白色の直射弾を空中に静止させた。

そのまま、ティルヴィングを手に集中、白い三角形の魔方陣が足下に浮かび上がる。

数秒、演算を終えてウォルターが僅かに力むと、直射弾に透明化魔法のオプティック・ハイドが発動。

直射弾を透明化して見せた。

常識を越えた魔法に、思わず息をのむティアナ。

 

「……そ、そんな事もできるんですか!?」

「っつーか、戦闘中にこれを使う敵と戦った事があってな、その真似事の大道芸さ。流石に俺の幻術のレベルじゃあ戦闘中に使えないし、習得にかなりのリソースが必要な上に特化型魔導師になる必要がある。習得はお勧めしないが、まぁこんなもんもあるって事さ」

 

 軽く言うが、真似事でこのレベルにまで達する技を使えるのであれば、天才の名をほしいままにできるだろう。

思ってから、ティアナは目前の存在がその天才そのものなのだと気付く。

これが身近な存在であれば嫉妬していたかもしれないが、流石にティアナがプライドが高い方だとは言え、次元世界最強と張り合うつもりまではない。

むしろ内心呆れさえしながらも、ティアナもまた同じ魔法を試しにやってみようと、悪戦苦闘し始める。

いつの間にか自身の動きから硬さが取れていた事にティアナが気付くのは、もう少し後の事であった。

 

 

 

2.

 

 

 

 さて、となのはは自室の鏡の前で半回転。

自慢のサイドテールが揺れるのを確認し、うん、と一人頷く。

服装こそ地上部隊の茶色い制服ではあるものの、午前中の訓練を終えてから超特急で磨いた肌はきらきらに輝いている。

これでウォルターもイチコロだ、と思ってから、何度もそう思って来たが毎回撃沈されている事に気付き、一瞬凹んだなのは。

それでも落ち込んでばかり居られない、と奮起し、なのはは落ちた肩を張り、自室を後に。

昼時のウォルターが居ると思われる、食堂へと足を伸ばす。

 

 今日は、機動六課が始まってから初めてのフォワード陣の半休である。

早急に戦力補強する必要があったため、かなりの強行軍で強化された新人達は、初めての休みを告げるなのはに歓声を上げていた。

スバルはティアナと一緒に出かける予定だそうで、エリオとキャロなど、初々しい事にデートに出るのだと言う。

それはそれで歓迎するなのはなのだが、一筋縄ではいかない理由が一つあった。

外部協力者であるウォルターも、今日はオフなのである。

 

「私も今日は休めたら良かったのに……はやてちゃんの意地悪……」

 

 ぶつぶつと呟きつつも、何時ウォルターが現れるか知れぬ現状である、なのはは笑顔を崩さずに廊下の床板を靴裏で蹴り出して行く。

当然の如くなのはとフェイトの休日は同じ日付とは行かなかった。

そこには腹黒狸の陰謀があるのではないかと睨んだなのははフェイトと共に手を回し、案の定こっそりと自分だけ休みを合わせようとしていたはやての妨害に成功したのである。

足の引っ張り合い、とも言う。

ともあれ結局仕事になってしまったなのは達がウォルターと共に過ごす術は、一つしかない。

仕事を手伝ってもらうのである。

 

「ちょっと図々しいかな……ううん、かなり図々しいけど……」

 

 でも、となのは呟く。

例えなのはがウォルターに遠慮し、休みを満喫してくれと言っても、フェイトとはやてが諦めるとは限らない。

となれば、折角仕事を手伝って休日を過ごすのであれば、なのはと一緒が一番良いだろう。

多分。

きっと。

恐らく。

 

「うぅ……、どうしよう、急に自信なくなってきたよ」

 

 呟き、思わず頭を抱えてその場で蹲りたくなる衝動を抑え込む。

高町なのはは、とても普通の女の子である。

エースオブエースだとかなんだとか呼ばれるし、なんだか教え子には不思議なぐらい尊敬される事が多く、犯罪者には吃驚するぐらい怖がられているが、それでも自分的には普通の女の子なのである。

対し、フェイトは性格が抜けているが、超絶美人。

はやては性格が悪い所があるが、家庭的で包容力がある。

普通の女の子である自分より、2人のどちらかと居たほうがウォルターも楽しいのではあるまいか。

悩みつつも、足の方は止まる事なく動き続け、気付けばなのはは食堂にたどり着いてしまっていた。

 

「……うん。とりあえず、今日のウォルター君、一目見るだけだから」

 

 今日のなのはは、ウォルターと顔を合わせていない。

昨日は夜中まで他部隊に貸し出されており、なんでもガジェットに乗じて暴れていたニアSランクの魔導師を倒してきたのだと言う。

ウォルターであれば楽勝だったのだろうが、その後の処理で時間を取られたらしく、なのはが起床する少し前に就寝してしまったのだそうだ。

それを伝えてくれたリニスも、すぐに寝て起きたのは先ほどだとか。

 

「リニスさん、応援してくれるのはいいけど、平等主義だもんなぁ……」

 

 リニスはどうやらウォルターが誰かと恋仲になるのを応援しているように見える。

とは言え、特定の誰かを応援する様子はなく、例えば今日のウォルターが食堂に顔を出す時間などを念話で教えてくれたのも、なのは・フェイト・はやての3人共にである。

となれば、今回も恐らく2人と鉢合わせで、恋という名の戦争を勝ち抜かねばウォルターとの時間は作れないのだろう。

不満が無い訳では無いのだが、リニスがフェイトに肩入れする様子は無いだけでも感謝すべきか。

などと思いつつ、なのはは食堂に足を踏み入れる。

 

「あ」

「え」

「お」

 

 と、三者三様に声を漏らした。

食堂の三カ所の入り口それぞれから、なのは、フェイト、はやての3人が同時に足を踏み入れたのである。

顔を見るだけで良いという先ほどの決意は何処へやら。

互いに視線を交わし牽制、その後すぐに食堂を見渡すと、リニスと共に朝食兼昼食を取るウォルターの姿は、すぐに見つかった。

声をかけようにも、3人でのそれぞれの牽制に、上手くタイミングを掴めない。

どうすべきか、となのはが迷ったその時、明るい声が上がった。

 

「あ、ウォル兄、リニスさん、こんにちはっ」

「ちょ、スバル……! あ、ウォルターさん、リニスさん、こんにちはっ」

「ん? 応、2人ともこんちは」

「こんにちは、スバル、ティアナ」

 

 スバルとティアナの2人である。

すわ何事か、と目をこらすなのはを尻目に、ティアナを引っ張ってウォルターの席までたどり着いたスバルが、一言。

 

「ウォル兄、今日私たち午後は半休で、クラナガンに出ようと思ってるんだ」

「お、良かったじゃないか。お前たちも休みなんだな」

 

 言って、食器を置いてにこりと微笑むウォルター。

胸の奥が暖かくなるのを感じつつ、なのはが僅かに頬を緩ませると同時、スバルが恐るべき事を告げた。

 

「で、なのはさんから聞いたけど、ウォル兄も休みなんだよね? 午後、一緒に遊びにいかない?」

 

 がっしゃーん、と雷が落ちる幻聴に、なのはは思わず頬を引きつらせた。

言った。

確かに言ったが、同時にウォルターの休みを邪魔しないように、とも告げた筈である。

それを憶えているのであろう、ティアナは「ちょ、あんた、空気を……!」と口を挟もうとするが、展開的に嬉しい事は嬉しいのだろう、嫌よ嫌よも好きのうち、というレベルでしかない。

 

 ――へぇ。少し、頭冷やそうか?

 

 内心の声と共に、なのははにこりと2人に向けて誠心誠意籠めた微笑みを向けた。

凍り付くティアナは予想の内だが、スバルはちらりと視線を合わせつつも、にへらっと微笑んでウォルターに視線を戻す。

良い度胸だね、と冷たい笑みを浮かべつつ、脳内の恋敵リストにスバルの名を刻むなのは。

それを尻目に、スバルは笑顔でウォルターへと続け問う。

 

「ね、どう? ウォル兄、久しぶりに黒以外の服でも選んであげようか?」

 

 しかも、内容は暗になのは達3人の誰もが成し遂げたことの無い、ウォルターの服を選び着飾ると言うシチュエーションを、経験済みという牽制の一手。

目に荒んだ光が宿るのを自覚するなのはを尻目に、ウォルターが悩み返す。

 

「う~ん、誘い自体はありがたいんだが。すまんな、最近読む予定の論文が山積みになっちまってさ。そろそろ消化しないと不味い感じなんだわ」

「あー、そういやウォル兄は凄い頭良いんだっけ? 大魔導師とか言われてるんだよね」

「頭良いっつーか、魔法式の効率化に必要でな。あと、大魔導師級の処理能力ではあるけど、大魔導師そのものじゃないぞ? 俺は」

「すいません、馬鹿スバルが……。でも、ウォルターさんの魔導知識なら大魔導師に賞されてもおかしくないのでは?」

「ありゃ研究成果に対してもらえる物だからなぁ。俺も個人的に魔法の研究はやってるが、自分専用の魔法ばっかで汎用性は無視してるから、多分無理だと思うぞ?」

 

 などと雑談に移る面々に、なのははほっとすると同時に、僅かながら違和感を憶えた。

何が、なのか分からない。

どう、なのかすらも分からない。

けれど、なのはは何かがおかしかったような気がして、目を瞬きながら何度かウォルターの目を見つめる。

しかしその目は、寝起きの食事時だけあってそれほどの熱量では無いものの、確かに精神の炎を宿す何時ものウォルターの目にしか見えかった。

 

「気のせい……かな」

 

 何より、ウォルターならば何かあれば話してくれるに違い無い、となのはは思っていた。

何せウォルターは、他ならぬ自身の口で、スバルに向かい話す事の大切さを説いていたのだ。

そのウォルターが悩んでいて、誰かに悩みを話せないなどと言う事は、ありえないと言っていいだろう。

無論自覚症状が無い場合もあるが、それにしても、今すぐにどうこうと言う訳ではあるまい。

それでも気をつけておくべきか、と内心に違和感を感じたことを刻み込み、なのははウォルター達の席へと近づいていった。

 

 

 

3.

 

 

 

 排気音。

ドアが閉まるのを確認し、仮面を覆い隠す各種結界が効果を発揮しているのを確認し終えて、ウォルターは張り詰めていた緊張を解いた。

途端、力が抜けてしまって、急に膝が落ちる。

 

「ウォルター!?」

 

 慌て、リニスはウォルターを抑えてやった。

辛うじてそのまま頭蓋を床と激突させずに済んだウォルターは、か細い声で、ありがとうとだけ答える。

 

「だ、大丈夫ですか? あ、はい、ベッドですね?」

 

 身振り手振りで答えるウォルターに頷き、リニスはウォルターを連れベッドへとたどり着き、どうにかウォルターをベッドに寝かしつける。

横たわったウォルターに、リニスは歯噛みした。

 

 その目は、控えめに言って虚ろであった。

光の欠片も宿っておらず、小さく口を開け呆けた顔で、虚空を見つめるのみである。

その様子は木石と見間違うような動きの無さ、否、生命力が欠けていると言う点を鑑みれば、鉄板の方がまだ近いかもしれない。

吹けば消えそうな命にしか見えないウォルターの姿に、リニスは思わず握りしめた手の中で、爪を食い込ませる。

 

 あの日、ナカジマ家に真実を告げた日から、仮面を外したウォルターはこのような無気力状態が続いていた。

料理の美味い不味いもよく分からなくなってきており、記憶もやや混濁気味である。

判断力も落ちており、何より底辺を突き抜けて行く気力の無さがまともに何かを成す事すら許さない。

これで仮面を被れば元のまま完璧だと言うのが、現状の異常さに拍車をかけていた。

 

 ウォルターの言う部屋で論文を読むと言うのは、建前。

これ以上仮面を維持できるか自分でも分からず、一度この無気力状態で回復に努めるつもりなのだと言う。

傍目には回復できているようには見えず、むしろ精神的に悪化の一途を取るようにしか見えないのだが、対案の出せないリニスはそれに従った。

何せ、万が一仮面を被って然るべき場面で仮面が取れてしまえば、全てが白日の下にさらされてしまえば、果たしてウォルターは立ち直れるのだろうか。

 

 リニスとてその日のためにウォルターとなのは達とを仲良くさせているが、それが本当に効果があるのかは分からない。

リニスはウォルターの事を受け入れられたが、なのは達もそうだとは限らないのだ。

なのは達がウォルターに裏切られたと感じその悪感情を隠さなかったら、ウォルターが立ち上がれる日は来るまい。

 

 病院に直接行く事は評判故に避け、ちょっとした伝手で精神安定剤は手に入れたが、さほど効果は無かった。

半ば気休めの為にしかならない薬は、仮面を被ったときの判断力が鈍るという事から、ウォルター自ら摂取を止めている。

 

 何が悪かったのだろう、とリニスは思った。

ウォルターが仮面を被り、自分を偽っている事は確かに褒められた行為では無いだろう。

しかし、彼はその代わりに、延べ十数億の命を救い、幾多の魂を燃えたぎらせ、次元世界に勇気と希望の炎を宿しているのである。

だと言うのに、そんな彼に与えられた運命がこれだと言うのであるのならば、神はなんと残酷な事なのだろうか。

 

「……いや、私のせい、なんですかね」

 

 独りごち、リニスはベッドに横たわるウォルターの隣、椅子に腰掛けたまま両手を握り合わせた。

さながら、神に祈りを捧げるかのようにして。

 

 ウォルターがここまで心折れずに立ち向かえたのは、恐らくプレシアを救えたから、そしてその成果であるリニスが一緒に居続けたからだろう。

もしあの日、リニスがウォルターに助けを求めなければ。

ウォルターが地球にやってこなくて、ウォルターが今より少しだけ心の柱を無くしていれば。

ウォルターはクイントの死でとっくに心が折れて、仮面を外した人生を歩んでいたのではあるまいか。

UD-182の疑似蘇生体を自らの手で殺したり、UD-182がただの妄想の男であったと知ってしまう機会は無かったのではあるまいか。

信念を貫き通せなくても。

ここまで虚ろで、壊れていく事は無かったのではあるまいか。

 

「うぉる、たー」

 

 リニスは、すべき事は一つだと直感していた。

このままウォルターが仮面を被り続けたとして、どうなるかは2つに1つだ。

何か残酷な真実を更に突きつけられ、今度こそ心が壊れるか。

何時か仮面を維持できなくなり、矢張り心が壊れてしまうか。

どちらにせよ、ウォルターの心が壊れる日はそう遠くはあるまい。

 

 そんなウォルターを救う方法を、リニスは一つしか思いつかなかった。

仮面の裏の真実を、ばらすのだ。

なのは達、3人に。

ウォルターの心が、時間をかければ立ち直れる程度の壊れ方であるうちに。

 

 賭けではある。

なのは達がウォルターを受け入れてくれるかどうかは分からないし、そもそも真実だと受け入れてくれるかどうかすら分からない。

一応簡易デバイスにウォルターの仮面とそれを外した部分のダイジェスト、いわばウォルターログを保存してはある。

ウォルターの仮面の真実味を知らせる事はできるだろうし、その苦悩が受け入れやすくはなるだろうが、それでも絶対とは言えまい。

 

 だが、このままウォルターの心が壊死してゆくのを眺めていく事だけは、リニスにはできなかった。

出来るはずが無かった。

瞼を閉じれば、リニスにはウォルターとの思い出全てが浮かんでくる。

 

 初めて出会った時、フェイトと一つしか変わらない子供が独り懸命に戦っている事に、思わず抱きしめてしまった事。

その瞳の熱量に、心の炎を貰った事。

フェイトもプレシアもアルフも、リニスの助けたかった全てを助けてくれた事。

そんな彼は仮面でしかなく、本当のウォルターは心優しい普通の少年だった事。

ウォルターの初恋と、それが破れた日の事。

親友と相対し、仮面を親友のためでは無く自分のために被ると決意した日の事。

全ては妄想だったと知り、致命傷を負いながらも、圧倒的な敵に立ち向かい倒した事。

 

 守る。

このひとを、守ってみせる。

決意を胸に、リニスは静かに立ち上がった。

ウォルターはベッドの上で虚ろな瞳を天井へ、胸を小さく上下させている。

ノックなどがあれば瞬時に意識が戻る状態であり、声は届くと知っていても、痛々しくて仕方が無い状態である。

歯を噛みしめ、行き場の無い憤りを噛み殺して、リニスは手を伸ばした。

ウォルターの頬を撫でてやると、ぴくり、と彼の視線がリニスへと。

ほんの僅かだけ、生気を取り戻した目。

 

「ウォルター、少しだけ、席を外します。すぐ戻ってきますから、待っていてくださいね?」

 

 小さく頷くと、ウォルターは再び視線を天井へ。

あの虚ろな目で、ぼうっと見つめている。

それをじっと見つめてから、リニスは静かに部屋を辞した。

 

 後ろ手に鍵を締め、そのまま床を靴裏で蹴りつつ、向かう先へと足を進める。

精神リンクは、相変わらずウォルターがリニスに遠慮しており、最低限のままである。

とは言え、流石に念話で呼びかければウォルターに察知されてしまう可能性が高いので、リニスは彼女達の居る場所に直接立ち寄るつもりであった。

無論、3人が集まっている訳ではないので、誰か一人を選ばねばならない。

 

 悩んだが、リニスの向かう先はなのはの元である。

仮面の存在を信じてくれるかで言えば、ウォルターを最も英雄視するが故にはやてが。

ウォルターを受け入れてくれるかで言えば、その夢の向かう先がウォルターでもあるが故にフェイトが挙げられる。

しかし、リニスの脳裏に鮮明に焼き付いた、なのはがフェイトを救ったあの光景が、リニスになのはを選ばせたのである。

 

 今の時間であれば、恐らくは教導準備室で資料解析やらをしているだろう。

やや早足になりながら、リニスは床板を靴裏で蹴りつけ、前へ前へと進んで行く。

すれ違う人々に挨拶を交わしつつ、リニスはついに教導準備室にたどり着いた。

辺りに、人は居ない。

早速、とノックのために拳を作り、手の甲を扉にたたき付けようとして。

動きを、止める。

 

「……ウォルターの、ためですから」

 

 内心を過ぎった裏切りの後ろめたさを誤魔化し、リニスが手の甲をたたき付けようとした、その瞬間。

視界を、白い光が染めた。

きゃ、と小さい悲鳴と共に目を覆って数秒、小さい目眩が起きて頭蓋を抑えつつ、光が収まるのに気付いた頃。

冷たい温度を、首に感じた。

 

「……リニス」

 

 凍てついた、愛する主の声。

光に覆い隠されていたのはウォルターの部屋の内装であり、首に突きつけられたのはティルヴィングの黄金の刃であった。

ゆっくりとリニスが声の方向へと視線をやると。

冷たい、刺すような目。

温度の無い、凍り付くような視線。

 

「なん、で……」

 

 恐らくサーチャーで尾行してきて、そのまま転送魔法で部屋に戻したのは分かる。

しかし、リニスの行動に気付いた理由は何なのだろうか。

と、思ってから、リニスは気付く。

勘。

ウォルター・カウンタック最強の武器が、今やリニスにとって最強の敵となっていたのだ。

絶望に顔を蒼白にするリニスを尻目に、ウォルターは呟いた。

 

「何も言わないなら……、悪いけど」

 

 告げられ、リニスは精神リンクが最大になるのを感じた。

ウォルターの心の絶望、己への憎悪、虚ろな虚脱感、全てが刹那にリニスの心を満たす。

思わず剣を突きつけられている事も忘れて膝を突きそうになるリニス。

それを尻目に、精神リンクの最大化は終了。

最低限にまでリンクを戻し、ウォルターは呟いた。

 

「……やっぱり、か」

 

 ひゅ、とリニスの喉から音が響いた。

ウォルターの両目からは、涙が零れていたのだった。

怒気がウォルターの全身に満ちあふれて行くのが、目に見えるかのよう。

ただでさえ巨体のウォルターが、数段大きく見える程になって。

叫んだ。

 

「ふざけるなぁぁぁっ!」

 

 喉から血が吹き出そうなほどの、絶叫。

殺意と憎悪に充ち満ちた、漆黒の瞳。

万力を籠められた両手は、握りしめたティルヴィングをかたかたと言わせながら、リニスの首筋に薄く痕を付ける。

 

「なんで……どうして!? 分かってるだろう!? 僕は……僕は!」

 

 最早論理性を失った言葉が、ウォルターの口を突いて出た。

僅かながらの精神リンクから、混乱と行き場の無い感情が溢れ、リニスの胸に伝わってくる。

覚悟していたはずだった。

こうなる可能性も、考えていた筈だった。

それでも、痛々しい姿に、リニスは自分の行おうとしていた事の重大さを改めて思い知らせられる。

大槌で頭蓋を叩かれたかのようで、頭蓋を反響音でいっぱいにされたかのよう。

平衡感覚が無くなりかける程の衝撃。

 

「嫌だ……、なんで、リニス……! なんで……」

 

 ウォルターは、リニスに仮面の裏の真実を明かして以来、何度か泣いた事がある。

しかし、こんなに顔をぐちゃぐちゃにするまで泣いた事は、一度も無かった。

あのクイントを看取った時でさえ、こんな砂になって崩れ落ちてしまいそうな泣き方はしなかったのだ。

慰めたい。

そんな衝動に駆られるリニスだが、他ならない自分がその原因なのだと言う事実が、その身を凍らせたままにする。

そんなリニスに、ウォルターは叫んだ。

 

「なんで、僕を裏切ったっ!」

 

 刹那、音が遠のいた。

気付けばリニスは尻餅をついており、ウォルターがティルヴィングを合わせて動かさねば、大怪我をしていた事に間違いない。

全身に力が入らず、足下から駆け上がるぞっとするような絶望だけが、リニスの内側に救っていた。

 

 違う、と言いたい衝動を、リニスは噛み殺す。

違わない。

違わないのだ。

主を想った行動とは言え、リニスの行動はウォルターに対する裏切り行為そのものである。

その事は、どんなに言葉を飾っても間違いではないのだ。

 

 死ぬのか、とリニスは考えた。

ウォルターは、いくら何でもリニスを許すまい。

冷静に考えればリニスの死はウォルターの仮面が暴かれる一因ともなりうるのだろうが、今のウォルターは全く冷静では無いのだ。

全てを無視し、リニスを殺す事さえも考えられた。

 

 悪くない、とリニスは思った。

裏切り者である自分には当然の罰のようには思えたし、何より、希望の無い死では無い、というの事がリニスにそう思わせた。

リニスの死はどう考えても不自然であり、ウォルターの仮面が剥がれ出す役目の一因となる事には違い無い。

もしかしたら、リニスが直接ウォルターログを持って説明するよりも、リニスの死という事実があった方が説得力があるかもしれないぐらいだ。

 

 かつてリニスは、一度死に瀕した事があった。

プレシアの使い魔だった時、フェイトの教育の完了とデバイスの完成をもって、リニスはその命を終えるよう設定されていたのだ。

それでもリニスは、フェイトを育てる事に一切の手を抜かなかった。

死が怖くなかったと言えば嘘になるし、結局は抵抗し生きながらえたのだが、それでも。

何故なら、その死の理由は、そのまま新たなる希望に直結していたからである。

フェイトという、リニスにとって一番の宝物だった子、そのものへと。

 

 今回も、同じだ。

リニスにとって今や最も大切な宝物、ウォルター・カウンタック。

この子の為であれば、リニスが死ぬ事で希望が生まれるのであれば、それも吝かでは無いと思えてしまうのである。

勿論、ベストな展開とは言えないだろう。

けれど、それ以上を裏切り者の自分が望むのは、分不相応に思えていて。

だからリニスは、自らの命を半ば諦め。

それ故に、次のウォルターの言葉に、耳を疑った。

 

「君が裏切りを成功させたら……、僕は死ぬぞ!」

「…………え?」

 

 呆然と、リニスは呟く。

死ぬ?

ウォルターが、死ぬ?

何時までも意味が浸透してこない言葉を、リニスは内心幾度か反芻した。

思わず、口に出る。

 

「なんで……ウォルターが、死ぬんですか?」

「だって! 許せないけど! 僕がリニス、君を直接殺せる訳無いだろう!?」

 

 叫ぶウォルターの言葉が、ゆっくりとリニスの理解の範疇に収まっていった。

激高したウォルターは、リニスを許さない。

そこまではリニスの予想通りだったけれども。

 

 ――ウォルターは、リニスの予想より、臆病で優しい子だった。

リニスを、直接手にかけられないぐらいに。

 

「……――っ!」

 

 思わず、リニスは息をのむ。

確かに主を失えば、今度こそ主変更の魔法を受け入れはしないリニスは死ぬしか無いだろう。

直接リニスを殺せないウォルターがリニスを殺すには、自殺しか無いと言うのは確か。

同時に死ねば仮面も失う訳なのだが、その辺りは錯乱しているからなのかどうか、気にしていないようであった。

だが、それは同時に一つの意味を暗喩していた。

ウォルターはかつて、信念の為に疑似蘇生体とは言えUD-182を斬り殺した。

ウォルターは今、信念と言う名の仮面を守る為に、リニスを斬り殺せなかった。

つまり。

 

 ――ウォルターは、UD-182よりリニスの事を大切に想っていたのではあるまいか。

 

「……ぁ」

 

 そして。

リニスは、そこまで想ってくれた主を裏切ったのだ。

 

「ぁ、ああぁあぁ」

 

 へんなこえが聞こえた。

のど笛に空気を吹き込んだだけのような、生気の無い声。

乾いた、ひび割れ、しわがれた声。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 それは勿論、リニスの喉から発されている声。

聞くに堪えない醜い音。

そんな音を耳にしながら、ごめんなさいと思い、そして自分に謝る資格など無いのだとすぐに思い当たって。

 

 ――リニスは、全てを諦めた。

 

 

 

4.

 

 

 

 視界が上手く定まらなかった。

吐き気と頭痛で立ちくらみが収まらず、平衡感覚と握力が完璧では無い。

気を抜けば飛行魔法すら失敗しそうなぐらいに、今の僕は精神状態が悪かった。

けれど。

 

(保護した女の子の体調が危険域を脱しました。ただ、未だ衰弱状態である事には変わり有りません)

(スターズ1、接敵! 突貫しますっ)

(八神部隊長、リミッター解除の許可をっ)

 

 飛び交う念話。

かかった出撃要請の意味も、朦朧とした頭では今一分からないままだ。

それでも現状が戦闘中であるという事ぐらいは、僕にだって分かる。

そして僕が戦いに力を貸さない理由は無い。

 

 だって。

僕にはもう、この力とティルヴィングしか無いのだから。

 

「…………」

 

 視線を斜め後ろ、何時もならリニスがついてくる定位置へ。

命じたとおり、彼女はフォワード陣のバックアップについており、僕が視線をやった先には誰も居ない。

ただただ無限に広がる空があるのみだ。

鬱屈とした感情が頭蓋を占め始め、ふらつきそうになるのを必死で堪える。

 

 自分が、冷静な判断ができていない自覚はあった。

あったが、何が正解なのか分からない。

僕にとって縋れる物は、仮面と力とティルヴィングしか存在しない。

その中でも最も大きいウェイトを占める仮面を奪うのであれば、例えリニスであろうと容赦してはならない。

はず、だ。

だから殺さねばならないけれど、僕はリニスを殺す事なんてできる筈がなくて、だからできる事は唯一、この手で自分の生涯を終えさせ、リニスを間接的に殺す事ぐらいだ。

支離滅裂なのは分かっていても、他に方法は思い浮かばなかった。

 

 だって、リニスを許してしまえば、いずれ彼女は僕の仮面の事を皆にばらしてしまうだろう。

自分を偽り他者を騙し続けてきた僕が、許される事も、受け入れられる事も、ある筈が無い。

例えあったとしても、他ならない僕自身が、僕を許さない。

あんなにも美しい感情を持つ皆を騙し続けた、僕自身を。

 

 でも、じゃあ、なんで僕は仮面を被り続けているのだろうか?

ふと沸いてきた疑問に、僕は答えられなかった。

全く論理的では無く、ただ感覚として僕は仮面を被り続けなければならないと信じていた。

盲信していた。

妄想を、信じ続けていた。

 

 何故なのかは、自分でも分からない。

惰性かもしれない。

英雄としての名誉が心地よかったのかもしれない。

仮面を外した時の罵声が怖かったのかもしれない。

自分でも何も分からず、誰か教えてくれ、とわめき散らしたいけれど、真実を話せる相手は居ない。

もう、居ない。

ティルヴィングはあくまで機械であろうと己を律しているが故に、僕はその意味では最早孤独だ。

 

「くそっ」

 

 呟く。

永遠の時間があって尚足りない程に、僕の悩み事は多い。

それでも飛行を続けている限り、目的地への距離は縮まってくる。

流れて行く景色を視界の端に、飛び続ける僕の目前に、突然転移魔法の反応があった。

突如停止、警戒する僕の目前に、白い魔方陣が現れる。

 

「……白、だと?」

 

 珍しい魔力光という訳ではない。

僕とザフィーラはほぼ同じ色の魔力光だし、目前の色は僕の魔力光より更に白味が増しているよう見える。

とは言え自身の魔力光を正確に把握するのは、自分の声を把握するのと同じような理屈で難しい、第三者から見れば似たような魔力光なのかもしれない。

奇妙な予感に魔力波長を計測してみれば、ティルヴィングから返事。

 

『目標の魔力波長、マスターと99.8%一致しました』

「……ふぅん」

 

 眼を細めると同時、僕はティルヴィングを改めて構えなおす。

たったそれだけで、不調が全て吹き飛んだ。

頭痛も吐き気もふらつきも、ただこの力を振るう時だけは薄れてくれる。

それでも絶好調とは言い難い状況だが、大抵の敵はそれでも何とかなるし、常に絶好調で居る訳などない事を考えればまずまずのコンディションだ。

相手が何者であろうと、敵ならば勝つ。

己を叱咤した僕の前に、ついに転移してきた魔導師が現れる。

 

「…………」

 

 フード付きの外套を羽織った、巨体の男であった。

僕と似た体格だが、それ以上に似通った物が、男の手の中にある。

 

「てぃる、う゛ぃんぐ……?」

『否定。私の名は、ダーインスレイヴ。です』

 

 それは、白銀の巨剣であった。

ティルヴィングと全く同じ装飾を施されたそれは、色彩こそ白銀、コアたる宝玉の色は青くなっていたものの、ティルヴィングとうり二つの形である。

人格データの音声は、ティルヴィングと同じく機械的な女性の物。

となると、姉妹剣とでも呼べば良いのだろうか。

ティルヴィングが元あった場所が”家”だった事を考えると、スカリエッティの元にあったと考えやすい。

となれば、黒衣の男もまた。

 

「…………」

『マスター。は、今事情あって、貴方とは話せません。です。なので、私から一言』

 

 驚愕に身を凍らせている僕を尻目に、ダーインスレイヴが片言喋りを続ける。

突如、目前の男から強大な魔力が発生。

僕と互角の魔力がいきなり現れた事に、想定内だとしても背筋が冷たくなった。

 

『時間稼ぎ。です。でも、倒してもいいんでしょう? です』

「この……上等っ!」

 

 咆哮。

僕も解放した全開の魔力と共に、黒衣の男へと突っ込んで行く。

衝撃波を置き去りに、突進。

袈裟に斬りかかる僕の斬撃に、ダーインスレイヴが鏡映しの軌道を辿ってきた。

激突、鍔迫り合いに。

 

『片言しか話せない低脳AIが、何をほざくのかと思えば。しかも黄金の私に比し、たかが白銀と、格が一つ下の分際で』

『黄金とか、趣味悪。です。成金っぽ。です』

 

 デバイス達の気が抜ける罵声を無視、そのまま僕は超魔力で押し切る、と見せかけ高めるのは魔力だけ。

力を抜いた柔の剣で男の剣をすり抜け、懐へ。

片手を離し拳を腹にたたき込もうとするも、男も片手を離し僕の拳を受けていた。

舌打ち、高めた魔力で小さなバリアバーストを発動。

爆発を起こし捕まった手を剥がし、後退する。

 

「…………」

『デバイス。は兎も角、使い手は予想通り強い。です。マスターの次ぐらいに』

「…………」

『デバイスは格下ですが、使い手は恐るべし相手ですね。マスターの次に』

 

 お前ら仲良いな、と突っ込みそうになってしまうのを自重。

次にいつになく饒舌なティルヴィングに、同型のデバイス相手という事から同族嫌悪でも沸いているのかと思い、ふと、僕もだなと思った。

同じ剣技、同じデバイス、同じ魔力量、同じ魔力光を持つ相手。

人格こそどうなのか分からないが、正直言って気色悪いし、嫌悪感がどこぞから沸いてくる。

それでもそれを必死で抑えて、冷笑的な一言。

 

「さて……俺の記憶転写クローンか、それともプロジェクトHの完成品か、それとも他の何かなのか……。ま、良い気分じゃねぇな」

「…………」

「だんまり、か。とりあえず、その口開かせてもらうぜ」

 

 僕が眼を細めるのと、黒衣の男が突進してくるのとは殆ど同時であった。

切刃空閃、瞬く間に出せる数十の光弾が発射され即相殺、魔力煙に紛れて僕は感覚と勘で感じ取った奴の居場所にティルヴィングの斬撃をたたき込む。

が、金属音。

あっさりと切り払われ、大きく隙が開いた所に銀閃が吸い込まれて行く。

咄嗟に片手を自由にしていた僕は、小楯型の防御魔法を発動し、相手の攻撃を弾いた。

とは言え無理な姿勢だったので、回転しながら後ろに弾かれた上に僅かに筋が痛む。

即座に狂戦士の鎧が傷を無理矢理繋げるのを確認しつつ、カートリッジを使い相手を見ずに誘導弾を撃った。

 

「…………っ」

 

 黒衣の男の息をのむ音。

男の用意していた直射弾を全て打ち砕き、誘導弾が男へと迫るも、距離を取った男の放つ誘導弾に相殺される。

だが、その間に僕には幻術を発動するだけの時間があった。

静かに僕は5体の幻術を男へと接近させる。

 

『マスター。5体。とも、幻術。です』

「…………」

 

 小さく頭を横に振り、男は直射弾を発動。

僕自身の幻術をかぶせた僕を含めた5体の幻術へと炸裂し、無効化される。

つまり、幻術と見せかけ本物だった僕の正体は露わになったのだ。

ティアナの見せた戦術の模倣だったのだが、初見で通じないとは。

内心歯噛みしつつも、最後の幻術は破られなかった事に安堵しつつ、ティルヴィングを振り下ろす。

 

『間合い。外、で……内!?』

 

 振り下ろしたティルヴィングは、ソードフォルムの幻術を被せた、パルチザンフォルムであった。

当然間合いは数段伸び、咄嗟に飛びのいた男の二の腕を切り裂く。

魔力ダメージにバリアジャケットが破け、中の血肉に魔力不順を起こしたが、僕の魔力感覚はそれがすぐに修正されるのを感じた。

矢張り、狂戦士の鎧持ち。

舌打ち、その間にティルヴィングをソードフォルムに戻しておく。

 

 睨み合い。

あれほどの好機で小さなダメージしか与えられなかったのは、痛手としか言いようが無い。

とは言え、予想したとおり奴は僕に似たスペックを持っているようで、一筋縄ではいかない相手のようだ。

他の要素では上回られている場面が多いが、魔力量が同じぐらいなら何とかなる、可能性はある。

切り札たる斬塊無塵を放つ決意を胸に、集中力を高めようとした瞬間、ダーインスレイヴの声。

 

『マスター。曰く、「絡め手を使ってこの程度か」との事。です』

 

 負け惜しみか、と眼を細めた、その瞬間であった。

戦慄。

背筋が凍り付き、肉が凍土と化し、血潮は血塊となる。

神経は震えしか呼び起こさず、脳は真っ白な思考のみを映し出し、頭蓋は震えて今にも崩れ落ちそうだった。

圧倒的な威圧に、脂汗が滲み始めるのを僕は感じる。

 

『馬鹿な、マスターを超える魔力……!? 何故……』

『完成品。に失敗作が劣るのは当然。です』

 

 得意げに言うダーインスレイヴ。

震えが心から肉体に伝い、僕が完全に震えだしてしまう、その寸前であった。

突如、黒衣の男の側方に空間投影ディスプレイが。

 

(やぁ、セカンド。作戦は終了したよ、時間稼ぎはもういい)

「すかり、えってぃ……」

 

 紫の髪に金の瞳、ダークスーツに白衣の男。

クイントさんの仇。

宿命の敵。

奴は僕に目をくれるでもなく、すぐにウィンドウを消してしまい、その姿は消え去る。

それを見た瞬間、僕は震えや怯えが飛んで行くのを感じた。

代わりに、心の奥からマグマのように吹き出す熱量で、全身が燃えるように熱くなる。

そんな僕を尻目に、踵を返す黒衣の男、セカンド。

 

「待て、セカンドっ!」

「…………」

 

 無言で、ちらりと僕に視線をやると、セカンドは興味なさ気に魔方陣を展開。

思わず突進、斬りかかる僕だったが、ティルヴィングの斬撃はすんでの所で転移していった奴の残像を切るのみだった。

ナンバー12、あのかつて敵対した元執務官の魔法と同系統の即時転移魔法か。

舌打ちしつつ、念のため転移先を探ろうとする物の、多重転移により行方は分からない。

 

「……逃げられたか」

 

 歯噛みし、俯く僕。

掌に視線を、心の熱量が過ぎ去り、先ほどの恐怖がぶり返してくるのを感じる。

奴は、セカンドと呼ばれていた奴は、僕よりも強い。

それだけなら今まで何度も戦ってきた相手も同じで、僕は何度も格上の相手を倒してきた。

例え心で劣っていても、僕には技と体と魔法があるのだと信じてきて。

 

 初めてだった。

心以外の技に体に魔法の全てで勝てないと感じた相手は、初めてだった。

 

 魔導剣術であればセカンドは間違いなく僕より格上。

恐らくただの剣術戦闘では十回戦って一回勝ちを拾えれば良い方か。

身体能力も大きく差がある。

反応速度は大して変わらなかったが、膂力などは確実に奴の方が上で、魔力での強化量が僕の方が上だったというのに互角であった。

魔法において、技術はほぼ互角だが、魔力量は一段奴の方が上だ。

 

 そして、残る心において、僕が勝てる要素などこの世の何処にもありはしなくて。

今まで、心では負けていても力では勝てているから、と信じ戦ってきたのに。

今度は、全てで負けている相手と戦わねばならないのだ。

 

「……勝たないと、な」

 

 虚勢の仮面。

それでも声は、自分の耳には枯れ果てているように聞こえて。

 

『マスター……』

 

 ティルヴィングの声を耳に、僕は空を見上げる。

仮面を被る理由は妄想で。

約束は既に果たし、守る約束は無くなって。

リニスへの信頼を失い。

今度は、次元世界最強の力でさえも信じられなくなるのだろうか。

 

「いや……」

 

 頭を振る。

僕はまだ、斬塊無塵を試していなかった。

つい最近会得したばかりの奥義を奴が手に入れているとは、手に入れていたとして完成させているとは限らない。

ならば僕が告げるべき言葉は。

被った仮面が告げるべき言葉は。

 

「次は……俺が勝つ」

 

 告げ、蒼穹に言葉は流れて行く。

そういえば、とふと思った。

時たまこんな時、仮面と自分があまりにも剥離している時に、思うのだ。

本当のウォルター・カウンタックとは、”僕”なのか”俺”なのか。

“僕”こそが偽物のウォルター・カウンタックであり、”俺”こそが本当のウォルター・カウンタックなのではないだろうか。

 

 ――一体、何を言っているんだか。

自分でも自分の考えている言葉の意味が分からなくて、僕は小さく頭を振った。

僕は僕だ。

ウォルター・カウンタック本人は、この弱くて惨めで臆病な、僕自身だ。

何を考えているのだろうと溜息をつきながら、僕は六課隊舎へと戻り始める事にした。

 

 

 

 




今回鬱じゃないかって?
鬱じゃなくてジャブです。

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