鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様) 作:ほりぃー
黒い上着の裾を伸ばして、デニムの皺を手で撫でる。
「よし、準備できたぞ」
服装を整えた真奥は後ろを振り返り、芦屋に言った。声をかけられたその長身の男は、頷いてから「完璧です、真奥様」と返した。彼はおべっかを言う性質ではないからそれは本当に思ったことだろう。
今日は鈴乃の出かける日。少なくとも真奥はいつも着ているシャツで遊びにいくわけにはいかなかった。とは言っても昨日決めたことだから、家にある服を漁って整えた服装ではあった。だがなかなかに様になっている。
真奥自身はその正体からは考えらないほどに好青年である。短く切った黒髪に、ギラリと光る眼光。それでいながらどこか幼さを感じさせて、バランスが取れている。その上、毎日の激務で鍛えられているのだろうか、細身にしては筋肉がある。
真奥は鏡の前で変な顔をしながら、最後のチェックをした。芦屋はできる限りその変顔を見ないようにする。本人は精悍な顔つきで、俗にいえばイケメンなのだかあまり気にしていないらしく繕ったりしない。それはそれで良かれ悪しかれだろうが。
「よし」
ぱんと顔を叩いて真奥は立ち上がった。とりあえず鈴乃を迎えに行かなければならない。ちなみに今は朝の八時三〇分、漆原はまだ寝ている。正確に言うと、昨日から気絶したままだ。
「真奥様、財布です。二つに分けましたので一つは後ろのポケットに入れてもう一つは別のどこかに小さいものを入れておいてください」
芦屋が財布を差し出した。その黒の長財布ともう一つのがま口には彼が心魂を込めて溜めあげた5万強が分けて入っている。芦屋の手が震えているのは、虎の子を使ってしまうことへの不安だろうか。
「おう、サンキュー」
真奥は長財布を受け取ると後ろのポケットに入れた。がま口は上着のポケットにいれる。二つに分けたのはリスク分散の為だろう。真奥は良く考えてくれる芦屋の感謝しつつ、玄関に向かっていく。
真奥はヘラを掴んで、靴を履く。とんとんとつま先を地面で叩いてから履き心地を確認する。彼はそれからドアを開けた。そこまでの気負いはないつもりだが、多少はそれがあるのかもしれない。
ドアを開けると、朝日が差し込んできた。いい日だと悪魔の親玉は腕を伸ばす。
「御気を付けて」
「芦屋も今日は頼んだぞ」
真奥はかるく言い、部屋を出た。口笛を吹き始めた彼は、存外に上機嫌だった。
「おーい、鈴乃?」
真奥は徒歩五秒の隣人宅、そのドアをノックする。だが返事はない。真奥は真面目な鈴乃のことだからと、起きてないとは思わない。さらにどんどんと叩く。
「うん? 準備してんのか、それともどっかに行ってる、ん?」
真奥がそんな疑問を口にしながら、入り口の横についた窓に目をやると、鈴乃の部屋の中で影が動くのが見えた
いる。いるけれど居留守を使っている。しかも今窓際の影が動いたということは、外の様子を伺っていたことに他ならない。
「おーい。起きてんだろっ」
鈴乃の存在に気が付いた真奥はドア越しに呼び掛けた。だが何の返事もない。鈴乃には珍しく往生際が悪い。真奥は困った、どうすればいいだろうか。
「鈴乃、いや鈴にゃ――」
「やめろ、近所でその名を呼ぶな!」
「うおっ」
慌てた様子で鈴乃が飛び出してくる。勢い余って、鈴乃は真奥を後ろの手すりに押し付けた。つまり、鈴乃と真奥は朝から密着することになる。
しばし、目が合う。鈴乃はいつもの和服のまま真奥によりかかっている。
「……お、おう。おはよう鈴乃」
「ま、まま、まおぉ」
真奥に突進した女の子は勢い余って、彼に抱き着く形になった。その女の子、鈴乃は顔を真っ赤にして部屋に逃げ帰ろうとした。だが真奥はそうはさせない。部屋に入った彼女がドアを閉めようとする一瞬。足を挟み込んだ。これでは閉めることはできない。
「なっ、真奥! 足をどけろ」
「いやっどけたらダメだろ。もう観念……い、いてえ。す、鈴乃、力入れすぎ!」
多少混乱した鈴乃はドアを力いっぱい閉める。それで真奥の足が締まった。それで彼は悲鳴を上げたのだ。鈴乃は痛がる真奥にはっとして、力を緩めた。
「す、すまない」
「千切れるかと思った……」
真奥は屈んで足をさする。鈴乃はおろおろとしながら、彼を気遣った。
「本当にすまない……」
「いや、いいさ、やっと出てきたしな。おはよう、鈴乃」
「あ、ああ。おは、……その」
鈴乃は真奥に言われて、顔を下げた。そしてぽつりと言う。
「……おはよう……」
彼女の口元がちょっとだけ、ほころぶ。
「で、何を着て行けばいいかわからないから逃げて……いや。出てきにくかったのか」
鈴乃の部屋で二人は向かい合って座っていた。
真奥が話を聞くと鈴乃は真奥とのお出かけに行く服装を悩んでいたらしい。経験がある女性ならそこまで悩むまいが、残念ながら彼女にはそれがない。鈴乃はバツの悪そうな顔で言った。
「あ、ああ。こんなことは、その、初めてだからな。普段着では良くないと思ったが……」
「ん? 気にする必要はねえよ」
真奥は気遣って言ったつもりだろうが、鈴乃はむっとした。彼女は口をとがらせて言う。
「気にするに決まっているだろう! これでも朝早くから起きて悩ん……ち、ちがう。なんでもない!」
怒ったかと思うと鈴乃はすぐに羞恥の表情へと変わる。真奥はなんとなくコロコロと変わる鈴乃の表情におかしみを感じつつ、思った。
(まあ、気遣ってくれていたんだな。じゃあ……)
「買うか」
「は?」
急な真奥の言葉に鈴乃は疑問の声を出した。今の真奥の言ったことが、理解できない。なにを言っているんだろう。と彼女の顔に書いてあった。だから真奥は補足する。
「だから、買に行くんだよ。新しい服を」
「なっなにを言っているんだ。……それに私はあまりお金なんて」
「いや、言い方が悪かったな。買ってやるよ」
「!?」
鈴乃は今が一番驚いたらしい。少し誇らしげにしている真奥の顔を覗き込みつつ、鈴乃は聞いた。昨日まで漬物を食っていたような貧しい彼らだ、そこから考えられることはひとつ。
「まさか、真奥……消費者……金融?」
「ちげえ! 借りてねえぞ、自前の金だ!!」
「なに! 昨日はすさまじく貧しい食卓を囲んでいただろう、憐みを覚えていたんだぞ昨日は!」
そんなことを鈴乃に言われて真奥は情けなくなってきた。良く考えればこれも漆原が悪いのだが、彼は、そのことを言わずに正直に話す。
「芦屋が秘密で溜めてた、その、機密費? を持ってきたんだよっ。借金でもクレジットでもなくてキャッシュで買ってやる!」
「き、機密費?」
要はへそくりなのだが、少し真奥は見栄を張る。
鈴乃はそんな大切なものをこんなことに使っていいのかという困惑と、純粋な喜びとが交じり合った複雑な感情になった。どうあれ「機密費」とやらは大切なものだろう。それを鈴乃の為に使おうとするのは、彼女のことが大切だと思われている、ともとれる。
「し、しかし……わけもなく買ってもらうわけには……」
「いいって、気にすんな。それに今日は全部俺に任せとけ!」
「あ、う」
どんと胸を叩く真奥に鈴乃は二の句を繋げない。一度目をつぶってからやっと言う。
「この……埋め合わせはいつか……する」
律儀だな。真奥は思った。その後もう一つ彼は思う。
(ユニシロじゃ……だめだよな?)
「ま、真奥! こ、こは」
鈴乃は困惑した表情で真奥を振り返った。
真奥達が鈴乃を連れてきたのは、近所のアパレルショップ。そう広くない店内をシーリングライト(天井に直接つけるもの) が照らすなかなかに瀟洒なお店だった。ユニシロくらいしか知識のない真奥が何となく歩いていて「おしゃれそうな店」に入ったのだから、当たり前かもしれないが。
それよりも問題は品揃えだった。ここには最近の若いものが着るような、可愛らしい服やちょっと大人びたものくらいのものしか置いてない。当然和服など置いてはいない。
休日とはいえ朝早いからか、客はまばらだった。しかし、店員も少ないらしくいまのところ頼れそうにはない。そうなると自分たちで選ばなければならないのだが、それが最大の難問だった。
普段は鈴乃が着ることは絶対にないような物ばかりだ。だから鈴乃は真奥を振り返った。
「ここで、買い物するのか……言っては悪いが、私はこんなところで服を買ったことはほとんどないぞ」
鈴乃にそうは言われても、てきとう見つけた店に入った。などとは口が裂けても言えない真奥。彼は鈴乃を見て頷く。内心すごく焦ってはいるのだが、平静を装う為に腕を組んで言う。
「まあ、たまにはいいんじゃねえか? こういうのも」
「し、しかしだな。」
真奥は心中の焦りを出さないように、横にかけてある服を取って鈴乃に見せた。
「そう言わずになんか試着してみろよ。これとか」
真奥の手には紅いワンピース。胸元が無駄に開いている。取り繕う為に取ったのだから真奥は良く見てなかった。鈴乃は身を下げて、恐る恐る聞いた。
「そ、それを私に着ろというのか……真奥?」
(しまった、近くにあるので一番変なのをとっちまった)
鈴乃は買ってもらう立場だ。それならば彼女にきてくれと頼めば、変なもの以外はきてくれるだろう。鈴乃は施しを受けて文句を言うような性格ではない。真奥は手に持ったワンピースを下げて言う。
「い、いや。いろいろ見てみようぜ」
「…………」
鈴乃はフリルのついたスカートを見ながら、ため息をついた。まったくわからない。服のセンスが違い過ぎて、言いも悪いもわからない。それは真奥も一緒だった。彼は店内を歩き回りつつ、時折見繕った服を持ってくる。
真奥の持ってくるそれはなんの飾り気もないようなものか、逆にゴテゴテとした飾りのついた両極端なものばかり。そのたびに鈴乃はやんわりと断った。
鈴乃は頭が痛い。外を見ると、日差しが強くなってきたらしく道行く人々が明るく照らされている。今日一日しかないのだから、できる限りは時間を有効に使いたい。
そこまで考えて鈴乃は気が付いた。今の思考。「有効に使うということは」できる限りは真奥と一緒に――。
「ち、ちがう、ちがう」
なにかを否定しながら鈴乃は頭を振った。
「と、とにかく。早く決めないとな」
鈴乃は言うが、やはり洋服のことは分からない。
それは真奥も一緒だった。彼もできる限り頭を使って考えるのだが、いかんせんその知識が薄い。さっきから空回りばかりしている気がした。
「芦屋を連れてくるべきだったな」
真奥はため息をついた。芦屋ならば以前真奥の服を選んでもらったこともあり、鈴乃の服も選べるかもしれない。だが彼を連れて来れば、デートとは言い難い。
彼は、店に置いてある服付きのマネキンを見ながらつぶやく。
「いっそ、これ一式ください、て言うか……だめだろうなあ……ん」
「なにか、お探しですか」
「うわっ」
いきなり話しかけられて真奥はのけぞった。彼が見ると、店の店員だろうか。首にネームを下げている女性が立っていた。女性は清潔感のあるシャツと黒のパンツ(この場合、ズボンのこと) それに肩までかかった茶髪にはウェーブがかかっている。ネームプレートがなければ真奥と同じ客に見えてしまう。
なかなかにスタイルのいい女性だが、少し目が細い。遠くから見ると眠っているように見えるかもしれない。真奥はごほんと言いつつ、聞いた。
「いえ、実は女性用の服を探しているのですが……私も、連れもそのことに疎くて悩んでいるんです」
無駄に丁寧な口調なのは職業病だろう。鈴乃が横にいれば「本当に魔王か?」といつもの疑問を投げかけられそうだった。
「そうなんですねー、よろしかったら、お手伝いしましょうか」
女性は屈託のない笑顔で真奥に言う。真奥も負けじと笑顔で言う。なんで対抗心を燃やしているのかは自分でもよくわからない。同じ接客業をやっているからだろうか。
「できれば、よろしくお願いします」
「わかりました。で、お連れ様は……」
「あ、あそこです」
真奥が指さしたところには鈴乃は居た。真奥にとっては鈴乃がただ立って服を見ているだけなのだが、女性にとっては違う。彼女ははっと目を開けた。びくりと真奥が身を引く。
女性の視点では、そこに和服の美女がいるのだ。しかも服を選びに来たという。女性の心の中にメラと欲望の炎が沸き起こった。
「あの、和服の方ですか?」
「えっ、ああ。そうです。まあ、あんななりですから、服選びに困っていて」
「わっかりました」
女性はいきなり、真奥の両手を掴んだ。開かれた目がキラキラしている。
「わたしにお任せください! あ、あんな方なら大歓迎です」
「そ、そうですか?」
女性と言う生き物の特性を真奥は知らない。彼女たちは、服を着るのよりも「着せる」ことに熱を向けることがしばしばある。今がそれだった。
女性の目にはもう鈴乃しか映ってはいなかった。あの人形のような人を、私がコーディネイトできる。それだけで女性はわくわくしてたまらない。それにこのような玄人には鈴乃が無知なのも「いい」。
「お、お客様。あちらの彼女様の御名前は?」
震える声で女性は真奥に言う。真奥は彼女に畏怖を覚えた。良くわからない凄みを感じてしまう。だから「彼女」の言葉に反応できなかった。
「す、鈴乃。えっと鎌月鈴乃です……」
「わかりました。鈴乃さんですね!」
女性は真奥の手を離すと鈴乃に向かってダッシュした。真奥の両手を掴んだ時の強引さで女性は鈴乃の手を取った。むろん鈴乃は驚いたが、ぐいぐいと女性に連れて行かれる。
「な、なんだ??」
「あちらの彼氏様から、頼まれて……」
「か、彼氏? な、なん……」
真奥には、目の前の光景が激流のように過ぎていく。顔を赤らめる鈴乃をあっと言う間に女性は店の奥まで連行していく。最後に鈴乃は真奥を見て、
「ま、まお、た、たすけ――」
それが彼女の最後の言葉だった。鈴乃の体は棚の陰に消えて、見えなくなった。
一人残された真奥はぽつりとつぶやく。
「死には、しないよな」
真奥は手持無沙汰にしながら、店のソファーに腰掛けていた。たまに他の店員が声をかけてくれるのだが、あの女性店員を待っていることを伝えるとみな一様に、憐みの表情を浮かべて去っていく。
「あの人何者だ……」
どうやら、この店で最も奇異な人物に捕まってしまったらしい。真奥は鈴乃がどんな格好で戻ってくるのかが心配だった。水着とかできたらどうしよう。真奥は未来へのリアクションに困った。
「メイド服なら大丈夫だ」
リアクションの話だ。真奥は一度、鈴乃が着ているところを見ているから反応はできるだろう。それでもその後のデートはメイド服女性と、と言うのは勘弁してほしかった。
その時鈴乃は試着室にいた。彼女にはあの女性がついている。なぜかカーテンのしまった試着室の中から二人の声が聞こえてくる。
「あ、あのこれスカート短いんだが……太ももが……」
「大丈夫! このニーソックスで引き立ちますよ」
「なっなるほど。ん? まて、引き立てたらだめだろう!」
「大丈夫ですよ。これで彼氏さんもいちころです。それに膝上一〇センチくらいだから、見えませんって。それにこれも着てもらいますし」
「これを着るのか、なぜ? それもこのシャツは腋が開いているんだか……いやそれよりも彼氏って」
「ああ、かっこいいですよね。妬けちゃいます」
「いや、そういう話ではなくて」
「あっこのリボンを胸元につけますねー。あとサイドテールもいいんですけど、今日はおろしてみませんかー。はあはあ」
「へ、変な息を出すのをやめてくれ。……わっ変なところを触るな!」
「採寸が合っているか調べないといけないんですよ。胸まわりはぎりぎりにしましょうね」
「なっなぜ!?」
「そっちのほうが彼氏さん喜びますよ。男ですし」
「だんだん変な方向に話が言っている! 真奥! この店はまず――」
「おっそいな、鈴乃」
てきとうに選んだとはいえ、この店へ鈴乃をひきずりこんだのは真奥だ。しかし彼はソファーで大きく欠伸をしていた。彼は服を買いに来たわけではないから、本当にやることがない。
「真奥」
後ろから声がかかった。真奥はやっと終わったのかと思ってソファーから立ち上がった。振り向いた彼は、信じられないものを見る。
「あんた、なにやってんの?」
腰まで伸びる赤い髪に鷹のような鋭い眼光。その人、いや彼女は真奥こと魔王がこの世で最も苦手とする人間だった。
「え、エミリア。なんでここに」
普段、真奥は彼女のことを「恵美」と言うのだが今日は思わず、本名で読んでしまった。
勇者エミリア。そこに腕を組んでたたずむ彼女は、かつてエンテ・イスラにおいて真奥と死闘を繰り広げた女性だった。そもそもこの世界に真奥が来なければならなくなった元凶でもある。それに彼女もまたこの世界に真奥を追ってきたんだから、境遇としては同じかもしれない。
遊佐恵美。それは日本での彼女の名前。
恵美はぴりと敵意を表しながら、真奥に聞いた。
「なんでここにって、服を見に来たのよ。ち……いや連れの子とね。その子は今、ちょっと薬局に行っているけど。あんたこそ……買い物? ここはレディース専門なんだけど」
「お、おう。町内会の仮想大会で使うらしくてな、買いに来たんだ」
必死になって誤魔化そうとする真奥。別に隠すことでもない気はするが、言うべきことでもない。それに鈴乃とデートをしているなんて言えば「なにを企んでいるの?」とお決まりのセリフを言われるのは目に見えている。
(鈴乃まだ、もどってくるなよ)
たらたら汗を流しながら、真奥は恵美に愛想笑いをする。別に媚びているわけではなく、誤魔化したいだけだ。恵美はじろじろと怪しみの視線で真奥を見つつ、一度壁にかかった服を見た。どう見ても女性用だ。
「まさか変態趣味に目覚めたの?」
「そんなわけあるか! どういう想像してんだ!!」
真奥は冷や汗をかいている。何も知らない鈴乃が戻ってきたら万事は窮す。まず間違いなく恵美はめんどくさいことをいい。めんどくさい事態になる。それは真奥としても嫌だ。
「あ、あの」
真奥の後ろから声がかかった。鈴乃が戻ってきたのだろうか。
ん?と言った顔で恵美が首を伸ばして、彼の後ろを伺う。真奥は歯を食いしばった。もうどうしようもない。彼もゆっくりと振り返った。
想像した「鎌月鈴乃」はそこにはいなかった。代わりに一人の女の子がそこにいた。
その子は穿いた短めの黒いスカートの裾を片手で下に引っ張りなりながら少しずつ近寄ってくる。もじもじしながら真奥の方をみる女の子。
顔を少し動かすと胸元にリボンのついた白いブラウスのが映える。そして腰まで伸びた鮮やかな黒髪が印象的だった。
スカートの下は少しだけ肌色が見えて、そこからニーソックスで隠れている。彼女が手でスカートを少しでも下ろそうとしているのは、肌色を隠そうとしているのだろう。足元をみると落ち着いたブラウンのブーツを履いていた。
(だれだ、こいつ)
(誰? この子)
恵美と真奥は同時に疑問符を浮かべた。だが一瞬その女の子が恵美を見てなにかをくちばし立った。明らかに恵美の姿に動揺している。
「……ぇ…み…」
驚きにそまる表情を見て、真奥は確信する。
(こいつ、鈴乃だ! だ、だれかわかんなかった。あの店員すげえ)
「おきゃくさーん。これを忘れていますよ」
鈴乃らしき女の子の後ろから、あの店員がよってきた。彼女は手に持った赤い布のようなものをその女の子に渡す。布はチェック柄で大きい。
無言で布をもらう女の子。店員は真奥を見て、ふふんと鼻を鳴らす。彼女の手には大きな紙袋があった、中にはおそらく「和服」が入っているのだろう。
「彼氏さん、どーですか。かわいくなりましたよ」
「あ、ああ」
「……かれ、彼氏。真奥! あんたどういうことよ」
恵美が叫ぶ。真奥はめんどくさいことになったと唇を噛んだ。店員からはすさまじくめんどくさそうな顔をした真奥の顔が見える、だが恵美からは見えない。
「もしかして……修羅場、ですか?」
こそっと女性の店員は真奥に耳打ちする。真奥は違うと思うのだが、修羅場は修羅場な気もする。どうこたえて言いいかわからない。店員はその真奥の態度で何を思ったのか。
「あら、ら」
と他人事のように声を出した。
恵美が真奥の肩を掴む。ぎりぎりと力を入れてくるので、地味に痛い。
「あんた。いったい何を企んでいるのよ!」
さっき真奥が予測した通りのことを恵美は言った。真奥はこの場をなんとか乗り切らねばならない。幸い、目の前の女の子が鈴乃だとは恵美も気が付いていない。真奥は恵美の手を払った。彼女に向き直る。
「勘違いするな、恵美。こちらは、こちらはだな」
真奥は鈴乃を見た。鈴乃は肩を振るわせる。額に汗が流れ、目の焦点が合ってない。それでも声を出さないのは恵美にばれないためだろう。真奥はそんな鈴乃を見つつ、思う。
(服を変える人がかわったみたいだな……? いや、それよりも誤魔化さねえと)
偽名を真奥は考える。とりあえず、この女の子を鈴乃ではないだれかだと恵美に思わせなければいけない。普段の鈴乃とは似ても似つかない容姿と偽名があればこの場面をのりこえることができるかもしれない。だが肝心の名前が思いつかない。真奥は焦る
(そうだ、あのバイトでの名前……すずにゃんだったっけ。だ、だめだ、そんなこといえばこの暴力勇者俺を殴りかねえ。というか鈴乃も殴りかかってきそうだ)
恵美は次の言葉を待っている。真奥を睨んだまま、仁王立ちである。
「で、その子は誰なの。というか変なことに巻きこむ気でしょう!」
「ち、ちげえよ。そんなことはねえこの人は、この人の名前はなあ」
真奥は鈴乃を見る。それから口を開く。思いついたことをそのまま口に出してしまった。
「アメリカから来られたスズ=ニャーン先生だ!」
恵美と鈴乃は同時に真奥を見た。両方とも驚愕の表情ではあるのだが、鈴乃の方が驚いている。至極当たり前だろう。いきなり自分がアメリカ人になれば。
「あ、あめ。外人!? この人。日本人にしか見えないんだけど」
なにかに驚く恵美に真奥は思う。
(お前も外人だろうが!)
真奥は鈴乃、いやニャーン先生に言葉を投げかけた。先生とは言ったが、それを言い出した真奥本人もなぜアメリカなのか、何故先生なのかわからない。それでも彼は無茶ぶりをする。
「そうだろ、先生」
「へっ?……ああ、うん」
思わず返事した鈴乃は頷く。なにがなんだかわけがわからないが、ここは真奥に合わせておく方がいいと思ったのだろう。だが今日本語を使ったことで、恵美は疑いを持った。
「い、今。日本語」
「使うわけねえだろ! なあニャーン先生」
「……ま、まいねーむいずスズ=ニャーン……」
スズ=ニャーンは「流暢な」英語で返す。そしてさらにつなげた。たしかいつか見たテレビ番組で英語の解説をしていたはずだ。彼女は必死になってその場面を思い出した。
「あ、あいふぁいんせんきゅー(訳。私は元気です、ありがとう)」
本人もよくわかっていない英語は「訛り」が強すぎて、英語を話すことのできる恵美にもわからなかった。恵美は英語のような言葉で話しかけられてしどろもどろになり、うっすら笑う。完全に日本人が困惑した時に行う、笑い方だった。
「い、いえーす(訳・はい)」
鈴乃と恵美は通じているんだが、通じていないのだかわからない会話をした。
「HAHAHA、はは」
「あ、あはは」
必死に外人っぽく笑う鈴乃。それにつられて恵美も笑う。真奥は自分で作り上げた、奇異な光景に一時呆然としつつもはっと気が付いて、言った。
「わ、分かっただろうが、恵美。先生は日本に来られたばかりだから、服を買いに来たんだよ!」
「で、でもさっきあんたのこと彼氏って」
そこであの女性店員が入ってきた。
「ああー。あれは私が勝手に言っていたんですよ。申し訳ありません」
ぺこりと謝る女性店員。こういわれては恵美もどうしようもない。だが彼女の心にはある引っ掛かりがあった。じろじろと恵美は鈴乃を見て、疑問を口にする。
「……ニャーン先生は、えっとどこかで、あれ? スズ=ニャーン……スズ、鈴、んん? ベル…」
「あはははばっかだなあ恵美。鈴乃がこんな変な格好をするわけないだろう! 今日は鈴乃に漆原の世話をしてもらってるしなっ」
恵美の連想が確信に触れそうになったところで、あわてて真奥は打ち消した。だがその真奥の言葉に鈴乃の耳がぴくりと動く。とは言ってもなにも言わない。だから何も気づかず真奥は続けた。
「だから、恵美。俺達はもう行くぜ。いいだろ!?」
「えっええ……いや、まちなさい。理由はどうあれあんたなんかに先生を任せてはおけないわ」
「お、お前に先生のなにがわかんだよっ」
「うるさい。何を企んでいるのかは知らないけど、あんたの思い通りにはさせないわよっ!」
がるると唸りそうなほど、真奥を睨む恵美。理屈よりも直感で嘘を見抜いているのかもしれない。真奥はやはりめんどうくさいことになったと思った。
そんな彼に女性店員がすすっと近づいてきた。そして小声で言う。
「お客さん露骨に反応しないでくださいね、この場は私に任せてください」
「なっ。どうにかできるんですか?」
「ええ、とりあえずお支払は……しめて29800円になります」
「ごぶっ」
真奥は今日一番の衝撃を受けた。鈴乃に服を買うとは言ったが、高くて1万と思っていたところにニキュッパだ。それも五桁という大金。
おそらく芦屋が数か月を費やした「機密費」はその半分以上が消え失せる計算になる。しかしこの状況では、真奥に選択の余地はない。
「お、お願いします……おつりは、いりません」
悲痛な声を出す真奥。彼はこっそりとポケットから財布を出して、中から福沢さんを三人取り出す。そして女性店員にそれを掴ませた。
「まいどあり」
ニヤリ笑う、店員。彼女はお金を受け取ると、真奥の手に紙袋を渡した。ずっしりとした重みは和服と、その他諸々の鈴乃の私物。その重み。女性は彼が受けったのを見てから、えいと真奥を両手で押した。
彼はうおっと小さく悲鳴を上げてよろける。だがここで彼のとった行動は早い。店員に非難の声を出すのではなく、恵美になにか言うのでもない。
真奥は鈴乃の手を取った。
「さんきゅー、恩に着るぜ」
真奥は鈴乃の手を引いたまま、店から飛び出していく。恵美はとっさに追おうとしから、その腰を掴まれた。恵美が見るとそこには張り付いていた、あの女性店員が。
「は、はなして。あいつを野放しにはできない……っ」
「うふふふふ。紅い髪がすごくかわいいですねお客様。もっとかわいくしてあげますよ」
ずりずりと恵美を奥へ引きずり込み始める女性。真奥に持ちかけた提案の半分は彼の為ではあっただろう。だがあとの半分は彼女の欲望でできていた。鈴乃とはベクトルが違う恵美もなかなかに弄り甲斐がありそうだ。
「い、いや。ちょっと。力強い……はなしてえ」
恵美は悲鳴を上げながら。奥へ、連行された。
街中を奔る。真奥は鈴乃の手を引いて、駅まで全力で走った。
鈴乃も遅れずについてくる。むしろ真奥が重い荷物を持っていることを考えれば、彼女の方が楽なのかもしれない。しかし、鈴乃が無言なのは別の理由があった。真奥はまだそれに気が付いていない。
真奥は急いだ。いつまたあの勇者が現れて、厄介なことになるかわからない。彼は店員に連れて行かれる恵美を見ていないから、なお急ぐ。
平日で人が道に少ないのがありがたかった。休日ならばもっとスピードを緩めなければならなかっただろう。あの店から一〇分程度走ると、やっと駅についた。
「はあ。はあ、こ、ここまでくれば恵美も追ってこないだろ……。なあ、鈴乃」
「…………どーだかな」
「えっ、な、なにを怒ってんだ」
真奥が振り向くと鈴乃は口をとがらせて、そっぽを向く。少し膨れ面の鈴乃は明らかに不機嫌だった。真奥はいきなり鈴乃にそんな態度をとられて、困惑する。
「怒ってなどいない」
「いや、どう見てもおこってんだろ。いてっ」
ぎゅっと鈴乃は真奥の手を握った。多少聖法気で強化したのだろうか、真奥の手に激痛がはしった。彼は何かを叫びつつ、鈴乃から手を離してのけぞった。
「な、なにするんだ……あ」
「あはははばっかだなあ恵美。鈴乃がこんな変な格好をするわけないだろう! 今日は鈴乃に漆原の世話をしてもらってるしなっ」
「もしかして、鈴乃……俺に『変な格好』って言われて怒ってんのか」
「っ、そんなわけないだろう!」
といいつつ、鈴乃はさらに顔を背けて、そのうえ真奥に背を向ける。彼女は口よりも行動の方が分かりやすかった。
真奥は頭を掻きつつ、バツの悪そうな顔をする。あの時は恵美に気が付かれないように必死で考えて言った言葉ではない。だがそれが鈴乃を傷つけたのなら、真奥としても謝らなければならない。そう、彼は思う。
「なんつうか、ごめんな……あの時は必死だったからな」
鈴乃は反応しない。
「で、でも。なんていうかさ」
真奥はいったん言葉を切った。その先はなんとなく気恥ずかしい気がしたからだ。だが「それ」を言うことをやめはしなかった。
「似合っていたと思うぞ……本当だ」
鈴乃は、全く動かない。真奥に背を向けたまま、無言を保った。
「……鈴乃。機嫌をなおせよ」
しばらくして真奥が鈴乃の顔を覗き込もうとした。
くるりと鈴乃は身をひるがえす。真奥には顔を見られたくない、と言うように別の方向を見る。真奥は「まだ怒ってんのか」と思いつつ、とりあえずは対面して話をしようと鈴乃の前にまわろうとする。
鈴乃はまたくるりと体を廻した。すでにさっき顔を背けていたこととは、意味を変えている。
「おい、鈴――」
真奥は顔を覗き込む。鈴乃は顔を背ける。
「いい加減に」
鈴乃は頑なに真奥には顔を見せようとはしない。今真奥に顔を見られるわけにはいかない。だが真奥は鈴乃の前に出ようと、性懲りもなく動いた。
「い、いい加減にしろっ真奥!」
いきなり鈴乃は真奥にどなった。もちろん顔は背けたままだ。真奥はおうっと驚いた。鈴乃はそんな彼の手を掴む。そして駅に向かって歩き出した。
「もう時間がないぞ。は、はやくいかないとな……」
「お、おい鈴乃。引っ張んな」
手をつないだ二人が、歩いていく。先を行く鈴乃の頬は、ほんのり赤い。
朝はこれで終了です。昼はいろんなところに行きます。
行くかはわかりませんが、コメントに書いてもらえて場二人の目的地が増えるかもしれません。