仮面の理   作:アルパカ度数38%

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5章3話

 

 

 

1.

 

 

 

 差す夕日を砂塵が包む街中。

その裏路地を、滑るような速度で駆けてゆく影が四つ。

僕を含め、全員ともアティアリアでは珍しくも無い、全身に大きな布を巻き付けるような服装である。

大して役に立ちそうも無い迷彩だったが、今の所は有用に働いているようで、UD-182らから逃れてから、今の所敵との遭遇は無い。

それでもいくつか用意してある隠れ家へはまだ距離がある、急がねばならない。

そう思って地面を蹴る靴裏に少し力を込める所に、フェイト。

 

「ウォルター、あれ……」

 

 密やかな声に、僕は足を止め、フェイトが指さす先を見据えた。

魔導師である。

男が3人、バリアジャケットを展開しデバイスを構え、悠々と歩いていた。

つい先刻宿で僕達を囲んだ者達では無いが、似た意匠のバリアジャケットである事から、アクセラの手の者だと知れる。

視線を交わし、僕らは方向転換をしようと意識を統一。

踵を返そうとした瞬間、魔導師達は近くの民家のドアへと魔法を放った。

物理ダメージ設定で放たれた直射弾はドアの鍵だけを破壊、その反動でドアが彼らを招き入れるように開く。

 

「何だ……? 偽の情報でも掴まされたのか?」

「分からないけど。まさか綺麗な心を持つようになった筈なのに、自国民を傷つける筈が……」

 

 と、僕らが無視しようと半ば定めたその瞬間である。

 

「お父さんとお母さんから離れろ-!」

「……っ!?」

 

 かつて出会ったアティアリアの少年、プレマシーの声。

僕らが目を見開き、咄嗟にデバイスに手を伸ばした、次の瞬間。

魔力光のフラッシュが、開け放たれたドアの中から、外の道までを照らした。

肉塊が倒れるような鈍い音が、3つ。

奴ら、理由は不明だが、自称綺麗な心とやらを持ちながら自国民に攻撃魔法を放ちやがったのだ。

信じられない事実に僕は歯を噛みしめ、理性の手綱すら放し駆けだしていた。

 

「――ティルヴィングっ!」

「――バルディッシュっ!」

 

 全力戦闘の為、アティアリア風衣装はそれぞれのバリアジャケットへ。

隠蔽や隠密を無視した超魔力を込めて、僕らはプレマシーの家へと突っ込んでいった。

開ききったドアから中へと、魔導師達への憎悪を込めて突入し。

 

「……あ?」

「……え?」

「……あれ?」

「……嘘、でしょう?」

 

 僕らは。

体に大きな穴が空いた死体を、3つ見つけた。

折り重なるように3人は床に倒れており、特に体の小さなプレマシーは空いた穴が大きすぎて、片腕が半ばもげそうになっている。

空いた穴からは冗談のような量の血液が床へとぶちまけられ、血だまりとなって今も広がりつつあった。

魔導師達は入ってきた僕らに目を見開くも、すぐさま万全の体制で防御を固める。

仲間が来るまで持ちこたえる為の堅実な戦術なのだろうが、そんなことはどうでも良かった。

思わず、激情が口から漏れる。

 

「お前ら……、何故プレマシー達を……!?」

「知れたこと。カテナ神殿で交友を持ったこの子供なら、隠れ家について何か聞いている可能性はあっただろうに」

 

 他に理由も思いつかないので、半ば分かっていた答えだった。

それでも腹腔が煮えくりかえるような、凄まじい憎悪がわいてくる。

それは彼女も同じだったのだろう、続いてフェイト。

 

「馬鹿な……、そんな事の為に、3人の命をっ!」

 

 全くもって同感な僕は、魔力を完全解放し、ティルヴィングへと乗せる。

敵に見つかる可能性だとか、魔導師達が蘇生体である場合殺してしまう可能性だとかは、完全に無視。

可能な限りの全力をたたきつけようとした、その瞬間である。

訝しげに、魔導師達は言った。

 

「……お前たち、一体何をそんなに怒っているのだ?」

「そうか、お前たちはアティアリアの外から来たばかりか」

「なら思いつかなくては無理もあるまい」

「……何を、言って……?」

 

 子供好きなリニスもまた、鬼のような表情で直射スフィアを浮かべていたのだが、魔導師達の尋常では無い様子に疑問詞を呟く。

魔導師達の様子は、まるで罪悪感という物が感じられない。

まるでプレマシー達3人を殺したのと、紙くずをゴミ箱に捨てたのとで、何ら差が無いような様子であった。

僕も流石に気味の悪さに、今すぐ相手をたたき切ろうとする自分を抑え、答えを待つ。

魔導師の一人が、自慢気に言った。

 

「死んだなら、生き返らせればいいだけではないか」

 

 ぞっ、と。

僕の全身を、脱力感が襲った。

辛うじてティルヴィングを持つ力を維持するも、姿勢が僅かに崩れそうになるのを押さえきれない。

それは僕の仲間3人も同じだったようで、全員から隙が見えた。

しかしそれでも専守防衛の方針に変わりは無いのだろう、魔導師達は防御に腐心しデバイスを構えたままである。

フェイトが、震える声で呟いた。

 

「な、何を……」

「だから、生き返らせればいいだろうに」

「むしろ一度死んで生き返る事で、彼ら3人は私たちと同じように、清い心を持つ事ができるのだよ」

「私も、一度死ぬまでは思いもしなかった、アクセラ様に蘇生させていただいてからのこの人生を。清い心で生きる事の、なんと心地よい事かを」

「今は管理局の目から逃れる為に、国民全員を殺して蘇生する訳にはいかない」

「故に彼ら3人は、選ばれた幸福な者なのだよ」

「きっと彼らは、生き返った後私たちに感謝する事だろうな。私たちもそうだったのだから」

「お前たちも、死して蘇生してもらうと良い。良いぞ、蘇生体の人生は……」

 

 ちゃき、と。

フェイトが呆然としたままバルディッシュを構える音に、僕はようやく我に返る。

半ば本能的に、フェイトが手を汚す前にと、僕は床板を蹴った。

 

「――断空一閃」

 

 殆ど同時にカートリッジが排出され、超魔力の斬撃が魔導師達を襲う。

話していて油断もあったのだろう、激突の寸前に作られた結界はもろく、一合で僕は魔導師達3人を巻き込み切り裂いた。

魔力ダメージが致死となる彼らの肉体を、ティルヴィングは感触を僕に伝えながら切断。

肉を断ち骨を断つ感触に、僕は歯を噛みしめながら黄金の巨剣を振り抜いた。

3人の分かたれた上半身が、空中を回転する。

遅れて肉体が床を打つ音が待っているかと思われたが、魔力生命体たる彼らの肉体は、床にたどり着く前に粒子となって消えていった。

代わりに、背後でフェイトが膝を突く音が響く。

 

「……こんなのが。こんなのが、アクセラの望む世界なの!?」

「182は、これを知って奴に協力しているのか……?」

 

 思わず呟きながら、僕は鉛のように重い足を引きずり、先にプレマシーの両親の元へとたどり着く。

大きく見開かれた2人の目を閉じさせてやる間に、フェイトが呟くように言った。

 

「プレマシー……。私たちと出会わなければ。両親を守る決意なんてさせなければ。この場から逃げようとして、一撃でも魔法を避けていれば。生きていたかもしれないのに……」

「……ま、そうかもな」

 

 言いつつ僕は、次いでプレマシーの死体の前に立ち止まる。

どうしようもなく心が空虚で、何もかもが自分からこぼれ落ちていくような感覚すらあった。

彼の見開き、こぼれ落ちそうになっている目を閉じさせてやるために、腰を下ろした。

まるで重力が少なくなってしまったかのような、頼りない感覚。

投げやりな僕の言葉が怒りに触れたのだろう、フェイトが鋭い声で言った。

 

「そうかもな、って……。プレマシーは、ウォルターと話して自分の信念に気付いたんだよ!? そして、そして……そのせいでプレマシーは死んだ!」

「だろうな。勿論、責任が俺にある事は確かだ」

 

 言って、僕は頭を振った。

UD-182との対立がある現状、仮面を被る意味すらも曖昧だったが、それでも僕は仮面から手を離す事ができない。

溺れた人間が、決して板を手放す事ができないような事なのだろうか。

藁にもすがる気持ちで、僕は心を立て直す。

プレマシー。

僕よりも何倍も格好良く、尊い本物の信念を持ち、それに殉じて死んだ子供。

 

「だがしかし、俺はこの子を不幸だとは思わないさ」

 

 僕は、できる限りの敬意を込めてそういった。

伸ばした手で、プレマシーの目を閉じさせてやる。

自分の信念が何かすら曖昧になりはじめている僕と比し、彼の生き様はあまりにも尊く見えた。

父母を守るというありふれた信念を、それでも己の命を賭けてまで守った子。

そんな子を、僕は不幸だなんて言えなかった。

言える筈が無かった。

 

「自分の信念に一生気づけない人間だって居る。だけどこいつは、自分の中にある本物の信念に気づき、そのために命を賭けられたんだ」

 

 僕の紛い物の信念とは違う、本物の信念。

プレマシーと出会ったあの日、僕が彼の瞳に見た、僕なんかとは比べものにならないほどの炎。

羨ましいぐらいの心の強さ。

例え死んでも、それを発揮できた彼を、僕は。

 

「それを不幸だなんて、俺は言えない」

 

 言えない。

言える筈が無かった。

 

「勿論責任を感じているし、怒りも沸いてくるが……。俺は泣くより先に、こいつを褒めてやりたいんだ」

「……っ!」

 

 立ち上がると、フェイトが無言で走り寄ってきた。

片手を伸ばし僕の胸ぐらを掴むと、もう片手を伸ばし、僕の頬にたたきつける。

ぱぁん、と痛ましい音が響いた。

くしゃくしゃに歪んだ顔のフェイトは、ぽろり、と涙をこぼしながら叫ぶ。

 

「ウォルター、貴方は人の弱さを知らない。……人の弱さを知るのには、強すぎたんだ!」

 

 足の力が抜け落ちそうになった。

頭の中がすぅっと済んだ冬の空気のようになって、急に何もかもが遠く感じられる。

そんな頭蓋の中に、フェイトの叫びは幾度も反響し、響き合った。

強すぎたんだ、強すぎたんだ、強すぎたんだ……。

何度も、何度も。

この弱虫の僕に、なんて皮肉な台詞なのだろうか。

恐ろしい程に心が空虚になるのと同時、僕は自分の仮面が未だ完璧である事の安堵をも得ていた。

 

 そんな僕を手放し踵を返すフェイト。

アルフは僕とフェイトを見比べてから慌ててフェイトについてゆき、僕とリニスだけがその場に突っ立っていた。

数秒、立ち尽くした後で、僕はフェイトの後を追って歩き出す。

プレマシー達を弔うべきなのだろうが、明らかに先の魔導師達は念話で増援を呼んでいる事だろう。

これ以上この場で戦い、彼らの死体を傷つけるのは本意では無かった。

加えて、UD-182やプレシア先生の例を見るに、埋葬したら蘇生できなくなると言う訳でも無いらしい。

故に行くべきは、隠れ家の一つである。

靴裏で床板を蹴り、進む僕。

すれ違う瞬間、リニスが呟いた。

 

「ウォル、ター……」

 

 思わず僕は足を止めて、フェイトが振り返る様子が無いのを伺ってから、リニスへと視線をやった。

今にも崩れそうな彼女に、僕は両手を伸ばす。

冷えた手を腰に回し、彼女を抱きしめた。

僅かな安堵と共に脱力するリニスだったが、それは抱きしめた側の僕も同じであった。

人肌の体温が、驚くほど僕の心が冷えていた事を伺わせる。

 

「大丈夫だから。さぁ、行こう」

 

 “僕”とは口に出して言えない僕は、主語を抜いて告げる。

次いで体を離し、僕はできる限りの笑みを浮かべた。

流石にちょっと硬すぎる笑みだっただろうが、それでも一応笑みの形だけは作る事に成功する。

しかしそれでも精神リンクが繋がっているリニス相手には不器用な所作だったのだろう。

彼女は頷いてくれたが、ぽろり、と目尻から涙を零しながらであった。

僕も頷き、先行するフェイトに追いつくべく、歩き出すのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 暗い組織の多いアティアリアには、拠点の類いを用意した組織が壊滅した後、誰にも知られず残っている施設などがある。

僕ら4人が隠れている半地下の施設もまた、その一つであった。

入り口から階段を下りると、20平方メートル前後の正方形に近い空間がある。

一面を未整備状態の質量兵器が突っ込まれた棚が埋め、残り二面には壁際にぼろソファと、天井近くに細長い窓が取り付けられていた。

古くてたまに明滅を繰り返す照明に照らされ、僕とリニス、フェイトとアルフでそれぞれ一つのソファを占領している。

言葉は無く、僕らはただただ使い魔と寄り添うようにして座っていた。

 

 はっきり言って、僕らは劣勢に立たされていた。

先ほどの一件で僕とフェイトのチームワークはバラバラ、敵は最も大切な人であるUD-182とプレシア先生で、先生の戦闘能力はフェイト以上。

加えて最大戦力の僕に至っては、先ほどまでアクセラと協力する道を捨てきれずに居た。

それだって、プレマシーの死とその理由が辛うじて僕をUD-182の元にはせ参じるのを止めているだけに過ぎない。

 

 そう、プレマシーの死は僕にいくつかの疑念を抱かせていた。

UD-182はアクセラの言葉が事実であれば、彼女に協力すると言っていた。

それは果たして、アクセラの私兵が言っていたように「どうせ生き返るんだから殺しても何の問題も無い」という考えを含んでいるのだろうか。

含んでいるとして、それは生前のUD-182でも同じ結論であったのか。

蘇生によりUD-182は人格を変えてしまったのではあるまいか。

そうであれば、僕の仮面の方がまだ生きていた頃のUD-182に近いのかもしれない。

 

 けれど、僕の霊感はそうは言っていなかった。

あれは僕の記憶にある限り、寸分の互いも無くUD-182であると。

同じ死者蘇生でも、プロジェクト・フェイトのアリシアとフェイトにあったような人格の差異は無いのだと。

どうせ生き返るんだから、という考えについてUD-182がどう考えているのは分からない。

けれど少なくとも、蘇生UD-182は、僕の仮面よりも生前のUD-182に近いのだろう。

少なくとも、僕がこれまで頼りにしてきた勘によってはそうだった。

 

 そういえば、UD-182は命を大事だと思ってはいたが、信念と選ばされたとき、迷い無く信念を選べる人間であった。

それを考えれば、人の生き死になど、彼にとってはさほど重要では無かったのかもしれない。

思えば彼の遺言も、ようやく渇望していた外にたどり着いてすぐに殺されてしまったというのに、自分の信念の事しか考えていなかった。

すると、彼が本心から全てを知ってアクセラに協力するというのは、例え蘇生による人格改変が無かったとしても、十分あり得る事なのかもしれない。

では、つまり。

 

(ティルヴィング、変なことを聞いていいかい?)

(何でしょう?)

 

 リニスを巻き込む形で隠匿念話を発動。

3人だけの念話の中で、僕は震えそうになる声で言って見せた。

 

(僕と蘇生したUD-182。どっちのほうが、生前のUD-182に近かった?)

(エラーが出ました)

 

 お前……。

一気に脱力しそうになるのを必死で押さえ、続ける僕。

 

(あぁもう、あれだ、どっちの信念の方がよりオリジナルの信念に近かったかって言っているんだよ)

(蘇生したUD-182と称される個体の物です)

(あっそ……)

 

 一回脱力しそうになったのが良い感じに肩の力を抜いてくれたのか、ティルヴィングの答えは思ったより僕の心を動揺させなかった。

半ば僕自身でも予想していた答えだったからかもしれない。

心配そうに僕に視線をやるリニスに、大丈夫だ、と薄く笑みを作って安心させる。

続けて念話。

 

(僕の信念は、少なくともUD-182の持つ信念そのものではない、紛い物の間違った信念だ。加えて、UD-182の台詞。

“俺はお前に、そんな生き方をして欲しくって、夢を託したんじゃあないっ!”。

僕は信念を間違い、その受け継ぎ方も間違っているんだ。間違いだらけの紛い物の人生さ。けれど)

 

 言って、僕は目を閉じ、開いた。

弱虫の僕に本当にそんな事ができるのか、分からなくて不安だらけだけど。

怖くて怖く仕方ないけれど。

だけど。

 

(でもじゃあ、僕はUD-182に全てを託し、彼の刃となれば良いのか? かつて7年前に夢見ていたように、僕は彼の隣で戦うだけの、信念無き刃であればいいのか?)

 

 僕は、静かに膝に置いた右手を天井に向けた。

天へ向けて伸ばす事無く、その場で僕はゆっくりと、右手を握りしめる。

力強く。

噛みしめる歯が、指の骨が、軋む程に。

こみ上げてくる涙を飲み干して。

 

(――嫌だね)

 

 僕は、言って見せた。

震え声だった。

今の僕の目がどんな目かなんて、見なくても分かる、酷い目をしているに違いない。

恐らくは自己不信と恐怖に滲んだ、どろどろの目をしているのだろう。

当たり前だった。

だって、その理由は。

 

(理由は、分からない。僕自身、なんでそんなに嫌なのか、自分でも分からないんだ。僕はただUD-182の刃であれば良かった筈だった。なのに何でだろうね、どうしても僕はただの刃になりきれない)

 

 けれどリニスは、そんな酷い目をしているだろう僕の目を見て、少し惚けてさえいるようだった。

どうしたものかと内心首を傾げつつも、僕は言葉を重ねる。

 

(結局の所、我欲なんだろうね。名誉か、誇りか、何による物なのかは分からないけれど、僕は信念の為に自分自身までは捨てられなかった。敗北なんだろう。最初に定めた僕の目的からは、外れているんだろう。スバルとギンガだって、僕に失望するに違い無い。彼女達の為に信念を貫き続けると決めたのに、そのために自分自身を捨てられないんだからさ)

 

 相当格好悪い事を言っている自覚はある。

というか、敗北宣言に近い言葉である。

なのに何故だろうか、僕を見つめるリニスの目には熱い炎が宿っていて。

僕はそれにすら劣等感を覚えてしまうのだけれども。

それでも僕は続ける。

 

(でも、僕は……、僕なりの仮面を被るやり方で、UD-182の物だと信じていた紛い物の信念を、それでも貫いていく。理由がどんなに分からなくても。根拠がどんなに薄くても。僕は、僕の信じる事の為に、戦う。例え――)

 

 力が入りすぎるほどに握りしめていた手を、開く。

爪の跡が残る掌が天井に向けられて。

意識して覚悟をより噛みしめ、僕は告げた。

 

(UD-182を殺してでもだ)

 

 きっとその目は薄汚れていただろう。

目的のためには親友をも殺してみせるという目が、清い訳がない。

最低最悪、腐った蛆虫のような瞳なのだろう。

リニスだって流石にこれは、僕から離れたがるに違いない。

その時は、僕の仮面の事を口外しないと約束したならば、彼女を信じ、互いに道を分かつつもりだった。

無論リスクは大きいが、仕方があるまい。

 

 なのに何故、僕はこんな事を宣言したのか。

それは当たり前のような事で、僕は言葉ではきっぱり言いつつも、自分が土壇場でUD-182を本当に殺していいのか迷う、と確信していたからだ。

その時僅かでも自分を後押しするために、リニスに、そしてティルヴィングに宣言したと言う事実が欲しくて言ったのだ。

 

 それでも何でだろうか。

そんな身勝手な理由で、汚濁のような宣言を聞かされたと言うのに。

リニスは、両手で天井に向け開かれた僕の手を取った。

暖かな体温が伝わってきて、思わず僕は目を見開く。

 

(褒められるはずの無い宣言なのでしょうね。でも、なんででしょう、私は……)

 

 続けてリニスは僕の手を引っ張り、両手で包んだままに自信の胸に当てた。

そして、微笑む。

天上から天使が舞い降りたかのような、美しく清廉な微笑み。

リニスは熱っぽい目をしながら、告げた。

 

(――貴方の使い魔であった事を、誇りに思います)

 

 予想と正反対のリニスの反応に、暫時僕は惚ける。

そんな僕の反応を見てクスリと微笑み、リニスはゆっくりと僕の手を離した。

そして人差し指を可憐な動作で唇に当てると、ぱちっとウインクを。

 

(理由は秘密です。何時か貴方が、自分の手で見つけるべき事ですから)

(……そっか。ありがとう!)

 

 そう言われてしまえば仕方有るまい。

僕は礼を告げると、ゆっくりと目を閉じ、開いた。

深呼吸をし、椅子に対し垂直に視線をやる。

視線の先にはアルフと念話しながら話し合っていたフェイトが居て、偶々か、視線が合った。

何処か怯えの混じる、緋色の瞳。

僕は表情を硬くしながらも、椅子から腰を上げ、口を開いた。

 

 

 

3.

 

 

 

「俺は――、UD-182。要するにあの黒髪の子供だが、そいつを殺す事になってでも、この事件を止める」

 

 え、と。

フェイトは小さく声を漏らした。

目前のウォルターは、UD-182なる少年と出会ってから何処か張り詰めた空気を持っていた。

当たり前と言えば当たり前か。

蘇生させられたプレシアはフェイトにとっての最も大切な死者である、ならばあの子供はウォルターにとっての最も大切な死者であるに違いない。

その服装とウォルターの言動から推測するに、恐らくはウォルターの言う実験体だった友達である。

先の戦闘時はただでさえフェイトに余裕が無かった上、分断までされてしまったので、会話内容は分からない。

けれどそれでも、2人の間に強い関係がある事は見て取れた。

それを。

ウォルターは。

 

「最悪再生の雫を破壊して止める可能性もあるし、その場合生き返った死者がどうなるのかは分からない。それでなくとも、アクセラの手で殺されるのかもしれない。そもそも、魔力ダメージが致命傷に繋がる以上、手加減はし辛く俺たちの手で殺してしまうかもしれない。つまり、敵対すれば俺たちの最も大切な死者は……ほぼ確実に再び死ぬと考えてもいい」

「だから……殺す覚悟をする、の?」

「必要だからな」

 

 フェイトは元々ウォルターを偶像視をしている所があった。

誰よりも熱い炎を身に秘めた、人間として持ちうる最大の輝きを持つ魂の持ち主。

誰もの心を輝かせる、精神的超人。

 

 その印象は、アティアリアに来てから幾分か変化する事となる。

例えば、同じ実験体を助けずに逃げたウォルターの話。

普通実験体は外の世界など知らず、閉塞的な世界で死んでゆくだけと絶望する者が多く、ウォルターと共に脱出しようなんて思えないのが普通だ。

だがウォルターは外に出る希望に心を燃やし、脱出しようとしない実験体達を理解できないと言わんばかりであった。

フェイトは、それがウォルターが弱者を理解できない程に強い人間だったからだと考えた。

 

 更にプレマシーの件である。

ウォルターのような超人であれば信念を命より優先する事など、当然のことに違い有るまい。

だが、フェイトはプレマシーの痛ましい死骸を前に、とてもそんな事は思えなかった。

勝手な物言いだが、プレマシーのような子供には、信念なんてどうでもいいからただただ生きていて欲しかったのだ。

だからフェイトには、プレマシーを褒めてやりたいなどと言ってしまえるウォルターが、まるで人間では無いようにすら思えてしまって。

加えて、親友を殺す覚悟を決めるウォルター。

 

「そして俺が勝利するという事は、恐らくプレシア先生ももう一度死ぬという事だ。フェイト、お前が何を考え、どう行動するのかは分からない。だが……」

「分かってるよ」

 

 言ってから、自分の声が思っていたよりずっと冷えた物になっていた事に気付き、フェイトは内心驚愕した。

それでも感情が歪めてゆく表情筋だけは元に戻せず、フェイトは凍り付いた声のままで続ける。

 

「分かってる、私はプレシア母さんを殺してでも、アクセラを止めなくちゃいけない事ぐらいは。でも。でも」

 

 フェイトは、両手を胸にやり、己をかきむしるようにした。

胸の奥にたまった、どろどろとした感情があふれ出る。

グチャグチャになった感情が吹き出し、フェイトは立ち上がりウォルターへと歩み寄った。

その肩を掴み、激情と共に叫ぶ。

 

「でも、簡単にプレシア母さんを殺してでも、なんて言える訳ないじゃない! ウォルターは……、ウォルターは何でそんな事言えるの? 貴方にとって一番大切な人は、そんなに簡単に殺せる人なの!?」

 

 直後、パン、と乾いた音。

惚けた顔で2歩3歩と下がり、それから頬に走る熱に、フェイトは走り寄ってきたリニスに頬をはられた事に気付いた。

 

「あ……」

 

 ぽろり、とフェイトは目尻から涙を零す。

頭の中が冷え、自分が何を言ってしまったのかが痛烈なまでにフェイトの内心に刻まれた。

怒りで顔を歪めたリニスが続けて叫ぼうとするのを、ウォルターが手で制し、続ける。

 

「簡単じゃあねぇが……。理由つっても、な。見ただろ、命を簡単に生き返らせられる事は、歪んでいる。――いや、それも正しい言い方じゃあないな。俺は、命が簡単に生き返る世界が気に入らない。そんな世界で人の心が輝けるとは思えないからだ」

 

 炎の視線がフェイトを貫いた。

ぞくり、と背筋が浮くような感覚。

かつてプレシアやリィンフォースへと向かっていった時よりも尚熱い、魂を燃やす熱量。

 

「だから俺は、例え親友を再び殺してでも、再生の雫をどうにかしてみせる。182、あいつと友達だったからこそ、俺がどうにかしなくちゃならないんだ。全てを賭してでも、俺はあいつを止めなくちゃならない。他でも無い、この俺がな」

 

 理由も無く心が震える言葉であった。

フェイトの中の劣等感や恐怖、悲しみ、鬱屈とした感情達が、まるで燃料となったかのように燃え、熱い炎へと変わってゆく。

腹腔の炎が全身にたどり着き、フェイトは体中にみなぎる熱い血潮に、小さく震えた。

 

「それに、アクセラの奴もだ。あいつが何を考え、どうしてこの世界を肯定しているのか、今一分からん。全部分かってやってるんだったら敵同士さ、戦って勝つ。でも本当の自分を見失っていたら、そいつを見据えさせてやりたいんだ」

「ぁ……」

 

 言われて、フェイトはアクセラの精神状態など全く頭に無かった事に気付く。

アクセラはフェイトよりたった2つ年が上なだけの少女なのだ。

死者蘇生の力を得た少女が心を歪ませない筈も無いのに、フェイトはそれを考えたことすらもなくて。

目前のウォルターが、どうしようもなく大きく見えた。

 

「本当の自分に気づかず目を背けている奴が居るならば。自らの信念に気づいていない奴が居るのならば。そいつをぶっ飛ばして、気づかせるのが俺の信念なのだから」

 

 ウォルターが右手を天へ向け、伸ばす。

ゆっくりと万力を込めて掌を握りしめ、同時に肘を曲げ手を己の目前に。

手の腹を己へ向け、あの燃えさかるような野獣の笑みを浮かべた。

 

「他にも、プレマシー達の仇討ちだとか、ダチに負けるつもりがねぇとか、色々あるが……。まぁ、そんな所だ。フェイト、お前はどうする?」

「どうするって……」

 

 目の前の男のあまりにも大きな器に、フェイトは半ば呆然としていた。

自然返事も浮ついた物になり、対するウォルターは目を瞬いてから、改めて告げる。

 

「こんな事言っているが、俺はUD-182とは一対一で決着がつけたいし、いくらなんでも敵が多すぎて楽勝とは到底言えない。プレシア先生に加えて、多分行方不明になった執務官3人も来るだろうし、他にも魔導師は居るだろうしな。だから俺は――」

 

 言って、ウォルターはフェイトの目をじっと見つめた。

視線が交錯し、フェイトはウォルターの黒曜石の瞳に、自身の緋色の瞳をさえ見る。

普段なら見つめ合うのは何となく居心地が悪くて視線を逸らしてしまう物なのだが、どうしてだろうか、目前の男の目は視線を吸い寄せるような不思議な何かを持っていた。

 

「お前に、力を貸して欲しい」

 

 どくん、とフェイトの心臓が高鳴った。

興奮による熱い血潮が全身へ巡る。

かつてのリィンフォースとの戦いの時、ウォルターのバトンを受け継いだ、あのときのような高揚感。

喉まで肯定の返事が出かかって、それでもその意味を考えると、フェイトは返事を口に出せなかった。

ばかりか、胸の奥がいっぱいになってしまい、何も言えなくなってしまう。

次いでウォルターの目を見続けるのが辛くなってしまい、フェイトは視線を逸らした。

数秒後、ウォルターの、何処か寂しげな声。

 

「とりあえず、考えておいてくれ。俺は外から建物に展開している隠蔽結界を見てくるさ」

 

 言って、ウォルターはゆっくりとドアまで歩いてゆき、慎重に開けて外に出てゆく。

ドアの閉まる重い音を合図に、フェイトの両目から再び涙が溢れ始めた。

 

「リニス……ごめん」

 

 開口一番、フェイトはリニスに謝り頭を下げた。

すると、すぐにリニスはフェイトの頭蓋を抱きしめる。

思わずフェイトが視線をあげると、先ほど怒りに歪んでいた彼女の顔は、何時しか慈悲に溢れた暖かな笑顔になっていた。

そんな彼女の顔を見ていると、どうしてだろうか、フェイトの中からこみ上げてくる涙が増え、大粒になる。

 

「大丈夫ですよ、貴方は十分反省しているようですからね」

「うん……ありがとう」

 

 言って、フェイトは静かにリニスの胸に顔を埋め、泣き続けた。

フェイトは、自己嫌悪で今にも自分を埋めてしまいたいぐらいだった。

ウォルターが親友を殺す決断を簡単にしてみせた?

そんな事ある訳がない。

友であったリニスを救う為に地球に現れ、フェイトのために、プレシアのために、あれほど傷ついてまで戦い続けた男が。

偶々出会った少女に過ぎないはやてとの約束のため、あの血も凍るような怪我をしながら闇の書に立ち向かった男が。

あのウォルター・カウンタックが、簡単に親友を殺せるような男である筈など、無いに決まっているではないか。

その誤った判断の原因は。

 

「私、ウォルターに嫉妬してたんだ……」

 

 呟き、フェイトはリニスを抱きしめる力を強めた。

慈母の表情で自身を受け止めてくれているだろうリニスに、フェイトは続け懺悔する。

 

「私が、プレシア母さんと戦うのが嫌で、うじうじ悩んでいる横でさ。ウォルターは、私よりもずっと早く決断をしてみせたから。それがあんまりに輝いて見えたから。だから……」

「……後悔していますか?」

「え?」

 

 思わず視線を跳ね上げるフェイト。

その視線の先には、想像通りの柔らかな母性に満ちた笑顔がある。

言葉だけではなく、心の奥の何かが促されるのを感じ、フェイトは言った。

 

「うん……後悔している」

「なら、まずは本人に謝りましょう」

 

 言って、リニスはフェイトを抱きしめていた両手を解き、肩に手を。

顔がぶつからない程度の距離を作り、少しだけ身をかがめようとして、止めるリニス。

その仕草に、フェイトはいつの間にか彼女に背丈が追いつきそうになっている自分に気付き、内心驚いた。

懐かしさに顔を緩めるフェイトの頭頂に、ぽん、と暖かな温度が接する。

頭を撫でられているのだ、と感じ、フェイトは薄く頬を赤らめた。

 

「貴方とウォルターであれば、きっと心が通じ合える筈。ウォルターなら、彼なら貴方の心を引き出してくれますよ」

 

 リニスの言葉は暖かな顔と温度と共に放たれている筈なのに、何故だろうか、薄ら寒く聞こえる。

それでも内容に間違いは無い筈だ、とフェイトは考え、頷いた。

にこり、と微笑み返すリニス。

 

「さぁ、では行ってらっしゃい」

「……うん、行ってきます、リニス」

 

 フェイトもまた微笑みを返し、扉へ向かい歩み始める。

心臓が高鳴り、不安と恐怖が手足を縛るが、それ以上の熱量がフェイトの中には渦巻いており、それが彼女の歩みを止めず動かしていた。

短い階段を登り終え、重いドアを開く。

すっかり夜の帳が下りた、月明かりだけが注ぐ夜闇がそこには広がっていた。

 

 

 

 

 




あんまし動きは無し。
次回もこんな動きの量な気がしましたり。

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