仮面の理   作:アルパカ度数38%

41 / 58
毎回言っている気がするけど、亀更新でした。
年末休暇の間に書きためたい(願望


6章2話

 

 

 

1.

 

 

 

 熱線が空気分子を焦がしながらギンガへと迫る。

己の残像を貫いてゆく光線を尻目に、ギンガは細かい回避を連続し、発射源である機械へとたどり着いた。

腹腔に力を入れ、魔力を纏わせた拳を放つ。

異音。

ガジェットと、そう呼ばれる鋼鉄の塊がひしゃげた。

やったか、と興奮を胸にすると同時、隣で莫大な魔力が巻き起こった。

目をむくギンガの視線の先には、黄金の巨剣を持った黒衣の男。

ウォルター・カウンタック。

母の死の原因。

 

「視野が狭いな」

 

 一言でギンガの高揚を切り捨て、ウォルターが告げた。

見ればウォルターの前には、ギンガが居た場所を斜線上に置いていた、一撃で倒されたガジェットが3体ほど。

ギンガが渾身の鉄拳をたたきつけてようやく倒す事ができた相手を、瞬き程の時間で3体である。

次元の違う戦闘能力に、ギンガは内心歯噛みした。

強いのは分かりきっているし、恐らく母の死も戦闘能力ではどうしようもなかった原因だったのだろうと推測はできている。

それでも、こんなに強い人なのに何故、という思いは消えない。

 

 ギンガ・ナカジマにとって、ウォルター・カウンタックは憧れだった。

次元世界最強の魔導師であり、何より圧倒的なカリスマを携えた、憧れの人。

たまにナカジマ家に顔を見せる度に、その心が燃えさかるような英雄譚を語ってくれたものであった。

そんなウォルターへの幼少期のギンガの入れ込みようは強く、実を言えば、将来の夢をウォルターのお嫁さん、などと考えていた頃すらあった。

 

 5年前の冬、ウォルターはナカジマ家に長期滞在をするようになった。

憧れの人であるウォルターとの同居にギンガの心は焦がれた。

飛び上がりたいほどの嬉しさに包まれながらギンガはウォルターと生活を共にし、以外にも彼にも弱い部分がある事を知る。

服は黒ずくめばかりというだらしない部分もあれば、アイスすら食べたことがないという人間的な楽しみに疎い所もあった。

そんな英雄の人間味は、けれど決してウォルターの魅力を損なう物ではなく、むしろギンガは余計にウォルターに夢中になったのであった。

 

 大好きな人だった。

幼いなりに、本気の恋だった。

1日中彼の事を考え、どうすれば喜ぶのか、どうすれば楽しんでもらえるのか、ずっとずっと考えていた。

手を繋げば胸の奥が暖かくなり、彼が他の女性と話しているのを見ると、それだけで胸が切なさにはち切れそうだった。

だからギンガは、ウォルターがミッドチルダを発つ日、次に会う日に焦がれながら彼を見送り。

 

 ギンガの母、クイントが死んだ。

 

 後にギンガが調べた所によると、クイントが所属する、地上最強の部隊と謳われた、通称ゼスト隊と呼ばれる部隊は、ウォルターがミッドチルダと発とうというその日、全滅した。

その日突入したとされる研究所から、ウォルターはクイント一人を救い出したものの、クイントは病院に着いた頃には既に命を落としていたと言う。

詳しい事を知るはずのウォルターは管理局の上層部にのみ供述をし、その子細はギンガの父ゲンヤですら知らない。

機密事項とは関係無い筈のクイントの最後の言葉でさえ、ウォルターはゲンヤにもギンガにも、ギンガの妹スバルにも話さなかった。

ただ、クイントの死は自分の責任だ、とだけ言って。

 

「…………」

 

 ギンガの目前で、ウォルターは黒衣をはためかせながら辺りを見回し、残心をゆっくりと解いてゆく。

その背中はかつてよりも数段大きくなり、大柄で筋肉質な彼は、既に見目だけで並の成人魔導師よりも迫力があった。

 

 最初は、全てを裏切られた心地であった。

怒り、憎悪、そういった暴力的な感情がギンガの原動力となり、ギンガは力を得る為に魔導師としての道を歩み始めた。

そんなギンガに連絡をしてくるウォルターは鬱陶しくて仕方が無かったし、通信越しに顔を合わせる度に腹が煮えくり返るのを感じた。

妹であるスバルも同様で、むしろスバルの方がウォルターに対する感情は強いのではないかとすら思える程だ。

 

 けれど、時間は静かにギンガの心の傷を癒やしていった。

ギンガは魔導師として強くなり、管理局員としていくつかの事件を追うに連れて、一方的だった見方が変わり始めてきた。

ウォルターだから、あの極限のカリスマを持つ次元世界最強の英雄の言葉だから、ギンガはウォルターの言葉を信じてきた。

クイントの死はウォルターの責任であるという言葉を信じてきた。

けれど、世の中に絶対的な物があまりにも少ないという現実を知るに連れ、ギンガの中でウォルターの言葉の持つ絶対性が薄れていったのである。

ウォルターが何も言わないのは、何か理由があるからではないだろうか?

上手く想像はできないけれど、ギンガ達ナカジマ家の面々が知ればより傷つく事実があるから、ウォルターが口を閉ざしているのではないだろうか?

そう思うようになってきたのである。

 

 加えて、”家”出身だと言うウォルターの、過去の記憶が正しいかどうかすら曖昧だと言う立場に、心揺れる物があったのもの確かである。

ウォルターが精神的窮地にあるという事実は、ギンガの心を強く揺さぶった。

ギンガのウォルターへの憎しみは、何処かに彼への甘えがあったのかもしれない。

この人はどんなに恨まれてもびくともしない、何処か非人間的な程の強い人なのだから、と。

彼が同居した際、精神的な弱味を見せた事を、意識して忘れて。

 

 ――けれど、ウォルターはまだ何も言わない。

言ってくれない。

だから、待つ事しかできないギンガの立場では、待っている事が不安で仕方なくて。

悪い想像がギンガの中の古い怒りを、憎悪をかき立て、ついギンガはウォルターを憎しみの籠もった目で見てしまう。

 

 だから、ギンガはウォルターの事が嫌いだ。

大好きだった人が何も言わないのを、訳があるのだと信じ切れない、嫌な自分を直視してしまうから。

そんな理由で大好きだった人を嫌っている事を、直視してしまうから。

 

 だからギンガは、自分の失態を取り返してくれたウォルターに礼の一つも言えず、歯噛みしウォルターから視線を背けた。

そんなギンガにはやてが物言いたげな視線をやったが、それでもギンガは頑なにウォルターを見ようとはしなかった。

口を開けば、醜い言葉があふれ出るのが目に見えていたから。

 

「…………」

 

 無言で歩き出すギンガに、ウォルターは距離を取り、リニスはそっとギンガを何時でも守れる位置に立ち、ハラマは心配そうにウォルターを見やりながら指示を出すはやての近くに位置取った。

リニスは使い魔ながらSランク級の戦闘能力を持つ為にギンガの護衛に、ハラマはユニゾンで近接戦闘能力が増しているとは言え、基本的に後衛なはやての防御のための位置取りだろう。

張り詰めた空気の中、一行は”家”の奥へと進んでゆく。

 

 “家”は、人っ子一人居らず、代わりに旧型のガジェットが点在している程度であった。

明らかに一部の機能しか稼働しておらず、既にこの施設は廃棄された物と容易く分かる。

ガジェットは最新式とされるレリック関連の事件で現れた物とは違い、AMFを発動する事すらままならない、見た目が同じだけのただの機動兵器でしかなかった。

それではそもそもガジェットではないただの兵器かもしれないのだが、それでも実際にガジェットと戦った事のあるはやてとウォルター曰く”アルゴリズムが似ている”という事から、旧式ガジェットと呼称している。

 

 入り口から続く細長い道を終えると、次はT字路が待っていた。

ウォルターとハラマの一致した発言によるとほぼ正方形の通路が各階に存在し、内側に四方の何処かから入れる大部屋が、外側に4つの部屋がある構造となっている。

階数の行き来は外側の何処かにあるエレベーターか、通路の何処かにあった階段によるのだと言う。

逃げるのに必死だったので詳しくは憶えていないが、よく入れられていた”広場”は地下7階よりは深かったとの事である。

 

 無論それから10年もの月日が流れているのだ、構造が変化している可能性を考えつつ、はやては一端地下1階の構造を調べる事にした。

今の分隊の構成は、陸戦Cランク魔導師が3人に、ギンガを含めた陸戦Bランク魔導師が2人、総合SSランクのユニゾン中のはやてに、陸戦AAのハラマ、推定空戦Sのリニスに推定空戦SSSのウォルターである。

クリッパーは研究者が本業とは言え推定総合AAランクの魔導師である、侮れる相手ではない、ランクで劣る魔導師であれば4人以上であたる必要があるだろう。

加えて捜査にはある程度の人数が居なければ非効率的で、単独で強いウォルターとリニスは捜査スキルが無い。

更に言えば、余所の部隊の人間であるハラマを単独で泳がせるのは、あまり褒められた選択肢ではない。

“家”の通路や部屋がかなり広めで複数人が入り乱れて戦える事も後押しし、はやては基本的に全員で行動する事に決めた。

 

「……承知しました」

 

 とは口にする物の、ギンガは内心穏やかではない。

少しでもウォルターから離れられる機会の喪失に内心歯噛みしつつも、指示に従いポジショニングをし探索をする。

地下1階には殆ど何もなかった物の、地下2階の大部屋には、恐るべき物が詰まっていた。

駆動音と共に開く扉の奥で一行を待ち受けていたのは、蛍光緑の光で照らされた、幾多の生体ポッドであった。

 

「うっ……」

 

 思わず吐き気を堪えるギンガ。

入り口から一番近くにある生体ポッドから既に強烈で、そこには口を大きく開いた人間の頭蓋があり、その口腔からもう一つ人間の頭蓋が生えていた。

根元の方の生首は限界まで目を見開き叫ぼうとしており、生えてきた方の生首は虚ろな無表情をただただ天井へと向けている。

ギンガが思わず視線を逸らすと、その先の生体ポッドには、全身に顔がある女性の体があった。

安らかな顔面が女性の肉体のあらゆる所から浮き出ており、元となった女性の顔面は発狂し、白目をむいた苦悶の表情である。

何処の生体ポッドも似たような様相で、全てが狂気に満ちた生理的嫌悪感を刺激する物だった。

 

 顔をひくつかせ、ギンガは思わずウォルターの方に視線をやりたくなってしまうのを気合いで制御、そのまま視線は”家”の実験体であったというハラマの方へ。

地上のエースとして有名な彼は、複雑そうな表情で生体ポッドの中身を見つめている。

頭を振り、ハラマ。

 

「俺の記憶には生体ポッドでの実験はなかったが……。そもそも地下2階まで上がる事も脱出時以外無かったからな」

「そこは俺も同じだ。脱出するのに中央区画はむしろ避けてたからな。それより気になるのが……」

 

 入ってウォルターが指さす。

中にゲル状の液体がこびりついただけの、中身の無い生体ポッドの一群に、一つポッドごとなくなっている箇所があった。

下部の機材は残っており、上部のポッド部分のみがなくなっているその様から思いつくのは。

 

「実験体……それも、成功作区画の物がなくなってるって事は、人造魔導師の類いが待ち構えているかもしれないって事だ」

 

 最悪、俺よりハイスペックな奴がな。

続けるウォルターの言葉に、ギンガは思わず背筋が凍り付くのを感じた。

ギンガの脳裏に、かつてウォルターが模擬戦でゼスト隊を全滅させた時の事が過ぎる。

あの圧倒的戦闘能力を、更に超える存在が?

身震いするギンガに、肩をすくめハラマが言った。

 

「ヘイ、ウォルター。言っても、ロットナンバーと魔力量とは関係無かっただろ? お前より後に”制作”なり”調整”なりされた奴が、必ずしもお前より強いとは限らないだろ」

「まぁな。それにスペックが上なだけで負ける程、俺は弱かねーっての」

 

 軽妙な言葉に、ギンガは知らず握りしめていた拳を解く。

そうしてから掌が汗でいっぱいだった事に気付き、歯を噛みしめた。

ウォルターの言葉を信じる事も頼る事も、悪い事ではない筈だ。

母の事だって冷静に考えれば何か理由がある筈、ウォルターは憎むべき相手ではない。

 

 ――なのにどうしてだろう、ギンガはウォルターの事がどうしても憎く感じてしまう。

一挙一動に反応してしまう、いわばウォルターの存在が自分の中で大きい事にさえ、怒りがこみ上げてくる。

胸の奥から真っ赤な何かが一気に広がり、何も考えられず、ただただ体の中で爆発しそうな暴力衝動に身を任せたくなるのだ。

そうしてすぐに、それを例え御せまいが、ウォルターの超人的戦闘能力を前では何の意味も無い事を理解してしまう。

その後にギンガの中に残るのは、ぞっとするほどの虚無感であった。

胸の中にぽっかりと穴が空いたようで、風が吹き抜けるような、全てが通り抜けていってしまうかのような、無感動感。

それでも胸の奥で煮えたぎっていた筈の、原初の思いを胸に、ギンガは歩みを進めていく。

 

 かつてギンガ・ナカジマには幾つもの夢があった。

ウォルター・カウンタックのお嫁さんになりたかった。

母クイントの武を継ぎ、母を武で超えたかった。

父母が魂を賭して守ろうとする人々を、自分の手でも守りたかった。

けれど一つ目は叶える気が失せ、二つ目は最早永遠に叶わず、縋れる夢は三つ目だけ。

月日がそぎ落としてゆく夢たちの中で、ギンガは選んだ夢への道を賢明に歩んでいた。

 

 

 

2.

 

 

 

 酷い頭痛がする。

頭蓋の中に変な腫瘍が出来ているかのようにじんじんと熱を持っていて、更に鉄球でも詰め込まれたのかと思うぐらいに重い。

それでも仮面のために、ふらつきを可能な限り制御し、僕は重心を揺らさずに歩けている。

吐き気もした。

喉奥から吐気と同じ頻度で胃液が上ってきそうになり、喉の奥は硫酸でも飲んだかのように痛んだ。

それでも、表に出す訳にはいかない。

僕は表情筋を完全に制御し、可能な限り顔面を揺らさずに歩く。

 

 歩く。

それ自体も、古い記憶を抉るような行為であった。

金属質な床は、あの仮面を被っていなかった幼き日を、今となっては不確かな日々を思い出させる。

辛く、虚無的な絶望感のある日々、UD-182のあの輝ける魂とふれ合えていただけではない、地獄を歩んでいた時の事を。

UD-182の存在が一筋の光となって僕の精神を助けるが、それすらも記憶の不確かさに怯え、信じる事が怖い。

 

 怖い。

怖いのだ。

僕は、UD-182の存在が不確かである事そのものが、怖くてたまらなかった。

それは、信じていても存在しないと判ってしまった時のダメージが大きすぎるから、という後ろ向きな考えですらなくて、もっと根源的な、おぞましさの混じる物であるよう思える。

僕にとってUD-182の存在は絶対だった。

疑似蘇生体を斬り殺す瞬間すら、僕は根底にUD-182の存在を置いていた。

いや、それどころではない、僕は全人生をUD-182の輝かしい魂を前提に生きていた。

それを今更覆されては、僕は、僕の人生は。

 

「――…………」

 

 僕は小さく頭を振り、懐かしい空気に触発されてでてきたネガティブな思考を追い出した。

内心の溜息を、いつものように内心に止めるのではなく、実際に吐き出す。

珍しく、僕は仮面を被るべき場面で、呆れではなく憂鬱から溜息をついた。

めざとく見つけたはやてが、訝しげな視線。

 

「おや、ウォルター君が憂鬱そうに溜息って珍しい」

「確かにガキの頃のイメージでもねぇな」

「お、ハラマさんもそう思うんか?」

「応、こいつガキの頃から変わらないみてぇだなぁ」

 

 と、ハラマと2人、僕にちらちらと視線をやりながら笑みを携えていた。

やれやれ、と内心、今度は呆れからの溜息をつく。

視線をはやてへ、ユニゾンで色素の薄くなった彼女の相貌へとやった。

 

「盛り上がってるなぁ……。ツヴァイ、お前もそう思うのか?」

『へ? そそそ、そんな事思ってないですよ!』

「そーかそーか……」

 

 肩をすくめ、僕は邪魔にならないよう、かつ戦闘時に最重要人物であるはやてを守れるよう、彼女に張り付いたままになる。

地下、4階。

僕の記憶が正しければ過半数に届く階数となり、僕らは中央区画で探索をしていた。

意味の分からない機材や汚れのこびり付いた手術台、研究者の居住区画などを通り抜け、僕らは奥へと進んできている。

地下4階の中央区画は、中心に実験をしていたのだろう機械に囲まれた椅子があり、それを囲むように大きなコントロールデスクが四方にあった。

恐らく、僕ら実験体を使用する部屋の中でも大きい物の一つだろう。

 

 進み方は、慎重な方だと思う。

時間を与えればロストロギアを実験体に埋め込まれてしまう可能性があるが、実験体の特性は資料などを当たらなければ判らない。

ただリンカーコアの質を黒翼の書に最適化されただけの実験体なら正面から戦うしかないのだが、他に特性があるかどうかや、例えば白剣の書とのリンクが生きているかは重要な情報となる。

いざというとき、白剣の書で何時でも実験体ごととは言え無効化できるというのは、非常に重要な選択肢だ。

それが可能か不可能か判らないまま突っ込むのは、できる限り避けたいというのが部隊の本音なのだろう。

 

 僕は資料の閲覧などについては武装局員よりも知らない程度なので、邪魔にならないようついていく事しかできない。

ガジェットが沸いてくる可能性のあるポイントに意識を集中しながら、内心僕は己の戦闘能力を確認した。

いわば、絶不調であった。

再生の雫事件以来、それほど苦戦した戦いはなかったのだが、頻度が多いわ味方を庇わねばならないわで体に負担が大きい戦いが多かった。

そこに今回の、精神の絶不調が重なり、肉体にも影響がでてきている、という事だろう。

無論技も、精神の均衡を欠いているだけあり、精緻な技を披露するのは難しい。

今目の前に、闇の書を下した時の10歳の頃の僕が出てきたとしたら、技でもスペックでも勝てるかどうか。

 

「…………」

 

 そんな僕の現状を理解しているのだろう、リニスからは心配そうな視線が刺さる。

先ほどギンガを庇っての一撃、あの程度の低い一撃を見て、現状の僕の不調を再確認したのだろう。

何せあの一撃、旧式ガジェットを3体一閃したのだが、刃筋が駄目で、何時も心がけている開発中のある技の練習にすらなっていなかった。

結果は同じだっただろうが、それに成功していれば明らかに消耗が違っていた事だろう。

技の開発に助言してくれているリニスには一目瞭然だったに違いない。

元々の予定である山籠もりの後に休養を進めてくれたのもリニスである、当然の視線と言えた。

 

「あ、これ、実験マニュアルちゃうん?」

 

 そんな憂鬱な気分を拭ったのは、はやてのそんな言葉であった。

集まってくる隊員達と共に、はやての目前の大型空間投影ディスプレイを見る。

そこに移っているページが捲られていくのを、待機状態のティルヴィングに触れ記録させた。

そしてやがて、あるページではやての操作が止まる。

 

「あ……」

 

 UD-200番台の実験前の諸注意、というタイトル。

中には大きく、必ず実験には麻酔を使う事、という文字があった。

視線をハラマへ。

実験に痛みが伴った、という彼の言葉が脳裏を過ぎる。

空気が凍り付く中、ハラマは青白くなった顔で告げた。

 

「……、マニュアルに、全員が従っている訳じゃあない、だろ」

 

 誰も何も言えなかった。

誰一人身じろぎもできない中、ハラマは頭を振る。

 

「続けて、くれ」

「う、うん……」

 

 数ページ捲られると、今度は実験例というタイトルの動画が空間に映る。

不鮮明な映像に、ノイズの混じった音声が響いた。

 

『プロジェ……H、UD-213を対象と……、幻覚剤投与の……開始します』

「……ぇ」

 

 息をのむ音が、複数聞こえた。

僕らの視線の先では、麻酔を注射されたUD-213が椅子に固定され、電極やらを体中につけられた後、幻覚剤と思わしき注射をされる。

うわごとのようにUD-213の口から言葉が漏れた。

 

『265……おい、265……』

 

 それを全く無視するように、手術は進んだ。

頭蓋に刺された電極から流れる電流に従い、ハラマはうわごとを口走る。

立ち尽くす周りの研究者達は、時計を見ながらボタンを押す者、応じた内容をカルテに記入する者、様々であった。

 

『なぁ、265、俺は、お前の魂を信じるよ』

『幻覚剤α、0.01mg投与。計0.05mg』

『お前の言葉を信じて……、俺は生きてみせる』

『電極AからE、調整開始。電流を強めます』

『脱出、しよう。このくそったれな”家”から』

『電流調整、適正値。次に……』

 

 動画の中のUD-213は虚空に向けて僕に対する言葉を口走っていた。

虚ろな目で呟くその様は、言葉の内容と表情があまりに剥離しすぎていて、どうしようもなく、哀れで、同時に生理的嫌悪感をかき立てられて。

それでも僕は、それ以上に思った。

思って、しまった。

 

 ――良かった、UD-182は幻じゃあなかったんだ、と。

 

 すぐに自己嫌悪が僕を襲った。

脳裏に浮かんだ安堵を振り払い、視線をハラマへ。

青ざめたその相貌は、瞳よりも尚青いとさえ思える程。

微かに震えながら、虚空を見つめていた視線を、ふと、僕へと向けた。

吸い込まれそうな、何処か生理的嫌悪感をかきたてるような……、ぞっとするほどに虚ろな目。

 

「ウォルター……」

「……ハラマ」

 

 辛うじて、崩れぬ声色を返す事ができた。

本音を言えば、怖くてたまらなかった。

これが僕のifの姿だと、そう考えるだけで膝から力が抜けそうだった。

それでも仮面の虚勢だけで、僕は辛うじて両足で立ち続けたまま彼の言葉を待つ。

 

「俺たちは……、親友、だったんだよな」

「…………」

「なぁ、そうだろう!?」

 

 喉を引き裂くような悲鳴。

ハラマは顔面を歪ませ、歯を限界まで噛みしめながら、僕へと手を伸ばしてくる。

直後、ハラマの目尻からぽろりと、涙がこぼれ落ちた。

ふらふらと、夢遊病患者のような足取りでこちらへと歩み始める。

ざっ、と部隊の皆が割れ、僕らの間に道を作った。

 

「ゴミ箱を漁りながら生きてきた時も……、孤児院で虐められてきた時も……、地獄の訓練も……、死ぬかも知れない戦いも! 俺は、お前の親友だったと、それを誇りに思ってきたから生きてこれたんだ!」

「…………」

 

 血を吐くような咆哮。

ふらつきながらも、ハラマは出来た道を歩み僕の元へとたどり着く。

伸ばした手を僕の襟元にやり、掴みかかった。

万力を込めて、再び叫ぶ。

 

「俺は! お前の! 親友だったっ!」

「……違うな」

 

 それでも僕は。

僕は、他でもない自分自身のためにその言葉を肯定できない。

気付けば泣きそうになる表情筋を制御し、万力を込めて鋼鉄の表情を形作る。

呆然と僕の目を見つめるハラマに、重ねて告げた。

 

「俺は、お前の親友ではなかった」

「……違う、確かに、お前は……!」

 

 これ以上言うべきなのか、僅かに僕は迷う。

これで十分なんじゃあないかと思う反面、僕は彼を肯定し、僅かでも僕の記憶が脅かされるのが怖かった。

恐怖が反発を呼び、正当性を形作ろうと理論付けが僕の中で行われる。

奇跡的に、ハラマの記憶が間違いで僕の信念が正しければ、言うべき言葉ではあって。

 

「なぁ、お前が何を現実だと信じて生きようが、お前の勝手だ」

「…………」

「だけど、一つ俺が言える事があるとすれば」

 

 ハラマの気持ちなど考えなかった。

考えたくなかった。

考えずに、僕は告げた。

 

「――それは、ただの妄想だ」

 

 あ、と小さく声を漏らし、ハラマは愕然と僕の襟首を離した。

震えながら二歩三歩と離れ、ぺたんと尻をつく。

俯き、すぐにハラマは沈黙した。

後味の悪さと、醜い安堵とが、僕の胸の中を渦巻く。

 

 すぐに、堅い足音。

重心の移動からギンガの物と正体の知れるそれに、視線を。

激情に駆られた憤怒の表情で、彼女は僕へと走りより、ハラマに続き僕の襟首を掴んだ。

万力を込めて僕を引き寄せ、叫ぶ。

 

「何故、そんな事しか言えないのっ!」

 

 僕は視線をギンガにやった。

よほど冷たい視線をしていたのだろうか、僅かに怯む彼女。

それでも内心の憤りは大きいのだろう、続けて叫ぶ。

 

「貴方なら! 誰よりも強い心を持つ貴方なら、他にもっと何か言い方を考えられた筈だ! なのに何故、そんな言い方しかできないの!?」

 

 叫びつつ、ギンガの膝の力が抜けてゆく。

そのまま床へと膝を下ろす彼女を支え、ゆっくりと彼女の腰を下ろしてやった。

僕の襟首から両手を離し、代わりにその相貌を両手で覆い隠す。

嗚咽を漏らしながら、泣き声を漏らすギンガ。

 

「何時から貴方は、こんな人になってしまったんですか……」

 

 昔からだよ、とは言えなかった。

僕の心が本当に強かった時なんて、一度だって存在しない。

何も言えず、僕はただただ立ち尽くす他できなかった。

 

 視線を、ハラマへとやる。

腫れ物に対するように、誰一人近づけないそこへと、僕は歩んでいった。

頭痛と吐き気でふらつきそうになるのを必死で隠しながら、ハラマの目前へ。

 

 本当に。

本当に完全な仮面を被るのであれば、僕は彼へと言葉を告げるべきなのだろう。

彼の心が、本当にやりたいことへと目を向けられるよう、諭すべきなのだろう。

けれど、僕が。

彼の記憶が否定された事で、記憶を肯定された他でもない僕が、そんな事を言う資格があるとは、到底思えなかった。

言えなかった。

だから、僕は無言で彼の前で腰を下ろし、手を差し伸べる。

無言のメッセージのつもりだった。

立つか座り続けるかは彼次第だけれども、立ち上がるなら手を貸すという、それだけの。

 

「…………ぁ」

 

 ハラマの、かすれた声。

その瞳には僅かながら光が戻り、活力が彼の顔に僅かな赤みを戻していた。

理由は分からない。

彼の記憶がどのような物か判らない以上、僕にはそれを想像する事すら叶わなかった。

けれど。

彼は、僕の差し出した手を、握った。

 

「…………」

 

 無言で、彼は僕に引き上げられ、立ち上がる。

数秒視線を交わすも、矢張り僕も彼も言葉が出てこなかった。

互いに踵を返し、僕はギンガの側で立ち尽くすリニスの元へ。

ハラマは役割であるはやての防御の為、彼女の側へ。

 

「だ、大丈夫なんか……?」

 

 思わず、と言った様相で告げるはやて。

それに堅い声色でハラマが答える。

 

「……全快じゃあねぇがな。整理したい事だらけだが、まだ俺は戦える。なら、呆けてるのは性に合わなくてな」

 

 誰も何も言えなかった。

言葉を失う面々を尻目に、ハラマが続けて、作り物と分かる明るい声で続ける。

 

「さて、さっさと先に行こうぜ? 俺たちには制限時間があるんだ、こんな所でぼーっと時間を潰している訳にはいかねぇだろう」

「あ、あぁ、うん……」

 

 頷き、はやてが号令を出す。

重い空気の中、僕らの無言の行軍が始まった。

一歩一歩。

歩みと共に胸の奥の重さが増してゆくのを感じながら、僕もその行軍の一要素となり、歩んでゆく。

歩んでゆく。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。