仮面の理   作:アルパカ度数38%

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第三章 黄金期編・後 闇の書事件 新暦65年 (A's)
3章1話


 

 

 

 靴裏で金属製の床を蹴りだし、前に進む。

反響音が小さく鳴り、床の青いライトの光量に比例するかのように、暗闇へと吸い込まれていった。

久しく通るアースラの通路は、相変わらずかつての“家”を思わせる金属的な内装で、少しばかり僕は憂鬱さを増した。

さっさと明るい室内に入ろうと、足早に進む。

もしかしたら、この通路は人々を足早に進ませる為に暗めに設定されているのかもしれない。

そんなことを思いながら僕は、リンディさんから聞いた5人が居ると言う食堂にたどり着く。

小さい排気音と共に、スライドするドア。

光に満ちた空間に足を踏み入れ、思わず一息つく。

 

 食堂は全体的にクリーム色で、明るい部屋だった。

ミッドでは流行の幾何学的な配置となっているテーブルが目につき、壁は木目のある部分と明るく透明なガラスで彩られている。

一見すれば洒落たカフェにも見えなくもないが、所々の天井近くに小型のモニタがくっついている事が、ここは確実に艦内であると告げていた。

その一角、アースラの中でも特に平均年齢の低い箇所へ向かって、手を振りながら歩く。

するとガタリ、と椅子を引いて立ち上がり、金髪の少女が手を振り返してくれた。

それに応じるように残る4人も僕へ視線を向け、次いで体を向けて歓迎してくれる。

 

「よ、ちょっと久しぶりだな、みんな」

「ウォルター、こっちこそ久しぶりっ!」

 

 明るい声を出すフェイトに釣られるように、クロノ、ユーノ、アルフ、そしてリニスさんもまた僕に挨拶を告げる。

それを受け取りつつ近づき、僕はクロノとユーノが座っている側の椅子を引き、座った。

丁度フェイトを左右で挟むリニスさんと対面になる形になる。

早速、身を乗り出すようにして聞いてくるフェイト。

 

「ねぇウォルター、母さん元気だった?」

「あぁ、プレシア先生は滅茶苦茶元気だったぞ。

っつーか、ノリノリで鬼教師やってたぐらいだな、あの人は」

 

 思わず脳内に鋭い眼光のプレシア先生を想起してしまい、苦笑気味に答える。

そう、PT事件の終わりからフェイトの裁判が始まったのだが、僕はフェイトの裁判に協力すると言った手前、他の事件に頭を突っ込む事はできなかったのだ。

当然戦闘訓練は欠かした事も無いし、クロノやフェイトと模擬戦もしたが、それだけではちょっと時間を有効活用できていない感があった。

そこで僕は、迂闊に動けないフェイトにプレシア先生の様子を伝えるついでに、彼女の研究について勉強を教えてもらう事にしたのだ。

プレシアの事を先生と呼ぶようにしたのは、その時からである。

この半年間でかなりの事をプレシア先生から習い、使い魔に関する技術に加えて記憶に関する技術、応用魔法技術についても習う事となった。

お陰で魔法に関しての理解がかなり深まり、魔法処理速度が格段に上昇、戦闘能力の強化にも繋がったのだ。

 

「それで、勉強の進み具合はどう?」

「何とか博士号レベルは突破して、研究者としては初心者の辺りにはたどり着いた、って言って貰えたかな。

まぁ、俺も必要な技術は教えこんでもらったから、これ以上学徒の道を行く事は無いだろうけど」

「そうですか……。まぁ、ウォルターに研究者というのもあまり似合わなそうですけれどね」

 

 といって、リニスさんはフェイトと顔を見合わせ、クスリと口の端を持ち上げる。

まぁ、あまり知的な職業の似合う仕草はしてこなかったつもりだが、なんだか脳筋と言われているようで、僕は何とも言えない表情を作った。

それがまたおかしいのか、またもやクスリと皆が笑い声を漏らす。

こほん、と咳払いをし、強引に話の流れを切って、僕は話を戻してみせた。

 

「で、そっちの裁判の方はどうなんだ、そろそろ判決が出るんだろう? あんまり協力できなくて悪かったが……」

「大丈夫だよ。

君の影響力もそうだけど、これまでのフェイトの受け答えも確りした物だったからね、まず無罪判決を勝ち取れるだろう。

勿論、念の為用意しておいた受け答えを覚えてもらう事は必要だけれどもね」

「うん、分かったよ、クロノ」

 

 と、クロノが答え、フェイトが頷く。

僕の法律関係の知識は、違法犯罪者を攻撃する立場にある以上ある程度はあるのだが、流石に執務官と比べられるほどではない。

PT事件のような大規模な事件であってもフェイトが無罪を勝ち取れるかどうかは、正直不安な物があった。

だが、言っている内容もそうだが、二人の表情に曇りは無く、明るくスッキリしたものである。

これなら大丈夫だろう、と納得しつつ、僕は次いで口を開いた。

 

「そっか、そりゃ良かった。

それともうひとつ、今プレシア先生の元から帰ってきたのには理由があってな」

「へぇ、どうしたんですか?」

 

 首をかしげるリニスさんに、僕は真っ直ぐに視線を向ける。

何かあっただろうか、と視線を少し泳がせたリニスさんだが、すぐに僕へと視線を戻し、視線がぶつかり合った。

静かに僕は告げる。

 

「これからリニスさん、あんたの将来をどうするか、決めて欲しくってな」

「将来、ですか?」

 

 目をぱちぱちと瞬きさせるリニスさん。

僕は深く頷き、続ける。

 

「プレシア先生の授業で、使い魔に関しての技術をより深めてきたからな。

フェイトに主としての権利を移譲する事もできるし、カートリッジの魔力を使用する事で、俺の負担なく俺の使い魔として、プレシアやフェイトの元で生きる事もできる。

ま、どっちの場合も今よりは戦闘能力は落ちてしまうだろうが……。

どっちにする?

答えは今すぐでなくともいいが、考えておいて欲しいんだが……」

 

 これが僕がプレシア先生から勉強を習った最大の理由であった。

リニスさんとしては当然フェイトなりプレシアなりの近くに居たいだろうし、その為には僕の使い魔であると言う立場は邪魔だろう。

それに、一応恩人という形になる僕の負担になるのを、リニスさんが歓迎したいとは思わない。

しかしかと言って、リニスさん程の使い魔を維持するにはフェイトの負担が大きすぎる。

と言うことで、落とし所はこんなところになった。

前者はフェイトの負担が、後者は僕が死ぬとすぐに魔力切れで死んでしまう事が弱点か。

それでもまぁ、何もしないよりはマシな結果に落とせたのだし、我慢して欲しい。

そんなつもりで言った話なのだが。

 

「……え?」

「……え、って、え?」

 

 首を傾げるリニスさんに、同じように首を傾げる僕。

鏡合わせのような変な状況になってしまったのを、困惑気味に続けるリニスさん。

 

「あの、もしかして私のためにプレシアの所に勉強をしに行ったんですか?」

「魔法の処理速度の向上に別アプローチをかけるため、でもあったがな」

「だとしたら、その、すいません、フェイト達とも相談したんですけれども……」

 

 もしや、消滅の道をでも選ぼうと言うのだろうか。

思わず目を細める僕を尻目に、リニスさんは言った。

 

「私は、貴方を主として、共に戦って行きたいです」

「……へ?」

 

 予想外の言葉に、思わず僕の頭の中が真っ白になる。

澄んだ瞳でリニスさんは、僕を真っ直ぐに見つめていた。

その瞳の奥に、何処から湧いてきたのかわからない不思議な熱を感じ、僕は思わず小さく身震いする。

静かな威圧が、リニスさんから放たれていた。

それに呆然とする僕のテーブルの上に置いてあった両手を、リニスさんが両手で上から握りしめる。

互いにまるで祈りを捧げているかのような姿勢を取る事となった。

 

「貴方に受けた恩は、正直に言って一生物です。

それに私は、貴方の事を主として慕ってもいるのです。

どうか私を、貴方の人生と共に歩む使い魔として、認めては貰えないでしょうか」

 

 あまりの突然な事態に、僕の脳内は何かを考えようとしても空回りするばかりであった。

いや、それではいけない、ウォルター・カウンタックは間抜け面を晒して良い訳が無いのだ。

意識を切り替え、何とか僕は思考を取り戻し、考えこむ。

視線をちらりとフェイトとアルフの方にやると、二人とも真剣な眼差しで僕らを見守っていた。

つまり二人とも了承済みと言う事で、要するにこの言葉を引っ込めさせる事はできないか。

霊感と言うべき部分で僕はそう悟り、そして困ってしまった。

 

 仮面をかぶったまま使い魔と付き合っていいのか、と言うのもあるが、それ以前に使い魔と主には精神リンクと言う物がある。

今のところリニスさんとは最低限にしている為、殆ど感情は流れずに居るが、本格的に使い魔とするならば精神リンクを開かない訳にはいかない。

何故なら精神リンクとは、主から使い魔に対する信頼の証でもあるからだ。

僕はリニスさんを使い魔にして、彼女を信頼しないような行為を取りたくないし、また“俺”としても取れない。

ならば僕は、精神リンクを開くのだろうか?

この弱々しい僕を教えてリニスさんを裏切っていた事を教えるばかりか、僕の本性が晒される危険性まで犯して。

 

 できない。

できる筈が無かった。

それでも、“俺”であればリニスさんの言葉には是と答えるべきでもあって。

苦悩の果てに出た言葉は、こんな物であった。

 

「すまん、今すぐには答えが出せない。暫く、考えさせてくれるか?」

 

 明らかに、リニスさんの顔が曇った。

暗い表情を押し殺しながら、作り笑顔でリニスさんは言う。

 

「分かりました、ちょっと唐突すぎましたもんね」

 

 重ねるようにしていた両手を離し、乗り出していた上半身を戻すリニスさん。

なんで、と言う視線がフェイト達から僕に襲いかかり、僕はひょっとして“俺”としてやってはいけない類のミスをしてしまったのではないかと思う。

しかし、ならばどうすれば良かったのだ。

どうしようも無かったとしか言い様がないが、しかしそれはつまり、僕の演技に限界が来てしまったと言う事に他ならないのではなかろうか。

偽物の演技の、限界が。

そう思うと、目の前が真っ暗になりそうになるのを避けられない。

それでも必死で、まだ決まりきった訳じゃあない、と精神を立て直し、少し難しい顔をするぐらいでどうにか留める。

 

 場には、なんとも言えない沈黙が横たわっていた。

何とか口火を切って、ユーノとクロノが軽いじゃれあいのような物をして場の雰囲気を軽くしようとする。

しかし何かが喉にでも引っかかっているような不快な感覚は、今日一日ずっと消えないまま残っているのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それでは、ご協力ありがとうございましたっ!」

「まぁいいって事よ、俺からも協力したかったんだしな」

 

 軽く手を振って返し、僕はカーペットを踏みしめ、ガラス張りの自動ドアを抜ける。

夜のネオンに彩られた、高層ビルの立ち並ぶコンクリートジャングルに足を踏み入れた。

憂鬱な気分を体の奥に押しこめ、僕は夜のクラナガンを歩き出す。

 

 あれから二週間近くが経った。

フェイトの裁判が終わったその日、僕は何となく夜の風に当たろうとクラナガンをうろついていた。

勘の赴くままに歩いていた僕なのだが、なんといきなり通り魔に遭ってしまったのだ。

当然僕は攻撃を回避したのだが、その通り魔は中々の凄腕だったようで、一般人を庇っている間に逃してしまう。

すぐに駆けつけてきた管理局の地上部隊の話によると、残留魔力波形パターンによると、既に何人もの魔導師を殺害した通り魔なのだそうだ。

生き残った魔導師からの証言によると、凄腕の魔導師との果し合いを望んでいるのだと言う。

と言っても武芸者とは一味違って卑怯な手もアリの戦いが好きらしく、平気で一般市民を巻き込み盾にするような輩だそうだが。

そしてそいつは、狙った相手は完全な勝利を得るまで付けねらうのだと言う。

そんな事柄から、僕は通り魔対策の為に地上部隊に協力する事になり、アースラを離れる事となってしまったのだ。

 

 なのはが巷で噂の魔導師襲撃事件に巻き込まれたと聞いたのは、協力を決めたそのすぐ後である。

流石に心配ではあったが、僕とて連続魔導師殺害事件の協力者である、ほいほい手伝いに行く訳にはいかない。

罪悪感はあったが、リニスさんに対する答えを用意していなかったが為の安堵もあり、なんとも言えない複雑な気分だった。

その事実が更に罪悪感を煽り、すぐになんとも言えないどころではない気分になったのだが。

 

 通り魔による連続魔導師殺害事件は、先日解決できた。

何度か交戦したのだが、全て僕と地上部隊の力で市民に怪我はあっても犠牲はゼロ。

最後には通り魔の魔導師は時限爆弾を使って近くでテロを起こし、部隊がその救援に向かっている隙に僕に挑むと言う頑張りっぷりを見せた。

通り魔の魔導師のランクは凡そAAA、人質を取られながら楽々と勝てるような相手ではなかった。

市民に犠牲なく勝てたのは、正直運が良かったとしか言いようが無い。

ちなみに名乗りもされなかったので、結局名前も知らないままである。

第33管理世界の独房に入れられたと言う話を聞いたが、それぐらいしか彼について知る事は無い。

 

 そんな訳で、すっかり顔なじみになった地上部隊に別れを告げ、僕は夜のクラナガンを歩いていた。

今日はとりあえずミッドで過ごし、明日明後日にはアースラに合流し、力を貸す予定だ。

聞く所によると闇の書とかいうロストロギアが関係しているらしく、ユーノが本局の無限書庫で闇の書についての情報を集めているらしい。

ユーノの所に寄っていってからでもいいかな、と思いつつ、ようやくのこと考える事が無くなり、僕の思考は悩んでいる本題に戻る。

 

「リニスさんを、俺の使い魔に、ねぇ……」

『戦力的には問題ないかと思いますが』

 

 雑踏を歩きながらぽつりと漏らすと、ティルヴィングが明滅して答えた。

分かっているさ、と内心で呟きつつ、僕は人の少ない方へと歩みを進める。

別に誰かに狙われているとかいうドラマティックな展開ではなく、単に人ごみが鬱陶しくなってきたからだ。

元々目的地もなく気分転換に歩いていただけなので、特に不都合もない。

 

『アースラとの通信で、リニスはフェイト・テスタロッサに勝利する程の戦闘能力を保持していると分かりました。

コンビでの戦闘を磨けば、純戦闘能力ではマスター単体に劣りますが、対応力は勝るかと。

加えて言えば、デバイスマイスターとしての腕もマスターに有利に働きます』

「あぁ、分かっているよ」

 

 遠距離戦闘を主として格闘能力も持つリニスは、ちょうど僕と正反対の戦闘適性を持つ魔導師だ。

コンビになってもそれぞれ二手に分かれても相性が良いと言うのは、言われるまでもなく分かっている。

デバイスマイスターとしての腕が有益なのだって分かりきっている。

だが、問題はそんな事ではないのだ。

何時までも僕の心情を理解できないティルヴィングに、思わず苛立ち舌打ちしてしまう。

ティルヴィングが機械的なのは何時もの事だ、と自分を抑え、小さくため息をついた。

 

 横道に一本逸れると、あっと言う間に人が減る。

観光客や一般人は殆ど見られなくなり、薄暗い職業につくもの達が、ネオンの光を避けるように足早に過ぎ去っていくのみだ。

時折僕の方に向かってくる愚かな人間も居るが、僕は魔導師としてクラナガンでは有名人だ。

すぐにリスクの高さを察知し、不自然な軌道で僕を避け、過ぎ去っていく。

 

『使い魔を持つ高位魔導師で強者と称された人間も、少なくありません。

管理局で有名なのは、少し古いですが、かのギル・グレアム辺りでしょうか。

在野の魔導師や古代ベルカの魔導師にも多く居ますし、例えば……』

「分かっているから、少し黙ってくれ」

『了解しました』

 

 キツイ口調で言うと、ようやく夜の静けさが戻ってくる。

小さくため息をつき、僕はふらふらと目的無しにクラナガンを彷徨った。

まだ夜といっても夕食時を少し過ぎたぐらいだ、自宅に戻るのはもっと後でいい。

どうせじっとしていればすぐにリニスさんの事が思い浮かんでしまうのだ、折角歩ける間ぐらいは頭の中を空っぽにしたい。

本来なら鍛錬がいいのだろうが、今朝方に通り魔との決着をつけたばかりでダメージもあるので、ティルヴィングに駄目と言われてしまった。

勿論ダメージを抜くにはさっさと帰って寝たほうがいいのだが、少しぐらいの気分転換は許して欲しい。

 

 僕はなるべくリニスさんの事を考えないようにして歩いた。

見目には分からないよう重心を上げたり下げたりしながら歩き、また靴裏に感じるアスファルトに反響する足音を感じながら歩いた。

腹圧を高めたり限界まで遅く深く息をしながら歩き、また目視した建物の構造や骨子を想像しながら歩いた。

小一時間程は歩いたのではないかと思う。

敢えて頭の中に地図を思い浮かべず、ぐちゃぐちゃな道筋を歩いた僕は、そろそろ自宅に足を向けるか、と思い、足を止めた。

と同時、ティルヴィングが明滅する。

 

『ナカジマ家ですが、此処が目的地だったのですか?』

「へ?」

 

 言われて辺りを見回すと、少し離れた所にナカジマ家があった。

思い返せば、この付近も見覚えのある場所だ。

無意識のうちに来てしまったが、別に何か用事がある訳でもない、引き返そうと振り返る。

すると、丁度曲がり角を曲がってきた女性と目があった。

翻る青色の髪に、深いエメラルドの瞳。

当然僕の記憶の中には、彼女の名前が刻まれており。

 

「あれ、ウォルター君?」

「クイントさん?」

 

 思わず、互いに目を瞬く。

すると、理由は分からないがなんだか恥ずかしくなってきてしまい、僕は薄く頬を染めながらポリポリと頭をかき、言った。

 

「あぁスマン、偶然通りかかっただけだったんだが……、仕事帰りか?」

「えぇ、そうだけど……ここに偶然?」

 

 住宅街にあるナカジマ家は、そうそう偶然たどり着く所ではない。

しかし本当に偶然なので、他に言いようがない。

それをどう思ったのか、クイントさんはツカツカとパンプスを響かせこっちに来て、バッと僕の頬に両手を伸ばした。

僕の両頬を軽く抓り上げ、ぐいぐいと上下に動かす。

 

「そんな訳ないでしょ~が。

何かあるんでしょ、家の中で聞くから、ほら、こっち来なさいっ」

「いや、あのな、本当に……」

「いいからっ」

 

 と言われて、僕は何がなんだか分からないうちにクイントさんに連れられていった。

このへんの強引さに、いつも通りだなぁ、とか思う僕。

そんなこんなで、いつの間にか僕は応接間で暖かい珈琲を手に、私服に着替えたクイントさんと向かい合っていた。

スバルとギンガはちょっと早めだが、もうお眠のようである。

 

「それで、何があったの」

 

 だしぬけに、クイントさんが聞いた。

言えない、言える筈がない。

これは最悪僕の仮面が剥がれてしまうかもしれないような問題なのだ、できる限り少ない人数で処理すべき事だ。

確かにクイントさんは、リニスさんが当事者である以上、僕にとって何かを相談できる唯一の相手だろう。

けれど、それでも言えるはずが無いのだ。

なのに。

気づけば、僕の口は動いていた。

僕はリニスさんが僕の元を離れるだろうと考えていて、その方法を持ってきた事。

リニスさんが僕の使い魔として共に歩みたいと言ってくれた事。

そして。

 

「俺は……リニスさんを連れて行く訳には、いかないんだ」

 

 結局結論は此処に行き着く。

けれど、どうやって断ればいいのか分からなくて、そんな事に悩む僕はあり得ないほどちっぽけだ。

そんなのきっちりと断るしか無いのに、それでリニスさんを傷つけてしまう事が怖くて尻込みしている。

プレシア先生との戦いで僕が感じていた凄まじいまでの全能感が、嘘のようだった。

 

 静かに目を伏せ、暖かい珈琲をすするクイントさん。

視線で僕に先を促し、僕もまたそれに頷き続きを口にする。

 

「これは俺一人の戦いで、簡単に誰かを巻き込む訳にはいかない。

誰かを巻き込むのなら、そいつに俺の誓いを全て話すのが筋だが……俺には、それができない」

 

 つまりはそういう事だった。

僕はリニスさんに全てを話さなければならないけれど、それはできない。

怖いのだ。

僕にとって、この広い次元世界で個人的に友好を持っている相手なんて、クイントさんとリニスさんしか居ない。

その片方に、貴方とその家族を救った口先も人格も、全て嘘偽りだなんて告げるのが、怖くてたまらないのだ。

そんな事を言ってしまえば、僕はリニスさんとの絆を永遠に失ってしまう事になる。

勿論それを広められてしまう可能性も怖いが、どちらかといえばその方が僕には怖かった。

僕はそれに耐え切れず、故に全てを話す事はできない。

 

 ならば今までどおり、嘘偽りの理由を話し離れてもらえば良いのではないか。

それもまた、不可能であるように僕には思えた。

僕と向き合ったリニスさんは、僕が思わず怯んでしまうような覇気を持っていた。

まるでUD-182の鱗片を思わせるかのような、凄まじい覇気をである。

一体何処でそんな迫力を得たのか知らないが、少なくとも、急ごしらえの嘘では誤魔化されないだろう迫力であった。

つまり、嘘もまたつけない。

 

 では、共に行き、リニスさんを騙し続けるのか?

勿論それもできない。

彼女を裏切り続けるのも嫌だし、すぐ隣に居る人を騙し続けられるかどうかという、可能不可能の問題もある。

僕は偶にティルヴィングに弱音を漏らすことで辛うじてこの仮面を維持してきたけれども、果たして隣にリニスさんが居る状態でそれができるのだろうか。

無理だ。

出来るわけがない。

今でさえいっぱいいっぱいなのに、直ぐ側にリニスさんを置いて、僕の仮面が破錠しない訳がない。

よって、リニスさんを騙し続ける事もできない。

八方塞がりだった。

 

「……どうして?」

 

 黙りこんでしまった僕に、当然クイントさんは問いかけてくる。

許されるのであれば、この場で泣き崩れ、彼女に全てを明かしてしまいたかった。

その上で全てを許してもらい、どうすればいいのか一緒に考えて欲しかった。

けれどそんな事は、現実に起こり得ないただの妄想である。

僕は頭を振り妄想を頭からたたき出すと、用意してあった言葉を告げる。

 

「すまん、言えないんだ」

「……そっか」

 

 言って、クイントさんは乗り出していた上半身を引かせ、足を組んでみせた。

人差し指を唇にやり、暫し視線を彷徨わせたかと思うと、僕へと向ける。

視線が絡み合う。

何時も快活なこの人にしては、少し儚げな笑顔であった。

意外な表情に、少しだけ心臓が脈打った。

 

「ウォルター君、生きていくのには、胸の内を、全てとは言わなくとも吐き出せる相手っていうのが必要なのよね」

「……身にしみているよ」

 

 事実である。

僕にティルヴィングが居なければ、彼女がストレージデバイスのような非人格型デバイスであったとすれば、とっくに僕は挫折し仮面が剥がれていただろう。

そして今まさに、リニスさんに胸の内を吐き出せず、それに苦しんでいるのだから。

“俺”が作ってはならない類の憂鬱な笑顔を、思わず見せてしまう。

クイントさんは足を解き、立ち上がった。

テーブルの周りをゆっくりと回りながら、続ける。

 

「勘違いじゃあなければ、私もその一人にしてもらえているみたいだけど。

私には吐き出せない他の部分を吐き出す相手が貴方には必要だわ」

「それを……リニスさんにしろって、そういうのか?」

 

 それができないからこうやって苦しんでいるのだと言うのに?

クイントさんは言外にそう告げる僕の背後に回りこみ、完全に視界から消え去る。

もしかしてこのまま去ってしまうんじゃあ、と思うと、僕は背筋が凍りついたかのような感覚を憶えた。

まるで小さな子供のように、クイントさんを求めて振り返ろうとする。

まさにその、瞬間であった。

ふわり、と。

まるで暖かいヴェールに覆われたかのような感触であった。

血肉の通った暖かな腕が僕を抱きしめる。

肩にはクイントさんの顎が置かれ、白磁の頬は僕の頬に擦り寄せられる。

ほのかな汗とシャンプーの香りが漂い、僕の鼻を刺激した。

僕は、椅子越しに後ろから、クイントさんに抱きしめられていた。

 

「ううん、リニスとは限らず、貴方にはそういう相手が必要だって事。

リニスには悪いけれど、あの子と貴方が主従になるかどうかより、その方が大事だと思うわ。

それに主従になれないのなら、理由が言えないって言っても、リニスならきっと分かってくれるわよ」

「……そう、かな」

 

 違う。

ここは僕は、「そうか?」と言い返すべきであった。

ほんの僅かだけ、仮面の隙間から本音が透けて出てしまったのだ。

それこそが僕の危惧していた事態そのものであったと言うのに。

更に言えば、今の僕はその事が重要だと思えなくさえなっていた。

それほど、暖かに抱きしめられる事は、僕にとって快感であった。

駄目だ、と言う内心の叫びも、少しづつ弱くなっていく。

まどろみのような暖かさに、溶けてしまいそうになる。

続いてクイントさんが何かを言おうと、口を開いた、正にその瞬間であった。

扉が開く、大きな音。

 

「お~い、ただいま~!」

「あ、は~い! おかえりなさ~い!」

 

 言うと、クイントさんは手を解き、僕に小さく両手を合わせて頭を下げた。

あの人タイミング悪いわねぇ、と苦笑しつつ、玄関へと向かう。

その間僕は呆然としていたが、クイントさんの姿が消えるのに、はっと自分を取り戻した。

僕は一体、何をやっていたのだ。

凄まじい自己嫌悪に頭を打ち付けたくなっていると、足音と共にゲンヤさんが応接間に現れる。

目が、あった。

 

「お邪魔してるぜ、久しぶり、ゲンヤさん」

「……あぁ」

 

 言葉少なにゲンヤさんは小さく会釈すると、奇妙な沈黙の場が形成された。

今日に限らず、彼と出会うといつもこんな空気になってしまう。

なにせゲンヤさんは管理局の地上部隊を指揮しており、僕はその地上本部に横槍を入れて犯罪者を捕まえて生計を立てているのだ。

いい顔をされないのは当然で、出ていけと言われないだけマシだろう。

管理局の反応としては、クイントさんやハラオウン一家の対応がおかしいだけなのだ。

そうやって僕が他者に悪意で見られる事を強く自覚すると、先程までのクイントさんから貰った暖かな感情の残り香を、押し流す事ができる。

いつも通りの“俺”に戻って、そろそろお暇しようかと立ち上がろうとした、その瞬間である。

 

「そうだ、ウォルター君、ついでだし家に泊まってく?」

 

 顔を出したクイントさんに、出足を挫かれた。

反論しようとするより早く、続けるクイントさん。

 

「ギンガもスバルもきっと喜ぶわよ~!

丁度明日、あの子達の学校は創立記念日で休みなの、遊んでくれると嬉しいわ。

ね、あなたも良いでしょ?」

「あ? いや、まぁ、別にいいんだが……」

「ほら、歓迎するって!」

 

 と、家長の許可が出てしまった。

とすると、ここまでされて拒否すると言うのも、ゲンヤさんの顔を潰してしまう。

それにクイントさんの事だ、これ僕が家に帰るなどと言い出したら、本当にギンガとスバルを起こしてしまいかねない。

内心ため息をつきながら、立ち上がりかけていた腰を下ろし、言った。

 

「そうだな、どうせ家に帰ってやる事も無いし、今日はお邪魔させてもらおうか」

「オッケイ、布団用意しとくわね~!」

「あぁ、今日は世話になります」

 

 僕が頭を下げるが早いか、クイントさんは引っ込み家事を始める。

疾風怒濤の強引さであった。

それに呆れているうちに、思わずゲンヤさんと目があってしまった。

互いに何となく、目で語る。

——なんていうか、苦労してますね。

——言うな。

先程とはまた違う、なんとも言えない沈黙がその場に横たわるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナカジマ家から少し離れた、早朝の公共魔法練習場の一角。

ベンチに座ったクイントとスバルが見守る中、試合場でウォルターとギンガが睨み合っている光景があった。

普段は此処にスバルとウォルターが居ない代わりにもう一人、店主とナンバー12の息子が加わる。

なのだが、流石にウォルターが居る為それは自重し、現状の人数となっていた。

 

「お姉ちゃん頑張れーっ!

ウォル兄も頑張れーっ!」

「やぁぁっ!」

 

 スバルの声援を背に、ギンガが駆け出しウォルターに向かって拳を突き出す。

左の拳をウォルターの顔面目掛け放ち、同時に右の拳を腹に向かって突き出した。

半身になって避けるウォルターは、ギンガの首筋に向かって手刀を下ろそうとするも、姿勢を低くされ避けられる。

前転してウォルターの攻撃圏外へと逃れるギンガ。

立ち上がると同時、ギンガの側頭部を超速度で間合いを縮めたウォルターの拳が打ちのめす。

かなりのダメージなのだろう、くらりと揺れたギンガに、ウォルターはあっさりと両手を取ったまま足払い。

一緒になって倒れこんだギンガの顔面へ向けて拳を放ち、寸止めする。

 

「ほい、一本だ」

「~~~、ウォルターさん、も、もう一本お願いしますっ!」

「真っ直ぐ立てるようになるほど回復したらな」

 

 ウォルターにすぐさま襲い掛かろうとしていたギンガは、言われて自分がフラつき息を切らしていることに気づき、悔し気な表情で座り込む。

先ほどの側頭部への一撃は、体力が限界近いギンガを一旦休ませる為の方便を作るための一撃だったのだ。

それと交代に、クイントの隣に居たスバルが飛び出していった。

 

「ウォル兄、私も私も~!」

「応、ギンガが回復するまでに兄ちゃんに一発当てられたら、スバルの勝ちな!」

「今日こそは勝ってみせるんだからねっ!」

 

 言って飛びかかるスバルを、ウォルターは軽くあしらう。

何時もインドア派なスバルだったが、ウォルターとギンガが模擬戦をしているのを見ると、体が疼くらしくこんな風に飛んでいってしまうのだ。

ウォルターがナカジマ家に泊まる度に見られる光景だったが、クイントはウォルターが負けた所を一度も見たことがない。

負けず嫌いだなぁ、と苦笑しつつも、クイントは目を細めウォルターを見つめる。

胸の中を苦い物が駆け抜けるのを感じ、クイントは僅かに口元を噛み締めた。

それを見咎めたのだろう、ギンガが首を傾げつつ零す。

 

「母さん、ウォルターがどうしたの?」

「……ううん、なんでもないわ。

それよりほら、まだちょっとグラグラするんでしょ、こっちきなさい」

 

 言ってクイントは、ギンガを抱き寄せる。

少し納得の行かない色を表情に乗せていたギンガだったが、クイントの体温に触れると誤魔化されてくれた。

それに苦笑しつつ、クイントは再びウォルターへと視線を向ける。

スバルが触れようとするのを軽々と避けるウォルターの表情に、昨日のような憂いを帯びた色は一切見えない。

何時も通り、完璧な人間のウォルターであった。

 

 クイントは、昨夜実を言えば、最大級の精神的衝撃を受けていた。

ウォルターが弱音を吐いたことに、死ぬほど吃驚していたのだ。

彼を長年見知っているクイントでさえ、いや、だからこそなのだろうか。

クイントは、ウォルターが弱音を持っていると言う当然の筈の事実に対し、半信半疑にさえなっていたのだ。

それぐらいにウォルターは底なしに明るく熱く、英雄的な人間であった。

局内でも、彼を嫉妬したり邪魔者扱いする者と同じぐらい、彼を英雄視する人間も居る。

加えて言えば、クイントが見た、かつてティグラとの対決で店主を間接的に殺してしまったと悟った時、ウォルターが数分とせずに復活した光景がそれを後押ししていた。

クイントは、自意識過剰でなければ、ウォルターの一番近くに居る人間であった。

なのにクイントは、ウォルターに弱音がある事に気づかなかったのだ。

その事実に、クイントの胸の中を苦いものが過る。

しかし同時に、そのウォルターが弱音を漏らす相手に自分を選んでくれた事に、クイントは少しだけ誇らしさを感じていた。

自分のような大人の心さえも動かすあの熱血少年に頼ってもらえると言うのは、少なからずクイントの自尊心を刺激していたのだ。

 

 けれど、とクイントは思った。

けれど、夫は一体何を言いたかったのだろうか。

昨夜ウォルターが寝た後、少しだけクイントとゲンヤは夫婦の会話をした。

ウォルターにあまり良い感情を持っていないらしかったゲンヤ。

彼にクイントは、現場一筋の貴方からすると、ウォルターが鬱陶しく感じるの? と聞くと、ゲンヤは難しい顔で答えた。

——それもあるんだが、気づいていないのか、と。

何に? と問うたクイントにゲンヤはお前はそういう事に鈍いからな、と言ったきり口を濁し、昨日の会話は幕切れとなった。

一体、自分はウォルターの何に気づいていないのだろうか。

本当にまだ、ウォルターの事で気づいていない事があるのだろうか。

内心首を傾げるクイントの横で、ギンガがピクリと動く。

 

「あら、もう行くの?」

「うん、行ってくるっ!」

 

 元気そうに走っていく娘が、スバルと交代にウォルターと相対する。

自分の胸に向かって飛び込んでくるスバルを抱きしめてやりつつ、クイントは思う。

本当にウォルターの事で気づいていない事があるのだとしても、それは必ずしもクイントが気づかなければならない事ではない。

聞けばウォルターはリニスの事を随分慮っているようだし、主従の関係になれなくとも友人として関係を築く事はできるだろう。

ウォルターは確かに強すぎるほどに強い。

けれどそれは、必ずしも孤高でいなければならないと言う意味ではないのだ。

願わくば、ウォルターに心の中を吐き出せる相手が少しでいいからできて欲しい。

そんな風に思いながら、クイントはギンガとウォルターの模擬戦を見守るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい緑色の床にクリーム色の壁。

調度品は全て濃茶の木目で彩られており、その滑らかな光沢は高級品である事を思わせる。

それだけ見ればただの執務室だが、その中に幾つかの銀色が混ざり、空間投影ディスプレイが用意されている事が、そこが地球外の技術によって作られた部屋なのだと示している。

革張りの椅子に座った白髪の男、ギル・グレアムは、椅子に深く腰掛けなおし深くため息をついた。

それに彼と机を挟んだ位置に立っている二人の女性のうち一人が声をかける。

 

「お父様、何か気になる事が?」

「あぁ、彼の事でね……」

 

 言いつつグレアムは、指を動かしディスプレイを反転させた。

空間に映し出される情報に、二人の女性、リーゼロッテとリーゼアリアが目を細める。

ネコ科の目が瞳孔を縦に割り、剣呑な空気を醸しだした。

二人は、ディスプレイに表示されている名前を読み上げる。

 

「ウォルター・カウンタック……」

 

 次元世界屈指の戦闘能力を持つ魔導師の名である。

ムラマサ事件を始め9つの大事件に関わり、最近ではロストロギアの補助によりSSランクオーバーとなったと予想される、大魔導師プレシアをも破った事で有名だ。

その魔力も魔法技術も戦闘技能も全てが高水準。

魔力は凡そSSランク相当、魔法技術もかつての敵が使った魔法を容易く模倣できるほど、戦闘技能は純粋な技術もそうだが勘の鋭さが異常だとされている。

グレアムと自分たち2人の3人がかりでも、優勢にはなれても、勝てるとは断言できない。

そう判断する二人を尻目に、グレアムは疲れきった表情で続ける。

 

「彼はムラマサ事件とPT事件で、テスタロッサ一家に深く関わった。

元プレシア・テスタロッサの使い魔リニスを現在使い魔にしているのは、ウォルター。

となれば、偶々足止めになった通り魔事件が解決した今、ウォルターが闇の書事件に関わるのは時間の問題だ。

今現在テスタロッサ一家は闇の書事件に深く関わっていて、抜け出させる事はできない。

保護観察者がリンディ君だからな。

アースラを闇の書事件の担当から外せばいいのだが、そうなると今度はデュランダルを扱う者が居なくなる。

仕様変更をするにもはやて君の寿命に間に合わなくなってしまう可能性がある以上、これ以上の遅延は許されないだろう」

「となると、確実にこのウォルターとかいう餓鬼は関わってくる訳ですね。

この戦闘能力だと、ツーマンセルで行動しているヴォルケンリッターだけでの相手は厳しい……どころか」

「えぇ、“仮面の男”を加えての3対1でも、勝てるかどうか……。

厄介ね、パワーバランスが崩れてしまうわ。

そうなれば、ヴォルケンリッターが萎縮して蒐集効率が下がってしまう」

 

 事実である。

リーゼロッテとリーゼアリアはSランク魔導師相当の戦闘能力を持つし、ヴォルケンリッターも前衛はニアSランクの戦闘能力を持っており、後衛もAAランク相当の戦闘能力を持っている。

しかし、SSランクというのはそれだけで勝てる相手ではない。

グレアムというSSランクの魔導師を知るがゆえの、リーゼ姉妹の判断であった。

同じ判断を持っていたのだろう、グレアムは首肯し続ける。

 

「……ヴォルケンリッターは地球から離れた地域に蒐集の場を移した。

アースラの管轄外で、誘導してヴォルケンリッター4人を集めた上で、ウォルターにぶつける事も不可能ではない。

幸い、地球に行くには第33管理世界を経由する必要がある。

事前に“事故”に遭って脱獄した魔導師との戦闘で消耗したウォルターならば、4人がかりであれば倒せる筈。

ヴォルケンリッターがウォルターの存在に萎縮し蒐集効率が下がるのは避けられないが、ウォルター蒐集分で差し引きゼロに近くなるだろう。

これで、はやて君の死期に間に合ってくれれば良いのだが……」

「逆に早くなりすぎて、デュランダルが間に合わなくても駄目、と。

私達は今度は蒐集を途中で止める役割になりそうですね」

 

 昨日捕まったばかりの通り魔の魔導師は、ウォルターを目の敵にしているのだと言う。

加えて、ウォルターは通り魔との戦闘で市民の被害をほぼゼロにしてみせた。

それらから予測するに、通り魔が“事故”で脱獄しても、被害はウォルターのみで終える事ができるだろう。

“事故”無しではヴォルケンリッター4人がかりでも勝てるか不安が残るし、“仮面の男”が参戦するのはできる限り控えさせたい。

単純に正体を隠すためにもそうだし、不意打ちでウォルターの蒐集を止めさせなければならない為でもある。

“事故”を起こすのに心苦しさが無い訳でも無かったが、最終的にグレアムはそう判断した。

ならば二人も、それに従うのみだ。

 

「了解しました、お父様」

 

 足を揃え敬礼する二人に、グレアムは前かがみに机に両肘をつき、頷く。

 

「頼んだぞ、私の可愛い娘たちよ」

 

 二人が微塵の揺るぎもなく翻り、この場を去っていく。

それに僅かに目を細めながら、グレアムはため息をついた。

“事故”の工作はもうしてある、グレアムは既に引けない場所に居る筈だ。

引けないなら引けないなりに、覚悟を決めるべきだろう。

何時もグレアムはそうしてきたし、はやてや闇の書に関する事以外で後悔を引きずった事など一度も無い。

なのに何故か、グレアムの心の内側に、理由の無い不安が渦巻いていた。

他愛のない不安だと切って捨てようにも、まるで切った所からまとわりつくかのように、不安はその量を増していく。

両肩に見えない手を置かれ、体重をかけられているかのような感覚であった。

 

「……気の所為さ」

 

 気休めの一言さえまるで効いていないかのように思え、グレアムは再びため息をついた。

 

 

 

 

 


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